【命の酒 表】希望の酒を守れ

■ショートシナリオ


担当:夢村円

対応レベル:7〜11lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:5人

サポート参加人数:-人

冒険期間:11月13日〜11月18日

リプレイ公開日:2005年11月19日

●オープニング

 リンゴの詰まった木箱を青年はよいしょと持ち上げる。
 細身の身体のどこにこんな力が、と思われるほどだ。
「シュウさん、それ運んだらちょっとこっちに来てよ」
 若い主人の声に、シュウと呼ばれた青年は言われたとおり、リンゴを納屋に運ぶと母屋に足を運ぶ。
「なんだ? アンリ」
 こっち、こっち、手招きした青年は、シュウと同じくらいだろうか。
 ニコニコとした笑顔で手に持ったカップを差し出した。
「これは?」
「今年の一番酒。リンゴのシードルだよ。ちょっと味見してくれないかい?」
 申し出を素直に受けてシュウはコクンと喉に酒を流す。
「うん、いい感じじゃないか? フルーティで、香りもすっきりとしている。去年よりまたいい味になってると思うぞ」
「良かった! シュウさんがそう言ってくれるなら安心だ」
 破顔した青年の笑顔にシュウも笑顔で答える。
「父さんはノルマンのワインは最高だっていつも言ってた。イギリスでは葡萄はできないからワインは作れない。あんな誇り高い酒をイギリスでも作れればって‥‥」
「親父さんが亡くなってもう半年になるな」
 思い出すようにシュウは笑う。行く当てもなく困っていたシュウをこの農場で働かせてくれた恩人とその息子に少しでも礼をしたいと思い、働き始めて1年になる。
 その間、過労で父親が亡くなり、たった一人で酒造所を継いだアンリは自分なりに工夫し、より良い味の酒を研究し続けてきた。
「今年の酒を出荷できれば、やっと借金の返済も終る。あと少しだ」
「俺も手伝う。しっかりやれよ!」
「うん!」
 手を繋ぎあう二人。
 だが、そんな希望を邪魔するように荒々しく扉が開いた。
「邪魔するぞ!」
「‥‥貴方達は‥‥」
 カップを置き、シュウはさりげなくアンリの前に立った。
 いかにも無頼漢という男を後ろに引き連れ入ってきたのは対照的なうらなりの男。
 キャメロットの高利貸しの秘書だと、二人は知っている。
 彼が何をしに来たのかも。
「アンリさん。そろそろ立ち退きの準備はできましたか? あと10日足らずです。引越しの準備をした方がいいと思うんですけどね。でなければ、100G、耳を揃えて‥‥」
「その心配はいりません。お金はお返しします」
 きっぱりとした声で、アンリは答えた。
「ほう、そうですか?」
「今年の酒はもう直ぐ完成します。昨年の分の熟成が終ったのもあって全部出荷すれば、100Gくらいちゃんとお返しできますから」
 出荷の目処もついている。後は運ぶだけ。そういうアンリに男はニッコリと笑って見せた。
「そうですか? ならば、あと10日待ちましょう。もしその時金を返して頂けない時には、農場と酒造所を明け渡して頂きますからね」
 うらなりの男は出て行く。後ろの無頼の男達も付き従うように。
 ただ、その中で一人、黒髪の男が足を止めた。
 驚くように彼が見つめるのはアンリではなく、彼を守るように立つシュウ。
「お前は‥‥シュウ? こんなところにいたのか!」
「‥‥タケル‥‥!」
 刺すような視線の男から、目を逸らすようにシュウは顔を背けた。
「‥‥裏切り者め! 後で、覚えていろよ!」
 侮蔑の言葉を叩きつけて男は去って行く。
「シュウさん?」
 アンリの前から動かず、しかし、シュウは顔を上げることもしなかった。
 突きつけられた思いが彼を縛るかのように‥‥。

「シードルの出荷を手伝って下さい」
 アンリという若い青年は、そうギルドに依頼に来た。キャメロットから歩いて半日ほどの場所に住む彼は小さなリンゴ農園と酒造所の主。
 キャメロットから北に二日ほどの街にある酒屋まで5樽のシードルを早急に運ぶ必要があるのだと彼は言った。他にエールも出荷するので荷車は二つ分にも及ぶ。
「酒造所は僕と、ここにいるシュウさんの二人でやっています。いつもならシュウさんに運搬を任せているんですが、今回は訳あって一度に出さなければならない量がとっても多いんです。しかも急ぎで。だから、手伝ってくれる人をお願いしたいんです」
 ただ、お金はあまり出せない、とアンリは言う。今月の16日までに借金を返さないと農園が金貸しに取られてしまう。だから出荷した代金は返済にまわすので報酬は0に等しい。
「その代わり、うちの取っておきのお酒を差し上げます。父さんが昔ノルマンにいた時のお酒と、うちの農場で作ったシードル、ですから、どうかお願いします」
 現物支給ではあるが、報酬としてはそれほど低くはない。
「酒好きの奴は手伝ってやってもいいんじゃないか?」
 後で、良ければうちにも届けてくれと、係員はアンリに向かってウインクした。

 アンリが依頼の提出を終えて、ギルドを出る。それを見計らったようにずっと側にいて、一言も話さなかった青年、シュウと言ったか、彼は顔を上げた。
 その時係員は気付く。この男は、ただの農夫ではない。戦う力を持った戦士。
 シュウは係員と冒険者に向かって静かに口を開いた。
「俺の手伝いも必要だが‥‥何人かはアンリのところに残って護衛についてくれないか? リンゴの収穫も残っているし例の高利貸しはこの出荷やアンリの借金返済を良く思ってないはずなんだ。借金は100G。だが、農場と酒造所の価値はそんなものじゃない。絶対に、妨害してくる」
 つまり、盗賊などを装って出荷を邪魔したり、アンリや農場に危害を加えたりする可能性があると、彼は言うのだ。
 彼の父親が死んだのも、アンリは知らないが過酷な嫌がらせの末の過労と心労ゆえ。
 以降、農場にかかってきた嫌がらせはその殆どをシュウがカットしてきた。
「俺は、昔は忍びをしていた。身を守るくらいの技は心得ている。だが、アンリはごく普通の一般人だ。彼の親父さんと約束した。彼の事を頼むと言われた。約束は、もう裏切りたくないんだ。最悪、出荷まで手伝ってくれれば、あとは誰かが‥‥」
「シュウさん? 何してるの? この間の人みたいに知り合いでもいた? ケンカはダメだからね? シュウさんは僕の家族なんだから‥‥」
 頼む、と彼は頭を下げる。
 そして、心配げに彼を呼びに来た主人と共に、農場へと戻っていったのだった。

 スケジュールはぎりぎり。
 予定通りに出荷が終えて帰ることができれば、問題は無い。
 だが、何か一つ手順が狂えば全ては水泡に帰す。
 簡単なようで難しい依頼。
 
 何か嫌な予感を感じながら、冒険者はその依頼を見つめていた。 

●今回の参加者

 ea1716 トリア・サテッレウス(28歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea5683 葉霧 幻蔵(40歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea8877 エレナ・レイシス(17歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 eb0711 長寿院 文淳(32歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 eb1421 リアナ・レジーネス(28歳・♀・ウィザード・人間・ノルマン王国)

●リプレイ本文

「それは‥‥できません」
 大人しく見えた青年の、思いもかけぬほどキッパリとした返答。
 その場にいた人物は一人を除いて思わず、息を飲み込んだ。
「どうして‥‥であるか? それが、一番安全で、確実であるのだが‥‥」
 今回はいたって真面目な提案をした葉霧幻蔵(ea5683)は農場主、アンリの言葉に疑問符を付ける。
 ちなみに外見はまだ真面目とは若干言いがたい。スカルフェイスを脇に避けて見つめた依頼人は、迷いの無い返事で答えた。
「でも僕は‥‥、僕たちは決して施しを必要としているわけじゃない。自分達の力で問題を解決することはできるんです」
 ただ、少し、時間と人手が足りないだけ。‥‥呟くように彼はそう言った。
 シードルを冒険者達で買い取ろう。何なら借金を肩代わりもできる。そのお金で借金を返済したら。
 幻蔵の提案にアンリは首を振った。
「僕たちは‥‥父さんの遺志を継いでやってきました。人々を幸せにする美味しいお酒を造る。それはもう実を結ぼうとしています。未熟な‥‥僕を信用して取引に応じてくれた商人の方々に約束どおり品物を渡せないことは一時のお金より大事なものを失うことになることを解って‥‥頂けますか?」
「‥‥信用。確かに商いをする者にとって‥‥何よりも大事なもの。理解‥‥できます」
 静かに長寿院文淳(eb0711)は頷いてくれた。幻蔵も自らの意思を押し通しはしない。
「失礼。貴方がたの思いを無にするつもりはありません。自らの成果で自らの場所を守ることが一番でしょう。ただ、この依頼を受けた以上、問題を解決する案の一つとしてそれを考えていた事をお許しください」
 礼儀正しくトリア・サテッレウス(ea1716)は謝罪する。下げられた頭に、アンリは慌てて手を振る。
「いえ、お気持ちはありがたいし、依頼を受けて下さったことも感謝しています。ご好意は、とても嬉しいです‥‥。ただ‥‥」
「ええ、解っておりますわ。ただ農場の防衛と借金証文をおさえて攻撃の口実をなくすこと。これが、今回の依頼で重要な目標だと思います」
 だから、そう言ってリアナ・レジーネス(eb1421)は袋をテーブルに置いた。重い金音が中に入っているものの正体を知らせる。
「万が一のときは、私たちにお酒を売ったということにして、このお金を借金主に返して下さい。ああ、勿論後で出荷が無事成功したら返して頂きますわ」
 負担をなるべくかけないように軽くリアナは笑った。
 アンリの酒造屋としての矜持を汚してはいけないとそう思うからこそ。
「解りました。でも、そうならないように‥‥どうぞよろしくお願いします」
「ええ、必ず農場は守って見せますから」
 エレナ・レイシス(ea8877)は静かに微笑んだ。
「話が纏まったのなら、急ごう。時間はもうあまりない」
 今まで、沈黙していた男が身体を預けていた柱から身体を起こす。その身のこなしを仮面の下の顔は見つめている。
「ええ、急ぎましょう。できるだけのことをして、農場を守る為に‥‥」
 促すリアナの言葉に冒険者達は行動で答えた。

 ガラガラガラガラ‥‥。
 駿足と呼べる早さで荷車は走らされていく。馬を動かすのは一人の忍者と、一般人に見える男‥‥。
「こうして鳥人ゲンちゃんは、イギリスに栄転したのでござる♪」
 鳥の如き素早さで駆ける中、幻蔵は楽しそうに横に歩く男にそう告げた。
「いや、ゲンちゃんは故郷の里長に“異国を見聞してこい”という命を受けイギリスに来たのである。この地には興味深いものが多々あって、本当に飽きると言う事を知らずにすむ‥‥。いつか故郷に戻った時、この国での体験が役に立つであろう」
 着ぐるみコレクションがジャパンの忍者シーンに新たなる伝説を加える、かどうかは解らない。
 だが能天気に聞こえる話を、シュウと名乗った男は遮らなかった。元々言葉の多いほうではないが楽しそうな声の裏側を察し、逆に声を封じたかのように語らない。
「‥‥さて、そなた、ご同業とお見受けする。いや、隠しても無駄と、解っておろう?」
 返事は返らない。聞こえてくるのは急ぎ足の車輪の音だけ。
 無言の肯定を返事と受取って幻蔵は、真剣にシュウを見る。視線は逸らしたままで、歩きながら。
「忍びがこの様な処に長居とは‥‥貴殿、抜け忍か?」
 またも返事は無い。ただ前に立った刃のような空気と、鋼のような背中が無言で語っていた。
「背中を預けてもらえるとは‥‥。だが‥‥忍びの事情に他の者を巻き込んではいかんでござる。この一件が片付いたら、‥‥解っているでござるな? 愁殿」
「‥‥解っている」
 初めて返事が返った。幻蔵は少し目を見開く。
「あまりの居心地のよさに‥‥思わぬ長居をしてしまった。借金の返済と共に農園の収穫も終る。俺の役目も終わりだ。‥‥そしたら‥‥」
 ふと、前を行くシュウの荷車が止まった。少し、遅れて幻蔵も馬の足を止める。
 迫ってくる気配は十に少し足らない程度だろうか‥‥。一人一人の実力はたいした事はなさそうだが、数で押されたら少し厄介かもしれない。
「‥‥やれやれ。わかりやすいでござるなあ」
 荷車から離れ、幻蔵は肩をすくめる。『敵』を察知したシュウの身のこなしに自分以上の実力を感じ数歩、後ろに下がってみる。
「援護を‥‥頼めるか?」
 静かな声にほお、と仮面の下で笑みが浮かぶが、それは誰にも見えず、聞こえない。
「任せておくでござる。出でよ! 大ガマ!!」
 ごおん! 地響きを立てて巨大を超えた大ガマが出現する。
「なんだ? 蛙!?」
 あまりのことに思考が停止し、動きを止めた男達を走る両刀の稲妻が裂いていった‥‥。

 実は殆ど残っていない木の枝の奥。見えたリンゴをトリアはよいしょ、ともぎ取る。
 シュウがいない間、少しは力仕事でも手伝ってみようと思ってみたが、これはなかなかの重労働だ。
「酒造りというのは、なかなかの重労働なのですね‥‥。はい、これが最後です」
「ありがとうございます。ええ、一人だとなかなか大変で。シュウさんがいてくれたから、なんとかやってこれたようなものです」
 リンゴの籠を貯蔵庫に入れてアンリは笑う。
 二人の間にどれほどの思いと絆があったか、知る由など無い。その必要も‥‥今は無い。
「アンリさん、そこで、ちょっとリンゴの整理でもしててくれますか? あ、外出は控えて下さいね」
「えっ? 何ですか?」
 戸惑うアンリの前でパタン。トリアは扉を閉めた。直ぐに出てこれるだろうが、出てきて欲しくないという、意図は察してもらえる筈だ。
「‥‥来たようですわね。その数は北と南から‥‥両方で十前後‥‥」
「深追いは避けましょう。必要なのは‥‥この農場の防衛だけです」
 剣を抜いてトリアは自らに光と意思を纏わせた。
 もうすぐ、早い秋の日は落ちるだろう。明日は借金の返済日。
 仲間達が戻るまで、なんとしてもここを守り抜かなければ‥‥。
「好きにはさせませんよ‥‥」
 炎の鳥が舞い、雷が地面を這い、槍が敵をなぎ払っていく。招かれざる客を通さないという意志と共に。

 翌日の昼間。
 農場はまたも招かれざる客を迎えた。
 だが、今度は静かなお辞儀が客を迎える。
「‥‥立ち退きの用意はできましたか? アンリさん?」
 数日前と同じようにうらなりの男は、自分以外の力を背後に従え、その場に立っていた。
「立ち退くつもりはありません。借金は、お返ししますから‥‥」
「ほお〜」
 渋い顔をしながらも、男は自らの役目を果たそうとアンリに向かって歩み出す。
 一歩、二歩、三歩。横に立つ冒険者達が牽制するように睨む視線が見える。
 だが男は動じない。アンリも動かない。
「では、返済をお願いします。元金100Gと、利子100Gを!」
 えっ、と言う顔でアンリは男を見る。勝ち誇ったように男は笑みを浮かべる。
「借金は100Gの筈です。利子を足したとしてもそんなになる筈は」
「いえ、計算は間違っていませんよ。200G、返せないというのなら今すぐ、この農場から‥‥!」
「やっぱり、ですか? 本当に解りやすい悪人してらっしゃいますわね‥‥」
 勝利を確信した男の前に、二つの金袋がたおやかで、でも強い思いを抱いた声と共に落ちた。
 いかに性根が捻じ曲がっていようと、いや捻じ曲がっているからこそ、男は金の音を聞き逃さない。
「な‥‥なんです? このお金は‥‥一体?」
「200Gありますわ。これで、借金は清算終了でしょう? とっとと証文を置いてお帰り下さいませ」
 つまらないものを見るように、リアナは男と金と、背後でざわめく男達を眺めた。
「どうして‥‥こんな大金が、こんな農場に‥‥」
「『こんな農場に』それだけの価値があると思われたのでしょう? でも、もう少し頭を働かせるべきですわ。農場が欲しいのならそれを傷つけてダメにしてなんとするのか‥‥」
 トリアとエレナは昨日の襲撃で捕まえた男を二人をうらなりに向けて押し渡す。
 もう、完全に負けた。どうしようもない敗北だと解っていても、このまま帰れば雇い主に‥‥。
 息を飲みながら男は、アンリを見た。喉を鳴らして最後の案を実行に移す。
「で・では‥‥借用書を渡しますので、主人の所まで‥‥」
「その必要はないのでござる!」
「「「「「えっ?」」」」」
 まるで計った様な完璧なタイミングで、声が響いた。全員が振り返ったそこに、怪しい鳥人と、ハンマーを持った長身の僧兵が立っていた。
「‥‥もう、借金は返済‥‥し終わりました‥‥。ほら‥‥借用書も‥‥ここに‥‥」
 文淳の手には確かに羊皮紙が閃いている。
「‥‥苦労、しましたよ‥‥。強行軍で‥‥シードルを‥‥納めて、借金返済‥‥してくるのは‥‥。後で‥‥街に馬と、荷車‥‥取りに行かないと‥‥」
 微かに息を吐き出しながら文淳は笑う。
 先行の囮部隊が襲撃者をなんとか散らしてから、戻ってきた二人と一緒に酒を最小限の休憩で運んできた。ほぼ、不眠不休に近い。気分的にはふらふらだ。
 でも、心は高揚していた。酒は価値を認められて高値で引き取られ‥‥借金は彼らの力で全て返済できたのだ。
 下っ端を飛び越えて、借金主の所に行ったのは話を早く進める為。
 思いのほか、効果はあった。
 部下がこちらに来ている分、主を守る手は薄い。借金をちゃんと返済し、少し『お願い』をしたら借用書は『素直』に戻されたのだから。
 その『お願い』が、どんなものであるかは解らないが‥‥、顔面蒼白していたというから、ただではすまなかったのだろう。きっと。
「これ以上、何か文句があるでござるか?」
 冒険者達がじりり、と捻りよる。もう反撃の可能性など微塵も残っていない。
「いえ‥‥返済、ありがとうございましたっ!!!」
 憤怒の顔をしながらも、男にはもう何も出来ないし、する権利は無い。
 もう用事は無いと踵を返し農場を去る。
 安殿の息が農場に広がった。これで、一安心だろう。
「あ、あの‥‥シュウさんは?」
「ここにいる。良かったな。アンリ‥‥」
「ありがとうございます。皆さん。ありがとうございます‥‥。シュウさん」
 心の泉が溢れたように、アンリの目から涙がとめどなく流れる。
 冒険者はそれを黙って笑顔で見つめていた。
 そして、涙を止めることができるたった一人の人物は、自らの主を軽く胸に抱いて、涙を受け止めたのだった。

「このお酒‥‥どうしようかな? 学園に売りに戻ろうかな?」
 エレナは酒の小樽を抱えながら小さく首を捻った。
 シードルと古いワイン。報酬は元々これだけと解っていたし、貴重な品だが、学生の身には扱いにやや困る。
「味は‥‥悪くありませんよ。‥‥むしろ、美味しい‥‥」
「ふむ。これだけの味が出せるのであれば、いっそ投資してみても‥‥。いやいや、らしくもないでござるな」
 苦笑しながらちびり、ちびりと幻蔵は文淳と酒を舐める。
「まあ、無事に終ってよかったですよ」
「ええ、これからが楽しみですわね」
 トリアと共にリアナは頷いてさっきまで自分達がいた農場を見やった。
 借金の心配がなくなれば、後は二人ならきっと頑張っていけるだろう。‥‥そう信じられる。
 二人なら。と。
 ただ、一人。いつもなら陽気に振舞う筈の男は‥‥無言で仮面を付け直した。
 自らの言葉の先に、何を彼が思ったか。農場の未来と共に不安を、仮面の下に隠して。

「シュウさん。これからも、一緒に頑張ろうね‥‥」
 久しぶりの穏やかな夜を、自分の酒で祝った主はテーブルの上で、夢心地だ。
 シュウはそっと、彼を抱き上げてベッドに戻した。
「そう‥‥できたら、良かったが‥‥ここまでだ。お前は、もう大丈夫だろう? 達者でな。アンリ‥‥」
 囁くように、噛み締めるように言うと、彼はまるで、いつもと同じように見回りのように部屋を、家を、農場を後にした。
 
 その後、シュウと呼ばれた男の消息はようとして知れない。