●リプレイ本文
『‥‥乱れた世に、神の王国の降臨を。聖杯はその世界へ至る、神の勇者に見出されることを望む‥‥』
それが、聖杯探索の最初の予言だった。
ジーザスの血を受けたと言う杯はやがて、人と亡霊、魔さえも巻き込んでイギリス全土を紅い動乱に染めた。
聖杯の真実の姿、神の王国の降臨。聖杯が導く答えを知るものは無い。
だが、その聖杯を求め、人々は集い‥‥そして戦うのだ。
馬車が時折激しく揺れる。
開いたままの窓からは、刺すような12月の風と、遠い潮の香りが感じられるようになってきた。
馬車の中での打ち合わせ、何度と無く繰り返された情報交換。
到着間際、ぽっかりと開いた時間、ステラ・デュナミス(eb2099)は外に目をやり小さく呟いた。
「探求の獣に聖杯騎士‥‥聖杯って本当に何なのかしら」
答えを求めたわけではない。心から本当に紡がれたそれは疑問だった。
「さあな。ただ、何であれ性質の悪いものであることに変わりはあるまい。やっかいな話だ」
「えっ?」
思いもかけず返った返事に、ステラは目を瞬かせる。
腕組みしたままの銀鎧の騎士、パーシ・ヴァルは顔を上げさえせずにそう言い放った。
「いいのか? アンタがそんなことを言って」
心配そうにリ・ル(ea3888)がパーシの表情を伺う。微かに目を上げて構わない、という顔でパーシは続ける。
「俺は、王の命令に従う。それに変わりは無い。‥‥だが、聖杯を求め、どれほどの戦いがあり、どれほどの血が流れたのか。それを考えれば性質が悪い、程度は言って許されると思うがな‥‥」
「僕の、友人が言っていました。‥‥『聖杯』は英国全土だけですまされるものではない『聖杯を守る事』は世界を守る事に繋がるかもしれません‥‥と。何があっても悪しき心を持つものに渡すことだけは許されないでしょう」
タケシ・ダイワの言葉を思い出しながら、イェーガー・ラタイン(ea6382)は告げた。自らに言い聞かせるように。自らに確認するように‥‥。
「まあ私が考えて分かる程度なら、こんな騒ぎにならないのでしょうけど‥‥でも、そうね。やるべきことが見えているならそれに専念するだけね。結果を出さないと」
迷いを振り切るようにステラは外を見つめる。平原の向こうに見えるかすかな海。
ケンイチ・ヤマモト(ea0760)はリュートの音を合わせる。それが終る頃には到着するだろう。
聖杯への道、探求の獣と謎の待つイブスウィッチの遺跡はもう目前に迫っていた。
「みんなで一緒に探し物〜。いろんなところで探し物〜。守護騎士さんは手ごわいぞ〜。弓を使うぞ。手ごわいぞ〜」
「そう思うなら、あんまりちゃらけずに真剣にやったらどうだ?」
鼻歌を楽しそうに歌ってスキップするボルジャー・タックワイズ(ea3970)に琥龍蒼羅(ea1442)は冷静かつ無表情にツッコミを入れた。
「勿論解ってるって。でも、硬くなりすぎてたっていいことないだろ!」
「解ってるならいい‥‥。だが気を抜きすぎるな」
ぷうと、膨れ顔のボルジャーの上に視線を通して、蒼羅は遺跡の入り口に目をやった。
古い、もう崩れかけた城にも見えるその地は、いくつもの入り口があり、いくつもの道が口を開けている。
「はあ、結構面倒だね。ざっと見た限りでは地下と地上が複雑に入り混じっている感じだ。道は広いけど、こりゃあ油断なんかできないよ」
豪快に声とため息をあげ、パトリアンナ・ケイジ(ea0353)は腰に手を当てた。
「クエスティングビースト。正しく謎の獣を秘めた遺跡です。それくらいは当然でしょう。私にとっては未知のモンスター。なんとか手掛かりを掴みたいものです」
学者らしい興味の目をアトス・ラフェール(ea2179)は遺跡に向ける。
その先にあるものは、まだ見えては来ない。
「元より、油断など一片もできませんし、僕たちは、僕たちにできることをするしかありませんよ」
アレス・メルリード(ea0454)は荷物を担ぐ。その言葉にパーシも頷いて槍を強く握りなおした。
「聖杯騎士と名乗る連中はこの先に現れた、ということだ。他の入り口は別のパーティが調べるだろう。よし、突入するぞ!」
振り返った冒険者達は全員、準備はできている。と目が答えていた。
リルはカンテラに火を入れる。
何があろうと先に進むしかないのだ。
「ん?」
「おい、どうしたんだ? 行くぞ?」
ふと、一度だけ訳も無く振りかえったリルをパーシは呼ぶ。
「‥‥ああ、今行く!」
不思議な感覚を振り払い、前を向いて、今は前を向き冒険者は歩き出した
暗い、光の殆ど無い闇の道を冒険者は進む。
「あ、曲がり角。ちょっと‥‥待ってね」
ステラは一度、瞳を閉じ、呪文を唱えてまた開く。展開される他の誰も見えない水鏡の表面を全身で感じ取る。
「とりあえず、魔法の罠は無い様ね。でも、曲がり角の先に何か罠があるかもしれないわ。‥‥気をつけて!」
「なあに、心配はいらないよ。最悪機先を取られても被害はこの老頭児一人ですむしね‥‥。うん、上にも下にも取り立てて罠は無い様子‥‥っと! うわああっ!」
先頭を歩き、一番先に角を曲がったパトリアンナが、突然悲鳴を上げた。
「なんだ!」
カンテラを握り締めたまま、リルが駆け寄る。注意深く、他の冒険者も近づいていく。
「大丈夫か? 姐さん!」
「油断と無茶はするんじゃない。大丈夫なのか?」
パーシが背中で庇い、パトリアンナは立ち上がった。
「だ、大丈夫さ。でもいきなり、あっちからこいつが飛んで来たんだ!」
角の向こうには、腰を抜かしかけたパトリアンナ。その足元には深々と一本の矢が刺さっていた。
トラップではない。角を曲がった途端それが向こうから飛んできたのだと彼女は道の先を指差す。
道の先には遠いが、微かに明るい光が見える。矢は、そこからきたのだ。
とっさにかわしてバックパックの中身が落ちた程度ですんだのは僥倖。
下手すれば、足に、いや身体に刺さっていてもおかしくなかった状況に冒険者は息を呑む。
身構える冒険者達の耳に、微かに空気をきる音がする。
「危ない!」
アレスの声に、冒険者達はとっさに壁に向けて飛び退った。閃光が冒険者の横をすり抜け、石の床に突き刺さる。
「カンテラの灯りを消せ! ケンイチ!」
仲間達を庇うように槍を握り締め、パーシは指示を飛ばす。
カンテラが消えた闇の中、その意図にケンイチは頷いて、呪文を唱えた。
‥‥第三射はまだ来ない。
「月の光たる矢よ。かの射手を射抜け!」
また風の音。
淡い光の矢と、桃色の閃光がすれ違って飛ぶ。
閃光は雷の如き、槍の一閃に弾かれて天井に突き刺さった。
感じる微かな手ごたえ。微か過ぎてきっと大したダメージは与えていないのだろうけれども。
「この先! あの道の向こうに射手がいます」
「よし! 走れ。ここでは狙い撃ちにされるだけだ!」
おそらく、そう長くは無い距離。言葉と同時に冒険者達は駆ける。
敵の待つ戦場に向って。
闇の廊下を越えた彼らは太陽と枯れた草の匂いに迎えられた。
そこは、かつては城の中庭だったのかもしれない。
石柱と、樹木が聳え、倒れ、かつてはきっと美しかった光景を時が荒々しいフィールドに変えている。
だが、見とれている暇も、状況を把握している暇も彼らには無かった。
シュン!
微かな音。再び飛び退る冒険者の足元を狙ったように、宣戦布告の矢が突き刺さる。
「ここは覚悟無きもの、資格無き者が入っていい場所でない!」
低い響きが冒険者達の耳に届いた。姿は見えない。
石と、木々に跳ね返ってか、声の居場所もはっきりと把握できない。
「この先は資格無き者は通さぬ。聖杯騎士が問う! 汝らは資格あるものか?」
また、矢が放たれる。今度は二連。狙いは違うことなく冒険者の出てきた出口の通路。その右と左へ。
「聖杯騎士‥‥か。ここは、俺が食い止め‥‥」
いいかけて、パーシはその言葉を止めた。
振り返るパーシを見つめる九人、十八の瞳。彼らは誰一人臆することなく、パーシを見つめていた。
「‥‥いや。俺が間違っていたな。全員の力を借りる。これが、聖杯への試練だと言うのなら全員で乗り越えてみせよう」
「ええ、聖杯騎士殿に、思いを戦いで見せましょう」
答えに微笑んで、パーシは声に向って宣言を上げる。
「我らは、資格を持つもの。今ここに、それを証明してみせる!」
ほお、と声が笑った気がした。
「ならば、見せてみよ。汝らの力を!」
キリリ、弓弦の鳴る音がした。戦いの始まり。
冒険者達は‥‥飛んだ!
勝負は、一瞬で決まる。冒険者たちの誰もがそう感じていた。
敵が射手である以上、距離は離すもの。姿は隠すもの。
現に敵は何度も矢を放ち攻撃してくるが、一度たりとも姿を見せず、素早い攻撃と退去を繰り返す。
魔法使い達はその動きについていけず、一箇所に留まっての迎撃に転じざるを得なくなっていた。
水で作った壁で、矢の勢いを殺す。風で矢を逸らし、時に攻撃に転じるが、敵には当たることなく、逆に攻撃が招きよせられた。
呪文詠唱を守るアレスとリル。彼ら五人は一箇所に集まって守りを固めている。
逆に足と動きで攻撃をかわす戦士たち。だが場を知り尽くし、足場さえも味方にする弓兵の動きに彼らは翻弄されていた。
「うっ!」
足に矢がつきささる。小さく悲鳴を上げたアトスはそれでも戦意を失わない目で、自らに治癒をかけて仲間達の集う場に下がる。
退くわけにはいかない。この騎士に認められない限り、聖杯への導きは得られないと解っているのだから。
戦いの中、冒険者達は理解する。この騎士を倒そうとするのなら勝機は一瞬。
居場所を確実に掴み、その瞬間に、全力の白兵戦で全力攻撃を叩き込むのみ。
幸い魔法使いと、それを庇う冒険者たちを主力と見たのか、矢の攻撃の大半は一箇所に集中している。
いかに矢の名手といえど、一人で方向離れた全部の箇所に攻撃などできない。
ならば‥‥。
無言で見つめたパーシの合図に、ボルジャーは軽く指を立てて頷いた。
何事かを確認した後、パーシはわざと大きな動きで槍を払い、木々を切り裂く。
声を上げて、仲間たちの方を見た。一瞬で意図は通じ合う。
そして、命じた。
「今だ! ケンイチ!」
さっき、自らを狙った魔法、その時に呼ばれた名。
弓兵も敵の意図に気付いた。
「‥‥ちっ!」
術者を狙い撃たんと矢が放たれる。閃光のごとき速さで一直線にケンイチに迫る。
「くそっ!」
「させるか!」
「風よ!」
だが、放たれることが解かっている矢なら、全力で止めることはできる。
冒険者たちの眼前に現れた竜巻。それを抜けたとしてもリルとアレスの二重の盾が待ち、最後に水の壁が立ちふさがる。
いくつもの守護の力に詠唱を守られて銀の光が、今放たれる。
「月に生まれし光よ! かの射手を射抜け!」
ムーンアロー。逃れることのできない追跡の矢。
そのコースを追って、一気にパトリアンナとイェーガー。そして正面からパーシ・ヴァルが全力で間合いを詰めに走る。
時間にしてわずか数秒。
「逃がしはしない。逃げるつもりなら地の果てまで走ってもらうよ!」
退路を断つようにして動くパトリアンナ。盾と回避で矢を避けんとするイェーガーそして、雷の騎士、全力の一閃で敵を刺し貫かんとするパーシ・ヴァル。
居場所を見抜かれた射手はそれでも、背後に飛び退り矢を番えた。一瞬の間合いさえあれば‥‥。
尋常ならざる回避力で『彼』は雷のごとき一閃を避ける。次の瞬間、『彼』は意図どおり次射を放てたはずだった。
「さぁ、守護騎士が強いか、パラの戦士が強いか勝負だ!!」
その声が背後から聞こえるまでは。
「なに!!」
そう、これこそが本命の攻撃。
正面からのパーシの攻撃、円卓の騎士の最高の技さえも囮にした必殺の布陣だった。
背後に踊った小さな影は自体全体をバネにして、渾身の力を持ってハンマーを振り下ろす!
「‥くっ!!!」
振り返る間もあればこそ、直撃を懸命に避けて彼は地面に飛び転がる。足の先に激痛が走るがそのまま矢を0距離でボルジャーに打ち込む。
「うわちっ!」
避ける間もなく肩に突き刺さった矢。だが、反撃はそこまでだった。
なんとか膝を突き、弓を持ち直す騎士の前に、銀の槍が閃く。
「‥‥資格を証明する。汝、我等に聖杯への道を開く事を望む‥‥」
冒険者達が一人、また一人集まる。
ボルジャーとアトスの手当てをしながら彼らは目前の聖杯騎士を見つめた。
雷のような眼差しを受ける銀の髪、青い瞳の青年は、戦いの最中に縛るものが切れたのか、戦いには不似合いな流れる髪を一度だけ、かすかに揺らし新緑の瞳に、自ら眼差しを重ねた。
敗者の目では、それはない。自らの信じるものを貫く、騎士の眼差しだ。
「資格を証明せよと、いうならしよう。聖杯への導きを我等に」
もう一度、問いかけたパーシ・ヴァルの言葉に、彼は今度は沈黙ではなく、問いかけで返した。
「‥‥では、問おう。汝らは何のために聖杯を探索する? 何の願いを持って、聖杯を求む? 何の覚悟を持って神の国への道を求む?」
低く、重い、心の中に伝わる声。冒険者とパーシ・ヴァルにかけられた問い‥‥。
アレス・メルリードは答えた。
「‥‥自らの信じるものの為に。俺たちは過ちを犯すことがある。でも、それをやり直すこともできる。それを忘れないため。自らに何かができるその自信を自らに付けるため」
アトス・ラフェールは答えを返す。
「未知の世界を知るため。クエスティングビースト。そして神の国。謎と、未知を乗り越えるため」
琥龍蒼羅は目を閉じ、また開いた。
「目標をかなえる為。自分には成し遂げたい目標がある。聖杯を守ることが世界を守ることに繋がるのなら全力で戦うということを伝える」
リ・ルは答える。
「未来を信じる為。たとえ聖杯がどんなものであっても、イギリスに何が起ころうと未来を守ってみせるから」
ボルジャー・タックワイズは歌うように返答する。
「パラの戦士が強いって事を証明するのさ!! そして守りたいと思うものを守れるだけの力を得るための修行のために戦うぞ!!」
イェーガー・ラタインは考えて、考えて、告げる。
「大切な人を守るため。神の国に行く為に聖杯は手に入れるのが大切ではなく、聖杯に認められる様になる事が大切ではないか、と思います。だから俺は、聖杯に認められる様、愛する者を守れる様、『強くなる』事を約束します。それが俺の覚悟です。剣でデビルを、盾で仲間を守る」
ステラ・デュナミスは微笑んで言った。
「聖杯の真実の姿、何かは知らないわ。私はただ‥‥知らずにいて、気づいた時に終わっているのだけは嫌だから。それが私の限られた命の燃やし方だから‥‥」
歌に竪琴に思いを託すケンイチ。言うべきことは言葉ではなくても伝わると信じて。
パトリアンナ・ケイジは笑う。
「覚悟なんざ、いつでもできてる。聖杯も大事かもしれないけど、大好きな仲間を、守る為に戦うのさ!」
そして、円卓の騎士パーシ・ヴァル。彼はその瞳を一度だけ伏せて、顔を上げる。
「聖杯の力を王に捧げる為だ」
彼の目に迷いは無い。
「俺は、神の国を望みはしない。神の勇者の名誉も要らぬ。ただ、聖杯に関わる者の血がこれ以上流れることのないように。聖杯が悪しき者の手に渡ることの無い様に、この手で囚われし者の呪縛を解き放つ!」
答えを聖杯騎士は膝を立てたまま聞いていた。
まるで祈るような仕草をしたままどれくらい時がたったのか。
小さく笑って立ち上がると、彼は無防備に力を抜いた。敵意の無いことを示すように弓を下げ、身体を横にずらして一本の道を指し示す。
「資格は見定めた。行くがいい。探求者達よ」
「ありがとうございます。デビルは狡猾です。魔力の続く限り警戒は緩めずに行きましょう」
示された道に冒険者達は進む。
言葉にと共に明けられた道、歩み始めた足を止め、振り返り聖杯騎士に
「なあ、一緒に行ってはくれないか?」
親しげにリルは声をかける。
だが、彼は首を静かに横に振っていた。
「俺のここでの役目は聖杯に至る資格を持つものの選定だ。導きの道は開けた。あとは、探求者が自ら探すべきだろう? それに‥‥」
「役割の終わりは悔しいものがあるか?」
意地悪く笑うパーシに図星をさされたのか『彼』は無言で顔を背ける。
それがステラには拗ねた子供のようにどこかほほえましく思えた。最初はずいぶん年上に思えたけれど、この分なら自分やパーシ、リル達と大して変わらないのかもしれない。
「解ったわ。ありがとう‥‥」
‥‥微笑んで、ステラも先に進む。
殿を守るように走り出していくリルとパーシの背中を見送って『彼』は深い息を吐き出した。
一族に生まれた時、いや生まれる前から聖杯に命を捧げ、聖杯を守るために生きてきた日々。
永い、永劫にも似た一族の役割がもうすぐ終わろうとしている。嬉しい様な、悲しいような複雑な思いが『彼』の胸をよぎった。
「俺たちの、役目も‥‥終わりかもな。姉さん‥‥ん?」
伸びをして緩めかけた緊張と身体の筋肉を、硬直させる。
「あれは‥‥!」
冒険者達を導いた先、聖杯探求の鍵が待つ迷宮の奥に、空から飛び込む無数の闇色の影たち。
率いる闇羽の堕天使を弓兵の類まれなる視力ははっきりと捕らえていた。
「しまった! あいつら!」
一瞬、ほんの一瞬だけ逡巡し、『彼』は駆け出した。
その手に弓を、胸に思いをしっかりと握り締めて。
「くそっ! キリが無い!」
インプを吹き飛ばし体制が崩れたところをライトニングソードで切り付ける。
それを何度繰り返したか解らない状況でクールな蒼羅は似合わぬ呟きを口にした。
聖杯騎士が指し示した道を再びパトリアンナの先導で迷宮を行くこと暫し、唐突にそれは現れた。
「キキャアア!!」
崩れ落ちた天井の隙間から現れたインプやグレムリンの数は随分倒したように見えるのに、減ったようになかなか見えない。
少しずつ、少しずつ後退を余儀なくされ、ゆっくりと、ゆっくりと彼らは通路の一番奥、扉の前に追い込まれて行った。
「大丈夫ですか? お二人とも?」
背後にケンイチとステラを庇いながらアレスはそう肩越しに聞いた。
魔法の剣を彼は持ってはいない。三度目のオーラパワーをかけなおすが、二人の援護が無ければ二回目で倒されていたかも知れないとなんとなく感じながらアレスは前を見つめた。
溢れるのはインプ、クルード、グレムリン。一匹、一匹の能力は大したことは無い。
冒険者には簡単に倒すことができる。ただ、無闇に数が多かった。
「やっかいだね! この数の多さは! 腰が痛くなったらどうしてくれるんだい!」
「それが言えるならまだ大丈夫だろう? この先にやつらを進ませるわけにはいかない。なんとか、踏みこたえろ!」
舌打つパトリアンナの横でパーシは全開で槍を構え薙ぎ払った。三匹が横に倒れるが、それでもまだ、数は減らない。
「解ってる! 単なる愚痴さ。行くよ! 薙ぎ払うぜえぃ。地獄に叩き返してやる!」
「冒険者! 先に進め。やつらの狙いはこの先にあるに違いない。絶対に渡すわけにはいかない。確保するんだ! デビルに絶対に渡すな」
「解りました‥‥お願いします。 なんとしても手掛りを掴まなければなりませんね‥‥! 」
「信じてる。死ぬなよ、パーシ!」
「探し物はおいらにまかせろ!」
リルとアトス、そしてボルジャーが細く開けた扉に、すばやく身を翻した。
ケンイチがすばやく扉を閉める。ここから先はもう本当に通すわけにはいかない。
決意を固めて敵と向かい合う。その時だ。
微かな囁きが聞こえ、デビルの海の間から突然ボルジャーが声を上げたのは。
「うわあ〜! 助けてよ〜! いつの間にかこんなところに〜〜」
泳ぐように手をばたつかせるボルジャーに冒険者が瞬きする。
彼は、さっき、向こうの部屋に行ったはず。ならば‥‥
「どうしました?」
前衛のイェーガーがボルジャーへの道を切り裂きながら声を飛ばす。
「おいていかれちゃったよ〜。助けて〜〜!」
ザクッ!
一筋の稲妻のごとく、剣が胸を切り裂いた。
ボルジャーの形をしていたものは、即座に元の形を取り返し、地面に折り重なる。
何度目かの前衛交代。パーシとパトリアンナが前に出て後衛をイェーガーと蒼羅が守る。
「合言葉を決めておいて良かったですね」
「こんな、雑な変身で騙されるものか!」
「そうですね」
すれ違いざまの会話。
『ふうん、そうなんだ〜〜』
イェーガーの耳にだけ、何かが囁く声がした。周囲を見回すその時、微かな笑い声が聞こえた気がした。
「どこだ? 誰です?」
『こっちこっち! 遊ぼうよ〜!』
「えっ?」
首を左右に振ったイェーガーの目の前に、羽を羽ばたかせるシフールがいる。
さっきの明らかな敵の変装とは違う、可憐な少女シフールの登場に、一瞬声と動きが止まった。
『お兄さん、さあ〜、こっちむいて〜〜♪』
イェーガーに微笑む少女。背後の魔法使い達も対応に悩みかけたその時だ。
シュン!
微かな音を立てて閃光が前を通り過ぎた。放たれたのは矢。
狙いたがわずシフールの羽を射抜く。
「えっ? ‥‥あっ?」
夢が覚めたように瞬きしたイェーガーは慌てて矢の飛んできた方向を見た。そこには左手に弓を、右手に矢を持って通路の向こうからこちらを見つめる弓騎士の姿。
やっと目に見えて減ってきたとはいえ、混戦するインプの海の中、一体どうやってシフールだけを射抜けたのだろう?
「あ、貴方は? ど、どうして?」
「たわけ! 目があるなら、そいつをよく見てみろ!」
息を呑むステラに騎士は自分の射抜いたものを矢で指し示した。
同時に
『この馬鹿あ! 役立たずう〜! せっかく、共倒れとか、殺し合いを期待したのにあっさり敵を通しちゃうばかりか、あたしの邪魔をするなんて〜〜!』
そんな罵倒が耳に響く。足元に転がっていたのはシフールではない。悪魔の尻尾を持つ‥‥デビル。
「離れろ! そいつはリリスだ!」
パーシ・ヴァルの言葉に全員が飛び退る。羽から矢を抜き、シフールは不機嫌な顔でデビルたちに命令する。
「もう、怒ったあ! 聖杯も獣も、もーどーでもいいもんね! お前たち! みんなやっちゃえ!」
最後の総攻撃が始まる。向こうはかなり減らしたとはいえまだ数十体のデビル軍団。
だが、人数は圧倒的に不利なのに、もうこちらは負ける気はしなかった。
「お前らは俺が認めたのだ。偉そうな事を言ったからにはこんな奴らにてこずるんじゃない!」
「やれやれ、守護騎士様と言うならこんなののさばらせてるんじゃないよ全く」
皮肉げな言葉を気にもせずパーシ・ヴァルと冒険者達の傍らに降り立つ銀の弓騎士。彼は槍騎士の横に立ち、冒険者に背中を預ける。
「そうだな、もうこいつらの相手をするのも飽き飽きだ。一気に片を付けるぞ!」
槍騎士の激に、冒険者の手に最後の力がこもる。
「ねえ、ひょっとして貴方って結構熱血の人?」
ステラが手で口元を押さえながら言う。それは多分、笑いを堪える手。
彼は答えない。ただ、口元を歪め矢に光を纏わせ別の答えを返す。
「‥‥ゴットフリートだ」
「えっ?」
「俺の名はゴットフリートだ。いくぞ! 冒険者!」
冒険者の顔に笑顔が浮かぶ。疲れきった身体に力をくれる、胸が熱くなる思い。
もう負ける気など、どこにもしなかった。
「円卓の騎士どころか、聖杯騎士とも共闘ですか? 昔の自分からは、いやはや想像もできませんでしたよ。でも!」
月の光、影縛りの魔法。全開で戦う気分は悪くない。
ケンイチは確信していた。
前を行く仲間達の動きは前よりも冴えて鋭い。
‥‥おそらく、きっと、みんな同じなのだろうと。
全てのデビル、そして、指揮官のリリスを倒し終わったとき、さすがの冒険者達も疲れで動くことさえままならなかった。
「あつっ! 容赦なくやってくれましたね。小さくても流石デビルでしょうか?」
はあ、とアレスはため息を付いた。
破れかぶれでリリスが放った炎の玉のやけどが全身で燻ぶるようにちりちりする。
はあはあと息が荒い者もいる。
だから。
だから先に進んでいたリル達が大荷物を手にして戻ってきても、出迎えに立つ動きは明らかに遅れてしまっていた。
「手に入れたぜ! 大丈夫か? みんな? あれ‥‥あんたは?」
戻ってきたリルは、冒険者を心配そうに。怪訝そうに、でもどこか笑顔で膝を立て息を整えるゴットフリートを見た。
「いいんだ。で、何が見つかったんだ」
リルを軽くパーシは制して、立ち上がり荷物を冒険者の前に置かせた。
皆の目が透き通った一抱えもあるクリスタルの宝箱を見つめる。
「しかし‥‥これが、本当に探求の『獣』なのですか?」
アトスがこれまた怪訝そうな顔で聞く。無理も無い。ほかの冒険者も、パーシですら言葉を失う。
鈍い輝きを放つ水晶の箱、その中に封じられているのはどう見ても獣ではない。
褐色の肌。滑らかな皮膚。人間の、身体の一部にしか見えなかった。柔らかい二つの膨らみは、女性の形態を示している。肩から胸部まで切り取られた、それは生気の無い、だが肉体そのものだ。
「これは、一体‥‥」
首を捻る冒険者達に
「心配はいらない」
微かな笑みを浮かべてゴットフリートは立ち上がった。
「それは間違いなく探求の獣、お前達がクエスティングビーストと呼ぶ者の一部だ。力を封じるために人の形を取っている。この遺跡に封じられた肉体の全てを集め真の姿、力が蘇らせることができれば‥‥望みどおり聖杯への道が示されるだろう」
この場での自分の役目は終わったと言うように背中を向けて歩き始める。
「ゴットフリート‥」
「だがな‥‥冒険者」
名前を呼ばれた聖杯騎士は、一度だけ肩越しに振り返り、
「言っておく。聖杯探求の真の目的は、イギリスの、世界の平和などではないぞ。神の国へ人々を導くことの筈だ。聖杯は神の国へ道を開く、その為のものなのだから‥‥。神の国に行きたいのか? イギリスを捨て、お前達はそれでも、お前たちは聖杯を迷い無く求めるのか?」
一つの問いかけを残して行った。冒険者の答えは無い。彼も返事を求めずに長い足で歩み去る。
「我々は聖杯に忠誠を誓う者。もし、聖杯を求めるなら、また再会することもあるだろう‥‥」
静かに、そういい残して。
「パッラッパパッパ!! おいらはパラっさ!! パラッパパラッパ!! おいらはファイター!! ‥‥パーシさん、これ重いよ」
大きな箱を抱えたまま顔をしかめるボルジャーにパーシは小さく苦笑しながら箱を受け取った。
箱以上にパーシの表情は重い。ゴットフリートが語った聖杯探索の真実はパーシだけでなく、冒険者たちの心をも揺らす。
「‥‥神の国‥‥このイギリスを‥‥」
キリリ、唇を噛む音がした。
言葉を途中で止めたのは、精一杯の思いで自制したのは聖杯探索を指揮する者が、聖杯探索の根幹に携わる疑問を口にしてはならないから。
沈黙するパーシを代弁するかのようにイェーガーは静かに顔を上げた。
「聖杯自身は『神の国』への鍵にしかならない、『神の国』は人自身の努力によってしか、人の世に作り上げる事は出来ない」
それが、自分の信じる思いだと静かに告げる。
パーシの代わりに。空を仰いで。
この「探求の獣」が真実の姿を取り戻すのはいつの日か。
その時一体何がおきるのか?
神の国とは、一体何か。
まだ知る者は誰もいない。
急速に回り始めた運命の輪の存在と銀の弓騎士ゴットフリートとの再会。
不思議に確信めいた思いを抱きつつ、冒険者達はイブスウィッチを後にして帰路についたのだった。