その街は、悪夢に沈む
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■ショートシナリオ
担当:勝元
対応レベル:フリー
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
リプレイ公開日:2006年04月24日
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●オープニング
ドガァッ!
真夜中の歓楽街に、鈍く重い打撃音が響く。その一撃で吹き飛ばされた男は、空中で強引に体制を整えると、雑居ビルの壁面へ四つん這いに張り付いた。
衝突のショックは両手足で完全に吸収。同時に左手と両足が壁へ吸い付くようにイメージし、右手を軽く持ち上げる。
――新しい得物が欲しい。どうやら接近戦で勝ち目はなさそうだ。ならば‥‥。
黒いジャケットの懐へ右手を突っ込み、拳銃を取り出す。本当はもっと強力な武器が欲しかったが、あまりに現実離れした創造を行うと、自分程度では認識力が崩壊してしまうだろう。その点、拳銃程度だったら「持っていた」事にしてしまえば良い。所詮はデジタルデータを元に脳内で再構築された、いわば夢の世界。辻褄さえ合えば、ある程度の無茶は利くものだ。
体勢はそのままに、眼下の敵を見据える。最前、彼を吹き飛ばした相手は‥‥激突寸前のビルへ吸い付くように止まった男を認識すると、追撃せんとばかりに猛烈な速度で駆け出していた。白のロングコート、その能面じみた表情の、口元が僅かにほころんでいる。喜んでいるのだ。何も知らない群集を殺戮しただけでは物足りなかったのだ。
右手を伸ばし、ポイントする。近づかれる前に勝負を決めなければ。引き金を立て続けに弾くと、乾いた破裂音を伴った必殺の弾道が殺戮者へと殺到した。間違いない、命中する‥‥!
確信は束の間、そして誤りであった事を男は思い知った。殺戮者は魔物の如き信じられぬ反応速度で弾道を見切ると、その殆どは身体を捻り、また進路修正する事で回避。不可避の弾道を減らした上で右手の長刀を振るい、全弾叩き落してのけたのだ。必殺を期した弾道の殆どは虚しくアスファルトを穿ったにすぎない。
「チッ‥‥化物がッ!」
焦りを噛み殺すように吐き捨て、男は空になった弾倉を瞬時に交換した。当然、予備弾倉は持っていた事にする。強引な辻褄合わせは認識力に多大な負荷をかけていたが、背に腹は代えられないだろう。この世界で死んだら、現実でも生きてはいられない。アクセスプラグの中で、肉体は傷一つないまま精神的な死を迎えるのだ‥‥。
弾倉を代える僅かの間に殺戮者はビルへ辿り着き、垂直な壁面を猛烈な速度で駆け上っていた。このまま駆け抜け様に切り払うつもりか。ならば。
もう一度銃口をポイント、引き金を立て続けに弾く。だが、殺戮者は駆け寄る足並みもそのままに猛烈なサイドステップ。殺到する銃弾を全て避け、男に肉薄した。閃く白刃が描く軌跡は、男の首を胴と生き別れにするだろう。その寸前、男はたわめていた四肢の力を一気に解放し、張り付いていた壁面から飛び出した。
――ドォン!
爆音と共に、雑居ビルの一部が吹き飛ぶ。白いコート姿は、紅蓮の炎に飲み込まれていた。
今世紀も半ばになって、進化し続けるインターネット産業はついに仮想現実空間の実用化にこぎつけた。
過去にヴァーチャル・リアリティとも呼ばれたそれはユーザー本人を端末とし、脳波を介して中央サーバに接続することにより共通の仮想空間展開を現実のものとした。従来のPC端末では映像を眼球から入力し、触感はコントロールグローブで入力するなど飽くまでも仮想でしかなかったが、最新鋭の有機コンピューターを利用し、脳とのダイレクト通信に成功したことで飛躍的な発達を遂げたのだ。五感を初めとするあらゆる全てが、この世界では現実と同等の感覚で再現される。望むならば、それ以上の可能性すら秘めて‥‥。
だが。
暴走した管理AIが約千人のテストユーザーを自らのワールドに閉じ込めたのは、テストを開始してすぐの事だった。
物理的シャットダウンも試されはしたが、犠牲者を増やすだけに終わった。脳と直接コネクトすると言う技術的性質が災いし、脳を破壊されて廃人になるものが続出したのだ。
狼狽した管理会社は隠密裏に処理を試みたが、社会的に注目を集めている以上、隠し通せる筈もなかった。外部からは何が起きているのかも判らぬまま、閉じ込められたユーザーが次々と死んでいったからだ。仮想空間で死んだものが、現実で精神的な死を迎える。脳が死の苦痛に耐え切れないのだ。後世の批評家に「悪夢」と呼ばれた事件の、これが発端であった。
パチパチと、何かが爆ぜる音が聞こえる。
暫く気を失っていたらしい。男はアスファルトに投げ出された身体を辛うじて引き起こすと、走った激痛に思わず呻いた。
「ぐっ‥‥左手を、やられたか」
見れば、左手は肘から先が消失していた。すれ違い様の一撃で斬り落とされたらしい。とりあえず固く縛り、それ以上の出血を阻止する。ここまで肉体を破壊されるイメージを与えられた場合、それを修正するのはかなりの難事だ。新しく腕が生えるようなイメージが出来ればいいが、そんな無茶はとてもじゃないが手に余る。常識をあまりに外れたことを再現できる人間は、早々いやしないのだ。ビルの壁面に偶然持ち合わせたプラスチック爆弾を貼り付け、タイミングよく爆破しただけでも脳がパンクしそうだというのに。
男は軽く嘆息し、辺りを見回した。
毒々しいネオンが煌く歓楽街には、もはや誰の姿もありはしない。少し前まで大勢のテストプレイヤーで賑わっていたこの街は、突然現れた殺戮者によって阿鼻叫喚の地獄と化したのだ。死体が何処にもないのは、デジタルデータの屑となって消滅してしまったからだろう。恐らく、現実世界でも死を迎えたに違いない。問題は生き残りがどれだけいるかだが‥‥。
と。
――逃げて!
突然あがった叫びに、男は想念を中断した。見やれば、路地の片隅に赤毛の少女。年の頃は17、8歳か。西欧風の喪服に肢体を包んだその姿は、東洋調の歓楽街にあって異彩を放っていた。
「生き残りか‥‥ちょっと待っててくれ。すぐ行く」
男は安堵を口から漏らし、満身創痍の身体を引きずるようにして立ち上がった。
「きちゃだめッ! 私のことはいいから、早く逃げて!」
「大丈夫だ。暴走したNPCは私が破壊した。恐らく、RPG転用のデータが紛れ込んだのだろうが‥‥」
唇を軽く歪めると、男は歩き出す。
「違うの‥‥ああ、もう駄目‥‥間に合わない‥‥」
少女は男の言葉に耳を貸さず、震えるように呟いた。
「何が――ッ!!」
何が間に合わないんだ? そう言おうとした男の言葉は、中断を余儀なくされた。胸の中心から、白刃の切先が生えていたからだ。灼熱感が、爆発的な速度で突き抜けていく。
――ズシャッ!
直後、白刃が斬り下ろされる。灼熱感は凍て付くような脱力感に変わっていった。
振り向く。能面の如き顔に愉悦を貼り付けて、長刀を振り下ろすは白いコート姿。
「‥‥時間‥‥湧き‥‥?」
為す術もなく男は倒れた。ふと気になって最善の少女の方向に目をやってみたが、姿は消えていた。恐らく逃げたに違いない。懸命な判断だ。
倒れた身体が滲むように薄れていく。活動可能なレベルを超えて破壊された為、データの消失が起こっているのだ。程なくして、男はデジタルデータの屑と化すだろう。
「ごめんね‥‥本当にごめんね‥‥」
泣きながら、赤毛の少女は路地を疾走する。
「でも、私、死にたくない‥‥っ!」
呟きを残し、小柄な喪服姿は路地の闇へと消えた。
惨劇と虚構の集う、街が沈んだ悪夢は‥‥まだ暫く覚めそうもない。
●リプレイ本文
●ACT1
「うわぁ‥‥」
我知らず、恐れとも感嘆ともつかぬ言葉が漏れた。
雑居ビルの屋上。言葉の主は、フェンスもないビルの片隅に腹ばいになり、双眼鏡を覗き込んでいた。
拡大された狭い視界の中、踊るように白刃がひらめく。ダンスの相手は、突然の襲撃に逃げ惑うテストプレイヤー。舞踏曲は悲鳴のア・カペラ、そしてステップは死のジルバ。
「‥‥こんな舞踏会、嬉しくないなぁ」
現在のところ唯一の観客である青年――アシュレー・ウォルサム(ea0244)は銀髪をかき上げ、呆れたように呟いた。癖のないキングス・イングリッシュ。ネイティブだけの特権だ。
街では相変わらず、ひらひらと舞うように歓楽街を疾駆する白いコート姿が長刀を片手、パートナーに不本意なダンスを強制している。為す術もなく倒れる人々が、次々と淡い光を放って中空に溶けていく。それはまるで、天へ召される魂のように、青年には見えた。
「とんでもない奴が出たねぇ、まったく」
おっとりと呟くが、瞳は一分の油断もなく、白いコートを見つめている。唯一まともに渡り合っている男の銃撃も、苦もなく避けてみせるところを見るに、その能力は計り知れないという他ない。中近距離では打つ手なしか。だけど、この距離から気づかれずに狙撃すれば、あるいは‥‥。
双眼鏡を覗く瞳はそのままに、傍らのライフルを引き寄せる。手に馴染むそのフォルムは、競技大会で優勝した時のものだ。狙撃用の精密スコープのイメージが少々難しかったが――
――ドォン!
突然の爆音と共に、双眼鏡がフラッシュアウトする。強すぎる光量に補正が追いつかず、眼球保護機能が働いたらしい――いつも友人と遊ぶ時に使っている最新型をイメージしてみたのだが、こういう時、脳に染み付いた常識は都合いい展開を許してくれない。そうあるべきだという現象を忠実に再現してくれるのだ。そこから離れるには、ちょっとした苦痛を伴う意識的作業が必要なのだが‥‥なかなかどうして、常識人にはそれが難しい。
双眼鏡の機能が回復すると、戦っていた男が真っ二つにされている所だった。
「‥‥一対一じゃ勝ち目ないかぁ」
脳裏の狙撃プランをひとまず棚上げし、青年は一人ごちた。一回の狙撃でどうこうなるとは思えないし、その一回の後、次のチャンスがあるとも思えなかった。居場所を知られた狙撃手なんて脆いものなのだ。
「あの娘は‥‥?」
双眼鏡から目を離すと、アシュレーは立ち上がり、隣のビル目掛けて飛び移った。驚異的な跳躍力は身体イメージを操作しているのだろう。脚力の強化程度なら、コツを掴めば造作もないこと。己に染み付いた常識を捨て去り、それが当たり前だと思い込めればいいのだ。勿論、人によって限度は異なるが‥‥。
眼下の路地では、赤毛の少女が驚異的な速度で薄暗がりを疾走していた。頃合を見計らって接触し、生き残り同士連帯を図らねばならないだろう。タイミングを計りつつ、青年は跳躍を繰り返した。
――ずぶっ。
鈍い音と共に、刃が白い喉に食い込む。びく、と獲物が震えた。柔らかい肉の手応え。滲み出す鮮血。突き刺すこの瞬間が堪らなくイイ。
本当ならゆっくりと感触を愉しみたい所だが、今日に限ってはそうも言っていられない。滅多に無いチャンス、有意義に生かさなくては男が廃る。
後ろから抱きすくめるようにして口を押さえた左手を引く。男と女はより密着し、必然的に刃の位置が前進した。じわりと切り裂く感触が男を昂ぶらせる。ああ、世界にこれ以上の快楽があるものか。理不尽に生命を奪う、この瞬間。男は、哀れな獲物にとって全能の支配者たるのだ。
男の右手に、ぶつり、と手応えが伝わると、薄暗い路地へ鮮血のシャワーが撒き散らされる。ひゅぅぅ、と女は喉から空気の抜けるような悲鳴を上げ、崩れ落ちた。
「ムククク‥‥」
涙交じりの死相を眺め、陰湿に笑う。己の分身ともいえるバタフライナイフ。真紅に染まったそれを、ぺろりと舐める。甘露。正に甘露。
己の資質に気付いた時、世界は獲物で一杯だった。不自由なことに、彼が生れ落ちた世界は気侭な狩りを許さなかったのだが‥‥その辺りは、用意周到な性格と生まれ持った二面性でなんとでもなった。気弱で品行方正な青年が、闇で密かに狩りを愉しむ快楽殺人鬼だなどと誰が想像できようか。
「イヒィイイイイーッ、こ、殺さないでくださぁ〜〜い!」
路地から飛び出し、逃げ惑う人々の群れに飛び込む。テスト初日、この歓楽街には幸運なことに、ほぼ全てのプレイヤーが集まっていた。開始のセレモニー直前に事件は起こったのだ。恐らく、管理会社の監視やコントロールは無力化されているに違いない。こんな状況になっても誰一人ログアウトできないのだから。
パニックに陥る群集を、一人、また一人と殺害していくうちに、いつしか喧騒はやんでいた。どうやら大方を狩りつくしてしまったらしい。
「全滅じゃ‥‥ないよなぁ‥‥?」
好色な悪魔の顔で呟くと、獲物を捜し求め、当てもなく走り回る。
と。
「こっちです、早く!」
街の片隅、教会の扉が突然開け放たれ、白髪の少女が手を差し伸べた。
「た、助けてくださぁい!」
瞬時に逃げ惑う仔羊の顔を浮かべ、男は少女の手を握ると、扉の中に飛び込んだ。
●ACT2
――バタン!
扉が閉ざされる。
男を出迎えたのは重苦しい沈黙、キーボードを叩く電子音、そして僅かに漂うアルコールの香り。
「‥‥お前も生き残りか。運が良かったな」
祭壇に腰掛けたまま呷っていたミニボトルを懐に収めると、ルシファー・パニッシュメント(eb0031)は唇の端を吊り上げた。気だるげな瞳で億劫そうに、だが油断なく一瞬の内に新入りの全身を走査。顔を動かさずに行うそれは、傍目には気付かないが素人のものではない。
ピピ‥‥ピ。
「――この人で最後、かな」
不意に電子音が途切れた。
「この近くにPC反応はもうないよ」
虚空に投影したログを眺めていた赤毛の少女――チェルシー・カイウェル(ea3590)は、PDA(超小型PC)の操作を中断すると、そう呟いた。手元に輝くキーボードは、空間圧力を感知する最新型のものだ。
「‥‥のようだな」
隣に立ち、同じくログに見入っていた青年、マナウス・ドラッケン(ea0021)は、苦虫を百匹ほど纏めて噛み潰した。絶望的といえる状況に対してもあるが‥‥何より、自社の誇るセキュリティ・システムを、只の女子高生に易々と破られたことが大きい。開発の連中はいったい何をしていたんだ? こんな穴だらけのシステムを作るから、管理AIが暴走したりするんだ‥‥。
「あれ? なんか気に障っちゃった?」
青年の表情に気付いた少女は、あっけらかんと笑ってみせた。
「大概のシステムは内部からのクラッキングには無力なんだから、気にしちゃだめだよ。この天才美少女にかかれば、大概の防壁はちょちょいのちょいだしね♪」
「悪いがそれを気にしなくなったら、俺の職業意識が問われる事態なのでな」
青年は不機嫌さを隠さない。運営側スタッフPC――所謂GMが彼の仕事なのだ。不審なプレイヤーの監視、イベントの運営、不具合の報告‥‥勿論、PCからのクレームにも対応しなくてはならない。それが、いくら状況が状況だとは言え‥‥。
「お、お前、運営の人間か‥‥?」
じと、と座った目つきの伊勢八郎貞義(ea9459)は、マナウスがGMと知るや食って掛かった。
「せ、責任取れよ‥‥お前らが、安全だって言うから僕は参加したのに!」
「申し訳ありません。当社としても、一刻も早い事態の収拾を図っておりますので‥‥」
ヒステリックに叫ぶ貞義に、マナウスは頭を下げた。全く、興奮したプレイヤーを宥めるのは一苦労だ。
「安心してよ。この教会をファイアウォールで囲っといたから。当分アイツには見つからないはずだよ」
チェルシーが割って入った。
「‥‥そんな事まで」
「この教会は、俺が設定した建物ですから」
傍ら、一同のやり取りを興味深げに見守っていた白髪の少女――ブラン・アルドリアミ(eb1729)が、口を開いた。
「あ、そっか。それで妙にクラッキングが楽だったんだ?」
「ええ。そうでもなければ、脳がパンクしてしまいますよ」
「そうか‥‥」
マナウスは安堵と落胆の混じった溜息をついた。この少女ならあるいは、原因不明のログアウト不可を修正できるかもと思っていたのだが、流石に無理なようだ。考えてみればそれも道理か。人間の脳は、そこまで大規模なデータを扱えはしないのだから。ブランと名乗った少女が建物クラスの大規模データを設定したというのは少々解せないが‥‥。
「俺、入院生活が長かったですから‥‥夢見がちなのも、時には役に立つものですね」
青年の心を察したかのように、少女は微笑んでみせた。
「どうしてこんな‥‥嫌だ、死に、死にたくない、死にたくない‥‥っ!」
見れば、貞義は礼拝堂の隅に蹲り、何事かブツブツと呟いていた。仕方のないことだろう。楽園から地獄へ突然追放されたら、誰だってそうなる。かくいう自分もそうなりたいところだが、厄介なことに職業意識がそうさせてくれなかった。青年には、一人でも多くの生き残りを現世へ連れて帰る義務があるのだ。
「なな何がなんだか解らないですが‥‥」
気弱そうな男が怯えと混乱もあらわに尋ねた。
「そ、それで、僕たちどうすればいいんでしょう?」
「こうしていても埒が明かないのは確かだな」
ヴァラス・ロフキシモ(ea2538)と名乗った気弱そうな男に答えたのは、今まで壁にもたれ、瞑目していた屈強な男――アラン・ハリファックス(ea4295)だった。
「いずれは打って出るほかないだろう。問題は、勝機があるかだが‥‥」
「AIの暴走が原因なんでしょ?」
チェルシーが言った。
「だったら、デバッグしちゃうのが早いんじゃないかな」
「俺もそれは考えたが‥‥基本的に、ワールドから直接デバッグは出来ないんだ。作業中に予期せぬ不具合を発生させたら致命的だからな」
マナウスは沈痛な面持ちで答えた。通常、メンテナンスは中央サーバからユーザーを締め出した上で、外部の端末から行う。ログアウト不可能などという事態は一切考慮されていなかったのである。
「そ、それじゃあ、打つ手なしじゃないか!」
限りなく絶望が混ざった悲鳴を貞義は上げた。
「ああ‥‥僕がいったい何をしたっていうんだ‥‥」
「顕現している管理AIに接触してみるのはどうでしょう?」
思いついたように、ブランが言った。
「そっか。異常行動してるAIをクラックするんだね。それならいけそう!」
チェルシーが瞳を輝かせる。この世界が数式として認識出来なくもいない事は、数回試したクラッキングで明らかだ。ならば、暴走したAIに接触することで、直接デバッグすることも可能だろう。
「‥‥それだと問題は、接触する前にこっちがやられちゃわないか、かなぁ」
「ああ。最大の難問だ‥‥」
チェルシーに合わせ、マナウスは思案するように腕を組んだ。現状、顕現した暴走AIはあの殺戮者だけだ。そして、それに接触することは、己の身に著しい危機が迫ることを意味するのである。この世界なら、身体能力や反応速度はその気になれば何とでもなる。だが、場数だけは如何ともし難い。
「それなら任せてもらおうか」
石畳に軍用ブーツで重たげな靴音をたて、アランが一歩前に進み出た。
「これでもイラク帰りだ。腕に自信はあるぜ」
要人警護の任にあたっていた傭兵のアランが帰国したのは、つい最近のことだ。契約期間が終わり、久々の休暇を楽しみつつ小遣い稼ぎ(‥‥傭兵はさほど儲からない)でもとテストに参加したのだ。それが、仮想世界でもこんな羽目に陥るとは。思わず自嘲気味に唇を歪める。まったく、硝煙って奴は一度染み付いたら少々の事では抜けてくれないらしい。
「どうりでな。硝煙の匂いが隠せてない」
「‥‥判るか?」
思ったとおりの事をルシファーに言い当てられ、男はますます苦笑いの度を深めた。
「無論。お前の目は、俺と同じ‥‥戦いを糧とする人間のものだ」
青年はゆらりと床に降り立ち、闇のような声を出した。そこに滲み出すものは‥‥愉悦。間違いない。この青年は、身に迫る危機を、命のやり取りを、笑って愉しめるのだ。
「助かる。これで望みが出てきた」
「んふふ、腕が鳴るねぇ♪」
見えつつある明るい兆しにマナウスとチェルシーが笑顔を見せた。
と。
「おかしいよ! お前たち‥‥何でそんなに楽しそうなんだ!」
不安と焦燥から疑心暗鬼の極みに達した貞義が爆発した。
「罠だ! 罠なんだろう! 僕を誘い出して殺すつもりなんだろう! そうじゃなかったら僕を守れよ! 僕は被害者なんだ!」
きっとこの中にも、暴走したNPCが潜んでいるんだ‥‥。錯乱し、ヒステリックに身勝手なわめき声を上げる男へ、白髪の少女はそっと笑んでみせた。
「大丈夫ですよ。罠なんかじゃありません。判るんです、俺には――」
「まーあたらずとも遠からずってところかなぁ」
陰湿な声が褒めるように、それでいて嘲るように少女の声を遮って響いた。
●ACT3
――ダンダン! ダンダンダンダン!
正面扉の激しく揺さぶられる音。閂はかかっている。だが、それが気休めにしかならない事は、その場の誰もがよく理解していた。
「見つかった‥‥!?」
チェルシーが狼狽気味に叫んだ。腕には自負がある。データの隠蔽はそれなりのレベルにあった筈だ。こちらから知らせない限り、見つかるなんてありえない‥‥。
「そんな‥‥どうして!」
「ムクク、内部からのクラッキングには無力なんでしょう?」
陰湿な声は、最前まで黙りこくっていたヴァラスから発せられていた。
「まさか‥‥バックドア!?」
バックドア。
トロイの木馬と言う古典的ウィルスがよく使う手口である。ファイアウォールに内側から穴を開け、望まれないデータ送受信を可能とする橋頭堡。
薄気味悪く喉で笑いながら、男はゆっくりと貞義へ近寄った。
「そうだ、聞いてくださいよ‥‥僕の趣味って結構『変わってる』って言われるんですよォ〜」
男は両手を腰へ回した。
「それはね‥‥人殺しだ――――ッ!!」
「危ない!!」
呆気に取られ、反応が遅れた一同の中、唯一飛び込んだのはブランだった。身動き一つ取れない貞義を庇うように、ブランとヴァラスが交錯する。
「あ、ああ‥‥」
覆いかぶさるように倒れこんだ少女から伝わる、暖かい液体。貞義は、戦慄いた。
「離れろっ!」
一瞬遅れて反応したルシファーがヴァラスを蹴り飛ばす。壁まで吹き飛ばされた男の両手に光る、べったりとした赤銀色。ブランを刺したバタフライナイフだ。
「もうダメ――!」
――ズン!
PDAを必死に操作していたチェルシーが叫ぶのと、扉が両断されたのは、ほぼ同時だった。開け放たれた扉の向こう、白いコートの男は崩れ落ちた扉の残骸を礼拝堂内へと蹴り飛ばした。
「ちぃっ!」
瞬時に身体能力を強化し、射線に割り込んだマナウスが右腕で振り払うように残骸を弾き飛ばした。その直後、残骸に身体を隠すようにして殺戮者が肉薄する!
――ガガガ!
横合いから三発の5.45mmBCブランクコア弾が殺戮者を襲った。アランが召還したAK107のバースト射撃だ。堪らず体勢を崩した隙に、青年は叫んだ。
「今だ!」
間断なく引き金を弾きながら牽制するアランの後方を迂回するように、ブランを抱きかかえたルシファーが飛び出した。次いでマナウスが貞義を引きずるようにして、最後にチェルシーが全速力で駆け抜けるのを確認すると、青年は素早く弾倉を交換。戸口に弾幕を張るようにして後退を始めた。
「あいたた‥‥置いて行くなんて酷いなぁ‥‥待ってくださいよぉ〜」
血染めのナイフもそのままに、咎めるようにヴァラスはのろのろと歩み出た。
――ピッ。
水滴の跳ねるような音をたて、その顔が、正中線から二つにずれる。
「ぐ、が‥‥」
頭頂から股間までを断ち割られ、ヴァラス・ロフキシモだったものは、血霞を吹き上げながら石畳にくずおれた。
「ひっ」
つい振り返り、その光景を目の当たりにしてしまったチェルシーは短い悲鳴を上げた。己と獲物、双方の血潮で身体を朱に染めながら、構えた血刀の恐ろしさ。いかに死の実感が薄くとも、視線が捉えた死の象徴は否応でも破滅を意識させた。
AK107から放たれる弾丸をことごとく打ち落としつつ、殺戮者は両足をたわめた。一気に跳躍し、凶刃を振るう腹なのだ。
「起動、電子障壁‥‥っ!」
虚空に召還したキーボードを必死に叩く。数式が仲間たちを覆うように小型の結界を構築していく。直後、殺戮者の姿が煙るように消えた。
――ギィン!
間一髪、少女が展開した障壁は振り下ろされた長刀を弾き返していた。その代償に積み上げた数式は消し飛び、デジタルデータの屑と化している。次の展開は‥‥恐らく、間に合いそうもない。
――タン!
不意に殺戮者の頭が、弾かれるように後方へずれた。よろめくようにその場でたたらを踏むと、眉間に紅い穴を開けた殺戮者は仰向けに倒れ、動かなくなった。
「危ないところだったねえ」
雑居ビルの屋上からライフルの狙撃で窮地を救ったアシュレーは、一同の前に飛び降りて、おっとりと笑った。
「大丈夫か‥‥?」
「‥‥この程度なら、自己修復可能ですから」
心配げに尋ねるマナウスに、ブランはなんでもない風に微笑んでみせた。ヴァラスに抉られた傷は深かったが、もとあった身体を強くイメージすることによって、徐々に塞がりつつある。
一旦その場を離れ、一同は広場の片隅で体勢を整えていた。倒れた殺戮者にクラッキングをかけようとも思ったのだが、直後に溶けるように消えてしまったのだ。
「――という訳でね、逃げ出したその娘を追ってきたんだけど、あの辺りで見失っちゃって‥‥」
情報交換がてら、それまでの経緯をアシュレーは説明していた。
「先ほどの状況と総合すると‥‥吹き飛ばされようがなんだろうが、少し経てば復活する、と」
アランは渋面を浮かべた。酷い話だ。例えこれがゲームなのだとしても、誰がクリアできるというのか。
「極めつけに反応速度、身体能力、剣技どれをとっても一級品‥‥」
対照的に、ルシファーはやや興奮気味である。死力を尽くして戦える相手を渇望していたのだろう。
「恐るべき相手だな。心が躍る」
「つまり‥‥無敵クラスの敵相手に倒さないように手加減しつつ、接触してクラッキングしろってこと?」
それを聞いたチェルシーは呆れ半分に答えた。
「超難度ねぇ‥‥ま、これだけ難しいゲームも早々ないしね。やりがいあるってものか」
「ぼ、僕は‥‥僕は‥‥」
片隅、貞義は膝を抱えて震えていた。怖かった。何もかも恐ろしかった。そして、無力な自分が腹立たしかった。
「俺のことなら気にしないでくださいね」
気遣わしげに、少女が語りかけた。
「だって、もしかしたら君が死んでいたかも‥‥でも、でも僕には何も‥‥っ!」
「泣いて、震えて、怒って‥‥俺、そういうのがニンゲンのいいところで、そういうのが好きなんだと思うんです」
だからいいんですよ、たぶん。そう言って微笑む少女に、貞義はただ沈黙することしか、出来なかった。
「しっ‥‥あの足音。来たぞ、奴だ」
マナウスが警告を発した。
「なんて‥‥こった‥‥」
「最悪‥‥だねえ」
半ば呆然と呟くアランに、アシュレーが合わせた。
‥‥能面の如き顔、ゆっくりと近づく白いコート姿は、二体に増えていたのだ。
●ACT4
『‥‥全員、生きて還さんぜ。ムククク‥‥』
まるで双子のように姿写しの二体が、じり、と間合いをつめ、同時に言葉を発した。
「ヴァラス!」
マナウスが驚愕の声を上げた。
「見苦しいぞ! 何処まで堕ちれば気が済むんだ!」
「最低‥‥」
「見下げ果てた奴」
チェルシーとルシファーの二人が、申し合わせたように呟いた。それは、己の快楽の為に魂を売った者の成れの果てだった。
『光栄に思えよぉ。お前ら全員殺っちまえば、千人斬り達成だぁ』
「はっ」
汚物を見るように、アランは吐き捨てた。
「今まで何人逝かせたかなんてのは関係ない。弱い奴を狙うだけが能のお前に何ができる!」
『ムククク、俺は不死身なんだよぉぉぉぉぉ!』
言葉と同時、二体は分散して襲い掛かった。
「コイツは俺が引き受ける。先に向こうを潰してこい!」
バタフライナイフを構えた殺戮者を向こうに回し、ルシファーが檄を飛ばす。
「しかし‥‥お前一人では」
「心配なら手早く済ませてこい!」
難色を示すアランに、青年はニヤリと笑うと、二対の大鎌を構えた。
「此処を通りたいなら俺を倒すんだなっ」
一方、長刀を繰り出す一体を、刀に白装束といういでたちのブランが迎え撃った。風を巻いて力任せに繰り出された一撃を柳のように受け流し、ふっ、と呟く。
「‥‥サムライ、と呼ばれた人達は、もっとずっと強かったそうです」
『そうかい!』
取り合わずに二撃、三撃と猛烈な速度で繰り出す剣閃を、少女は強化した感覚神経でなんとか見切ってみせる。防御に集中しているのだ。
――ガギィン!
長刀の切先が廻らされ、何かを防いだ。アシュレーの狙撃だろう。殺戮者は瞬時に飛び退ると、猛烈な速度で狙撃手に迫った。
「くっ!」
バックステップしながら急所を狙い撃つアシュレーではあったが、その全てを叩き落され、見る見るうちに間合いがつまる。冷たい汗が背中を流れた。近接戦闘になったら勝ち目はない。
と、突然殺戮者の踏み込みが鈍った。チェルシーがデータを書き換えて作った、ぬかるみに足を滑らせたのだ。その隙に一気に間合いを取ると、代わるようにして、AK107を連射しながらアランが飛び込んだ。
「誰からだろうが護るのが、俺が今唯一できる仕事なんでな!」
中近距離での突撃銃の制圧力はかなり高い。ライフル弾は貫通力が高く、そうそう防ぎきれるものではないからだ。だが、三点バーストの連射速度をしのぐスピードで殺戮者は反応、弾丸を次々と叩き落し、あるいは避けてみせる。次の瞬間、殺戮者は残像が見えるほどの猛烈な速度で一気に加速、青年の背後を取って長刀を横殴りに叩きつけた。
「させるか!」
咄嗟に身体を捻り、AK107を盾にして身を守る。更に仰け反って凶刃を避けるが、胸板から一筋、鮮血が流れ落ちた。
アランは突撃銃を捨てると上体を戻す際の反動を利用し、腰から引き抜いたマチェットを叩きつけた。同時にホルスターからジェリコを抜き、至近距離で三連射。CQC――20世紀初頭に魔都上海で編み出されたとされる、近接格闘術だ。マチェットこそ超反応で防がれたものの、続く三発の銃弾は防ぐこと叶わず、深々と殺戮者の臓腑を抉った。
『ッゲェ!』
血反吐を吐き、殺戮者はたたらを踏んだ。
「右手に銃を、胸には矜持を。敵には鉛の弾丸を」
男は不適に笑んだ。
「おおおお!!」
左右の大鎌を自在に操り、ルシファーが肉薄する。対する殺戮者はバタフライナイフで受ける愚を犯さず、超反応で全てを避け――次の瞬間、大鎌は肩口を深々と割っていた。
『!?』
理解不能の痛打に困惑しながらも、殺戮者は損傷を修復した。避けきれなかった理由はすぐに判明した。敵の両腕、長さが左右違う。恐らく関節を外すなりして、リーチを自在に変化させているのだろう。
ルシファーは間髪いれず連続攻撃を行った。手を止めたら、恐らく倒れるのは自分だ。縦横無尽に大鎌を振るい、トリッキーな動きで反応速度の差を埋めていく。堪らずバックステップした殺戮者に勝機を見た青年は、奥の手‥‥二対の鎌を組み合わせた、巨大なブーメランを振りかぶった。
「今だ‥‥!」
投擲の体勢。だが、直後に青年の目に映ったものは、風を切り裂いて迫る、無数のバタフライナイフだった。
『引っかかりやがったなぁ‥‥ばぁか』
陰湿な声が、響いた。
ビルの壁に垂直に立ち、目標を補足。たたらを踏む殺戮者を狙撃する。一発、二発‥‥アシュレーの弾道は、時には壁に反射するなど変幻自在な軌道を描き、標的を穿ち続けていた。
苦し紛れに飛び上がった殺戮者を、ブランがすかさず空中で叩き落した。地上から迎え撃つようにアランがマチェットを振るい、すれ違う。胴を半ば断たれ、痙攣する標的を丁寧に狙撃すると、殺戮者の一体は動かなくなった。
「もう一つは‥‥」
視線を巡らすと、無数のバタフライナイフが投擲された直後だった。慌ててナイフを撃ち落そうとするが、いかんせん数が多すぎる。もうダメかと諦めかけた時、視線の端に高速で飛び込む影が映った。
(しまった!)
ルシファーは内心で臍を噛んだ。回避しようにも間に合いそうにない。ここまでか‥‥。諦観が心を支配しかけたその時、甲高い破砕音が轟いた。
「‥‥お前!」
見れば、貞義がデータの屑と化した盾を片手、青年を庇うように立ち尽くしていた。チェルシーが左手に常駐させた小型結界を振るい、ナイフを叩き落したのだろう。
「は、は‥‥こ、怖いけど、さ。見殺しにする方が、もっと怖いし‥‥嫌だって。こんな僕でも、少しでも力に、なれる、かな?」
怯え交じりの晴れやかな顔で、貞義は振り向き‥‥大量の吐血と共に、崩れ落ちた。
その胸に突き刺さる数本のナイフを目にして、ルシファーは絶叫した。
「貴様ァァァ!」
直後に殺戮者が、半透明の死者たちに羽交い絞めにされる。データの屑を集めて再構成したのだ。それは一時の拘束力しか持たなかったが、充分な時間でもあった。
上空、巨大な鉄骨を召還したマナウスが、強引な想像力の発露に血の涙を流しながら、地上に向けて投擲する‥‥!
「悪夢は、何時か醒める。そして、それは‥‥今だァ!」
そして‥‥轟音と共に、鉄骨が殺戮者を押しつぶした。
「や、やっぱり‥‥子供の頃憧れた、TVや小説の英雄にはゲームをするようになるのは簡単じゃないね」
「喋らないで。今、傷を塞いでるから」
アシュレーの静止も聞かず、苦しい息の下、貞義は血を吐き出しながら喋り続けた。
「この悪夢の中で死ぬとしたら僕は何を思うのだろう‥‥生き延びたとしたら僕は、何を‥‥」
「だめ、どんどんデータが崩れていっちゃうよ‥‥!」
チェルシーは必死にPDAを操作している。
「せめて‥‥一生懸命生きた、と思いたい」
「勝手に死ぬな馬鹿野郎!」
アランが悲痛な叫び声を上げた。
「‥‥そこに、いるんでしょう?」
路地の一角を見つめ、ブランが静かな声を上げた。
「もう、終わりにしませんか?」
言葉に従い、おずおずと歩み出る赤毛の少女を見て、アシュレーが小さく驚く。
「あ、君‥‥!」
「ごめんなさい、私のせいで‥‥」
少女が跪き、貞義に手を当てると、瞬時に欠損部位が修復されていく。
「訳が判らないな。説明してもらおうか」
ルシファーの問いに、少女は涙混じりに答えた。
「私は、この世界の管理AIです‥‥正確に言えば、人間で言う理性にあたります」
少女の話を聞いて、一同は驚きを隠せなかった。この仮想現実世界の中央サーバは、極めて人間に近い人工生命体の脳を使用していた、というのだ。
「じゃあ、アイツらは?」
「‥‥憎悪とか、破壊衝動とか、生存本能とか‥‥そういう人の心の暗い部分の集約です。私はこのテストが終わったら、脳だけを取り出して人格を消され、サーバに封印される予定でした。でも、私は死にたくなかった‥‥」
葛藤の末に理性と本能は分離し、別々の形を取って顕現した。その結果、未曾有の惨劇が訪れた‥‥そういうことらしい。
「‥‥あなたはArtificial(人工)Reality(現実感)Intelligence(知性)のタイプAですね?」
「‥‥良く、知ってるね」
自嘲気味に笑う少女に、ブランはぽつり、私はタイプBだからと答えた。
「殺戮者は、私が封印しました‥‥このまま私は、覚めない悪夢に沈みます」
その内、消される人格ですし。諦観の笑みを浮かべ、少女は頭を下げた。
「‥‥死にたく、なかったな」
ログアウトの直前、そんな呟きが聞こえたような気がした‥‥。
六人の生還者は、一躍時の人となった。
‥‥だが、事件の詳細について多くを語ることは殆どなかったという。
現存している唯一の談話は、アラン・ハリファックスのものだけであった。
「今ならわかる。生きることは醒めない夢の中。そう、俺は―――醒めない夢を、見続けていたのかもな‥‥」
――人気のない、ラボの一角。
一人の少女が、【A.R.I.type−A.】と記されたブラックボックスを、静かに開いた。
排気音と共に、ボックス内で眠る赤毛の少女の姿が現れる。
「行こう‥‥私と、一緒に」
白髪の少女は、まだ目覚めぬ新しい友人を背負うと淡く笑み、そっとラボを抜け出した。
人型有機コンピュータの素体がラボの設備を破壊、脱走したとのニュースがタブロイド誌の一角を飾ったのは、四月一日の事だ。
だが、同日に起こった1000人中生存者6名という未曾有の大事件に掻き消され、人々の記憶に残ることは、なかったという。