桔梗の咲き乱れる頃に

■ショートシナリオ


担当:夕凪沙久夜

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 81 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月18日〜06月21日

リプレイ公開日:2005年06月26日

●オープニング

 辺り一面に広がる桔梗の花。
 それを前に一人の女性がぽつんと佇んでいた。
 女性の名は琴子と言った。
 琴子はどんよりとした雲から小雨がぱらついているというのに、傘も差さずにただ雨に濡れる花を見つめている。
 雫がつーっと花の上を滑り落ちるのを眺め、それから何かに気付いたように視線を前方へと向けた。
 その視線の先には、先ほどまで誰も居なかった桔梗の花の真ん中に、琴子と同じように傘も差さずに佇む影があった。
 琴子と同じ歳くらいの青白く不健康そうな女。
 幽霊とはこのような者を言うのではないかと琴子は思ったが、とりあえず声をかけてみる。
「あなた‥‥‥」
「桔梗の花に何を見ていたのかしらねぇ?」
「えっ‥‥?」
 女の言葉に琴子は動きを止めた。
 桔梗の花に見ていたのは、昔の恋人の面影。
 今はもう居ないその人の事を、あの幸せだった日々の事を思い出していただけだった。
 同じ所に行ったら、また自分は再び笑顔を取り戻せるだろうかと。
 桔梗の花の開く直前のあの膨らみ。あの中に望む夢が詰まっているのではないか、と淡い期待を抱いて。
 死んであの世で一緒に手を取り合う死の幻影を、琴子はただ静かに眺めていたのだった。
「あたしならあんたの願いを叶えて上げられるかもしれないよ。だって、あんたはこの世に生きていても仕方ないって思ってるんだろう?」
「それは‥‥‥あなた一体‥‥」
 口元に笑みを浮かべた女は、首にかかった縄をぐるぐると弄びながら琴子へと近づく。
 ニィ、と口元が上がり青白い肌にその口に引かれた紅だけが映えていた。
「あたしに魂を差し出してご覧。そうしたら、幸せにしてあげるよ、一生ね」
「まさか、そんなこと‥‥」
 ぐらぐらと琴子の心は揺れる。
 女の生気のない暗い瞳に心の中の全てを見透かされているようで落ち着かない。
「ほら、どうする?」
「わ‥‥わからない‥‥」
「‥‥決心がつかないということかい? あぁ、それは大変だ」
 大げさな身振りで女は琴子の手を取った。びくり、と琴子の身体が震える。
 冷たすぎるその女の体温で凍えそうだった。
「夢を見るのなら早い方が良いと思わないかい? 待ってる人だって、若い女の方が良いに決まってるよ。魂の契約は簡単だし、すぐにでも傍に行って上げたらどうだい?」
「でも‥‥あの人は私を守って‥‥」
「どうせだったら一緒に逝った方が幸せだったのかもしれないねぇ、あんたたち」
 今からでも遅くないんだよ、と女の声が脳内にこだまする。
 琴子はそれを追い出すようにフルフルと首を振った。
 生きろ、と言った恋人の言葉が思い出されたからだった。
 しかし目の前に吊された甘い誘惑に琴子は直ぐにでも縋り付きたくなる。
 目の前の桔梗はもう二人一緒に見る事は出来ないのだから。
 どんなに咲き誇っても、美しくても。
 一緒に見てくれる人が居なければ意味がない。
「ふふふっ。まだ決められないようだねぇ‥‥あたしと一緒においで。決まるまで待っていてあげようじゃないか。悪いようにはしないよ」
 そう言いながら琴子に差し伸べられた手を、琴子はつい取ってしまっていた。
 女の笑みが深くなる。
「あっちに山小屋がある。そこでこれからのことを考えればいいさ」
「‥‥‥でも家があるし」
「この桔梗が家からは見えるだろう? 見たら辛くなる‥‥それでもいいのかい?」
「‥‥‥見たくない」
「ほら、あたしの言う通りにしてれば悪いようにはしない
 笑みを浮かべた女に引きずられるようにしながら、琴子は山小屋へと歩いていった。


 その様子を見つめていた中年の男が、ギルドへと走る。
 あれは話でしか聞いた事が無かったが、縊鬼と呼ばれるものではなかったか。
 ことある事に耳元で死へと誘う言葉を囁き、魂を差し出せば幸せになれるという契約を持ちかけるという縊鬼。
 桔梗が好きだった琴子と恋人は、よく桔梗を前に楽しげに会話をしていた。
 それを男は何度も見ていて微笑ましく思ったものだった。
 恋人が先日の亡者の進撃により亡くなった後も平気な顔をして暮らしていた琴子だったが、桔梗が咲いた途端、様子がおかしくなった。
 それを心配し見ていたらこんなことが起きて。
 後追いなど、とんでもない話だ。
 なんとしても阻止しなければ。
 そうでなければ、琴子を庇って亡くなった恋人が浮かばれない。
 既に琴子の心は動いているようだった。
 強くなってきた雨が男に激しく当たる。
 早くこの雨が上がり、虹が出て笑顔が戻ればよいと男は思った。

●今回の参加者

 ea6967 香 辰沙(29歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 eb0487 七枷 伏姫(26歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb1362 セラフ・ヴァンガード(24歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb1630 神木 祥風(32歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 eb1975 風樹 護(40歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb2041 須美 幸穂(28歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb2477 紅 麗華(20歳・♀・僧兵・エルフ・華仙教大国)
 eb2704 乃木坂 雷電(24歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 しとしとと振る雨は未だ止む気配を見せない。村へと辿り着いた一行は一面に広がる桔梗の花を見ていた。
「この雨‥もしかしたら、亡くなった恋人が泣いてるのかな‥上がると、いいなぁ‥」
 セラフ・ヴァンガード(eb1362)の呟きに香辰沙(ea6967)も小さく頷いて薄暗い空を見上げた。依頼人の男から示された山小屋の見取図を眺めつつ紅麗華(eb2477)は二匹の犬の頭を撫でている。
「ここは二手に分かれていくことにしましょう」
 風樹護(eb1975)の提案で、説得班と待機班の二手に分かれ、それぞれ配置に付く事にする。
 人の心の闇に付け込む魔性、必ずや払って見せましょう、と心に誓った神木祥風(eb1630)。説得に向かったのはその他に七枷伏姫(eb0487)、須美幸穂(eb2041)、乃木坂雷電(eb2704)と護の五人だ。残りの三人は戦闘の準備をしつつ小屋の付近で待機する。
 辰沙は一足先にミミクリーで鹿へと変化すると山小屋付近を探索しにいった。外からは中を窺う事は出来ないが、細く煙が出ている事から琴子は食事をとってはいるのだろう。心を囚われかけているとは言っても、日常生活を営んでいるのだからまだ完全に心を奪われてしまった訳ではないようだ。
 琴子様が迷ているうちに間に合えばええ、と辰沙は胸の内で思い山小屋を後にする。そして、現在の状況を説得班へと報告する為に大急ぎで戻った。
 辰沙からの報告を受け、説得班は旅人を装い山小屋へと向かう。
 祥風は途中、デティクトアンデットを使い中に確実に縊鬼がいるかどうかを確認する。土間のあたりに縊鬼はいるようだった。

 説得班は軒下で雨宿りをするように山小屋へと近づいた。
「雨宿りをさせて貰ってもいいか?」
 雷電の何気ない言葉に小屋の中に緊張が走る。しかし先ほどより雨が激しく降ってきており、雨宿りも不自然ではない。それに中にいる人物も気付いているのか、どうぞ、と素っ気ない女性の声で返答があった。
「この雨はずっと続くのだろうか」
 溜息混じりの雷電の呟きはしっかりと中へと届いているのだろう。どうでしょう、とくぐもった声での返答があった。とりあえず外との接触を縊鬼が遮断していないのが幸いした。これで接触も出来ない状況であれば説得など難しかっただろう。
 ただし安心は出来ない。縊鬼がどのような状態で琴子に話させているのかが皆には見えないのだから。それにこの声が琴子だという保証もない。依頼人から聞いてきた琴子の容姿も目にしなければ意味がないのだ。
 それでも先へ話を進めねばならない。
「ここへくる途中、とても美しく桔梗が咲いている場所がありましたがあれは見事ですね」
 幸穂が尋ねると外まで聞こえる程に、ひっ、と息を呑むのが聞こえた。縊鬼が動いたのか、と思ったがそうではなく単純に桔梗の話題が出た為驚いたようだ。
「今が時期ですから」
 すぐに呟かれた女性の言葉に感情はない。自分から何かを話すという事はないようだ。
 琴子の気は引けているものだと思った護が更に続ける。
「黄泉軍の進軍で幾人もの死者が出たが、桔梗の花は守らないといけないですね」
 途端、がしゃん、と何かが割れる音が響いた。湯飲みか何かを落としたのだろうか。
 それから一生懸命、ぜぇぜぇと荒い息を整える音が聞こえる。そして女が、言っただろう、私の言う事だけ聞いていれば傷つかずに済むんだよ、と言っている声が小さく聞こえる。
 中で何が起きているのかが気になった。甘い言葉を今も縊鬼は囁き続け、外で説得をすればする程それをだしに更に琴子を取り込もうと声をかけているのが分かる。
 そのままにしておく訳にもいかない。
 小さく開いた窓からちらりと覗く雷電。その目に映ったのは、一人の女が割れた湯飲みを拾いながらもう一人の女に何事か呟いている場面だった。中に女は二人いた。雷電は中の二人に尋ねる。
「申し訳ない、横殴りの雨で少々ここは濡れるようだ。雨宿りさせて貰っている分際で申し訳ないと思うが、どうか中に入れて貰えないだろうか」
 女性は中に入れるのを渋る。
 しかしここで引いては意味がない。此処へは琴子を助けに来たのだから。
 説得班も必死だ。
 それでも中にいる女性はなかなか、うん、とは言わない。しかし何度目かの交渉時、本当に風が強く吹き付け雨が山小屋の壁を打ちつけた音を聞いて、どうぞ、と一言だけ告げた。
 自然に感謝をしつつ、五人はぞろぞろと中へと入る。その人数に一人の女性は目を丸くした。
「五人もいらっしゃったんですか」
 頷きながら五人はどちらが琴子か判別出来ずに一瞬困惑した。
 同じ様な背格好で容姿の二人がそこにはいたからだ。縊鬼は対象となる人物に似た姿をとることが多いのだ。しかしすぐに縊鬼と琴子の区別が付いた。一人がもう一人の女性の背後から何事か囁いていたからだ。
「女二人でここに?」
 あくまでもさりげなくだ。それ以上のものを縊鬼に悟られてはいけない。しかし、縊鬼は勘づいてしまったようだ。
「こいつらはアンタを連れ戻しに来たんだよ。せっかく良い思いをさせてやってるのに忌々しいねぇ」
 ニタァ、と琴子の背後で笑う縊鬼。
「私は‥あの人と一緒に‥」
 ガタガタと震えて背後の女性にしがみつこうとする琴子。
 これはいけない、と祥風は言葉を紡ぐ。
「早まってはなりません。今の貴方の生が有るのは、己の命と引き換えてでも貴方が未来を生きる事を願った方が居るからでしょう。今、此処で貴方がその命を投げ出すという事は、その方の想いを踏み躙る事に他ならないのでは有りませんか?」」
 琴子の身体が震えた。
「死に疑問があるのなら生きなさい、生に疑問があるのなら生きなさい。‥黄泉路に帰り道は無い、死に納得できなければ死ぬべきではない」
 護も言葉を紡ぐ。続いて伏姫が言う。
「死んで彼に会う事は何時でも出来るでござる。されど生きる事は今しか出来ず、死んだら終りでござる。彼の分まで生きて彼から貰った命を精一杯使いきり、天寿をまっとうしてこそ、あの世で彼に堂々と胸を張って会えるのではないでござるか?」
 琴子はふらり、と伏姫の方へと一歩を踏み出そうとした。しかしそれを押さえながら琴子の耳元で縊鬼が囁く。
「あぁ、駄目だよ。あたしの言葉だけを聞いていればいい」
 ガッチリと琴子を押さえつけた縊鬼はなおも続ける。
「桔梗の花など見たくはないんだろう? 全部枯らしてあげる。全て葬ってあげる。さぁ、こっちに」
「桔梗を枯らしてはなりません。きっと琴子さまの恋人は桔梗の所にいると思います、ずっと」
 幸穂の言葉は琴子の胸を刺す。涙が溢れ出て止まらなかった。
「私は‥私は‥」
 縊鬼は、ちぃっ、と舌打ちをした。

 セラフは鳴弦の弓を手に、説得班が上手く中へと入り込むのを待っていた。説得班はうまく中へと入る事が出来たようだ。それを見計らいセラフは山小屋へと近づいた。
 辰沙と麗華もじっと山小屋の様子を窺っていた。
 中で何かを言い合う声が聞こえる。失敗したのかもしれない、と思った時入り口の扉が開かれた。しかし中から出てくる者は居ない。
 麗華は二匹の犬に叫ぶ。
「八咫、夜摩! 私のことは良い、琴子殿をはよう外へ連れ出すのじゃ」
 その声に従い二匹の犬は中へと駆け込んでいく。
 セラフも弓を引いて音をかき鳴らした。辰沙も山小屋へと駆けた。

 縊鬼が琴子を傷付けるかもしれない、と思った雷電は近くの扉を開け放つ。これ以上の説得は無理だろうと。
 それに気付き待機していた三人が行動に移る。かき鳴らされる弓。駆け込んできた二匹の犬は縊鬼を琴子から放させようと吠えたてた。犬を手で薙ぎ払い縊鬼は琴子を抱き寄せる。しかしもう一匹の犬が噛みつき縊鬼が手を離した所へ祥風がコアギュレイトをかけた。縊鬼の動きが止まる。今の内にと琴子を連れて山小屋から避難した。
 駆けつけた辰沙が捕縛された縊鬼にビカムワースをかける。それに続き伏姫がオーラソードで斬り付け、麗華と辰沙のブラックホーリーも襲いかかった。
 瀕死の縊鬼がずるずると這いながら琴子へと手を伸ばすが琴子は首を横に振る。
「残念よのぅ。せっかくの機会を‥」
 がくり、と縊鬼は地に伏せた。まるで縊鬼が雨を降らせていたかのように、縊鬼が絶命すると雨が上がりほんの少しだが青空が見える。

 大分落ち着いた琴子と共に皆、桔梗の花を眺めていた。まだ心の中で納得など出来ていないのだろう。琴子は視線を宙に漂わせている。
「花に罪はない‥ただ無心に毎年花を咲かせてくれるのじゃ。人の思いと共にな‥のう‥琴子殿、そなたの想い人への思いはこの花の色のように鮮やかなものではないのかの‥。毎年こうして花が咲けば想い人が傍にいてくれる‥そんな気がしないかの?」
 麗華の言葉に琴子は、分からない、と小さく呟いた。そこへ幸穂がファンタズムで琴子の恋人の幻影を作り出した。それに目を見張る琴子。そしてその場に泣き崩れた。
 そんな琴子の肩を優しく叩き、微笑を浮かべながら辰沙が呟く。
「桔梗‥お嫌いどすか? うちは好きやわ。花がジャパンの色で二藍いうて聞いたん。藍と紅‥呉の藍、二つの藍を重ねた色やから二藍なんやてね。二つの愛‥恋人の花やいう事やろか」
「桔梗は凛と咲く花。彼は貴方にそうあって欲しいのですよ‥凛と前を見て生き抜いて欲しいのですよ」
 護の言葉が琴子の胸に響く。
「生きてる人が、死んだ人にしてあげられる一番のことって、生きて幸せになることだと思う。ほら、雨、上がって‥虹、出たよ。彼が、幸せになれよって、笑いかけてくれてるんじゃないかな」
 セラフが空を指差しながら言う。琴子もそれにつられて空を眺めた。
 空にかかる虹を眺め皆の顔に笑みが戻る。
「天にも地にも‥花の色、やな‥」
 辰沙の呟きは空に人の心に溶ける。空から桔梗の花畑まで虹が美しくかかっていた。