●リプレイ本文
宮廷図書館というのは、冒険者にとって特別な場所である。
知識の宝庫、知恵の泉。
駆け出しの頃、誰もが一度は足を踏み入れる、初心の場所‥‥。
「ああ、この書物の山、インクの匂い、歴史の香り。磨耗した精神が蘇る〜」
深呼吸しながらセドリック・ナルセス(ea5278)はうっとりとした表情を見せた。
「ほお、おぬしなかなか見所があるのお」
やってきた冒険者達を案内する図書館長エリファス・ウッドマンは楽しそうに髭を撫でた。
ちなみに図書館は深呼吸には余り向かない。セドリックはこほこほと、むせて息を吐き出すことになったが。
「図書館長様、日頃図書館を利用させていただいております。わたくし、アデリーナ・ホワイト(ea5635)と申します」
銀の髪を靡かせた優美な美女は、そう言ってエリファスに深々と頭を下げた。
「少しでもお手伝い出来ればと、こうやって馳せ参じた次第でございますわ。なんなりとお申し付けくださいませ」
「どんな探索行も資料が無いと始まらない。本当は机の上でごちゃごちゃやるよりも、外で身体を動かす方が得意なんだが‥‥手伝おう。よろしくな」
アデリーナと並んだアーディル・エグザントゥス(ea6360)。まったく正反対の印象の二人にエリファスは小さく笑う。
「若いというのはいいものじゃのお」
若い、その言葉にほんの少し苦笑して
「一度この様な仕事をしてみたかったんです。よろしくお願いします」
とピノ・ノワール(ea9244)もエリファスに目線を向ける。考えてみればエルフである彼等にとって初老を既に越えているエリファスでさえ、年下であると言える。
だが、敬うべき先達というのは年齢だけで生まれるものではない。生きて学んで、行動してきた年輪が人に深みを与える。
その点から言えばエリファスは十分彼等にとっても先達であった。
「で、おじいちゃん。何をすればいいの?」
たくさんの本に首を回し、サヤ・シェルナーグ(ea1894)はきょとんとした目で問う。
おじいちゃん呼ばわりされても気にすることなくエリファスは、こっちと手で冒険者達を招いた。
「ここは、図書館の作業部屋じゃ。ここで書物や資料の調査、修復をするのじゃが‥‥足元に気をつけるのじゃぞ」
「えっ?」
むぎゅっ‥‥。
言われた端から柔らかいものを踏んだワケギ・ハルハラ(ea9957)。薄暗い部屋の足元を見る‥‥。
「うわあっ!」
思わず後ずさったそこには若い文官が一人、目を擦っていた。
「‥‥あっ、としょかんちょーさま。すみません。‥‥ちょっと寝て‥‥しまって‥‥」
「まったく! 眠いなら戻って休めと言っておいたろうに‥‥」
「し、しかし‥‥、聖杯探索の皆様が出立されるまえに、資料を‥‥」
「いいから! 冒険者に臨時の手伝いを頼んだ。ちゃんと休んで体調を取り戻してから来い。寝惚けた頭で資料の整理などさせぬ!」
杖を振り上げるエリファスをまあまあ、とアデリーナが宥めた。
「ボク達が手伝いますので、少しは休んで下さい。皆様のお仕事はこれから大変になるのでしょう?」
頭を掻きながら、その文官は大きなあくびを一つした。どうやら、まだまだ睡魔は離れてはいないらしい。
「解りました‥‥。とりあえず、お願いいたします。何か解らないことがありましたら‥‥起こして」
「早く行け!」
「は、はい!!」
雷落下5秒前、文官はいそいそと部屋を出た。やれやれと、渋い顔でエリファスは腕を前に組む。
「まったく、仕事熱心なのは結構だが、若いものは体調も何も考えずに無茶をしよる」
エリファスの優しい嘆きに冒険者達のくすくすと笑う声が重なった。
「では、彼らの為にも始めましょうか?」
アルカード・ガイスト(ea1135)の掛け声に冒険者達は、書物を広い、ペンを握り動き出した。
「記録と解読が終った資料はこちらへ。分類を行いますから‥‥」
セドリックの言葉にいくつかの書が差し出された。
その中には割れた石板の文字を写し取り、さらにイギリス語訳したものもある。
資料の目録を作りたい、というセドリックの言葉をエリファスは拒否せず、一種の資料として作成を許可した。
セドリックとアルカードは、同じ都市や地区ごと、あるいは同じキーワードごとに分類し、纏めていく。
「おじいちゃん、この石に書いてある『せいへき』って何のこと?」
どれどれ? 呼びかけられた声にエリファスは答えてサヤの手元を覗き見る。
「ああ、これは『聖壁』 聖杯に関する重要な手掛かりが描かれている壁のことじゃな。どこにあると書いてある?」
「う〜んと‥‥どこかの街の‥‥南? 地名が割れてて読めないよ」
「ふむ‥‥」
深いため息を付きながらサヤの読み上げたラテン語を、エリファスはイギリス語に直して筆記した。
聖壁の資料が一つ、増える。
「こっちのスクロール片には『聖人』なんて言葉があるぜ。えっと、何々『聖壁は聖人‥‥の蒼い瞳に照らされ‥‥』」
右手で資料を調べながら左手で文字を書く、器用なことをアーディルはしていた。その作業効率は悪いものではなかったが‥‥。
「アーディルさん! ほら、そこ! 綴りが違ってますよ。そこはゴールド、金の丘、でないと‥‥」
「えっ? あ、間違った!」
綴りの上を黒く潰して横に正しい文字を書く。どこかお気楽なアーディルにワケギはふうと、ため息をついた。
「『聖杯』『聖壁』『聖人』‥‥この言葉がやはり、どの文書にも多く見られますね」
同じく素早い解読を見せつつも、楽しげに、しかも着実にピノは文書の解読整理を進めていった。
「初心に帰り母国語を復習しました。お役に立てる事でしょう」
そう最初に言った言葉に偽りは無い。
「しかも‥‥都市の名、古い地名などが記されているものも多いのにそれは、一箇所ではない。伝説はイギリス全土に渡っているようですね。ふむ、興味深い‥‥」
「聖人‥‥。何か特別な力を持つ人なのでしょうか?」
「いや? どうやら伝承を語り継ぐ者と‥‥いう意味を持つようだが‥‥どうした?」
顔を背けたワケギにエリファスが声をかけた。
「いえ‥‥」
言いながらも彼の顔は鈍いかげりを見せている。
ふと、何かを思い出した顔でエリファスはその横顔を見た。
そしてワケギの側を離れる。
ポン!
「?」
背中に手が触れたのは一瞬だったのに、何故か手のぬくもりがいつまでも、ワケギには感じられた気がした。
いつまでも資料整理ばかりでは眠くなるし、頭も身体も鈍くなる。
「んじゃ、皆でおそうじた〜いむだよ!」
ジャンプしたサヤの掛け声に冒険者は少し背中を伸ばした。
明るく笑って腕まくりするものもいれば、掃除はイヤ、と顔に書いてある者もいる。
「まあ、仕事と割り切るべきですけどね、足を引っ張ったら許してくださいよ」
「‥‥凄い埃ですこと。これは、本当に暫く掃除されておられなかったのですわね‥‥」
顔を顰めてアデリーナは本の埃を手で払った。
小柄な身体を生かしてサヤは書架の汚れを細かく落としていく。
「ワケギさんもほうき持参ですか?」
「ええ、まあ」
セドリックはワケギの持つ自分のとそっくりなほうきを見て小さく笑った。二つの差はセドリックの方に文様が刻んであることくらいだろうか?
本当は‥‥。ほうきに秘めた秘密をワケギは取り立てては言わなかった。
どんなであろうと、とりあえずほうきはほうき。掃き掃除はできる。
「掃除が終ったら、お茶にしましょうか。エリファスさんは自由に、と言ってましたから」
「やった♪」
と嬉しそうなサヤの声にセドリックは慌てて付け加える。
「味の保証はできませんよ‥‥。料理やお茶の入れ方はあまり得意ではありませんので」
「大丈夫じゃ。茶くらいわしが入れて進ぜよう」
「わ〜い!」
エリファスの申し出にさらにサヤの声が明るくなる。
「じゃあ、とっととやっちまおうぜ! よいこらせっと!」
勢いを付けてアーディルは飛び上がった。テーブルを経由してなんと書棚の上に‥‥。
「うわっ! 本当にこの辺真っ白だぜ。たまには掃除しろよ?」
ぶわっ、本棚の上の埃が宙に舞い上がって、下にいる冒険者達の顔にかかる。顔を抑えたワケギは眉間に皺を寄せて声を荒げた。
「アーディルさん! 不真面目なのは、いけないと思います。本の上に上るなんて!」
「別に不真面目してるわけじゃないし、硬いこと言うなって。それにこういうところに意外と‥‥‥‥‥‥‥‥」
「「「「「「「?」」」」」」」
突然、水から上がった魚のようにアーディルは口をぱくぱくとさせる。陽気で賑やかな声が聞こえてこない?
「図書館ではおしずかに! だよ」
サヤが後ろに手を組んで諌めた言葉に、くすくすくす、ハハハハハ。答えた明るい笑い声をエリファスは止めなかった。
「一仕事終えた後の茶は上手いな」
「まだまだ、仕事は残っておるが、部下どもに休ませる時間をもらえた事。礼を言うぞ」
息をつく冒険者達にカップを渡し、エリファスは微笑んだ。
「主に判明しているのは、聖杯探索の大きな鍵となりうる『聖壁』がイギリスの各地に存在する。ということですね」
資料の内容をピノは纏めて整理した。大分、細かいことが確認しやすくなったはずだ。
「聖杯の伝承を記した『聖壁』と同じように、言い伝えを語り継ぐ『聖人』もいる。ということのようですね。この聖人、やはり神に仕える者が多いのでしょうか?」
「そういうこともあるでしょうけれども、自ら『聖人』です! と言う人も少ないでしょうから、街の名士だったり、伝承者になってたりするかもしれませんわ。必ずしも『聖壁』と一緒にいるとは限らないでしょうし」
「あと、この『‥‥聖杯に導く存在と出会う‥‥』ってどういう意味でしょうか?」
「『聖壁』を調べれば解るかもしれないな。その聖壁ってやつがどんなのかは、目で確かめてみないといけないんだろうけど」
真面目なディスカッションを続ける大人の中、サヤは出された甘菓子をつまみながらエリファスに甘えていた。
「ねえ、おじいちゃんってひとりぐらし?」
「子と孫はいるが独立しておるのでの。わしはこれでも自立したじじいじゃよ。料理も洗濯も自分でする」
「すご〜い!」
サヤの素直な賞賛に、エリファスはフッと笑った。孫の事でも思い出したのかもしれない。
「戦争というものの一番の罪は、人の未来を奪うことじゃ。聖杯がもし、それを少しでも為してくれるのであれば戦いの能力を持たぬわしのようなものでも何か役に立てるかもしれぬな‥‥」
「問題の種があるからわたくしどもは、冒険者をしているわけですが‥‥争いは少しでも少ないほうがいいですものね。聖杯はその為のものなのでしょうか?」
優雅に笑うアデリーナの言葉を聞きながら、同じ冒険者でありながら抱く思いをワケギは囁くように紡いだ。
「聖杯や、聖人など無くても、人は高みを目指せると‥‥ボクは、信じたいし‥‥信じています」
間違っているでしょうか? 思いを捜しながら紡いだ言葉を確かめるようにワケギは顔を上げた。
そこには、微笑があった。皆の‥‥誰一人欠ける事の無い。
冒険者達の仕事のおかげで、聖杯探索の為の文書整理はかなり進めることが出来た。
今後調査に出るものに対してこの目録にも近くなった資料は役に立つに違いない。
いくつもの都市や地方の名も確認された。これからその調査の依頼も出てくることだろう。
「この先この類の纏めが必要になる事も有るでしょう。その時は是非御協力願います」
ああ、エリファスは柔らかく頷いた。できる限りのことはしよう、と。
「礼を言うぞ。だが、ここから資料を盗んだ者がいる。そなた達も調査に出るときには気をつけてな」
労うエリファスに答えて、冒険者達は手を振った。
「おじいちゃんは、つかれないのかあ」
「あの年でたいしたものだと思いますよ」
ふと、帰り際、項垂れるワケギにアデリーナは首を傾げた。行動の意味を察しワケギは苦笑して答える。
「さっき、太陽に聞いてみたんですよ。資料を盗んだものはどこにいる? って」
『わからない』
太陽は、そう答えた。
「何でも魔法に頼りすぎると、ホンモノにはなれませんね‥‥」
手の中のコインを握り締めなおし、自嘲ぎみに肩を竦めたワケギににっこりと彼女は答える。
「わたくし自身も、今回何が起きたのかこれから何が起こるのか‥‥知りとうございますわ。探していきましょう。できる限りの力で‥‥」
奪われた資料は確認できた限りでは聖人と聖壁の場所を示したものが多いようだ。
今後聖人探索の冒険者達の前に、その資料を基に、妨害者が現れるかも‥‥。
「今回調べた資料が、調べなければただの文字でしかないように、聖杯も使わなければただの飾り、力も、魔法も知識も同じ‥‥」
セドリックの言葉にワケギはかつて、エリファスの言った言葉を思い出した。
『人の生きた証から、正しく学び忘れなければ‥‥』
悩むことは多く、思うこともまた多い。やらなければならないことも、また‥‥。
「だけど、やるしかありませんね。自分達が選んだ道なのですから」
翌日、完全に復活した文官達が元気良く仕事をする中、静かに眠る老人が一人。
彼の肩には毛布が、冒険者が残していった毛布が‥‥そっとかけられていた。