右目に死が見える

■ショートシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:フリー

参加人数:12人

サポート参加人数:-人

リプレイ公開日:2005年04月14日

●オープニング

 1920年代、ヨーロッパ。世界を覆った悲惨な戦争を経て、束の間の平和が訪れた欧州。先の世界大戦では多くの新兵器が活躍し、科学はまさに一つの時代を作ろうとしていた。古い価値観は新しいそれにとって代わられ、急激な変化からくる社会不安と時代への期待感が渦巻いた激動の時だ。
 我々現代人が前世紀を振り返ったとき、それは科学の時代であったと言える。20世紀の光が科学だとしたら、その20年代はまだ闇の濃く残っていた時代だ。それは科学の隆盛と同時にオカルトが力を持っていた時代でもある。科学は確かに人類へ光をもたらした。一方で、軍靴の音が忍び寄る第二次大戦前夜のこのとき、時代は暗い影を落としつつもあった。そんな不安な世相からか、人々は人ならざるものの力にすがろうとした。交霊術や心霊研究も盛んで多くの有名な魔術師や能力者が活躍した。科学で説明のつかない、奇妙で怪異な現象がまだ世界には溢れていた。
 これはそんな光と闇の20年代、その暗部に生きた者たちの物語。黄昏の時の物語だ。


『‥‥サイエンス・オブ・ワンダー編集部では読者の皆様からの情報提供をお待ちしております。当誌に記事や写真が掲載された場合は最高で1000ドルの懸賞金を贈呈いたします』
 20年代、ロンドン。小さな科学誌の片隅にこんな記事が掲載されている。
『この世に科学で説明できないものはありません。超常現象と呼ばれるものを科学的に説明し、真実を白日の下へ。科学の光ですべてを照らしましょう!』
 そこでは霊能力者の起こした奇跡や幽霊騒動の科学的な検証が試みられている。手品師の巧妙なトリック、心霊写真への光学的見地からの考証、はたまた催眠術や目の錯覚などなど。ありとあらゆる新しい知識を駆使した科学的な原因究明がなされている。だが一つだけ、それらでも巧く説明のできない写真がある。
 それは薄汚れた壁を背に東洋人の上半身が宙に浮かんでいる写真だ。光源の影響か、男の右半身には影が差している。男の眼差しは暗く、何かを訴えかけているようだ。男はもの言わぬその眼差をレンズの向こうへ向け、差し出した右手で足元を指している。
 記事によるとそれはフィルムの合成によるものだとされているが、他の検証記事と比べるといささか論調が弱い。それは東洋人の幽霊が出るという噂の幽霊屋敷で撮られたものだ。数年前にチャイニーズゴーストの噂として新聞にも掲載され話題を集めた。もともとはランドルフ伯という没落貴族の所有していた屋敷で、彼の死後は人手に渡って持ち主を転々としている。ランドルフ伯は晩年に目を患い、最後には発狂して亡くなった。医師にもさじを投げられ、怪しげな呪い師や、東洋の医術にまで頼ったが遂に回復することは無かったようだ。チャイニーズゴーストは、ランドルフ伯に恨みを買って殺された東洋の占い師だというのがもっぱらの噂だ。
 暫く前のことだ。黒魔術師という触れ込みの男がゴーストの謎に挑戦すると行って屋敷へ向かったきり行方不明となり、数週間後に腐乱死体で発見された。死体からは顔の右半分だけが噛み千切られたようになくなっており、幽霊屋敷のヘッドバイターとしてゴシップ誌を賑わした。奇妙だったのはそれだけではない。死体の見つかった屋敷の一室には、男のものではない別の死体の一部も発見されたのだ。千切れた四肢、指先、髪と一緒に剥げた頭皮。少なくとも十数人分の部分遺体だと警察は断定した。そこで何があったのかは濃い闇の中だ。
 現在、屋敷はとある資産家が所有している。この物件を格安で手に入れたはいいが、あまりの悪評のおかげで売り手もつかずに困っているとのことだ。噂では幽霊騒動以前から何度も持ち主が代わり、その誰もが皆非業の死を遂げたと言われている。
 真偽の程は定かでないが、少なくとも彼の以前に所有していた実業家が謎の失踪を遂げているというのは事実のようだ。彼は屋敷を手に入れた頃から酷い頭痛に襲われるようになり、それが元で心を病んでいた。付き合いのあった者たちはそう証言している。信心深い者は悪魔の仕業だと恐れ、そうでない者は下らない迷信だとしながらも言い知れぬ恐れを感じている。失踪した実業家の日記の最後にはこう記されていたという。
 ――『右目に死が見える』と。

●今回の参加者

 ea0447 クウェル・グッドウェザー(30歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea1151 御藤 美衣(27歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea1249 ユリアル・カートライト(25歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea1956 ニキ・ラージャンヌ(28歳・♂・僧侶・人間・インドゥーラ国)
 ea2253 黄 安成(34歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea2331 ウェス・コラド(39歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea3731 ジェームス・モンド(56歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea4324 ドロテー・ペロー(44歳・♀・ファイター・人間・ノルマン王国)
 ea8714 トマス・ウェスト(43歳・♂・僧侶・人間・イギリス王国)
 ea8785 エルンスト・ヴェディゲン(32歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb0013 ヴェレナ・サークス(21歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb1435 大田 伝衛門(36歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 物語の出だしは次のような一文で始まる。
『神は女王の頭上にいた。このとき、大英帝国は力に満ちて雄大だった――。』
 先の大戦でドイツに勝利を収めた英国は莫大な賠償金を手にしていた。前世紀には世界へ先駆けて産業革命を達成した英国は、既に七つの海の覇権を握り世界中に植民地を広げている。『――今や英国は世界の中心にあった。それはまさしく神の寵愛と表現するに相応しい』。
 だがそんな神の恩寵もこのイーストエンドに迄は届かない。貧民街は浮浪者と犯罪者の吹き溜まりだ。その一角にある小さな教会。
「ねえ神父様、何でそんなに怖い顔してるの?」
 幼子の声でクウェル・グッドウェザー(ea0447)は顔を起こした。彼が睨んでいたのは出納帳だ。キリスト協会からも見放されたここは孤児院も兼ねている。
「何でもないんですよ。心配はいらないからお外で遊んでおいで」
 笑顔で返して小さな背を見送るが、事実教会の経営は行き詰っていた。
「現実は厳しいものです。何とか金策をしないと‥‥」
 そんな折だ。彼の元へ奇妙な話が舞い込んだのは。チャイムの音にクウェルがドアを開けると、そこには見知らぬ訪問者が彼を待っていた。
 同じスラムの一角。古びた建物の一階に小さなオフィスが軒を並べている。くすんだ看板からはこう読み取れる。『ヴェレナ・サークス(eb0013)代書事務所』。
「客か? オフィスアワーは昼の1時から5時までだ」
 くすんだ茶のスーツを着た男、ヴェレナはデスクへ向かってサンドイッチを頬張っている。
「但し3時から1時間はアフタヌーンティーの時間だ。空いてる時間に出直してくれ」
 書類綴りへ視線を向けたまま彼は追い返すように手を払う。訪問者は無言で一通の封書を差し出した。漸く視線を起こした彼は訪問者を睨み上げると、やがて封を切る。書面を落とした視線が上下する。ヴェレナは最後にそれを丁寧に畳んで見せた。
 一頻り頷くと。
「問題ない」
 彼は立ち上がり、やがて訪問者と共に部屋を後にした。

 ロンドン屈指の高級住宅地メイフェアをユリアル・カートライト(ea1249)は訪れていた。
「ふう。ここがそうですか」
 豪奢な建物に囲まれ、彼は居心地が悪そうに嘆息した。彼は駆け出しの建築家。今日は噂の幽霊屋敷の所有者である資産家の招きでその屋敷を訪れている。緊張した面持ちで彼は扉を潜った。
 召使の案内で奥へ通されると、出迎えた資産家の横には若い女の姿。東洋人だ。
「待ってたよ、あたいは御藤美衣(ea1151)、雑誌記者だよ」
 困惑する彼へ美衣はこう続けた。
「何でもあんた、オカルト事情に精通してるってね? これまでも建築家として土地に由来する霊的現象を何度か解決したって聞いたよ。噂では実際に魔術の心得もあるとか‥‥」
 ユリアルは思わずぎくりと首を竦める。気まずい表情で男を盗み見ると、彼もまた張り付いたような笑顔を浮かべている。男は一通の書類袋を机へ置いた。ユリアルが開くと、それは屋敷の図面だ。
「立ち入りの許可を出そう、好きにしたまえ」
 これまで彼は幽霊屋敷の骨董的価値へ興味を示していた。これは願ってもないことだ。
「その代わり、ちょっとあんたに頼みたいことがあるってワケ」
「私に、ですか?」
 それへ美衣がくすりと微笑む。誘われるままに、彼は頷いていた。


 ビジネス街シティ、サイエンス・オブ・ワンダー編集部。雑然としたオフィスの一角で男が食事を取っている。時折退屈そうにぱらぱらと捲っているのは『SoW』誌だ。
「下らない雑誌だ‥‥凡人にはこの方が安心できるのだろうがね」
 フィッシュアンドチップスをさも不味そうに口へ運んでいるのは褐色の肌に銀髪の男。不機嫌そうな顔で、何かの作業をこなすように黙々とそれを口へ運んでいる。
「あれ? ひょっとして‥‥」
 そこへまるで迷い込むように編集室に入ってきたのはユリアルだ。男を目に留めると恐るおそる声をかける。
「作家のウェス・コラド(ea2331)先生では?」
 振り返った男の目つきは、鋭いというよりもむしろ斜視するのに近い。ユリアルの声が緊張で震える。
「私は先生の小説の大ファンなんです。空想とは思えない作品世界に強く惹かれて、以来コラド先生の作品は全部読みました!」
 彼はアメリカの気鋭の怪奇小説家。奇妙な冒険物語を強烈なリアリティで描いたその作風は、保守派から悪趣味だと酷評される一方で一部では狂信的な人気を誇っている。
「フン。この国で私の作品を手に入れるのはさぞかし大変だったろう」
 食事の手を止めると、コラドは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「英国人はセンスがダサくて私の作品は理解できないからな。キミは違うようだな。ところで君、この不味い食べ物、いるかい?」
「は、はい。頂きます!」
 ユリアルは畏まって向かいの席へ腰を下ろすが、コラドは相変わらず雑誌へ視線を落としている。その顔をじっと見ていたユリアルへ、彼はふと顔を起こした。
「ところでキミは何故ここに?」
「はい。それが‥‥」
 その二人の机の真後ろ、仕切り板の向こうでは二人の日本人が机を囲んでいる。一方はあの新聞記者の美衣だ。
「にしても、ウチでよくこんな企画通ったもんだよね」
 企画書を弄ぶ美衣の向かいへは、奇妙な格好をした男が座っている。
「担当記者が、同じ日本人でよかったわい」
 日本の山伏だという彼は大田伝衛門(eb1435)と名乗る男だ。
「まあ元は所謂ゴシップ記事書きだけどね。適当な事件を面白おかしく、扇情的に‥‥ってね。でも今度の企画が成功すれば少しは名が売れるしさ」
 彼女は『SoW』誌の編集部に配属された新米記者。欧州では東洋人への偏見も根深いが、美衣がここで記者をやっていられるのも同盟国である日本人だというのが大きい。
「バカらしくて下らない企画だけど、そこは魅力的♪」
 企画書をめくると、そこには『除霊検証実験』の文字。
「心霊関係の人もいるみたいだけど‥‥あの人達って、本気なのかねぇ??」
 衝立の向こうのコラド達を振り返って美衣は苦笑を漏らす。
「科学万能の世の中だもん、きっとトリックか何かに決まってるんだろうけど‥‥って、あんたの前で言っちゃマズかった?」
「霊能力は存在するんじゃよ」
 と、事も無げに大田。
「現に拙者がそうじゃからの」
「何か賭ける??」
 挑発的な美衣へ、彼は着ていた鈴懸の胸元を引いて示した。
「その時はこれをくれてやるわい」
「OK。それ、好事家に結構な値で売れそうだしね。それに記事を面白くするには『幽霊の仕業』もありだよね〜〜。」
 そう言うと美衣はオフィスのドアを振り返る。
「さて、そろそろ集まったようね」
 ちょうど男が一人ドアを開けて入って来る所だ。美衣達を見止めると、男は顔色一つ変えず片手を上げて機械的に挨拶する。
「ヴェレナだ。宜しく頼む」
 そこへ仕切り板の向こうからコラドも顔を出した。
「イギリス人はどうしてこう時間にルーズでいられるのか理解に苦しむね」
「分かったよ、もう始めるって。こちらは代書屋を営んでいるヴェレナ氏」
 コラドへヴェレナが頭を下げる。
「でもその裏の顔は魔術師という変り種だね。そして、一部のファンの間では作者自身が霊能者だって囁かれる分断の鬼才、コラド氏」
 美衣に紹介されてコラドが鼻を鳴らす。
「で、そっちが」
「町教会の牧師でクウェルと言います。これも、全ては神の思し召しでしょう。よろしくお願いしますね」
 いつからそこにいたのか、慌しいデスクの端にひっそり座っていた青年が立ち上がって挨拶する。
「そして拙者がこの企画の提案者。大日本帝国から遥々海を越えて悪霊退治にやって来た大田じゃ」
「それから、建築家でありまた魔術師でもあるあんた、ユリアルさんね」
 すと美衣は一行を見回して。
「この6人の異能者で、噂のチャイニーズゴーストを除霊して貰うって訳よ」
「6人?」
 コラド達が揃って聞き返したその時。編集部の扉が開かれた。入って来たのは修道服に身を包んだ金髪の男。大きな鞄を持つ手は純白の手袋に包まれ、丁寧に切り揃えられた短髪と相まって神経質な性格を思わせる。帽子を取ると男は丁重に頭を下げた。
「遅くなりました。英国キリスト協会から派遣されましたエクソシストのトマス・ウェスト(ea8714)と申します」
 そうして彼はクウェルと大田を一瞥した。
「もぐちや黄色い山猿と同道するのは些か不本意ですが」
 金髪を掻き揚げて帽子を被せる。
「協会からの御下命です。除霊は必ず完遂しますよ」
「様々な自称霊能力者に除霊対決をやって貰って、『SoW』誌がそのトリックを暴いて見せるってワケ。そうしながら最後は屋敷の謎に迫るって寸法よ」
「決行は今夜。全員で向かうんじゃ」
 もしも除霊を成功させ、且つトリックでないと断定された者には、屋敷の所有者である資産家から賞金が与えられる。もっとも、それは建前だ。『SoW』誌が霊能力を認めることは立場上できない。何がしかの理由をつけて偽者だとされるだろう。そうすれば誌上で幽霊騒動ともどもインチキだと葬り去って、後は屋敷が高値で売れるのを待つばかり。つまりはそういうことだ。
「いざ。屋敷に巣食う悪霊どもを成仏させようではないか」


 そして深夜。一行はランドルフ邸を訪れていた。正門のアーチを潜ると荒れ果てた庭の向こうに廃墟の建物が待ち構えている。
「流石に雰囲気あるじゃないか‥‥ロンドンもまだまだ捨てたモンじゃないな」
 コラドが道々をカメラに収めながらそう漏らす。
「いわくつきの屋敷だけど、まさか本当に“いる”なんてことはないわよね‥‥」
 興奮した様子の彼女はドロテー・ペロー(ea4324)。雑誌の投稿企画に応募してきたフランス人のカメラマンだ。『SoW』誌の読者でもある彼女は無論オカルトなど関心はないが、美術への深い造詣を買われて記録係兼ガイドとして同行することになったのだ。
「さて、資料によると」
 美衣が手帳を開き、事前に集めたネタを読み上げる。
「ランドルフ伯が煩ったのは右目が萎縮してしまうという病。眼窩がまるで落ち窪んだようになってしまう原因不明の奇病だって」
 殺されたと噂される中国人占い師も実在し、実際に事件のあった年に行方不明者リストに名を連ねている。怪しげな漢方薬を使った治療を行っていたそうだ。
「どうなの? 何か感じるかしら?」
 大田へペローがカメラを向けた。彼はそれを払いのけるとそのまま大げさな動きで印を結び何事かを念じ始めた。
「来おったぞ‥‥妖気がびんびんと伝わって来おるわい。2‥‥いや、3人じゃろうか? 屋敷に何者かの気配を強く感じるぞい」
 その大げさな動きに美衣やコラドは懐疑的な視線を向けている。だが。
「見て下さい」
 先程から振り子を手にしていたユリアルが静かに呟いた。彼の手元で紐に吊るされたクリスタルがくるくると大きく回りだした。その描く楕円の先へ皆が視線を向ける。それは屋敷の二階を指していた。

 二階を動き回る二つの影がある。先を行く長身のシルエットはインバネス・コートのフォルムを取っている。その直ぐ後ろにぴったりとつき従うのはやや小柄な影。見慣れないそれはブッディストの法衣姿だ。その手から伸びたカンテラの灯りが揺れ、不意に振り返った長身の男を照らし出した。男が口を開いた。
「ニキ」
 照らされたその顔はまだ若い。額のビンディは、なるほどインド人だ。美しい碧の瞳が神秘的な色香を漂わせている。命じられるままにニキ・ラージャンヌ(ea1956)が独鈷を振るうと両端の象牙が揺れて辺りへ影が躍る。やがて周囲の闇を集めたように少女の体を淡く闇の輝きが覆った。
「おる、確かに一人おるわ」
 いや、違う。答えた声は低い。よく見ると喉仏から少年であることが分かる。彼に注意を促されて男は慎重に扉を開けた。
 部屋の中は暗く見通せない。ここが問題の幽霊の出るという部屋だ。果たして、そこにゴーストの姿はあった。まるで亡霊のようにその場へ東洋人が蹲っている。鋭い警戒の視線をこちらへ向ける男へニキがカンテラを掲げる。眩しそうに目を細めた東洋人は足を怪我しているようだった。見ると床板が抜けている。
 ニキが傍らの男を振り返って請うような視線を向ける。男が口を開いた。
「私は考古学者のエルンスト・ヴェディゲン(ea8785)。安心しろ、私はたかが黄猿ごときにも平等に慈悲を与えてやる」
 侮蔑へ鋭く反応して東洋人はエルンストを睨みあげた。
「私は黄安成(ea2253)、中国の道士じゃ」
 名乗った黄へエルンストはさして関心も寄せず、インバネスへ手を伸ばした。そこから包帯と薬瓶を取り出すと、それをニキが受け取る。
「よ、寄るな‥‥」
 歩み寄ったニキへ黄は頑なな態度を見せたが、やがて渋々ながらされるに任せた。
「現れるのは中国人の霊と聞き及んでおる。施しを受けはしたが、これ以上の手出しは無用じゃ」
 黄は同胞の霊を鎮めるために一人で館を訪れていた。だが手にした棒と数珠ではいかにも心許ない。黄が小さく嘆息したその時だ。
 不意に屋敷へ言い知れぬ寒気が走った。何かの気配。いつの間にか部屋の隅にあの中国人の幽霊の姿があった。
『あなたの名はなんというのじゃろうか』
 二人が固唾を呑んで見守る中、黄が中国語で話しかけた。
『なぜ彷徨いやってきた人々を殺めたのじゃ?』
 その問いに、男は心底哀しそうな顔を向けた。振り返った男の右目は落ち窪んだように、いや違う、まるで抉り取られたようになくなっている。思わず三人は息を呑んだ。男が右手を差し出し、その後はあの写真にあったのと同じポーズ。
 幽霊が悲しげに足元を指したそのとき。
「きゃあっぁぁぁぁぁぁぁlーーーーーっ!」
 館に悲鳴が木霊した。

「何事だッ!」
 悲鳴と同時に男は駆け出していた。聞こえたのは一階の奥。廊下を駆け抜け、突き当たって奥の部屋。ドアを蹴破るとカビ臭い空気が鼻を突く。そこは書斎のようだった。
「いてて‥‥」
 部屋の隅で女の声がする。部屋の隅で腐った床が抜け落ち、大きな穴が覗いている。その下は地下室になっているようだった。
「何者だ、ここで何をしている」
 男が懐へ手を遣った。思わず身構えた女へ、彼が取り出したのは警察手帳だ。
「スコットランドヤードのジェームス・モンド(ea3731)刑事だ。幽霊屋敷の殺人事件解決の為、屋敷を捜索している。おぬしは何者だ、ここで何をしている?」
「イギリス男ってみんな貴方みたいに野暮ったいのかしら。マドモアゼルを前に他に言葉がお有りじゃなくて? まずはあたしを引き上げてくれると嬉しいんだけれど」
「これは失礼」
 だが脆くなっていた床はモンドが身を乗り出した拍子に崩れ、敢え無く彼も地下へ転落した。尻餅をついた彼へ女が名刺を差し出す。
「美術商のペローよ。今夜はちょっと訳ありで屋敷の探検中だっただけど、仲間と逸れちゃったのよ」
 そこはどうも隠し部屋のようだ。隅にはランドルフの肖像画が掲げられている。
「カーター家か‥‥」
「ちょっとちょっと!」
 油彩画に触れたモンドの手を慌ててペローが払いのけた。
「だめじゃない、そんな不用意に手を触れようとしちゃ」
 ポーチから赤いフェルト地の布を取り出して丁寧に拭くと、ブラシで表面の汚れを払う。ペローは一心に室内の調度品を調べ始めた。彼女がカメラマンとして同行したのはあくまで方便。本心では屋敷に眠ったままの美術品をちゃっかり頂いてしまおうと目論んでいた。氏の所有の美術品は事前にリストアップしてある。仲間と逸れたのもそれらの所在を隠れて逐一チェックしていたからだ。
(「歴代の持ち主は貴族や資産家のようだからかなり期待出来そうだと思ったけど」)
「ふふふっ♪」
 漁っていたペローは思わぬ収穫に笑みを隠し切れない。4インチにも満たない卵形のそれは眩いばかりの宝石で彩られている。高級美術品として知られるイースターエッグだ。それらを写真に収めながら、ペローはふと内の一つに目を留めた。
 黒真珠のような輝きを放つ卵には流星のように赤く線が走っている。殻には所々に四角い窓が開いていて、覗き込むと中にもう一つ小さな卵が収められている。支柱に支えられたそれはまるで宙空に浮かび上がっているようだ。
「しかし」
 モンドが本棚の書物をなぞりながら呟いた。旧いラテン語の書物が並んでいる。だがその価値を知らない二人にとっては無意味な代物だ。
「ゴシップ誌は無責任に幽霊騒ぎなどと書き立てているが、間違いなく何かのトリックがあるはずだ。下らん幽霊騒ぎに惑わされる訳にはいかんからな。俺が犯人を上げて、市民の安全を手に入れる」
「噛み千切られた死体が気になるけど‥‥野生動物でも住み着いてるのかしら?」
 にっと笑みを覗かせたモンドへ、ペローは肩を竦める。
「お値打ち品さえ見つかれば長居は無用ね。幽霊が出るなんて噂もあるし、気味が悪いからさっさと退散よ」
 咄嗟にエッグをフェルトで包んでポケットへ滑らせる。ペローは思い出したようにカメラを構えた。
「あ、でもちょっと待って。いいシャッターチャンスがあるかも?」

 一行からいつの間にかペローの姿は消えていたが、『SoW』誌取材班は元より寄せ集めの集団だ。夜目の利くヴェレナが足音を殺して先導しているが大抵は各自が好きなように探索している。
 美衣が興味の向くままに物色し、コラドも一心に万年筆を走らせる。時折、大田も妙な印を組んでは思わせぶりな発言を繰り返している。そうして暫くが過ぎ。
「きゃっl!」
 美衣の叫びに皆が駆けつけると、開いた扉から伸びた黒い腕が彼女を掴んでいた。くぐもった呻き声が重なって聞こえ、腐臭が辺りに漂い出す。
「除霊を始めます。亡者どもに戒めと束縛を‥」
「危険ですトマスさん!」
「もぐりは黙っていなさい。私は専門家ですよ」
 制止を振り切ってトマスが駆け出す。それをヴェレナが横から突き飛ばした。
「どいてろ」
 ズダン! 銃声が響き、ゾンビの頭を吹き飛ばした。朽ちた壁を突き破り、今や数匹のゾンビがトマスへ食いかかろうとしていた。剣を振るったクウェルもそれらを退け、大田も傍にあった花瓶で一匹を殴り倒す。残りをヴェレナが立て続けに撃ち抜くと、尻餅をついた美衣をユリアルが抱え起こした。
「あのような雑魚は私の敵ではなかったものを」
「じゃが、あのままで貴殿がどうなっておったことか」
「ふん、東洋人が何をほざくのですか。これ以上足を引っ張られるのは御免です。ここから先は別行動を取らせて頂きます」
 颯爽と踵を返してトマスは廊下の奥へ消えた。再び屋敷へ静寂が訪れる。
「何よ、今の‥‥」
 美衣は動揺を隠しきれない。トリックか否かなんて賭けはもうどうでもよかった。いつしか彼らは危険な闇の領域に踏み込みつつある。転がったゾンビはまだびくびくと痙攣しながら苦しそうに床板を掻き毟っている。それが今や現実だった。ヴェレナが重苦しい顔で呟いた。
「俺は‥‥悪魔などは信じている。魔術師だからな」

 エルンスト達は一階にいた。幽霊の指し示したその下を探るためだ。暗がりの中を黄とニキが注意深く探って回る。ふと、エルンストが部屋の端を指し示した。
「見つけたぞ」
 それは大きな衣装箪笥の下へ隠された跳ね上げ戸だ。どうやって見つけたのか黄が怪訝な顔をしながらも、腕を捲くると箪笥に肩を押し付ける。力を込めると、重く引き摺る音を立てて箪笥が押し動かされた。南京錠へ六尺棒を振り下ろすと鈍い音を立てて封が解かれる。黄が扉を持ち上げると、ひんやりとした空気が洩れ出てくる。その先は長い階段だった。
 暫くそれを下ると、急に平坦な通路へ行き当たる。石造りの地下通路の先には鉄格子のついた小部屋が幾つも見られた。
「これは‥‥」
「ダンジョン(地下牢)という訳か。なるほど。貴族らしい趣味も見て取れるが」
 拷問具のようなものも見て取れる。迷い込む者達は徐々に核心へと近づきつつあった。そしてその逃れ得ぬ闇は、地下書斎のモンド達へも疾うに忍び寄っていた。
「いやぁぁぁぁァァァ!」
 脆くなった壁を突き崩した亡者の群れが書斎へなだれ込もうとしている。
「くそ!」
 モンドが傍にあった火掻き棒を咄嗟に構えてゾンビの鼻っ面をひっ叩く。怪物を前にモンドの理性は今にも悲鳴をあげそうになる。だが市民を守るというその責だけが辛うじて彼を正気へ繋ぎ止めていた。
「何なんだ、これは! 化け物めっ!」
 異様なのはその顔だ。ゾンビ達には皆、右目がないのだ。失ったそれを求めるように、亡者の群れは二人へ襲い掛かる。
「けひゃ、けひゃひゃひゃひゃひゃ‥‥!」
 唐突に横穴の奥から叫び声が木霊した。その先の空洞はどこか別の場所へ続いているようだ。
「悲鳴だ、行くぞ!」
「え、うそ!?」
 早々に屋敷を後にしようとしていたペロー。彼女を引っ張ると、亡者の群れへタックルしたモンドは横穴の奥へと走った。

 跳ね上げ戸を発見し、遂に『SoW』誌一向は地下へ降り立った。
「け、けひゃひゃひゃ、わ、我が輩のしたことは一体‥‥」
 待ち受けていたトマスの変わり果てた姿に足が止まる。金の頭髪は真っ白に色が抜け落ち、その目は明らかに常軌を逸していた。不意にユリアルのダウンジングツールが激しく反応した。駆け出した一行を待っていたのは、押し寄せる十数匹ものゾンビに襲われる黄達だった。
「私一人じゃこれ以上はもたんぞ!」
 黄が六尺棒を振るって白兵で応じているが苦しそうだ。ユリアルの振り子が更に激しく揺れ、やがてその軌跡に縁取られるかのように蒼く透ける剣の形を取った。
「援護する!」
 ヴェレナが拳銃で射撃し、クウェルも続いて取り出した拳銃で応戦する。それに助けられながらユリアルが幻の剣を振るって黄に並ぶ。
「やむを得まいか」
 忌々しげに吐き捨てるとエルンストはインバネスからステッキを取り出した。印を結ぶと、そこから鎌風が巻き起こりゾンビを両断する。
「エルンストさん、長くはもたんで!」
 ニキの作り上げた力場が辛うじて群れを押し留めているが、せいぜい時間稼ぎにしかならない。
「埒があかん! ええい、風の精霊よ、ご加護を!」
 ヴェレナの掌中から放たれた雷が空気を切り裂き、ゾンビを群れごと串刺しにした。
「大丈夫か!」
 時を同じくして、そこへ続く別の横穴からモンドとペローも顔を出した。いつしか足元を覆い始めた言い知れぬ闇は濃さを増している。だが彼らはその奥にあるものを確かめずにはいられなかった。
「馬鹿な! 何だこれは!」
 暗い廊下の先へ急に広がる空間。そこに閉じ込められていたのは数十にものぼる夥しい死体だった。
「興味深い」
 屈んだヴェレナが死体を仰向けに転がすと、ミイラ化したそれはどれも右目を抉られている。不意に、遠くに青白い炎が点った。いや違う。それは老人のシルエットだ。振り返ったその右目には闇しかない。
 ヴェレナの咄嗟の銃撃もそれを捉えることはない。気付けば無数の鬼火が浮かび、異様な空気を作り出している。振り返ると既にエルンストの姿はない。
「奴ら、逃げたか!」
 従者のニキも逃げおおせた後だ。鬼火は次々とランドルフの眼窩へ吸い込まれていく。やがてそれが内側から膨れ上がったかと思うと、巨大な人の顔を形作って一行を飲み込んだ!
 避けることすら叶わない。彼らを覆った濃い冷気の霧の向こうに視界がぼやけて広がっている。奇妙に遠近感に欠けたそれは片目を通して見た世界のようだ。まるで覗き穴。それは誰かの視界を通してみたような奇妙な光景だった。
 柔らかく厚い質感の歪んだ壁に覆われた空間に、黒玉が浮かんでいる。それは時折光を返し、不揃いの面からなる多面体だと感じられる。だが輪郭はぼやけていて明確な形は理解できなかった。それが七つの支柱によって吊り下げられている。
 暗闇の中から何かが這い出てくる。
「参ったな‥‥自分の作品よりも恐ろしい体験をする羽目になるとは‥‥」
 コラドの声は上ずっている。闇の中を這うのはそれ自体にして差異。それでありながら、それ自身において非なるものだ。それは齟齬するものであり、解体するものである。宙吊りであり、急降下である。絶対にして唯一の神概念を裏切るような冒涜的な差異。それは理解を超えるものであり、理解の範疇の既に外に立つものであった。
 それを前に、正気で、いられる筈がなかった。
「ペロー!」
 あらん限りの声でモンドが叫んだ。
「ポケットだ! おぬしのポケットの中だ!」
 赤いフェルト地に包まれた黒いイースタエッグがこぼれ出たのと、映し出されていた光景が掻き消えたのは殆ど同時だった。クウェルが神へ祈りを捧げる。
「我は縛る。脚を縛る。腕を縛る。剣を縛る。されどその心は縛らず‥‥神の慈悲を識れ」
 縋るように彼はその慈悲を請うた。
「――コアギュレイト」
 刹那、一行を飲み込んでいた青白い光が拡散した。霧が晴れたように辺りへ元通りの地下室が広がっている。だがさっきまでと違い地下室は四隅から闇に食われるように沈みつつあった。
「逃げるぞ!」
 一斉に彼らは地上を目指して暗い廊下を走った。だが。
「けひゃひゃひゃ、すべては無駄! 彼らは星辰の彼方から姿を見せることなく、我々を刈り取るのだ〜」
「馬鹿、足を止めるな!」
 モンドがトマスの腕を掴んで引き戻す。それが彼の最期となった。蔦を這わすようにして闇が彼の四肢を絡み取った。それは二人を深淵へと引きずりこむ。はっと息を呑むモンドの目が、振り返った大田と交差した。
「モンド殿‥‥」
 その大田の腕を美衣が引いた。
「何ぼっとしてるんだ、走るんだよ!」
「‥何てことだ」
 だがコラドだけはその光景を興奮した様子で振り返ったままだ。
「‥‥私は作家として最高のネタを掴んだぞッ!」
 天井が落下し、その姿が瓦礫の向こうに消えた。いつの間にか地下を鈍い地響きが揺るがしている。屋敷の図面を手にユリアルが警告を発する。
「まずいです、このままでは生き埋めに!」
「通路を塞がれてる!」
 だが無慈悲にも跳ね上げ戸へ通じる通路はゾンビの群れに塞がれていた。地響きは勢いを増し、崩壊が近い。その時だ。
 ズキュウゥゥゥゥゥゥゥウン!
 背後の瓦礫の波を泳ぐようにすり抜けてコラドが飛び出してきた。その頭上へ新たに石片が降り注ぐが、コラドの一睨みでそれは宙空に静止する。
「私の作品はノンフィクションと言ってもいい物なんだ‥‥私はそれらの主人公やモンスターでもあるんだよ」
 彼はサイコキネ。彼の小説はまさしく実体験を基にしたものだ。
 ドドドドド‥
「人の強い意志はこの世の法則を捻じ曲げる‥‥私のようにね。彼も、何か強い意志があって幽霊として存在していたんだろう」
 コラドの視界の先でゾンビの群れが浮き上がったかと思うと、次の瞬間に天井へ叩きつけられた。それが突破口となった。その隙に駆け抜けた一行は跳ね上げ戸を飛び出し、屋敷の外へと逃げ出した。
 ランタンの火が引火し、屋敷は燃え落ちながら地下室ごと地中に失われた。
「終わりよければ全てよし、だな。少なくとも俺達は生きて出られた」
 ヴェレナが屋敷を振り返る。ランドルフ邸は、落ち窪んだ眼窩のように禍々しい痕を晒していた。


 こうして事件は解決したかに見えた。燃え落ちた屋敷からは大量の遺体が発見されたが、モンドとトマスの物と見られる遺体は遂に見つかることはなかった。スコットランドヤードの捜査でも一切の進展はなく、二人は行方不明者リストへ永遠に名を連ねることとなった。ただ一つ奇妙だったのは、屋敷跡の瓦礫からモンドの警察手帳が見つかったことだ。大半が焼け焦げたそのページには必死で殴り書きしただろう掠れた文字があった。殆ど判別不能だったが、辛うじてこう読める。
「闇の中から何かがはい出してくる、あれは‥‥ばかな、おお神よ」
 ゴシップ誌はこぞって「ゴーストの悪夢、再び」と騒ぎ立てた。『SoW』誌も飛ぶように売れ、大衆も新たな展開を期待したが。やがて――。
 ――忘れられた。



 二週間後。
 五月の陽気が溢れ、時期に夏の到来が近い。街では、電撃的に連載が発表されたコラドの新作『右目に死を見た男』の噂で持ちきりだった頃。
「あたいに何の用だってのさ」
 『SoW』編集部の美衣へ差出人不明の小包が届けられた。包みを開けるとそれは見覚えのある鈴懸だ。山伏の大田が身に着けていた物だ。
「何だい、賭けはあたいの負けだった筈だけどね」
 同時刻、英仏海峡上。
 ドーヴァー発カレー行きの渡航便に、下ろし立てのスーツで着飾った東洋人の姿がある。船室のガラス窓に映るのはあの大田の横顔だ。傍らに置かれたパスポートには、だが津田幸三と見知らぬ名が署名されている。
 ガラス窓の自分の横顔を端目に、彼は乾杯するようにワイングラスを窓へ擦り合わせた。大田は『SoW』誌へ持ち込んだ企画のロイヤリティをがっぽりとせしめてイギリスを後にしていた。
「今回の仕事もうまく行ったし、万々歳だ」
 今頃は編集部も偽造の身分証に気付いた頃だろうか。彼の素顔はプロの詐欺師だ
「日本じゃ少々やりすぎたが、欧州は広い。ほとぼりが冷めるまで荒稼ぎするかね」
 東洋の神秘を売りにして当分はこの手口で凌いでいけるだろう。
「つまりはこれで、グッドエンドって訳だ」
 ふと気付いて、大田――いや津田が振り返った。その右目は、まるで暗い闇のように深く落ち窪んでいた。(fin.)