●リプレイ本文
それは穏やかな日の穏やかな旅路‥‥。
「最近物騒な依頼ばっかりだったので、たまにはこういうのも良いですねい‥‥ん!」
「‥‥何かいる!」
伸びをした水野伊堵(ea0370)の横でミリート・アーティア(ea6226)が弓を構えた。その声に冒険者達は歩みを止めて横を彼女達の目線の先を見る。
「どうかしたのか?」
キット・ファゼータ(ea2307)は素早く側について自分より背の高い少女を庇う。微かな緊張感が冒険者の間に走るが、それは直ぐに消えた。
カサカサカサ‥‥モコッ!
「〜なあんだ、兎かぁ。‥‥ゴメン、皆。草むらで何かが動いたような気がしちゃって‥‥。駄目だよ。こんな所に出てきちゃあ。食べちゃうぞ♪」
がお〜! 子供に怒るようなミリートの優しい唸り声に、兎は背を向けぴょん、と森に消えた。
「‥‥優しいな。あんさん。うん、近くに変な気配はないで!」
頭上のイフェリア・アイランズ(ea2890)の声に先頭を行くギリアム・バルセイド(ea3245)とエヴィン・アグリッド(ea3647)は頷き手で軽く合図をした。
「何か、あったんですか?」
馬車の中からかかった少年の声にアクテ・シュラウヴェル(ea4137)は大丈夫ですわ、と笑って首を振る。
「心配はいりません。今、出発しますわ」
中に座る婦人と青年を気遣うように李彩鳳(ea4965)も声をかける。
「お疲れでしょうが頑張って下さいね」
「はい‥‥」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけいたします」
「これが、僕らの仕事です。お気遣いは無用ですよ」
夫人の労いにケンイチ・ヤマモト(ea0760)はにっこりとした。彼の笑顔には人を安心させる何かがあるようだ。馬車の二人が顔を中へと戻し、再び歩き始めた時、彼は隣を歩くセレス・ブリッジ(ea4471)と優しい笑みを交わしていた。
「仲間とまた、ご一緒できる機会を頂いた事は嬉しいですわね」
「次に会うのは同じ依頼を受ける時だ、って思っていたからね。会えて嬉しいよ」
そう言ってアリシア・ハウゼン(ea0668)は後方を見た。アルノール・フォルモードレ(ea2939)が案内役の少年と話をしながら馬車の横を歩いている。
アルノールも、そして少年もまた『仲間』であった。
「僕も嬉しいです。まだ、皆さんと肩を並べられる訳では無いですけど‥‥」
「こ〜ら、焦るんじゃないよ。あたしが言ったこと、忘れたのかい。フリード!」
明るい怒り声に彼フリードは振り返り、嬉しそうに笑う。
「フレイアさん‥‥」
「よ、相棒、元気にしてたか?」
「はい!」
「そうかい? そりゃあ良かった」
全開の笑顔と快活な返事に、フレイア・ヴォルフ(ea6557)も笑う。嬉しそうなどこか誇らしげな笑顔だ。
「春‥‥かぁ。たまにはいいものですね。こういうのも‥‥おや、どうしたんです? レインさん、何か考え事でも?」
「いえ、何でもないんです‥‥」
顔を心配そうに覗き込んできたアトス・ラフェール(ea2179)にレイン・シルフィス(ea2182)は首を振る。その表情は微笑であるが何か、思案と呼ばれるものを湛えている。
「何でもないという顔ではないようですが‥‥ふむ、今回は顔見知りの方が多いようですね。どのようなご関係なのか伺っても宜しいですか?」
たおやかな物腰のアトスは聞き上手で‥‥いつの間にかレインはかつて出会った少女と、彼女を巡っての思いを聞かせる。
「‥‥なかなか面白いお話ですね」
話しながらレインの頭にはかつて受取った二通の手紙と、銀の影が過ぎっては消え、消えては過ぎった。
(「僕は‥‥何をしたいのか。何をするべきなのか。彼女に会ったら‥‥」)
彼は、思いを馳せる。もうじき会える愛しき者に。
その足元で青いブルーベルの花がまるで音を鳴らす鈴のように優しく風に揺れていた。
馬車を最初に見つけたのは境石の側で遊んでいた子供たちだった。
「あっ! 誰か来るよ」
「ぼーけんしゃさんたちだ。フリードもいる!」
「俺、村長に知らせてくるから〜」
「おかえり〜フリード。あ、おにーちゃん♪ あそんで♪」
子供たちは冒険者達に駆け寄って足元や、腕にからみつき、しがみついた。
冒険者はそれを笑顔で受け入れた。ギリアムはその強い腕でよいしょ! っと子供を抱き上げ肩車をしたりする。
「ズルイ〜、僕も〜」
「よっしゃよっしゃ〜、じゃあおねいさんがだっこしてあげようねえ〜♪」
せがむ子供を背後から伊堵は一気に羽交い絞めた。
じゅるる、と不気味な音が聞こえたような気がして、子供の顔が『え゛?』という思いを浮かべかけた時。
現れた人物に伊堵も一時、その目を、動き止め、戻した。
明らかに急いで、いや息を切らせて走ってきたのであろう少女がいる。銀の髪が額に張り付いていて‥‥荒い呼吸を整えて彼女は呼びかけた。
「皆さん!」
「‥‥ベル!」
そう答えたのは誰かは解らない。だが、初めに彼女に近づいたのは、触れたのは金の髪の吟遊詩人だった。
「レインさん‥‥」
「元気そうだね。嬉しいよ」
額にかかった髪を払うレインの指の感触に、破顔したような彼の笑顔に、ベルは俯いた。真紅に染まった顔が下を見て、また上を向く。
頬は赤いが冷静さを顔に乗せて。
「皆さん、ようこそいらっしゃいました。‥‥そして、ありがとうございます」
「やはりベルはこっちにいて正解だ。輝いて見える」
ギリアムが笑いかけたベルの後ろから、男性がゆっくりと現れた。何人かは彼がこの村の長であることは知っている。
「お帰り、フリード。道中何も無かったか?」
「ただ今戻りました。何度か獣は出ましたが滞りなく‥‥」
「そうか」
村の子を優しい眼差しで見つめた後、彼は改めて冒険者と、そして馬車に向かって手を広げた。
「ようこそ、我が村へ。幾度と無くお世話になり‥‥そして大事なお客人の護衛を頂き心から感謝しております。何もありませんがごゆっくりなさって下さいませ」
「ううん! こういう自然がイッパイ、とってもほのぼのな場所って大好きなの♪ こっちこそよろしくです!」
ニコと笑うミリートの明るい声が固くなりかけた場を明るく照らした。嬉しそうに笑うと彼は改めて頭を下げた。
「村全体が皆様を歓迎いたしましょう。さあ、どうぞ」
それは馬車から降りた貴婦人と、息子。そして冒険者達へと間違いなく贈られた‥‥感謝の言葉である。
「これは、宿代代わりね」
ドン! 音が響きそうなほど大きな野豚をフレイアは差し出す。おお、というような歓声が聞こえてきた。
「野営にね、迷い込んできたんです。春だから寝惚けたのかもしれませんね」
しっかりとした警戒のあった旅。彼らを脅かしたのはこの程度の敵で無論、彼らの敵ではありえなかった。どうぞ、アトスの促しに村の婦人たちが料理を作る。
そしてその夜は、宴会となった。主菜は冒険者が捕らえた野豚に、屠られたチキン、春野菜にパンに、スープ。エールは無いが蜂蜜を使った甘菓子もあって思わず冒険者達からも声が上がる。
「‥‥今宵はどうぞお楽しみ下さい。皆も、一時の疲れを晴らし明日からの英気を養うが良い」
歓声と共に宴の幕が開いた。
「ええモン喰って、でっかくなるで〜! いっただきま〜す」
早速料理に手を伸ばした者もいる。キットやミリート達は家庭料理の数々に素直に舌鼓を打った。
「これ、美味しい。アトで教えてもらおっと!」
「エールは無いんですね。こういう宴に酒が無いのもちと、寂しい気が‥‥」
アトスは持参のドライ・シードルをちびちびとやりながら呟く。
「まあ言うなって」
彼の言葉が聞こえたギリアムは肉に手を伸ばしながら苦笑した。‥‥あの時、あのエールが無かったら、きっと自分は今、ここにはいなかった。
村や、彼らの運命もまた、違ったものになっていた筈だ‥‥と。
子供たちにまとわりつかれていたレインはふと顔を上げる。
視線の先には村長の側、主賓と呼ばれる席に座る貴婦人と少年。そして彼女らに甲斐甲斐しく仕える少女とその父‥‥。
「‥‥ベル」
「レインさん」
遠くを見ていた眼差しと思いがふと、戻った。竪琴を抱えたもう一人の吟遊詩人ケンイチがレインに声をかけたのだ。
「良ければ一緒に何かやりませんか?」
「ええ、喜んで。皆とも、約束したしね‥‥」
わ〜い、子供達が膝を抱え地面に座る。彼らと、村人達と、冒険者の視線を集めて二人は竪琴をかき鳴らした。
〜♪〜♪
弾かれる曲は優しい春の調べ。全体を包み込むような音楽に、彼らは聞き入った。
「‥‥奥方様、お加減は大丈夫ですか?」
「ええ‥‥大丈夫です。ここは、良い村ですわね」
嬉しそうに目を細めて婦人はニコニコと笑った。
「そう言って頂けると嬉しいです」
アルノールには言えない答えを告げたのはベルの‥‥義父セイン。ベルもニッコリ微笑んだ。
「お二人とも‥‥元気そうで幸せそうで何よりですわね」
「はい‥‥」「はい」
そう答えられるまでにどれほどの思いがあり、苦しみが彼らにあったのか彩鳳でさえ全てを知ることはできない。
だが、返事があることを彩鳳は心から嬉しいと思っていた。
「フリード‥‥最近はどうしているんだ? 冒険者を目指して、何かやっているのか?」
宴会の最中、給仕役に忙しく動いていたフリードは、尊敬する冒険者の一人に声をかけられ、少し困ったような顔を浮かべた。
「父さんと、まだ‥‥ケンカ中で‥‥でも弓の練習をしたり、身体を鍛えたりはしています。夢は‥‥諦めていませんから」
「‥‥そうか‥‥」
真っ直ぐな視線の奥に光る意志に、エヴィンは小さく笑って頭を撫でた。
「冒険者にはいろいろな出会いがある。いろいろな奴もいる‥‥」
「はい‥‥」
「お前はちゃんとした冒険者になれ。あいつのようには‥‥なるんじゃないぞ」
(「あいつには杞憂かも‥‥しれないが‥‥な」)
言うと彼は立ち上がってツカツカと歩き出した。
「エヴィン‥‥さん? 何を?」
「‥‥冒険者には秘密もあるんだ」
その先には‥‥不思議な声と、弱々しいような‥‥声?
「ヴェ〜ル君〜。ほら、ホッペにパンくずがくっついているわよ〜ん。とってあげる。べろ〜ん」
「わっ! 伊堵さん、大丈夫です。自分でとりま‥‥えっ?」
ゴキン!
覆いかぶされる直前の伊堵の身体がそのままヴェルと呼ばれた貴族の少年の膝に落ちる。
「‥‥粛清」
無言で通り過ぎた騎士の邪笑にヴェルは目を瞬かせるが、倒された伊堵の方は柔らかい少年の膝の上。
「‥‥これはこれで幸せかもおぉ〜〜」
と思ったとか、思わないとか‥‥。
そんなこんなで楽しい宴の夜は更けて行った。
農村の朝は早い。
昨晩、村人達と楽しい時間を過ごした冒険者達は、少し寝ぼうして、日が上ってから目を覚ました者が多かった。
「皆さん、おはようございます」
「‥‥ん‥‥おはようさん。何を見てるんかいな?」
目を擦りながら聞くイフェリアにあれ、とヴェルは指を指した。その指の先を見つめミリートは黄色い声を上げた。
「うわ〜、羊さん。もっこもっこ。か〜わいい♪」
ちょこんと座った羊が、フリードと父親の前に座っている。それは確かに可愛くて、アリシアも微笑むが‥‥そこから先は見事な職人仕事。驚きに目が丸くなった。
内腹から真っ直ぐ下に向けてはさみが入れられる。そこから今度は仰向けに寝かせて両脇腹、腕、背中というように毛皮を刈って、といより脱がせていく。
ころん、ころんと右左。転がされた羊は、やがて自分の身体よりも大きい毛の中に、ほえっ、と佇む。
「‥‥お前は終わり! ‥‥あ、皆さん。そんな所にお揃いで‥‥そんなに珍しいですか?」
くるくるくる、刈った毛を手足の所を使ってフリードは器用に丸めると、見つめる冒険者達に笑いかけた。
「ええ、とっても興味深いですわ‥‥、ちょっと私にもやらせて頂けませんか?」
アクテの言葉に軽く父の方を一瞥し‥‥いいですよ。とフリードは明るく手招きをする。申し出たのはアクテの他に、アルノール、アトス、レイン、フレイア。
「僕も‥‥混ぜて貰えますか?」
腕を捲くりながらヴェルが柵を越えてきたのを見て、貴婦人は小さく笑った。止めはしないのでアリシアと彩鳳も側で見守る。
「レインさん、勝負しましょう。どちらが‥‥相応しい人間か‥‥」
ヴェルが囁いた声は小さく、多くの人間には聞こえなかった。レインはだから、相手にだけ聞こえる言葉で返す。
「解りました。負けませんよ‥‥!」
二人のそんな会話を気付く由も無く、フリードは冒険者達の前に小柄な羊を一匹連れ出した。
「いいですか? まずは羊を座らせて‥‥首元から真っ直ぐに、‥‥そうです」
「ふむ‥‥こうやって逆方向に皮を引っ張る感じで刈っていけば‥‥これなら何とか‥‥」
力のあるアトスは羊を片手で押さえ、片手で刈っていくコツを思ったより早く覚えた。
だが、そうはいかないもの達が何人か‥‥
「う、うわ〜〜、ちょ、ちょっと待って下さい〜〜、お願いだから動かないで〜〜」
「ひ、羊の毛って、身体って‥‥お・重いんですね‥‥わあ〜」
フリードが軽々とやっていたので甘く見ていたのだろう。だが細腕の吟遊詩人と、白い腕の貴族の少年は、あっさり、見事に羊に暴れられ、押えられずに‥‥逃げられた。
「見届け人でもしようかと思ったが‥‥こりゃあ無効試合だな」
柵に背を預け笑うギリアムの視線の先には右と、左の頬にお揃いの偶蹄目スタンプを貰った二人の青年がいる。彩鳳の応援も小さな苦笑に変わった。
「あらあら、『迷』勝負ですこと‥‥」
さてさて、こちらではフリードが羊の首元を押えて危なっかしい手つきのアルノールを促した。
「押えていますから‥‥頑張って!」
「うん‥‥ありがとう、でも‥‥うあっ!」
げしっ! 何とか途中までハサミを進めたところでアルノールも服に足跡を貰う羽目になった。
「‥‥羊に舐められたみたいです。僕‥‥ぐっすん」
逃げた羊を追い込むアルノールの様子も、見つめる者達の目には楽しい。
「‥‥フレイアさんはお上手ですね」
「っと、まあね‥‥」
褒められたフレイアは照れたように笑う。その奥では不思議なほど大人しく、羊がアクテに毛を刈られていた。
「‥‥どうしてアクテさんには羊が大人しいんです〜?」
よろめきながら愚痴るレインにアクテはさあ? と笑ったが‥‥目線の先で押える羊に彼女はぼそっと呟く。
「‥‥大人しくしていませんと、ヒートハンドで焼き印しちゃいますわよ」
笑顔が怖い‥‥。意味が通じたかどうかは羊しか知らないが‥‥ともかく、アクテの前では羊は思いの他静かだったようだ。
「この毛を洗って脱脂して毛糸や、布や、糸にするんですよ。これがちゃんと使えるのはもう少し先ですね」
分厚い毛はふわふわで、外は汚れているが中は純白。
「毛糸というのは、羊からこのようにしてできるものでしたのね‥‥」
浮世離れしたような口調の貴婦人の言葉に冒険者は苦笑するが‥‥でも、半分は実は同感でもある。
裸になったような羊達、積み重なっていく上着、そして‥‥これが糸になり服になる。それを想像するだけでも何故か胸が子供のようにワクワクしていたのだ。
「さてと、どこに行こうか‥‥」
のんびりと手を上げて伸びをしたキットはゆっくり静かな田園を歩いていた。
「羊が草を食む‥‥か‥‥ん! どうしたんだ?」
さっきまでとは倍のスピードで彼は駆け出し、一匹の羊の前にしゃがみ込む。
羊の一匹が突然足を折るようにしゃがみ込んだのだ。ただ事ではない!
唸るような羊の顔を見て、おなかの具合でも悪いのか‥‥そう視線を動かした先で、キットは息を飲み込んだ。
「どうしたんですか?」
セレスと散策でもしていたのだろうか? キットと羊の様子に気が付いたケンイチが彼の側にやってきて声をかける。そして、羊の方を見て‥‥
「これは‥‥産気づいていますね。おや、もう頭が‥‥」
「どうしたらいいんだ? 俺‥‥解らないぞ!」
「私も解りません。とにかく、誰かを呼んできましょう」
「では‥‥私が」
「何か、あったのか?」
セレスが駆け出したのと入れ違うように、エヴィンが近づいてくるが‥‥状況を知ってもどうしたらいいか解らないのは同じこと。
無言で自分のマントを下に敷くのが精一杯だった。
「大丈夫か‥‥しっかりしろよ」
繰り返し苦しげな声を上げる羊の腹をキットはそっと撫でた。
「来ました! ‥‥あっ!」
大急ぎで走ってきたベルとフリード、そして冒険者達の目の前で今、一つの命が生まれようとしていた。
「くそっ、片足しか出てない‥‥。キットさん、その足を持って下さい! 手の開いている人は母羊を押えて下さい!」
腕を捲くったフリードの声にキットは頷いて細い足を握った。力のある男達が母羊の身体を強く押し付けない程度に押えた
「引っ張って!」
フリードの手が羊の頭と、足を引き出して‥‥一度、そしてもう一度引いたキットの手の中に新しい命を飛び出させた。
トクン!
小さな心臓の鼓動を腕に感じる。
「‥‥あっ」
ベルに促され、マントの上、母親の目の前にキットは羊膜に包まれた小羊の身体を置いた。母親はよろめきながらも子供に近づき‥‥羊膜を舐め取る。
やがて‥‥ゆっくりと、ゆっくりと羊は足をよろめかせながら立ち上がった。母親の乳を探る子供。子供を抱きしめるように匂いを嗅いで側による母親。
「‥‥どうしたんです?」
その光景に涙した者がいた。それはベルであったかもしれない。母夫人やヴェルであったか。それとも‥‥
「なんでもありませんわ‥‥」
「‥‥命は一つだ。その手に掴めるものはそう多くない。だから‥‥」
言って顔を背けたアリシアやキットであったかも。だが、その光景を見た者はどこか神聖で‥‥眩しいと感じずにはいられなかった。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもの。もう明日は帰る日だ。
「お休み貰ったんです。皆さん、ピクニックに行きませんか?」
ベルの誘い。冒険者には、誰一人首を横に振る者はいなかった。
村の子供達も誘って、お弁当も一杯持ってゆっくりと、彼らは春の草原を歩いた。
野原は緑、森も緑。若葉が美しく輝き、花は足元に無数に揺れる。
「あはは♪ こんなに大人数でのピクニックは初めてになるや♪ なんだか不思議な感じだね♪ みんなでお弁当食べようね♪」
スキップするミリートのリズムに合わせるようにケンイチは竪琴を鳴らした。明るい牧羊歌などが合唱されると気分も沸き立ってくる。
綺麗な道とは言えないでこぼこ道。でも‥‥彼らの心は間違いなく、萌える緑よりも輝いていた。
「よ〜し、到着〜! 昼間までここで休憩な」
まるで引率の教師のようにギリアムが声を上げる。広い丘陵の野原の思い思いの場所に彼らはある者は座り、ある者は背を伸ばした。
遠くで歌うレインの楽しげな声ここまで聞こえる。
う〜ん、と真っ先に寝転んだのはフリードで、その横にフレイアは、すっ‥‥と腰を下ろした。
「あっ‥‥」
「いいよ、寝てな」
その言葉に従わず、フリードは身体を起こし彼女の方を見た。その純粋な瞳に映る自分の顔に気付いてフレイアはクックと笑う。
「どうかしたんですか‥‥」
「別に、何でもないよ」
そう、まだ言う必要の無い思いだ。これは‥‥
「冒険を始めて何か、困ったことができたらおいで。あたしでよけりゃ、いくらでも話きいてやるからな?」
明るい口調でフレイアは笑った。姉御っぽく、自分らしく。
「はい!」
元気な返事にちょっと意地悪をするのも忘れない。
「ダガー、ちゃんと持ってるだろうね。お揃いだったりする‥‥無くしてくれるなよ?」
「お、お揃い?」
顔を赤らめるフリードの横から立ち上がったフレイアの様子を見ていたのだろうか? 同じ紅の月の晦が十三夜に声をかける。
「最近は旅団員のコイバナが多いなぁ‥‥イテ! 何するんだよ!」
「生意気言うんじゃないよ! そんなの十年早い!」
でこピン一つ。まるで姉弟の会話のように彼らは小さく顔を見合わせ、楽しそうに笑っていた。
伊堵は、今の所優しいお姉さんのように見えていた。
「いいかい。これが鬼ごっこよ。じゃあねえ〜お姉さんが鬼。さあ、皆逃げるのよ〜」
「うん!」
「わ〜い!」
「いい、坊や達は私に捕まらないように逃げるのよ? そうしないと‥‥おねいさん‥‥フフフフフ‥‥」
最後の注意を聞くより早く、子供達は駆け出した。だから、聞いてはいない筈だ。側に最後までいたヴェル以外には‥‥
「あ、あの‥‥?」
「あら、ヴェルく〜ん。早く逃げないと、食べちゃうわよおん!」
(「ゾクッ!」)
「ハ・ハイ!!」
何故か背中を凍らせ脱兎の如く逃げ出したヴェルではあったが、か弱い少年が疾風怒濤の浪人に叶う筈も無く‥‥
「ヴェルくん、つっかまえた〜♪」
ブッチュウン!!
「わあっ!」
熱い〜濃厚なキスが頬に吸い付いた。ヒルのように離れない。やっと離れたと思ったら、今度は大きな唇は顔の中央その微かに下に移った。
「いっただきまああ‥‥えっ‥‥!」
伊堵のパラダイスを邪魔した小さな音はパキッ。音は木の枝を踏んだ音では勿論無い。
「み〜ず〜の〜!まだ懲りてないのか‥‥」
「うわあっ‥‥お助けぇ〜〜〜! ヴェルくん、またあとでね?」
「あ、おねえちゃん、僕こっちだよ‥‥あれ?」
鬼ごっこをしていた子供達は見た。鬼ごっこの鬼だった筈の人物が鬼の如き形相の戦士に追いかけられるのを。
でも、どこか二人とも楽しそうだったことを‥‥
寝転んだケンイチの頭に、ふんわり、優しいぬくもりが触れる。
「セレスさん‥‥」
「のんびり、いたしましょう。ケンイチさん」
柔らかい膝を枕にして彼はゆっくりと目を閉じた。
「ええ」
言いたいことは沢山ある気がする。やりたかったことも沢山。
(「でも‥‥これもいいでしょう‥」)
静かな時を二人きりで、春の日差しと花の中で。
へザーの薄紫の花が二人をそっと包んでいた。
森の一角に、小さく添えられたスノードロップの花。
フリードはこの場所を、思い出した。
「ここは‥‥」
祈りを捧げていた背が振り返り‥‥細い一本指がフリードの唇に触れた。
「春は‥‥美しいですわね。命、輝いて‥‥」
「アクテさん‥‥」
「貴方は森から命を貰ったのですわ。あの子達も、きっと強く生きることでしょう。フリードさん、貴方も負けずに」
ね? 微笑むアクテにフリードは頷いた。首のお守りが微かに風に揺れた。
「はい、お母様」
「ありがとう、ベル‥‥」
「バターカップとデイジーですか? 可愛いですよ」
アルノールに褒められた出来の花冠をベルは夫人の頭にそっと乗せた。
娘からの初めての贈り物に、夫人は心からの笑顔を返す。
この数日、二人はほとんどずっと一緒に過ごしていた。
母と娘、一緒にいられなかった時間を取り戻すかのように‥‥。
(「少し‥‥羨ましいですわね」)
アリシアは寂しげに微笑む。
まだ、夫人の心はどこか虚ろで‥‥思いが水のように漏れてしまう事もある。
‥‥それでも、それは幸せな時間だったろう。
「ベル、ちょっと、いいかい?」
「はい!」
立ち上がったベルはそっとお尻の草を払って夫人の頬に口付けるとエルフの青年の招きに応じた。
ヴェルは鬼ごっこ。冒険者達もそれぞれに時間を過ごす中で夫人はそっと目を閉じる。
風の温度、大地のぬくもり、風の暖かさ‥‥。
娘に会いたいと望んだ、願いは叶えられた。
今も、遠い夢の世界にいるような気がする‥‥でも。ある魔法使いは聞いた。
「生きがいはありますか?」
聞いた彼女は今、ここにいない。でも彼女は答える。
「子供達の幸せですわ」
もう一つ、武道家の提案にはまだ答えられなかったけど‥‥。
鮮やかな緑の森の中でベルと、レインは顔を合わせた。
「‥‥約束を、覚えてくれてありがとう。もう一度会えて嬉しかったです」
それは、心からの思い、心からの感謝。
ベルのそんな口調にレインは黙って首を横に動かす。
「僕も‥‥待っていたよ。ずっと‥‥この日の事を‥‥」
出会えたら、あれも言おう、これも言おうと思っていたのに、思っていた筈なのに言葉に出ない。
惑うレインに、ベルは微笑むとレインより、少し早く心を纏め‥‥そして言葉とした。
「私‥‥、貴方が好きです。尊敬し感謝し‥‥そして、一人のレインさんとして貴方が好きです」
「ベル‥‥」
ホンの一瞬待って、ベルは言葉を繋ぐ。
「フリードは冒険者になると言いました。ヴェルさんは、まだ遠い人‥‥そして、さらに貴方は遠い」
「僕は、旅を続ける者‥‥時に危険に身を晒す者。それでも、この思いは消せない。‥‥君を好きであるこの想いを‥‥」
ぎゅっ。レインは愛する者を強く抱きしめる。彼女は少しだけ、心と思いを揺らしたが‥‥抗わなかった。レインに頬を寄せる。
彼は今、冒険者、レイン・シルフィスとして答えなければならない。
「僕は、君の側にずっと一緒にいることはできない。そういう形の愛もあるけど‥僕にはまだできない。でも‥‥」
深く深呼吸をしてもう一度、ベルを彼は抱きしめた。自分の思い全てを彼女と一緒に。
「一緒にいるだけでは無い‥‥愛を作ろう。僕を信じて欲しい‥‥僕の歌は‥‥遠くからでもいつも君に届くように祈っているから‥‥」
そう言ってレインは手を、一瞬緩めた。見えなかったベルの表情を確認する。
彼女の返事は無い。どこか不安の入り混じった、それでも笑顔で‥‥彼女は頷いた。
手のひらが、指先が重なる‥‥そして‥‥。
未来は見えない。何が起きるかも‥‥。
最初の時とは違う‥‥痺れるような熱と‥‥そして微かな苦味が唇に、心に広がっていく。
(「僕は‥‥この愛と思いを守れる男になりたい‥‥」)
「このお弁当。おいしいでぇ〜」
「村のねえ、おばさんに教えてもらったのお。美味しい?」
ミリートの広げたお弁当をイフェリアは小さい身体のどこに、と思うほど口に運んでいる。
「アーモンドの花が、綺麗ですね‥‥」
呟いたアルノールの膝の弁当の上に白い花びらが落ちる。
木はアリシアの思いを刻んで彼らを見守るように咲いていた。
母の世話を焼くベルを、ベルだけを見つめるレインを見つけてアトスは、フッと肩を上げて隣のアルノールに笑いかけた。
「何とかならないものですかね。薬草師の力で惚れ薬なんかは作れないんですか?」
「作れる筈無いですよ‥‥。いいんですよ。彼らはあれで‥‥」
苦笑したアルノールはそれでも、大事な仲間達を優しく、優しく見つめていた。
翌日、虹のような、薔薇のような、美しいお土産が彼らの前に並んだ。
「ただの、手袋ですけど‥‥皆さんが刈った毛糸はいつかこうなるんです。だから‥‥」
だから、で、ベルの言葉は止まった。涙を必死に堪えているのが解る。
レインはそっと彼女に近づきふわりと握り締めたリボンを銀の髪に飾る。
「綺麗だよ。ベル‥‥」
「レインさん‥‥」
彼女の涙は、手の中に握り締められた贈り物の上にぽとんと落ちた。
「‥‥また来ますわ。貴女達に、動物達に、毛糸に‥‥そしてこの村に会いに‥‥また」
「はい‥‥待っています」
「今度こそ次に会う時にはお互い同じ立場で」
アルノールと約束しあった少年の服の襟に小さなハートのタリスマン。その輝きを見て彩鳳は小さく微笑んだ。
「いつか、またお会いしましょう」
「‥‥えっ!」
唇に触れた微かな風にフリードの頬が赤くなったとほぼ同時、冒険者達の守る馬車は動き出した。
懸命に手を振る少年と少女。村人達。
そして、冒険者達。
そのどちらもが‥‥姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「随分、大胆ですね」
帰り道、彩鳳はレインから本音半分、苦笑と関心半分の言葉を受けた。
「あら、見てたのですか? あれはおまじないですわ。また会えますように‥‥って、レイン様の方こそ大胆で‥‥」
「離れていても育つ愛を捜すのでしょう? 殿方ならもう少し押しても‥‥」
「‥‥女を待たせるんだ。もう少し強さでも見せろ」
「でも僕は‥‥って‥‥え゛ 大胆って、離れてもって‥‥ええっ!」
その時、レインは気付いた。周囲の自分を見る微笑がどことなく優しく、生暖かいことを‥‥。
「彩鳳さん、エヴィンさん、アリシアさん‥‥まさか、聞いてたんですか? 見てたんですか? 一体どこでぇええ?」
「娘をお願いしますわ」
「駄目ですよ。お母様、まだ、勝負は‥‥」
「この為に忍び足の練習をしたようなモノだ。レインの恋路を見守る会を舐めちゃあ駄目だぞ」
「ただいま、会員募集中ですわ♪」
「なんですか? 一体それはああ〜〜!」
青い空に響く、レインの声に答える声は無い。
だが、空から舞う白い花びらは満開に咲き乱れ、未来に向けて、彼の代りに春風と共に未来に向けて幸せの歌を歌っていた。