●リプレイ本文
暗がりの中でキーを打つ音だけが響いている。プラスチックの無機質な響きが固いコンクリートへ反響している。その空間にぼうっと淡く浮かび上がるのは液晶のディスプレイだ。14インチの画面にはCGで描かれた池袋駅の構造図が映し出されている。
カチリとマウスの音がし、画面はフロアの平面図へと切り替わった。そこには数個の光点が点在している。マウスカーソルが滑り、カチリ。再び画面が切り替わり、中央へグレーのウィンドウが表示される。そこには”Enter ID and password for...”の文字列。
ID欄へ打ち出された文字は『Professor』。点滅するポインタがpassのテキストボックスへ移動する。再び乾いたタイプ音。タタタ、タン。タタン。そして――。
東武百貨店、16:30
無人のフロアをいく二人組の姿がある。先を行くのはやや小柄なホワイトタイの服装。その後をカンフースーツの長身の女が付き従っている。半袖からすらりと伸びた腕の先にはバンテージに固めた拳。だがどこか洗練された立ち居振る舞いは、その適度に引き絞られた体躯からもまるでモデルのような印象を受ける。女が口を開いた。
「マスター、封鎖は完了したようです。如何なさいますか」
振り返ったマスター[利賀桐まくる(ea5297)]は三つ揃えの燕尾服に白蝶タイ、スリーピークのポケットチーフ。靴はエナメルのパンプスという時代掛かった正装へ、アクセントにリムレスのサングラスを掛けている。一見して少年のようでもあるがスレンダーな体つきながらも僅かに帯びた丸みは隠せない。その違和感の作る雰囲気は男装の麗人といった出で立ちだ。
「と、とにかく‥‥何としてでも探さないと‥『悪魔』‥さん‥‥」
どこかおどおどした態度は幼さのせいと言うにしても少し程度が過ぎるだろうか。二人が主従関係にあるのが不思議に思える。だが悪魔[李焔麗(ea0889)]と呼ばれた女はそんな様子など微塵も見せずにすました顔でこう返した。
「仰せのままに」
テロリストが駅を封鎖して僅かに数分、駅各所の電光掲示板へ声明文が流れ始めた。
『我々「暁の狼」は、テロによる日本民族の浄化と再生という崇高な理想のため‥‥』
時を同じくして構内にも武装したテロリストの姿が散発的に見られるようになった。
「‥‥とんだ仕事だな‥まぁいい‥金と安全さえ貰えるなら文句は言えない」
そんな構内を、マグナムを片手にうろつく男の姿がある。コードネーム銀狐[セイクリッド・フィルヴォルグ(ea3397)]、元国際テロリスト。どこへ向かうでもなく通路を進むと、行き当たった北口のシャッターの向こうへ男は喚き散らし始めた。
「逃走用の車とヘリを用意しろ! さもなくば人質の命は無い!!」
(「‥‥やれやれ。面倒なことになったな」)
その様をじっと窺っていたブルース・ウィル・スミスは、何とも迷惑そうに溜息を吐いた。
「要求もなく逃走の準備ってのも、妙な話じゃないか?」
「‥‥これが‥俺の仕事さ‥‥」
振り返った銀狐が銃を乱射する。彼はそのためだけにこの場にいた。テロに加担することで結果的に命を落とそうとも構わない。このつまらない日常からひと時でも抜け出せるのならば。
「この緊張感がたまらない! そう思うだろ!?」
「やれやれ。どうしてこう緊張感がないものかね」
銀幕に踊るムービースターのようなガンアクションを望んでいた銀狐だったが、現実は厳しかった。滅茶苦茶に銃を乱射する彼を尻目にブルースは遮蔽物沿いに後背へ回りこんでいる。興奮した様子の彼へ足払いを浴びせると、転倒した所を後ろ手に締め上げる。取り落とした銃を奪うとブルースは銃口を押し付けた。
「畜生‥‥国の狗め。逃げ出せば爆弾を容赦なく弾けさせる。汚い花火だな」
その捨て台詞へは耳も貸さずに、ブルースは男の後頭部へ銃底を叩きつけた。呆気なく気絶した男をブルースが縛り上げる。
「よし。まずは一人と。とりあえず武装は確保できたか」
男が口走った爆弾の話は気になるが、まずは反撃の態勢を整えることが先決だ。杜撰な巡回体制と人質の監視体制からも、犯行グループは訓練を受けた集団ではなくアマチュアなのかもしれない。
「にしても、随分と無計画なテロリストもいたもんだな。やれやれ」
同時刻、中央改札前。
「こちら、コードネーム月狼[フィラ・ボロゴース(ea9535)]。え? あたいに、んな雑用やれって??」
マシンガンを抱えた女が無線機へ怒鳴りつけている。
「うるせー、んな事自分でやれよ。動かねーと豚みたいに太っちまうぜ? 偉そうな口きいてんじゃねー! 勝手にさせて貰うからな!」
女は強引に無線を切った。怒りに任せるように天井へ向けてトリガーを引くと、たちまち周囲から悲鳴があがる。
「ひゃ〜〜あの人達、ホントにイッちゃってるテロ屋だよぉ〜〜」
それを遠巻きにして、フライトジャケット姿の女が窺っている。ミラーシェイドをずらしてその光景をまじまじと眺めると、コードネーム:オクスタン[ミリフィヲ・ヰリァーヱス(eb0943)]は小さく肩を竦めて見せた。その手には大事そうに竹刀袋が抱えられている。
「けどなかなか見つかりそうにないよね〜。ね、『トリュフ』さん?」
その横には細身の黒いモッズスーツに身を包んだトリュフ[香月八雲(ea8432)]の姿。タイトフィットのスーツにティアドロップのサングラスが印象的だ。
「東京の駅って広いので、ボスが捜しやすい様占拠してくれたみたいです! 諺で言う『備えあれば嬉しいな』ですね!」
「例の事の為だけに、池袋駅封鎖してあんなカモフラージュやらせるなんて‥‥ボ‥じゃなかった、マスターの力って凄いんだぁ‥‥でもコレはちょっとやりすぎじゃないかなぁ?」
二人は何かを探している様子だ。慎重に辺りを警戒しながら二人は迷路のような複雑な構内を歩いていく。
「孫子もこう仰いました!『男は外に出たら7人の敵が居る』と!」
曲がった先には、その区画の人質が一箇所に集められていた。床に座り込んだ人々の中に、一人立ち上がって周囲を巡回している男がいる。こちらはトリュフと同じく黒の、だがモード系のスーツをそつなく着こなしている。その胸にうっすらと膨らんで見えるのは忍ばせたハンドガンだ。
不意に二人の姿を前にして人質がざわめきだした。だが男が胸元から拳銃を抜くとそれも一瞬で静まり返る。危害を加える素振りは見せず、だが脅しの効果だけは引き出しつつの監視だ。人質を一所へ誘導したその手際の良さからも相応の訓練を受けていることが窺える。
「ボスが雇ってくれた助っ人さんですね! よろしくお願いします!」
「烏[黒眞架鏡(ea8099)]だ」
はきはきと挨拶するトリュフへ、対照的に『烏』は簡潔な言葉で答える。
「周りに何かおかしな動きがあったら無線連絡を入れて貰うことになってる。この通り持ち場を離れる訳にはいかないが、警戒しつつ出来得る限り協力しよう」
「ありがとうございます! これで心配せずゆっくり探せますね!」
「だね〜。それじゃあ二手に分かれて手分けして探そっか♪」
いけふくろう前、16:50
「確かこの角を曲がれば売店があった筈です!」
文房具を入手するためキャロルは東口へと向かっていた。そこへ通り掛った青年[御影涼(ea0352)]が彼女を呼び止めた。落ち着いたプルシャンブルーとホワイトのコーディネートスーツに、手にはキャリングケース。長い髪を後ろで束ね、穏やかそうな物腰をしている。青年はそっと手を差し出した。
「こ、これは‥‥」
手渡されたのはボールペンとメモ帳。
「いい記事、書けるといいですね」
眼鏡を押し上げると、青年は微笑を返す。そこへ。
「キャロルちゃんじゃないですか☆」
嬌声に振り向くと飛び込んできたのは見覚えのある学生服だ。
「覚えてますか? 舞台の妖精、赤霧連(ea3619)です。キャロルちゃん少し太りましたか?」
「連ちゃんではないですか! お久しぶりです!」
落ち着いた臙脂色のブレザーはキャロルの母校の制服だ。連がにこにこと笑うたびに同じ臙脂のプリーツスカートが揺れる。二人は両手を握って再会を喜び合った
「はっ! そういえばさっき」
振り返るともう青年の姿は消えていた。キャロルがこれまでの経緯と突撃取材について語りだす。事情を聞いている内に、段々と連の顔も明るくなっていく。やがて例の青年のくだりへ差し掛かると。
「出会いはロマンティックに、でも恋とかしたらダメですよ?」
「むう。ですが‥」
「大丈夫ですよ。詰まる所、私は貴方の味方です。パーティーへご招待します‥‥片道切符なのは内緒ですよ」
その手を引っ張って連が連れて行こうとするが、まだキャロルは何か口篭っている。
「むう。やはり‥」
「えい!」
そこへ問答無用に足払いすると、受身も取れずにキャロルが頭からすっ転んだ。伸びた彼女の足を持ち上げると、連は地下街の奥へとズルズル引き摺って消えていった。
同時刻、西口。
「はいはーい、撃たれたい? 撃たれたいなら即急所にぶち込んで上げるよ〜?」
持ち場を離れた月狼は西口前の通路をブラブラと歩いている。やがて閉じ込められた人質を見止めると彼女はマシンガンを突きつけた。
「そこまでだ」
警告の声はブルースだ。拳銃を月狼へ向けている。だが彼女はすぐさま人質を盾に取る。その判断に躊躇などない。
「あはは、あたいは端金で命賭けてるもんでね、躊躇いっていうのを捨ててるんだ。何かしようモンなら‥‥即、こいつもあんたも撃つよ?」
彼女は金で雇われたいわゆるテロ屋だ。拳銃と自動小銃では分が悪すぎる。銀狐から奪ったハンドガンで立ち向かえる相手ではない。
「さあ、とっとと銃を捨てな」
無情にも月狼が告げ、観念したブルースが銃を放り捨てた。拳銃が放物線を描き、刹那。ブルースは傍のドラッグストアから商品棚を蹴り飛ばした。
「‥‥!‥」
ブルースがすぐさま横飛びに床へ飛び込み銃をキャッチする。だが逸早く月狼は人質を盾にして射線を塞いだ。しかし彼の銃口が捉えたのは、宙へ舞った商品だ。
突如、小さな爆発が起きる。それは制汗プレーだ。僅かな判断の遅れは致命的な結果をもたらす。破裂音に驚いた人質が身を竦めたその瞬間に。開いた僅かなスペースを的確な射撃が捉えていた。
「‥‥やれやれだ」
嘆息しながらブルースは頭を振った。その直後、乾いた銃声が通路に木霊する。致命傷を負った筈の月狼だが、僅かに身を捩った彼女は辛うじて急所を外していた。軍隊経験時に鍛えたテクニックだ。ブルースも咄嗟に飛び退いて遮蔽物へ身を隠す。月狼は尚も反撃の手を休めない。だが、傾いた流れは戻せなかった。
跳弾が床に散らばっていたスプレー缶に命中し、一瞬の注意の空白が生まれる。その機を突いて今度こそ銃弾が彼女を撃ち抜いていた。
「くそ、あたいの命の価値なんてこれっぽっちの金と同程度かよ‥‥くそっ‥もっと‥生きたい‥‥」
それきり、ガクリと力なく頭を垂れ彼女は動かなくなった。
「まったく。やれやれだ」
「同感ですね」
振り返ったのと拳打が鼻面を捉えたのはほぼ同時だった。立っていたのはカンフースーツの女。『悪魔』だ。
「マスターからの命令です。邪魔な鼠は排除せよ、とね」
ブルースの取り落としたハンドガンを蹴り飛ばすと、悪魔はステップを刻みながら彼の周囲を遠巻きに周り始めた。
「殴り合いなら、俺だってこう見えて昔はボクシング選手を目指してたんだ」
スーツを脱ぎ捨てるとブルースはシャツの袖を捲くった。華麗なフットワークを刻む女に身構えつつ、ファイティングポーズを取ってタイミングを窺う。
「もっとも、エレメンタリーの頃の話だけどな‥‥!」
ブルースから殴りかかった。女はその大振りの拳を交わすとカンフースーツのスリットへ手を伸ばす。再び拳がブルースを襲った時、そこには龍叱爪が握られていた。ブルースのシャツが裂けて血が滲んでいる。
血の付いた爪を反すと女はブルースを見つめながら頬擦りする。頬に紅が差し、彼女は恍惚を浮かべる。その瞳は獲物を切り刻む快感に酔いしれていた。
「まったく、池袋ってのはイイとこだよ‥‥!」
17:10
「はっ! ここは!」
再びキャロルが目を覚ましたのは地下街にあるレストランだった。
「ちっちっち、始めは腹ごしらえ、これで早めのディナーとしましょうか?」
「なるほど‥‥腹が減っては戦は出来ぬ。理に適った指摘です」
そうして連達は何事もなかったかのように、無人のレストランでテーブルを囲んだ。数年ぶりの再会に会話も弾む。いつしか話話はお互いの近況から取り止めもない世間話へと移り。
「で、そこで言ってやった訳ですよ! アナタ背中が煤けていますよ、と!」
「キャロルちゃん、さすがですネ☆」
ずいぶん和んでいた。この二人だとツッコミがいないので放っておくといつまでそうしているのか分かったものではない。とはいえ、こんな状況でゆっくりしていてはテロリストに見つかるのも時間の問題だ。
「動くな!」
警告ではない、それは命令だ。既に足元へは銃弾が撃ちこまれている。
「‥‥両手を上に上げて、頭の後ろで組め。そのまま、ゆっくり此方を向くんだ」
油断なくハンドガンを構えるのは細身のダークスーツに身を包んだ銀髪の青年。二人がゆっくり振り返る。次の瞬間、男は思わず声を上げていた。
「‥‥キャロル!?」
「刑部先輩!」
振り返ったキャロルを前にした刑部豹馬(ea0449)は明らかに狼狽していた。
「お前、何だってこんな所に‥‥」
「先輩こそ、なにゆえ斯様な場に‥‥!」
キャロルは懐かしそうにしてスーツ姿の刑部をまじまじと見つめる。短めの丈はハイウエストのシルエット。広く取ったVゾーンからはワインレッドのシャツが覗く。コーディネートしたネイビーブルーのネクタイには、アクセントにシルバーチョーカーが添えられている。
二人を交互に振り返っていた連へ、キャロルは漸く事情を説明する。
「お世話になっている編集事務所の先輩なのですよ!」
高校を出てすぐにキャロルはライター見習いとして働き始めた。その当時に彼女の教育係として一から仕事を教えたのが刑部だった。事務所を辞めた後はフリーの従軍記者をやっているという話だったが、何とも皮肉な再会である。やがてキャロルから経緯を知らされると、刑部は思わず苦笑を浮かべた
「また無茶な事を‥‥死んだら如何するつもりだ。‥‥発砲した俺が言う事でもない、か‥」
それを噛み殺すようにすると、彼は拳銃をしまった。
「いい機会だ。俺達の広報役を担当させてやろう。但し、お前は全てを克明に記録し、世に伝えなければならない‥‥出来るか?」
「無論!」
自信いっぱいに即答したキャロルへ刑部は満足そうに頷いて返す。拳銃の代わりに無線機を取り出すと彼は仲間へ一報を入れた。
「『レポーター』だ。広報役に丁度いい栗鼠を発見した、このまま利用するぞ」
ブルースと悪魔の死闘は続いていた。既に彼のシャツはずたずたに切り裂かれて無数の傷が口を開けている。致命傷には至らぬ浅い傷だが、寧ろ悪魔はあえてそうやっていたぶっているようだった。
「その余裕で足元掬われないといいけどな」
逆手に取ったブルースはあえて避けずに体ごと拳打を受け止めた。傷は浅い。これまでのお返しにとブルースは渾身の一撃を叩き込んだ。重い反撃を受けて倒れる悪魔。
「まさか‥‥悪魔さんを‥倒すなんて‥」
振り返るとそこには燕尾服の少女の姿。マスターだ。その横には烏も付き従っている。
「誰にも‥‥子豚さんを‥探す‥邪魔は‥させない‥」
「子豚‥ちっさくても食えるのかな」
ふと呟いた烏の言葉にマスターが眉を動かす。次の瞬間、彼女は二丁拳銃を抜いていた。
「Pちゃんのこと‥‥悪く‥いう人は‥‥死ねば‥‥いいんだ‥」
銃口は烏へ向けられている。マスターが引き金を引き、烏も転がって身をかわすとすぐに烏も応戦する。銃声に周囲の人質が逃げ惑う。それにはお構いなしに二人は構内を舞台に銃撃戦を始めた。烏の銃弾がマスターの顔を掠めサングラスが吹き飛んだ。
「これが無ければ‥眉間‥‥ヤラれてた‥。あのヒト‥手練だね‥‥」
マスターが燕尾服の袖口から弾倉を滑らせリロードする。慣れた手つきはさながら手品のようだ。だがそんなことはブルースにとってはどうでもよかった。
「‥‥勝手にやってろ!」
いがみ合う二人を尻目にブルースが駆け出した。
西武線改札前、17:20
「‥‥因みにキャロルちゃん、気になったのですがその頭の上の気持ちよさそうに寝座っている子豚ちゃんはお友達ですか?」
「はっ! そういえばいつの間に!」
いつからかそこへ居たのはかわいらしい子豚。両手でキャロルが掴みあげると。
「Pちゃん!」
不意に子豚を呼ぶ声。角を曲がった先に出くわしたのはトリュフだ。彼女が餡饅を差し出すと、キャロルの腕から飛び出した子豚はトコトコと駆け出した。近づいた所をすかさずトリュフが抱えあげる。
「代わりに保護してくれていたのですね! これは御礼といっては何ですけど、Pちゃんの好物の餡饅です!」
半分に割った饅頭をキャロルへ差し出すトリュフ。
「お心遣い痛み入ります!」
「こちらこそ!」
そうして、トリュフは子豚のPちゃんの頭を小突いて優しく言って聞かせる。
「もう勝手に何処かに行ったらダメですよ」
「さあ、先を急ごう」
刑部が先を促す。そこを突如、無数の銃弾が襲った。自動小銃を構えているのはコードネーム・グール[ラシュディア・バルトン(ea4107)]だ。
(「俺は平和だとか日常だとか、そういったものが大嫌いだ。それらを壊してやりたい。のうのうと生きている奴らを見ているとぶっ壊したくなるんだよ‥‥」)
傭兵崩れでチームに参加したという彼自身は、組織の思想には何ら興味を示していない。ただ破壊の衝動に突き動かされるようにして彼は自動小銃の乱射で周囲をなぎ払う。敵は必要以上に破壊を楽しんでいる。隙を盗んで刑部は自動改札へ滑り込んだ。そのまま死角を利用してグールの背後へと回り込む。
だが。
「残念、お見通しだ」
咄嗟に振り返ったグールが拳銃を向けた。レーザーポイントがぴったりと刑部の額を捉えている。
「こいつで狙われた奴の表情は愉快なほど崩れるんだぜ‥‥ほら、やってみせてくれよ」
不意に無線機から誰かの声がする。
『何をしているんです、無益な殺戮は私たちの思想に反します』
「奴らを大人しくさせるためにもちょっとくらい、いいだろ? これが終わったら趣味は切り上げて仕事に戻るからよ」
『いいですか、勝手な行動は許しま――』
そこでグールは強引に無線を切った。刑部を振り返ると、今度はキャロル達3人へ目を向ける。
「お前をやったら、次はあいつらだ。‥‥ハハ、弱い奴らが苦しんでいる姿を見るのは楽しいだろうなぁ」
キャロルの顔が不安で曇る。連がその手を握って微笑んだ。
「大丈夫、乙女の命は天文学的に高いのですよ♪ それに乙女のピンチには正義の味方が来て下さるのです。それを信じて待ちましょう」
「‥‥正義の味方か、反吐がでる」
吐き捨てるように言うとグールは無情にもトリガーに指を掛けた。その時だ。フロアへガラスの砕ける音が木霊した。すぐ脇のショーウィンドウを突き破って現れたのはオクスタン。その手には愛用の槍『貫(グァン)』。
「裏の住人同士で力を行使するのはどうとも思わないけど、それが表の住人に向けられる様なら見過ごせないよ!」
「くそ! させるか!」
咄嗟にグールは拳銃と自動小銃を滅茶苦茶に振り回した。だが一瞬早く反応した刑部がキャロル達を突き飛ばす。
「悪い事するのに理想なんて言い訳は要らない、やりたいからやる。それだけでしょ? 名前なんてもっと要らない、十把一絡げに悪党で十分だよ。ま、ボクもそんな悪党の一人だけどね」
槍を振り回すオクスタン。グールも遮蔽物に身をかわしながら反撃する。流れ弾を食らって巻き添えになる人質達。怒声。悲鳴。逃げ惑う群集。それはかつて刑部が日本人へ伝えようとしていた戦場の真実だ。そのために彼は取材を続けてきた。だが彼の努力が身を結ぶことなく、日本という国は最後まで危機感を持たぬままだった。
(「所詮は外国で起こった戦争なんざ、この国では娯楽でしかなかったのさ!」)
刑部が暁の狼に参加したのもそれが理由だ。隣人の苦難すら娯楽にしてしまう腐った民衆に、恐怖の記憶で危機感を植え付ける為に。――だが。そうやって進んだ先がこの惨状だった。
「いいか、キャロル‥‥この愚かな事件の全てを客観的に伝えるんだ‥‥お前が始めて事務所に来た時に教えた筈だ。報道は常に中立であって、そこに私見を挟む余地は無いと‥‥」
凶弾からキャロル達を庇った刑部は背中に深い傷を負っている。
「お、刑部先輩!!」
「首謀者の居場所は西武百貨店奥の駐車場ビル。そこの最上階‥‥さあ、行くんだ」
「キャロルちゃん、行きますよ!」
連の呼びかけにキャロルが頷く。一度だけ刑部へ振り返ると、刑部の前で、固く頷いたキャロルは駆けて行った。
(「お前なら出来る‥期待しているぞ‥‥敏腕‥ライター‥‥」)
その背を見送りながら息絶えた刑部の顔は、微笑を浮かべた安らかな表情だった。
駐車場ビル、17:30
照明の落ちたその最上階。ブルースは導かれるように黒幕の下へ辿り着いていた。
「ワイらの目的の妨げとなるなら、ここで消えて貰う」
立ち塞がる彼はコードネーム・パンサー[朱雲慧(ea7692)]。その手にはマグナムが。咄嗟にブルースが車の陰へ身をかわす。それを合図に車を盾にしての激しい銃撃戦が始まった。
「この男 さっきまでの三下とは違う‥‥強い!」
敵は大口径のマグナム。薄い鉄板など盾にもならない。しかも非常灯の下では視界も利かない。ブルースの銃弾は狙いを外して飛んでいくだけだ。にも関わらず敵の射撃は的確だ。恐らくは軍の特殊部隊あがり、暗闇での戦闘に対処する訓練を受けている。敵は彼を追い詰めるように非常灯への狙撃を始めた。
(「考えろ、考えろ、考えろ‥‥!」)
ブルースは呼吸を落ち着ける。敵は牽制射撃を挟みながら徐々に距離を詰めてきている。ブルースの思考がめまぐるしく回転する。ふと耳を澄ますとブルースの脳裏に銃声が反響した。マグナムの銃声に混じって別の銃声も重なって聞こえる。敵は、二人いた!
「邪魔だ!」
ブルースの銃弾がその男の影を捉えた。くぐもった呻き声が暗闇に洩れる。一瞬の暗闇に閃いた銃火を目印に彼は引き金を引いていた。だがそこに生じる隙をパンサーが見逃そう筈はなかった。
「注意がお留守やで!」
素早い蹴りがブルースの腕を打つ。もう目の前まで彼は迫っていた。乾いた音を立てて拳銃が転がる。それに気を取られた隙に、今度は横っ面を銃のグリップの固い感触が叩きつける。次の瞬間にはブルースは床へ這いつくばっていた。
それを抱え起こしたパンサーが容赦なく膝蹴りを見舞う。
「これでもう邪魔立てはさせへんで!」
「俺は人の邪魔が趣味みたいなもんでね‥‥!」
ブルースがタックルを仕掛けた。パンサーがマグナムを取り落とす。この距離の殴り合いならもはや視界も関係ない。二人は縺れ合いながら転がった。だがパンサーは格闘戦のエキスパート、巧みにパスガードするとマウントを取った。
「もう逃れられんで! 観念しいや!」
「生憎と俺は往生際が悪いんだ」
ブルースが真横の床へ手を伸ばした。その先にはマグナムが転がっている。銃口が火を噴き、至近距離からの銃弾はパンサーの腹部へぽっかりと風穴を開けていた。
「へッ‥‥ワイはタダじゃ死なへんで。駅ごと爆破したる。止める方法はある、せやけどそれを知っとるんはワイの相棒だけや‥‥」
パンサーが取り出したのは起爆スイッチだ。
「よ、よせ‥‥!」
「Mrブルース‥‥先に地獄で待っとるで」
勝者の笑みを残してパンサーが力尽きる。その掌中でスイッチに取り付けられたメーターが刻々とカウントを減らしていた。
「スクープです!」
そこへキャロルと連、そしてPちゃんを抱いたトリュフが駆け行って来た。トリュフが暗い室内をライトで照らすと、そこには息絶えたパンサーと、そして。
「あ、あなたはっ!」
そこへ倒れていた青年へキャロルが駆け寄った。彼女へ文房具を手渡したあの青年だ。そのスーツは胸部からの出血で真っ赤に染まり、すぐそばにはノートパソコンが転がっている。その画面には駅構内図が表示されていた。彼こそはコードネーム『Professor』。事件を裏から操っていた黒幕だ。
「誰だ!動くな!銃を置けッ!」
そこへ三人へ向けてブルースの警告の声が飛ぶ。
「怪しい者じゃありませんよ。通りがかりの女子高生です☆」
「はい! Pちゃんを駅で探していたんです!」
見るからに緊張感のない三人の様子に気が抜けたのかブルースは銃口を下ろした。それを今度は青年へと向ける。
「追い詰めたぜ、あんたが黒幕だな?」
「既に私の指示に従ったメンバーは駅構内各所へC4(プラスチック爆弾)を設置している筈です。そのカウントがゼロを刻んだ時、我々の崇高なる目的は達成される」
そう口にしてプロフェッサーは血の塊を吐いた。ブルースの銃撃は肺を貫いていた。トリュフが応急処置を施すが出血が酷い。彼の体はみるみると熱を失っていく。
「爆発を止める方法を教えろ」
ブルースの言葉へ青年は耳を貸す気配は見せない。
「テロは失敗だ。これ以上の犠牲を出す必要はないはずだ!」
その間にもカウントは刻一刻と進んでいる。キャロルがノートパソコンを拾い上げると画面へ向かう。グレーの認証ウィンドウが表示され、パスコードの入力を求めている。
「パスコードを言うんだ! 時間がない、頼む!」
プロフェッサーが逡巡する。彼の返答はこうだった。
「‥‥パスワードは『CODE:C』です」
荒い息を吐きながら、彼は苦々しげに口にした。4人が顔を見合わせる。すぐさまキャロルが画面へ向かう。
「キャロルさん、お願いします!」
「しっかりですよ、キャロルちゃん!」
キャロルの人差し指がキーを叩いた。
「行きます! パスコード入力! これで事件は解決です!」
そこにある文字は。
―――『KODE:C』。
‥‥『KODE:C』
‥‥『KODE:C』
「きゃ、キャロルちゃん!?」
緊迫した声で連が叫んだ。そして。
「ダメですよ? ちゃんとenterキーも押さないと」
めっ、と可愛らしく叱り付ける連。なーんだと安心したのも束の間。意気揚々とキャロルがキーを叩き――。カウントは遂に00:00を刻んだ。
池袋駅、18:00
構内を爆音が揺るがした。
「‥‥これが‥死か‥‥」
いまだオクスタンと激しい戦闘を繰り広げていたグールは爆発に巻き込まれていた。
(「‥‥なあ‥どうして‥誰も俺を見てくれないんだ‥よ‥‥‥ああ‥そうか‥俺はただ‥誰かに‥‥畜生‥」)
マスターと戦っていた烏もまた爆発に巻き込まれていた。
(「戦いの中に身を置きたかったというのもあるかもしれないな‥‥」)
だが爆発が起こったのはこの二箇所。他の設置予定箇所では、仲間の相次ぐ離反により設置作業は終わっていなかった。爆発の直前に始まった銃撃戦で人質が周辺から退避していたこともあり奇跡的に一般市民の犠牲は最低限に押さえられた。
「‥‥やれやれだ」
思ったより爆発の規模が小さく、4人はひとまず胸を撫で下ろした。
「まったく、池袋ってのはいいとこだよ。だろう? プロフェッ‥‥」
だが。そこにはもう青年の姿はない。ただ転々と続く血痕が残されている。
「畜生!やられた!」
「ああ、怪我の治療がまだ済んでませんよ!」
すぐさま彼を追ってブルースとトリュフが駆け出した。更に。
「警察だ! 動くな!」
入れ違いに今度は警官隊が雪崩込んでくる。
「キャロルちゃん、逃げますよ! 逃げ足には自身があるのです‥‥あぁ、足が‥キャロルちゃん私を置いて先へ‥‥」
「え、わ、わわ、わ‥‥」
慌てたキャロルがパソコンを抱えて右往左往する。その腕を警官がむんずと掴んで。
「18:04、被疑者確保!」
次いで、今度は眩いばかりのフラッシュ。
「ご覧下さい、犯人逮捕の瞬間です!」
雪崩込んだTVレポーターや新聞記者が一斉にキャロルを捉える。こうしてテロリストとして逮捕されたキャロルの写真は、号外とその日の夕刊、更に翌日の朝刊の一面を飾ることとなる。こうして、一連の事件はひとまずの決着を見せた。
後日談。
暁の狼の首謀者であるプロフェッサーはまんまと行方を眩ませた。現場には彼の関与を示す証拠は一切残されておらず、ただ転々と続く血痕からDNAサンプルが採取されるに留まった。
拘留されたキャロルは持ち前のそそっかしさを発揮してトントン拍子で裁判を進め、色々あった後にやがて獄中から手記「題して『ハードガンアクション』」を発表。ピュリッツァー賞とはいかなかったが『題ハード』は各メディアで取り上げられることとなる。
「いやいや、一時はどうなることかと思いましたが。終わり避ければ全てよしですね!」
が、本人はやっぱり持ち前の楽観的な性格と無根拠な前向きさで器用にこの環境へ順応。敏腕模範囚として名を馳せることとなったのであった。(めでたしめでたし)