その街は、地図から消える

■ショートシナリオ


担当:勝元

対応レベル:フリー

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

リプレイ公開日:2005年09月13日

●オープニング

 一晩寝て目を覚ますだけで、別世界に飛び込んでしまうことが人生にはあるらしい。テレビをつけ、少し遅めの朝食を摂ろうとしたその男は、流れたニュースを食い入るように見つめ、思った。

『――ご覧下さい! マサチューセッツ州の片隅にある小都市を今、未曾有の惨劇が襲っています!
 市内の中心部からは火の手が上がり、逃げ惑う人々が何者かに襲われてい――あ、今、また爆発がありました! トラックがガススタンドに突っ込んだ模様です! こ、この街に一体何が起こっているのでしょうか‥‥ヘリからの映像ではこれ以上の詳しい事がお伝え出来ないのが悔やまれます!
 アメリカ政府は今朝未明、クーガーズロックを完全封鎖し、関係者以外の立ち入りを一切禁止しました。市民の安否が気遣われますが、封鎖を行っている軍当局はこの件に関して一切のコメントを拒否する姿勢です。限定核投入の噂も流れており、一切の予断を許さない状況は暫く続く模様です。続報は市内の当社報道局と連絡がつき次第、お伝え出来るかと思われます。
 クーガーズロック上空より、TBCのエリアル・ノースウィンドがお伝えいたしました』

 なんてこった。男は映像を呆然と眺めたあと、我知らず呟いた。
 冗談じゃない。この現代に、なんだって中古のビデオゲームみたいな目に会わなきゃならないんだ。それもとびっきり極悪な難易度で、セーブもロードも不可、死んだらそれでお終いときた。さて、どうしたものか‥‥。
 ――ダンダン! ダンダンダン!
 ドアを激しく叩く音に不意を突かれ、男は椅子から飛び上がった。覗き窓から見える顔は‥‥友人のクライスだ。素早くチェーンを外し、招き入れる。
「――っはっ、た、助かった! ちょっと買い物に出ようと思ったら、隣の爺様が噛み付いてきやがって‥‥」
 近所でも評判の好々爺が放つ異様な雰囲気に圧され、慌てて振り払い逃げてきたのだと言う。傷口をとりあえず縛り、なんなんだありゃと首を捻る友人に、男は視線で先程から繰り返し流れているニュース映像を示して見せた。
「‥‥マジかよ」
「らしいな」
「どうすんだよ!」
「‥‥逃げるしかないだろう。幸い、昨夜入れたばかりで車のガスは満タンだ。突っ切って逃げよう」
「トール、すぐ出よう。この際、時は金よりも貴重だ」
 友人の言葉に頷き、腰を上げる。引き出しから銃を取り出してマガジンを引き抜き、限界まで装弾されているのを確認して男は懐へ銃を仕舞った。
「ところでお前、銃は持ってるか」
 裏口を少し開けた男は、思いなおしたように扉を閉めると振り返り、友人に尋ねた。
「‥‥いや、置いてきちまった」
「そうか。ならこれを使え。気休め程度にはなるだろう」
 裏口脇に置いてあった大型のバールを手渡すと、男は数回深呼吸、懐から銃を取り出して、告げた。
「行くぞ‥‥ガレージまでは100mくらいだ。突っ切れ!」

 蠢く死者達を振り切って車に飛び乗り、急発進。ハンドルを切り、群がる使者を撥ね飛ばして、二人は辛くもその場を脱出した。
「さて、如何逃げるか‥‥」
 呟き、カーナビのスイッチを入れる。案の定、メインストリートは事故情報で赤く点滅していた。この分では、方々の道路は寸断されているに違いない。行けるところまで行って、次を考えるしかないだろう。視界の端に、逃げ惑う人々を追いかける犬の姿が映った。どうやら、おかしくなっているのは人間だけではないようだ。
 隣に、目をやる。助手席の友人は小さく震えていた。
「‥‥おい、如何した?」
「いや、少し寒気が、な‥‥気が緩んだせいか、疲れが出たのかもしれねえ。なんだか妙に腹も減ったし」
「おいおい、ドライブインに寄りたいとか言い出すなよ?」
 冗談めかして友人に告げ、アクセルを吹かす。横目で見る友人は、確かに疲れているのだろう。少し青ざめた顔で、言った。
「しかし、お前‥‥」
「ん?」
「‥‥何時からそんな美味そうになった?」
「よせよ、冗談は」
「‥‥ああ、済まない」
 今日はどうかしているな、と冗談にしては妙に真面目な顔で友人は詫びた。
 車はひた走り、そして‥‥突然急カーブを切ると壁に激突、大破炎上した。

 ――8月30日、クーガーズロック。この日、その街は地図から消える。

●今回の参加者

 ea0073 無天 焔威(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea1488 限間 灯一(30歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2253 黄 安成(34歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea2331 ウェス・コラド(39歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea3546 風御 凪(31歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea4536 白羽 与一(35歳・♀・侍・パラ・ジャパン)
 ea4889 イリス・ファングオール(28歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5640 リュリス・アルフェイン(29歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 eb2966 廻 奄(61歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb3327 ガンバートル・ノムホンモリ(40歳・♀・ファイター・ドワーフ・モンゴル王国)

●リプレイ本文

 アメリカ、マサチューセッツ州の片隅にその街はあった。
 人口約10万人。シリコンバレーと同様の発展を目指し、幸運なことにとある企業によって別の手段で発展した街は、不幸なことに今、終焉を迎えようとしている。
 最初の騒ぎは市内中心部にある総合病院で起こった。突如、地下にある死体安置所の死体が動き出したのだ。悪い事にそれは深夜の出来事であり、更に悪い事に巡回の警備員は死体安置所の中を確認しようとせず、最悪な事に部屋の鍵は壊れかけていた。病院とはある意味で人が死ぬ場所であり、大規模な総合病院であった事も事態に拍車をかけた。未明になって死者が部屋から溢れ出した時、警備員に出来る事は非常ベルのスイッチを押す事だけだったのである。
 急報を受け警察が駆けつけた時、既に院内は阿鼻叫喚の地獄と化していた。犠牲者が犠牲者を生み、生ける屍は鼠算式に増えていたのだ。命からがら逃げ出し、警察に保護された被害者も、程なくして屍体の仲間入りをする羽目になった――体力的に弱っている者が多い病院が発端になった事は、正に悪い冗談としか言いようがない。事情を知らずに突入した勇敢な警察官もいたが、手痛い怪我をして、生まれ変わりかけの事務員を一人連れ出すのが関の山だった。加えて言えば、その勇者が人間でいられたのも、そう長い時間ではなかったのだ。
 街の至る所は屍体で溢れ、署内の人間も次々と肩書きに『元』を付けていく。その間にも屍者たちは増え続け、彼らに出来る事といえば警察に篭城して絶望的な抵抗をすることだけだった‥‥。
 こうして爆発的な勢いで、経路を増やしながら増殖していった屍者の群れに、街は占拠されようとしていた。街を封鎖した軍隊は動きを止め、散発的に現れる屍体の掃討だけを行っていた。まるで何かを待つように‥‥そして時が来れば、その街――クーガーズロックは地図から消える。
 その街は、地図から消える――!!

●クーガーズロック 9:56
 ――中心部、警察署内。
 留置所内で寝そべり、無天焔威(ea0073)は大きな欠伸を一つ。ごろり、と寝返りをうった。
 気心の知れた友人達とバイクで街に繰り出し、酔った弾みの大立ち回りで此処にぶち込まれたのが深夜の話だ。要領悪く捕まったのは自分だけのようだが‥‥。気ままな留学の最中、少しだけ羽目を外し過ぎたかもしれない。だが焔威は日本の大学生特有の気楽さで泰然と構えていた。この程度の武勇談なら、帰国した時にいい語り草になるってもんだ。
 もう一度寝返りをうって、焔威は鉄格子の向こう、リノリウムの廊下を眺めた。そういえば、腹が減った。普通は朝になればこってり絞った上で釈放するなり、釈放しないまでも簡単な食事を出すなりしそうなものだが。文句を言おうにも監視の職員は一向に現れる気配がなかった。
「もう昼近いぜ。このまま餓死させる気かよ‥‥?」
 不機嫌そうに呟き、乱暴に鉄格子を揺すってみるが、案の定びくともしない。青年は溜息を一つ、起き上がる気配に気付き、振り向いた。
「悪いな、起こしちまったか?」
 起き上がった中年男は答えなかった。相当機嫌が悪いらしい、と焔威は判断してまた格子の方を向いた。確か、この男は明け方に放り込まれた筈だ。怪我した右拳を包帯で巻いていたのは、どうせ喧嘩したかなんかだろう。怪我した上に睡眠不足、俺なら間違いなくブチ切れるね――益体もないことに考えを巡らせていると、突然、左肩を掴まれた。
「おいおい、悪かったって言――!」
 苦笑を浮かべ、振り返って焔威は息を呑んだ。男の目は白く濁り、人の理性を欠片も感じさせなかったのだ。

 慎重に階段を下る。
 ガンバートル・ノムホンモリ(eb3327)――通称モリは銃を構え、生存者を探して署内を歩いていた。
 密猟調査の件で出頭した彼女が事件のことを知ったのは今朝の事だ。夜勤で勤めていた友人と情報交換し、予想外の収穫に遅くなったところで署内が慌しくなったのだ。内線で連絡を受けた友人は蒼ざめた顔でモリに拳銃を持っているかどうか確かめると、内緒だぞと言って自分の拳銃を渡し、危ないから取調室に隠れているようにと告げ‥‥そして二度と戻ってこなかった。
 痺れを切らして様子を窺ってみれば、署内は至る所に死体が散乱する地獄絵図と化していた。時折見かける人影は、どう考えても人間の動きをしていない。明らかな異常事態に、だが彼女は意外なほど落ち着いていた。慌てても仕方ない。まずは生存者を見つけることだ‥‥。
 グレートスピリットに加護を祈り、モリは慎重に進んだ。ネイティブ特有の浅黒い顔が緊張で汗ばむ。銃口を下げ、引き金から指を外したその構えは、銃に対する熟練度の表れだ。
 と。
 ――何しやがるっ!
 叫び声を聞いて、女は足取りを速めた。間違いない、生存者がいる。そして今、重大な危機に陥っている‥‥。グレートスピリッツにもう一度祈り、飛び出す。願わくば、手遅れになっていませんように。そして、出来るだけ相手の数が少なくありますように。
 見れば、留置場の一つに組み伏され、必死の抵抗をする青年の姿が見えた。大丈夫、まだ間に合う‥‥モリは瞬時に銃口を定めると、続け様に引き金を引いた。

 その少女――イリス・ファングオール(ea4889)が目を覚ました時、周囲には少なくとも生きている人間は一人もいなかった。
 ベッドから身を起こし、周囲を見回す。複数設置されたベッドの上に、怪我人らしき警察官が数人横たわっていた。
「私、どうしてここに――グッ!」
 経緯を思い出そうとした瞬間、激しく頭が痛んだ。いけない、何も思い出せない。周囲の機材を見れば、ここが医務室らしきことは判る。意識を失い横たわる警官を見れば、恐らく警察署であろう事も判った。だが、肝心の事がまるで思い出せない。何故、警察にいるのか。そして、自分は誰なのか‥‥。
 少女は急に心細くなった。自分を支えうるものが希薄になっているのだ。だがそれも、心因性のものであろうと自然と理解し、その思考に再び不安を掻き立てられる――どうして私はそんな事を知っているのだろう?
 と、隣のベッドに横たわる男が身じろぎし、少女は反射的に距離をとった。拙い。この男はもう発症する‥‥。
 異常に冷静な自分の思考と出所の判らない知識に感情がついていけず、混乱した少女はとりあえず医務室を出ることにした。
「――おい、そこのお嬢ちゃん! 危ないからこっちへ!」
 負傷した仲間を庇いながら後退する警官の一人が目敏く少女を見つけ、手招きする。
 この男たちは大丈夫、まだ発症してない。根拠もなく湧き出る知識に、彼女はもう逆らわない事にした。

 ――中心部、とある研究所。
「何だってこんな事に‥‥っ!」
 風御凪(ea3546)は滅菌スーツを着込みながら、焦りを噛み殺して呟いた。
 ちょっと一休みと仮眠のつもりが寝過ごし、慌てて警備室に顔を出した時、警備カメラの異変に気付いた。どういう訳か実験体が複数、研究所内をうろついているのだ。白衣や警備服姿も見えるとなると、答えは一つ。事故が起こったのだ。それも、最悪クラスの事故が。
 異状の元凶は何処だと見回したコンソールに赤い点滅。空調関係だ――男は思わず天を仰ぎ、毒づいた。くそったれ、よりによってそこか!
 実験中に起こった爆発事故、それ自体はごくささやかな物だ。密閉された空間に『新作』がばら撒かれたに過ぎない。だが、その処理が最悪を極めている。実験室から排出され、特殊な浄化ユニットを通して無害化される筈だった『新作』が通常の空調ユニットを通って、しかも所内に放出されていたのだ!
 恐らくは爆発時のショックで回路が焼き切れ、異常動作を起こしたのかもしれないが、男にそれを確かめる時間も余裕もなかった。最新のP4施設でこれか‥‥苦い笑みが顔面を掠める。この分では、既に『新作』は施設を一部共有している病院でも猛威を振るっているに違いない。そしてそれはこの街、いや州全体、ともすればアメリカ全土が未曾有の危機に晒されている事を示していた。
 手早くコンソールを操作し、生きている機能を総チェック。各フロアを厳重にロック、気休めでも二次災害の防止に努めると、凪は非常用の保管庫に走り、一本だけ残されていた試作品のアンプルを回収した。まさか、こんなに早くこいつが必要になる日が来るとは。だが圧倒的に量が足りない。何処かで量産体制を整えなければならないだろう。
 男はエレベーターに乗り込むと、愛車が停めてある地下駐車場に向かった。
「くそっ、冗談じゃないぞ! 最悪の状況じゃないか!!」
 スーツを脱ぎ、男は吐き捨てた。懐のアンプルだけが、最後の希望だった。

 ――中心部、下水道内。
 狭い下水道内に軍靴の音が木霊している。
 ガスマスクに防塵ベスト、手にはショットガンを抱えた兵士――リュリス・アルフェイン(ea5640)は一人、足早に下水道を進んでいた。
 目的地は警察署裏。地図は繰り返し見て頭に叩き込んだ。間違いない、このマンホールから出れば、すぐそこだ。
 男には重病を患った妹がいる。治療費用を稼ぐため、危険な橋を何度も渡ってきた。だが、これで最後だ‥‥今回の報酬はかなりの破格で、移植費用を一気に賄えそうなのだ。先行した部隊からの通信が途絶しているが、それには寧ろ感謝したい気持ちで一杯だった。そのお陰で、彼の妹は健康な体に戻るチャンスを得るのだから。
「ブラン‥‥待ってろよ。今回の仕事が最後だ」
 呟き、マンホールの蓋を開ける。素早く穴から飛び出した男は、裏口前に屯す屍体をショットガンで蹴散らして突入した。

 ――中心部、シティホテル。
「どうやら冗談でも映画の撮影でもないらしいな‥‥」
 出張最終日、チェックアウト目前にしての凶報に、ウェス・コラド(ea2331)は面白くもなさそうに呟いた。スイートの窓から眺める景色がニュースの映像を裏付けている。どうやら真実らしい。この街は、死んだのだ。
 男はとある企業のエリートだった。若干29歳にして取締役目前という異例の速度で栄達し、その手腕を賞賛される一方で敵もまた多い。だが、そんな事は意にも介していなかった。邪魔な物は蹴落としてやればいいのだ。それは、この状況でも変わりはしない‥‥。
「警察は‥‥駄目だな。街の中心部なのに姿が見えない。機能していないのか‥‥」
 冷静に観察して行動指針を決める。いつだってそうだ。焦りに視界を狭める者がチャンスを掴むことは無いのだ。
 身支度を整え、部屋に備え付けの消火器を片手にウェスは部屋を出た。廊下を彷徨う人影は、既に人間ではなくなっているのだろう。男の姿を見つけると、ぎこちない動きで迫ってきた。
 ――バシュ!
 適当な距離まで引き付け、消化剤を噴霧する。瞬時に視界が覆われ、屍体は目標を失って虚空を掴んだ。機を逃さずに男は霧の中へ突入、姿勢を低くして屍体の腕を掻い潜り、廊下の奥へと駆け抜ける。どうせ奴らに、非常階段を使う知恵などあろう筈もない。その推察はやや傲慢だったかもしれないが、間違ってもいなかった。
 扉を開けると、非常階段の踊り場にスーツ姿の男が立ち尽くしていた。声をかけるまでも無い。生きていようと死んでいようと、邪魔者に違いは無いのだ‥‥。
 ウェスは素早く近寄ると、横殴りに消火器を叩きつける。重い手応えと共に、男は地上へと落下していった。

 ――繁華街。
 裏路地からひょいと顔を出し、黄安成(ea2253)は辺りを見回した。
 警察署まではまだだいぶある。おっかなびっくり屍体をやり過ごしているから何事もなく済んでいるが、この先どうなるかも判らない。出来れば、ギリギリまでこれは使いたくない‥‥男は手に持ったショットガンを見つめ、小さく嘆息した。強盗撃退用に購入したこれが、まさかこんな事に使われる羽目になろうとは。腰に下げた肉切り包丁も人生の筋書きは皮肉だと主張している。両親と営む中華料理店のそれは、実用性と確かな殺傷力を持っているのだ。
「ヒイィイイ! た、たす‥‥けえええええ――ッ!!」
 麻袋を引き裂くような悲鳴が耳朶を打ち、安成は視線をそちらに向けた。見やれば、一人の小男――廻奄(eb2966)が屍体に襲われ、命からがら逃げ惑っていた。のみならず、目敏く男を発見すると、助けを求めて走り寄って来たのだ。
「あ、あ、あ、あんた! おた、おた、おたすけぇ!」
 助けるも何も、自動的に屍体は此方に向かってきている。男は舌打ちするとショットガンを構え、屍体の上半身を吹き飛ばした。
「や、やっとまともな野郎に会えたぜぇ。お、俺も連れてって‥‥くれるよなぁ? 嫌だって言っても‥‥つ、ついて行くからなぁー」
 安成の背中にちゃっかり隠れた庵がすがり付く。強力な得物に目を付けたに違いない‥‥無碍に断るわけにも行かず、仕方なしに男は了承した。しかし、今ので大事な弾薬を一発使ってしまい、残りは七つ‥‥二つに折った銃身に弾薬を装填しながら、男は今一度、深い溜息を吐いた。

 ――住宅地。
 限間灯一(ea1488)は愛車に跨ると、腰に手を回した白羽与一(ea4536)を振り返り、少しだけ照れ臭そうに声をかけた。
「少々、飛ばします。しっかり掴まっていて下さいね、与一姉さん」
「灯一が一緒だもの‥‥怖くないわ」
 言葉と共に柔らかな肢体がぎゅっと押し付けられ、灯一は、ヘルメットを被っていて良かったと心から思った。素顔のままなら、上気した頬を見られてしまうに違いない。
「勿論です。だけど‥‥自分は警察官ですから、職務を全うしなければ」
「分かってる。でも日本まで送ってくれる約束、忘れないでね」
 住宅地は外周部にあり、本来なら脱出は比較的容易な筈だ。だが、青年は市内に向かうつもりだった。一人でも多くの生存者を助ける為、それが己の職務だと信じたからこそ‥‥。姉同然に育った与一を付き合わせる形になるのは不本意だったが、置いていく訳にもいかない。全てを委ねたような彼女の微笑みに、青年は命に代えても護り抜く大切な者の価値を噛み締めた。
「行きますよ!」
 握り締めたスロットルに応え、エンジンが咆哮する。グレーのコートと純白のワンピースは一つの影となり、路地を疾走した。


●クーガーズロック 14:35
 ――中心部、警察署1Fホール。
 予想以上に溢れかえる屍体の数に、生き残りの警察署員は一人、また一人と倒れていった。
「相手が化け物でも元人間でも怯えんなっ。いつもの喧嘩のように囲んで砂にしろっ」
 焔威の檄も、既に空元気のレベルまで落ち込んでいる。何しろ、数が違うのだ。倒しても倒しても湧いて出てくる屍体の群れに、焔威もモリも閉口していた。
 彼らは知る由も無かったが、生ける屍体の数は市内中心部に集中しており、外周部へ行くにつれてその密度を減らす傾向にあった。屍体の増えていったプロセスを考えれば明白な事だったが、大局的視点を持てる人間は予想以上に少ない。生存者を救助して回る等は無謀以外の何者でもないが、それに気付かなかったことを誰が責められようか。
 ――グルルル‥‥。
 狂犬の如き唸り声が響く。現れたのは全身から粘液を撒き散らす犬――変異した警察犬である。警官隊の被害の大部分は、奴らに戦線を乱された事から発生していた。
「ヘルハウンド――軍用生物兵器の実験体とほぼ同一個体‥‥」
 ふと、屍犬を見た少女が呟いた。脳裏を駆け巡る記憶が実験データを呼び覚ます。言っている本人は何のことやらサッパリな訳だが。
 飛び掛る屍犬の眉間を狙い、モリが精密射撃で撃ち落す。職業柄、銃に慣れ親しんでいた事と、動物の扱いを心得ていたことが生きた。但し、屍犬は数こそ多くは無いもののそれでも複数おり、残弾が心細くなってきているのが痛い。倒れた署員から回収したマガジンにも限界があり、これが尽きたら後は無いのだ。
「ちぃっ!」
 何食わぬ顔で一同に紛れ込んでいた、リュリスのショットガンが吼える。頭部を吹き飛ばされた屍体がぐらりと倒れると、それを乗り越えるようにして次の屍体が現れる。正直、きりが無い‥‥。
 と。
 ――グォン!
 爆音と共に、ホールに一台の大型バイクが飛び込んだ。着地に失敗すると横倒しになり、スピンしながら屍体を弾き飛ばしていく。運転者は逆方向に振り落とされ、警官達が構築したバリケードに激突すると呻き声を上げて床に叩きつけられた。
「今だ、正面入り口封鎖! 残敵掃討!」
 警官隊の指揮を執っていた警部が叫んだ。一瞬の間隙を突いてホールは閉ざされ、供給源を立たれた屍体は程なくして全滅した。
 そして、仮初の静寂が訪れる。
 意識を失っていた最大の功労者は、目を覚ますとすぐに少女の姿を見つけ、満身創痍の体から不自然なほど元気な声を出した。
「イリス、なぜ君がここに‥‥」
「判りません‥‥」
 記憶を失った少女は、頭を振った。
「まぁいいや、君ならこれが何か分かるだろ」
 苦笑を一つ、凪は少女の手にアンプルを握らせる。
「俺はもう‥‥君はこれで俺の代わりに多くの命を救ってくれ」
「発症、したんですね」
「痛くないんだ、全然‥‥」
 此処に来るまでに負った傷から感染していたようだ。凪は今までの研究データから自分が人間でいられる時間を計算して、思いの他少ない事にもう一度、苦笑した。
「ああ、時間が無いや。畜生、もう行かなきゃ‥‥」
 伝えたい事はまだ山ほどあった。だが、他に果たさなければならない責任がある。例えそれが自責の念だとしても、それ以外の手段を凪は思いつかなかった。横倒しになっていたバイクを立て直し、セルモーターを回す。大丈夫、お互いまだ生きている‥‥。
 青年は微笑み、愛車を軽く撫でると一気にアクセルを吹かした。
 ――グォン!
 猛烈な勢いで飛び出した凪は、まるで一発の砲弾のようにホール入り口を突き破り、外に屯す屍体達を撥ね飛ばしながら外壁へ激突、爆発した。
「後退だ! 屋上のヘリポートまで後退しろ!」
 呆気にとられていた警部が我に返り、指示を出した。恐らく、今の自爆で正面の屍体は一掃されたか極端に数を減らしているだろう。だが都合のいい救援が考えられない事は焔威達も耳にしていた。ならば、自力で脱出しなければならないのは自明の理だ。
 後退する一団の中から、二人の人影が消えている事に気付いた者は、誰もいなかった。

 ――同時刻、メインストリート。
「市外へ通じる路線を辿っていけば脱出は可能なのではないか、と。何より、地下ならば地上より死者の数は少ないでしょうから‥‥」
 バスのハンドルを握り、灯一は目的地の説明をしていた。事故で放置されていたバスを発見し、死に切れず内部で蠢いていた屍体を処理したのは少し前のことだ。繁華街で拾った安成や庵をはじめとする生存者の移送に便利だった。
 メインストリートは事故車両や火災で寸断されており、目的地まで一直線、と言う訳にはいかなかった。だが、運転席の傍らで細々と出す与一の指示は的確で、複雑に回り道をしながらも一行は確実に目的地へ向かっていく。感嘆しながらも疑問を浮かべる灯一に、女は地図を見たから、と微笑んでみせた。
「ちょいと、いいかの‥‥」
 安成が与一に声をかけたのは、バスに揺られて少ししてからだ。
「‥‥どうしたの?」
 怪訝そうな顔で尋ね返す女に、男は焦りを隠さず、耳打ちした。
「怪我人の様子がおかしいんじゃ‥‥軽症者は震えが止まらんし、重傷者はもう意識をなくしとる」
「そう‥‥様子、見てくるわね」
 女は微笑を浮かべ、後部座席に姿を消した。

「なぁ、なんかよぉ〜、ものすげー腹が‥‥へ、減ってきてんだけどよぉ」
 庵が情けない声を出した。空腹の頂点に達したらしい。
「この騒ぎです。ろくに食べてないのはお互い様ですから」
 灯一は振り返らず、苦笑しながら返した。
「ちぇっ‥‥肉が食いてーよ、肉がよぉ」
「我慢してくださいよ」
 灯一は運転しながら返答していた。だから、気付かなかったのだろう。
 庵は話しながら、何かを口に運んでいたのだ‥‥。
 と。
「降りて、灯一! 早く!!」
 突如響く、与一の鋭い声。慌てて急ブレーキ、路肩に停車したバスから訳も判らず飛び降りる。泡を食って安成と庵が続くのを確認すると、女は安成からショットガンをひったくり、バスのエンジンへ向けて立て続けに引き金を引いた。
 至近距離で散弾が吼え、脈動を続けるバスの心臓が破れたその時‥‥。
「皆、伏せて!」
 ――ドゥン!!
 女が叫んだ直後、バスは爆発した。
「何故こんな‥‥与一姉さん‥‥?」
 逃げ遅れた乗員もろとも炎上するバスを眺め、呆然と青年が呟く。
「襲われそうになって、怖くて‥‥私、皆を守らなきゃいけないって!」
 激情の涙を流す与一。そんな彼女を疑う気に、灯一はなれなかった。

 ――同時刻、裏路地。
 消防車のハンドルを握り、ウェスは慎重に街を進んでいた。
 車を確保するのは簡単だった。消火作業をしようと外に出たところを襲われたであろう、空の消防車を運良く見つける事が出来たからだ。己の強運に、男は上機嫌を隠せない。そうだろう、そうだろう。私の人生はこんな所で終わる筈が無いのだ。
 助手席に目を向ける。そこには、道中で見かけた貴金属店から持ってきた装飾品や現金が山と積まれていた。――どうせ生かされることは無いのだ。ならば、有効利用してやった方が世の為というもの。この緊急事態にあっても男の自意識は平常通りに不遜であり、であるが故に過剰であった。
 道なりに曲がる。目の前の路地は燃え盛る炎と崩れ落ちた瓦礫にふさがれており、それ以上の前進は断念せざるを得なかった。
「別の道を行くか‥‥」
 苦々しげに呟き、車を後退させる。
 と。
 いきなり後輪の片側が空転し、バランスを失った消防車が路地の外壁に後部から突っ込んだ。
「な、なんだ‥‥!」
 後頭部を強く打ち付け、男の意識が一瞬暗転する。後輪に屍体を巻き込んだなど、ウェスの知る余地も無かった。

「――ぐっ!」
 どれくらい経ったのだろうか。男の視界が元に戻った時、消防車の周囲は屍体の群れに囲まれていた。
 運転席の獲物を見つけ、屍体のボルテージが上昇する。興奮しているのだ。生意気にも、私を見て。
「わ、私は生き延びる。なんとしてもな‥‥」
 己に言い聞かせるように言って、男はアクセルを踏み込み、強引に突破を図った。いくつかの屍体を弾き飛ばし、そして車は横転する‥‥。
「こんな所で私の人生が終わっていい筈が無い‥‥!」
 叫びは、横転し屍体に覆われた運転席から聞こえた。そして二度と、聞こえなかった。

 ――中心部、下水道。
「確保成功。直ちに帰還する」
『おめでとう、報酬は君の口座に振り込んでおく』
 極超短波無線のスイッチを入れ、任務達成を報告すると、レシーバーからは歓声が聞こえてきた。
 気を失った少女を抱え、リュリスはほくそえんだ。やった。まんまと手に入れた。あの男は死んでしまったようだが、アンプルを受け取っていた所から見て、この娘も開発者の一員に決まっている。
 上機嫌の報告に、だが通信手は不吉な声色で告げた。
『そうだ、君に二つの知らせがある。一つは朗報だ。今回の報酬は契約の二倍払われる事になった』
 口笛を吹き、リュリスは次を促したが、聞いた直後に後悔した。
『もう一つは悪い知らせだ‥‥君の妹は退避に失敗し、現在もまだ病院のベッドの上にいる』
「‥‥クソったれがぁ!」
 下水道に、絶叫が響き渡った。

●クーガーズロック 17:45
 ――警察署、屋上ヘリポート前。
「早く乗れ! 出るぞ!」
 此処までの激闘を生き残った警部が、操縦桿を握り締めて叫んだ。
「判ってるよ!」
 焔威は片手のスタンガンを屍体に突き立て、スイッチを入れた。数万ボルトの高圧電流に脆くなった神経組織を破壊され、元警官は動かなくなった。
 ――タタタタタッ!
 焔威が乗り込むのを確認して、モリがウージーを横殴りに掃射する。追撃の手が阻まれ、ゆっくりとヘリが浮上した。
『やった!』
 歓声がヘリの中から響いた。地獄のような署内を抜け、安全な空にやっと脱出できたのだ。肩を叩き合って一同は喜び、来る日の再会を約束しあった。
 ――ヒュン!
 その閃光に気付いたのは、幸か不幸かモリ一人だった。ただ、彼女にとっては極め付けに不幸だったのは疑いない。
「どうして――」
 ――ドォン!
 空対空ミサイルの直撃を受け、ヘリは爆発、四散した。

『標的の撃墜を確認』
『了解。それにしても馬鹿な奴らだ。あんな目立つ方法で逃げようとするなんてな』
 警察のヘリを撃墜した空軍パイロットの会話は、余りに無慈悲で、残酷だった。
 そう、この街は感染拡大を恐れた政府により、封鎖されていたのだ。

 ――数時間後、地下鉄構内。
「ぐお‥‥」
 断末魔の吐息が漏れ出る。己の首筋に歯を立てた庵を突き飛ばすと、安成はその場にへたり込んだ。猛烈な勢いで血が流れ出すのを感じる。あぁ、致命傷じゃ‥‥男は傷口を押さえると、その出血量に絶望した。
「うめえよ‥‥こ、の肉さぁ‥‥ち、中華料理っ‥‥てやつ‥‥か‥‥よ、ぉ。うまい、うまい、う、マイ、ウまイウマウマウマウマウマウマウマ!!」
 庵は奇声を上げて喜んだ。自分の肉も悪くなかったが、他人の肉のなんと美味なることか! 流れる血潮は正に甘露とも言うべき極上の美酒。そして、ああ! その柔らかな筋肉の歯応えといったら! もはや辛抱堪らず、庵だったものは地べたに座り込む獲物めがけて飛び掛った。
「KYYYYYYYYY――――――ッ」
「‥‥こ‥の」
 死力を振り絞って、片手のショットガンが上向き、そして――
 ――ドンッ!
 至近距離で散弾の直撃を受けた庵だったものは、その頭部を粉々に吹き飛ばされて息絶えた。
「あ‥‥が‥‥」
 反動で地面に叩きつけられた安成は、もう指一本動かす力も無かった。意識が薄れ、やがて原初の衝動が男の体を支配していく‥‥。
 ――タン!
 小指の先ほどの弾頭に穿たれ、額の中心に赤い穴が開いた。頭蓋を貫通した弾頭が変質しかけた脳細胞にその暴力的なエネルギーを叩きつけ、完膚なきまでに破壊する。第二の人生を歩むはずだった安成は、その一発で不運な人生に幕を下ろした。
 乾いた銃声。だがそれ以上に、その白磁のような美貌は乾いた表情に支配されている。処理した物体を見つめる、冷えた眼差し。無機質なまでに白いワンピースが小さな赤い華を数滴、咲かせていた。女は気にも留めず、踵を返し――そこに愛する男の凍りついた表情を見つけ、何時もの微笑を浮かべた。
「与一姉さん‥‥貴女は一体‥‥」
「私は、灯一に生きていて欲しいの。ただそれだけ」
 愛する女の意外すぎる一面に、灯一は戸惑う。
「そんな私は嫌い?」
「そうじゃない‥‥だけど」
 だけど。貴女の正体は一体誰なんですか。喉まで出掛かった質問は、女の言葉に遮られた。
「こっちよ‥‥きて、灯一」
 地下鉄のエレベータに歩み寄りってパネル部分に鍵を差し込み、与一は微笑した。

●クーガーズロック 20:10
「ここは‥‥?」
 エレベーターから降りた灯一が辺りを見回す。
「‥‥廃棄された作業通路。一直線に市外へと抜けれるわ」
 軽く説明して、女は先を急いだ。すぐ近くに、脱出用の車が置かれている筈だ。
「ない‥‥? そんな、まさか‥‥!」
 愕然と呟く。予定の場所に、約束の物は存在しなかった。即ち、その意味する所は――捨て駒。
「姉さん‥‥?」
 灯一の言葉に、与一はただ首を振って応えた。
 どんなに急いでも、人の足では五時間以上かかる距離だ。それまでに、この街は、この場所は跡形も無く消滅しているだろう。
「嘘ついてごめん。でも、灯一に会いたかった、助けたかった‥‥!」
 女の告白で、全ての謎は氷解した。生存者を始末する為の特殊工作員だったのだ、姉さんは‥‥!
「自分にとって、やっぱり与一姉さんは与一姉さんで、とても大切な人ですから」
 微笑み、青年は愛する女の手を引き、走り出した。
「え、なに‥‥!?」
「与一姉さんが言ったんですよ、『約束』って。男なら約束は守れませんと」
 例え、無駄だったとしても。そこで努力を放棄する者に、運命が笑う事は無いのだ。
 二人はお互いに微笑むと、手を繋いだまま走り出した。

●某所 25:07
「そうですか‥‥ご苦労様」
 予定通りに限定核が投入されたとの連絡を受け、少女はソファに深く腰掛け、溜息を吐いた。
 全く、危ない所だった。あのタイミングで記憶を失うとは、研究所始まって以来の天才が聞いて呆れると言うものだ。わざわざ自分を運び出し、安全なルートまで教えた上で病院に戻ったあの馬鹿な傭兵には感謝してもしきれないくらいだった。
 デスクの上、己の持ち帰ったアンプルを眺める。これと自分の頭脳さえあれば世界の軍事バランスは思いのままだ‥‥
 笑いが込み上げる。いや、抑える必要などない。偉大な天才が、どうして遠慮する必要があるか。
 イリスはいつまでも、いつまでも笑い続けた。


「‥‥しかし、あのお嬢ちゃんが自分の正体に気付いたら、なんと言いますかねぇ」
「我々が自由に記憶をコントロールできる、特殊なウィルスキャリアだってか? はは、無理無理‥‥」
 カメラを見つめる存在を、少女は知る由も無く――

 ――そして、また何処かの街が、地図から消える。