●リプレイ本文
○冒険者未満の少女
その娘のノリ、というかテンションは最初からかなりのものだった。
「この度は、依頼に応じてくれてありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をして騎士風の礼を取る。
この依頼の参加者の半分を占める騎士達にしてみれば、あくまで騎士風でしかないお辞儀であるが。
「ティズ・ティン(ea7694)です。よろしくお願いします」
「俺は‥‥」
正式な礼で返すティズの後、冒険者達は彼女と改めての挨拶をとりあえず終えた。
すると彼女は
「と、言うわけで早く出発しましょう。のんびりしてる暇はないわ。ほら、ぐずぐずしないで!」
早く、早く、と挨拶もそこそこに出発しようとする。
だが、そのあまりにもの軽装に
「ちょっと待てよ。ヘンルーダ」
「旅の準備はちゃんとできているんですか?」
慌て顔の七神蒼汰(ea7244)とリースフィア・エルスリード(eb2745)は異口同音に問いかけた。
「旅の準備‥‥って当たり前でしょ? 剣と保存食、薬も持ったわよ」
バックパックを軽く見せてヘンルーダと呼ばれた娘はニコニコと笑う。
だが‥‥
「ちょっと見せて頂けますか?」
リースフィアとセレナ・ザーン(ea9951)とシルヴィア・クロスロード(eb3671)。
旅の大ベテランである彼女達はヘンルーダのバックパックを除いてやっぱりと溜息をつく。
彼女のカバンの中には保存食と、薬と不思議な布包みがあるのみ。
服装は白いドレスと、マント。それに軽戦士が使う胸鎧。
「ヘンルーダさん。一人旅の経験はありますか?」
「確か、キャラバンで旅をしていたと言いましたよね」
騎士達の問いにえっ? と首を捻るヘンルーダ。
「無いけど‥‥何? 一体?」
「今は一月。冬です。寒くはありませんか? それに荷物の中に野営道具が無いようです。雪も降るかもしれない中、野宿をするおつもりですか?」
「あっ!」
口元を押さえるヘンルーダ。完全に思いも付かなかったという顔である。
「最低でも防寒具は持ってしかるべきでしょう。それがないならせめて重ね着できる服や。野営用のテント、毛布。勿論自分が持てるキャパシティを超えてはいけませんがそんな準備は旅をするなら絶対必要なんですよ」
諭すように教えるリースフィアにヘンルーダの顔は下を向く。
「そう言えば、ふらふらとしているようでも、それを怠った事は無かったな」
無関心というように門に身体を預けていたキット・ファゼータ(ea2307)の主語の無い言葉に、ヘンルーダは頬を上気させる。
そして、突然荷物を置いて走り出した。
「おい? どこに行くんだ。ヘンルーダ!」
「エチゴヤ! 毛布と服買って来る。待ってて!」
「キット〜」
「キット殿。今のは少しイジワルではないかな?」
肩を竦めたリ・ル(ea3888)とマックス・アームストロング(ea6970)が苦笑する。
だが当のキットは知らぬ顔だ。
「別に、誰に言ったわけでも、誰の事を言ったわけでもない。そもそも、依頼人でもない相手を守る義理もないしな。だから、俺はあの女に対してはノータッチで。世話を焼くのは皆に任せるよ」
「まあぁ〜、誰でも最初からベテランだったわけではないですしぃ〜、冒険者とはどういうものかなどはおいおい覚えていけばいいと思うんですがぁ〜」
「タイミングが悪い、と言ってるんだ。パーシじゃないがヤな予感がする。足手まといを連れて行って楽しめる依頼じゃないぞ。これはきっと‥‥」
庇うように言ったエリンティア・フューゲル(ea3868)も、キットの呟きを否定できない。
幾多の戦いを経験し、生き抜いてきた冒険者達のカンと言ったらおかしいだろうか。
蒼汰は依頼書の添え書きをもう一度確かめる。
『万に一つではあるが、船長が自らの素性を知るものの口を封じようと手を打つ可能性もある。油断せず向かって欲しい』
「確かにヘンルーダの冒険者としての初陣にしちゃ焦臭い添え書きだこと。パーシ卿ももうちょい選んでくれりゃ‥‥ってまぁ仕方ないか」
「パーシ様は万に一つ、とおっしゃっていましたが、あの方の予想が外れたこともありませんしね‥‥」
シルヴィアの、一つの曇りも無いパーシへの信頼。だがそれを冒険者は否定しなかった。
誰もが、そう思っていたからだ。
「なるべく急ぐということで問題ないでしょう。海へと消えていかれたあの方は、人か魔か。真実を手繰る為の糸は確実に手にしなければなりません」
目を閉じて自らに言い聞かせるような決意を紡ぐジークリンデ・ケリン(eb3225)の背後から、足音が聞こえる。
石畳を駆ける真っ直ぐな音。
「お待たせ。今度はいいでしょう?」
胸を張るヘンルーダにまあいいいでしょう、とリースフィアは頷く。
「ヴァルの奴に自分が行かないと行動が遅いって言われるのもなんだし、早く行くとするか」
リルの言葉にヘンルーダ以外からは微笑が浮かび、ヘンルーダには意気が上がる。
「じゃあ、改めて出発!」
意気高く声を上げるヘンルーダ。
自らをこのチームのリーダーと奮い立たせるかのようだ。
それを冒険者達はある者は温かく、ある者は生暖かく見守って歩き始めたのだった。
○炎上
その日の夜。
「疲れたか?」
気遣うように声をかける蒼汰にヘンルーダはううん、と首を横に振りかけて‥‥周りに人がいない事を確認してからうん、と頷いた。
「ちょっと‥‥ね。あんな空の高いところを飛んだのも初めてだったから。でも‥‥そんな事言っちゃいけないんだよね」
焚き火を見つめるヘンルーダ。その手にはマックスが貸してくれたデビルスレイヤーがある。
「私、知らなかったの。本当に、パールは‥‥何も言ってはくれなかったから」
『俺に代わって冒険者ギルドに依頼を出して欲しい』
実はパーシはヘンルーダに参加せよ、とは言っていなかった。
参加してはいけないと言われなかったのをいいことにヘンルーダが、勝手に自分を依頼の中心にしたのだ。
「本当にね。簡単な依頼だと思ったのよ。‥‥丁度いいって」
「何が丁度いいんだ?」
蒼汰の問いにヘンルーダは答えない。ただ、剣を見つめていた。
先ほどの話が彼女の耳に残る。
『この依頼、デビルとの戦闘の可能性があるのである!』
野営の準備を終え、食事を終え一息ついたところでマックスはそうヘンルーダに話したのだ。
『私は、ヘンルーダさんを仲間であり、一緒に戦う冒険者だと思っているから隠さないよ。パーシ卿はね。船長の事を知るものの口封じにって動くものがあるかもしれないって言ってたんだ』
防寒具代わりに手持ちの服を肩に羽織るティズは真実を偽る事無く告げ、
『海の王を名乗る『船長』はデビルを手足と使います。つまり、デビルと戦う可能性があるということです』
リースフィアは静かに、淡々と告知する。
死の可能性を。
『貴女にはその覚悟はありますか? 無いのなら今のうちに持っていて下さい。驚いて動けないという状況はあまりにも危険です』
そう言われて初めてヘンルーダは気付いたのだ。
あの少年戦士が自分を計算から外している事。
そして冒険者達と自分達の間に‥‥蒼汰を除いて‥‥不思議な柵があることを。
「私はお客様って訳なのね‥‥。まだ、仲間じゃない‥‥」
ふっと呟くヘンルーダ。顔には笑みが浮かんでいるがそれは苦笑と言うべきものだった。
「それは違う」
蒼汰は首を横に振る。
「ヘンルーダはちゃんとした仲間だ。ただ、まだ知らない事が多い。でもそれは冒険者としての経験が足りないんだから仕方が無い。誰だって最初は初心者だ。これだけのベテランの冒険者と一緒に旅できる機会を見逃さないで勉強していけばいいんだよ。マックス殿やティズ殿、リースフィア殿だって言ってたろ?」
『信頼は、己が行動で勝ち取るである!』
『私は貴女を信じるよ。仲間だと思うから』
『一つ一つ、学んで下さい。私でできる事、知ることは教えましょう』
一つ一つの言葉が、彼女の中で消えかけていた自信と、やる気言う名の炎を再び燃え上がらせる。
「‥‥そうね。ありがとう」
ヘンルーダは蒼汰に笑みを見せる。今度は微笑と言えるもの‥‥。
「じゃあ、早く寝ろよ。明日も早くに出発するし、空をたくさん飛ぶんだから」
「うん」
立ち上がる恋人(?)を見送りながら
「やれやれ」
蒼汰は彼女には見せない溜息を吐き出した
「何事も無ければ良いんだが‥‥、こればっかりは正直俺一人でどうなるものでもないからな」
この言葉には二つの意味が込められている。
一つは襲撃の危険性について。
そしてもう一つは、ヘンルーダの成長について。だ。
「手厳しいが、ヘンルーダも冒険者になった以上何もかもを手助けするわけにはいかないからな。冒険者としても騎士としても、与えられた情報だけを鵜呑みにしてその先の展開を考えられないようじゃ一人前にはなれないし‥‥」
甘やかせて抱きしめて、守ってやることはできる。
でもヘンルーダ自身が逃げず、戦うと決めたのならそれは決して彼女の為にはならない。
「ちょっとした忠告、のつもりだったけど、言いすぎたかな〜」
苦笑した彼もまた寝床へ戻る。
彼女に言ったとおり明日は早い。
そして大変な一日になるだろうから‥‥。
最初に、それに気付いたのは空を行く天馬に跨ったキットとその鷹だった。
と、言ってもキットが天馬の手綱を握っているわけではない。
だから、驚いて馬上で身体を左右に揺らす、などという事も出来る。
「おい! 見ろ。あれを!」
「ちょっと、キット殿。揺らさないで‥‥って、えっ?」
いきなり背後の同乗者が動いた事で、驚いたシルヴィアであるが、直ぐに彼女も状況を把握する。
彼らの視線の先、まだ彼方先ではあるが、立ち昇る、行く筋もの黒い煙
「夕方に近いとしても、あんな煙は尋常じゃ無い。何かあったんだ!」
「しかも、あそこは我々が向かおうとしている目的の村ではありませんか?」
三頭の天馬が翼を止めたのは一瞬。
「カムシン! 蒼汰! 下の連中に知らせてくれ! 俺たちは先行する!」
「一刻も早く、と。頼みます!」
シルヴィアとリースフィアは天馬を真っ直ぐに目的地へと進ませ、
「ちょ、ちょっと待ってよ。蒼汰!」
急降下に近いスピードで天馬を降下させる蒼汰にしがみついていていた。
「どうしたんだ? 一体?」
足を止め駆け寄ってくる仲間達に蒼汰は事情を説明する。
目的地と思われる村に炎が上がっている。何かがあったのかもしれないと、‥‥ヘンルーダを下ろして。
「既にシルヴィア殿達は先に進んでいる。俺も後を追うから、なるべく早く来てくれ」
「解った。全速力で向かおう」
「頼む! じゃあ!」
「待って!」
馬首を天に向けた蒼汰を、ヘンルーダは呼び止める。
蒼汰は動きを止めて、振り返る。
「私も連れてって! 人手は多い方が‥‥」
「ダメだ。ヘンルーダ」
静かだが、きっぱりとした拒絶。
「先に様子を見てくる。ヘンルーダ、一応こいつを身に付けておけ」
守りの防具と笑顔を残し蒼汰は空へ飛び立って行った。
「‥‥仕方ないよ。ヘンルーダ。それにボーっとしてる暇はないんだからね」
はい、とティズが馬上から手を差し伸べる。
天馬ではない、普通の戦闘馬。
既に他の冒険者達の姿は無い。
待っていてくれているのは彼女だけだ。
強く唇を噛み締めて、ヘンルーダは
「解ったわ。お願い。急ぎましょう」
その手を取って馬に飛び乗った。
結果的にティズとヘンルーダが村に到着したのは冒険者の中では一番最後であり、その時には一応の戦闘は終わっていた。
「うわっ! これは酷いかも‥‥」
ティズでさえ、言葉を失くす。村のあちこちにまだ炎がくすぶり、その中で人々は怯え逃げ惑っている。
「皆さん、こっちへ。一番大きな建物に避難しましょう。大丈夫です。必ず守りますから‥‥」
避難者の誘導をしていたシルヴィアは、ティズとヘンルーダに気付き、小さく微笑んだ。
「間に合ってくれたようですね。すみません。ヘンルーダさん。ここの避難者さん達の誘導をお願いします。ティズさんは向こうで逃げ遅れた人がいないかなどのチェックを皆さんと。どうやら、火事の倒壊に巻き込まれた方や森に逃げた人がいるようなのです」
「解った。ヘンルーダ。ちょっと降りてね」
ティズはヘンルーダを馬から下ろすと、
「戦闘ばかりが冒険者の勤めじゃないしね。自分のできることしよ」
軽く彼女の肩を叩いて村の中心部に向けて走っていった。
仲間達の気配はそこに集まっている。と判断したのだろう。
ふと
「ヘンルーダさん?」
シルヴィアはヘンルーダの様子に気が付いた。
「こんなことになっているなんて‥‥」
まだ呆然と立ちつくすヘンルーダ。手は震え、かろうじて剣を握っているものの、心が少なくない衝撃を受けているのが解る。これは、さっきの自分の言葉もティズの励ましも聞こえてはいまい。
「ヘンルーダさん?」
もう一度呼ぶ。ハッと我に返ったヘンルーダであるが、それでもまだ動けないでいる。
この光景は初心者冒険者にはかなり厳しいものかもしれない。
戦う覚悟や自らが血を流す覚悟はできていても、自分以外が傷つくこの『戦場』は‥‥。
だが、今の冒険者にのんびりと彼女の復活を待っている時間は無い。ぼんやりとしている時間もだ。
「しっかりして下さい! 貴女はパーシ様の信頼を裏切るつもりですか? 何もせずに!」
強い、意志のこもった言葉にヘンルーダは瞬きした。そして目の前の人物を見る。
シルヴィア。パーシの信頼厚き女騎士。
ある意味自分が目指す者‥‥。
「今は自分の身を守り人々を助けることだけを考えて下さい。私も何度もこの光景を見ましたが、今でも慣れません。‥‥慣れてはいけない光景です」
噛み締めるように彼女は言う。
ヘンルーダは思った。彼女は、パーシは、そして冒険者達はどれほどの戦場を見てきたのだろう。
「全てを救う事は万能ならぬ身、できません。いくつもの後悔があります。それでも足を止めるわけには行きません。次を防ぐ為にも今、進まなくては」
それは自分自身に言い聞かせる言葉でもあったのだろう。
(「強い人‥‥。負けたくない」)
「解ったわ。 それで? 私は何をすればいいの?」
思いを口に出さず、ヘンルーダは笑いかけた。もう完全に自分を取り戻している。
そう感じたシルヴィアは、ヘンルーダに冒険者の仲間の一人として指示を出した。
「まずは人々の避難を。教会に誘導して下さい。それから傷病者の傷の手当を。応急処置はできますか?」
「それなら任せておいて。お手の物よ」
「では、よろしくお願いします」
「了解。じゃあ、皆さん、こっちへ来て。大丈夫。心配はいりません」
テキパキとしたヘンルーダの行動を見送って、シルヴィアは彼女達に背を向けた。
彼女が向かうは戦場。そこに仲間達が待っているから‥‥。
「敵は一時退却したってこと?」
村を巡り森を行き、火災の消火と残存敵の殲滅と生存者の確保を完了させた冒険者達は、村の中央広場で情報の交換を図っていた。
火事はジークリンデの魔法でほぼ鎮火している。
生存者も遠くに逃げた者以外はエリンティアがブレスセンサーでしっかりと捜したのでもういないだろう。
間に合わなかった事を後悔している時間は、今は無い。戦いはまだ終わってはいないのだから。
「ええ、ですがあくまで一時退却、と思われます。我々が倒した敵の中に率いる将と思われる者はいませんでしたから。それに‥‥」
リースフィアはあの時、自分達が空からここに辿り着いた時の事を思い出す。
火災に混乱し逃げ惑う人々。それを襲うデビル。
インプやグレムリンでしかなかったが彼らは楽しみ以上に人の命を摘み取る事を目的にしていた節がある。
「だから、我々の到着に何かを感じて作戦を変更しようとしているのかもしれません」
「確かにな。俺達が背中に庇っているって解っている相手をあえて狙ってきた奴もいた。勿論返り討ちにはしてやったけど。パーシが言うとおり村の口封じが目的なら奴らは村の全滅まで諦めないだろう」
「そんな事はさせません!」
セレナの思いは皆の思いだ。
「よし。あとは敵を迎え撃とう。最初の攻撃は夜明け前だったという。次の襲撃があるとしたらデビルの性質を考えても夜。だな」
「でも、気をつけて下さい。炎を操るデビルがいるようです。高位のデビルかもしれません」
リルの言葉に頷きながらもシルヴィアは避難した人から聞いたおそらく、この襲撃の指揮者の存在を仲間に伝える。
怯えた顔で話してくれた青年は言っていた。
『突然、森の中から炎の渦が村に向かって飛んできたんです。慌てて見たら、三つの頭を持つ怪物がいて蛇の頭でにんまりと笑ったんです!!』
蛇の顔でどうして笑ったと思ったのかはさせておくとして、その怪物は松明を持ち人、黒猫そして蛇の頭を持っていたという。
『そしてそいつが松明を前にかざすと、後ろにいたデビル達が雪崩のように襲ってきて!!』
「炎使いのデビルですかぁ〜、気をつけないといけないですねぇ〜」
「しかし、ボスがいるならそれを倒さなければ決着は付きません。一気に行きましょう」
方針は纏まった。だが、同時に決めなければなら無い事がある。
「ねえ、ヘンルーダの事はどうする? なんなら私が馬に乗せて一緒に戦ってもいいけど‥‥」
ティズの問いに冒険者が出した結論は‥‥。
○真実の戦場
ヘンルーダはその様子を教会の前で見つめていた。
遠く爆発音や剣戟の音が聞こえる。
暗闇の中、冒険者達の姿は見えない。
そのせいだろうか。‥‥どこか遠い所の出来事のように思えてしまう。
「私は、まだあそこに立つことさえできないのね」
呟く言葉に自嘲はあっても、苦しげではない。
彼女は自分自身で決めたのだ。
デビルスレイヤーと、腰のナイフに手を当て前を向く。
今の立ち位置。自分の役割を。
デビルとの戦いは例え相手が雑魚であろうとも他者を省みる余裕はあまりない。
「おっと!」
敵のいない方向からの見えない一閃。
それを軽く交わしたティズだが頬に赤い血の線が走る。
「大丈夫か?」
問う蒼汰に大丈夫、とティズは笑って血を拭う。ここは最前線ではないが臨界線。
ここから後ろには決して敵を逃がせないのだ。
「ねえ。いいの?」
ティズは逆に蒼汰に問うた。軽く一瞥する先には白い建物がある。
おそらくその前に立つ娘も。
「心配ではあらぬのか?」
マックスも気を使うように言うが
「ああ、いいんだ」
キキッ!
甲高い悲鳴を上げたグレムリンをシュライクで切り捨てて一度だけ振り返った蒼汰は二度と同じ方向を見なかった。
「御雷丸もつけてあるし、結界アイテムもマックスが置いてくれた。それに彼女自身が決めたことだから」
『私は、最前線じゃきっと足手まといになる。教会で村人を守るわ』
デビルとの決戦前、どうするかをヘンルーダに問うた時、彼女は躊躇う事無くそう答えた。
自らの弱さと未熟さを受け止めた上での彼女の選択を冒険者は受け入れたのだ。
「だったら、俺はそれを助ける。彼女の所に一匹たりともデビルを近づけない!」
ガシュ!
空間を切り裂いた武器は確かな手ごたえを持って見えない敵を、見える屍へと変えた。
「そうだね。よーし。いっくよー!」
「デビルと村人分断作戦開始である」
前を向く彼らの前にはまだ、デビル達が多く残っていた。
そして最前線。
「効かない? どうして?」
恐ろしいまで炎の爆発、その中平然と佇むデビルにジークリンデのみならず冒険者達も驚愕の色を隠す事はできなかった。
予想通り深夜。
天空から放たれた炎の息が、星さえ少ない漆黒の夜を赤い地獄へと照らし出す。
『行け! かの地から一つの命、一つの言葉さえ出してはならぬと海の王の仰せだ!』
デビルは再び村に襲来してきたのだ。
「ジークリンデさん〜。僕がぁ〜、火事のほうは引き受けますぅ〜。皆さんと一緒に『あれ』をお願いしますぅ〜」
そう言ったエリンティアの言葉にジークリンデは頷いた。
下級デビルは地面にうごめいているが、これそのものは大した事は無い。姿を消しているグレムリンらしき敵に気をつければ歴戦の仲間達が負けることは無い筈だ。
だが、冒険者の頭上で、自分達を見下ろすあの敵についてはそうはいかない。
見たことも無い敵。その能力まで把握はできないが、中級以上のデビルであることは解る。
しかも、魔法ではない炎を吐いた。
手下デビルの多くを村人の襲撃に当てて、この将は冒険者を倒す事を望んだようである。
強敵。
「受けなさい! 炎の怒りを!」
だから、渾身の力を込めて彼女はファイアーボムを放った。
超越の炎。なのにそれはデビルの髪の毛一筋さえ焼く事無く消え去った。
「どうして‥‥?」
「危ない!」
リルは呆然とするジークリンデを横抱きにして飛び退る。
密度の高い炎の息が、さっきまでジークリンデのいた場所に吐き出されたのだ。
その瞬間を狙い集まって来た雑魚をキットが切り伏せる。
『我はハボリュム。炎を導くもの。我を焼く炎は無いと知れ!』
今度は逆にはハボリュムが手に魔法を紡ぐ。あれはファイアーボム。
その攻撃は早くジークリンデの迎撃は間に合わなかった。
彼女の魔法に重さこそ叶わないものの、素早く威力のある炎がいくつも地面に打ち放たれる。
「うわっ!」「くそっ!」
仲間達の苦悶の声にジークリンデは手を握り締めた。ストーンをかけるには届かない。
せめて奴を地上に引き下ろさねば。
「キットさん、ジークリンデさん」
リースフィアが静かに二人に声をかけた。敵に看破されないように囁くように。
「! しかしあのデビルには炎は‥‥」
「だがぶつかったら危険だぞ」
「ダメージを与える必要は無いのです。ホンの僅かな隙ができれば‥‥」
長引けばこちらが不利になる。雑魚の掃討を受け持ってくれているセレナ達も長くは持つまい。
「私も行きます」
「ならこれ持って行け!」
「俺が地上の連中を守る。一気に頼むぞ」
「はい」
時間にしてはホンの僅かな打ち合わせ。続けざまのファイアーボムを今度は回避した冒険者達はさりげなく離れそれぞれの位置につく。
「行きます!」
聖水を飲み干し、ジークリンデは再び魔法を紡ぐ。それは渾身以上の力を込めたファイアーボム。
『愚かな。炎は効かぬとまだ解らぬか。地獄でその愚かさを悔いるが良い』
余裕泰然の顔で浮かぶハボリュム。だが
「なに?」
その顔はやがて驚愕に包まれる。
放たれたファイアーボムとタイミングを合わせるように二方向からさらにやって来る別の攻撃。
剣の波と、光の矢。
「くらえ!」
『くそっ!』
三方向からの攻撃をハボリュムはなんとか避ける事ができた。
だが、彼は知らない。それが囮であったことを。
「逃がしません。デビル!」
『なんだと?』
彼の後方背後。二頭のペガサスと彼らを駆る騎士が迫っていた事を。
『ぐあああっ!』
肉薄された瞬間、顔面に投げつけられた聖水にハボリュムは苦悶の悲鳴を上げた。
その隙を見逃す冒険者はいない。
「消え去りなさい。闇の中へ!」
『ぐああああっ!』
リースフィアの槍がデビルの胸部を真っ直ぐに貫いた。
瞬間、デビルの力と姿が消えていく。
『リヴァイアサン‥‥様、お許し‥‥を』
指揮官の消失は、冒険者の勝利と戦いの終了を意味する。
霧散していくデビル達を追いながら、冒険者達は紫色の空気の中、近づきつつある朝の光と希望を感じていた。
○託された思い
村は二度のデビルの襲来によりほぼ壊滅に近い状況になっていた。
無論、攻撃の規模を考えれば被害は劇的に少ない。
死者は数名。負傷者も冒険者の手当てなどのかいもありほぼいないに等しいのだから。
それでも、村人達にとって住み慣れた家を焼かれた悲しみ苦しみは、言葉になどできないものだった。
「炎というのはこれだからやっかいですぅ〜。直ぐに消せたとしてもぉ〜傷が深く残りますからぁ〜」
そう言ったエリンティアの言葉が真実だろう。
だから、冒険者達はデビルの掃討後、数日をこの村で過ごし復興の為の手伝いを行った。
家を修理し、死者を埋葬し、その過程で冒険者はある事を知ったのだ。
「ここが、船長のご両親の墓所です」
シルヴィアは仲間達に一つの墓を指し示した。
「人間の両親から生まれるデビルなど在りえません。船長は間違いなく人間である筈です」
それが冒険者がこの村で得た結論であった。
「教会の記録にも生年月日その他の記録が残されています。彼が生まれながらのデビルであるということはやはりデビルの詭弁であったのです」
リースフィアとジークリンデの調査も同じ結論を指し示す。
「船長は、当初漁師としてこの村で育ち、やがてある人物に見出されて貿易船の船員、さらに船長にもなっていきますが、この村にあった間彼がデビルとしての片鱗を見せることはまったく無かったと」
「成長した後も、時々村に戻ってきて、珍しいものを持ってきてくれるいい人だって思われてたみたいだよ。おばさん達も皆も、村一番の出世頭だって喜んでたみたいだったから」
「じゃあ、やっぱり船長は、パールの信じるとおりの人だったのね!」
喜びに顔を明るくするヘンルーダ。
彼女にリルは言わなかった。
信頼され、好かれていたからこそ、裏切られたと思う村人の恨み憎しみは深いことを。
『信じていたのに!』『あいつのせいで村が、家が、母さんが!』
泣き叫んだ人々にリルは静かに、だが真っ直ぐな思いで告げ、頭を下げたのだ。
『相手は悪魔なので何が真実で何が嘘なのか分からない。ただ誰かを疑い悪い話を鵜呑みにして感情のままに行動する事こそ悪魔の喜び。今はとにかく一歩でも真相に近づく為に協力して欲しい。‥‥なあ。みんなの知っている船長は悪い人間だったか?』
その結果が得られた情報であったのだから、船長は悪い人間ではないのだろうが、彼の濡れ衣を、広がってしまった悪評を回復するには彼の救出と、デビルの退治。そして、長い時間が要りそうだった。
「ヘンルーダさん」
「なあに?」
リースフィアはヘンルーダの前に立つと静かに視線を促した。
船長の家族の墓所から、今回の被害者の墓所へと。
「デビルと言うのは狡猾です。私も何度も痛い目に遭って思い知ったのですが、現実は予想の斜め上を行きます。貴女にとって、今回の件は予想以上の悲劇だったと思いますが、冒険者をしていくならこれ以上悲劇に出会うことは決して多くないのです。故に、備えよ、常に。そして不意の状況に対応する為優先順位を決めておきましょう。そして‥‥忘れない事です」
「‥‥解ったわ。忘れない。決して‥‥」
彼女の手に託されたデビルスレイヤーは血を吸ってはいない。
守られた彼女はまだ、自分が戦場に立つ力さえ持っていない事に気付いていていた。
だが、それに落ち込んでは今はいないようだった。
どこか、晴れた顔さえしている。
「もう一度、修行と勉強をやり直すわ。何よりも心を磨いて、いつか‥‥貴方達やパールにさえ、負けない冒険者になってみせるから」
「ヘンルーダ‥‥」
「でも、気負いすぎはいけませんよ。周りを良く見てです」
明るく微笑んだ彼女は膝を折り、死者達に祈りを捧げる。
聞こえなかった彼女の言葉と誓いを、それでも冒険者はなぜか解った気がしていた。
帰路。
「大丈夫でしょうか?」
心配げに振り返るセレナを仕方がない、とリルは肩を叩き前を向かせた。
家の大半が焼けた村の人々。
それでも彼らはキャメロットへの避難を拒み、村に残る事を選択したのだ。
「まあ、パーシに連絡しておけばメルドンからでも護衛の騎士とかを派遣してくれるだろう。デビルの方も情報が流出してしまった以上、口封じに意味が無いと思ってくれれば危険度はさらに下がるしな」
心配ではあるが、それが彼らの意思ならば仕方が無い。
自分達ができるのは、一刻の早く彼らを苦しめる脅威そのものを取り除く事だ。
「とりあえず、船長が紛れも無く人間である事が解ったのは重要です。憑依か変身かどちらかはさておくとしても悪事をなしているのが彼自身ではなくデビルである事が確認できたのですから」
確かにこれから『船長』と退治した時の迷いが一つ、少なくてすむだろう。
「パーシさんの知り合いであるという事を利用されてるんですねぇ〜。きっと〜。やっかいなのには変わりは無いですけど〜。デビルそのものは遠慮なく倒せるですぅ〜」
「そして船長も必ず助け出す」
冒険者達はそれぞれに決意を新たにすることができた。
それが、彼らにとってこの戦い最大の成果であると言えるかも知れない。
頭上で恋人と空を飛ぶ、娘にはまた違ったものかもしれないけれど‥‥。
「ありがとう」
キャメロットの門で天馬から降りたヘンルーダは、蒼汰に頭を下げて微笑んだ。
「ああ。一緒に旅できて良かったよ。何かあったらまた呼んでくれ」
「うん‥‥」
小さく、だが確かに頷いた娘は、それからバックパックを開けると
「はい。これ。受け取ってくれる?」
小さくない包みを出しだした。
「これは?」
瞬きする蒼汰。荷物は大きいが重くは無い。
服?
「一日早いけど、誕生日のプレゼント。貰ってくれると‥‥嬉しいか‥‥な」
「ありがとう。開けていいか?」
返事を待って開かれた荷には真っ青な外套。広がる海のように蒼い‥‥。
「蒼汰に似合うかな‥‥って。これを渡したかったの。じゃあね!」
顔を真っ赤にして走り去っていくヘンルーダを見送りながら、蒼汰は手の中に残された彼女の思いを確認し頬を朱に染めていた。
その後、彼が冒険者仲間に何を言われたかは定かではない。
だが、これから始まり続く、北海の悪夢の中でささやかな明るい話題になったことは間違いないようである。