《盗窃予告》 −星を支える指先−
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■ショートシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:フリー
参加人数:12人
サポート参加人数:-人
リプレイ公開日:2006年04月19日
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●オープニング
固い大理石の床を叩く足音がふたつ、波紋のように暗いホールへ木霊していき、キャロル・メラニーは遂にその部屋へ足を踏み入れた。高い天井に覆われたドーム状の空間は、迷い入るようにやってきた訪問者達をまるで見向きもせぬように、ただじっと息を潜めている。月の光にも嫌われたような、暗い、暗い空間がぽっかりと口を開いていた。
およそ生気の感じられないこの空気は、そうだ。虚ろな石棺だ。躯を抱きながら忘れられる時を待つような、冷たい石造りの雰囲気がそこにはあった。どこからか啜り泣くようなヴァイオリンの音色が漏れている。弦鳴がホールへ複雑な幾何図形を描き、それに呼び起こされた亡霊のように、闇に慣れた視界へ突如として輪郭が形を取った。
「先輩、これ‥」
ライターを点すと陰影が幾重にも広間へ重なった。そこにあったのは一枚の絵画。鮮やかな緑の色彩に飾られた、のどかな田舎の風景を描いた油彩画だ。
「ああ、セザンヌの『オーヴェル=シュル=オワーズの風景』だ。だが‥‥レプリカだろう。99年にオクスフォードのアシュモリアン博物館から盗まれて、現在も所在不明の筈だ。なにしろ本物なら三百万ドルは下らない代物だからな」
「けど、これは‥」
筆致は確かに後期印象派に見られる深い造形性を刻み、キュビスムの萌芽を思わせる。贋作にしても迫真の出来だ。薄明かりの中にあっても、セザンヌの筆に込められた光の威力を発揮している。
炎の縁取る明暗に無数の影が照らし出された。右手に飾られているのはレンブラントの『ガラリヤ湖の嵐』、そのすぐ隣に見えるのはフリンクで、『オベリスクのある風景』だ。カラヴァッジオの宗教画やフェルメールの作品の数々、イランの貴重な文化財の姿も見える。
不意に、ヴァイオリンの調べが途切れた。
「死のうと、思うのだ」
しわがれた老人の声だ。ライターを向けると、一枚の絵画の横に、揺り椅子へ背を預けた老翁がじっとこっちを見ている。手にしていた古びたヴァイオリンを膝掛けに乗せ、老人は絵を一瞥した。
「気になるかね? ゴッホの『スヘーフェニンゲンからの海景』、三千万ドルの価値はある物だ。尤も、私にとってはもはや価値を見出せぬただの壁掛けに過ぎぬが」
「私どもの取材をお受け頂き光栄です、シニョーレ」
恭しく頭を下げようとしたその男性記者を制して老人は話し始めた。
「私の健康状態についてだったね。その通り、私は今、癌に冒されている。余命は半年もないそうだ。――さて、何から話そうか」
「あの‥‥失礼ですが、ここにある美術品は一体‥‥」
キャロルは老人を遮って呟いた。先から落ち着きなく美術品に視線を動かしている彼女へ、男は気を悪くするでもなく、穏やかな物腰で語り掛けた。
「数億ドルは下るまい。このヴァイオリン一つとっても人の一生よりも重い」
キャロルは目を疑った。彼女でも写真でなら目にしたことがある。弦楽器の最高傑作、通称『ダヴィドフ‐モリーニ・ストラディバリウス』。十年ほど前に盗まれて今も行方の分からぬ筈のものだ。
「全て手に入れてきた。この私は。口さがない連中はどんな財産も持って死ねる訳ではないというが、私は全てと共に自らを葬ろうと考える者だ」
この老人の名を、世界は知らない。彼はイタリアの巨大な犯罪シンジケートの頂点に君臨してきた孤独な王。長者番付にはせいぜい彼の金庫番の名が片隅に載るばかりだが、裏経済界を合わせた番付があれば、世界は彼の名を知るだろう。ここにあるのはその彼が一生涯を掛けて蒐集した世界中の著名な美術品。
「今さら生き永らえようとは思わん。次の誕生日に自ら命を絶つつもりだ」
「しかしシニョーレ。恐れながら、全人類的な損失では」
察した記者の顔が蒼褪める。その反応に満足したように老人は嗤った。
「手筈は整っている。私の静脈にチオペンタールと二種の薬液が流れ込んで心臓を止めれば、屋敷ごと全てを灰にするよう手配させた。君達の言い分も分かる。私とて、良識ある忠告に耳を塞ぐほど頑迷ではない。相応の品があれば考えぬ訳でもない」
「しかし、これだけのものと見合うとなると」
「この、地球くらいものだ」
くつくつと押し殺した声で老人は嗤った。何か言いかけた記者を遮って、揺り椅子が軋んだ音を立てた。
「地球とまではいかずとも、釣り合いを持たせるだけの品なら私は構わぬよ」
星を支える指先、と老人は呟いた。
「かつて。この地球をたった一本で支えた人差し指があった。それを『盗み出して』くれれば、全て手放しても悔いはない。それを抱いて私は死のう」
謎掛けのような言葉だが、老人はそれ以上を語るつもりはないようだ。揺り椅子へ深く背中を沈め、瞼を閉じる。キィキィと軋んだ音が反響して消えた。二人の記者は老人へ頭を下げると黙って踵を返した。
「‥‥待ち給え」
老人は瞼を閉じたまま続けた。
「キャロル君と言ったね。フィレンツェへ飛びなさい」
「わ、私がですか!?」
再びくつくつと笑うと、老人は口許だけで微笑んだ。
「コレクターというのは蒐集品を誇らしげに語って聞かせるのを愉悦とする人種でね。そんな機会を与えてくれた君へ私から心ばかりのプレゼントだよ」
3月31日、科学史博物館――フィレンツェ、イタリア。
有名なウフィツィ美術館の傍らに立つこの小さな建物は、物々しい警備に囲まれて緊張した佇まいで縮こまっていた。
21の部屋に分かれた展示室には、およそ五千点の科学史的に貴重な品々がイタリア語で記された簡素なネームプレートを添えて並べられている。その4番目の部屋が、イタリアの偉大な巨人の残したものを収めた展示室である。
木星の衛星を初めて捉えた2本の望遠鏡と、レンズの欠片。弾道学を切り開いた比例コンパス。これらは全て、ガリレオ・ガリレイに纏わるものだ。その中に混じって、この空間においてはおよそ異質なもの――ケースに入ったやけにひょろ長い人間の指――が陳列されている。そう、これは偉大な科学者の残した人差し指なのである。
老人の言葉がたちまち裏社会の隅々まで広がると、勘のいい連中が真意に気づくまでさして時間はかからなかった。世界中の名の知れた犯罪者達がこの小さな博物館を窺っている。裏の世界から溢れ出た噂は、すぐにイタリア当局の知る所となる。
この指は、1737年にガリレオの亡骸がサンタ・クローチェの墓へ移された際、偉大な科学者の象徴として切り取られたものだ。それを戴いたアラパスター製の円柱台座には、次のように記されている。
『この指の遺物を軽んじてはならない。
この右手が天空の軌道を調べ、それまで見えなかった天体を人々に対し明らかにした。脆いガラスの小さな欠片を作ることで、太古の昔に若き巨人たちの力をもてしても出来なった偉業を大胆にも初めてしてのけたのだ。巨人たちは、天の高みへ登ろうと山々を高く積み上げたものの、空しく終わったのである。』
この世界が今や科学によって動かされているなら、この指先はたったひとつで星を支えたことになる。そして今そこには世界と同じ重さのものが、再び乗せられているのだ。期限は老人の誕生日が来る4月1日の朝。博物館の周りには当局の厳重な警備が敷かれ、事を遂げるのは余りに困難に見えた。だが、きっと誰かがやるだろう。
時計の短針が世界をぐるりと回って頂きへ昇り、フィレンツェは4月1日を迎えた。
●リプレイ本文
●生まれてきた日に
Pesce daprile(エイプリル・フール)、4月1日は御主人様のお誕生日です。
御主人様は病に伏せられてからというもの、お好きな美術館へ足をお運びになる事も叶わず‥‥。御主人様は気難しい方ですが、偉人が残した品々をわたくしにお話ししてくださる時だけは嬉々とした良いお顔で。
せめて今日はわたくしが御主人様の目となり、博物館での出来事をお話してさしあげようと思うのです。そうすれば、元気になってまた自分の目で美しいものを見たい、と‥‥。
生きる希望を、持って下さるかもしれませんから。
――13時間前。
「ご免下さい! 竹之屋派遣サービスより伺いました、香月八雲(ea8432)です!」
昼下がりになって科学史博物館を訪ねてきたのは、人材派遣会社から来たという若い女性だった。
「確か清掃員の――」
「お任せ下さい! 私が来たからには、どんな汚れも見逃しませんよ!」
愛想のいい健康的な笑顔を浮かべ八雲はモップにバケツを担いで館内へと進んでいく。
「ここがあの有名なガリレオさんの指が収められている博物館なんですね! その他にも貴重な品々がたくさん、これは気合をいれてお掃除しないとですよ!」
「おっと、そちらの館長室は来客中だ。先にフロアの方を宜しく頼む」
「来客‥‥どなたか大事な顧客様でも見えられてるのでしょうか??」
館長室を訪ねていたのは、朱雲慧(ea7692)と名乗る東洋人の男だ。
「裏で流れとる例の噂、あんたも知っとるんやろ?」
近頃、外食産業の分野で頭角を現しつつある華僑系資本のチェーン店『TAKENOYA』。彼はそのイタリア支社の若き頭取。だが、その裏の顔が国際マフィア『バンブーファミリー』の幹部であることを知る者は殆どいない。
「そこで、どや。一丁取引せんか?」
例の老人に伝がある。物を明け渡せば見返りに彼のコレクションの一部を流すよう話をつけてもいい。
「悪い話やないやろ?」
朱が不敵に笑う。暫しの沈黙の後、館長は上ずった声でやっとこう答えた。
「‥‥‥‥無理な相談だ。いずれにせよ、明日になれば館はイタリア当局の厳重な警戒下に置かれる」
「ま、しゃあないわな」
それだけ言うと朱は席を立った。
「あんな代物が盗まれたらレプリカの偽物飾るっちゅうワケにもいかんしな。本物やないと格好がつかん。そう、どこの世界にも本物はおるもんや」
去り際に一度振り返ると、朱は館長の目を覗き込んだ。
「泥棒の中でもプロ中のプロに狙われたら、防ぎきれるもんやないで。気ィつけることやな。それと、これ。ウチで作ってる中華饅や。口に合うようやったら今度本場の中華でも食べに足運んでや」
蝶番の軋む音を残し、朱の消えたドアが閉じる。それが完全に閉まってしまう、扉を開けて部屋へ入れ替わりに入ってきた男がいた。
「何だね君は。ここは関係者以外立ち入り禁止の筈だが、誰が通したんだ」
張り付いた笑みを浮かべたその大男は、館長を見ると帽子を脱いで畏まって挨拶する。
「館長さんでっか? いやァ、お会いできて光栄ですワ。ま、大して長い話じゃありゃしませんから、一つ聞いて下さいよ」
――11時間前。
「地球をたった一本で支えた人差し指とは、洒落が効いてますね‥‥」
フィレンツェの某ホテルロビー。精鋭達は集まりつつあった。先から端の席でコーヒーカップを手にとっているのは大宗院透(ea0050)。某組織のスパイエージェントの肩書きを持つ人物だ。ここイタリアでは透の顔は売れていないが、地元の裏社会に関わりのある人間なら、ロビーの真ん中の席にどっかりと腰を下ろした優男の顔は知っているかもしれない。“JJ”〔ジョーイ・ジョルディーノ(ea2856)〕といえばイタリアでは名の知れた凄腕の泥棒だ。
「あの爺さんが癌、ねぇ‥‥俺等を利用するための方便じゃないのかい? ま‥‥いいさ。せっかくのあの人からの挑戦、受けてみるのも面白そうだ」
JJが腕時計に手を落とした。飲み掛けのエスプレッソの最後を煽るとロビーの入口へ目を向ける。そこには黒尽くめの東洋人が物陰からこちらを窺っている。JJの視線に気がつくと男は黙って歩み寄り、正面の席へ腰を下ろした。
「博物館の内観や警邏状況などの下調べは終えてきた」
彼は某秘密結社の諜報員だという風守嵐(ea0541)。古の忍びの技を受け継ぐ御守の一族の血を引き、極東では名の知れた凄腕のエージェントだ。彼に続き、透もまたJJのテーブルへとついた。
「芸術を守るためです‥‥」
「これで揃ったね」
不意にかかった声はすぐ後ろのテーブル。ボーダーコリーの頭を撫でながら若い女性がパニーニを頬張っている。ミニスカートとスパッツ、上には黒の上着をひっかけただけのラフなスタイルの彼女は、フォリー・マクライアン(ea1509)。ウエストポーチからモバイルPDAを取り出すと画面へ目を落とす。
「香月さんと朱さんからは後で合流するって連絡が入ったよ」
「これで全員だ。それじゃ仕切らせてもらうとするかね。ま、フィレンツェは俺のホームグラウンドみたいなもんでね。仕事の段取りは俺が――」
その言葉を遮って嵐が鋭い視線をJJへ投げかけた。嵐が動かした視線の先を辿ると、四十絡みの男が一人すぐ傍まで近づいていた。フォリーの犬が駆け出して男にじゃれつく。彼はその額を撫でながら4人へ向けて、にっと笑みを覗かせた。
「俺はグレートブリテン〔ジェームス・モンド(ea3731)〕。儲け話があるんだろ、ちゃんと調べは付いてるんだ。一つ俺もかませてくれんかな? 年長者の知恵って奴も、これでなかな役に立つもんだぞ」
4人は顔を見合わせた。フォリーが肩を竦めて見せる。
「うーん‥‥。いいんじゃない? 私達のことを嗅ぎつけたってことは腕は申し分ないんだし、仲間は多いほうが楽しいしね。それに、犬好きの人に悪い人はいないっていうもんね」
「‥だそうだが、どうしたもんかね」
JJが苦笑交じりに嵐へ視線を落とすと、彼も無言で頷き返す。最後に透へ視線が集まるが。
「異存はありません‥‥」
「なら決まりだな。宜しく頼む。なに、これも女王陛下と、嫁いでいった娘達の幸せの為だ」
そうしてグレートブリテンが4つ目の椅子に腰を落ち着ける。座を見回すと彼はこう漏らした。
「裏社会じゃ名の知れた者ばかり集まっているようだな。さながらこの5人は犯罪エリートチーム、といった所か?」
「えっとね、まだ来てない人が二人いるんだけど、その他にも今日の打ち合わせには来ない人が他にいるんだ」
フォリーが液晶をグレートブリテンへ掲げて見せた。視線を落とした彼の目が驚きに見開かれる。
「黒皇(コクオウ)‥‥まさか、あのスーパーハッカーの黒皇か!? 奴も一枚噛んでいるのか?」
「それだけじゃないよ。ちょっと待ってね。ネットミーティングで打ち合わせに出てもらう予定だから‥‥ほら」
電子会議ソフトの入室者欄に表示された名は、クリムゾン。
この世界に生きる者なら一度は耳にする名だ。本名・国籍・性別・その他全て不詳という謎の人物。盗む物そのものの価値よりも、それに付随する歴史や物語を重視する独自の美学を持つ怪盗だ。
同時刻。フィレンツェより遠く離れた土地、電子世界の窓を通じて繋がったディスプレイの向こうで。謎のヴェールに覆われた怪盗クリムゾン〔紅閃花(ea9884)〕は独りほくそえんだ
(「世界を支える指先を盗む、言わばそれは世界を盗むと言う事。そしてそれを望むは裏世界の王」)
その噂は当然クリムゾンの元にまで届いていた。世界を裏から支配した男が、今世界と共に死のうとしている。その物語はクリムゾンを酔わせるに十分な筋書きであった。
「‥‥素晴らしい。これ以上私の仕事に相応しい仕事はありません。さあ、華麗なる盗みの饗宴の始まりです‥‥!」
再び、科学史博物館。
「初めまして。天田言うモンです。ニンベン師やっとりま」
その言葉に館長は露骨に顔を顰めた。ニンベン師とはこのフィレンツェでは聞かない呼び名だが、ニンベンとは「偽」の隠語。つまり、贋作師のことだ
「何用かね。当館は君のような者が出入りする場所ではない」
「いやはや、きっついですなァ。館長さんも随分と仕事熱心でいらっしゃる。しかし、さすがイタリアの警備ですな。楽に来れましたワ」
天田〔天山万齢(eb1540)〕は懐から取り出した一枚の紙を館長へ差し出した。それは機材の搬入伝票だ。だがこの時期に館内へ新たな機材を入れる予定など心当たりはない。
天田がにたりと笑った。そう、この男は贋作師なのだ。
「4月1日、大変らしいですなァ。手ェ、貸しましょか? 蛇の道は何とやら言いますからな」
天田にすればこの程度の偽造は朝飯前。運送屋に偽装することでまんまと美術館の喉元へ匕首をつきつけた形だ。返事を伺う態度を見せながらも有無を言わせぬ語り口でこう括る。
「簡単な話ですわ。アレを狙ろとる奴がな、ウチの親分さんの目の上の瘤ってわけや。――目のギラギラした連中が大勢ここを狙っとりますワ。素人さんにゃちっと荷が勝ち過ぎる。ま、ここは『本物』に任せとくのが最善策や」
逡巡を見せる館長の、その揺れる目を天田が覗き込む。その瞳に魅入られるように館長は頷いていた。
「ほな、警備の点検といきましょかいな。ま、大船に乗った気持ちでどんと構えて下さいや」
――5時間前。
そして夜。隣の美術館の屋上にJJは待機していた。傍らには侵入を共にする嵐と、そして一人の東洋人の青年。彼を一瞥してJJは肩を竦めた。
「しかし、噂の黒皇ってのがまだガキだったとはねぇ。足引っ張るのだけは勘弁してくれよ?」
黒皇〔榊原信也(ea0233)〕は一瞬むっとした表情を見せたが、東洋人は童顔に見られるものらしい。普段は老け顔に見られることの多いことを考えるとなにやら複雑な気分だが。
その彼の仕事は警備システムの解除。お宝を手に入れるまでの障害は三つ。絶え間なく館内を巡回する警備員と、侵入を阻む警報装置。そして館内の各所をリアルタイムで捉える監視システム。
「‥‥本当はわざわざ動くのも面倒なんだがな。外部からの操作では誤作動を起こすのが精一杯だ。セキュリティルームに侵入し、俺の端末で直接システムを掌握する」
ノート端末の入ったショルダーバッグを掛けると、黒皇は小さく嘆息付く。
「‥‥やれやれ仕方がない、俺も動くとするか‥」
仲間の用意したインカムをつけると、隣の嵐へ合図を送る。準備は整った。通りで待機している朱から通信が入る。
『‥‥皆の配置は完了や。いつでもええで』
「了解した。これより作戦を開始する」
嵐が用意していたワイヤーを科学史博物館の屋根へ打ち込んだ。
「行くぞ」
一度だけ振り返ると嵐は鋼索伝いにするすると屋根へ飛び移る。JJが促すと信也も鋼索を掴んだ。その感触を確かめるように一度拳を握り直すと、器用に闇に紛れて侵入を果たす。なかなかの手際だ。JJは意外そうに眉を上げると、口許を緩ませた。
(「頼りになりそうな連中も紹介してもらった事だし――、一癖ありそうな人も混じってるようだけどな――足並みは揃えてくぜ?」)
同時刻、館内。
「猫の子一匹入れるんじゃないぞ。ガリレオの指は絶対に守りぬけ」
報せを受け、今日の館内は多くの警備員がうろついている。今もまた二人組の警備員が懐中電灯を手に廊下を巡回して行った。だがこの鉄壁の警備体制でも、侵入は止められない。
警備員が通り過ぎるとオブジェの一つがぐにゃりと輪郭を歪めて空間へ溶け出した。
「‥‥流石のイタリア当局も私のスパイ技術の前では無力だ。MI6こそは世界最高峰のスパイ組織だからな」
グレートブリテンは隠し持っていた光学式変身装置のスイッチを切った。先までのオブジェはそこになく、スーツ姿の彼が一人立っている。人員の配置やその他はじっくり観察させてもらった。内部から警報装置を解除して嵐達の侵入をサポートすれば、後は彼らがシステムをダウンさせてくれるはずだ。
「こちらブリテン。これより行動を開始する」
『大宗院です。私も手筈の通りです‥‥』
透も特殊メイクを駆使した変装技術を活かして警備員に紛れ込んでいる。ここまでは手筈通り。館内に詰めている天田もまだ事態には気づいていない。
「上も下もよう気をつけときィ。どっから入って来るかわからせんぜ」
物々しい警備体制でも今回に限って万全とは言い難い。天田や警備員達には張り詰めた空気が走っている。
報せは突然飛び込んできた。
「大変だ! ウフィツィ美術館が襲撃を受けてるぞ!」
「やられたっ! 敵の真の狙いはあっちだったのか!」
そこを追い討つようにガラスの割れる音が夜を引き裂いた。雷に打たれたように警備員はすぐさま隣の美術館へと駆けだした。数多くの術品が展示されている美術館は博物館のすぐ隣だ。その窓と照明が次々と狙撃により破壊されていく。
「っふっふふ♪ 一丁あがりだね」
サイレンサーつきのライフルを仕舞うとフォリーはすぐに逃走の準備に移る。陽動は成功、後は仲間に託すだけだが。フォリーは悪戯っぽい笑みを浮かべ、愛犬へ話しかけた。
「後はこれで仕上げだよ。シエル、しっかり頼むね」
愛犬へ小型懐中電灯を括りつけると館内へ放つ。フォリーは腕は確かだが、宝よりも盗み出す過程そのものを楽しむ愉快犯。今回の事件にも『面白そう』の一言で加わったくらいだ。最後の悪戯に警備員が翻弄される様を一頻り遠巻きに眺めると、フォリーは闇へと消えた。
陽動に警備が気を取られている隙に屋根の三人は内部への侵入に成功した。窓ガラスを器用に取り外すと、嵐がワイヤーを垂らして廊下へと降り立つ。監視カメラの死角を辿りながら、目指すはセキュリティルーム。
先行するJJがふと通路で足を止めた。仲間を振り返って手振りで合図を送ると、嵐がスプレーを噴霧して赤外線のトラップの位置を炙り出す。身を捩らせ、時にワイヤーを潜らせて天井を伝う。セキュリティルームはすぐその先だ。
部屋へ進もうとする嵐を黒皇が無言で制した。モバイルを取り出すと手早く外部からセキュリティへ侵入する。キーボードを叩く音が小さく響き、やがて黒皇が合図を送った。嵐が壁に耳を当てて部屋の中の様子を窺う。JJと視線を合わせて呼吸を合わせると二人はドアを破った。中には警備員が3人、嵐の鎖分銅とが一人を鎮め、JJが早業で残りを手早く制圧する。
「撤収までの時間は?」
「十七分三十五秒。時間はそうない。やれるか、黒皇?」
「‥三分あれば十分だ。後は任せとけ‥」
黒皇がクラック用のディスクをセキュリティ端末へ差し込み、マウスを手に取る。クラックソフトがパスコードのサーチを始め、ハードディスクのライトがチカチカと点滅を始める。じりじりと進むプログレスバーを瞳に移しながら黒皇が苛立たしげに指先で頬を掻く。進捗率‥35%‥60%‥‥95%‥‥‥
ガリガリと不快なハードディスクの回転音が不意に静かになった。
小気味いい音とともに画面へ認証許可のウィンドウが飛び出てくる。間髪置かずに黒皇の指が恐ろしい勢いでキーボードを弾いた。
「仕舞いだ。システムの目も耳もこれで塞いだぞ」
「――こちら嵐、システムの掌握は完了した」
『了解です‥。第四展示室で落ち合おいましょう』
巡回中の警備員も透が無力化した。
だが扉の前には最後の障害が立ち塞がっている。
「機械は所詮機械や。よう信用できるモンやねェ。最後に信じられるんは自分の眼ん玉だけや」
天田が扉の前で構え、目を光らせている。合流したJJが様子を窺うが、扉の前は見通しがよく隠れる場所すらない。黒皇が腰のナイフに手をかけようとしたその時。
(「‥‥!‥」)
天田の背にしていた第四展示室のドアが、皮がむけるようにして二枚に分かれた。剥がれたもう一枚は粘土細工のようにぐにゃりと歪み、瞬く間に人の形を成す。グレートブリテンがJJ達へ目配せをする。手刀が首根を据え打ち、天田はどさりとその場に倒れこんだ。
「‥‥やったな‥後は仕上げだけか‥」
透も黒皇達と合流し、JJら5人は遂に第四展示室へ足を踏み入れる。
「お宝ゲットと行こうか」
台座のカバーを外し、指先へ手を伸ばす。ふとその動きを止めると、JJは胸ポケットを探った。
「こいつも忘れちゃいけない。後は、さっさと頂いて、とっとと逃げる。ま、基本だな」
取り出したカードに書かれた文句は『JJ参上』。それを指先と摩り替えれば仕事は終わりだが。
「そこまでだ泥棒ども!!」
「――最後にピンチってのも、また基本ってか?」
ジリリリリリリ‥‥!
けたたましい警報が館内を揺るがし、照らし出したライトが一行を挟み打つ。いつの間にか部屋は大勢の警官によって包囲されていた。その中へ透が只一人進み出て警官達の輪へと入ると、一行を振り返った。
「泥棒は犯罪です‥‥」
「‥‥不覚。当局の犬だったとはな」
じりじりと距離を詰める警官隊。JJと黒皇、ブリテンがそれぞれ身構える。展示室まで誘い込まれた形、これは袋の鼠だ。退路はない。その中で不意に、嵐の視線が明り取りの窓を捉えた。
その時だ。甲高い音を立てて窓ガラスが砕け散った。立て続けに飛び込んできた銃弾がライトを砕き、展示室は一転して暗闇に包まれる。職員通用門から侵入したフォリーの援護だ。仲間達は一斉に動き出した。
「行くぞ、このまま突っ切る」
指先を浚うと混乱の隙を突いて強行突破を図る。JJが軽い身のこなしで警官隊の合間をすり抜け、黒皇も逸れに続く。嵐もワイヤーを飛ばして警官の頭上を飛び越えた。すぐさま透たち警官隊も彼らを追って動き出す。
「この特殊ブーツからは逃げられませんよ‥‥」
透たち大勢の追っ手を引き連れてJJ達は廊下を疾走する。
「――獲物は?」
「この通りだ。後は脱出するだけだな」
「‥‥ブリテンがいないぞ‥!?」
警官隊が3人を追って部屋を後にすると暗い室内で展示台の一つがグレートブリテンへと姿を変える。その手にあるのはガリレオの指先だ。JJ達が掴んだのはレプリカ。暗転と混乱の一瞬、彼は台座の本物と摩り替えたのだ。彼らを囮にして後は悠々とこの場を去るだけ。
「彼奴らの腕だ、捕まる事はあるまい‥‥すまんな」
協力体制を築いたとはいえ彼らは犯罪者やスパイ達。騙された者、出し抜かれた者がまぬけだったというだけの話だ。最後に笑った者こそが勝者。
だが、それが誰なのかが決まるにはまだ早すぎる。
「そこにいるのは誰だ!‥‥誰か来てくれ!! まだ賊が残ってるぞ!!」
たまたま様子を見に戻ってきた警官の一人が鋭く叫んだ。報せを聞きつけて他の警官も集まってくる。
「あっ、逃げるぞ! させるか‥‥ここは自分に任せてあいつを追え!」
「‥‥俺としたことが。だが易々と捕まる俺じゃない」
身を翻したブリテンを警官隊が追いかける。その中で一人だけその場に残った警官がおもむろに顔を拭うと、現れたのは女の顔。制服を脱ぎ捨てると華奢な体格が顕になる。ボディスーツは暗闇に溶け込むような暗い紅。彼女――とはいえ、その姿すらも変装なのかもしれないが――こそは、怪盗クリムゾン。
(「あくまでも契約は『台座の上の指を盗み出す』こと。そこまでの協力という約束は私の美学に賭けて果たしました。さて。ここからは私自身の仕事です」)
最新式のローラーブレードで廊下を失踪し、向かうは資材搬入倉庫。
(「‥‥台座にあったのが本物とは限りません。宝は頂いて帰りましょうか」)
――2時間前。
午前零時。博物館周りは館内から聞こえてくる騒ぎの音に呼び寄せられて野次馬が集まっている。カラット・カーバンクル(eb2390)は噂を聞きつけ、それに紛れて物見遊山で様子を窺っていた。
「お金持ちの考える事は分かりません。おじいちゃんの道楽で人が死んだりしなきゃ良いですけど、どっちにしてもあたしが関わるようなお仕事じゃないですね」
泥棒たちは宝物を盗み出した頃だろうか。といっても、自分には関わりのないことなのだが。
「‥‥無いんですけど。‥‥何でだろ〜‥?」
胸に抱いたヌイグルミのどらごんに尋ねて首を傾げる。博物館の周りをうろうろしていると、ふと同じようにしているキャロルの姿を見止めて声を掛けた。
「取材ですか?」
「え、あ、はい。ここに来ればスクープをものにできるとある人に教わって‥‥‥ん? なんで記者って分かったんですか?」
「あはは‥‥ほんと、何ででしょうかね‥」
といってどらごんに話しかけるカラットへキャロルが怪訝な顔を向ける。
「って、さっきから何と話してるんですかっ!?」
「ぬいぐるみのどらごん君です。たまに危ない時はいろいろ教えてくれるんですけど、死んだ弟が守ってくれてるんですよ。ほら、‥‥‥‥出てきますよ」
そういってカラットが博物館を指差すと。
「このまま華麗なる逃走劇と行くかい?」
大勢の警官隊を引き連れてJJ達が博物館から飛び出てきた。先頭を行くJJは途中で拾ったフォリーを得意技の“姫抱き掻っ攫い”で抱え、行く手を塞ぐ警備員を仲間と共に踏み越え、野次馬をかき分けてそのまま通りまで駆け抜ける。
突如、彼らの前へ黒塗りのリムジンが乗りつけた。
「皆さん、お迎えに来ましたよ!」
運転席には八雲。開いたドアに次々と仲間達が乗り込むと、ドアが閉まるのも待たずに車は再び走り出した。
「ちょっと荒っぽい運転になってしまいますけど、しっかり掴まってて下さいね!」
去り際に運転席から八雲が透たち警官隊へ向けて一枚のカードを投げつけた。カードには、『品物は「バンブーファミリー」の仲間が確かに頂きました』。
「ちょっと大胆かもしれないですけど‥‥えへへ。4月1日だから良いですよね!」
同じ頃。
「さて。獲物も手に入りましたし、退散するとしましょう」
クリムゾンの読み通り、台座にあったのは天田の作った巧妙なレプリカ。倉庫を当たった所、昨日搬入された資材に紛れてケースに入った指先は隠されていた。獲物を手にしたクリムゾンは得意の変装を繰り返して悠々と裏通りへ消える。
「‥‥臭うで」
角を曲がった先に待っていたのは朱。
「ワイの鼻に臭うんや。裏切りもんの臭いがな。インカムはワイとこで用意したもんや。発信機つきやで、詰めが甘かったな。裏切りもんの末路はどうなるか、わかるやろ?」
サイレンサー付きの拳銃が火を噴いた。クリムゾンが咄嗟に身を躱わす。だが完全には避け切れない。銃弾は腕を掠め、ケースが宙を舞う。すぐさま朱がそれを横から浚った。勝負は決した。敗北を悟るとクリムゾンは即座に逃走の判断を下す。
(「‥‥今日は退きますが、『次』はこうはいきませんよ」)
ローラーブレードで瞬く間にその背は遠くなった。
「逃げ足の早いはやっちゃな。まあええわ。これにて任務完了や」
●死に行く日に
Pesce daprile、御主人様が自らの死にと臨んだこの誕生日が遂にやって来てしまいました。
御主人様は『星を支える人差し指』を望んでおられます。ですが。‥‥いけません。それを御主人様にお渡ししてはいけません! 生涯を賭けても良いと思えるものを手に入れた時、満足感は生への欲さえ奪い彼を殺してしまうでしょう!
御主人様に残された時間は長くありません。しかし、天より迎えが来る最後の時まで自分の意思で生きて欲しいと希うのは、駄々を捏ねる子供の我儘でしょうか?
例えこの人差し指が世界と同じ重さでも、わたくしにとって御主人様は世界より重いこの世で唯一人の――。
無事にフィレンツェを後にした一行は、現場を訪れていた執事〔エデン・アフナ・ワルヤ(eb4375)〕の手引きによりその数時間後には彼の屋敷へと招きいれられていた。まだ夜は明けず、老人の美術品は闇の帳に包まれたままだ。
「約束の品だ」
「よく盗み出してくれた。約束通り、ここにある品は全て君達のものだ」
その言葉を聞き、嵐は傍に置かれていた刀剣を手に取った。それは彼の所属する結社がかつて奪われた至宝の刀剣。嵐がこの仕事に参加した只一つの理由だ。
「好きなだけもって行くといい。もっとも、ゆっくりしている時間はあるまいがね。明け方にはこの小さな美術室は地上から消えてしまうのだから」
くつくつと老人は笑った。彼の揺り椅子の隣にはマーシトロンと呼ばれる自殺補助装置が置かれ、伸びたチューブは彼の静脈へと繋がっている。装置の隣の心電図が老人の生命をモニターし、この反応が消える時に屋敷は火に包まれるという手筈だ。
八雲が思わず口にした。
「死ぬなんて駄目ですよ!」
だが老人は優しい笑みを浮かべて首を横へ振るだけだった。その指がスイッチに伸びる。それを遮ってフォリーが一本のビデオテープを差し出した。
「これはオマケ。世界でも選りすぐりの怪盗やスパイが、互いに協力しながら出し抜きあって世界一の宝を盗み出すまでの、世界に一つしかない映像」
驚いた顔の老人へフォリーは試すようにこう口にする。
「動きもしない高級絵画より、ずっと面白いと思うんだけど」
老人の瞳が僅かに揺れた。そこに過ぎったのは、或いは未練か。だが一度ゆっくりと首を横へ振ると、老人は黙って装スイッチに指をかけた。
「御主人様!」
その様が堪らず、傍らの執事は叫んでいた。黙って成り行きを見守っていた彼のその行動に驚いたのか、老人は動きを止めた。
「ご主人様は身寄りの無いわたくしを引き取り育てて下さった、いわば父親同然の御方。この世で唯一人の御父様なのです。どうか、どうか御父様」
哀願する声音。八雲も一緒になって呼びかける。
「蒐集物に価値を感じないのは、きっと物足りなくなってるからです! 一緒に絵を描いてみませんか? 自分の作品と言える物を遺せたら、それはとても価値のある事だと思うのですよ! それに、きっと楽しいですよ!」
「お願いです、御父様。人を信じず美しく冷たいかたちを愛でた生涯の最後に、かたちの無い温かな思い出を作る時間をわたくしに」
そこから先の想いはもう言葉にならない。視線を通じて溢れるそれを、老人もただじっと黙って受け止めている。その指先がいつの間にかスイッチから離れているのをを見て、八雲は心からの笑顔を向けた。
「かたちのない温かな思い出を遺してみても、きっといいと思いますよ! それを自分の手で作品として残せたら‥‥自分だけじゃなく、後に残された人にとってもきっと、ずっといつまでも価値のあることだと思いますから!」
その呼びかけに返事はないが、もう答えは出ていた。老人は身を預けるエデンの肩を抱き、静かに小さく頷いている。いつしか部屋には朝の光が差し込み始め、美しい美術品達を照らし出していた。
朱がぽんと八雲の肩を叩いた。
「さて野暮用も済んだし、さっさと帰ろうや♪」
同じ頃、既にブリテンはイタリアを離れようとしていた。彼の手には棒状の包みが一つ。結局偽物を掴まされた彼だったが、老人はその労力に対して気前よく一品だけ持ち帰ることを許可した。彼が選んだのは、一振りの剣。
「他は全て彼奴らに、だがこいつを見せてやるわけにはいかんのでな」
老人のコレクションの中には英国にとって公にされては困る物もある。その回収を終え、彼は帰途へとついた。
同じく、こちらは博物館。
「怪我人さんはちゃんと手当てしてあげないでも無いですよ☆ 有料で!!」
残った警官隊にカラットがそんなことを呼びかけ、ついでに塩スープとパンを振舞っている。
「この世で一番の調味料は塩! 一番良い匂いはパンの匂い! おっかない事で死ぬまでやったら大損ですよ」
そうする内にイタリアの地にも日が昇る。透は、昼間に皆と打ち合わせたあのホテルのロビーで今度は一人で朝のコーヒーを飲んでいた。
「星を支える“人差し”指も、“一さじ”の砂糖も、私にとっては同じ価値です‥‥」
さて。
一時は行動を共にした仲間達も朝の訪れと共に別れの時を迎えていた。
「また機会があったら是非お声を掛けて下さいね! 『バンブーファミリー』は、世界を股にかけ損ねて転んだ先で財布を落としてしまうようなグローバルな零細マフィアですから‥‥あれれ?」
「‥だが、クリムゾンにはやられたな。後一歩で俺達が下手を打つ所だった訳だからな‥」
「ま、“裏切りは女のアクセサリーみたいなもん”って、どっかの大泥棒さんも言ってたらしいし。結果は巧くいったが、落とし前をつけるまではとことん追っかけさせては貰うけど、な」
こうして、世界を支える指先にまつわる物語は終わりを迎えた。そこに載せられた宝は命を永らえたのだ。さて、物語の括りに、もう一つだけ話の結末を語っておこう。
博物館を後にした天田は独り帰途についていた。
「現世ってのは生きてる人間のモンだ。あの世に持っていけんのは想い出くらいなモンだろうよ。それもねェジジイってのは、哀れなもんだ。なァ」
そういって頬を掻くと、天田はやり辛そうに顔を顰める。
「いけね、まだ慣れないもんでやりにくてしょうがねェや」
そういって指先へ目を落とすと爪先で皮を摘む。ぺりぺりとそれを引き剥がすと、その下に隠れていたのはしわがれた皮膚。それは紛れもなくガリレオの人差し指であった。天田は凄腕のニンベン師。まさか、自分の指を切り落として摩り替えたとは誰も思うまい。
「どんな宝も使ってこそ華だろうによ。俺は存分に使わせて貰うぜ。んじゃま、ごっそさん」