●リプレイ本文
宮廷図書館長エリファス・ウッドマンが記す。
『神聖歴1000年7月末 世に聖杯戦争と呼ばれる戦いは開戦した。
城を出てウィンザーの草原に現れたオクスフォード侯、メレアガンスの元に集いし兵は約1800。
アーサー王の不義の噂に対する反逆、そして機有らば我こそはイギリス王国の王たらんとする貴族達の意気は上がっていた。
迎え撃つアーサー王の本軍は1000に足らず、王都キャメロットを背に敗北許されぬ戦いに挑もうとしている。
冴えた空に輝く太陽。咲き乱れる野の花々もまだ、その戦いの行く末を知りはしなかった』
「こいつは‥‥酷い‥‥」
誰が、最初にその声を上げたのかは解らなかった。だが、誰もが同じ思いを抱えその地に立っていた。
ウィンザーの草原。かつて広大な緑の野は一面の草の絨毯が敷き詰められ、野の花の刺繍が美しく飾られていたという。
緩やかな時の流れの中、羊が草を食み、羊飼いの鈴の音と羊達の鳴き声。そして鳥のさえずりと風の音だけが初夏の草原に緩やかに広がっていた。と。
だが、今その面影はここには無かった。
腹を切り裂かれうつ伏せる死体。首を失い倒れた死体。矢に喉を貫かれ剣を握り締めたまま膝を付いた死体。
熱を帯びる夏の風は鼻を押さえてもなおも逃れることのできない死臭を広い草原に運んでいた。
「これは‥‥予想はしていたのだが‥‥想像以上だな」
武楼軒玖羅牟(eb2322)はスカーフで口元を押さえた。それでも不快感は消えない。
「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍‥‥か。いつの国いつの世にも争いは絶えず、屍は野に倒れる‥‥」
「戦争は‥‥いやです。何故人間は争いごとをするのが好きなのでしょうか?」
悲しげな、寂しげな目を浮かべるチハル・オーゾネ(ea9037)の頭を龍深冬十郎(ea2261)はポポンと叩いた。伸びた耳に気が付いても何も言わない。
「別に戦いが好きな訳ではありません。この世には避けられない戦いというものもあるのですよ。それも神の試練。悲しいことですがね‥‥」
言いながらトリア・サテッレウス(ea1716)も草原に目を向けた。笑みをいつも絶やさない彼であるが、その笑みはいつもと異なり薄く寂しげな光を湛えていた。
「戦による死者が野晒しにされているのは捨て置けません。場所が場所ですから略式になりますし、そもそも宗派が違いますけど‥‥図書館長様、どうぞ遺体の埋葬と供養をさせて下さい」
真剣な目と言葉を安来葉月(ea1672)は野を見つめ立つ老人に向けた。暫く沈黙していた彼エリファス・ウッドマンは振り返り頷く。
「頼む。この地で彼らが少しでも安らぐことができるように。それが我々の務めだろう」
「できれば、死者は荼毘に付すことを勧めるのだが‥‥やはり許されんか? 図書館長殿」
ここまでの旅路何度も確認したことではあるが葉隠紫辰(ea2438)の提案に依頼人の首は縦には振られなかった。
「そなたらの国で火葬として死者を火で弔う風習があるのは承知しておる。じゃが、ここはイギリス。多くの民がわしを含めジーザス教を信じておる、ジーザス教の教理において火葬はやはり認められぬな‥‥」
「遺体を聖水で清め、丁重に埋葬いたしましょう。少しでも死者が天に坐す、神の御許へたどり着けますように‥‥」
ジーザス教のクレリック、プリムローズ・ダーエ(ea0383)は十字を切って祈りを捧げる。
その姿にもう他の冒険者達も無理強いはしなかった。
「後で、ジーザス教教理における埋葬の手順などをお教えいたしますわ。でも、あまり堅苦しく考えないで下さいませ。大事なのは祈る心、弔う思いですから。この地に眠る皆様方に‥‥少しでも安らぎを‥‥」
少しでも笑顔を見せたかったがパーナ・リシア(ea1770)の表情は硬い。作り笑いも‥‥難しかった。この光景を前にしては。
ポン! 小さく軽い衝撃が頭に当たる。パーナはふと、顔を上げた。
「とにかく、早くやっちまおう。こいつらを‥‥このままにしておくのは余りにも不憫すぎる」
慰めてくれたのだろうか? 狭堂宵夜(ea0933)をパーナは見上げた。その手は大きく、暖かい。
「そうですね。やるべきことは決まっているなら私達はそれを、するだけです。この戦いに関わった者として‥‥」
「そして、思いを残す悲しき方と、ここに来たいと思いながらも来れなかった方の分まで‥‥」
「働くとしましょうか。早速」
腕まくりをしたハルカ・ヴォルティール(ea5741)の後を倉城響(ea1466)とワケギ・ハルハラ(ea9957)は追いかけた。
その後に残った冒険者達も続く。
この場にただ立っていたくは無かった。何かをしたかった。
そうでなければ、夢に見てしまいそうだったから。血と草にまみれて横たわる死者たちの声無き叫びを。
『開戦において数の上での優勢は侯爵軍にあった。
王と側に仕える兵たちは一つの流言が、これほどの軍を、敵を生み出すとは思っていなかったであろう。
アーサー王の出生の噂。故ウーゼル王の罪の噂。王の名の下、一枚岩と思われていたイギリスの結束は余りにも脆かったことを彼らは思い知らされたのだった。
だが、同時に彼らは知ることになる。アーサー王という人物を信じる者の多さを。
旗を掲げる王妹の元に集った冒険者の数は千にも達するかと言われた。
彼らはそれぞれの思惑を持っていたかもしれない。
だが誰一人として国に刃を向け、オクスフォード侯に組しようとする者はいなかった。
それぞれの知恵と、行動によって国を救おうとした。
アーサー王の元に有り、オクスフォード侯の元に無かったものがある。それが勝敗を決する大きな要因となったのだった‥‥』
「この方は‥‥イギリス騎士のお一人ですね。紋章からして‥‥北の方の出身でしょうか?」
遺体の特徴と紋章を羊皮紙に記録してからトリアは何度目かの十字を遺体に向けてきった。自身はジーザス教黒の信者であるが、この場合は宗派など関係無いだろうと思う。
主にエリファスとトリアが騎士の紋章などを調べ、その遺体の特徴を記録する。
「これは‥‥、良く解りませんが‥‥エリファス殿!」
「ふむ、どうやらこの人物は海岸沿いの街の領主直参のようだ‥‥。肌の色、髪の色も濃い。間違いは多分ないだろう」
「やれやれ。まだまだ僕も未熟ですね、己の勉強不足を恥じいるばかりですよ」
「ほれ、のんびりしている時間は無いぞ。次はこちらを頼む!」
騎士の遺体と同じか、それ以上に身元を明かす品を持たない者の多くいる。
そう言った遺体についてはワケギとプリムローズ、チハルなどが主となって外見の特徴を持っていた遺品と共に記録して、整理した。
エリファスたち以外にも、同じように埋葬や遺体の調査を命じられた部隊が来ていたが‥‥死者の数は調べても減ることは無い。
「とてもではありませんが、魔法で確認などできませんね。裏技を使おうなどとは、甘かったようです。えっとこの方は一般兵だったのでしょうね。紋章は見られない。武器は‥‥」
「待って下さい。手を見て下さい。この人物は弓兵さんかもしれませんよ? とてもしなやかな指をしていますから」
吟遊詩人の人間観察でチハルは死者の手をそっと持ち上げて指し示した。ワケギは頷いて特徴に付記する。
ぬるりと固まって落ちる血。ふやけたような感触の手は触れるだけで気が滅入る。
漂う死臭にもう鼻は慣れてしまったが、心は慣れようが無い。でも、ホントだったら、いつもだったら倒れて気絶しそうな中で彼らは働き続けていた。
調査は二日目。羊皮紙はもう数本を数える。
一つ一つ纏められた遺品の数は想像以上に多く、整理を受け持った玖羅牟は途方にさえくれていた。もうテントにさえ入らなくなりそうだ。
整理し終わると一つごとに十字を切り祈る。パーナに教えてもらった略式のジーザス教の祈りだ。
「私自身信仰があるではないが‥‥覚えておいた方が死者にはより救いになろう?」
そう言って教えてもらった。だが、何度やったかもう忘れてしまいそうだ。
「もう、テントにさえ収まりきらなくなりそうだよ‥‥これは!」
玖羅牟がそう言って手を止めたものはイギリスで言う所のハンカチーフだった。汗を拭う布。どこの国でも形を変えて存在するありふれた品だ。
しかし、それには玖羅牟が動きを止める理由がある。血染めのその隅に入れられた文字は‥‥
「こんな形で同郷人に会うとはな‥‥」
遠い、遠い故郷の言葉。玖羅牟は声に出してその名を呼んでみる。無論返事は返らない。
だが、おそらく「彼」であろう人物がこの世に、同じ空の下、確かに存在したのだと彼女には確信できたのだ。
「魂だけになれば、月道も関係ない。帰るがいい、故郷へ‥‥」
故郷式のやり方で祈りを捧げる玖羅牟の側を風が駆け抜けていく。そっとハンカチーフを遺品の列の端に置いた彼女の髪をそっとかき上げて。
『ウィンザーの野での正面衝突はほぼ互角と、互角の戦いとなった。
数では若干侯爵軍が有利だったが、その数の有利を有利とはさせないほど、アーサー王の軍勢は勢いがあった。
一人一人が持つ10の力以上を出しつくし、戦場を駆け抜けたのだ。
別働隊で、アーサー王の軍に迫ろうと侯爵も手を尽くした。だが、その思惑は達せられず、逆に返り討ちに近い形で小さくは無い被害を与えられることとなる。
そして、彼らは後退する。軍の再編と補給の為に。
先に軍を退かさせたのは、オクスフォード侯爵軍の方だったことを意外に思う者はその日、その時、その場には存在しなかった』
ザクリ、サクリ‥‥。土を掘る音がした。
力を入れたスコップが掬い上げたのは赤黒い葉っぱと、濃い赤紫の野草。
「ほら、こっちへ来いよ! 何? ここに遺体? そんな事を言うんじゃないぜ。おうちに帰れなくなるだろう?」
宵夜は遺体を抱き上げ、深く深く掘った穴の底に丁寧に横たえた。
冗談めいた口調に周囲の仲間達は少し、眉を上げる。葉月はあからさまに、では無いが軽く肩を上げ、軽く睨んだ。
視線と行動の意味を察してハハハと宵夜は苦笑しながら、頭を掻いた。
「悪い悪い、ちっと不謹慎だったか‥‥でもよ。勘弁してくれねえか? でないとよ‥‥俺は‥‥」
ムリに明るく振舞っていた声は、急に潜められた。大きな肩が小さく震える。
「なんでこんなに‥‥死んでんだよ‥‥くそ、泣きそうだぜ」
「もう泣いているくせに‥‥ムリをするな。まあ、そういう奴は嫌いじゃないがな‥‥」
自分よりずっと大きい身体を揺らす宵夜を冬十郎は軽く小突いた。別に身体が揺れるような衝撃があった訳ではないが、宵夜の顔が上がる。
大きな戦いがあれば、それだけ多くの命が落とされる。それは昔から決まりきったこと。彼はそう言い切る。
「それが己の決めた道なら未練もないだろうが、意に反して連れられてきた者も中には居るだろうしな‥‥」
「私達のしていることは、単なる感傷に過ぎないのかもしれませんけど‥‥」
この大地を埋め尽くす死者たちに何ができるのか。考えただけでも自分の無力さを感じて響も少し胸が辛くなる気がする。だが、と手を止めた紫辰は続けた。
「無念や恐怖の念と共に命を散らした者の死に、安らぎをと願うのは、生者の感傷でしかないのかもしれないが‥‥それでも、何事かを為せるのも、生きている者の権利と義務なのだろう。
これは償いでなく、哀れみでもなく、ただの祈りだ。全ての者に等しく訪れる、終幕の為の」
生と死、滅びと命を特別に思う、ジャパンの魂が彼らに告げていた。
死者の只中だから、聞こえる命の歌を。
「いずれは俺も、俺達も行く道だ、迷うことなく逝けるよう手伝うさ‥‥」
「戦争で死ぬなんて‥‥バカだぜ。だからもう、俺もあんた達も‥‥誰も死んじゃいけないんだ。よーっし! 吹っ切った後は体力任せで働くぜ〜」
拳を振り上げた宵夜を向こうからハルカとパーナが呼ぶ。
「こちらも、手伝って下さい」
「埋葬の手順をお教えいたしますから」
「解った。今行く!」
丁寧に一人一人を埋葬する。
そして手を合わせ、目を閉じ心を贈る。
いつの時、いつの国も変わらぬ死者への祈りを、それぞれはそれぞれの心で静かに捧げていた。
『戦争は、戦場でだけ行われた訳ではなかった。
ウィンザーの野全てをアーサー王の軍勢は駆け巡った。
いくつもの戦い、いくつかの敗北、そしていくつもの勝利。
一つ一つが生み出すものは小さいが、積み重なった結果は決して小さくはない。
戦争に堅実と言う言葉は似合わないが、彼らは堅実に結果を重ねていった。それが勝利に繋がったのかもしれない‥‥』
昼の暑さが嘘のように、夜は涼やかで爽やかな風を冒険者達に送った。
小さなカンテラが揺れる中、耳を澄ませば風に乗り柔らかい竪琴の二重奏が聞こえてくる。
高さと低さを併せ持つ、少年の歌に寄り添うように‥‥。
「〜戦いの狭間に残る貴方達
沈み込む景色に重なって
あの時の無念は蘇り 貴方達を蝕む‥‥
忘れない 戦場で 己の心に殉じた貴方達
伝えたい それを 貴方達の大切に想う方へ‥‥
今 貴方達が安らかに逝く為
唱を捧げるの 私達が そっと〜〜」
歌い終わっても拍手は聞こえてこない。これは鎮魂の歌。拍手などは似合わないと歌った本人も演奏した本人も解っている。
だから、沈黙の中に静かに今度は静かなチハルの竪琴の音色だけが響いていた。
穏やか過ぎる時。
「何故、この戦いの根源は何か。そなた達は考えたことがあるか?」
ふと、一人書に向かっていたエリファスが顔を上げた。
突然の質問に冒険者達の顔が上がり、指も止まる。
遺体と言う戦争そのものに向き合わなければならないこの依頼を受けた者達。
この戦いの根源。それを考えた事が無い訳ではなかったが、質問にどう答えるべきなのか‥‥悩んだのだろうか。短くない沈黙が走る。
「‥‥アーサー王の不義の子という噂が流れ、それを知った諸侯たちが揺れた。その中のオクスフォード侯が偽王打倒の軍を挙げて‥‥戦いが起きた。というところですか?」
「ゴルロイスの娘であるモルゴースに利用された、その裏にロット卿がいるのでは、という噂はいろいろあるが、人の野心。それ以外に戦いの原因があるのか?」
ナイトとして優等生な答えを返したトリア。少し穿った回答の冬十郎。彼らの問いを受け止めながらも彼は笑って小さく首を振る。
「間違ってはいない。だが、正解とも言えんな‥‥まあ、この問いに完全な唯一の正解など、存在しないのだがな‥‥」
「では‥‥図書館長殿はどうお考えですの?」
空に浮かんだ星からエリファスに視線を移し、プリムローズは問いかけた。冒険者達の集まった視線にエリファスはゆっくりと口を開く。
「願いじゃよ‥‥」
「願い?」
憎しみ、恨み、嫉妬、疑惑。そんな暗い言葉を想像していただけに葉月は少し首を傾げた。
願い。その美しい言葉が何故戦いを引き起こすのだろうか?
「人は、例えどんな者であろうと心に願いを持っている。よりよく生きたい。何かを成し遂げたい。誰かに勝ちたい、何かを得たい。例え奪い取ったとしても‥‥。願いはそれが強ければ強いほど、簡単に闇と結びついてしまう」
そうして欲となる。人々の心を黒く染める毒となって‥‥。
「メレアガンス侯も、長き年月彼は良き領主として人々から愛されていた。だが、心の中にずっと消すことのできぬ願いを持っていたのだろう。それを‥‥闇と結びつかせてしまったのだ」
「では! 人は願いを持ってはいけないのですか? 願いを持たなければ戦争は起きないと言うのですか?」
自らの声が少し荒くなっているのをハルカは感じていた。彼女は錬金術師。何かを変え生み出そうとする願いを持って事象と向き合う者。
「それは、違う。言葉が足りなかったかな?」
苦笑してエリファスはハルカに笑いかけた。そして言いかけた言葉の続きを語る。
「わしは、さっき願いが闇と結びついたのが欲だと言った。欲が戦いを生む。欲と願いは表裏一体の光と闇。では、何がそれを分けるのか‥‥それこそが人を思う心じゃよ」
「人を思う心?」
呟く響にエリファスは頷く。
「人を愛する気持ち、好きになる思い‥‥そして大切に思う心。それが欲を願いと昇華し、力と変える。わしはな、この戦争の勝敗を分けたのも実は『願い』であると思っておる。オクスフォード侯が持っていたのは『欲』だった。だが王が持っておられたのは願い。国民を守ろうとする強き意思。それこそがこの戦いを分けたと思っておるよ」
「随分と精神論だな。歴史を書き留める者とは思えん」
紫辰のそれは、少し厳しげな言に見える。だが、それが言葉となった時、微かな優しさを張らんで微笑んで冒険者には聞こえた。
「無論、冷静に分析すればまた違う視点から見えてくるものもあるであろう。じゃがな、どんな戦も根源は欲が生み出し、願いがそれを止めるのじゃ。人より少しは長い時を生き、歴史を知り、いろいろな戦いを見つめてきてそう思うようになったよ‥‥」
「神の国‥‥」
今まで静かにエリファスの論を聞いていたワケギは思い出したように、言葉を口に出した。
「友人が言っていました。この戦いの裏には聖杯が関わっているかもしれない、と。聖杯とは、『神の国』をもたらす‥‥と云われているけど聖杯は『神の国』への鍵にしかならないと思う。『神の国』は人自身の努力によってしか、人の世に作り上げる事はできないのだと‥‥」
「神は、確かにおわします。神の国もまた、確かに‥‥でも、この地上を神の国にするのはやはり、人の努力でしょうね」
「そして‥‥願いでしょうか?」
プリムローズとパーナ。神に仕える者達もある意味不敬とも思える言葉を、今は否定しない。
「人の世は神の与えたもうた試練の場。いつか神の身元に生まれ変わる日まで、私達は精一杯生きなくてはならないのですわ。亡くなられた方の分まで‥‥」
葉月の祈りにも似た言葉に玖羅牟は目を閉じる。
「今を、精一杯‥‥か」
「そう、思い、そう考えることができる者がいるのであればこの悲惨な戦いも無駄にはならぬ筈。かなうならこの場にいる者達よ。願いを欲に変えず流れた血を教訓として前に進んでくれ」
死者もそれを願っていることだろう。エリファスはそう言って祈りを捧げた。
鎮魂の祈り。ここで思う願いが欲になることは無いと冒険者達は知っていた。
彼らは皆、願っていたからだ。他者を大切に思う心で死者の冥福を。
そして‥‥未来への光を‥‥。
『決戦の日 アーサー王の軍勢は、一兵卒から円卓の騎士。冒険者の全員までが心を一つにして戦った。
この時点で、兵の数だけにおいてならまだアーサー王の軍とオクスフォード侯爵軍は互角に戦えるだけの力があった。と後の記録は言う。
だが、一糸乱れぬ戦いぶりは、強き願いは侯爵軍を圧倒させ、その力どおりの戦いをさせはしなかった。
予備にと残した殿はその機能を果たすことなく敗走し、本陣は奇襲により総崩れとなって軍としての動きを逆に封じてしまった。
そして遂に指揮官は捕らわれた。功を為しえたのは王妹と彼女を助ける冒険者達であったという。
アーサー王の軍にありて、オクスフォード軍に無かった一番のもの。勝敗を分けた大きな力。
それは強き心持つ冒険者であったと、確実に言うことができると思われる』
「あんな方もいらっしゃるんですね‥‥。世の中の人皆が図書館長さんのような考えを持って、生きることができたなら差別や戦争など起こらないかもしれませんね」
チハルは竪琴を軽く掻き乱しながらぽつりと言った。
「あれは、年の功だろう。変わった考えのお人だな」
紫辰は笑った。彼の言葉が優しいふりをして厳しく、厳しいふりをして優しいことを、仲間達はもう知っている。
「だが、守らなきゃ、いや守りたいお人だぜ!」
言いながら宵夜はよいしょと腰を上げる。そして闇の奥をじっと見つめた。
「野良犬なんかに‥‥傷つけさせちゃあならねえよな?」
「当然ですね。あ、よいしょ! っと」
風を切り裂く音がして何かが草むらに向かって飛んだ。そしてざわめく音がする。
「く、くそっ!!」
呼吸の数は複数であるようではあったが闇に紛れはっきりとはしない。
だが、目的は明らかだった。死者の荷物。そして‥‥エリファスのテントに集められた遺品の数々。
「皆さん! どいて下さい!」
紡いであった呪文をハルカは解き放つ。
同時にいくつものことが起きた。まず、とっさに避けた冒険者達の真横を突風が駆け抜けたこと。いくつかの影が地面から浮き上がって闇夜を飛んだこと。
そして、大きな音を立てて地面に落下したこと。
「うわあああ!!」
「な、何だって言うんだ。一体‥‥」
尻を撫で息をつく男達は、側に気配を感じおそるおそる顔を上げる。
顔は見えないが、紛れもなく、人の気配。
「‥‥ここは死者を悼む墓地だ。埋葬される骸の一体となりたいのなら、かかってくるがいい」
「止めておいた方がいいですよ。でないと痛い目を見ることになりますから」
「今日の俺達は死者を弔いに来てるんだ、今は無駄な殺生はする気になれん‥‥運が良かったと思って帰れ!」
「ひいいっ!!」
脱兎、もしくは一目散に男達は逃げ去っていった。
やれやれと小さく肩をすくめ冒険者達は誰とも無しにテントを見た。
今の騒動にもまったく変わった様子も無く、静かに灯りが灯っていた。
『イギリス王国反逆戦争。その盟主メレアガンス侯は処刑され、オクスフォードは王の監視下の元、その親族に継承されることとなった。
メレアガンスは最後、自らがその咎を追う代りに呼びかけに答え、共に戦った諸侯の罪を不問にして欲しいと訴え、王はそれを受け入れた。
神の名、そして侯爵の命の下にかけられた盟約を破ることができよう筈も無い。貴族達は自らの領地へと戻っていった。
メレアガンス侯に慈悲を与えることはできない。彼の欲が始めた戦争が、多くの無益な死を生み出し、多くの未来を奪ったからだ。
だが、彼自身もまたその罪を自らの命と未来で贖った。
円卓の騎士と冒険者によってオクスフォードが陥落したことで、戦争は完全に終結したと言えるだろう』
侯爵軍、王国軍の死者は合わせて400名余。
その死体の最後の一人を埋葬し終えた時、冒険者の心と身体は汗と共に、一つの何かが終わったと感じていた。
「本当ならば、帰りを待つご家族の元まで連れて戻ることができるならよいのでしょうけれども‥‥無力な私達をお許し下さい」
「信ずるものに仏と神の違いがあれど、どうか安らかに眠られますよう‥‥」
「どうぞ、安らかに眠れますように‥‥。そして、また何時か生まれる時はどうか、幸せに‥‥」
祈りを捧げる者達と共に冒険者全てがまた同じ野に立った。
最初に立った時に感じた腐臭が一掃された、とは言わない。草原が元の美しい野に戻ったとも言わない。
だが、吹き抜ける風の色は確かに変わった、と玖羅牟は感じていた。
「本当の戦後は、これからじゃがな」
遺品を整理し、荷造りを終えてエリファスは最初と同じ場所でウィンザーの野を見つめていた。
「この地に‥‥慰霊碑を作ることはできないでしょうか? 死者の御霊を少しでも慰める為に‥‥」
響きの提案にエリファスは即答はしなかったが静かに頷いた。王に提案してみると続けて。
「不謹慎かもしれませんが、皆様の死を私はこれからに生かしていきますわ‥‥」
「貴方がたが望んだ結果では無いかもしれませんが、この国は生き残った僕たちが引き受けます。どうか、迷わずに」
「‥‥安らかに、な。俺達がなるべくそちらに行くのが遅くなるように見ててくれ」
それぞれの思いを捧げる冒険者達の足元、大きな身体を小さくして誰かが何かをしているのが見えた。
「何をしているんです?」
問いかけたワケギに宵夜は無言で身体を避けて見せる。そこには小さな石を積み重ねたものがあった。塔と言うには小さく、碑というにはさらに小さいが。
「まあ、せめても‥‥な」
石の前に自分の食料を二つ置いて、彼は目を閉じた。
「迷わず、逝ってくれ‥‥な」
「あれ? 宵夜さん?」
ワケギが瞬きして差した先を、何だろう? と宵夜は見る。そこには小さな光が一つあった。土で汚れているが拭くと静かに神の光を放つ。
「十字架? 誰かが落とした奴か? しまった。もう誰のか解らないな‥‥」
「持って行ってやるがいい」
戸惑う宵夜にエリファスは静かに告げた。
「一緒に行きたいのだろう。良ければ持って行って、そして共に旅をしてやるといい。持ち主の分までおぬしが‥‥な」
少し迷いながらも宵夜はそれを大切にバックパックに入れた。ほんの少し躊躇いもある。だがエリファスが告げたように、誰かかが一緒に行きたいと行っているように、何故か感じたから。ぽんぽん、とバックパックを叩いて微笑む。
「一緒に行こうな?」
「エリファス様」
ワケギは立ち上がり、師とも思う老人に声をかけた。彼は振り返り少年を見る。
「人は後悔を歴史に刻み繰り返さないように生きてきた。歴史に学び、それを実行しなければ、人の世に『神の国』は再現できないでしょう。だから、僕は歴史だけではなく魂に刻みます。この戦いを‥‥そして失われた命の意味を‥‥」
「戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む‥‥私も忘れません」
若い魂たちの決意にエリファスは答えを返しはしなかった。
ただ、優しく、優しく微笑んだ。
風がウィンザーの野を駆け抜ける。
「見上げるこの空は、一人一人の故郷に繋がっている‥‥自由な魂は、必ずや帰るべき場所の風を感じていると、信じて送ろう‥‥」
眩しいまでの青空に目を細め、紫辰は思いを風に乗せた。
足元では遅咲きのヒースが、立ち上がって身体を揺らした。
来年の春。この野は再び新緑の絨毯に包まれるかもしれない。
大地に眠る人々たちの手向けとなってくれるかもしれない。
そう信じて冒険者達はその地を後にした。
後に冒険者達は遺品と共に遺族に届けられた宮廷図書館長からの手紙の存在を噂に聞く。
知る限り、解る限りの遺族全てに届けられたらしい。
【名誉の戦死を遂げたかの方は、ウィンザーの野に静かに眠っている】
それは、悲しみに暮れる遺族の力となったらしかった。
立ち上がり未来に向かうための‥‥。
『戦争というものは、いつの世も悲しみを生み、多くのものを人々から奪う。
だが、人はどんな困難からも立ち上がる力を持っている。悲しみを乗り越え未来に向かって歩んでいくことができる力をだ。
この戦いが引き起こした悲しみを、人々が乗り越え、教訓として学び、そして繰り返さないことが我々の務めであり役割であると思う。
私は若き冒険者達に、イギリスの未来を見た。
彼らがいつか、この国の、世界の未来を照らしてくれることを心から願う。 エリファス・ウッドマン』