【6月の花嫁】父親を探して

■ショートシナリオ


担当:夢村円

対応レベル:3〜7lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 64 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月27日〜07月02日

リプレイ公開日:2005年07月05日

●オープニング

 キャメロットの街に仕立て屋がある。
 小さいが腕のいいことで評判の店だ。だが、今日は休業中の札が店にかかる。
 中に人はいるようだが。
「いよいよ、10日後には結婚式だね。クラリッサ」
「ええ‥‥、ドレスももうすぐ完成。貴方とお義父さまの分はもう出来ているのよ。ほら」
 細かい縫い目で仕立てられた礼服が並べられた。
「こっちがお義父さまので、こっちがリリック。貴方のよ。ベルトは瞳の色に合わせたの。お父さまは蒼、貴方は緑ね」
「さすが‥‥君の洋裁の腕はお母さん譲りだね。これを着て君と結婚できるなんて幸せだよ」
 小さな仕立て屋の店の中、恋人達は微笑みあった。
 結婚式目前、今が一番幸せな時。
「お母さんにも、見せてあげたかったわ。私の‥‥花嫁姿。私の親族は誰もいないから‥‥」
「エルリック父さんは路頭に迷っていた母さんと、連れ子だった僕を救ってくれた優しい人だ。きっと仲よくできる。僕も父さんから受け継いだ代書屋の仕事で十分とは‥‥言えないけど蓄えもある。君を必ず幸せにする。新しい家族を、一緒に作ろう」
「ありがとう。ずっとみんなに祝福されて花嫁になるのが夢だったの‥‥だから、嬉しいわ」
「子供も沢山作ろう。お母さんそっくりの君によく似た可愛い子がうまれるよ」
 結婚式はささやかだけれど、友人も集まる。きっと楽しい式になるに違いない。
 ただ、一つ‥‥ 
「あれ? 男物の礼服が三着? 僕のと、父さんのと、あとは誰かの注文でも受けたのかい?」
「あ‥‥これは‥‥何でもないの」
「そ‥‥う?」
 彼は、それ以上は聞かないで部屋を出た。
 愛する者に、一つだけ心からのキスを贈って。

 
「もう直ぐ、結婚式? そりゃあ、おめでとう」
 ギルドを訪れた娘に、係員は素直な祝福を贈った。金髪蒼眼の美しい少女だ。
 ありがとうございます。と頭を下げた後彼女、クラリッサはあの、と言葉を続けた。
「それで‥‥その結婚式までに探して欲しい人がいて‥‥ここに依頼に来たんです」
「探し人? 誰だい? そりゃあ?」
 探し人の依頼は別に珍しくも無い。結婚式前ということは、それまでに探して欲しいということかな?
 そんなことを考えながら書類の準備をする係員だったが、流石の彼もクラリッサの次の言葉には眼を見張った。
「私の、お父さんを捜して欲しいんです?」
「お父さん? 父親が家出でもしたのか?」
「いいえ‥‥あの、私のお母さんは‥‥その、昔‥‥娼婦で‥‥恋人とか沢山いて‥‥」
 躊躇いながらも、決意した口調で彼女はカバンから数枚の羊皮紙を差し出す。
 それには沢山の男から、美しい娼婦への愛の言葉が情熱的に綴られていた。
「なになに? 『我が愛する薔薇よ。返事をありがとう。君の美しさにはこの手紙と共に贈る赤い薔薇さえもかなうまい‥‥』うわあ〜、熱いなあ」
「私を妊娠して‥‥お母さんは娼婦を辞めて‥‥小さな仕立て屋を始めました。そして、女手一つで私を育ててくれたんです。働きづめで‥‥昨年亡くなったんですけど‥‥」
 幼馴染で、悲しい時支えてくれた恋人リリックと結婚する。
 彼も母親を早くに亡くした寂しさを知っている人だ。
 結婚に迷いはないし、幸せになれると思う。
「だけど! 結婚式が近づくにつれて思ったんです。私にはお母さん以外の家族はいなかった。家族に、結婚式に立ち会って欲しい。そして、おめでとうと祝福して欲しいって‥‥」
 家に残された手紙に残された名前は三つ。その三人のうち誰かが父親ではないかと、彼女は思うと続けた。
「でも、アンタが生まれる前ってことは20年は前だろう? その頃のことを調べるって言ってもよ‥‥」
「解っています。難しいということは。だから、居場所を調べて招待状を渡すだけでもかまいません。そして結婚式に来て欲しいと伝えてください」
 代書屋の義父に教わって書いたという手紙は、拙いものだったが彼女の思いだけはしっかりと込められていた。それを三本確認し係員は頷く。
「もし、誰も来なくても‥‥いいんだな?」
「はい」
「逆に三人共来たら?」
「その時は三人のお父さんに祝福してもらいます」
「‥‥解った」
 依頼の受領を確認し、クラリッサは頭を下げた。結婚式まで忙しい花嫁は家に戻るのだろう。
「依頼が終ったら冒険者の皆さんも良かったら結婚式においでください。私の友人はパン屋で料理が得意なので‥‥小さなパーティを開いてくれるそうですから。歌や演奏をしてくださると嬉しいです」
 伝えておく、と頷いたあと、一度だけ、係員は彼女を呼び止めた。
「なあ? 何か父親の手掛かりは無いのか?」
「‥‥お母さんが、よく言ってました。私の目元はお父さんにそっくりだって‥‥。みんな、私はお母さん似だっていうんですけどね。お父さんは、本当に優しい人だったって‥‥」
 彼女はその美しい瞳を笑みで飾って、もう一度お礼をして、去って行った。

 アレックス 貴族 45歳 銀髪、蒼眼 妻子あり 
 グレゴリー 商人 55歳 金髪、碧眼 やもめ 息子が一人
 ヘルムート 冒険者(戦士) 48歳 黒髪、黒眼 独身

「軽く、調べておいてやった。手紙を渡すのはこの三人。貴族と商人の二人はキャメロットに家があるし、ヘルムートも今はキャメロットの冒険者街に戻って来ている。渡すことにはそう問題は無いだろう」
 係員はそう言うと三本の依頼書をテーブルの上に並べる。
「ただ、事情が事情だ。話し方には気をつけろよ。下手に持っていくと結婚式に来てもらうどころじゃなくなるからな」
 相手のプライドを傷つけず、丁寧に話す必要がありそうだ。それぞれの事情も考えてやらなければならない。
「まあ、結婚式を台無しにしなけりゃそれでいいだろう。難しい話でもあるしな。彼女も解ってるさ。父親が見つかればそりゃあ一番だろうが‥‥」
 手紙をそれぞれに渡した後は、結婚式に花を添えてやって欲しいと係員は言った。報酬は少ないが、飲み放題、食べ放題だ。
「六月の花嫁。笑顔で幸せにしてやりたいじゃないか?」

 彼女の夢、彼女の願い。それを受け止めるために冒険者は依頼と、手紙を手に取った。 

●今回の参加者

 ea0693 リン・ミナセ(29歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea3441 リト・フェリーユ(20歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea5382 リューズ・ウォルフ(24歳・♀・バード・パラ・イギリス王国)
 ea5683 葉霧 幻蔵(40歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5981 アルラウネ・ハルバード(34歳・♀・ジプシー・人間・ビザンチン帝国)
 ea7641 レインフォルス・フォルナード(35歳・♂・ファイター・人間・エジプト)
 ea9644 ノルン・カペル(23歳・♀・神聖騎士・人間・フランク王国)
 eb0444 フィリア・ランドヴェール(21歳・♀・バード・エルフ・イギリス王国)
 eb2322 武楼軒 玖羅牟(36歳・♀・武道家・ジャイアント・華仙教大国)
 eb2373 明王院 浄炎(39歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)

●リプレイ本文

 6月に結婚すると幸せになれる。
 それは古い言い伝え。
 キャメロットの6月は花に溢れ、眩しいほどに美しい。
 ヒース、デイジー、降るように咲くエニシダ。野バラもあちらこちらに咲いている。
 しかし‥‥。
「幸せそうな貴方にはどんな花もかなわないわね」
 アルラウネ・ハルバード(ea5981)はそう言って目の前の若い娘に微笑みかけた。
「あの‥‥そんな‥‥」
 彼女、クラリッサの照れた表情もまた幸せ色をしている。
「‥‥自ら前に歩こうと決意する人を‥‥主は祝福なさってくれます‥‥私達にどうかそのお手伝いをさせて下さい」
 自分とは違いすぎる娘。だからこそ、彼女の為に力になりたいと思った。ノルン・カペル(ea9644)は丁寧に礼をとってそう告げる。
「手紙を届ける仕事は、間違いなく我々が請け負った。俺にも子供がいる。父親の立場として必ず役に立とう」
 真剣な目で明王院浄炎(eb2373)は告げた。
「よろしくお願いします」
 と頭を下げたクラリッサに、預かった招待状を見つめていた武楼軒玖羅牟(eb2322)は問いかける。
「だけどその前に聞いていいか?」
「はい、何でしょう?」
「あんたの、母親の名前は? あと髪の色と瞳の色」
 特に名前を教えて貰わないと、招待状も届けに行けないと続けられてクラリッサはあっ、と声を上げる。
 どうやら失念していたようだ。
「申し訳ありません。母の名はソフィア。私と同じ金髪と、瞳の色は緑だったそうです」
「では、クラリッサさんのその深みのある蒼い瞳は、きっとお父さん譲りなのですね」
 じっと見つめるフィリア・ランドヴェール(eb0444)の瞳も蒼だが微妙に違う。ソフィアの瞳は空の蒼の色。
 6月の空のような‥‥。
「お母さんはどんな方でしたか?」
 問われてクラリッサは少し、目を閉じた。母の思い出‥‥。
「とっても陽気で‥‥明るくて‥‥娼婦って仕事にも誇りと愛情を持っていたって言ってました」
「まるで、金色のバラか太陽のようだ、とよく言われていたよ。いるだけで周囲を明るくするとね。よく、ラブレターの返事への代筆を頼まれたものだ」
 男性の声に冒険者達は後ろを振り向く。そこには二人の男性が立っていた。
 栗色の髪に緑の瞳、心配そうな目を向ける若い男性と、彼よりも背の高い青い瞳の男性。
「リリック‥‥お父さま‥‥来て下さったんですか?」
 クラリッサが笑う。戸惑いながらも嬉しそうに。
「仕方ないよ。クラリッサが、そうしたいと言うのなら、反対はしない。最初から言ってくれれば良かったのに」
 そう言って花婿となる筈の青年は肩を竦めた。
 今まで、嫌われることが怖くて言い出せなかった秘密の依頼を、告白するように勧めたのはリト・フェリーユ(ea3441)だった。
「悪い事じゃないもの。会いたいことだけでも、言っておいたら? 秘密は祝いの日には向かないわ」
 彼女の言葉と、どうせ結婚式当日には解ってしまうとクラリッサは本当の事を全て、リリックと父親である人物に話し、協力を仰いだ。
「と、いうことは‥‥お義父さまもクラリッサさんのお母様、ソフィアさんのお知り合いで?」
 リン・ミナセ(ea0693)はさりげなく聞いた。エルリックと名乗った彼はああ、と頷く。
「代書屋をしていたからね。彼女の手紙の返事は私が大半書いたのだよ。手に入らないみんなの太陽。憧れていたさ‥‥」
「代書屋‥‥あの、お願いがあるのですが‥‥」
 思い出したようにノルンはリリックに手紙の代書を頼み、彼はそれを勿論引き受けた。
 手紙の内容を説明するノルン、それを書くリリック、母親の思い出話を語るクラリッサとエルリック、それを聞く冒険者。
 その様子をレインフォルス・フォルナード(ea7641)と鯨は黙って見つめていた。
「くじら?」
 つんつん、子供らしい興味でリューズ・ウォルフ(ea5382)はその巨大な鯨の着ぐるみをつついた。
 鷹揚に腕組みをしていた葉霧幻蔵(ea5683)はリーズの方に視線を降ろしてニッコリと微笑む。
「産地直送“くじらのゲンちゃん”、可愛いでござるか?」
「へん‥‥」
 がっくり。
 子供の正直な感想に幻蔵は肩を落とす。
「やっぱり。‥‥今回、拙者の出番あるでござろうか?」
 さすがの着ぐるみ忍者も流石に“まるごとホエール”を着込んだ奇人が、結婚式の招待状を渡しにいくのは、なんだかシャレにならないのは理解していた。
 彼にもまだ常識と言うものは存在する。
「さてさて、どうするべきか‥‥」
 花嫁に幸せな笑顔を。
 それは、冒険者全ての願いだった。

 事前に訪問したい旨を手紙で伝えていたことも成果を現したのか。
 男爵家の門は冒険者の前に開かれた。
 応接室に通されて暫し、透き通ったような青い瞳に小さな髭を鼻の下に持つ男性が現れた。
 今は、中年の影が感じられるが若い頃はさぞかし美男と呼ばれる人物であったのだろうと解る。
「私が、この家の当主、アレックスだ。何用かな?」
 相手を値踏みするような、確かめるような鋭い視線。だがノルンは一歩も引かない眼差しで完璧な作法で挨拶を返す。
「お初にお目にかかります。私はノルン・カペルと申します。この度は知人より、アレックス様に大事な用件を預かって参りました」
「知人とは‥‥彼女か?」
 届けられた手紙には差出人ノルンの他に一つだけ、別の名前も記されてあった。
 その名があったから、面会をしたようなものだ‥‥。
「はい‥‥」
 答えたあと、思い出したことがあり、ノルンは続ける。
「大丈夫です。奥方様とご子息ご息女に決してその話が耳に入ることはありません。今は多分、私の仲間が歌を聞かせて引きつけている筈ですので‥‥」
「知っているか‥‥だが脅しに来たわけではないのだな?」
 この時ノルンは初めて気がついた。彼から最初に感じた、射るように鋭い眼差し。
 それは、自分の過去を知る者を警戒していたということに。
「少し探れば解ることだが、私は貧乏貴族の次男だった。名家の一人娘に望まれて今の地位を手に入れた。故に私は他の人物なら、何でもないようなことにでも気を使わなければならない‥‥」
 独り言のように呟き目を閉じると、彼はもう一度ノルンを見た。
「何の用だ?」
 見るというより睨んだ目つきにノルンはスッと一通の手紙を差し出した。
「ある婦人が、昔お母様が貴方に大変世話になった事がある‥‥とおっしゃっていました。ぜひとも結婚式に来ていただきたい‥‥との事です」
 彼はその手紙を手に取り、封印を外した。
「ふん‥‥礼儀もなっておらぬ手だ‥‥」
 軽くおそらく二度、目を通したあと彼はその書を再び閉じて、ノルンの前に置いた。
「私には関係のないことだ。知らぬ人物の結婚式に私が出る義理も必要も‥‥無い!」
「どうか‥‥少しの時間だけでもいいのですが‥‥来てはいただけないのですか?」
「くどい! 用が終わりなら帰れ!」
 部屋を出ようとするアレックスの行動はしようとした、で留まった。
 人を払った筈の扉の向こうに誰かがいる。
 強く引き開けた扉の前には小さな少女が立っていた。一瞬我が子かと思ったが、それは直ぐに違うと解った。
 パラのバードは竪琴を構え優雅にお辞儀をする。
 そして扉を自分で閉じると呆然とするアレックスの前でその指を琴に滑らせた。
「昔〜昔〜 本当に愛し合っているカップルがいたの〜」
 アレックスもノルンも歌を止めたりはしなかった。
 黙って彼女の歌を聞いている。
「でも、身分違いの恋〜二人は引き裂かれた〜
 その後〜男はきらびやかな生活の中、闇を抱えて生き〜女は命を削るような生活の中〜それでも光を見て生きたの〜
 女には男のくれた美しい思い出と、男の面影を残した優しい娘がいたから〜
 優しい優しい愛があったから〜〜」
 音の後の沈黙を暫し確かめてから少女リューズは囁くように告げた。
「貴方は彼女も自分も許してあげて良いと思うの」
「‥‥私と、彼女の関係は‥‥そんなに美しいものではなかった。彼女は‥‥薔薇の花。その美しさには棘があり‥‥決して独占などさせては貰えなかった。彼女の心も私だけのものであった筈は無い」
 カツン! 靴音を鳴らして彼は部屋を歩いた。一箇所だけ寄り道をして扉をもう一度開ける。
「帰るがいい。私には関係の無い事だ‥‥」
「待って‥‥!」
 追いかけようとしたリューズをノルンは引き止めた。
 黙って指をテーブルの上に向けて指す。
 そこには何も無かった。さっきまで置かれてあったあの招待状も‥‥。
「後は、ご本人に任せましょう」
 リューズは竪琴を持ち直し、小さく頷いた。

「えっと、ここがグレゴリーの宝石店ね‥‥あら、なかなかいい店じゃない」
 奥に工房を擁するその店の表面はなかなか趣味の良い装飾がなされていた。
「綺麗な装飾品がいろいろありますね」
「あ、これステキ、買っちゃおうかなあ?」
 アルラウネにリト、フィリアは流石に女性。綺麗な宝石や装身具を見て楽しそうではあるが、付き添いの浄炎はどこか手持ち無沙汰だ。
「何か、お探しですか?」
 声をかけてきた青年に違うと解っているがリトは聞いて見る。
「あの、貴方はグレゴリーさんですか?」
 いいえ、と彼は苦笑しながら息子で、この店の店主だと答えた。
「父は仕入れ専門なんですよ、何か御用なら呼んできますけど‥‥」
「お願いしたいです」
「解りました」
 奥から呼び出された人物の顔を見て、息を呑んだ。
 冒険者達はなんと言っていいのか正直とても困っていた。
「私がグレゴリーですが‥‥何か?」
 金髪、と情報を貰っていた。だが、それはもう確認できないほど後ろに後退し頭は、半分以上光を弾いていた。
 体型はやや太め、いや肥満体。膨れた腹を手で擦るが、それでも目にはまだ現役の力が存在していた。
(「目元が似ている、と言えば似ているでしょうか? でもあまりにも違いすぎて解りませんね」)
「お嬢さん、何かお探しですか? 美しいお嬢さんにはこのような‥‥」
 仕入れ専門とは言ってもそこは店を大きくしたやり手の商人だ。
 口の上手さにリトが丸め込まれる前にアルラウネはそうなの! と明るく声を上げた。手を頬にやってニッコリ笑う。
「結婚式に招待されたのよ。ジューンブライドなの。だから私も幸せにあやかりたいしね」
「お祝いに、何か良い品を見繕って貰えませんか?」
「はい、ならばこちらのティアラなどはどうでしょうか? きっとどのような衣装にもお似合いの筈ですよ」
「その花嫁さん‥‥なんでもお母様が昔、大変お世話になった方を招待したいとおっしゃってるんです。私達はそのお手伝いもしていて‥‥」
「ほお、それは奇特な方ですなあ。きっとよい奥方になられるでしょう。後はこちらの品などは‥‥」
「だが、なにぶん20年は前という古い話でなかなか見つからなくてな‥‥ご主人は顔も広かろう。ご存じないか? その娘は本当に良い子なのだ。母君はソフィアと言って‥‥」
「どうしたんです? お父さん?」
 足元に商品を落とした父に息子が怪訝そうに駆け寄る。
「何でもない。ちょっと手を滑らせただけだ。ほら、向こうにも客がいる。あっちの接客を頼むぞ」
 首をかしげながらも素直な息子は頷いて従う。
 周囲を不自然でない程度に確認してから彼は声を僅かに潜めた。
「どういう‥‥ご用件です? 買い物だけが御用では無いのですか?」
 さすが商人、いい洞察力だ。少し感心して浄炎は仲間達を見た。
「‥‥別に本当に他意は無いのよ。彼女は幸せなんだもの。大好きな人と一生を共に生きていける。生活にも不自由は無い。きっと幸せになるわ」
 装身具を手で弄りながらアルラウネは淡々と告げた。彼女の母親が死んでいることも、父親に会いたいと願っていることも‥‥。
「それで、私にどうしろと?」
 静かに、そっと女性陣三人は手紙をグレゴリーの手に押し当てた。彼は素早くそれを受け取り服の下に入れる。
「招待状です。もし良ければ来て下さい」
「そしてできたら、さっき注文したとおりお祝いを彼女に。懐かしい面影があったら、そして何か感じるものがあったら、その事を伝えてあげて下さい。息子さんだって何も言わなくても許してくれると思います。届けるのは心からのお祝いの言葉なんですもの。どうかお願いします」
「俺も娘を持つ身故『母が死ぬまで大切にしていた手紙の主に、父で無くてもいいから祝って欲しい』と言う健気な娘が不憫でならなくてな。貴殿も色々と都合があろうが、もし良ければ出席し彼女に『在りし日の母の姿、想い出』を語ってはくれぬか?」  
 向こうの接客を終えて息子が戻ってきた。
「あ、これ買うわ。いくら?」
 アルラウネは小さな装身具を一つ。差し出した。
 会計を済ませた冒険者達の退出間際、大きくは無い声では内がグレゴリーは彼らに告げた。
「品物は、後ほどお届けにあがるように致しますので‥‥」
 背中で閉じた扉の向こうに気付かれないように、店の外に出た冒険者達は無言で手を叩きあった。

 冒険者街の一軒の家を彼らは訪ねていた。
 家と言っても通常旅の空にいることが多い彼ら冒険者にとって、荷物置き場であったり、寝る場所でしかないことが多い。
 だから、家を訪ねて相手がいて、エールを出して貰っているなどと言うのはかなり運がいい部類に入っていると言えた。
「手土産に持ってきたのに、逆に出して貰っちゃあなんだか悪いな」
「いや、別にいい。若い冒険者と話すのもなかなか楽しいものだ」
 頭をかいた玖羅牟にそう言って戦士ヘルムートは笑った。
 既に二十年以上のキャリアを持つ冒険者。こうして座っていて纏う空気で能力が解る。
「今までにどのような経験をされましたか?」
 リンの問いかけにヘルムートは謙虚に自慢ではない、旅の経験を語ってくれた。
 聞き上手、語り上手のリンとは反対に口下手な方だと自覚しているレインフォルスは彼の話を黙って聞いている。
 先輩冒険者の言葉、簡単な会話の中にもアドバイスは込められているものだ。
「旅をしていれば‥‥色々な人物と出会う。その中には当然自分とは合わない、と感じる者もいるかもしれない。だが、そういう人物こそが、本当は自分に一番近しい存在なのかもしれないぞ」
「はい、なんとなく解ります」
 頷きながらリンはヘルムートの顔を見た。優しい微笑や、目元はどこかクラリッサに似ているかも、しれない。
 だが彼の目は、それ以上に色々なものを見てきた『大人』の戦士の目だ。
(「もう少し、話をお聞きしたいですが‥‥そろそろ」)
「で、一体何の用だ? ただ、俺の昔話を聞きに来ただけではあるまい?」
 丁度思ったタイミングに声をかけられて、リンもレインフォルスも玖羅牟も目を見張った。
 自分達にとっても父親に近い歳の男。器もまだ違う。
(「なら、余計な小細工は止めだ!」)
 発泡酒のジョッキをテーブルに置いて玖羅牟はヘルムートの顔を見た。
「隠し事は止める。正直に言う。私達は依頼を受けて動いてる。依頼人が結婚式を『母が世話になった人に祝福して貰いたい』と言っていて、その世話になった人物を探しているところだ。貴殿のことは遺品から探し当てた」
 これは、貴殿だろう? 玖羅牟が差し出した一通の手紙に彼は眉を微かに動かした。

『これから、強敵と戦うことになる。死んだら俺を心の片隅でもいい、覚えておいてくれ』 

「‥‥ソフィアか。娘がいたと聞いているが、そいつが依頼人か?」
「はい」
 頷いたリンに玖羅牟はさっき言ったとおりごまかしの一切無い言葉と思いで説明を引き継いだ。
「実は依頼主は、貴殿のことを父親かもしれぬと考えていてな。本当は、父親かどうかなど関係ないのかも知れぬ。遠い昔愛した女の娘‥‥というだけでは祝福に値しないか?」
「もし宜しかったら当時を懐かしむ為、母から子に伝えられたご自分が起こしたほんの僅かな奇跡を見る為に結婚式にいらっしゃいませんか? ご挨拶とお礼をしたいと依頼人の方も仰っていますし‥‥それに‥‥」
 先輩冒険者に無礼かもしれない、そう思いながらもリンは招待状を差し出し続けた。
「母と子、周りの人々の縁‥‥人と人が今までに繋いだ糸を少しでも見て頂ければ‥‥どうか」
 沈黙が広がる。彼にも考える時間が必要かもしれない。
 三人はもてなしの礼を言って立ち上がった。その時だ。
「行こう。俺を父親と思って貰えるなら」
「えっ?」
 それは、はっきりとした返事だった。戸惑う冒険者達にヘルムートは微笑した。
「俺は多分父親では無いと思う。時期的なものや‥‥他の色々なことを思い返してみてもな。だが俺がソフィアを愛していたのは事実だ。だから、お前達の言うとおり昔愛した女の娘に、祝福を与えられるならこれ以上の喜びは無い。いいか?」
「はい、勿論!」
 リンの顔に喜びが浮かんだ。玖羅牟の頬にも微かに笑顔が‥‥。レインフォルスは丁寧にお辞儀をして彼に言った。
「では、当日、心よりお待ちしている」
 と‥‥。 

「と、言うわけで、ヘルムートさんは確実においでくださるそうですよ。グレゴリーさんも多分、お気持ちは伝わっている筈なので顔を出してくれるでしょう。アレックスさんは立場があるから難しいかもしれませんが‥‥」
「いえ、ありがとうございます。本当に結婚式に立ち会って貰えるなんて嬉しいです」
 経過を説明したフィリアにクラリッサは頭を下げた。
 いよいよ明日は結婚式だ。細かい準備も大分整ってきている。
 向こうではささやかなパーティ用に友達が料理の準備をしてくれていて、浄炎や玖羅牟も手伝っているようだ。
 感謝の気持ちはいくら言っても足りないくらいだ。
「私達も結婚式に呼んで下さってありがとうございます。少しでも花を添えさせて下さいね」
 そんな素直で優しいクラリッサだからこそ、皆が手伝うのだとリトは思ったが言わなかった。
「今日は休んで、明日笑顔を見せて下さい」
「はい。ありがとうございます」
 お礼の言葉を抱いて店を出ようとした時、リトは準備を手伝う花婿の父の姿を見つけた。
 真面目な目線、皆を気遣う優しさ、どことなく似た横顔。ふと、あることが頭を過ぎった。
 ツンツン、忙しげに働くエルリックの背をつつく。
「おや、君は?」
「彼女‥‥誰かに似ているとか、ありませんか?」
 ピクッ! 男の身体が微かに動揺したように見えた。見えただけなので、確認はしない。
「‥‥いえ、どうか実の娘さんのように愛してあげて下さいね」
 お辞儀をしてリトは足早に去って行く。エルリックはそれを黙って見つめていた。

 その夜、三人の男達はそれぞれに幻を見たという。
 夢かもしれない。思い違いかも。だが彼らの瞼の下には残っていた。
 あの金の髪、青い瞳。かつて自分が愛した娘そっくりの‥‥笑顔を。


 その日は朝から雲一つ無い青空が広がっていた。
「いいお天気になったわね〜」
「‥‥きっと、天が二人を祝福しているのでしょう」
「そうね。きっと、幸せになるわ。あの二人」
 胸に買ったばかりのローズ・ブローチを付けてアルラウネは伸びをする。
「フフ、この日の為に礼服、新調しちゃいましたぁ♪」
 リトはドレスの裾を持ってクルリと回る。頭のティアラが煌いた。
「あ、グレゴリーさん!」
 後ろを振り向いた冒険者が声を上げた時、教会の玄関には新郎新婦が、到着しようとしていた。
 玄関で待つリリックと父親は服の皺をピッと伸ばした。
 礼服に身を纏ったヘルムートが花嫁をエスコートし前へと歩ませる。
 満面の笑みの花嫁と違い、微かな微笑を頬に浮かべるだけのヘルムートだったが、父親役としてしっかりと花婿の手に花嫁を手渡す役割りを果たした。
 薄桃のドレスはシンプルで着まわしの利く作り。だが、クラリッサにはよく映える。
 青空のような瞳と金の髪は美しいヴェールと水晶のティアラが美しく飾っていて(これがグレゴリーからの祝いだと気付いた冒険者は気付いていて)思わずその美しさにため息が漏れた。
「クラリッサさん、綺麗です‥‥」
 リンは横笛に口をつけながら小さく囁いた。二人はしっかりと手を取り合い教会の戸口に立つ司祭の前に膝をついた。
「‥‥では、ここに二人を娶わせ、夫婦とする。お互いを愛し共に生きる事を誓うべし」
「誓います」
「はい」
 彼らは文字が書ける。結婚証明書にサインをし、指輪を交換し‥‥口付ける。
 祝福の歌が鳴り響いた。
「おめでとう!」
 空の上に高く花束が飛んだ。美しい野の花の束の根元を束ねるリボンが光の矢で射抜かれて‥‥。
「わあっ!」
 前を向いた二人の頭上に花の雨が降り注ぐ。
「あれ? あれは‥‥?」
 ストームで花や葉を降り広げようと思っていたリトの風は周囲に散ってしまう。
 あることに気がついたからだ。遠い木陰に立っている一人の男性。
(「彼は‥‥ひょっとして?」)
 その影は瞬く間に消えたけれども‥‥見守るように‥‥微笑んでいたようにリトには見えていた。
 三人でのコンボの花吹雪は完全には成功しなかったが、周囲に花を撒くことには成功。
 参列者と、花嫁と花婿の顔を笑顔で飾った。
 今、ここに幸せな夫婦が、皆に祝福されて誕生したのだった。

 テーブルの上に並んだバノックや前菜、フルーツやローストチキン、スープ、発泡酒。決して豪華絢爛では無かったけれども精一杯のもてなしがそこに用意されていた。
「改めて結婚おめでとう! 乾杯!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
 冒険者達の手の中でジョッキが祝福の音を立てた。
「おめでとう。ソフィアの娘がこれほど大きくなっているとはな。君の母親は、明るく太陽のような人だったよ」
「今日は、おめでとございます。私は彼女のお陰で財を成したようなもの。まるで水晶のように煌く魂を持つ人でしたよ」
 グレゴリーとヘルムート二人はそれぞれに、クラリッサに母親とのソフィアとの思い出を語ってくれた。
 働きづめだった母しか知らないクラリッサにとっては、それは心から嬉しい贈り物になったようだ。
「警護は、あんまり必要なかったし‥‥なんだか懐かしい味がするこのジャパン食風の料理、覚えていこうかな‥‥ん?」
 玖羅牟は眼差しの先を過ぎった者にふと、気がついて顔を上げる。同じように気付いたであろう浄炎と目で合図をし合い、二人はそっと場を離れた。
 部屋の中ではリトがゆっくりと前に進み出た所。
「‥‥拙くて恥ずかしけどお祝いの唄を」
「私、伴奏してあげる」
「では、私も」
 リューズとフィリアが竪琴を構えた。拍手が沸きあがった。
『〜月が照らすあの道を 貴方と二人歩いていこう〜』
 窓の外からリトの歌声を聞きながら、二人とそしてノルンは‥‥アレックスの前に立っていた。
「アレックス様、来て下さったんですね」
「俺は貴殿が父ではないかと思っている。一番思い通りに結婚できぬ立場の上、彼女の母は彼女の目が似ていると言っていたそうだからな。もしそうであれば‥‥名乗ってやってはくれぬか?」
 父親の眼差しで浄炎はアレックスを見るが、彼は首を降る。
「あの子は‥‥母親にそっくりだ。私には似ていない。関係ない」
「あんた!」
 激昂しかけた玖羅牟は、その声を止めた。彼女の前に差し出されたもの。それは、小さな絵姿だった。
「これは?」 
『〜夜を越え 朝日と共に花が舞う〜』
 彼女が絵姿を落とさない事を確認するとアレックスは背を向けた。
「私より、大切にしてくれる者に渡してくれ。‥‥彼女は私の心に咲く花だったよ」
『〜幸せと絆に満ちた 新しい日々 夜の闇も安らぎに変わるね〜』
 歩き出すアレックスの足を一瞬歌が引き止めた。
『〜二人であれば、きっとどんな、道も乗り越えていける〜。
 一人じゃないから貴方と共に、歩いて行こう〜、いついつまでも〜〜』
「あの時、彼女が二人で、と言ってくれていたら‥‥」
 雨が振ったわけではないが、アレックスの靴に小さな水が跡を付ける。
 そのまま彼は去って行く。
 彼の言葉を、思いを冒険者達はその目で確かに見た気がした。

 アルラウネが明るく元気にな舞を披露しているその喧騒の中、リトは自分の手が引かれていることに気付いた。
「? 貴方は‥‥」
 花婿の、いや夫婦の父となった人物が彼女をさりげなく、部屋の隅に呼び寄せた。
 中央の舞に気を取られ、自分達に気付く者はいないだろう。とリトが思う中、彼は小さな声、本当に聞こうとしなければ聞こえないほどの声で囁く。
「‥‥誰にも言わないで欲しい」
「はい」
 リトの返事に頷いてエルリックは昔話を語ってくれた。
 ずっと恋していた幼馴染の少女。家を助ける為苦界に身を沈め、それでも彼女は輝きを失わなかった。
 人々の心を明るくし、努力して自らを買い戻して。
「いつか結婚しよう。真剣にそう思っていたよ。だが」
 一人の女性の出現が、運命を変えた。子連れで行き倒れていた彼女を助け、介抱する内‥‥彼女を見捨てることはできなくなっていた。
「私が、彼女と結婚した直後だ。ソフィアが一人で子を産んだのは。ひょっとしたら、と思わなくも無かった。だが確かめることはもう、許されなかった」
「そう‥‥ですか」
 頷いてリトはクルリ、エルリックの目を見た。クラリッサと同じ‥‥空のような深みのある蒼。
「誰にも言いません。昨日言ったとおり、実の娘のように愛してあげて下さい。それで、きっとソフィアさんも、許してくれます」
「‥‥ありがとう」
 踊りが終り喧騒が戻ってくる。輪の中に戻ろうとしたリトの手に何かが握らされた。
「これは?」
「私がソフィアの恋文の代書をしていた時に使っていたものだ。他の用事には使えなかった。捨ててもいい。だが、良ければ愚かな男がいたと、思い出してくれ」
 純白の羽ペンに彼の思いが見えた気がする。
「ありがとうございます。大事にします。‥‥お父さん」
 ずっと呼ばれたかった言葉に、一筋だけこぼれたものを彼は誰にも見られないように拭った。

「クラリッサさん‥‥」
 宴も終わりを迎えようかと言う頃、花嫁をリンは呼び止めた。
「何ですか?」
 幸せを満面に浮かべる彼女にリンは贈り物があると微笑み返した。
 さっき玖羅牟から預かった絵姿を一瞥し、呪文を唱える。
「これは!」
 側に立っていたグレゴリーとヘルムート、リリック、エルリック親子もまた瞬きさえも忘れて魅入っていた。
 今の花嫁とよく似た女性が笑顔で立っている。
「お母さん!」
「クラリッサさんはお母さん似ですね。私は似なかったから、ちょっと羨ましいです。この幸せな一時、どうかお母様もご一緒に‥‥」
 彼女の眼から涙が溢れるように流れた。止まる事を知らなかった。
 苦労ずくめ‥‥でもそれでも明るさを失わなかった母。
「クラリッサ‥‥」
 細い肩をリリックが抱きとめる。そっと涙を拭う。
 そう。もうこれからは涙を彼が止めてくれる。
 一人悲しむことは無い筈だ。
「ありがとうございます」
 涙を止めたクラリッサは細指で自分の頭から、薄絹のヴェールをゆっくりと外した。
 贈り主に軽く目で合図し、彼もまた頷きで答えた。
「今日は本当にありがとうございました。どうか貴女方の上にも幸せがありますように」
 ふわり、ヴェールがリンの頭上に乗った。鮮やかな拍手の中、静かにノルンは手を合わせ祈る。
「大いなる父、タロンよ。どうか二人がいつも前を向いて強く歩まん事を‥‥。二人の上に貴方のご加護があらんことを」
 握り締められた十字架が、夕映えの光を答えるように弾いて光った。

 宴の入らず、家にも近寄らず、周囲を徘徊する怪しい鯨が一匹。
「‥‥これあげる」
 ビクウッ!! 
 突然の声に思わず背中を伸ばした鯨は、振り返って安堵の息をつく。
「なんだ‥‥貴殿か」
 リューズが差し出した籠を受取り彼は、ありがとうと感謝した。
「パーティに何で来なかったの?」
「いや、拙者のような奇人が式に入っては場違いである故‥‥」
「それ脱げば?」
「それは拙者のぽりしーが‥‥」
 言い訳を聞かずリューズは要件は済んだとばかり、彼に背を向けた。
「あ、そうだ‥‥」
 彼女は首から上だけこちらに向ける。
「なんでござる?」
 彼は答え、聞いた。
「花嫁さん、綺麗だったよ。お父さん達も皆来て、良いお式だった」
「そうでござるか‥‥」
 もう彼女は足を止めずに立ち去った。
「少しでも、役に立てなのならいいのでござるがな」
 小さく笑ってエールを一口。そして‥‥彼は空に向けて大きく怒鳴る。
「吼エぇール!」
 ‥‥意味は不明である。

「最近、怪しい鯨のお化けが出るんですって」
 声を潜めて立ち話す婦人達の横を大きな荷物を抱えた娘が笑顔で通り抜ける。
 そして、笑顔で家の扉を開いた。
「ただいま!」
 笑顔が、家族が彼女に答える。
「お帰り」
 と。
 奥に飾られた一枚の絵。それもまた娘を見つめるように優しく、微笑んでいた。