●リプレイ本文
「ご安心下さい。危機には冒険者、これ常識ですからっ」
憂いの顔を見せるのはこの世界へと自分達を召喚した女。事情を聞いて、ブラン・アルドリアミ(eb1729)は丁重に礼を取る。
そして、召喚された八名。女の言葉に従って、森をさらに奥へと進んでいた。
見渡す限り続く樹。その森は一体、どのくらいの広さがあるのか見当もつかない。もしかすると、この世界全てが、森で出来ているのかもしれない。
いわゆる『人間』が住んでいる痕跡は微塵にも伺えない。それでも、綺麗な森だと思った。普段は鳥の声や獣の息遣いが響く、いい森なのだろう。
しかし、今その森をうろつくのは腐った目をした死人たち。森の支配者であり狩人なそれらは、木陰から、根元から、時には頭上から問答無用で飛び掛ってくる。それを斬り払い、薙ぎ払い、矢を射掛けながら、彼らは進んでいく。
進み行くほどに、死人の数は増していく。濃い闇と暗い緑と、死の群れ。
その中にほのかな淡い光の欠片がちらりほらりと降り注ぐ。
「雪か?」
「いいえ、桜です」
首を傾げたリール・アルシャス(eb4402)に、御影祐衣(ea0440)は掌で受け止めた花びらを見せる。風に吹かれたそれは、はらはらと掌から零れ落ちる。
と、唐突に突風が吹き荒れる。
思わず身を庇った彼らの周囲で、薄紅色の花びらを無数に孕んだ風は、文字通り、全てをなぎ倒し消し去っていた。
再び顔を上げると、景色は一変。深い森の闇は消え去り、現れたのは淡い光。
それは、ただ一本の巨大な桜。太い幹は天を支えるかの如く。天の闇全てを覆い隠すように、頭上に広がる薄紅色は全て桜の花。伸びた枝は世界そのものを抱き留めんかのごとく彼方へと伸び、そこから雨のように雪のように絶えず花びらが降り注いでいる。
「自分の世界では、今の自分と同じように天界より召喚され来た者たちがいる。その者たちの話で桜という美しい樹があると聞いていたのだが‥‥」
感嘆しきりに、息をつくリール。いや、リールで無くとも目を奪われるほどの美しさがあった。
「‥‥などと、悠長に見とれている暇もないようですけどね」
和んでいた目が一転、険しさを帯びる。周囲にゆっくりと視線を巡らせ、リョウ・アスカ(ea6561)は張り詰めた声を上げた。
天を仰げば見渡す限りの桜。しかし、地に目を向ければ、杭を打ったように乱立する枯れた木々と、どこまでも続くむき出しの地面。荒れ果て、緑などどこにもない‥‥何も無いその土の上をただ白い花びらが降り注ぐ。
そして、積るその花びらを踏みにじるように、無数の死人たちが蠢き、生者を見つめて近付いて来ていた。
「桜の下にゾンビか‥‥。桜は綺麗だが、ゾンビは厄介だぞ」
迫る死体に不快な目を向け、リュイス・クラウディオス(ea8765)がぶつぶつとぼやく。
「桜の花の色は綺麗過ぎるから、そないな風に言われてしまうんやろな。この樹かて、こない綺麗なんやから、一刻も早く死体なんか無いて気付いて欲しいわ。‥‥セイちゃんかてそう思うやろ?」
「そうだな。そして、こうしてる間にも桜の狂いがこの世界を蝕んでいる。‥‥時間が無い。先を急ぐとしよう」
「よっしゃ背中は任せとき」
藤村凪(eb3310)に、セイクリッド・フィルヴォルグ(ea3397)も同意を示す。
召喚された者たちは同一の世界から呼ばれた訳でなく、その出身はばらばら。だが、この二人は夫婦で仲良く呼ばれている。得物を構え、死体たちにその刃先を向ける姿すら、二人、息のあった動きを見せる。
「ノクト、君は前衛へ。私も出来る限り援護する」
「分かりました、オルフェがそう言うなら。‥‥しかし、これだけの数は大変だ」
指示を出すオルフェ・ラディアス(eb6340)に、チーターのノクトが器用に肩を竦めて苦笑して見せる。
「ぼやかないで下さい。君だけを行かせる訳じゃないのですよ?」
「ええ、承知しておりますよ。オルフェの腕前もね。‥‥では、道を開きます!」
くるりと尻尾を振り、安堵したようにノクトは頭を下げる。そして、頭を擡げると、それはもはや戦士の顔。鋭い目線で敵を捉えるや、獣の瞬発力で間合いを詰め、爪で切り裂く。
ころりと転がる死人の首を気にも止めず、その時にはすでに次の獲物に牙を食い込ませ、引き摺り倒している。敵意をむき出しに暴れる獣に、オルフェも弓に矢を番え死体を射抜く。
一同目掛けて迫り、自然出来た死人たちの円。その一角が崩される。
そこをさらに押し広げるように、リョウが愛剣であるクレイモアで薙ぎ払う。
生み出されるは衝撃波。重い刃が風となって、次々と死体を切り刻む。
「行きましょう! 桜の大きさからして、近付くまでまだ距離があるはず。説得する方は気をつけて」
桜に語ろうとする者たちを庇いながら、リョウはまだ動く死体たちを次々に斬り伏せていく。
ブランもオーラを集中して士気と防御を固めると、日本刀を両手に構えて死人たちを切り崩しにかかる。しかし、幾ら切り払おうと死人の数は減らない。桜の方から続々と新手が押し寄せてくる。
「数が多いですね。俺が囮になって、少し向こうに散らします!」
「単独は危険や! 気ぃつけ!!」
セイクリッドと背中合わせになり、凪は両の手に持った小脇差と小太刀を振るう。互いが互いの死角を補い合い、包囲する死人たちに隙を与えない。
その彼らに、大丈夫と笑って、ブランは突っ切る。
(「御安心下さい。危機には冒険者、これ常識ですから‥‥か」)
召喚した女は、己の願いをかけて自分たちをここへと送り出した。着いては行けないと憂える彼女に、ブランはそう語りかけ微笑んだ。
今は退いたものの、以前にもこうした難事を代行する仕事をしていた。客からの、自身では為しえぬ事を託す期待と不安が入り混じった目は、非常時ながらも酷く懐かしかった。
「大丈夫です。必ず、この依頼は遂行してみせます!」
この場にはいない女に向けてブランはもう一度笑みを浮かべ、誓う。そして、躊躇なく飛び掛ってきた死体に刃を返した。
止む事の無い死人の襲撃。ゆったりとした緩慢な動きながらも狙いは確実に一同へと向けられていた。
「しつこい!」
まとわりつく死人に対してリールはランタンで振り払う。さすがに火は怖いと見るか、死人の動きが躊躇する。だが、それも一瞬。すぐに自分はすでに死んでいるのだと思いだしてか、躊躇い無く襲い掛かってくる。
燃やせばすぐに燃えそうな感じだが、それは自分たちも火に囲まれる事も意味する。あまり下手は出来なかった。
進んでも進んでも、桜の大きさは変わらない。巨大すぎてどこまで近付いているのかすら分からない。
『‥‥にものだ』
果たして体力が持つのか。そんな危惧を抱き出した頃、唐突にその声は響いた。
『――何者だ。汝ら、死者にあらず。何故、生者がここにある‥‥』
否。
それは声とは言えぬ物。耳を通さず、心に直接語りかけてくるテレパシー。
「桜か! 桜かいな!?」
「危ない!」
はっとして顔を上げた凪に、死人の手がかかる。そのまま爪を立てようとした死人を、セイクリッドは剣で切り捨てた。
『何故、生きている者がいる。桜――我の下には死人が‥‥死が‥‥』
「あなたの下には、死人などいない! あなた自身、知っているはずだ。あなたは世界を――人々の心を支える者。思い出すのだ、あなたの素晴らしい力を!!」
心に浮かぶが故に、流れ込んでくるその感情。恐怖に怯え、震えるその心の内。
その心に届けとばかりに、リールが声を張り上げる。
突風が吹き荒れた。春の嵐の如く無数の花びらが吹き付けてくる。
『‥‥違う‥‥違う! 死人が! 起き上がってくる、死が!!』
叫ぶような思念に応え、土の中から――いや、風の陰からすら死人が湧き出す。桜の混乱を煽るかのように、彼らは獰猛な歯を向き出し、汚らしい手を伸ばしてくる。
「おい、しっかりしろよ!? 他人の言葉の影響を受けてどうする!? 確かに、言霊の力の程は分かるが、昔は綺麗だったんだろ!?」
先よりさらに活力を得た死人たちから身を庇いつつ、リュイスは竪琴を手にする。
「思い出せ!! お前に届いた優しい気持ちを!」
桜に喝を入れながら、リュイスは弦を弾く。
弦に込められた魔力。巧みな技巧で紡ぎ出される優しい音色は、魔法となって桜の心に届く。
途端、死人たちの動きが止まる。
荒んでいた風も何時しか止み、静かに、ただ静かに花びらだけが降り注ぐ。
「あなたが信じたその言葉はまやかしです!」
リュイスの楽の音に乗せて、オルフェも語りかける。
「あなたがこれまで支えてきた世界はそんな禍々しいものが覆う世界ではなく、優しさに満ちた世界だったはずです!」
女から聞いた世界の姿。その美しき風景を思い描きながら、桜へとその声を、思いを届かせる。
「もしや、そなた‥‥。愛でる者がおらず寂しかったのではないか?」
ふとそんな事を思い、祐衣は桜を見上げる。
そっと桜に向けて手を伸ばすと、固いその幹に指が触れた。あれだけ移動してもさっぱり近付けなかった物が、すぐ傍にあった。
桜の心が、自分たちに近付いてきていた。
「我らがここにいる。存分に咲くがいい。そなたの本当の美しさを我らに見せてはくれまいか」
祐衣は琵琶を取り出すと、撥を弾く。弦が語るは能の墨染桜。リュイスも竪琴の音を合わせ、その和が辺りに広がり溶け込んでいく。
『世界‥‥あるべき世界‥‥。死は無く生を謳歌する、誰もが歌う‥‥』
動きを止めていた死体が、一体、また一体と力を無くして崩れ落ちる。無様に横たわる死体は、そのまま桜の花びらと化して風に流れ消えていく。
『我が元に死体は無い‥‥。我は夢を見てもいいのだな。美しき大地の、命が芽ぶる様を‥‥』
「ああ。仮にその下に死体のある木があったとする。しかしそれは、その亡くなった者を守り、穏やかにし、残された者の心に亡くなった者を思い出させる優しさがあるのだろう。――荒れる必要は無い。惑わされるな」
静かにリールが告げる間にも、次々と死体は花びらとなって消えていく。
「改めて言おう。死体などありえん」
「ええ。‥‥あなたの下に、死体はありませんよ」
祐衣とオルフェが声を揃える。
刹那、全ての死体が花びらと化し、一斉に崩れた。その衝撃で風が起こり、花びらたちは天へと舞い上がる。
小さな欠片が無数に集まり、全てを覆う。覆った陰から、次々と世界は色を取り戻す。
大地は芽吹き、荒れた土色から命の緑に。空は闇から輝く蒼に。立ち枯れていた木も艶を取り戻し、新緑の葉を豊かに茂らせる。
塗り替えられる春の景色。それを座って見ていたノクトの頭に小鳥が一羽、翼を休める。忙しない作業で翼の手入れを行うと、また空へと飛び上がった。
耳を澄ませば、あちこちから鳥の音や、川のせせらぎも聞こえてきていた。
一転した春の野山に、一同がただ目を丸くする。
『生の陰に死はあろうとも、我の元に死体はない。世界は、ただあるがままに美しく‥‥』
「はい。あなた様を苛むものはございません」
響く桜の声に答えたのは、一同の誰でもなかった。見れば、かの女が桜に寄り添い傅いていた。
「ありがとうございます。おかげで世は救われました」
丁重に女が礼を取る。空を飛んでいた鳥たちや、野を遊び回っていた獣たちも駆けつけ、礼を取るように一同の周りではしゃぎまわる。
「無事に済んだ‥‥と云う訳ですか」
喜ぶ彼らを見つめながら、リョウは内心ほっと胸を撫で下ろす。いざとなれば桜の破壊も考えていたが、その場合のこの世界の影響は予測できない。無邪気に遊びまわる姿を見て、そうならずにすんで良かったと心底思う。
「すげ〜綺麗だな〜。一つここで花見といきたい気分だぜ」
「ええなぁ。うちらも今年の花見すんの、忘れてもうてたし」
景色に目を細めるリュイスの呟きを聞き、凪もセイクリッドに同意を促す。
「では、私もひとさし舞わせていただこう」
降る桜の下へ祐衣が進み出ると、見事な舞を披露する。
喜びに浸る彼らを、しかし、ブランは少し離れた所で見つめる。
(「あの言葉は、少しだけ意味が分かるような気がします。あんな綺麗な花の下ならば‥‥」)
魅かれるあまりにその陰を考えてしまう。だから、近寄るのは躊躇われた。
それでも目を向けずにいられない。その視界が、ゆっくりと歪み溶け合う。
「還る時間、という訳ですね?」
問うリールに、申し訳無さそうに女は頷く。役目を果たし、召喚の効力が消えるのだろう。元の世界に還る感覚が体を覆う。
『ありがとう――』
桜から優しい言葉が響き渡る。それを受け取り、彼らは風となって世界から消えた。