春の帝都の恋愛模様

■ショートシナリオ


担当:龍河流

対応レベル:フリー

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

リプレイ公開日:2007年04月17日

●オープニング

 帝都の春の桜霞も、見目良い頃合。
 上野の公園あたりでは、帝都の市民がそぞろ歩いていることでしょう。

 花はまばらでも、銀座は断髪のモダンガールが闊歩して、
 帝大には学生服の青年が小難しい顔で道を急ぎ、
 東京駅ではいずこの士官が肩で風を切って進み、
 麻布の街角では紺袴の女学生がお抱えの人力車夫に行き先を告げております。

 途中、どこかでモガに微笑みかけられた書生が赤面して立ち尽くしたり、
 すれ違う士官を振り返って眺めやる令嬢がいたり、
 諸々の出来事が起きるとしても、それはいつもの日常。

 それぞれには、唯一無二のものであったとしても。
 すべては帝都の春を彩る、ごく普通の恋愛模様。

●今回の参加者

 ea0050 大宗院 透(24歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)
 ea0244 アシュレー・ウォルサム(33歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea6505 ブノワ・ブーランジェ(41歳・♂・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea8484 大宗院 亞莉子(24歳・♀・神聖騎士・人間・ジャパン)
 eb2373 明王院 浄炎(39歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 eb2404 明王院 未楡(35歳・♀・ファイター・人間・華仙教大国)
 eb3313 シルフィン・マックスハート(22歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb3466 新城 日明(47歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 最近の帝都の噂の種。
 女子供のかどわかし。
 とある大商人の悪行三昧、誰ぞが官憲に証拠の品を一揃い。
 楽しいところで、人気の手妻の興行話。
 後は横須賀に入港した艦隊のことなど。

 帝都の中心を少し外れた、お屋敷街と庶民の住まいの境目辺り。
 どんより曇った空の下、今日もお天道様のような笑顔を振りまいて大宗院亞莉子(ea8484)が急いでいる。髪結いが生業の彼女が目的とするのは、鍛冶屋の明王院浄炎(eb2373)の店だが、目的は浄炎の妻の明王院未楡(eb2404)が抱いている赤子のほう。
「あら、亞莉子さん。そんなに急いで、雨が落ちてきましたか?」
「ううん。降ったら許さないしぃ。透子ちゃん、まだ学校だものぅ」
 はいはいを始めて、時折声を上げて笑う赤子は、顔馴染みの亞莉子が抱いても機嫌が良い。
 だが、空の機嫌は急降下。ぽつぽつと大粒の雨が落ちだした。
「お、亞莉子お嬢。悪いがちょっと待ってくんな」
 研ぎと柄の直しを頼まれていた剃刀を運んできた浄炎だが、雨音にそそくさと縁側を下りていった。物干し場に翻るおしめを取り込んでいる姿はなかなか可笑しいが、妻を気遣ってのことなので‥‥
「ご馳走様ってかんじぃ。ねえ?」
 ぷーっと膨れた亞莉子に同意を求められても、赤子が返す言葉はない。

 それより少し時間が戻り。
 普段は亞莉子の妹、透子と名乗っている大宗院透(ea0050)は、とうに授業も終わった女学校の教室で、級友のシルフィン・マックスハート(eb3313)に本日も相談事をされていた。このところ毎日で、亞莉子に秘密の仕事に出向く余裕もない。
 シルフィンの悩み事は、毎日同じだ。
「日明様に想いが伝わらないのは、私が子供だからでしょうか」
 誰もが家柄の良さを認める彼女は、ご近所の海軍将校殿に片思いの真っ最中だ。相手は海軍将校で、今回の帰郷も久し振り。この機会を逃せば、また何ヶ月も会えないことになってしまう。
 なんとか思いの丈を伝えようとしつつ、まったくの空振りに終わっているシルフィンの悩みを毎日聞いている透は、これまた毎日同じことを思っていた。
 その将校殿は、さぞかし鈍いに相違ない。
 生粋のお嬢様のシルフィンが、効果的にして積極的な告白など出来ないのは当然として、女学生が毎日あれこれ理由をつけて会いに来るのを、単なる知人だからと考えているのなら、相手はどう考えても鈍い。会ったことはないが、透はおそらく相手の性格を言い当てられると思うくらいに、事細かに昨今の面会の様子を聞いていた。聞かされていたとも言う。
 そうして二人が、相変わらずの『困りましたわ』『本当ですわね』なる会話を繰り返していたところ、教室に小さな人影が現れた。二人より拳一つ半頭の位置が低くても、相手は教師である。
「お二人とも、雨が降りそうですよ。もうお帰りになりませんとね」
「承知いたしました、理江先生」
「アンリエット先生、申し訳ありません」
 呼ぶ名は違うが、相手は一人だ。夫君が帝都本来の名前の響きに改名したのに合わせて、三ノ輪理江と名乗っているが、元の名前はアンリエット・クレアシオンと言う。おかげで女学校では、皆が呼びやすい方で呼んでいた。
 不意にシルフィンが表情を変えたのを透は見て取ったが、相談するには不向きな相手なので帰り支度を急がせる。結婚していることが女学校の七不思議に数えられる奥手の理江相手では、訊いたところで話が弾むとも思えない。
「あら、降ってきましたか。先生もお帰りでしたら、私の傘にどうぞ。お送りしますよ」
「こんなことなら、迎えを頼んでおくのでしたわ」
 時に車で送迎されているシルフィンは、傘を不器用に差している。若い娘が持つには大降りの傘を軽く示した透と共に、三人は同じ方向に住まいがあった。通りと家の格は異なるが、ご近所さんなのである。
 申し訳ないけれどと理恵が透の傘に入り、三人連れ立って学校の門から離れたところで、目の前に自動貨車が停止した。この界隈では、小さいものでも珍しい。
 この時、きょとんとそれを見上げたのがシルフィンと理江で。透はすでに傘を閉じかけていた。

 さらに時間が戻って、頃合は女学校の授業が終わった頃。
「この辺りはご婦人にも好まれますよ。帝都の風情が色濃いものとなると、こちらですか」
「ロンドンは石造りの建物が多いが、この帝都はまるで違っているね」
 お屋敷街の一番外れ、庶民の住まいからも一番外れた狭間の家は、一応書店を営んでいるらしい。一応と言うのは、めったに客の姿を見ないからで‥‥ご近所さんからは嫁さんが職業婦人で良かったと、面と向かって言われる始末だ。亭主の名前は以前はブノワ・ブーランジェ(ea6505)、最近は三ノ輪慈英となっている。
 現在この寂れた書店の客になっているのは、アシュレー・ウォルサム(ea0244)。イギリス人の貿易商人だった。余程の才覚があるらしく、慣れない土地での商談もしっかりまとめて、数日の物見遊山の時間を手に入れた。
 帝都の言葉は片言程度だが、それを駆使してイギリスに残した愛妻のための土産を探していたところ、異国の人ならこの店が役に立つだろうと教えられたとか。書店がどうしてと思いつつ、寄ってみたところで合点がいった。生粋の帝都の住民は髪も眼も黒いのだが、こちらはどこか異国の生まれらしい。大分異国生まれも増えた昨今の帝都でも、目立つことに変わりはなかろう。
 けれども実は故郷が違う二人は、帝都の言葉でやり取りしている。慈英が土産に勧めてくれたのは、帝都の景色を書いた版画。軽くて良かろうと幾枚か買い求めたが、これだけでは寂しい。
「飾るものを売っている店はないだろうか」
「簪や帯止めあたりでしょうか‥‥そういうのは大宗院のお姉さんのほうか、未楡さんがお詳しいでしょうねぇ」
 詳しそうな人をご紹介しましょうと、慈英が申し出たときに、雨粒が落ちてきた。

 その雨粒が結構な量になった頃合に。
 懇意にしている隣家の夫婦に、女学校から娘が帰らないと心配顔に相談されて、新城日明(eb3466)は運転手を務めていた。たまには陸をこうして動くのも楽しいものだと思いつつの運転は、女学校の少し手前で急停止を強いられた。
「貴様ら、どういう了見かっ!」
 海軍仕込みの怒声に、ばらばらと人影が散った。一度散った数人は、一人が自動化車の運転台に、残りが荷台に素早く潜り込んで、派手な音と共に逃げ去っていく。後に残ったのは、傘を飛ばされた女学生が三人ほど。
「日明様っ」
 うちの一人が駆け寄ってくるのを抱きとめた日明は、小柄な娘と見える教師と友人を庇いつつ、残る一人が不埒な連中を牽制していたことには気付かなかった。
 翌日には、帝都のあらゆる新聞に『女学生あやうく誘拐』の報が躍るのだが、この日の夕方は。
「お嬢達はまあいいんだが、ああいうのは目に毒だねえ」
「そういうものか。イギリスではあのくらい当然なのだが」
「透ちゃーん」
 あまりの出来事に近所中が集まってしまった慈英の店の前で、浄炎がぼやくのにアシュレーが付き合っていた。アシュレーは装飾品を求めに浄炎と亞莉子を紹介されたが、浄炎も装飾品は得手ではないため、亞莉子と未楡が作ったり、入手出来るものを頼もうかと相談していたのである。
 慈英はその間に、妻を迎えに彼女の傘を持参して出掛けていたのだが、日明運転の車で送られてきた途中に行き会い、抱擁して離さないところだ。事情を聞きにきた警官も困り果てたが、もう一人の透子も亞莉子に抱き付かれて会話が出来る状態ではない。
「皆さん、まずは一服いたしましょう。透子ちゃんはこれに着替えておいでなさいな」
 未楡が皆をとりなして、ようやく人心地ついたのは日もとっぷりと暮れた頃合だった。
 シルフィンは、とっくの昔にお屋敷に連れ帰られている。

 久し振りの休暇は桜の季節で、これはのんびり花見でもして過ごすにちょうど良いと考えていたはずなのにと、日明は知人宅で困っていた。早く帰らないと、きっと飼い猫のキトンが退屈を紛らわせるのに室内を荒らしているだろうとは思うが、事が事だけに放って帰る事も出来ない。
 シルフィンが、かどわかされかけた上に、最近はそういう事件が多いのだと聞けばじっとしていられないのも日明の性分だ。ただし、そういう正義感の持ち合わせはたくさんある彼は、シルフィンが自分を『友人の娘』と評されたら嘆くことにはまったく気付いていない。それどころか、彼女の子守をした経験から『おしめも変えたし、お風呂にも入れてやった、一緒にも入った』などと、同輩には言ったことがあるのだ。
 これまた、任務の都合でいつ届くのかはっきりしない手紙をせっせと書き送り、その束を見て日明の同輩が『それだけ気にしてくれるなら、嫁に貰えば』と言った際の返答なのだからどうしようもない。
 けれどもそんなことは幸いにしてばれてはおらず、自宅まで派遣されてきた警官にあれこれ尋ねられて疲れ果てたシルフィンの側についてやることを優先はさせていた。彼女の両親も事情聴取をされているので、一人にしてはおけないからだ。
 そうして、しばし考えた後。
「よし。明日から、休暇の間は俺が学校まで送ってやろう。なに、帝都の警察は優秀だからな、もうすぐにも不埒者は捕らえてくれるだろう」
「まあ、日明様が‥‥では、帰りはどうしましょう」
「ああそうか。じゃあ帰りも時間を見計らって、迎えに行こう」
 この時、シルフィンが『この機会になんとか親密な雰囲気を』と考えでもすれば、この二人の関係にも違う方向性があったかもしれないが、意中の相手と急に二人きりの登下校と動転してしまったシルフィンは、それなら近所でもあるから透子も一緒になどと、使用人を使いに出してしまっている。
 彼と彼女の関係は、今日のところはあまり変化していない。

 この界隈に居を据えて、初めての大事件にばたばたとしたせいで、夕餉の時間がすっかりと遅くなってしまった。赤子はまだ乳離れしていないし、夕方にたっぷりと乳を飲んでいたので、機嫌が良い。
 と思っていたら、泣き出したのでおしめを変えてやる。こうしたことを浄炎は不自然とも思わないのだが、赤子の世話は女房がやるものだと思っている近所の老人は『尻にしかれている』と叱り飛ばし、おかみさん達は『子煩悩だ』と褒めちぎる。
 浄炎はそれほど饒舌でもなく、腕の良い職人で生真面目に仕事をするので、こうしたときには妙に頼られることもある。未楡が細々とした配慮で支えてくれるからだと思うので、どう言われても結局はおしどり夫婦である。今も未楡は、惣菜を差し入れに本屋と髪結いどころを訪ねていた。いささか帰りが遅いのが気になるところだが。
「ただいま帰りました。三輪さんの所は落ち着いていらっしゃいましたけれど、亞莉子ちゃんがねぇ。あれじゃあ、明日の朝は瞼が腫れ上がってしまいますよ」
 化粧も仕事のうちだから、自分で何とかしてくれるでしょうけれどと言う辺り、多分明日の朝も様子を見に行くだろう。あちらは訳ありらしい姉妹二人の住まいだ。近所には透子が女学校に通うのを見て、どこかのお大尽の外の子だとか噂する者もいたが、未楡は絶対にそうした陰口は叩かない。浄炎が初めて会った時はこれでもかと罵詈雑言を浴びせられた気もするが、こちらの姿が未楡の本来の気性である。
 ただ本来は口数が少ない未楡が、これだけ矢継ぎ早に喋るのは彼女もいささか落ち着かない気分でいるせいだろう。夫婦の間のこととて、そのくらいはすぐに察せられる。
「あら、なんですか?」
「たまには娘に譲ってもらっても良かろう」
 胡坐をかいた膝の上から赤子を下ろして、浄炎は妻を手招いた。滅多に自分からはそんなことをしない夫の様子に、未楡はしばし珍しいものを見る目を向けていたが‥‥彼の首に両腕を回して、するりと身を預けてきた。近所のおかみさん達が目にしたら、誰か別人だとでも思うかもしれない。
「なにか‥‥?」
「‥‥そういう仕草は、家の中だけでいい」
 夕餉の時間は、もうしばらく後になりそうだ。

 不穏な出来事のおかげで、目的半ばでホテルに戻らざるを得なかったアシュレーは、残されていた伝言にそっと眉をしかめた。商人たるもの、簡単に好悪の念は他人に見せないものだが、それでもいささかなりと表情を崩してしまったのには理由がある。
「あの御仁は‥‥あまり好ましいお客ではなかったのだが」
 イギリスの同業者に頼まれた商品を届けた相手は、身分こそ高いが妙にいけ好かない老人だった。守銭奴は、どこの国でも嫌われる。
 自室で心置きなく愚痴を漏らして、アシュレーは伝言にあった『紹介したいご婦人がいる』をどう解釈するかしばし悩んで‥‥仮病でも使おうかと考えた。短い間にも漁色家でも知られている老人の噂は耳に入っていたから、『ご婦人』も同類の臭いがする。イギリス人の客は珍しいと繰り返していたので、どこぞに自慢でもされた可能性があった。
 帝都はおおむね素晴らしいところだが、見た目がおっとりと優しげなアシュレーは上流の婦人からいらぬ秋波を送られることも案外と多かったのである。
 愛妻の顔を思い浮かべて、すっぱりと病気になることを決めたアシュレーだった。医者に行くとでも言って、約束の時間には姿をくらましてしまえばよい。
 なにしろ、まだ愛妻のための土産が整っていないことでもあるし。

 妻の理江がかどわかされかけたところに駆けつける形になった慈英は、憤懣やるかたない様子だったのだが、理江は驚愕の度が過ぎてしまって、かえって落ち着いたらしい。なにより彼女を現実に引き戻したのが、部屋中に散らばった丸められた原稿用紙である。
「‥‥」
「いや、その、どうにも書き出しが浮かばないもので」
 ご近所が聞けば驚くだろうが、慈英は実は帝大に留学して民俗学を学び、その恩師からの評価が色々巡って、いつの間にやら文筆家になっていた変り種だ。筆名を言えば、ご近所の評価は一変するに違いない。
 けれども民俗学の学徒の慈英に、今回持ち込まれた雑誌連載の依頼は『櫻の木を主題にした恋愛小説』である。編集者は新境地を開拓などと言ってくれたが、締切間近になっても浮かばないものは浮かばない。
 それで原稿用紙に八つ当たりしていたのだが、丸まった紙をせっせと伸ばしてくれる理江を見ていると反省することしきりだ。ついでに今度の作品が売れたら、冬場は日暮れてから帰る女学校勤めもさせなくてもいいかもしれないと、ふと思う。
 理江にも道があるのだとは理解していて、慈英はしばし自分の想像に遊んだあと‥‥白い紙を見て、ため息をついた。

 ご近所中を心配させた上に、これ以上はない騒ぎを繰り広げてくれた亞莉子に、透は朝も早くから懇々と諭していた。出自について幾つか伏せていることがある二人だが、透の場合にはその上に性別も偽っている。本来の男性らしい声はもっと低いが、家の中ではいつもの声色で『姉』を叱っていた。誰かが盗み聞きしていたとしても、落ち着きを欠いた姉を叱るしっかり者の妹としか思うまい。
 しかし、彼らは伊賀の流れを汲む忍者の里の生まれだが、時世の変化で市井に散って生活する者が増えている。それとても修練の一部と言うことで、透が女学校で学業に励むようなことも行なわれているのだ。更に最近は手妻師の興行を隠れ蓑にした仲間のところで、腕に磨きをかけている。これは仲間との繋がりを密にしておく対策でもあるが、亞莉子にはまだ声が掛かっていない。
 さらに里の習慣か、透と亞莉子は便宜上夫婦の間柄なのだが、上の言うことに逆らわないのが彼らの掟なので多少ややこしいことになっていても気にすることはない。ただし。
「透ちゃん、心配してあげてんでしょぉ」
「誰が透ちゃんですか。お客様がおいでになる前に、きちんとしてください」
 余程のことがなければ『妹』の立場を崩さない透に、亞莉子は唇をつんつんと尖がらせていたが‥‥本日は上得意の客が来るので、身支度をしておかなくてはならない。本当は透を女学校まで送ると主張したのだが、シルフィンの友人とやらが送ってくれることになっていたので、涙を飲んで諦めている。
 送ってもらう透の方も、馬に蹴られたくはないと思っているのだから、色々とうまく行かないときはいかない。先方の二人は善意の固まり状態なので、あえてお断りもしなかったけれど。
 そうして、それぞれ自分の割り当ての役割をこなしていた日中。
「こちらの小紋で、洋風の髪型ですか。パーティーか何かでしょうか?」
 亞莉子は言葉遣いも改めて、注文がうるさい割に垢抜けないことを言う上客のわがままに付き合うのに疲れていたが、そのご婦人が知己の紹介で外国人を度々紹介してもらうのだと聞いて、ピンと来たのである。良からぬ事柄の臭いを嗅ぎつけたとでも言えば良いか。
 その知己が、吝嗇で有名、更に近隣では絶対に娘を奉公に出さない嫌われ者と来れば、もう悪事の証拠を見つけに行かなくてはなるまいと考えている。別名を、憂さ晴らし。
 その頃、透のほうは昨日の事件を級友達に労われつつ、きっちりと見聞きしておいた手掛かりを元に、相手の正体を探ろうと考えていた。
 似たもの夫婦は、本来の自分に戻る時刻を待ちかねている。

 この夕刻、女学校の周囲は迎えの車や人でてんやわんやの騒ぎだったが、女学生はいずれも迎えの身分をきちんと確認された後に、帰っていった。その中にはシルフィンと、同乗させてもらった透子と、迎えを買って出た日明がいる。ちなみに日明が彼女達を助けたことは透子の弁で知れ渡り、噂話など駄目としつけられていようと年頃の娘達の間では本日一番の話題だった。。
「新城様はお一人だとお伺いしましたので、皆でシルフィン様とご婚約かしらと、噂しておりました」
「透子様、そうではないと説明いたしましたのに」
「はぁあ、女学生でもそんな話に興味があるんだなぁ。先生が聞いたら、怒るだろう」
「そんなことはございません。先日もお一人、結納をされた方がいらっしゃいますもの」
 多少刺激を加えて、二人の仲を進展させる親切ではなく、単に毎日送迎されては身動きが取りにくいからと透子は話題を選んだのだが‥‥シルフィンはこの機会にどうこうする余裕もないようだし、日明は全然察していない。
 だが、流石に透子に手を握って目くばせされ、シルフィンは多少なりと意図を汲んだらしい。ごきげんようの挨拶の声に張りがあった。
 ただし日明は『また明日』と、何にも分かっていない朴念仁振りを見事なまでに披露している。これで、女学校では立ち姿が凛々しい、随分年上だけど頼りがいがありそうと大変好意的に受け止められていた。シルフィンはそれにも心配を募らせていたので、ここでなんとかしないといけないと気合を入れただろう。
 それでも行動が起こるまでには、まだ時間が必要なのがこの二人ではあるのだが。

 近所での事件を受けて、見回りをしようかという話が持ち上がった。となれば当然、勤め人ではない浄炎や慈英が集まるのだが、慈英は『嫁を迎えに行け』と顔を出したのに追い返されている。
「こっちは買い物だってんでな。亞莉子お嬢もいるから心配はないだろう」
 任せて安心と腕まくりして見せる亞莉子は、反対の腕で赤子を抱いている。母親の未楡は買い物用の籠を下げ、赤子の鼻を拭いていた。かどわかしは子供から女学生くらいまでの女の子がほとんどだが、この二人も見目は悪くないし、気を付けるに越したことはない。買い物先の商店も近いので、皆で歩くついでに送ればよいという話にはなったのだが、誰もこの二人が多少の出来事には動転しない気丈にして、荒事にも慣れている女性とは思わなかっただろう。ただし未楡はそれを払うほどの腕前があるわけではない。
「なにやら大事で‥‥しばらくは毎日ですか?」
 早く捕まると言いのだけれどと、皆と言葉を交わしている未楡のおっとりした口調から、彼女が実は浄炎が怪我でもしたら困ると、それを切実に心配しているとは誰も思わなかっただろう。他の人を気遣わないわけではないが、彼女の中では夫と子供は別格も別格だ。
 その点では妻とまったく変わらない浄炎も、危険がないように見回り以上の熱心さであれこれと気遣っている。この夫婦は相変わらずだと、周りは誰もが思っていて、
「あたしも赤ちゃん欲しいぃ」
 亞莉子は思わず口にした一言で、皆から相手を見付けるのが先と笑われている。挙げ句に紹介してやろうかとも言われていたが。
「まあ、そのくらいは自分で探してくるだろうよ。野暮は言うなって」
 浄炎がとりなしてくれたが、そうでなかったら本気で見合い話の一つ二つは持ってこられたかもしれなかった。
 笑いを堪えた未楡に連れられた亞莉子が、未楡を家まで送り届けた後にまた出掛けていくのは、誰も気付かなかった。
 未楡のほうは、本日は見回りの人々に振る舞うために、甘酒と普通の酒のどちらが良いかを悩んでいる。

 とっぷりと夜も更けた頃、アシュレーはある客間で憮然としていた。無粋な誘いは無視するつもりでいたところ、相手はそれを見越したか迎えを二人も寄越してきた。ほとんど連行されるようにして、先日趣味が悪いと心中評した屋敷に連れ込まれている。
『さて、どうおいとましたものやら』
 思わずイギリス語で愚痴を漏らしたところで、不意に客間の明かりが消えた。窓際に寄って見れば、この屋敷だけ停電したものらしい。
 この間に帰ろうかと扉に向かいかけたアシュレーは、悲鳴を聞きとがめて足を留めた。

 翌日、浄炎は見回りの必要がなくなったので、家で仕事に勤しんでいた。今は頼まれものも鍋釜の修理や包丁の研ぎだが、今朝方非常にご機嫌の亞莉子が先日納めた鋏を褒めちぎりに寄っていった。透子の依頼で少し洒落た模様を掘り込んだ鋏を作っておいたが、それを誕生日の祝いと受け取ったらしい。
 おかげで赤子もたっぷり遊んでもらい、腹を空かせてぐずっていた。未楡が乳をやっているが、二人して静かだと見遣れば、双方共に舟をこいでいる。
「おい、風邪を引くぞ」
 幾ら春でも桜の頃。風は冷たいこともある。先程脱いだ半纏を未楡の肩に掛け、仰け反る赤子が落ちないうちに抱き上げて、浄炎はその背中をさすった。飲んだ乳を吐き戻さないように揺するのが、浄炎にはどうにも慣れないのだが‥‥こういうときはやらねばならない。未楡を起こすか、自分が苦労するかなら、もちろん自分だ。
「そういや、ゆっくり花見にも行かないうちに散りそうだな」
 何か慌しかったので、三人での花見もしていない。明日辺りは近くをそぞろ歩くくらいしたいものだが、どうにも空模様がおかしかった。一雨来ると、花も寂しい姿になるだろう。その前に二人の目が覚めたら、買い物しがてら散歩に出るのもいいかもしれない。
 とはいえ、彼が両腕で抱え込んだ二人は、しばらく起きそうにはない。

 危険はなくなったが、今度は雨が降りそうだからと徒歩で迎えに来た日明の姿を見て、級友達は妙に浮かれた足取りでごきげんようの挨拶を済ませて帰っていった。明るい笑い声を耳にして、日明は唇をほころばせる。彼なりに、若い娘が明るく元気でいる様子は好ましいと思っているのだ。
 そう思っていたのに、シルフィンは今ひとつ元気がないようで、日明が話しかけても返事がない。さては腹でも痛いか、それとも頭かと、『よく知っている』と豪語する割に、ろくなことが思いつかない日明だった。
 よって。
「日明様、お話がありますの」
 思いつめたシルフィンの様子に、相変わらず『腹か頭か』と悩んでいた日明は、よくある話でシルフィンの言葉を聞き逃した。問い返したら、見たこともないようなきっとした顔立ちで、ずいと詰め寄られた。
「日明様のお側に居たいんです。ずっとずっと昔から大好きです。離れるのは嫌。お側においてください。それともまさか、横須賀にどなたかお待ちとでも?」
「それはない。ないが待て」
 勢いに負けた男が、捨て身の若い娘を留めようなどとは無駄な足掻きだ。けれどもそういう感覚で相手を見たことがなかった日明には、シルフィンの告白は予想だにしなかったことで‥‥思わず口走ったのが。
「そういう大事は親にも聞いてもらうものだろう。往来で話すことか」
「私、両親が反対しましたら家出する覚悟ですわ」
 こんな娘を連れて行って、その両親と話をしたら、結果は両極端の二つに一つ。挙げ句にシルフィンの両親は駆け落ちとなれば、一つに決まったようなものだが、日明はそんなことは全然気付いていなかった。
 話に決着が付くまでは、小一時間程度のことである。

 雨が降り出して、でも今日は傘を持ってきたから大丈夫と理江が校門を出ると、人待ち顔の慈英が立っていた。
「下手人が捕まっても、暗くなってからは危ないでしょう」
 実は締切間際の韜晦でもあるが、心配しているのは事実である。すると理江は断りを入れて一度校内に戻り、今度は傘なしで小走りにやってきた。どうやら誰かに傘を貸してしまったものらしい。難儀していた同僚でもいたのだろう。
 それほどひどい降りでもないので、一つ傘で大丈夫でしょうなどと笑いあっていたのもつかの間。身長が頭二つも違うと、慈英がどれだけ気を使っても、お互いに濡れてしまうのだ。常にないほど寄り添ってみたが、どこかしらに雨粒が当たる。
「かえって濡れてしまったようで、風邪を引かないでくださいよ」
 帰り着いて、湯を浴びて、おさげを解いた髪を拭っている理江に声を掛けた慈英は、しばらくその後姿を眺めていた。やがて振り返った妻に首を傾げられて、ようやく原稿用紙に向かう。
 ほんのりと桜色したうなじが評判の深川芸妓の恋物語。
 ようやく仕事に取り掛かる着想を得つつも、丹前を羽織らせてくれた妻の手を握ろうかどうしようかと迷ってしまう彼の前の原稿用紙はまだ白いままだ。

 女学校から、久し振りに級友の相談ごとにも巻き込まれず、当然事件などにも行き会わず、雨も降らないうちに帰り着いていた透は、亞莉子から新聞の号外を見せられていた。大新聞はまだ載せていないが、今朝は早くから中小の新聞やいささか怪しげな雑誌が瓦版よろしく『悪徳華族が女衒の真似事』と書き立てている。
「ほらほらぁ、私たちったら話題席巻って感じぃ。これなんかすごいでしょぉ」
 昨夜、亞莉子が憂さ晴らしで向かおうとしていた屋敷は、透が仲間の伝も頼って探したかどわかしに使われた自動貨車の向かった場所でもあった。お屋敷街に自動貨車は似合わないので、これまでの出入りが人目を引いていたらしい。
 ところが亞莉子はその自動貨車に興味を引かれ、敷地に入って調べていたところを屋敷の者に見付かっていた。透が到着したのがその頃で、彼はすでに警察にも怪盗がこの屋敷に押し入ると予告までした上での現地着だ。
 亞莉子も当然声色は使っているが、その方面にそれほど習熟していない彼女の声くらいは透も瞬時に聞き分ける。どうしてと考えるより先に、内部に引かれた電気線を切断していた。ついでに少女の声で、悲鳴をあげている。
 首尾よく合流を果たして後は、亞莉子が何事かと騒ぐ一幕もあったのだが、誰かが屋敷の中でも騒いでくれたのに乗じて、手荒い仕事に慣れていそうな連中はすべて叩きのめした。二人共に、なんだか奇妙に力が入っていたのは、それぞれに晴らしたい憂さがあったからだろう。亞莉子は途中で上客の婦人を見付けたが、さすがにそちらは脅かせるだけにしておいた。
 ついでに後の始末は知らぬ顔で、二人共に屋敷を後にして、そのまま深夜の散歩としゃれ込んだ。当然亞莉子には透の小言が付くが、どこ吹く風である。
「あ、何も持ち出してこないなんて大失敗ぃ。ものすごく困るものでぇ、何かあったわよねぇ」
「ま、一番のお宝だった子供さん達は官憲が保護してくれたでしょうから、それでよしとしましょう」
「いやん、透ってば最高!」
 亞莉子が透に抱きついて、ついでに接吻をしようと、人目もないので誰にはばかることもない。彼も多少は気を良くしたのか、驚かせるつもりで浄炎に頼んでおいた鋏を帰宅してすぐに渡したのである。桜の模様が入った、断髪用の切れ味鋭い逸品は、もちろん亞莉子の気に入りになった。
 満開の桜が散り始める風情を楽しみながらの散歩の頃、すでに二人が後にした屋敷は野次馬に囲まれていたのだが、それはもう彼らのあずかり知らぬことだ。
「上客が一人、減ってしまうかもしれませんね‥‥」
 号外に目を通した透がいらぬことに気付いてしまい、亞莉子が膨れてしまったくらいの出来事はあったけれど。

 それから二月余りも後のこと。
『やれやれ、ようやく我が都、我が城ですよ』
 たとえ毎日空が煙っていようと、懐かしの我が家に帰り着いたアシュレーは土産物の詰まった鞄を手に、扉を押し開けた。予定より一月以上も遅れてしまったので、妻はさぞかし心配していたことだろう。
 これで『帝都では人攫いの屋敷に連れて行かれた』などと言ったら、武勇談を聞かせる前にどんな反応があるか判らないので‥‥
『ただいま帰りました』
 まずは満面の笑みを見せた妻を抱きしめて、存分に再会の挨拶を行なうこととした。
 帝都の人々が見たら、仰天するような熱烈な挨拶を。