●リプレイ本文
○消えた少年
ある日、一人の少年が消えた。
キット・ファゼータ(ea2307)
身寄りの無い冒険者である。
少年の事なら、自分は誰よりも良く知っている。
誘拐者はそう思っていた。
彼は器用な人間ではない。戦士としての業はともかく人間関係においては決して器用では無い筈だ。
だから行方不明になろうと捜すものなどいないだろう。
「あの少女の事は少し気になるが、仕事の依頼でも受けて貴族の少女の護衛でもしてたのだろう。‥‥ああ見えて面倒見や外面は良いから‥‥」
自分を説得するかのように、流れるように彼は呟き、そして思う。
だから、今はまだ逃亡を急ぐ必要は無い。と。
自嘲するように笑い、彼は家の鍵を閉めると買い物に出かけた。
追っ手は常に警戒しているが、それ以上を気にするつもりも必要も無い。
今、急ぐ必要があるのはむしろ、準備だ。
二人分の食料と着替え。そして‥‥旅立ちの支度。
歩き出す『彼』は知らない。
少年を捜そうとする者達の存在を‥‥。
『彼』を追い、いずれ追い詰める者達を‥‥
二月の空気は決して暖かくは無い。
特にここ数日、良い陽気であった事を考えると急に冷え込んだとさえ言えるだろう。
少年が街のどこかに飲み込まれ消えてから数日。
「キット、コートも何も着ていかなかった。この寒さの中で、きっと震えてるよ‥‥」
冒険者ギルドの一角で‥‥窓から外を見ていた少女は声を上げる。
「ねえ、みんな! 早くキットを捜してよ!」
「キットさんが誘拐されたんですかぁ、それは大変ですぅ〜」
いつもと全く変わらない様子のエリンティア・フューゲル(ea3868)。
そんな焦りの見えない冒険者に苛立つように立ち上がって
「手伝ってくれないならいいもん、私、一人でも‥‥」
心配のあまり今にも駆け出していきそうな少女の肩に
「待って下さい。ヴィアンカ様」
そっと手を置いてセレナ・ザーン(ea9951)は首を横に振った。
言われ動きを止めるヴィアンカ。そんな彼女にセレナは諭すように語った。
「闇雲に動き回っても手がかりは掴めません。今は、先にやることがある筈です」
「そうだぞ。まずは落ち着け。そして‥‥ヴィアンカ。お前さんの力を俺達に貸してくれ」
と。
「私の‥‥力? 私に、できることがあるの?」
リ・ル(ea3888)を蒼い瞳が真っ直ぐに見つめる。それを受け止め、リルは視線を合わせ、頷いた。
「ああ。事件と犯人を目撃したお前の証言が一番の、そして、唯一の頼りだ。出来る限り思い出してくれ。相手の容姿、携帯品、体格、それにキットの格好も、だな」
「ただ、行方不明になったのとは違います。今回ははっきりと誘拐犯がいると解っているのですから、その誘拐犯を捜すのが攫われたキットさんを捜すよりも早道なのですよ。そして、現在その誘拐犯の顔を知っているのはヴィアンカさんだけです」
それを、教えて下さいとリースフィア・エルスリード(eb2745)は微笑んだ。
彼女の手にはペンが握られている。
「あまり上手では無いかもしれませんが、似顔絵などを描いてみます。そこに座って、ゆっくりでいいですから思い出して下さい。そのラースとやらの事を」
「キットくんは助けるよ。必ず。だから安心して良い」
「うん」
アルヴィス・スヴィバル(ea2804)の微笑とリースフィアの促しに、ヴィアンカは頷いて促された椅子に腰掛けた。
額に指を当て一生懸命思い出し話すヴィアンカ。その側で励ますセレナ。
少女達をギルドに残して、冒険者達はそっと、静かに外に出た。
「彼女らがついていれば、とりあえずヴィアンカは大丈夫だろうが情報の聞き込みが終わるまで、俺はちょっとキットの家に行ってくるから、ここをよろしくな」
足元で尻尾を振り待つ犬。それを見てマナウス・ドラッケン(ea0021)は彼の意図を察して任せろと頷いた。
「だがキットの持ち物で匂いを追うつもりか? 幸いここ数日雪も雨も降ってはいない。上手くすれば可能かもしれんが、時間も経ってる。難しいかもしれないぞ」
「解ってる。だが時間はできるだけ無駄にはしたくないし、やれる限りの事はやっておかないとな。もう既にゲンちゃんやクリムゾンは動いてるし」
リルが名前を挙げた二人、葉霧幻蔵(ea5683)とクリムゾン・コスタクルス(ea3075)はフットワークが軽い。
もう聞き込みに動いていることだろう。
冒険者達がヴィアンカの証言を待っているのは、情報という事以上に、ヴィアンカを落ち着かせ、なおかつ狙われるのを防ぐ為、目を離さないという為もあったのだ。
「まあ、ヴィアンカが狙われる事は少ないと思うけどな。以前、チラッと聞いた覚えがある。キットはその昔傭兵団みたいなのに無理矢理参加させられていたらしいから、その関係者かもしれない‥‥」
「ヴィアンカの話を聞く限り、そのラースって相手はキットに対して親しげで、一方のキットは知り合いにしては好意を持って居ないような間柄、に思える」
普通の誘拐であるなら、ただの冒険者であるキットなどを狙わない。
よっぽど、円卓の騎士の娘であるヴィアンカを狙う。つまり‥‥
「つまり、誘拐犯の目的はキットで、彼は既に目的のモノを手に入れている」
「いくら待っても相手からの要求や接触は無い。俺達が奴らを見つけない限りは、キットは戻って来れない」
それが、冒険者達の結論であった。
「ガキのクセにいろいろ背負い込みやがって。まったく面倒な小僧だぜ。とにかく頼むな」
「任せろ」
もう一度マナウスは頷く。
「とっとと連れ戻してやるさ。そんで、一発っと!」
走り出したリルの背中を見送りながら。
消えた仲間をリルと同じように心配しながら‥‥。
○調査と推理の先
「銀の髪、黒い瞳‥‥身長高くて‥‥っと」
人ごみの中に、クリムゾンは視線を滑らせた。
彼女の頭の中にはもう繰り返し見て焼き付けたリースフィアの描いた似顔絵がある。
「耳が伸びていた。エルフか、ハーフエルフかもしれない‥‥ね」
整った顔立ち、長身。そして長い耳。
どれをとってもそれほどありふれたものではない筈なのに、なぜか捜査、調査の網にもう二日。
男はひっかかっては来なかったのだ。
「‥‥ど‥‥の?」
「生活してるなら食べ物を買うとかしに出てきそうなもんなのにねえ〜」
「‥‥殿? クリムゾン殿?」
「よっぽど買い占めでもして引きこもったり‥‥ってわああっ!」
考え事をしていたクリムゾンはいきなりの後ろからの呼びかけに驚いて飛びのく。
武器に手をかけなかったのは、声をかけてきた相手が女性であったから。そして手を上げて
「ま、待つのでござる。拙者でござるよ」
と言ったから。だ。
「その声は幻蔵? おー、すげぇな」
偽りの無い賛辞でパチパチと拍手をする真似をする。
そこに立っているのは紛れも無く、性別男の忍者である筈なのに、どこからどう見てもグラマラスな女性にしか見えない。
「お見事、お見事。ま、あたいのほうが断然美人だけどね」
「それは拙者に対する挑戦と‥‥‥‥まあ、そんな事はとりあえずいいのである。伝言でござるよ」
「伝言? なんだい?」
「リル殿とエリンティア殿が犬との調査で絞り込みたいエリアがあるとか。調査を手伝って欲しいそうでござる」
「ああ、そう言うことか了解」
クリムゾンは立ち上がり、早速と動く準備を始める。
「お気をつけてなのでござる」
「あんた達もね。裏通りは油断しちゃいけないよ」
指を立てて二カッと笑う幻蔵。
‥‥彼らはきっとよく解っている。そう思い、信じるからクリムゾンは振り返らずに走っていった。
自らの役目の待つ場所へ。
街の表通り。
二人の少女が歩いている。
「ねえ、キット、見つけられるかな?」
「見つけられる、ではありません。見つけるのです。弱気になってはいけませんわ。ヴィアンカ様」
心配そうな顔のヴィアンカにセレナは優しく微笑みかけた。
「うん、でも、なんだか心配なの。何か酷い事されてないかなって‥‥」
言葉を止めたヴィアンカは人ごみに紛れ、小さな声で自分の思いを、吐露する。
「待っているのは嫌い。大事な人が怪我をしてるかもしれないのに、何もできないんだもの‥‥」
依頼を出した後、父にも相談した。
『冒険者に依頼したのなら、冒険者を信じて任せろ。余計な事はかえって邪魔になる』
その言葉は誰よりも良く理解できるけど。
「こういうとキットが嫌がるの、解るけど‥‥私、強くなりたいな。キット達を守れるくらい‥‥」
くすっ。
微笑みながらセレナは胸の中が暖かくなるのを感じていた。
真っ直ぐで、優しく‥‥そして暖かいヴィアンカの思いが伝わってくる。
『ヴィアンカには戦いなんて関わらせたくない。平和の中で笑っていて欲しい』
キットは間違いなくそう思い、言うだろう。
けれど‥‥この思いを大事にしてあげたいとセレナは思っていた。心から。
「手伝ってくれる? セレナ?」
だから、依頼が無くてもこの要請に答える返事は一つだ。
「勿論」
笑顔と共に。
「ヴィアンカ様はご自身でも探されるおつもりでしょう? なら一緒に参りましょう。たとえ犯人がヴィアンカ様を狙ったとしても、指一本触れさせはいたしませんわ」
「うん、ありがとう」
(「決して簡単な事ではないでしょうけれど‥‥」)
煌く笑顔。それを守る騎士として心の中で守護を誓って、セレナは彼女の後ろに立った。
表通りから、裏通り。
「セレナさんも言っていましたが犯人はキットさんの弱点を適格に突いています。白昼堂々、手練の戦士を連れ去る手際。かなりの強敵と見るべきでしょう」
冷静に、的確に状況を判断するリースフィアに完全に同意する形でアルヴィスは頷く。
「そうだね。そしてキットくんと親しい人物。そしてかなり裏、の方の人かな?」
「裏? 何故、そう思うんですか?」
白のクレリックでありながら時々、微妙な表情を見せるアルヴィス。リースフィアの問いに彼は正しくその笑顔で答えた。
「第一に単独で動いているらしい事。魔法でも聞き込みでも彼の目撃証言はあっても、彼が誰かと共に動いていた姿は無い。それは、一人で、何か後ろ暗い事をしている可能性が高い」
情報屋の生業を持つ彼。人を見、その情報が正しいかを判断する知識が無ければやってなどいけないのだろう。
「第二に、キットくんと旧知の人物。リルくんが前にちらっと言っていたろう? どこかで傭兵のようなこと無理やりをさせられていたようだ。と。多分、それがちゃんとしたところだったらああいう表現にはならない。どこかの軍に雇われていたとかになる筈だ。無理やりさせられていた。というあたりに悪意の芽を感じる」
「なるほど‥‥」
素直に感心したリースフィアにもう一つ、とアルヴィスは続けた。
「あと、これを言うとキットくんは怒るのかもしれないけど、手がかりは彼の年齢だ。僕は直接の面識は無いと思うけど、確か15‥‥だったよね。そして彼がキャメロットに流れてきて噂を聞くようになった頃からもう数年は経ってる。まだ十代前の子供を無理矢理傭兵の仕事をさせるなんてまっとうじゃない。なんか裏の仕事であった筈だ。そしてその年齢の子供に『仕事』をさせるならそれは親代わりの存在であったろうし、逆らえない。そして、親代わりの存在から逃げてきたのなら、それはキットくんが後ろ暗い、戦い辛い思いを持つ相手である筈だ」
まあ、あくまで推理だけど。そう言い置いた上でアルヴィスは
「でも、僕は言葉に出しただけでこんな事は多分、リルくんや、マナウスくん。もっと付き合いの長い彼らは解っていると思うよ。‥‥それ故に早く助けてあげなくてはいけないこともね」
「同感です」
今度はリースフィアがアルヴィスの言葉に同意する。
『親代わりの人物』が一度手放した『我が子』を手に入れた。
連れ戻す、嬲る、従わせる。
そのどれであっても、キットの未来に今以上の光は在り得ない。
「焦ってはいけませんが、急いだほうがいいですね‥‥。こういう時に邪魔をされるのは困るのですが‥‥」
周囲をいつの間にか取り囲んでいた男達に溜息をつきながら、リースフィアは腰の剣に手をかける。
「殺しちゃダメだよ。リースフィアくん。こういうのは裏通りでは実力試しの門番のようなものなんだからね。殺してしまうと後々面倒に‥‥」
「解っています」
「随分、偉そうな事を。だがたった二人だ。やっちまえ!」
‥‥ちなみに襲い掛かってきた雑魚達から、二人が情報を聞きだすのはそれから5分程後のことである。
「冒険者街‥‥意外なとこに出たな」
空を見上げるマナウスの視線の先にキットが相棒と呼ぶ鷹が丸く円を描く。
マナウスはある意味よく見知った自分達の街を見る。
「ここら辺ってのは解っても、そっから先は難しいな。鷹に表札を見て歩けってのも無理だろうし」
さて、と腕を組む背後
「何をしているんですか?」
「うわっ!」
背後からかけられた声に考え事をしていたマナウスは、少し驚いた顔で振り向いた。
「リースフィア。アルヴィスに幻蔵まで‥‥一体どうして?」
仲間達の登場。問うまでもなく、マナウスにもある程度は解っている。
けれど、確認する意味を込めて、彼は問いかけた。
「得体の知れない男が最近、冒険者街に出入りしている、との噂を聞いたので確認しに来たのです」
「得体の知れない?」
「そう。愛想は悪くないが目が笑っていない。きまった店にほんの僅か現れ、大量の食料を、酒を買ってだけいく。人を拒絶したハーフエルフ。そんな人物が下街での聞き込みで浮上してきたのです」
「ゲンちゃんの聞き込みのおかげよ? ウフ?」
素の忍者姿でウインクする幻蔵の言葉をスルーして、冒険者達は話を続ける。
「外見は合っていると思うのですが、冒険者街に堂々と出入りし、大量の食料を必要とする人物が、果たして誘拐犯と同一人物かと思い、調べに来たのです」
「僕はてっきり単独犯だと思っていたのでね。それに一戸一戸捜すには冒険者街は広いから‥‥」
う〜ん、捜査に行き詰まりを感じかけたその時、ふと。
「そうだ!」
マナウスは気付いたように手を叩いた。
最初の聞き込みの時には聞けなかった、一つの情報。
「リースフィア。アルヴィス。その男は大量の食料をって言ってたがそれは自分で持って来るのか?」
いいや。とアルヴィスは首を横に振る。
「いや? 店が荷車で運んだりしてるんじゃないかな?」
「あっ!」
リースフィアも気付いたようだ。
「街に戻ろう。リル達と合流する。確か、奴らは街中でキットの匂いが消えたと言っていた。それが食料品店とかの近くだったら‥‥」
走り出す冒険者。
「待ってろよ。キット」
小さな呟きは風に乗ってもキットには届かなかっただろう。
だが、冒険者は今まで見えなかった彼の姿をようやく掴んだ気がしていた。
○過去と未来の決闘
扉を開き入ってきた男は荷物を近くのテーブルに無造作に置くと、小さくない声で言葉を紡いだ。
「今、戻った」
部屋の中に人影は見えない。
だが、その言葉は自分以外の誰かに向けられたもの。方向は奥の部屋の端の端。
「おかえりなんて言葉を期待してるのか? 随分甘くなったもんだな。ラース!」
その言葉を投げられた少年は好意の無い目で敵意と共に打ち返す。
「俺は酒じゃないんだ。酒樽に入れられて運ばれるなんて冗談じゃない」
後ろ手に足と共に拘束されたロープは、きつく、固く、彼の体力と気力を奪っているであろうにその目から意志は失われていない。
だが敵意はひょいと顔と共に避け、男は一歩、一歩をゆっくりと進め、絶妙の間合いで少年の前に立った。
「まだ、返事は変わらないか? キット」
「当たり前だ。俺は戻らない。絶対にだ!」
返事は秒で返る。
この数日間。ろくに動く事もままならない状況で、けれど彼の返事は一度足りとも変わってはいなかった。
「そうか」
ラースと呼ばれた男は振り返りキットに背中を向ける。
ここ数日、何度も繰り返された事だ。
思い出したように再びラースがこちらを向き
「明日にはこの街を出る」
言ったこの言葉の他は。
「なんだと! 俺も、連れて行くつもりか?」
「お前は俺の所有物だ。当然だろう」
「俺はお前の所有物なんかじゃない!」
キットの激情にラースはフッと笑みを浮かべる。その笑みにキットは思わず身を固くした。
思い返してこの男が笑う姿を見たことはそう多くは無い。『仕事』を終えた時と‥‥後は‥‥
「愛想笑いを覚えたとは初めて知ったぜ。昔は俺の役目だったのにな」
くっと、キットが浮かべた笑みは自分を奮い立たせる笑みだ。
自分を傷つける言葉を込めてキットはなおもラースに言葉を放つ。
「お前が俺を連れ歩いたのは、子供を連れていた方が都合が良かったからだ。相手を油断させるのに。なら、それは俺じゃなくたっていい筈だろう? 適当な子供でも見つけて適当にやれよ」
「確かに、お前の代わりなどはいくらでもいる。だが、正確に自分の意図を把握し行動する手駒というのは一朝一夕では作れない。一朝一夕というのは昔の古い言葉で一日という意味だ。手駒というのは時間をかけてじっくりと作り上げるものだ。お前のようにな」
キットの問いに用意された言葉であるかのように流れるようにラースは答える。
感情の無い声に、だが彼の意図は込められていた。
手駒であることを否定せず、けれどお前が重要だと‥‥。
だから、キットは顔を背ける。
心から否定しながらも逃れられない、この男への自分自身の感情から‥‥。
「お前は俺と共に行く。それはもう決まった事だ」
「俺を連れ戻ったりしたらお前だって!」
「今、俺は何にも束縛されない立場だ。何の問題も無い。時間はある。心を定めておけ」
もう用事は終わったといわんばかりに会話を打ち切り、ラースはキットに背を向けた。
こうなれば、もうキットの言葉はラースには届かない。
天を仰ぐキット。
天と言っても窓が閉ざされた部屋。見えるのは黒い木の天井ばかり。
だが、彼はまだ絶望はしていなかった。天井の一箇所に小さく開いた穴が見える。
そこから微かにだが金の光が見えるのだ。それがあの時最後に見た少女の髪の色と同じ色で、彼にとって唯一の希望であった。
「きっと‥‥来てくれる」
自分に言い聞かせるようなその呟きに、今まで無かった反応が返った。
トントン。小さく、窓を叩く音。
必死に彼は顔を上げた。
やがて窓が細く開かれそこから、暫くぶりの太陽光と共に蒼い瞳と、小さな茶色い頭が覗く。
「キット‥‥いる?」
「‥‥ヴィアン‥‥カ?」
「キット? いる! ここだよ。みんな!」
「解りましたわ。危ないですから下がって下さい。ヴィアンカ様!」
外から微かに聞こえる声。
だが‥‥どちらをしても危険だと解っていて‥‥キットは声を上げた。
「それ以上、窓を開けるな! 罠が!」
「なんだ?」
ラース駆け戻ってくる。窓は即座に閉まるが、ラースは自分が仕掛けた罠の異常をその時既に感知していた。
「何者だ? 追っ手か?」
殺気が全身から立ち上がるラース。
この男の臨戦態勢を暫くぶりに見て、鈍る事の無いその腕を確信しキットが目を閉じた瞬間だった。
「失礼するぞ!」
BANN!
ノックなしに正面の入口が開いたのは。
鍵は当然かけられていた。
ラースはキットを一瞥し、手近な毛布を投げかけると入口へと走っていく。
「誰だ? 貴様ら」
その時、キットは聞き、そして見た。
「冒険者だ。キットの仲間だよ」
力強い声と、
「助けに来たよ。キット」
明るい光を。
「キットの仲間?」
マナウスの言葉に目の前の男、ラースは確かに驚いたようだ。と彼と、後ろに立つリル、そしてアルヴィスは思った。
「そう。俺達は行方不明になったキット・ファゼータを捜しに来た冒険者だ。キットはここにいるな?」
さっきの呟きの失敗におそらく気付きながらも、男は平然とした顔で何かを考え、そして時を伺っている。
(「あー、こりゃあ、けっこうヤバイ相手かもな」)
対峙しながらリルはそう相手を分析する。
野外戦ならともかく、室内での戦いで、そしてさらに一対一でもし、この男と戦ったらかなりな確立で負けると本能が告げていた。しかも、足元、周囲に罠の気配も感じる。
ここは奴の家。下手な手出しは避けたほうが良さそうだった。
「まさか、こんな近くに隠れてるとは思わなかったよ。知ってるか? キットや俺の棲み家もこの近くなんだぜ」
だから、まずは交渉。メインをマナウスに任せつつ、リルはタイミングと様子を窺う事にした。
最悪でも、時間は稼がなくてはならない。
「キットに仲間が? あいつはそんな器用な生き方ができる者ではなかった筈だがな」
「人間っていうのはね。変われるんだよ。君みたいに昔からの一つの生き方にしがみついていなければ生きられない人とは違うんだよ。ラースくん?」
アルヴィスは軽い口調で言う。これは言葉の戦略だった。彼が思うような人物なら反応する筈だ。
「‥‥貴様ら。俺の過去を知っている、というのか? そんな事までキットが喋ったと?」
ラースを取り巻く空気が変わる。音がしそうな程の殺気と敵意が冒険者達に向けられる。
それを感じた上で、冒険者達は臆する事無くラースに向かったのだ。
「さて、どうだかな? まあ、俺達の目的は仲間の救出だ。他のあんたのやっている事には興味は無い。だから、あんたがキットを返してくれれば何もしないぜ、あんたの家の場所や、やってきた事を誰にも知らせずにすむ」
無論、これも半分ハッタリだ。彼の家はこうして知る事ができたが、円巴の協力を得ても冒険者が聞き込みで他に得られたのはここに彼が大量の食べ物を買っていた事と、この街の元の住人ではなく、何かから潜んでこの街に来たらしい事くらい。
「お前達の言葉に保証は無い。それに、キットは俺の息子だ。俺がどうしようと勝手だろう」
「息子‥‥ね」
苦笑交じりの笑みで、ラースの言葉を聞いたマナウスは、一転、何よりも真剣な目でラースを睨み問うた。
「なら、問おう。お前自身にとってキットは何だ? ただの道具か? それとも息子という名の道具か?」
彼の返事は言葉では返らなかった。代わりに放たれたのは一本のナイフ。
避けたマナウスの横に突き刺さったナイフは、避けられる事さえ計算していたかのように細い糸を切り
「くっ!」「うわっ!」
冒険者の足元に油を流した。
その隙に後退しスクロールを広げるラース。
「逃がさないよ!」
言いかけたアルヴィスは詠唱の手を止める。僅かに早く用意されたスクロールの呪文はブラックボール。
魔法は封じられたに等しかった。
罠に驚き、身構える。そんな僅かな隙に、ラースはもう攻撃を始めていた。
ナイフを使ってのヒット&アウェイ。
死角からのナイフに、急所を狙う投擲。そして長身に室内とは思えぬ程の身軽なその動きには力で押そうとする攻撃はまったく届かなかった。
「おっと! こりゃ本気出さないとヤバイかもな。でも‥‥」
仲間の様子を見ながらリルは苦笑する。鞭を握るマナウスも、どうやら基本方針を変えるつもりは無いらしい。
「死者は出す気は無いんでね、甘いだの何だの五月蝿いことを言うなよ」
「言わないさ。でも、とりあえずはちょっとは反撃が必要かな。出ないと隙がつけん」
反撃の機会をマナウスが狙っているのは解っていた。次の手を足元にようやく慣れた冒険者達が計っていた次の瞬間だ。
「前にいるなら避けて下さい!」
声と、埃と共に入口と対角の壁が埃と共に砕けたのは。
「なんだ?」
シュン!
煙の中から放たれた矢がラースの横の壁に当たる。
「今だ!」
マナウスの鞭が一瞬動きを止めたラースの手元を払う。
そして‥‥
「ラーース!!!」
その埃の中から、黒い光、一直線の攻撃がラースの左に向かってきた。
「キット!」
冒険者達はその煙の中の攻防を知らない。
彼らが見たのは埃が静まった後、手に一本の短刀だけを持って立つキットと彼の足元で右腕を押さえるラースだけであった。
「時は戻らない‥‥か。お前に手加減されるとはな」
苦笑と自嘲と‥‥そして何かがもう一つ混じったような笑みでラースはキットを見上げている。
「俺は、冒険者だ。そう‥‥決めた。だから‥‥」
手を握り締めキットはラースにずっと捕らえられていた時は言えなかった言葉、願いを告げた。
「お前も冒険者になれ。仲間達と一緒に、もう一度‥‥!」
真っ直ぐな思い。だがそれは横に動いた首に遮られる。
「お前が選んだ道に、俺はもう必要ない」
「ラース‥‥」
キットが足をさらに一歩、進めようとした時、
「うわあっ!」
「なんだ」
部屋を再び白と黒の煙が包んだ。
それが、ラースの手元から放たれた何かの目潰しだと冒険者が気付いた時は、煙が収まった時。
部屋の中に、もうラースの姿はどこにも無かった。
○少年の巣立ち
祈るようにして家を見つめていたヴィアンカは
「ヴィアンカ様!」
セレナの促しと同時に走り出していた。
「キット!」
「‥‥ヴィアンカ」
幻蔵やリルにふらつく身体を支えられていたキットだが、飛びついて来たヴィアンカは、自分の手で受け止める。武装を解除され、ろくに食事もしていない細い腕ででは、その衝撃に尻餅をついてしまう。
だがその腕はしっかりと、自分より小さな少女を抱きしめる。
「心配したんだから。心配したんだからああ〜〜」
泣きじゃくるヴィアンカと、自分達を優しく見守る仲間達。そして、肩に降りてきた相棒に
「‥‥悪い。世話になったな。サンキュ」
小さくキットは頭を下げた。
「僕達の事は、いいんですよぉ〜。でもぉ〜ヴィアンカちゃんを心配させた罰は必要かもしれないですぅ〜、これから1ヶ月会うの禁止とかぁ〜」
「そんなのダメ!」
「おっと。それは失礼ですぅ〜」
ヴィアンカの反応に、キットの肩に落ちたマントをかけようとしたエリンティアは後ろに下がり、よりいっそうの優しい眼差しを向ける。
「でもキット。一番ヴィアンカが心配してたってのは本当だ。ちゃんと謝っとけよ」
リルに背を押され、ああと頷いてキットはもう一度ヴィアンカを見る。
蒼い瞳には水晶のような涙がいっぱいに溜まっている。それを手でそっと拭って髪を撫で
「‥‥心配かけたな。‥‥ごめんな。危ない目に合わせて」
精一杯微笑みかけた。それにヴィアンカは笑顔で答える。
「ううん。危ない事無かったよ。皆、私を守ってくれたし、それに‥‥あのおじさんも、なんにもしなかったもの」
「おじさん? なにも?」
目を瞬かせるキットにセレナは頷く。ウォールホールの魔法で部屋に入り、キットを助け出した後、ヴィアンカとセレナはエリンティアや幻蔵に促され外に出た。
人質にされでもしたら危険だという意図からだ。
でも、家からは離れられず外で待っていたヴィアンカとセレナの前を、暫くの後、家から走り出たラースは通り過ぎて行ったのだ。
「私は、ヴィアンカ様をお守りしようと思っていましたの。けれど、あの方は、一度だけ足を止めただけで走って行ってしまわれました。ヴィアンカ様には微笑みさえ見せて‥‥」
「元気でって‥‥言ってたよ。あのおじさんが、何かキットにしたの? 何があったの? ねえ?」
ヴィアンカはキットを見つめる。
「泣いてるの? キット‥‥」
「泣いてなんか、いない‥‥泣いて、なんか‥‥」
「わっ!」
突然、自分を抱きしめた手にヴィアンカは小さな声を上げた。
俯くキット。言葉通り涙は落ちていない。けれどヴィアンカを抱きしめるその手は小さく、肩は確かに震えて‥‥
「キット‥‥」
苦しいよ、と言いかけたヴィアンカは、だがその言葉を口にせず、代わりにセレナに自分の持っていた卵を預けた。
そして卵にしていたようにキットの背中に手を回す。
母のように優しく、抱きしめる。
声を出さぬままのキットの慟哭を抱きしめるように。
冒険者達はいつまでも無言で佇んでいた。
キットの思い、ヴィアンカの想い。
大事な輝きを守るように‥‥。
これは冒険者が知る事が無い話。
キャメロットの月道。
遠くに繋がるその道を今、まさに行こうとする男を
「待て」
一人の騎士が止めた。
手に槍を握っただけの軽戦士。殺気も何も無い。
だが男は最大の、さっきの攻防でさえ見せなかった臨戦態勢で相手を睨む。
「お前をここでどうこうするつもりはない。この国に害を及さないならその行く先は俺の関知するところではない」
嘘のない言葉に男は袖口のナイフを戻し、戦士の前を歩く。
「ただ‥‥」
戦士の前、数歩で男は足を止める。戦士の独り言にも似た呟きが自分に投げられたものだと解ったからだ。
「子は何れ親の庇護を離れる。守りを離れ、苦しみ、選び‥‥その果てに得たものはもう親でさえ口出しできぬ子だけのものだ」
男は歩みをさらに進める。戦士も言葉を続ける。
「親と子は別の存在。けれど繋がりはどんなに離れても消えることは無いだろう。互いがそれを望まぬ限り」
戦士の微笑と言葉に男は振り返る。
「あいつが、もうそれを望む事はもう無いな」
「さあ、それはどうかな?」
一度だけ振り返った男と、それを見た男が何を交わしたか知る者はいない。
男は消え、戦士は去る。
これは、それだけの話である。
別れの言葉の無い、けれど完全な別離。
失ったもの重さは意外なほどでキットの胸中を言いようの無い、感覚が支配する。
「ラース‥‥」
空を見て、キットは呟いた。
それでも空虚は彼には無い。
「キット!」
その胸を、心を埋める者。
彼を呼ぶ者達がいるからである。
「ああ、今行く」
彼は呼び声に答え、走っていく。
自らが決めた道を、親から決別し、自分の意志と足で進んでいく。
仲間と共に。
未来に向かって‥‥