【魔影乱舞】死色の花嫁
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■ショートシナリオ
担当:夢村円
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 40 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:03月21日〜03月27日
リプレイ公開日:2005年03月27日
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●オープニング
木々が芽吹き、小鳥たちのさえずりが戻り始めた森。
その一角でも春が生まれようとしていた。
「‥‥ずっと、一緒に暮らして、一緒にお茶を飲もう。共に生きるんだ‥‥この村で。君を愛している」
「ええ、そして‥‥二人で一緒に眠るの。貴方を愛しています」
二人は見つめ合った。青年が、娘の手を取り、優しく引き寄せ指輪をはめた。
抱き寄せられた肩。腕のぬくもり。そして‥‥彼女もまた手を大きな背に回す。
目を閉じた娘の唇に、羽よりも軽いキスが触れる。
今、幼馴染だった二人はお互いの気持ちを確かめ合った。
森の木漏れ日と小鳥たちの祝福を受けて、生まれた二人の愛。
彼らは信じていた。この幸せが消える事は無いと。
約束は‥‥きっと果たされると‥‥。
ある日の昼下がり。
「美しい娘さんじゃのお? 幸せそうに笑っておる」
暗い部屋から外を見ていた客に、そりゃあそうでしょう、と宿の主人は笑って答えた。
「あの娘、マリエンっていうんですけどね。今度結婚するんですよ。相手は幼馴染のイアン。今は、一番幸せな時でしょうよ」
「ほお、それはめでたいな」
「でしょう? お客さんも式まで滞在されてはいかがです? その頃にはこの村も花に包まれて、本当に綺麗になりますから‥‥」
だが、客は答えなかった。目線は彼女に向かっているようだ。
光の中、マリエンは、幸せそうな笑顔で胸に抱いた布の包みを抱きしめた。明るい青の瞳。金色の波打つような髪が午後の光を受けて輝いている。
ふと顔を上げた娘が遠くに何かを見つけ、手を振る。
遠くから駆け寄った影が彼女を抱きしめた。
逞しいが、ごく普通の相貌の若者は、ふと腕の中の愛する者が自分以外の何かを抱きしめているのを見て、彼女の肩を押しやり、問いかける。
『何をしていたんだい? それは何?』
『ひ・み・つ』
『こら!』
ささやかな口論。でも、二人の愛はしっかりと繋がれた手が証明している。
二人を見つめる眼差しも、光も、空気も全てが暖かい。
きっと、彼らは幸せになるだろう。
「‥‥美しいのお。本当に」
それが、二人を祝福する言葉だと宿の主人は取った。
姿に似合わぬ物言いをする客に首をかしげながらも彼は遠ざかり、仕事に戻る。
だから、気付かなかった。
彼女の発した小さな呟きに‥‥
「美しい‥‥踏みにじりたくなるほどに‥‥フフフフ‥‥」
「熱、下がらないな‥‥。風邪かな?」
「ごめんなさい、イアン‥‥」
額に触れる手にマリエンは小さな声で囁いた。
赤い顔で毛布を被る婚約者に、青年は若葉色の瞳を優しく微笑ませ頭を撫でる。
「そんなことは、気にしなくていい‥‥ん? 何だ。これ?」
髪を漉いた手が首筋で止まる。
「‥‥何でもないわ。ちょっと噛み付かれちゃって‥‥」
「噛み付かれた? 誰に?」
「‥‥旅の‥‥? ううん、何でもない」
「そっか。まあいい。もう一週間にもなる。無理はするなよ。結婚すれば、ずっと一緒にいられるんだから」
「ええ」
顔を熱だけではない赤で染めた娘の唇に、イアンはそっと小鳥がついばむようなキスを送った。
「もう、うつるわよ!」
「ハハ、じゃあ、今日は帰るよ。また明日」
「また明日」
そう言うと青年は乙女の寝室を出た。
扉の向こうで彼が家族に挨拶をしているのがかすかに聞こえる。
彼の足音が遠ざかるのを確かめて、マリエンは、枕もとの包みに手を伸ばし開いた。
白い布が窓から差し込む月明かりを弾く。村人達が縫ってくれた花嫁衣裳だ。
この服を着てイアンに嫁ぐのだ。
「早く、治さなくっちゃ」
そういえば、と思う。
どうして、あの人は、自分の首に噛み付いたりしたのだろう?
もう思い出すことすら‥‥できないけれど‥‥。
目を閉じた彼女は程なく眠りに付いた。
人としての最後の眠りに。
『目覚めよ。マリエン‥‥我が僕よ』
村人達が集まってくる。それを見届けるとほぼ同時、彼女は自らを呼ぶ闇に消えて行く。
燃え盛る炎が闇に踊る。
彼女の家族を、思い出を、全てを飲み込んで。
『共に生きよう‥‥』
『また明日‥‥』
叶えられることが無くなった、約束のみを残して。
その女性は、美しかった。
肌に赤みがあり、健康的に笑えば、天使にも見えたかもしれない。
だが透き通る白い肌は病の色。瞳は血の色。
そして美しい唇は、笑顔の代りに赤い血を、滴らせていた。
共に街道を歩いていた若い友は、今、足元に倒れその流血が地をも赤く染める。
純白の細指が自分に向かって伸びるのを、彼は感じていた。
捕らえられ、宙に浮く。
今は、目の前の白い顔の娘以外のものが見えない。
彼女の纏うドレスは胸元が暗赤色。やがて裾に向かうに従って薄い緋色に染まっていく。
落日の空のように‥‥。
一瞬の後、女とは思えぬ力に捕らえられた身体を、彼は必死で揺らし、逃れようとする。
「まだ、俺は‥‥死ぬわけにはいかない。マリエンを‥‥探し出すまでは‥‥」
トサッ。
突然、彼は地面に落下した。彼は目の前の存在を見つめ、‥‥気付いた。
彼女の指と‥‥髪、そして顔に‥‥。
自分は彼女を探すために村を出た。冒険者になって‥‥
「まさか‥‥」
目の前の人物は、人間ではない。それは、判っている。
だが、彼は呼んだ。
「マリエン‥‥?」
返事は返って欲しくなかった。いや、返って欲しかったのかもしれない。
だが彼女は踵を返し、森の真の闇に消える。
キャラバンは、全滅した。
生き残ったのはたった一人、生き残った。それが‥‥答えだ。
「何故だ? 何故なんだ‥‥マリエン!!」
絶叫が闇を震わせ、森に木霊し、そして消えて行った。
キャラバンの唯一の生存者、イアン・レリックの語った話を聞き終わって、声を出すことが出来たものは誰一人いなかった。
バンパイア出現。教会がギルドにもたらした報告を係員は冒険者に告げる。
「今度の出現地点は、キャメロットから北に二日ほど歩いた森の近くの街道だ。そこにバンパイアが出るらしい。女で外見も合っている。おそらく同じ奴だろう。その女バンパイアの殲滅が今回の依頼だ」
俯くイアンを一度だけ横目で見てから、ただし、と係員は冒険者達に向かい合った。
「バンパイアに噛まれたり、殺されたりした者は放っておけばバンパイアになる。助ける方法はまず無いと思え。‥‥覚悟しろよ」
ごくり、ならした喉に溜まったものを彼らは飲み込んだ。
「回収された死者はもう火葬されているか、清められているからバンパイア化することはない。だが、どうやら数名が行方不明になっているらしい。ひょっとしたら、ということも考えて行動することだ」
「ああ‥‥ん? さっきの男はどこに行ったんだ?」
彼らが周囲を見回したとき、そこにイアンの姿は、どこにも無かった。
「これで‥‥君に会えるだろうか? 君を、救えるのだろうか?」
イアンは一人、ただ一人。
夜空を見上げていた。
何かを決意した目で。
●リプレイ本文
闇の中、薄い光が灯る。
『マリエン‥‥お前は私の僕。私の言う事だけ聞けば良い』
「はい」
『では、行け。お前の心を惑わす者全て、消し去ってまいれ』
「‥‥ご命令のままに」
純白の腕に跪き、血のドレスを翻しマリエンと呼ばれた者は闇に消える。
命じた存在もまた、暗色の闇の奥へと‥‥。
キャメロットの門を冒険者達は足早に駆け抜けて行く。
「イアンさんは、既に先に向かっているようですね」
夜桜翠漣(ea1749)の言葉にレムリィ・リセルナート(ea6870)は駿馬の手綱を強く引いた。
「じゃあ、あたしは先に追いかけるよ」
「俺も先に行く。皆も急いで来てくれよ」
「‥‥なるほど。待って、私も行く! ありがとう王君、翠漣君、絶対に見つけて待ってるから!」
レムリィの馬の後方をマナウス・ドラッケン(ea0021)も馬で追う。
二人を見てピアレーチェ・ヴィヴァーチェ(ea7050)は慌てて騎乗し駆け出し、残った冒険者達も街道を歩き始める。
ピアと呼ぶ少女を見送りながら
「何を話しておられたのです?」
手綱を引くレイン・シルフィス(ea2182)の問いに王零幻(ea6154)はうむ、と頷いた。
「バンパイアについて教えた。基礎知識ではあるが」
なら‥‥レインは躊躇いがちに零幻の顔を見て、思っていた事を口にする。
「バンパイアになった者を‥‥救う事はできないのですよね。殲滅させる事以外に救いは無いのですよね」
「‥‥すまぬな、自分の知識をもってしても、バンパイアとなった者を救う手立ては、ない」
「やはり‥‥」
呟くレインをアルス・マグナ(ea1736)は横目で見て前を歩く。
「彼女の魂を救ってあげないと‥‥」
横を歩くセレス・ブリッジ(ea4471)の言葉にレインは顔を上げた。
「そうですね」
(「本当に辛いのは僕じゃない‥‥なら‥‥僕ができる事は」)
何かの影を追うように、冒険者達の足は進んで行った。
「やるせないな、全く。吸血鬼は大事な人を奪って行く。‥‥おっと、いた!」
街道を歩く人影を取り囲むように馬を止めた。
彼は逃げず、冒険者が馬から降りるのを待っている。
「あんた達‥‥」
「やっと見つけた! イアンさん。どうして、依頼しときながら先に行ったの? まさか‥‥彼女とバンパイアになろうっていうんじゃ!」
「そんなこと!」
レムリィの言葉の否定は半分で止まった。だがその答えに彼らはホッと肩の力を抜く。
「良かったあ。一人で戦ってバンパイア化する自分を、あたし達に始末させようなんて思ってたら、冗談じゃない、って怒る所だけど」
「そうでないのなら‥‥俺達はお前の行動を止めはしないし、場合によっては力を貸そう。全力でな」
「‥‥俺の事など」
「探すには人手があった方が良いだろう?」
かまうな、と言いかけたイアンの肩をマナウスは叩く。
「一緒に戦おう!」
返事は返らないが、否定の言葉も出ないイアンにピアは、とりあえず仲間を待つよ。と笑いかける。
彼は黙って頷いた。
陽も暮れる頃。
合流し野営をすることにした冒険者は警戒を行いながら、イアンの側に付いていた。
俯いて何かを見つめるイアンをアルスは覗き込む。
「一人で向かうのは危険だぞ〜。何か一人で行く理由でもあるのか〜?」
「マリエンにたどり着くまでに、おぬし死ぬぞ」
零幻も穏やかな声で語るが沈黙は解けること無く、二人は軽く肩を竦め首を振った。
彼の目線の先にあるのは銀のナイフと‥‥指輪。
深刻な顔に、レムリィは翠漣と目を合わせる。
(「彼は、きっと‥‥」)
そんなことは無いと思いたいが、何故か確信できてしまう。
「‥‥幾人もの命奪う‥‥アンデッドとなりし者は滅びを与える事こそが唯一の救いだと、悲しき花嫁の思いを収める力を、弥勒は自分に、我らに与えて下さったと‥‥自分は信じる」
その時冒険者達の胸に去来したものの正体を、言葉に出せる者はいなかった。
それが響いたのは3日目の夜の事。
着いたマリエンの襲撃地点は、血の匂い漂う。
その程近くに冒険者達は野宿の場所をとり、交代で見張りに立つことにした。
一巡目のレムリィとレインが焚き火の火を強めたその時だ。
「誰か、助けてくれえ!」
聞こえてくるのは悲鳴。車輪の音。そして馬の嘶き。
「皆! 起きて!」
声と同時にレムリィはレイピアを構えた。
馬が横をすり抜けたのを確認しレインは馬の来た方向に向けてムーンフィールドをかける。
それは正解であった。
展開とほぼ同時、結界は消える。
黒い光がまるで氷を砕くように結界を砕くのを冒険者達は苦い目で見つめた。
「‥‥三匹だ。動いていない奴がいるかも知れんから、数は最低それだけ居るという事だと思ってくれ」
魔法で敵を確認するアルスの横で馬車の御者を庇うように翠漣は背を向けた。男は闇の方を震える手で指差す。
「バンパイアが来る!」
「解りました。早く逃げて!」
「気をつけろよ!」
彼は逃げ‥‥冒険者達は残る。
火が照らす街道の向こうから‥‥暗い目と声をした影が近づいてきた。
「逃げられた‥‥」
「でもこっちが美味そうだ」
「頂くとしよう‥‥」
舌なめずりする男達を冒険者達は一瞥する。男達‥‥マリエンでは無い。
「イアン、あいつらは‥‥?」
「一人はキャラバンで一緒だった剣士だ。後は知らない」
張り付いた笑みを浮かべ男達の一人は剣を抜いた。
「哀れな者よ。人の誇りをも失ったか?」
南無と祈りを捧げる零幻の言葉に彼らは嘲笑の仕草をした。口に白い犬歯が光る。
「噛まれたら痛そうだ。まぁ、痛い以前に洒落にならんのだろうがな」
「人は我らの餌‥‥」
「言いたいのはそれだけっ?」
バンパイアの口上を待ってやる義理など無い。ピアは一気に切り込んだ。力を込めたブレーメンアックスの一撃が剣士バンパイアの腹を割く。同時に踏み込むマナウスのレイピアも顔を狙い傷つけるが‥‥
「‥‥我らに逆らうか」
意に関しないかのようにバンパイアは笑う。腹が開き内容物が見えるが押えもしない。
「くそっ、やっぱり頑丈だ。気をつけろ」
舌を打って二人は後ろに跳びずさった。襲いくる剣は後衛の零幻を守る翠漣の前に振り下ろされ、かけて止まる。
光の矢が足を止めたのだ。
「月の矢よ。死せる剣士に!」
その隙にオーラの力を込めた銀のナイフの一閃。バンパイアは声を上げた。
「ぐあっ!」
「ありがとうございます。‥‥王さん!」
「滅せよ!」
「ぐっ‥‥」
剣、魔法、ナイフ。一撃一撃がバンパイアに、ダメージを与えていく。
そして全ての初撃を受けた剣士は、零幻の指が紡ぐ白の光に最後に包まれ‥‥崩れた。
「‥‥身体が灰に? !」
「きゃあ!」
一人を倒したと安心している間など無い。黒い光がセレスを打つ。
よろめく仲間を支えながらアルスは敵に向かって魔法を放った。刹那、黒い帯がバンパイアの足元を揺らす。
転倒しかけながらも肉薄してくる敵から仲間を守るようにレムリィは舞うようにレイピアで手足を突いた。反撃は素早く身をかわして。
「魔法以外は大した事ない。狙うなら口だ!」
ピアは頷きバンパイアに接近する。翠漣に借りた武器とオーラの力が首元を深く切り裂いて‥‥
ごとっ!
声も無く首が飛び、首を失った身体は崩れ、闇に散る。
残るは一匹。魔法で集中攻撃‥‥その時だ。
「ぐっ!」
バンパイアは膝を付いた。
「お前は!」
「‥‥私の獲物を奪い、邪魔をする者、消えなさい‥‥」
感情の無い声が森の中から響く。アルスは目を閉じて、開く。
「もう一つ、近づいてくる。まさか!」
それ以上、言う必要は無かった。森から現れたのは暗紅のドレスを身に纏った金の髪の娘。
「‥‥マリエン!」
今までの戦いでまったく動かなかったイアンはマリエンに向かっていく。引き寄せられるように。
「お前が俺達を‥‥ぐはっ!」
「邪魔は、許さない‥‥」
イアン達に襲い掛かろうとしたバンパイアはもう一度声を上げて、今度は地面に伏す。月の矢、重力の波、そして‥‥。
三つの魔法を同時に受けて、身体は既に限界だったのだろう。
零幻の祈りを受けて、彼が灰に返った頃。
冒険者達は、花嫁だった存在と花婿だった存在の邂逅を黙って見つめていた。
「捜していた‥‥私を惑わす、お前は誰だ?」
「イアンだ。覚えていないのか? マリエン?」
体温の無い指を手に取り、イアンは自分の指と重ねた。同じ指輪が小さく音を立てるが彼女の表情は変わらなかった。
「‥‥知らない。私の心を支配するのはただ、主のみ」
薄く呟かれた呪文の後、重なった手から黒い光がイアンへと流れ込む。
「うっ!」
微かな呻き声に冒険者達は身構える。だがイアンは倒れずマリエンの手を離さない。二度、三度。繰り返しても。
「何故? 私を惑わすお前を殺すのが、主の命令‥‥」
白い光、零幻の与えた守りの術がイアンを守っていたのもある。
だが‥‥。
本人さえも戸惑う中、イアンはマリエンを抱きしめた。
「マリエン。一緒に帰ろう」
「うっ!」
マリエンの身体が硬直する。イアンを突き放すように押し飛ばすとよろめきながら膝を付いた。
彼女の心臓だった場所に、深くナイフが刺さっている。
「冒険者‥‥頼む‥‥」
今もマリエンを愛している。彼女が変わってしまったと知っても彼女を消滅させたくはない。でも、彼女を救いたい。
自分が最初からズルイことを知っていた。自分の手でと解っていてもできない弱さも‥‥。
だから‥‥彼女に‥‥。
微かな声。だが冒険者達は依頼人の思いと心を全員が確かに聞いた。
「おのれ!」
イアンに向かって襲い掛かかろうとする、怒りの形相の娘を四人の戦士は立ち塞がるように止めた。
月と、二方からの重力の波が彼女を縛る。
「きゃああ!」
澄んだ声は冒険者達の心を引き裂く。棘となって突き刺さるが‥‥手を緩めるわけにはいかない。
「‥‥悲しき花嫁に、弥勒の慈悲を」
白い浄化の光がマリエンを包む。
「あっ‥‥あああっっ!」
高い、高い悲鳴が響き、伸ばした手が何かを掴むように空を掻いた。そして身体ごと倒れ伏す。
「! マリエン!」
イアンは彼女の横に駆け寄り‥‥手を掴む。だが、手は握ることすら叶わず土くれのように彼の腕から、指からぼろぼろ崩れ落ちていく。
美しかった髪も、白い肌も今は塵芥となり‥‥
「主よ‥‥お許し‥‥下さい。‥‥ごめん‥‥ね‥‥」
ぶわっ!
吹き付けた風が灰を空へと舞い上げた。彼女の体は霧のように散って消える。
残ったのは指輪と、ナイフと紅いドレス。血に染まった悲しき花嫁衣裳‥‥。
「マリエン! マリエーーン!」
泣き叫ぶイアンを、愛する者に縋ることさえできない彼の慟哭を、ある者は目を背け、ある者は俯き、ただ聞いていた。
どのくらいの時が、経っただろうか‥‥。
立ち上がったイアンの姿に、冒険者達は顔を上げた。
そして‥‥
「やめなさい!」
「ダメ!!」
翠漣が彼の腕を押える。レムリィの手のナイフは一瞬前、彼の手に握られ、数瞬後、彼の胸に刺さる筈だった。二人が止めなければ。
彼は訴える。
「俺は、約束したんだ。ずっと一緒にと‥‥マリエンを失い俺には、何にも残ってない。だから‥‥だから‥‥」
「何にも残ってないなんて嘘! 彼女と死んで満足? でも、彼女をバンパイアにした奴は同じことをまた誰かにして、君と同じ思いも他の誰かにさせるんだよ? 生きて、それを止めなきゃ!」
「残される者は辛い。でも、大切な人を残して逝かなければならない彼女も同じ‥‥これ以上彼女を哀しませないで」
「人の死は最後じゃない。死んだ人はそこで終わるかもしれないけど残された人の思いに残る。マリエンさんの時は今じゃ貴方の記憶にしかない。貴方が死んでしまえばその時が消えてしまいますよ?」
女達の言葉が正論だと胸のどこかは知っている。だが、まだ‥‥思いを捨てきることができないのだ。
苦しみからの開放を‥‥。
「たとえ浄化しようとも、おぬしの愛した想いは消えぬ、故に生きろ」
穏やかな零幻の声に顔を上げたイアンは、ふと気付いた。
竪琴の優しい調べ。横笛の透明な音が静かに添って鎮魂の歌を歌う。
マリエンが消えてから何も感じたことが無かった、凍てついた心が溶けていくのを感じる。
(「許してくれるか、マリエン。約束を破る俺の事を‥‥」)
(『ごめんね。イアン‥‥』)
イアンは身体を起こしマリエンのドレスを抱きしめた。
その顔は笑顔ではない。
でもピアは感じていた。
彼は生きている‥‥と。
遺体さえ残らぬ犠牲者達にレインは花を手向ける。思いを込めて‥‥。
「はは‥‥駄目ですね。冒険者なのに。こんなことでは‥‥」
頬を伝ったものを袖で拭いながら彼は、笑顔を作って見せた。
「別に構わないさ。当然だろう」
マナウスは空を仰ぐ。
春色の明るい太陽の光が溢れているが、残るやるせない思いを照らしてはくれない。
「今回の事件の元凶は別にいるのですよね」
「おそらくは‥‥な」
仲間の回復を済ませた零幻は頷く。
「許せません。どうしてこんなに酷い事を‥‥」
彼女達に呪いを与えながら、姿さえも現さなかった遠い敵にレインは思いを握り締めた。
「真の敵は、どこに‥‥」
それを知っていた者は今は無く、彼らに知る術は無い。
人の命を、幸せを奪い、踏みにじり、心さえ支配するバンパイア。
だが‥‥彼らは思っていた。
最後まで牙をイアンに向けることが無かったマリエン。
彼女が最後に呼んだ存在はきっとイアンであったと。支配は完全ではないと。
その最後は幸せであった‥‥と。
幻想かもしれない。
だがそう思うことが少しだけ、彼らの心を慰めてくれるのだった。
『貴方にとって強さとはなんですか?』
冒険者の言葉が胸に残る。
自分の強さ、それはマリエンだったとイアンは思う。
幸せ、喜び、守りたい、守ろうとする思い‥‥全てがマリエンだ。
彼女を送ったら、家族と共に眠らせたら、彼は旅立とうと決めていた。
『君と同じ思いも他の誰かにさせるんだよ? 生きて、それを止めなきゃ!』
旅で手に入れた生きる目的に、と‥‥。
「‥‥戻らぬ。消えたか。マリエンよ」
暗い城の中、呟く声に感情は無い。あるとしたら玩具を失った少しの苛立ち。
だが、それも即座に消える。
十分に遊んだ。
次の玩具で楽しめばよい。
静かな笑みが暗闇に浮かんで消えた。