●リプレイ本文
○小さな過ち
冒険者は、そこで、信じられないものを見た。
血に濡れるハーフエルフ。
だが、その目は悲しいまでに澄み切っていた‥‥。
約束の場所と、時間。
「ご、ごめん。お、遅くなって‥‥。うっかり、ペット、繋いでくるの忘れちゃって‥‥」
「おいおい、しっかりしてくれよ。あんたがこの依頼の要なんだからね」
息を切らして弁解するトゥルエノ・ラシーロ(ec0246)にフレイア・ヴォルフ(ea6557)は少し怒った真似をして見せた。
彼女の腕の鷹が、もしゃもしゃと髪の毛を引っ張るが、それにトゥルエノは抵抗する様子を見せない。
その光景にくすくす、小さな笑い声が咲いた。
「うん、解ってるわ。絶対に‥‥これいじょうの復讐なんて許しちゃいけないもの‥‥」
微かに微笑を浮かべていた冒険者達は、トゥルエノの言葉に真剣な眼差しを浮かべる。
今回の仕事はハーフエルフの弟ギアを守ること。
彼は姉であるハーフエルフと共に妹を殺したハーフエルフを殺め、幾人ものハーフエルフを傷つけた。
そして今、彼を狙っているであろう男がいる。
「その男の目的は、きっと息子の敵討ち‥‥よね。だったら簡単には引かないんでしょうね」
「また‥‥復讐か。復讐は復讐しか生まないと解っていても、人はどうして復讐という道を選んでしまうんだろうね‥‥」
寂しげに呟くフレイアにトゥルエノはくすと笑う。
彼女の頭から鷹がフレイアの肩に戻っていく。
フレイアの肩を夫である尾花満(ea5322)が優しく抱きしめている。
笑みは嘲笑では決してない。
フレイア自身も決して幸せな生まれではないのもどれほど苦労を重ねて来たかも少しは解っている。
それでも、そう思える者は幸せなのだと彼女は今度は言葉に出さなかった。
「トゥルエノさん‥‥」
クローディア・ラシーロ(ec0502)はトゥルエノに声をかけようとした。
だが、
「なに?」
そう問われた時、クローディアは返事を返すことができなかった。
『‥‥頭では解っていても身体と心が言うことを効かない。何かに思いをぶつけなければやりきれない。それが人を強く想うということ。貴女にそんな思いが無いのならそれはとても幸せなことだと思うわ』
先に聞いたその言葉が頭から離れなかったからだ。
「因果は巡るもの、しかし、憎しみの連鎖はどこかで断ち切られねばならぬものでもある。ごろつき共の手を借りて、というのも気のいい話ではないしな。とにかく手伝わせていただこう‥‥」
満の言葉に、トゥルエノはそうね、と頷いた。
罪の裁きを受けている彼の姉の代わりに、トゥルエノはなんとしても彼を、ギアを守りたいと思ったのだ。
「エナの話によるとギアの釈放は公現祭開けの8日ということだったわ。だから、なんとしてもそれまでに片を付けましょう」
「奴らの居場所は、今のところ解らないんだよね。だったら、ギアのふりをして街を歩けばおびき出せないかな? なんだったら僕が囮になるよ」
ラディアス・グレイヴァード(ec4310)の提案に冒険者達は頷く。
確かにそれが一番の方法だろう。
「だが、僅かに心配があるとすればラディアス殿が若い、という事か。ギアは三十代男性。なら拙者が演じると言うのもあり、かもしれん」
「だったら二人でやればいい。囮は多いほうがいいだろあたしがメイクでちょっと見解らないくらいには変装させてあげるから」
フレイアは二人の男性の手を取り、ニヤリと笑う。
「では、私はギアさんに囮の許可を貰ってきます。それから、万が一にも牢が襲われたりしないように警戒をお願いしてきましょう」
「それでしたら、私はエナさんを教会に保護してもらうようにお話してきますわ。脅し、であれば良いのですが万が一本当に彼女らが傷つけられたら大変ですから」
「うん、うちも手伝うわ。その後、ギアさんが釈放されるって、偽の噂流したろ。そうすれば、出てくる偽ギアさんに奴ら寄って来るかもしれへんで」
クリステル・シャルダン(eb3862)と藤村凪(eb3310)が任せてと微笑む。
「OK。それでいきましょう。私は、変装して奴らの元に潜入できないか探ってみるわ。頭を失ってちりじりになって、でもまた何かをしようとしているなら人手を集めてるかもしれないもの」
トゥルエノの行動もまた囮ではあるが、時間も手がかりも無い以上、自分達を囮にして尻尾を掴むしか方法はない。
「皆、よろしくね。もう、これ以上あのきょうだいを不幸にしたくないから‥‥頑張りましょう!」
明るく手を上げるトゥルエノに仲間達は笑顔で応じた。
只一人、何かを考えるようなクローディアを除いて‥‥。
彼らの行動に落ち度はなく、確かに間違ってはいなかった。
それを知る手がかりは殆ど無かったから、その時はそれが最善だと思ったのだから。
ただ、後に冒険者はこう考える。
行動に動く前に、男の周辺を調べておけば良かったのかもしれないと。
そうすれば、何かが変わっていたのかもしれないと‥‥。
○誰かが誰かを思う時
「元気そうですね。釈放まであと少しです。焦ってはだめですよ」
差し入れを持ってやってきたシルヴィアに、ギアははい、と頷いた。
罪が許され釈放目前だと言うのに彼の目に喜びは無い。
それも仕方ないとシルヴィアは思っている。
「姉さんが庇ってくれたから、僕はこの程度の罪ですみました。でも‥‥本当に良かったのでしょうか?」
泣き出しそうな彼にかける言葉がシルヴィアには見つからない。
彼の姉はほぼ終身刑。二度と会う事はできない。
妹、母は既に無く、身よりも無い犯罪者である彼がこれから生きていくのは簡単なことではないだろう。
ただ、彼にはエナがいる。
彼を思ってくれる人がいる。それは彼にとって紛れも無い救いになる筈だ。
「貴方は一人ではない。大切に思ってくれる人がいる。だからこそ、許されてやり直せるのです。それを忘れないで‥‥」
「はい」
涙ぐむギアに微笑んで彼女は牢を後にする。
帰る前、シルヴィアは牢番達にギアには話さなかった訪問の意図、そして現在の状況を伝えていく。
「彼の命を狙っている者がいます。万が一にも暗殺されるようなことの無い様に十分注意して下さい」
「解りました。お任せ下さい」
彼らははっきりとそう答えてくれた。
これで牢屋にいる間は、とりあえず彼は安全の筈。後は、彼が牢にいる間に全てを終らせることができればいい。
「それから、明日から私達はある一つの作戦を行います。表立って何かをする必要はありません。ただ、口裏を合わせておいて頂ければ‥‥」
こちらの頼みも協力を取り付けることが出来た。
後は、決行を待つのみだ。
一人になってしまったギアを守る為に、必要なら身元引受人になるつもりのシルヴィアは歩き出す。
ある一つの事に、彼女はまだ気づいてはいなかった。
新年明けの街は明るく、活気に溢れていた。
明後日は新年を祝う祭りの終わり、公現祭でもある。
新年を迎えられる喜び、クロウ・クルワッハの脅威から開放された喜びで人々は幸せそうな笑顔を満面に咲かせていた。
「ん〜、こう言う時でなきゃあ、いいことなんやけどねえ〜」
微かな苦笑を浮かべながら凪は後ろを振り返り
「迷子になったり、逸れたりしたらあかんよ。ちゃんとついてきてえな」
後ろを歩くエナとその両親、そして妹を誘導する。
「お母さん、あのお菓子欲しい!」
「我慢しなさい。そんな時じゃないのよ。早く教会に行かないといけないんだから」
祭りに騒ぐ妹と、それを宥めるのに必死の母。
そして‥‥
「まったく、あのきょうだいのせいでとんだ迷惑だ」
心底腹立たしい、という表情で父は何度目かの怒りを口にした。
「公現祭など一番の稼ぎ時だというのに‥‥」
商家を経営するという父親は、今回の避難に一番最後まで反対した一人であった。
「あのきょうだいなど我々には関係ない! それなのに何故、我々が逃げ隠れせねばならないのだ!」
父親の思いももっともだと理解しながらも、クリステルは懸命に説得した。
「逆恨み、というのは恐ろしいものですわ。何かあってからでは遅いのです。ご家族を守る為に‥‥どうか‥‥」
国を救った英雄の一人、それもクレリックであるクリステルの言葉であったから、彼はしぶしぶながら避難を承諾し彼女らについてきたのだった。
軽い変装が功を奏してか彼らは無事教会に辿り着く。
「よーし、着いた。教会の人らには話し、通してあるさかい。一応、用心の為に。億劫や思うけど堪忍な?」
エナと彼女の妹の頭を撫でた凪はにっこりと二人にそう微笑んだ。
両親は早々と教会の中に入って行こうとする。妹もその後を追う。
「お二人は、彼の護衛に行ってくださるのですよね?」
到着を見届けた二人に只一人、エナはそう呼びかけた。
「ええ。安心してくださいな。彼は私達が守りますから」
エナを安心させるように微笑んだクリステルに、でも、とエナは言葉を続ける。
「私達も本当は怨まれても仕方が無いのかもしれません」
静かに、噛み締めるように。
「だって私達はギア達に決して親切じゃなかった。彼らは確かに私達と同じ人間なのに、冷たくして‥‥。それにハーフエルフのお母さんや、他のハーフエルフの人にも時には酷いことを‥‥。もし、私達がギアの家族に優しくしていれば、あんな事件はおこらなかったのかもしれない。だから怨まれても仕方ないのかも‥‥」
「それは‥‥」
自らの罪を悔いるようなエナに凪は何か言葉を賭けようとした。だがそれは
「そんな事を考える必要は無い!」
強い言葉にさえぎられる。
「お父さん!」
「我々は自分の身を守らなければならないのだ! ハーフエルフという得体の知れぬ輩。いつ何に狂うかも知れぬ者から身を守る為に距離を置くのが何が悪い! 大事なものを守る為にしてきた事に私は後悔などせぬぞ」
「お父さん!」
そう言ってエナの父は彼女を連れて教会の中に去り、凪とクリステルが残された。
ハーフエルフの偏見は止むことも無く、今も根強く残る。
だが、その思いの根源もまた、家族を思う人の気持ちだと思うとやりきれない思いが残るのだった。
「その気持ち、解らないでもないよ‥‥」
シルヴィアからクリステルの話を聞いたラディアスは目深に被ったマントを直しながらそう呟いた。
満と二人、ギアに扮装しながら街を歩く。
時折彼らを指差すような仕草をする者がいる。あからさまに逃げる者もいる。
「ハーフエルフの狂化は本人にもどうしようもない宿命だ。人を傷つけずにすむそれならまだましだけど、そんな事他人には解らないからね。大事な者を傷つけられないようにという事を確かに否定はできない」
妹の事を思い出したのかラディアスの唇が強く噛み締められる。
「でも、キチンとありのままを受け入れてくれる人達だって居るんだ。僕はそれを身を持って知っている‥‥僕達兄妹を、妹の狂化を見てなお養子として受け入れてくれたロイエル家の人達のように‥‥」
「こういうことは直ぐに何かして改善できる、という種類のものではありません。時間が必要です。ハーフエルフという存在を理解してもらい、なおかつそれを個性として受け止めて貰えるようになるには長い時間が必要でしょう」
「解ってる」
自分達のようにハーフエルフという存在ごと認め、受け入れて貰える事が稀だと解っている。自分達は幸運なのだという事も、何よりも。
「だから、僕はギアを助けたい。彼と僕は同じなのだから。それにハーフエルフの人が犯罪を犯そうというのならそれは止めないとね。復讐は本人をも傷つけてしまう」
そう微笑むラディアスの笑顔に、思いにシルヴィアはそうですね。と心から同意する。
「罪の連鎖はここで食い止めねばな」
だが‥‥後ろを守るクローディアには素直に頷くことができなかった。
(「私の思っている以上に世界は入り組んでいて、単純な善悪では計り切れないのかも知れない‥‥」)
例えば復讐と言う犯罪一つをとっても、苦しめらた人がいて、苦しめられた人がいて、それを思う人がいる。
人を殺した者が悪、殺された者が善、などと単純には決められない。
戦であってもそれが人同士の戦いであるならば、それぞれに善があり、悪もある。
(「でも、私はそれを‥‥受け入れられる?」)
答えなど簡単には出ない。シルヴィアの言うとおり時間が必要な事だ。それだけではない。
(「私はそれを‥‥受け入れられる?)
クローディアはもう一度自分に問う。彼女は自分の心の中である人物の存在が大きくなっているのを感じていた。
街を歩くこと一日。
「おかしいですね‥‥」
無事にギアと姉の住んでいた冒険者街の家に辿り着いたシルヴィアは腕を組み、首を捻った。
この日、彼女達は囮となってギアを狙う者達をおびき出すつもりだった。
ギアの命を狙うなら彼の出所を待って確実に今日、やってくると思ったのだ。
偽ギア役は二人いるが、ワザと一人にしてみたり、路地の裏を歩いたりもして隙も作ってみた。
なのに彼らを邪魔するものは一人として無く、彼らは無事家まで辿り着いてしまった。
「ゴロツキの姿も一人も見なかったな。どういうことだ?」
フードを取り、化粧を拭きとった満も考える。
「情報は十二分に流してあったと思うよ。関係ない人だって知ってたくらいだ」
指差し軽蔑するような声は何度も聞かれた。
だからこその沈黙があまりにも不気味だったのだ。
「フレイア達もまだ帰ってこぬ‥‥心配だ」
「何か、見落としていたのでしょうか?」
その時、クローディアの声に呼応するかのように扉が急に大きく開かれた。
息を切らせ入ってきたのは凪とクリステル。
「た、大変や!」
「どうしたんです。お二人とも。約束の場所にいらっしゃらないので心配していたんですよ」
明らかに慌てた様子の二人に手を差し伸べシルヴィアは問う。
「あのな‥‥墓が直されてて‥‥花が‥‥、それを‥‥調べてたら‥‥」
「私達、大変なことを見逃していたのですわ。大変な、勘違いを‥‥」
二人は呼吸と心を整え、顔を見合わせて告げた。
「復讐者は、ギアさん達のお父様なのです」
「「「「え!!!!」」」」
瞬間、冒険者は声を出すことさえ出来ず、ただ立ち尽くしていた。
○子を思う親の思い
その頃、トゥルエノとフレイアはやっと見つけた彼らのアジトらしき場所に踏み込もうとしていた。
裏路地にある小さな民家。
そこが彼女らが下町を歩き回り、情報を探して見つけた奴らの潜伏場所と思われる所だった。
「まったく、手間をかけさせてくれるわ。ぜんぜん接触してくれないんですもの」
ギアを襲おうとしているのなら、人手を集めるだろう。
向こうから声をかけさせ、チンピラと思わせて近づき、接近する。
それが彼女らの計画であったが、不思議なことに彼らはさらなる人手を集めようとはせず、かつての仲間を集めるに止まっていた。
二人は偶然出会った見覚えのある顔を追跡し、やっとここまで辿り着いたのだ。
「このご時勢だ。アジトに使える場所なんか限られてる。他の情報とも一致する。多分、ここで間違いないよ。ラキ!」
フレイアは鷹を呼び寄せると何事か命じて足元に布を巻きつけ、空に放した。
「満達が気づいてくれるといいんだけどね」
「二人で飛び込むのは危険だから、皆が来るまで様子を見ましょう。逃げられないようにだけ気をつけて‥‥! なに!」
言いかけたトゥルエノは慌てて家の方を見た。
「うわあああっ! 助けてくれ!!」
家の中からそんな声が聞こえたのだ。
「今のは‥‥悲鳴?」
「しかも、男の声だったわ。一体何があったの?」
だが驚く間も無く二度目、三度目の声が響く。今度のものは間違いなく、断末魔に近いものだった。
「何かがあったに違いない。皆を待ってる時間も無い。行くよ! トゥルエノ!」
「え、ええ!」
駆け出した二人は躊躇い無く扉を開けた。
武器を構え油断無く飛び込んだ二人であったが、そこに繰り広げられていた光景の思いがけなさに思わず構えが解ける。
「な、なんだって言うんだい、これは‥‥」
フレイアの驚きは当然であった。
部屋は返り血で真っ赤に染まり、床はいくつもの男達の死体が折り重なり、積み重なっていた。
そして、その中央には一人の男が血まみれのナイフと共に立っていたのだ。
「な‥‥何故‥‥俺達‥‥を‥‥」
信じられないと言うような顔で足に縋り、問いかける半死半生の男を『彼』は黙って突き放し、首を切り裂く。
噴出した血と共に彼はびくん、と大きく身体をうねらせ、そして動かなくなった。
あまりの凄惨な光景に冒険者が我を忘れたのは一瞬。
直ぐに二人は自らを取り戻し、武器を身構えた。
「貴方‥‥ここで一体何をしているの! 貴方は一体何者なの!」
トゥルエノは声を上げる。
目の前に血まみれで立つ人物を彼女は知っていた。
エナが教えてくれた男と同じ人相をしている。耳はハーフエルフのそれ。冒険者が探していた「新たなる復讐者」に間違いはない。
だが、それ以上に彼女は彼を知っていたのだ。
エナは、幼い頃に分かれて以来きっと彼女とちゃんと顔を合わせた事は無かったのだろう。
目の前の人物はギアのハーフエルフの姉に良く似ていた。
「まさか‥‥貴方は‥‥」
「君達は冒険者だね。噂に聞いていたレニエラとギアを救ってくれたのは君達か。父として子供達を救ってくれた事に礼を言おう‥‥」
血まみれの顔で、彼は優しく微笑む。そこに嘘偽りは感じられなかった。
「二人の‥‥父親、だって?」
冒険者は完全に喪失していた可能性に声を震わせる。
言われてみれば現れた男が殺された男の父親だと、はっきりと伝えられた訳ではない。
そう言ったのはエナ。それも思い返せばらしい、という噂だけであった。
確かなのはハーフエルフが現れ、ごろつき達を束ねているらしいという事。そしてそれが、復讐者らしいとも‥‥。
冒険者は小さな思い込みを鵜呑みにしてしまった。
少しでも疑って調べてみればよかったのだろうか。
ちゃんと外見やその他を探ってみれば、殺された男の素性やその他を当たっていればその父親が人間である事、ハーフエルフの父親、という点の不審に気づけたのだろうか。
だが、そんな後悔は後ほどする話。
彼女らは目の前の人物の行動の意図を完全に理解し、それが止められなかった事を悔やんでいた。
「貴方もまた、ユーイの復讐に来たのね」
「半分は正解で、半分は外れだ。ハーフエルフのお嬢さん」
柔らかく笑い、彼は腕を組む。フレイアもトゥルエノも歴戦の戦士。腕には多少以上の自信がある。
だが、あまりにも自然に立ち、微笑む男に簡単に飛び掛る事はできなかった。
「私は父親として、最後の勤めを果たしに来たのだよ」
彼の目があまりにも澄み切っていたから。
「父親としての‥‥勤め?」
「そう。私は自分の過ちで子供達を守ってやることができなかった。不幸な人生を歩ませてしまった。なら、せめて最後に彼らのこれからに安全を残していってやりたくてね」
「それが、二人が残した残党を一網打尽にして殺すこと‥‥だと言うの?」
震える声のトゥルエノに彼の笑顔はどこまでも優しい。
「ああ。こうしておけばあの子達の命をもう奪おうとするものはいない。いろいろと辛い思いをすることもあるかもしれないが、あの子達はきっと乗り越えてくれるだろう、君達のようなな味方もいることだしね」
「ふざけるな! 自分の父親が人を殺めた、と知ったらギア達への風当たりは辛いじゃすまないと解っているだろう! そんな事をして、あんたの大切な人は喜ぶと思ってるのか! それだったらよっぽど側で支えてやった方がどれほどいいか」
「私には、時間が無いのだよ」
フレイアの言葉に彼の目がフッと遠くを見る。
「確かに、私のした事は間違っている、だが私は病に冒されている。もう長くは無い。だから、あの子達を止めてやることができなかった‥‥だから、せめて最期に彼らの生きる邪魔になるもの全てを消し去って行こうと思ったのだ」
エナの両親に向けた脅しは真実だった。彼らがギア達を追い込んだと本当に殺そうかとも考えていた。
それを止めたのはエナの優しさの為だと彼は言わずに目を閉じる。
「君達。もし、できるならギアにはこれが私が為した事だとは言わないでおくれ。そんな痕跡は一切残さなかったし、あの子は私の顔を多分覚えていないから、君達が黙っていてくれれば永遠に知られないですむ」
彼を捕らえようと踏み込みかけるフレイアを見ながら、トゥルエノは『彼』に心からの問いをかけた。
「最期、だというのなら聞かせて! 貴方は妻を、子供達を愛していた? 子供が不幸になるかもしれないと解っていても、それでも愛して子を生したの?」
「‥‥ああ、愛していたよ。ユーイも、ギアもレニエラも、皆愛するわが子だ。心から。愛し、望み‥‥そして幸せになって欲しいと心から願っていた。今までも、そして‥‥これからもね」
彼はナイフを握っていた右手をひらりと動かす。
同時にフレイアは走り、それを止めようとする。だが一瞬、間に合わなかった。
彼は、素早く、正確にナイフを収めていたのだ。自分の心臓に。
「おい! しっかりしろ!」
「私には、後悔はない‥‥。さよ‥‥なら‥‥。わが子らよ。どうか‥‥幸せ‥‥に」
「こら! 馬鹿! 目を開けるんだよ! おい!!」
涙ながらに揺さぶるフレイアの言葉に答えず、彼は静かにその呼吸と命を静止させた。
冒険者は最期まで、彼の名前さえも知る事は無く、またできなかった。
○小さな、ひとひらの思い
新年の祭りも終った翌日。
ギアは出所し、冒険者達に挨拶に来た。
旅支度の彼をキャメロットの門まで見送りに来た冒険者に彼は深々と頭を下げる。
「いろいろ、お世話になりました」
「これから、どうするおつもりですか?」
問いかけるシルヴィアにギアは旅に出るつもりだと告げた。
「暫くキャメロットにはいないほうが良いだろうとエナのお父さんに言われました。姉さんの修道院を尋ねた後、父さんがしていたように旅に出ようと思います」
父は冒険者であり医師であったと彼は笑う。
「僕には父さんのような知識は無いですけど、クロウドラゴンとの戦いで家を失った人とかのお手伝いをして助けてあげられればいいな、と思っています。今まで、僕は誰の役にも立てずにいたから、誰かの役に立ちたいんです」
「でも、エナさんの事はいいんですか‥‥」
クリステルが心配そうに言う。エナの父親がキャメロットを離れろと言ったのは彼と彼女を引き離す為ではないかというのは簡単に想像がつく。
エナがギアに思いを寄せているのではないのか、とも。だが彼は静かに首を横に振る。
「エナには恋人がいます。彼女が僕らを助けてくれたのは、幼馴染としての優しさ、それに罪悪感からでしょう。僕がいないほうが彼女はきっと幸せになれる」
その笑みは優しくて冒険者達は、それ以上何もいう事はできなかった。
「ユーイと母さんの墓も直して頂きありがとうございました。皆さんには感謝の言葉もありません。今は何もできませんがこのご恩は一生忘れません」
笑顔で旅立っていくギアを冒険者は黙って見送る。彼の姿が消えたのを確かめて後
「これでよかったのであろうか‥‥」
呟く満の言葉に冒険者達は無言であった。
フレイアの鷹に導かれて現場にやってきた冒険者達は、現場の惨状とフレイア、トゥルエノの様子に全てを悟った。そして、悩んだあげく犯人である『彼』の遺言どおり、全てをギアに秘したのだ。
事件はゴロツキ同士の仲間割れ、狂化したハーフエルフが仲間を殺し、自殺した。ということに報告され収められた。
完全な嘘ではない。だが『彼』はきっと狂化などはしていなかったと、冒険者達は知っている。
「親は皆、あんなに熱く無私に子供を愛するものなのかしら‥‥。全ての子が望まれて生まれてくるわけでもないでしょうに‥‥」
トゥルエノの呟きにフレイアはそうだね。と頷く。
「あたしもああは言ったけど、実際に自分の子供が殺されたら、頭に血が上ってそいつを殺そうとするかもしれないし、子供を殺そうとする奴がいたら、殺しても止めたいと思うかもしれない。その時になってみないと解らないけど‥‥」
「フレイア‥‥」
夫の腕にもたれフレイアは目を閉じる。彼女の目蓋の下には愛する子供達の姿が浮かんでいるだろう。
「確かに難しい話やね。でも、やっぱり子供を愛さない親なんていないと思うし、幸せになってほしいと皆思ってるとうんや。その形はきっといろいろでも‥‥」
「実の両親とロイエル家の両親。どちらも僕達に沢山の愛をくれた。親っていうのは本当に子供の事を思ってくれているんだよ。ハーフエルフも人間も、心のあり方に変わりは無いって僕は知ってる」
「そう‥‥ね。皆が言うなら、きっとそうなんだわ」
小さく呟いて街に歩み去ろうとするトゥルエノを
「待って下さい!」
シルヴィアは呼び止めた。門の影にトゥルエノを引き込み問いかける。
「言わなくても良いんですか? 彼女に、本当の事を!」
「シルヴィア‥‥貴方、知って‥‥」
瞬きしかけた目を彼女は止めて、目の前の親友を見る。両腕を掴み、逃がすまいとする彼女の瞳に嘘はつけない。
「私、ね‥‥。本当は言うつもり無かったのよ。彼女の前で、あいつらを殺すつもりも無かった。
彼女は真っ直ぐな思いの騎士だから、残したらまた遺恨が残るんじゃないか、って心配してたでしょ。
やっぱり私は打ち明けるべきじゃないと思った。『彼女』は違う世界の人間。私なんかの事で悩ませるのは間違ってる。だから私は見守るだけでいい、そう思ってた」
「思ってた、という事は今は違うんですね?」
追求するような問いに彼女は解らない、と首を振る。
「『彼』の思いを見て、夢を見てしまったの。ひょっとしたら父様は、私の事も愛してくれていたんじゃないか、って私と彼女と出会うことを、姉妹仲良くすることを思ってくれてたんじゃないか‥‥って」
通りすがりのエルフと交わってできた自分、故郷で祝福され、望まれた結婚の後に生まれた跡取り。
(「同じであるはずは決してないのに‥‥そんな都合の良い夢を見る‥‥」)
臆病に顔を背けたトゥルエノをシルヴィアは、強く、強く揺さぶった。
「それは、夢なんかじゃありません! ハーフエルフも人もエルフも同じように家族を思う。私達に違いなどありません。踏み出すことを恐れないで幸せな未来は私達で作って行くのです。二人とも逃げたら怒りますよ?! まったく、姉妹揃って似ているんですから! 」
「あんたは、どうしたいんだい? トゥルエノ。べきとか、間違いとかそんなじゃなく、あんたがどうしたいか、だよ」
いつの間にかやってきたフレイアの言葉にトゥルエノは、胸に手を当てる。
「私が、どうしたいか‥‥」
「言いたいこと有るんじゃないか? ‥‥背中なら押してやるよ。ダメだったら泣くのに胸も貸す、だからやりたいようにやりな。後悔はするんじゃないよ」
言葉通り、フレイアはぽんと、トゥルエノの背中を押して元いた場所へと押しやった。
そこには、クローディアが真っ直ぐに、立っている。
クリステルに背中を押された彼女は、トゥルエノの方に一歩進み出て、胸に手を当てる。
「トゥルエノ‥‥さん。私は、貴方の事が気になっています。だから‥‥改めて‥‥聞かせていただけますか? ‥‥貴女の事を‥‥」
「クローディア‥‥」
トゥルエノは周りを見る。
仲間達の思いは、眼差しは一つ残らず優しい。
そして目を閉じれば、マティアス。レニエラ、ギア‥‥父の顔、母の顔。そして『彼』の顔も浮かぶ。
『皆愛するわが子だ。心から。愛し、望み‥‥そして幸せになって欲しいと心から願っていた。今までも、そして‥‥これからもね』
皆が応援してくれているように思うのは、それこそ夢を見すぎだろうと思いながらトゥルエノはポケットをまさぐった。そして、肌身離さず持っていた小さなそれを、クローディアに差し出して告げたのだった。
「これ――父様に貰ったお守り。はじめまして、私、トゥルエノ・ラシーロ。私の事を話すわ。聞いて‥‥くれる? そして、お願い。貴方の事、聞かせて」
二人を残し、冒険者は静かにその場を離れる。
彼女らがその後、どんな話しをし、どんな思いに至るのかは解らない。
ただ、クリステルは信じることにしていた。あの日
「これから何を知っても、どうか友人である事までは否定しないであげて下さい。‥‥トゥルエノさん自身が変わった訳では無いのですから」
そう告げたクローディアの返事は惑いながらの、それでも笑みだったのだから。
空からは雪が静かに降りて踊り始めていた。
新しく整えられ前よりももっと立派になった墓石の前に、クリステルは、冒険者達は祈りを捧げる。
二つの墓石の隣に今は、もう一つ小さな石柱が立っていた。
崩した墓石に彼が何を思ったのか、愛するものを守れなかった悔いか、それとも目的を果たす為の止む得ない涙だったのか、冒険者が知る由もなく、術もない。
ただ、彼は名も無き罪人として葬られ、この横に並んで眠ることはない。
けれど心はきっと彼女らと共にいるだろうと、祈りを捧げる冒険者は信じる事にした。
彼が本当に子供達を愛していた事を冒険者達は知っているのだから。
ふわり。
寒さも忘れ話し続ける二人の髪に小さな羽根が舞い降りた。
雪にまぎれたそれに二人が気付くのは少し後の話。
二人がこれからどんな未来を作っていくのかもまた、先の話となる。
ただ、それは彼女達の側にあった。
彼女達を信じる冒険者達の、友の心のように。
すっとずっと、いつまでも‥‥。