●リプレイ本文
●救い主
メルドンの街は元は陽気で元気な港町である。
一度、大津波によって壊滅の危機に陥ったものの、大きな傷を負いながらもたくましく彼らは立ち直ろうとしていた。
冒険者の中には大津波直後にここにやってきた者もいる。
あの絶望の時から数ヶ月。
小さいが市が立ち海から獲れた魚やそれを使った料理が、道行く人たちの足を止めている。
冒険者や騎士団などの協力があったにしても街に人々の姿が戻り、働く人々の表情が明るく確かな復興の兆しを見せていたのは嬉しい事であった。
だが‥‥
「ん〜〜。なんだかね〜〜?」
仲間達と街を歩いていたティズ・ティン(ea7694)は腕を組み小さく唸った。
「どうしたんだ?」
などとは誰も言わない。彼女だけではない。冒険者は皆感じていた。
不思議な緊迫感。街全体が何かを警戒しているようなそんな雰囲気を。
「俺達、でもないな。旅人、とかでも無い‥‥」
周囲の様子を確認しながらキット・ファゼータ(ea2307)は空気を読む。
その時
ザワッ!
文字通り空気がざわめいた。
さっきまで明るく楽しげだった雰囲気が突然、氷が水に貼られていくかのように冷え、変わっていく。
その理由は、市の真ん中を歩く一人の男性にあった。
「彼は‥‥」
シルヴィア・クロスロード(eb3671)は思わず声を上げる。
人々が左右に避けた空間を寂しげな顔で一人歩く彼は‥‥。
「エギルさん!」
呼びかけられた男性は後方、人ごみの中を見る。
そこからワザとリースフィア・エルスリード(eb2745)は大きく手を振って彼に駆け寄った。
「貴方は‥‥確かリースフィアさん‥‥ですよね?」
「覚えておいででしたか。私だけではありませんが‥‥。ほら、他にも来ていますよ」
ざわざわと人ごみが揺れる。その理由を理解した上で
「食料品の買い出しかい? 大変だねえ〜」
「船には乗組員も多いですから、お一人では大変でしょう。宜しければ荷物もちのお手伝いを致しますわ」
フレイア・ヴォルフ(ea6557)やセレナ・ザーン(ea9951)も近寄り満面の笑顔で笑いかける。
「女性に荷物を持たせるわけには行きません。僕がお手伝いしましょう」
サッと素早く荷物の半分がケイン・クロード(eb0062)に移る。
「残りの買い物は何? お肉? あ、魚美味しそうだね。実は保存食忘れちゃってお腹ぺこぺこなの。美味しいもの作ってあげるからご飯食べさせて〜」
明るく笑うティズやルーウィン・ルクレール(ea1364)を見てエギルと呼ばれた男性は、幾度と無く瞬きをしていた。
「皆さん‥‥」
言葉には出さない、リースフィアは口元に一本の指を立てている。
その意味が彼にはちゃんと解ったから
「ありがとうございます」
静かに頭を下げたのだった。
●行き場の無い思い
副船長、エギルと一緒に冒険者達がやってきた時、ブランシュール号の船員達の顔は思ったより晴れやかであった。
「ただいま。‥‥どうしたんだ? 随分と賑やかだな」
「あ、副船長。お帰りなさい。いえ、さっき俺達を手伝いたいって船乗りがやってきたんですよ。こいつが陽気な奴で‥‥って、こちらの方々は?」
首を傾げる船員に
「はじめまして、わたくし、ティズ・ティンと申します。皆さん、わたくし達が全力で守りますのでご安心ください」
凛々しく礼儀正しくティズは挨拶をする。
「は、はあ‥‥」
滅多に無い正式の礼を取られ困惑顔の船員に、次の瞬間
「ん〜、でもこれじゃあ、海に落ちたら終わりだね。船でのお仕事にはちょっと似合わないかも〜」
ティズは少女らしい笑顔で微笑むと
「ちょっと待って!」
慌てて物陰に隠れた。そしてがさごそ数分で可愛いメイドドレスに着替えてきたのである。
「ジャーン! メイドナイトティズ参上! なんでもお手伝いするよ〜」
その変わり様子とウインクに何事かとやってきた船員達の表情もパッと破顔する。
わーっと歓声のようなものすら上がる中
「こちらはパーシ様が俺達の為に呼んで下さった護衛の冒険者の皆さんだ。感謝してよく協力するように」
エギルの言葉に本当の歓声が上がった。
「白のテンプルナイト、クローディア・ラシーロ(ec0502)と申します。どうぞよしなに」
「ありがとうございます」
「ようこそ来て下さいました!」
涙さえ流している少年もいる。
「さあさあ、出航まであとそんなに無いんでしょ! まずは大掃除だよ! 頑張ったら美味しいもの作ってあげるから!」
「拙者もお手伝いするでござる。男所帯で多少は仕方ないでござるが船があまり散らかっていると航海にも差し支えるでござるよ」
一番最後にやってきた船乗りがパンパンと手を叩きながら声をかける。
彼‥‥葉霧幻蔵(ea5683)‥‥と視線を合わせたティズと冒険者達は指を立てあった。
「Good Job!」
と。
中での船員達の護衛を仲間に任せて、港の桟橋に立っていたクローディアは
「本当に、苦労しておられたようですね」
小さく呟いた。誰に言うともない言葉であったが聴いていたというより、聞こえていたのは側にいたケインのみ。
「そうですね、それはこの船の様子を見ても解ります」
彼は静かに頷いた。
ブランシュール号はピークヘッドに女神の像を掲げる美しい船だ。
だが、今、その船には明らかに航海で付いたのでは無い傷がいくつも見られる。
これは明らかに石などを投げられた跡である。
「誤解で生じる迫害なんて、あっちゃいけないのに‥‥」
手を握り締めるケインにクローディアはかける言葉がない。
けれど、気持ちは同じであった。
だから
「何か船に御用ですか?」
ことさら明るく船の周りを遠巻きに見つめる人々に声をかける。
「あ‥‥、いや‥‥なに‥‥その‥‥」
パッと後ろの手に何かを隠した男性。居心地悪そうな彼の足元で
「あのね。とーちゃんが、おれたちのおしごとをうばったやつらにしかえしにいくぞーって」
子供は正直に綺麗なお姉さんの問いに答えてくれた。
「こら! バカ!」
頭を押さえる男からは微かに酒のにおいがする。
ケインは膝を静かに折ると‥‥
「あのね‥‥」
視線を合わせて子供に真剣に語りかけた。
「船の人たちは何も悪くない。君のお父さんのお仕事を取ったりもしていない。証拠も無いのにそんな事をしてはいけないよ。人を傷つけるという事は、思った以上に重い事なんだ」
真っ直ぐな瞳と瞳、語りかけられた思いを子供は
「うん!」
真剣に受け止める。そしてケインは立ち上がり男性にも頭を下げる。
「事件の真相究明と第二・第三の被害者を出さない為に私達も全力で動いていますから」
「皆さんに被害を与えるような事は無いように、必ず守ります」
明らかに身分の高そうな騎士二人に頭を下げられて‥‥
「お、おう‥‥解った」
男は子供と共に帰っていく。
「バイバイ」
手を振る少年に手を振り返ししながら‥‥
「‥‥守りたい。船員の人たちだけでなく、彼らも、皆も‥‥」
ケインは、残る手を強く握り締めて決意を固めていた。
その指で微かに、本当に微かに石の中の蝶が羽ばたいていた。
「意外、って言えば意外かな? ほら、これ‥‥」
フレイアはそう言って、羊皮紙の一箇所を仲間達に指し示した。
ある食堂の一角で、人魚とデビルの噂について調べていたセレナとフレイア、そしてリースフィアは、今その情報を交換し、統合し、纏めていた。
「人魚や幻の目撃証言が主に集まっているのは昼‥‥ですか?」
「そういうことらしいよ。魚を捕りに船を出した船乗りの中にも人魚を見たってのはいる。その人魚は歌で魅了するとかじゃなかったみたいだけど彼女が海に消えると同時に巨大な船が現れて、近づいてきたんだってさ。必死に逃げて命からがら助かったらしいけど」
「人魚が手招きした方向に向かったら暗礁に乗り上げてしまったという話もあります。そこをブルーマンに襲われて仲間を失ったという方もいらっしゃいましたわ」
総合した情報が指し示すのは昼間のみ現れる人魚と、彼女‥‥外見上は美しい女性形態であるというので‥‥を守るように飛ぶブルーマンの存在。
「亡くなった船員さんも、港の人達に聞き込みをしていたようですよ。少しでも手がかりを掴もうとしていたようですね。そして‥‥」
「これは、本当に人魚かな?」
フレイアの言葉に二つの首が同時に動いた。同じ、縦方向へと。
「『人魚』がまだ彼を呪い殺したという証拠はありません。同じ場所で鳥を見たという話もありますし‥‥。ですが、この『人魚』がデビルの可能性はあると思います。『鳥』は何を意味するかは解りませんが」
「医者に連れて行っても、ポーションを飲ませても回復しなかったという傷も、かつて、パーシ卿がデビルの攻撃によって呪われた時と一致点が多いですからね」
今、新たにメルドンに現れた謎の『人魚』。これがデビルであるというのなら、その目的は一体‥‥。
「もうじき夜です。一度船に戻って船の人達とさらに情報交換をしましょう。何かさらなる手がかりが見つかるかもしれません。」
リースフィアの促しに従い、立ち上がって歩き出した三人。
だが彼女達は直ぐに足を止めた。
「なんです?」
人ごみの輪の中からそっと、様子を見る。
輪の中心にいたのは一人の男性と子供。そして
「キット!」「シルヴィア様?」
冒険者の良く知る仲間達だったのだ。
「何故、食料を売って頂けないのですか? 代金はちゃんとお支払いしますと言っておりますが‥‥」
積み上げられた野菜を持った木箱を指差す。
「私達にはその野菜がどうしても必要なのです。お願いします。売って頂けませんか?」
「あんた達じゃないだろ? この野菜を必要としてるのは」
頭を下げるシルヴィア。だが腕を組み、男はフンと鼻を鳴らす。
「あんた達はあの船の連中に雇われてるんだろ? あんた達が買うって事は船の連中がこの野菜を食うって事だ。あの悪魔の手先どもがな!」
ざわり、空気が揺れる。それは人々が揺れただけではない。
「悪魔の手先? 何故、そんな事を言うのですか?」
シルヴィアの纏う空気も揺れていた。口調は丁寧、けれど、どこか怒りを孕んだものに。
「俺達は知ってるんだ! あの船の船長がデビルだったんだろう? この間の大津波も悪魔の仕業だったって言うじゃないか!」
男は言葉を荒げて言う。その雰囲気に自分の足元にいた子供でさえ逃げ出した事に気付かずに‥‥。
「誰がそんな事を言ったのです? 貴方はそれを自分自身の目で確かめたのですか?」
「目で見なくたって皆が知ってる。あの船の連中は悪魔の手先だと‥‥皆知ってるんだ。俺の妻と母親は大津波に攫われて死んだ。冷たい海に投げ出されて、瓦礫に頭を打ち砕かれて‥‥くそっ!」
悔しげに手を握り締める男の気持ちに嘘は無い。
だからこそ
「ならば、思い出して下さい‥‥。あの日、絶望の夜。真っ先に辿り着き、皆さんを助けてくれたのは誰ですか? 救助を呼び、食料品や衣服を運び、ギリギリまで生存者を捜してくれたのは一体誰でしたか‥‥」
一歩もひるまず、シルヴィアは告げた。街の人々が逃げている真実を。
「それは‥‥」
「ブランシュール号の方々であった筈です。それを、誰が言ったかもしれない噂や確かともいえない情報に惑わされて、かけがえの無い恩人に石を投げつけるような真似をしていいんですか!」
「だが、船長がデビルであったと‥‥」
「それだって、まだ確実ではありません。それを調べる為にも私達は動いているのです。今は彼らを信じる事が、かつて受けた恩を返す事ではないですか?」
俯く男、そして街の人々。彼らは返す言葉を誰一人、持ってはいなかった。
かといって‥‥過ちを認める事も簡単ではないのだろう。
沈黙が場を支配する。
それを割ったのは
「なあ、チビさん。お前、あの船の連中嫌いか?」
キットの言葉と、
「う〜ん、ううん! きらいじゃない! っていうかスキ!」
彼の腕に抱かれた女の子の声だった。
所在無げにしていた女の子をキットは抱き上げ問いかける。
「そうか。あいつらスキなのか?」
「いろいろおはなししてくれたり、おかしくれたりしたよ。それに‥‥おかあさんをつれてきてくれたもの‥‥」
「おまえ‥‥」
娘の無垢な思い顔を上げた男の腕に、キットは微笑しながら
「そっか。ほら、お父さんの所に帰りな」
娘を戻す。そして男に言った。
「余計な事考えすぎない方がいいと思うぜ。肝心なのは人の意見じゃない。自分がどうしたいか。だ。本当に自分のしたい事がある奴は結局他の奴の言葉なんか聞きゃしないんだ」
ちらっと横の騎士の顔を見て、キットは再び前を向く。
彼女は自分の事を言われているとは思っていないだろう。
「本当に奴らを怨んでるんなら別に構わない。でも、俺が見るにそうじゃない気がするんだけどな?」
どうだ?
問うキットの言葉に返事は返らない。だが、男の周りからはさっきまでの怒り、憎しみはもうまったく感じられなくなっていた。
「野菜、頂いていきます。よろしいですね?」
男は答えないまま、娘を抱きしめる。
「大丈夫のようだね」
「ええ‥‥」
その光景を見ていたフレイア達は、静かにその場を離れたのだった。
●海と光とデビル
夜更け。ブランシュール号の一室。その一角にカンテラが照らされていた。
冒険者達が集い、情報交換をしているのだ。
「どうやら、船長がデビルだという話やブランシュール号の悪口を街で言って歩いていた者がいたようですね。デビルなのか、それともブランシュール号を妬む人間の仕業なのかはわからないのですが‥‥」
シルヴィアはキットとメルドンで集めた情報を仲間達に報告する。
街での出来事を口にしない二人にリースフィア達もあえてそれを話す事はせず、自分達の報告をするに留めた。
「昼間だけ、現れる人魚か〜。あの子の事かな。やっぱ。デビルとかは夜が好きだし〜。ただの人魚なのかな?」
「その可能性はありますね。デビルの反応は常にあったのですが‥‥」
「でも、ただの人魚が、しかも水ではない魔法を使うでござろうか?」
「えっ?」
船に残っていた仲間の言葉に、情報収集組は目を丸くする。
「人魚がいた? デビルが‥‥来ていたの‥‥です‥‥か?」
「どこに! 被害は? 皆さん、ご無事だったんですか?」
慌て顔の彼らに
「まあ、お落ち着くのでござる。ご無事だったから今、皆ここにいるのでござるからして」
当たり前の事を冗談めかして言う幻蔵。
彼の言葉と言動は、僅かだが冒険者の心を和ませ、話を聞く体制を作り出した。
「最初に反応が出たのは、港の桟橋近くにいたケイン殿の石の中の蝶でござった。それから、甲板の拙者の指輪にも反応が出たのでござる。で、即座にティズ殿に報告したのでござるよ」
「そうそう。丁度食事も終わった所だったから、片付けを頼んで甲板に出てきたの」
ティズは思い出しながら説明をする。
石の中の蝶はデビルの探索には便利だが、あくまで『近くにいる』という事しか解らない。
冒険者達は注意深く探索を続けた結果、近くに数匹のモンスターの姿を発見した。
ずぶぬれの生きた死体などが、船の側に取り付いていたのだ。
「こいつ!!!」
一匹一匹はそう大して強くは無い。
だが、彼らを見える限り退治しても反応は消えなかったのだ。
「ん? ティズ殿。あれは‥‥」
怪物をあらかた退治し終えた時、幻蔵は外海へと広がる海域の小さな岩山の上に、不思議な存在を見つけたのだ。
美しく長い髪、光る鱗。あれは‥‥
「にん‥‥ぎょ??」
「待つのでござる! ちょっと話が!!!」
人魚が身を翻しかけたのを感じ、幻蔵は海に手を伸ばした。
魔法の首飾りをかけ、大ガマを呼び出して後を追おうとした彼。
だが、大ガマが甲板を蹴り、海にダイブしようとした瞬間であった。
「ギュワッ! ゲオゲオオ〜〜」
大ガマが突然空中で大きく身をそり返し、海面に激突したのは。
「うわわわわっ〜」
そのまま大ガマは泳ぐ事さえできずに海に沈んでいく。
ガマを戻し、幻蔵が必死の思いで船に辿り着いた時、当然ながら人魚の姿は消えていたのだという‥‥。
「あの時ね、人魚の手から光のようなものが出て、ガマの額を射抜いたように見えたよ。あれは多分、魔法だと思う」
「だが、しかし、水魔法では決して無かったでござる。あれは一体‥‥」
謎の人魚、謎のデビル。謎のアンデッド。謎は増えて深まる一方だ。
「では、明日は一日、全員で船の護衛をしましょう。その人魚がこの出航前に船に何かを仕掛けようとするなら、出航日の明後日よりも明日のほうがやりやすい筈ですから」
方向性は定まった。後はそれぞれが
明日に備えて動き出す者、身体を休める者、見張りに出るもの。
そんな中で、ふと、キットはあるものにふと目を止めた。
壁に飾られた一枚の絵だ。
描かれていたのは楽しげな母子の絵で、特に目立って上手ではないが綺麗な絵となっている。
「そう言えば、例の船長、絵はちょっと上手いらしいな。出会った子供達が言ってたっけ。こいつも船長が描いたのかな?」
キットが思い出したように言う。
なにげない一言。
一件無関係に思えたこの独り言が、ある手がかりを冒険者の前に指し示す事になるとは、この時まだ誰も知る由は無かった。
翌朝、事態は劇的に変化を告げる。
空が白み、すっかりと日が昇ったのを確認し、見張りに出ていたケイン達とセレナとフレイアが交代しようと部屋を出た時だ。
「フレイアさん! 見て下さい。あれを!」
セレナは声を上げて彼女の背後を指差した。
正確に言うなら船の後ろ。そこに、この船よりも遥かに大きい、直径100mはあろうかという船がすぐ真横にあるのだ。
ボロボロに壊れて今にも崩れ落ちそうな船。
「あれは‥‥まさか幽霊船?」
フレイアは息を飲み込むと手を握り締めた。
「とりあえずこのままじゃ衝突する。セレナ! ケイン達に知らせて! あたしは船を出させるから。早く!」
「はい!!」
セレナと同時に走り出したフレイアは
「みんな! 早く外へ! 幽霊船だ!」
蹴破らんばかりの勢いで、船員や冒険者たちを叩き起こし外へと集める。
「幽霊船? 馬鹿な!」
「港にはほんのさっきまで何の気配も無かったんですよ!」
船の周辺を巡回していたキットとケインが青ざめた顔で戻ってくる。
空を飛ぶカムシンも困惑した様子で空を回っている。
その間にも船は確かにそこにある。
「とりあえず、船を出します! もしあの船が少しでも近づいて来たら追突ですから! 皆! 出航準備!」
船員達はみるみる間に碇をあげ、帆を張る。
冒険者が船を発見してから数分で、船は出港し、海に浮かんだ。
ホッと、息をついたその時だ。
「見るのでござる!!」
「えっ!」
冒険者のみならず、その場にいた全員が息を呑んだ。
「船が‥‥消えた?」
ほんのさっきまで、確かにそこにいたはずの船が消えている。
あの大きさの船が簡単にどこかに行く筈は無いのに何故‥‥。
「今のは‥‥一体! まさか?」
その時、フレイアは思い出した。鷹峰瀞藍の忠告を‥‥。
「あれは、人魚が作った幻覚なんだよ!」
「幻覚魔法を使う人魚がいるんですの?」
セレナは首を傾げるが、その時、もうフレイアは走り出していた。
「そんなの知らない。でも、声で魅了する人魚ならありうる話だろ。そして何より、私らはおびき出されたのかもしれない。海へ‥‥!」
船尾から船首へ。外海へと視線を移した冒険者達は、そこで目的の存在に出合うことになる。
〜〜♪ 〜♪♪〜。
石に腰をかけ歌う人魚を。
彼女(?)は背後に幽霊船を従えて歌っていた。
その近くにはブルーマンが何匹も飛んでいる。
どう見ても、彼女が襲われているようには見えない。
指につけた石の中の蝶を手で押さえながらキットが呟く。
「デビルの反応がある。しかも、かなり強い。この近くに他にデビルがいるのでなければ‥‥間違いない‥‥」
その先の言葉を誰もが飲み込んだ。
「海の王は偉大なり、逆らうものに呪いあれ‥‥。そんな風に歌っていますね」
リースフィアも確信したように手を剣にかけ、帆柱の影に目をやる。
そして仲間達と視線を交差する。それで、歴戦の戦士達は全てを理解した。
「皆さん、後ろに下がって‥‥」
「万が一の時には、これを燃やすでござるよ」
護符を一枚押し付け、幻蔵がエギルを後ろに押しやった時。
歌い終えた人魚は、冒険者に向けて高らかに声を上げた。
『そこにいる冒険者共よ!』
冒険者、そう名指しされて一瞬身を固くした彼らであったが、それを表に出す事はしない。
逆に何も変わらぬ顔でセレナが一歩前に立ち
「わたくしはセレナ、地上の騎士です。あなたはどなたですか? 船乗りに呪いをかけたのはあなた達なのですか?」
人魚に負けない強い声で問い返したのである。
礼をとったセレナの言葉に人魚は強い命令口調でさらに答える。
『私は海の王の使い。その船の者を海に還す為にやってきた。彼らは海の王の偽りの姿を知っている。人が知る事など許されぬ姿だ。故に海の民に迎える。邪魔をしないのなら、お前達に害は加えぬ。早々に立ち去れ!』
威厳さえ感じられる態度。だが
「申し訳ありませんが、その申し出を受け入れるわけにはいきません。私達は彼らを守る為に来たのですから」
セレナがきっぱりとそう返すと、人魚は恐ろしい形相にその顔を変え‥‥
『ならば呪われよ! 共に海に消えるがいい』
カッ!
呪詛と同時、人魚の身体は光を纏うと微かな音と共に空へと舞い上がった。
眼前にあった船は消え、また背後に巨大な船が。
「わああっ!」
「旋回! 退避!」
「ダメだよ!」「落ち着いて!」
慌てて船を動かそうとする船員達をティズと、クローディアはその身で制した。
「さっきフレイアさんが言ったでしょ。あれは幻。きっと何もしてこないから動かないで!」
「私達を慌てさせ、追い詰めるのが目的と思われます。私達を信じて下さい」
ハッとした顔でエギルは前を見る。
「確かに‥‥このまま慌てて進んでいたら、暗礁に乗り上げていたかもしれません」
頷くクローディア、そして彼女は空を見上げた。
空にはデビルと‥‥
「おい! のんびりと見ている暇は無いぞ!
キットは自分もちらり空を見ながら声をかける。船上には既に多くのブルーマンが集まって来ている。
「空が相手じゃ分が悪いな。まあ、海に逃げ出されないだけましか‥‥。幻蔵、ケイン。こっちは片付けるぞ」
「解った」
「了解でござる。エギル殿。その護符を燃やして頂けまいか?」
護衛役のティズとクローディア、セレナを残し、男達は前に飛び込んでいった。
ブランシュール号は再び戦場となる。
そして空も‥‥また。
シュッ。
空を切る剣の手ごたえにシルヴィアは小さく舌を打った。
人魚‥‥いや、デビルが魔法で自らの姿を発光させ、空に舞い上がったのを見て、リースフィアと二人、天馬で追ってきたのだ。
だが、二対一でも彼らは苦戦していた。
激しい光‥‥おそらく陽魔法のダズリングアーマー‥‥を纏ったデビルに肉薄しようとすればするほど、眩しい光が天馬の、そして彼女らの目を焼く。
微かに動きは鈍いものの、こちらの攻撃は当たらない。
逆に向こうからの攻撃は的確に、そして確実に彼女達を傷付けていったのだ。
「危ない! アイオーン!」
ル派今までの攻撃とは違う何かを感じ、リースフィアは天馬を引きとめ後方に回避した。
さっきまで尾を振り回していたデビルが伸ばした爪は、本当に羊皮紙一枚の差で空を裂く。
「シルヴィアさん、気をつけて! あの爪は何か危険な気がします」
「はい!」
言いながらもシルヴィアは困り、考えていた。
光の鎧をあのデビルが纏っている限り、こちらの攻撃はおそらくまともには当たらない。
どうしたら、仕留められるだろうか。と。
魔法の効果が切れるまで待つか、それとも。
思った時、船上でシルヴィアは何かが光ったのを見た気がした。
そして、それを確かめた時彼女は
「リースフィアさん! 上昇して下さい!」
説明、前置き無しで仲間にそう声をかけた。
リースフィアもまた、どうして、などとは聞かない。言われるままに上昇し‥‥
『逃がす‥‥ギャアアア!!』
彼女の言葉の意味を理解する。
船上から放たれた一本の白い矢が、デビルの腕を射抜いていたのだ。
と、同時、いくつも船から放たれる衝撃波がデビルの頭を、肩を、足を裂く。
『く‥‥くそおっ!!』
傷だらけの身体があげる悲鳴に、デビルは逃げようと身体を翻す。
だが、それを勿論冒険者達は許しはしなかった。
「逃がしません!」
「デビルの思い通りにはならないと知りなさい!」
天馬と共に飛び込んだ二陣の刃は、デビルの負の命を両断する。
「手加減をしている余裕は、ありませんでしたね‥‥。もうじき、貴方の命は消えます。何か‥‥喋ったほうっがいいですよ」
リースフィアの慈悲にも似た言葉。
けれど帰ってきたのは
『おのれ‥‥。呪われろ。冒険者‥‥。いずれ‥‥あの方が‥‥』
呪詛にも似た言葉であった。
人魚の姿をしたデビルは船に落下し‥‥消滅する。
「「あの方‥‥?」」
デビルの最後の言葉に二人の冒険者が思ったものが同じであったかどうかは解らない。
だが、彼女らは確かに同じ事を考えた。
あの人魚は単なる手先に過ぎない。と。
それを見届けるように空の高くを鳥が飛んでいった。
●ブランシュール号の船出
翌日、ブランシュール号は無事メルドンを船出した。
「今回は、本当にありがとうございました」
出航直前、副船長のエギルは冒険者達に頭を下げる。
「我々の護衛ばかりか、補給や買出しも手伝って頂いて‥‥」
「いやいや、気にしない気にしない。元々パーシ卿からもお金預かってたしね」
フレイアは明るく笑って手を振る。
数日ですっかり船のアイドルになったティズと、船の仲間になった幻蔵とは名残惜しそうに船員達との別れを惜しんでいた。
あのシルヴィアの演説以降、驚くほどにブランシュール号への風当たりは消えていた。
補給などもスムーズに行えるようになった。自分から手伝いに来た人物もいて冒険者達はこれ以降、少なくともこの街で彼らが迫害される事は無いだろうと信じる事ができた。
「みなさん」
リースフィアは船員達に、言うまでも無い事かもしれませんが。そう先に言ってから静かに告げる。
「多くの人には帰る場所があります。船長にとっては船と貴方達がそうでしょう。彼はきっと貴方方を裏切ってなどいません。‥‥だから帰る場所を守ってあげて下さい。心の中にいる船長を信じて欲しいんです」
と。
その言葉に船員達は嬉しそうに顔を合わせると、それぞれが、それぞれに首を縦に振る。
「勿論です。船長は我々の‥‥ブランシュール号の大事な船長です。この世の誰が信じなくても、私達は船長を信じて待ち続けます。そう、パーシ様にもお伝え下さい」
「必ず」
騎士の紋章に手を当て頷くケイン。
そして冒険者達に何度もの、たくさんの感謝を置いてブランシュール号は船出していった。
次に戻ってくるのはおそらく年明けであろうと。
「何を見てるんだ?」
キットはふと横を向いてシルヴィアの方を見た。
感謝にブランシュール号が置いていったもののこれは一つ。幾枚かの羊皮紙であった。
「船長さんの航海日誌に挟まれていたという絵です。絵、というよりは殴り描きというか覚え描きのようですけどね」
「これは‥‥蛇か?」
キットが首を捻る。細長い身体。牙。それが半分埋まった地面の中で蠢いているように見える。
空には満月。
「蛇ではないと思いますよ。この地面のように見える線。それが‥‥海だとしたら」
「巨大海蛇‥‥じゃなくて‥‥」
「おそらく‥‥」
シルヴィアは頷く。そうか、とキットもまた頷いた。
「亡くなった船乗りの方は船長の身の回りをしたりしていて、よく一緒に星を見たりしていたそうです」
「なるほどな‥‥。何が狙いかと思ったが、ひょっとしたら口封じか‥‥」
「可能性はありますね。海に迎えると言ったあのデビルの言葉もあながち嘘ではなかったのかもしれません。そして‥‥」
シルヴィアは絵を、もう一度見つめる。
この絵が大津波前に、海から目撃したリヴァイアサンを船長が描いたものだとしたら『船長』はリヴァイアサンを見た事になり、リヴァイアサンが『船長』であり『船長』がデビルである、という疑いは晴れる事になる。
勿論、そう言って人々が信じるわけではないし、これを手がかりにしてリヴァイアサンを探す、捕まえるなどというのも無理な話だ。
けれど‥‥
「信じる根拠にはなりますよ。シルヴィアさん」
クローディアの微笑みに、ええと、シルヴィアは頷く。
キットは覚悟を決めていたようだが、できるなら戦いたくはないし、まして殺したくは無い。
あの『船長』とは‥‥。
「背後でデビルが糸を引いているのは確か。けれどそれが何の為なのか。今回は口封じだとしても、集まってくるデビル達の目的は解らないままですね。でも、いつまでも後手のままではいません」
手を強くリースフィアは握り締めた。 カジャ・ハイダルの教えてくれた情報が確かなら、今回出会ったデビルはヴェパール。中級に位置するデビルだ。
これからもっと強敵が出てくる事だろう。
「ええ、必ず‥‥」
誰ともなしに呟いた言葉は、冒険者達の誓いとなって遠ざかっていく船と消えた命へ、最高の贈り物になった筈である。
かくして、この事件はブランシュール号の船出と共に終わりを告げる。
だが、実はまだこれは始まりに過ぎない。
襲い来るデビル達。
黙示録と北海の悪夢。
その、ほんの始まりなのである。