●リプレイ本文
物思いにふけっていたシフォン王国の姫、リラ・サファト(ea3900)は、ノックの音で現実に引き戻された。
「姫様、入っても宜しいでしょうか」
「どうぞ」
部屋に入ってきた侍女の藤浦沙羅(ea0260)は、リラの顔を見るなり言った。
「考え事してたの?」
「ええ‥‥沙羅は何でもお見通しなのね」
幼い頃から共に育った2人は、主従関係である以前に大切な親友同士だった。なので、2人きりの時にはこんなふうにくだけた話し方をする。
「考えてたのって、結婚のことだよね‥‥ねぇ、結婚の話、リラはどう思ってるの?」
問われて、リラは窓の外――レア王国の方角へ視線を向けた。見知らぬ国に思いを馳せる瞳に陰りはなく、むしろ輝いてさえいる。
「驚いてはいるけれど、それほど悲観的には思わないのです。王子はどんな方なのでしょう‥‥優しい人? 何が好き? これから嫁ぐ人の事を、もっと色々知りたい」
その様子をじっと見守っていた沙羅も、ようやく笑顔に戻った。
「リラがそう思うのなら、沙羅は協力するよ。リラとは小さい頃からずっと仲良しだったんだもん。やっぱり納得して結婚して欲しい」
「ありがとう」
リラが微笑んでそう言った時、再びノックの音が響き、今度は乳母のエレア・ファレノア(ea2229)が入ってきた。エレアもリラが赤子だった頃からずっと傍にいた者なので、リラのことなら何でもお見通しだ。
「結婚の話をなさっていたのですね」
「ええ、そうなの」
リラはエレアにもまた、自分の気持ちを包み隠さず話した。それを聞いたエレアはこう提案する。
「王子様のことが気になるのなら、手紙を書いてみてはいかがでしょう? 私が王子様の元へお届けしますわ」
リラはこれに賛成し、さっそく手紙を書き始めた。
レア王国の王子、藤野羽月(ea0348)もテラスから隣国のほうを眺め、物思いに耽っていた。そんな王子に、誰かが声を掛ける。
「また難しい顔してますね」
声の主は新米宮廷魔導師、リーベ・フェァリーレン(ea3524)だった。羽月とは幼馴染で、共に魔法を学んだ仲でもある。
その隣には宮廷料理人、エグゼ・クエーサー(ea7191)の姿もある。元は騎士だったのだが、思うところあって料理人の道に進んだという、一風変わった経歴の持ち主だ。
「今回の結婚、王子自身が望んだものじゃないんだろ?」
問われて、羽月は複雑な笑みを浮かべる。
「確かにそうだが、異を唱えるつもりはない。己の立場はよく理解している」
「責任感が強いのは殿下の長所でもあるけど、それに縛られすぎるのは良くないですよ」
「同感だな」
たいていの者は相手が王子というだけで恐縮してしまうものだが、そんな中、こうして率直な意見をくれる2人の存在は羽月にとってありがたいものだった。
「殿下は‥‥いえ、あなたは、国を背負う王子である前に、1人の男性として彼女を‥‥1人の女性を愛せますか?」
「‥‥それに答えるには、まず相手のことを知らなければならない。よくも知らない相手を娶って、果たして幸せにできるのか‥‥それが不安なんだ」
見知らぬ国に嫁ぐ姫はきっと不安だろう。祖国や家族を思い出し、淋しがったり泣いたりすることもあるかもしれない――そんな彼女に、自分は果たして笑顔を与えてやれるだろうか? いくら考えても堂々巡りで、なかなか答えは出ない。
そんな王子の表情を見て、エグゼは諭すように言った。
「幸せなんて、人によって変わってしまう不確かなもの。決まった定義なんて存在しない‥‥だから、少しでも自分の幸せを考えることはした方がいいだろ。たとえ答えが出なかったとしても、だ」
ずっとリラのことばかり考えていた羽月は、はっとしたように呟く。
「‥‥自分の、幸せ‥‥」
それについて彼が何か考えようとしたその時、侍女から報せがもたらされた。
隣国より使者が訪れている、と。
手紙を書いてみたものの、やはり直接王子に会いたい‥‥ということで、彼女は侍女に変装してエレアに付いてきてしまった。もちろん、沙羅も一緒だ。
謁見の準備が整うまで待つようにと通された部屋で、リラは近くにいた宮廷魔導師リーベに訊ねてみた。
「私、レア王国に来るのは初めてなんです。羽月王子はどんな方なのでしょう?」
「とても真面目で誠実な人ですよ。真面目すぎるのが玉に瑕だけど」
リーベは下手に飾り立てることをせず、自分の知る羽月のことをありのままに話した。
「深刻に考えすぎるところがあって‥‥考え事に没頭しすぎて、廊下を歩いている最中に私と正面衝突しちゃったこともあったっけ」
その話を聞いて、リラは思わずくすくすと笑う。
するとそこへ、エグゼがお茶を持って入ってきた。テーブルにカップを並べ終えると、彼は興味深げにリラたちの顔を見渡して訊ねる。
「不躾なことを訊くようだが、この度の結婚‥‥そちらの国の姫はどのように思っているんだろう?」
「良からぬことを囁く声もあるようですが、私‥‥あ、いえ、姫は皆が思うほど嘆いてはおりません。王子様にとても興味がおありだとか」
変装中のリラは他人事を装いつつ答える。それを聞いてエグゼは少し安心したようだった。
「そうか。嫌々結婚させられるってのは、後味が悪いが‥‥前向きに考える余裕があるなら何よりだ」
「ええ。確かに、見知らぬ方と結婚するのは不安もありますが‥‥」
ほろりと本音を零すリラ。しかし幸い、エグゼは気付かなかったようだ。
「幸せの形なんて人それぞれ。だからこそ、自分の幸せは自分で探すしかない‥‥姫も、ちゃんと見つけられるといいな」
「ええ、姫様の幸せは姫ご自身にしか掴めないものですから。臆さず、ご自分の気持ちに素直になって欲しいものです」
エレアが相槌を打つのを聞いて、エグゼはふと思いついたように皆に問い掛けた。
「つかぬことを訊くが、あなたがたの幸せとは何だろう?」
「姫様が幸せになってくれたら、沙羅も幸せ。沙羅は姫様が大好きだから」
「私も同じです。姫様は我が子も同然‥‥愛し子の幸せは、母親にとって何よりの幸せです。血のつながりがあろうと、なかろうと」
「魔導師としての道をひたすらに邁進するのみ! それが私の幸せかな」
エレアも沙羅もリーベも、迷いなく問いに答えた。それは彼女たちが自分自身をしっかり見つめている証拠。
皆の答えを聞いて、エグゼは自身の幸せについては随分長い間考えていなかったことを思い出す。
「なるほどな‥‥俺もそろそろ、自分の幸せってやつを考えてみるかな」
彼がそう呟いたところで、使いの者がやってきて謁見の準備が整ったと告げる。
エレアはリラが書いた手紙を携え、謁見の間へと通されていった。
手紙を読み終えた羽月は、知らず知らずのうちに穏やかな微笑を浮かべていた。
シフォン王国の城は春になると美しい花で満たされること、その花で花冠を作ったこと、そうしたら虫がついてしまって大変だったこと‥‥そんなささやかな内容が、何故か不思議と愛しく思える。
そしてふと思い立ったように立ち上がり、羽月はすぐさま外へと出て行った。
姫と言えど、リラとて1人の少女。そんな彼女のために、花でも買ってみたいと思ったのだ。見知らぬ国に来て心細くても、部屋に飾られた花を愛でれば少しは心安らぐかもしれない。そんな些細なことでもいい‥‥とにかく、何か自分にできることをしてみたかった。
ちょうどよく向こうからエグゼとリーベがやって来たので、羽月は急いで声を掛ける。
「すまない、私は少し街まで行ってくる。皆には適当に誤魔化しておいて欲しい」
リーベはそれを咎めるでもなく、にっこり笑って手を振った。
「自分の気持ち、ちゃんと見えたようですね」
頷く羽月の顔に、もはや迷いはない。
「‥‥私は1人の人間として、姫を幸せにしたいと心から願う。それが私自身の幸せでもあるから」
こう言って立ち去ってゆく羽月の後姿を、2人は満足げに見送っていた。
目当てのものを手に入れた羽月は、急いで駆けていた。そして廊下を歩いてくるリラたちの姿を認めて声を掛ける。
「良かった、間に合った‥‥これを姫に渡してもらえないだろうか?」
彼がエレアに手渡したのは、ライラックの花をかたどったブローチだった。腕には驚くほど大きなライラックの花束を抱えている。
「ライラックは異国ではリラと呼ばれるらしい。姫と同じ名だし、喜んでもらえばと思って」
「そちらの花束は?」
エレアに問われ、羽月は少し照れたように答える。
「離れていても姫のことを想っていられるよう、城じゅうに飾るつもりだ」
それまで後ろに控えていたリラだが、その言葉を聞いて決心したように進み出た。そしてエレアの手からブローチを受け取り、羽月に微笑みかける。
「ありがとうございます。王子のお気持ち、確かに受け取りました」
「え‥‥姫‥‥?」
まさかリラがお忍びで同行しているなどと思ってもいなかった羽月は、思わず目を丸くする。そんな羽月に、リラは楽しげに告げた。
「皆には内緒にして下さいましね?」
そして王子に別れを告げ、城門まで歩く道すがら、沙羅はとても嬉しそうにリラに話しかける。
「羽月王子なら、きっとリラのこと幸せにしてくれるね」
照れながら、リラも笑顔で頷いた。
薄紫に咲くリラの花――その花言葉は「初恋」という。
その後、レア王国では無事に婚礼の儀が執り行なわれた。
エグゼ特製のウェディングケーキや料理が振舞われ、沙羅が祝いの歌を披露し、式は温かな空気に満ち溢れたものとなった。
ただ与えられたものに従うだけではなく、自分自身で動き考え、リラはその幸せを手にしたのだ。
晴れやかに微笑む新郎新婦を、城じゅうに飾られたリラの花が優しく見守っていた。