宋漢国物語
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■ショートシナリオ
担当:やよい雛徒
対応レベル:フリー
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
リプレイ公開日:2005年09月14日
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●オープニング
「皇帝が‥‥崩御なされたと」
別段驚いた風情もなく、宋漢国第十二代皇帝の第一夫人たる女は、知らされた夫の死に一言だけ言葉を返した。彼女は皇帝にさほど愛されることが無かったからである。彼女が娘の婦朱華を授かったのも、十六年前のたった一度の契りのみ。
宋漢国四百七年。
急死した第十二代皇帝は享年三十二歳という若すぎる死であった。
かくして宋漢国は騒ぎとなった。
この時、世間一般には病死という発表がなされたが、時の今上は腹上死であったと後世には残される事になる。病死、毒殺、暗殺、腹上死‥‥好奇心をくすぐる噂という噂はまことしやかに流れるものであり、伝わる間に姿を変えていく。例え偽りの話であったとしても人々の関心に根付いた事がこの時代の真実。実際は周囲の争いの巻き添えだったのだが、そんな事は今の宮廷の問題ではない。
今の宋漢国の問題、それすなわち次期皇帝の選別、皇帝科挙への感心のみ。
皇帝科挙とは宋漢国の繁栄を願った初代皇帝が考案した宋漢国の根源となる法である。
通常の官人を起用するための科挙とは異なり、皇帝科挙は名の通り皇帝を選び出す為の試験。科挙以上の厳しさを持つ皇帝科挙は二十日二十晩、ありとあらゆる分野の筆記試験が行われ、中でも選りすぐりの人間を選び出す。その上で選び抜かれた男達は、未来の后となる先代皇帝の第一皇女から『幻種』という種を与えられ、花を咲かせる事が最終試験の課題だった。
幻種は鳳凰山脈の大仙人から与えられた物で、壺の種が底をついたとき宋漢国は倒れるという伝説を持つ。過去政に関わった仙人は鳳凰山脈の大仙人のみで、他に類は見られない。何せ鳳凰山脈の大仙人以後、特異な力を持つ仙人は力の影響が大きいとされ、政に関わった仙人は重罪人として斬首される法が確立したからだ。
最終試験の名を『幻種開花』。幻種は愛の言葉で芽吹き花開き、咲かせた者の皇帝としての素質を決める。ある色を咲かせた者が人格や器量とともに優れ、天帝から定められた皇帝となるそうだが、その色が何であるかは世間には知られていない。
第十二代皇帝の崩御に伴い、第十三代皇帝を求めて国籍や人種問わず幻種開花に向け皇帝科挙が行われた。
だが皇帝科挙以後、予想もしない事態が訪れる事になる。
崩御した第十二代皇帝の死のどさくさに紛れて大臣等の地位にある官人達は勢力拡大という大望を抱いて策略を巡らせる。気に入らない同僚や部下を始末してしまう時期としても打ってつけだと言う事は勿論、宮廷内ではありとあらゆる欲望が絶えず天秤にかけられ、次期帝王の即位まで続く事になる。
そんな争いの舞台の一つが宋漢国の後宮、皇帝の何百という妃達が住まう女の園が代表格であった事があげられる。
第十三代皇帝を決める時に起きた大騒動は、まさに後宮が発端だった。
亡き先代皇帝には百二十二人の妻と三十七人の子供がいた。宋漢国は皇帝のみ一夫多妻制だったが、歴代の皇帝と比べると、第十二代皇帝はむしろ小規模の後宮を持っていたといえよう。この時代における宋漢国の後宮は皇后の皇后宮を頂点に六つに分類されていた。
まず皇后の住まう皇后宮。
皇女や皇子が住まう仙才宮。
貴妃、渉妃、徳妃、賢妃達四大夫人の住まう四妃宮。
昭儀、昭容、昭媛、脩儀、脩容、脩媛、充儀、充容、充媛が住まう九賓宮。
梢女九人、美人九人、才人九人の住まう二十七世婦宮。
宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人の住まう八十一御妻宮。
皇帝の崩御に伴い、皇帝の子供達は宮女または官人となる機会を与えられるが決して優遇されるわけではない。特別な意味を持つのは次代の皇后となる第一皇女のみで、皇后と二十五歳未満の四妃を除く女達は、召使いの宮女として宮廷に残るか、皇帝とともに殉職するのが通例であった。新皇帝の妃達は、新皇帝選定後に宮女狩りが行われる。何故皇后と年若い事を条件にした四妃だけが残されたのか。四妃は大抵が先代の寵姫であったか、豪族の娘達ひいては宋漢国を大きく左右する人物であった。年若くあれば新皇帝の妃としても成り立つが故に残されたのだ。
そして皇后は聖大母であると共に、もし新皇帝の身に何か起きた場合、その代行を勤める役目があった――。
「後宮も静かになったものよ」
前皇后は、ひと気の消えた後宮の中を歩きながら星空を見上げた。第十二代皇帝が崩御して二ヶ月。瞬く間に出された知らせは各地へ散った官人達を通して各国へ知れ渡り、半月も立たぬ間に皇帝科挙を受けようと望んだ何万という男達が官人に選別され、彼ら官人推薦を受けて正式に宮廷へ足を踏み入れた頃になると男の数は百人を下った。二十日間に及ぶ皇帝科挙の末、幻種開花を受ける権利を得たのは僅か一握りと聞く。
「ふらふらと夜風を舞うのは、貴方でしたか葉亞斗李恵皇后陛下」
「不用心と言うのであろう忠実なる妾の宦官よ。それより斗蘭紫葉、皇帝科挙を通過した皇帝候補『素者』の様子はどうだ」
「皇帝科挙を通り、三日後に迫る幻種開花に備えて気が緩んでいる素者の多い今が好機かと。既に素者の世話を担う宮女や宦官に刺客を放っております」
素者、最終試験に残った皇帝候補を『素質を問われている者』つまり『素者』というのだが、現在素者は宮廷の後宮内部の旧八十一御妻宮を仮の宿とし、何十もの警備兵の監視を受けて生活している。素者は八十一御妻宮と八十一御妻宮の庭しか移動を許されていなかった。そんな彼らを世話するのが宦官と宮女達だ。
「相変わらず手の早い事だ。賢いそなたは我が誇り。素者を全員亡き者にし、皇帝の権限を妾のものにせよ。しからばその暁に、そなたに北岩関の将軍の座を与えようぞ」
「ありがたき幸せ。四夫人の内、美華羅渉妃も『不運な落石』で死亡なされた今。残るは巳是李貴妃と憂汰媛司依徳妃、真麗亞賢妃の三人」
「貴妃など、まだ十の子供だ。いかようにでもなるが、‥‥徳妃と賢妃は切れ者だ。奉巻の乱において皇帝に奇策を与えたのもあの二人と聞く‥‥注意せよ」
「それが、真麗亞賢妃に此方の動きが漏れたようで‥‥賢妃を通し仙才宮の婦朱華様が、計画を阻まんと動き出したようでございます」
「なんと。あの莫迦娘、妾が天下をとれば自分の物にもなると言うことがわからんのか。もうよい、かねてより母子の情など無いも同然。何としてでも素者を殺すのだ」
「――承知」
宋漢国第十二代皇帝が崩御した今、新皇帝選別の時。
先代皇帝の娘であり次の皇后となる婦朱華から素者へ渡された種は仙人から賜った物とされ、ある色の花を咲かせた者が皇帝として選ばれる。
愛の言葉で咲き、持ち主の素質に合わせて花の色を変える種『幻種』。
最終試験『幻種開花』が迫る中、素者から皇帝が現れなければ先代皇后が皇帝代理として次の一年間宋漢国に君臨出来る事を知る先代皇后の葉亞斗李恵は、死ぬまで自分が宋漢国を支配する為に最終試験『幻種開花』に望む素者達を亡き者にしようと画策。それを快く思わない皇女の婦朱華は、信頼する宮女や宦官に呼びかけて、未来の自分の夫となる可能性を持つ素者達を守るように伝えた。
最終試験『幻種開花』まで後三日。
静寂の後宮で、宋漢国の未来をかけた壮絶な戦いが始まる。
●リプレイ本文
規則にございます、という宮女や宦官達に素者達が閉口していたという記録がある。
皇帝科挙から二夜明け、正式に素者となった者は五名であった。我こそは皇帝にと幾千万の男達が官人により選出され、宮廷に足を踏み入れられたのは百名未満。さらに皇帝科挙で篩にかけられた結果が五人ともなると、周囲の好奇心と期待は残された者に向かう。
「聞いてるのか。幾ら迎えが最後だからって気が緩んでねえか」
型破りの言葉にイルニアス・エルトファーム(ea1625)が顔を上げると、其れまでの官人と異なる格好をした者が立っていた。ひとまとめにした長髪を鬼灯色の布で飾り、水色の襦袢の上に蘇芳の衣装という事は数代前の皇帝から帯刀を許され出した――宦官装束。
「あたいは宮廷宦官長、つまり後宮の総責任者の訃威羅・慕露娯於栖。あんたの名前は」
「私はイルニアスだ。宦官とは言うがキミ」
「無駄口叩いてないで行くぞ。あんたの同期は後宮、旧八十一御妻宮で既に休んでんだ」
フィラ・ボロゴース(ea9535)こと訃威羅はけらけらと笑いながら先導をする。複雑に入り組んだ道を歩いてゆくと、其れまで素者候補者達が暮らしていた貧相な建物と異なり、黄金色の瓦で飾り、赤く塗られた柱が立ち並ぶ広い敷地が広がった。さすがは後宮。それでもイルニアス達、素者が『幻種開花』まで宿とするのは一番格下の八十一御妻宮なのである。数日前までのひび割れた壁の貧相な建物に比べれば、ようやく人扱いという所か。
「動けるのは八十一御妻宮と庭だけだ。食事は一日二回。時間になれば宮女が来る」
せいぜい機を晩して出ていく事にならないようにな、と訃威羅は素者に笑って話しかけると、肩を叩いて手を軽くふりながら去っていった。男装していても女性の特徴は消えない。本来は宮女ではないのかと去りゆく姿に首を傾げながら部屋にはいると先客がいた。
目前で日州の舞を踊っている者がいる。黒髪に白と柄物の着物。この者の名を大神森之介(ea6194)、日州が宋漢国の旗下に入ってからの名を『神森』であると宋漢書は記す。
「最後の同居人だな。俺は神森、見ての通り生粋の日州人だ。能という踊りが趣味でね」
大きな部屋は五人部屋で、鏡台に文台が西の壁にあり、北側には窓と二段の寝台がある。東側にも二段の寝台があるかと思いきや、上段は物置で下段が寝台。扉のある南側、直ぐ隣にも色鮮やかな二段の寝台があった。広い部屋ではあるが、男五人には狭かろう。
「やぁ。私は飛威守久里布。宋漢国皇帝科挙最終試験に挑む『素者』の一人だ。飛威守と呼んでくれて構わないよ。流石に元宮女の寝台は狭いね、膝を折らないと入れなそうだ」
苦笑混じりに話す褐色の肌の大男は英州出身の『飛威守久里布』。英州が独立した国であった頃の名はヒースクリフ・ムーア(ea0286)という。飛威守は英州を始めとした各国で見られる巨軫族と呼称される身長の高い者達であり、彼らにとって常人並の寝台は狭い。勿論後宮の部屋はもとより彼らの部屋も臨機応変に作られているのだが、巨軫族専用と思われる北側の寝台には荷物が投げてあった。と、刹那イルニアスの背にぶつかる人影。
「‥‥なんだ。神森以外来ないのかと思っていたが、意外と素者はいたのだな」
今まで不在だった素者のようだ。固い口調の金髪の男に神森は話しかけた。
「どこまで行ってたんだ? どうやらベットの数だけ人は来たようだから、キミの寝台の場所と入れ替わってやってくれないか。巨軫族の者が二人いらしているようだから」
「容易いご用だ。俺には広すぎると思っていたが、俺は風蘭句州の坐矩泉地方で官人をしていた冷武衛という。昨今の宋漢国の現状を見、国を守るため、皇帝科挙に臨んだ者だ」
いかにも官人らしいはっきりとした挨拶だ。同席している者達のように風蘭句州が宋漢国の一部となる以前の名前が彼にもあり、レーヴェ・フェァリーレン(ea3519)という。
「感謝するよ。冷武衛君。二十日間の末に毎夜節々が痛むような毎日かと思ったところだ。神森君共々場所を変わってくれると言うし、碧陶琉君、君はこっちのほうがいいね」
北の寝台二つの内、下段を何度も指さす飛威守。暫く立って部屋の隅に座り込んでいた黒髪に褐色の肌をした男がのそりと動く。琵斬珍州出身のヘクトル・フィルス(eb2259)こと碧陶琉・府居留守は何もしゃべらず理解も遅い。同じ素者の者達も聾唖か聾なのではないかと感じたほどの者なのだが、宋漢史巻によればこれが曲者であり、全く身体に障害を持っていなかったにもかかわらず、そうである風に見せ皆を欺き、演じ続けたという。
自己紹介の末、少しばかり世間話をする余裕が持てた頃になってイルニアスが話した。
「ああそうだ。実際、宮廷へ入るのは初めてだが。私を案内した宦官が男装した女人だったんだがおかしくはないか? もしや何かあったのでは」
「其れは宮廷宦官長の訃威羅君の事かい? 彼女なら『宮廷唯一』の真っ当な宦官だよ」
「なんだ。イルニアスは知らんのか。官人の間では有名な話だが‥‥飛威守の言うとおり、彼女は正式な宦官だ。帯刀解放令と並ぶ、宋漢国初の掟破りとも言うがな」
冷武衛は語る。かつて現宮廷宦官長の訃威羅は宮女として後宮に入った後、宮女の教養を手にした上で宦官になりたいと願い出た異端児だった。当初は却下されていたが、宦官になる条件に皇帝科挙を突破せよと無茶難題がふっかけられた。しかし訃威羅は其れをやり遂げたという。以後、男装し宦官としての任についた。それに見合う武術もあった。
「当時、僅か十九の女人の身で皇帝科挙を通過した事で、回りも二の句が言えんと聞く。我々皇帝の素質を持つ者同等。後宮や宮廷内での大きい顔や型破りな言葉遣いは、それに付随するものだろう。ただ条件や何かあったときの罰則も官人の数倍厳しいとの噂だ」
イルニアス達が話し込んでいると、「失礼いたします」という華やかな声音が聞こえた。
扉の向こうには両の手を合わせて頭より高く掲げた宮女が顔を伏せて跪いている。「お食事のお時間でございます。大食堂の方へお越し下さい」という言葉に男五人は顔を見合わせた。どうやら皇帝になるまで夢に描くような豪華な食事はさせてもらえないらしい。
こうして歴史的な五人の素者が顔を会わせた訳だが、実際の所五人の仲が良かったのか悪かったのか、第一印象がどうだったのかと言う事について筆者が詳細を知る由はない。
第十三代皇帝選出以前について頼りとなるのは現存する中国最古の文献『宋漢演戯』、『宋漢史巻』、『宋漢書』の三つだけである。前一つは後の三国史伝の作家でも知られる真泥留の手による全六十巻の長編物語、つまりは別称『後宮女宦官伝』である為、半創作物ではないか、という意見が多く信憑性に乏しい。残り二つは宮廷の史官(当時の史官は和斗尊だったという説が強い)による所謂正史に相当する為、一応は信用できようか。
まあ何にせよ、この五人は以後前皇后に狙われるという悲運にみまわれる。新皇帝の詳細は今はまだ伏せておく。筆者の解釈による『宋漢国物語』は始まったばかりであり、彼らを歴史的な顔合わせと呼べるのは、後世から覗き見る事が出来る我々だけである。
素者達が最終試験に向け、限られた空間で思い思いの生活をしている中、実際に時期皇帝候補である五人を世話するのは宮女達に他ならない。皇后の腹心たる斗蘭紫葉が素者の排除に乗り出したと言う事を、第十二代皇帝の第一息女婦朱華(以後、婦朱華公主と書く)から知らされた彼女の腹心の宮女や宦官の空気は何処か張りつめていた。
「璃伊辺おねーちゃーん。昨日は何処に行ってたの? 恵瑠心配したんだよ」
乃流曼州出身の宮女エルシュナーヴ・メーベルナッハ(ea2638)こと恵瑠朱納撫が、昨日不在だった同期のリーベ・フェァリーレン(ea3524)こと璃伊辺を問いつめていた。
二人とも先代皇帝が健在だった頃、八十一御妻の宝林の官職を授かっていた。従って正式には其其を恵宝林、瑠宝林と呼ばなければならず、周囲の者にもそう呼ばれているのだが、ここはそのまま『恵瑠朱納撫』及び『璃伊辺』と呼ぶことにする。
璃伊辺は四大夫人の一人、十歳の巳是李貴妃付きの宮女だった。貴妃様が泣いて探していた、と恵瑠朱納撫から聞いた璃伊辺は「一応許可は貰ったんだけど失敗したか」と苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、周囲に人がいない事を充分確認してこっそりと囁く。
「素者に、素者の中の兄に会っていたの。なぁんで地方の官人してるはずなのにって」
璃伊辺と冷武衛は実の兄妹関係にあった。彼女も風蘭句州の坐矩泉地方出身なのである。
「うっそぉ! じゃあじゃあ、もしも璃伊辺おねーちゃんのお兄ちゃんが新皇帝様になったりしたら、おねーちゃんもお嫁さんの一人だから実の兄妹同士やっぱり近親相か‥‥」
色事になるとはしゃぐ恵瑠朱納撫の口を、がぽっと押さえ込む璃伊辺。目が剣呑だった。
「声・が・大・き・い。別に皇帝になるって決まった訳じゃないし、第一そういう事じゃなくて心配したんだよ。絶狐の事を知らせに行ったの。あと食事を別にくれって言ってた」
絶狐(ゼッコ)とは宋漢国における最大の罵り言葉である。
第七代皇帝が絶雪州を征伐した際に絶雪王の娘を妃に貰い受けたが、この娘が自らの容姿と豊満な肉体を武器に皇帝と名将を誑し込んで、宋漢国は一時期破滅を歩いた。以来、絶狐とは女人に対する罵倒の言葉となった訳だが、此処で言う絶狐とは前皇后の事だ。
本来、素者が宮女に手を出す事は『皇帝の女に手を出した』として重罪である。同じように宮女が皇帝以外の男性と関係を持つ事も姦通の罪で重罪。したがっていらぬ疑いがかからぬように接するのが宮女達の役目でもあったが、危険を冒して会いに行くほど心配があったのかもしれない。警戒して睡眠もあまりとらない兄の寝ている間の番もしていた。
幸いな事に警備を行う宦官の纏め役でもある宮廷宦官長の訃威羅や、八十一御妻宮の宦官長であるディアッカ・ディアボロス(ea5597)こと梯明が、婦朱華公主側の人間である事から正当そうな理由をつけて宮女達に許可をくれていた。ばれたら降格にも関わらず。
此処ではやる事なす事、仕入れた食材や人の出入りまで全て公の記録に残る場所なのだ。
「私、医女の学はないから料理できないでしょ? だから外で買い付けて野良犬にでも毒味させた後に持っていこうと思っていたんだけど‥‥流石に宮廷外への外出は、うやむやには出来ないって八十一御妻宮宦官長の梯明様にいわれたわ〜、どうしろっての莫迦兄」
悪態をつく璃伊辺に、竈の番をしていた恵瑠朱納撫が良いことを思いついたというように耳を寄せた。米に関しては、これからこっそり多めに炊いておくから心配しなくていいと言う事。それと今日の午後に市場へ行く仲間のことを思いだしたのだ。
「リュリュおねーちゃんが市場に買い物に行くはずだから、頼んで一緒に行ってみたら?」
恵瑠朱納撫の言うリュリュ・アルビレオ(ea4167)は歴とした九賓の一人を母に持つ(母親は乃流曼州出身だったというが定かではない)皇女であるとともに、父親である先代皇帝の死後、殉職ではなく格下になろうとも一介の宮女である事を選んだ娘だ。
もしも婦朱華公主より早く生まれていたら、今の闘争の真っ直中に放り込まれていた事だろう。幸か不幸か、其れを推し量るのは当人だけなので我々には分からない。
この時、リュリュは四大夫人の一人、真麗亞賢妃に謁見していた。英州出身の賢妃は金髪に青い瞳を持つ寵姫であった。前皇后と渡り合える権力を牛耳っている人物とも言える。リュリュが親しいのは賢妃の幼娘、空麗亞公主と仲が良かった部分もあるかもしれない。
「時に賢妃様。賢妃様は木棉花がお好きであったそうですね」
話の終わりにリュリュが花の話題を口にする。美しい物を好む賢妃に丁度良い話だ。
「私の故郷、英州の市花ね。屋根ほども高い木棉花の樹木に、季節が巡れば咲く星々が如き真紅の花を、地上から見上げた事が元公主たるそなたにはあるまい。両の手に溢れんばかりの大きな花が、陽に透けて輝く様は此処では見られないから残念なものよ」
「では最近噂になっている八十と一の木棉花を咲かせる樹をご存じでしょうか。何故か五つの赤い木棉花を残し、赤を飲み込まんと覆い尽くすほどの芥子が如き青い木棉花がつくとの事。噂に過ぎませんが、機会があれば貴妃様自ら手折られてはいかがでしょう」
興味津々で聞いていた真麗亞賢妃の顔色が変わった。リュリュが話していたのは賢妃の故郷の花、木棉花の風変わりな物語ではない。木棉花に例えた後宮の現状だったのだ。
『――八十一御妻宮では最近、五人の素者を殺害しようとする皇后の手の者が溢れております。噂に過ぎませんが、機会があれば貴妃様自ら手を下しては頂けませんか――』
賢妃は考え込んだ。リュリュはといえば静かに返答を待つ。幼い娘ながらよく頭が回る。前皇帝の娘として生まれながら、自力で身を守らねばならない事を知る者は‥‥強い。
「愉快な木棉花の樹ね。私はやはり誇らしげな赤のままが美しいと思うけれど、話の種に機会があれば青の木棉花を手折るとしましょう。ご苦労でした、下がって宜しい」
「はい。これから大臣様の鮑の買い付けがありますので、失礼いたします」
にんまり笑って彼女は下がった。「あたしの夢の為にもがんばろっ」と思っていたとか。
宦官達の住まいは八十一御妻宮から離れたところにある。
個室で書類に追われていた梯明を訪ねる者があった。開けっ放しの扉を叩扉して、「大変そうだな」と気楽な顔で声をかけてくる訃威羅を一瞥すると「どうぞ」という短い返事を残して筆は動かし続ける。
「生真面目なこった。今の時期になると急に体を壊したりと妙な奴らが増えるからな。梯明、其れが終わったら八十一御妻宮の方へきてくれないか。あたいらだけじゃ心配で」
「昨日の食事。食器も此方が用意させた物にかえ、毒を警戒して銀食器を用い、食事も念には念をいれて宮女達に毒味をさせたにも関わらず素者の碧陶琉は気が触れ、素者のイルニアスは夜の食事から腹を下して寝込んでいるとか。後一日とはいえ正直、胃が痛いです」
これだけ同志の宮女や宦官達が気を使っているのに阻めないのかと梯明が疲れた顔で話すと、あぁあれなぁと訃威羅も苦虫を噛み潰したような顔をする。
この時、彼らが知らないだけで二人は何ともなかった。人目を欺き様子を探るための自作自演であるが、倒れたふりをしたイルニアスに病人用の粥や消化の良い食事を作る必要が出たため、食事を担当している恵瑠朱納撫やリュリュは多忙を極めている。
これが逆に安全な食事を提供できる機会となり、表向き食べる気がしないと冷武衛を始めとしたハンスト決行中の素者達に信頼を置いた宮女から、僅かだか一緒に持ち込まれた追加の食事を受け取っていた。皇后に狙われているからとはいえ、難儀な素者達である。
「今の所大食堂で食事をとっているのは飛威守久里布と神森の二人だけですか。それでも彼らに接触した此方の者達以外が作った品には手を出していないようですが」
梯明の発言通り、素者達が八十一御妻宮に入って早二日が経とうとしているが、既に素者達も自分達が置かれた身を察知し、それぞれが信頼におけると判断した宮女の手がけた料理しか口にしていない。しかし毒を恐れるとは言えど、事実彼らの食事は一見貧相な物であったので贅をしてきた者にとって今の食事は相当きつい物があったに違いなかった。
何せ主食は精白前の米。季節の物の薬草や豆の煮付け、干し魚や香物に具なし汁という有様だ。だがこの貧相な食事には後宮の意図があり、歴史が培った薬剤師達の考案した男女問わず房中術を高める為の薬膳料理となっていた。媚薬と比べれば価値は月とすっぽん。後宮本来の目的は言ってしまえば皇帝の名花をよりよい環境で最上の品質を保ち、多くの種を結ばせる事が主要目的。その為の準備を素者でもやっているというからあっぱれだ。
「‥‥終わりました。行きましょうか訃威羅さん。まだ気は抜けないですから」
貧相な食事に一室五人。皇帝ではないからこそこの扱いを受ける素者達は、毎日長閑に見えて緊張を強いられる時間を過ごしている。従って用心深くなる事は無理も言えない。
飛威守久里布は就寝前になると寝台に鈴をつけた糸を張り巡らせるようになっていたし、神森は宮女の璃伊辺が部屋に置き忘れた箒を側に置いていた。冷武衛と碧陶琉に至っては夜間、一睡もしないので不気味である。試験を明日にひかえた三日の晩のこと。
動きがあった。カタッ、と微かな音を立てて何者かが侵入した。数は三人。察知する冷武衛と碧陶琉。しかし他の三人はまだ目覚めない。ひた、ひた、ひた、と歩いて寝台に向かってきたが飛威守久里布が張り巡らせた糸に触れて小さな鈴が鳴る!
「何奴! ここが素者の寝床と知っての狼藉か! 貴様、先日任を解かれた宦官の」
「顔がばれました上は、皆様のお命頂戴いたします。――かかれ」
三つの人影が刃物を持ち、下段に寝ていた冷武衛と碧陶琉、イルニアスの三人に襲いかかる! 飛威守と神森も飛び起きた。
「全員よけろ! 早く警備を呼べ! 誰か、誰かーっ!」
冷武衛が吠える。東の寝台に寝ていたイルニアスが飛び起きた刹那、間一髪で刃は彼の頬を凪ぎ、壁へ追突! その隙に蹴り上げた。碧陶琉を襲った刺客の刃は彼の腕を切り裂く。闇に輝く銀の刃が赤く濡れる。もみ合う三人の所へ、箒を持った神森と、盆を手にした飛威守久里布が降り立った。飛威守久里布の盆の角が敵と交錯する形で叩き込まれる。
「どうして来ない。誰かいないのか!? 侵入者だーっ!」
神森が箒で応戦しながら、声を張り上げる。相手は宦官とは言え武術の心得を持つ者達。素手と刃物は圧倒的に不利である。既に碧陶琉は肩を貫かれたあげく胸から腹にかけて大きく斬られ、イルニアスは頬から血が滴り手首から肘にかけてぱっくりと傷が見える。冷武衛は背中に大きな切り傷を負っていた。飛威守が舌打ち一つして入り口の扉を開け放つ。
この時、飛威守は後々重要な役目を果たす短刀を奪い取っている。
「誰か! あぁ、訃威羅君! 早く来てくれ!」
「な、一体何処から。今行く! 早く逃げろ、あたいはお前が死ぬのも婦朱華様が悲しむのも見たくはない! 其処をどけ、押し通る!」
実は素者が奇襲を受ける前に、もう2箇所で奇襲が起こっていた。相当の人数で抹殺に来たことが伺い知れる。最初の奇襲はリュリュの願いで調べた賢妃の手の者からの情報により訃威羅達が叩きつぶし、現在、梯明が処理を行っていた。もう一組の方は正面から襲いに来たのだが、夜の見回りにと通りかかった恵瑠朱納撫が危険を承知で仙術を用い、誘惑してその身を襲わせた。そのまま味方にしようとしたが宦官に発見された為、暴漢に襲われた宮女を装い、被害者の顔で襲撃者を重罪にかけている。三度目の襲撃はないと思っていた所もあったかもしれない。訃威羅は薙刀を振り回し、まず一人目の侵入者を容赦なく切り捨てた。宮廷宦官長のお出ましに、襲撃者の顔も変わる。
「無礼者ども! 未来の皇帝たる素者を傷つけた以上、この訃威羅・慕露娯於栖、お前達の命を貰い受けるが良いか!」
一喝して斬りつけた。その形相は正しく修羅か羅刹。
訃威羅は瞬く間に造反者達を始末すると、血生臭い部屋を見下ろしていた。
騒ぎの夜が明けた。
素者達は軽い怪我から重傷まで様々で、医女達から手当を受けたが暢気にしてもいられない。午後からは幻種開花が行われる。梯明がかけずり回って処分に奔走した。なんとか尻尾を掴もうと拷問にかけた所、皇后の腹心たる宦官斗蘭紫葉の名が上がり、斗蘭紫葉を捕縛したが皇后への忠誠を貫いてか一人で罪を背負った。後一歩で前皇后に届かず。
「其れでは幻種開花の儀を始める。皇后陛下、公主様、四大夫人様のおでましである」
妃達が現れた。飛威守久里布、イルニアス、冷武衛、神森、碧陶琉の順で並ぶ素者の皆の前に大きな鉢と碗一杯の水があった。婦朱華公主が直々に壇上から降り立ち、素者達に胡麻よりも小さい幻種を配る。「では始めよ」という言葉とともに、ある者は種を手にしばし念じ、ある者はさっさと土の中へ埋めた。さらに水をかけると、土の中から緑色の芽が見え出す。幻種は瞬く間に成長し、肘から手首ほどの長さになった。艶やかな葉っぱと茎の頂点に、ぷくっと膨れた蕾がある。素者達は先ほどの順に従い言葉を言った。
「どんな色のどんな花を付けても良いんだ。こうして植えられた君が無事に咲く事が出来るなら、私の取ってこれに勝る喜びは無いんだよ」
「‥‥私は‥‥」
「俺が帝位に就けば、俺は皇帝として国を臣民を愛し、皇妃には厳しい要求をするだろう。人の上に立つ器量、自戒心、自制心、その他にも多くの事を。その代わり、ひとりの男として生涯、皇妃ひとりを愛しぬこう」
「俺の可愛い花、お前のやわらかな高貴なる光の姿を見せて欲しい‥‥我愛‥‥」
「貴女と貴女が愛するすべてを慈しみ、ともに喜びともに悲しみ命を育みましょう」
花は急激に成長した。噂に違わず愛の言葉で花開く幻種。
飛威守久里布は黄色の花弁をした大輪の花。殆ど囁かなかったイルニアスは触れれば舞い散らんが如き白い花。冷武衛はその髪と気性をうつしたような金色の花を咲かせ、神森は落ち着いた味のある黄色、碧陶琉はどこか淀んだ雰囲気をした渋黄色の花をつけた。
初めて儀式を見る宮女や官人達は驚きに目を見張る。皇帝は黄帝とも書く。黄色といえば皇帝を象徴する色で知られるが、愛や希望も示す。其れを踏まえて皆がどよめいた。
「もしやこの度の皇帝は複数いるってこと? この結果は」
「‥‥違います、璃宝林。早とちりしない方がいいと思いますが」
ざわめきを斬って捨てたのは梯明だった。幻種開花の儀式を見る事が出来るのは、聖大母と未来の妃達、そして次代の皇帝に仕える位の高い官人だけ。そして梯明は先代皇帝に仕えた宦官長である。世間一般では花の色で新皇帝が決まると言うが、そう簡単に宮中の重要事項が流れているわけがない。幻種開花には一部の者しか知らない『裏』があった。
『ほっほっほ、また面白い事になっておるのう。其処にいるのは先代に仕え可愛がられた梯明か。先代の諡は瞑宗じゃったかな? 花が咲いた気配がした故に降りて参ったぞ』
「十数年ぶりになります鳳凰大仙人。既に素者の花は次の通りに。皆へご教授を」
なんと靄のようなものが上空を覆い尽くし、髭面に蒼装束の鳳凰山脈の大仙人が出現した。彼の名を芭流奈琉土。一通り花を見た大仙人は『ふぅむ』と唸った。そしてにたりと笑いながら『幻種開花では毎回必ずといって良いほど黄の花を咲かせ、己の器量に慢心する者がおる』と語りだした。場の空気が一瞬にして冷えた。
『ほっほっほ、お前さん達。花を咲かせる時に何と思い何と言ったね? この種は慇懃無礼なまでに本性を暴く花だ。黄の花を見て皇帝と思った者も多かろう。しかし『皇帝の黄色』は皇帝になった者に与えられる色であって、初めから欠落のない皇帝の中の皇帝など存在はせんのだよ。花の色は本性の鏡。其れぞまさしく願い通りの色が出る。皇帝の色は黄色だから、黄の花が咲くに違いないと思った者もいたのではないかね?』
大仙人の話は続いた。皇帝は花の色だけで決まるわけではない。花を咲かせる為に『愛の言葉を囁け』と言われた時、誰に対する愛の言葉を囁いたかと言う事も重要な事だった。
『愛の言葉に妃を選んだ者も多かろう。其れは間違いだ。妃に愛を誓えばいいと言うものではない。花は鏡であり素者こそ国の種。賢君が色欲に溺れるは珍しいことにあらず。其れが故に、慢心や何かしらの暗雲が欠片でも見える者の花は‥‥それ、萎れてしまう』
すでに冷武衛、碧陶琉の花が枯死。飛威守久里布、イルニアス、神森の三人が残る。さて‥‥と大仙人はイルニアスに近づいた。何故白い花になったか分かるかと聞く。
「‥‥私は、老師に皇帝科挙を持ちかけられて此処に来た。それに恋人が昔、魔物に殺された。私が愛しているのは彼女で、永久に変わらないものだと薄々感じていた‥‥」
『実に惜しい逸材よ。純粋なまでに汚れなく誇り高い。亡き恋人が腱でなくなっておれば皇帝の座に一番近かったものを。そなたの牙城は、似た者が現れた時に崩れ去ろう』
イルニアスの白い花が散った。まだ咲いているのは二人のみ。皇帝の花は枯れない。
『さて素者の二人の花だが。聖大母たる葉亞斗李恵様が花に触れれば決まるじゃろう』
などと大仙人がいうので、葉亞斗李恵はてっきり自分が代行となれる者だと思い、踊るような足取りで素者の花々に触れようとした。だが刹那、鉢の中に隠していた短剣を拾い上げた飛威守久里布が、目の前の皇后に襲いかかり、喉笛を裂いて心臓を貫いた!
「キャァァァァァっ!」
「彼女に仇なす貴様は、我が手で決着をつける! 閻魔の所へ行くがいい!」
葉亞斗李恵は絶命していた。全身に鮮血を浴びた飛威守久里布の白髪はどす黒く変わる。しかし問題は、一見したら狂人にしか見えぬという事だ。訃威羅達が庇う暇もなく、皇后を殺害した飛威守久里布は控えていた武官達の刃に串刺しにされた。
地に倒れ伏して這いずり、一目見ようと顔を上げた先は四妃の席。
「かはっ、ひ、‥‥妃様」
飛威守久里布は満足げに笑って事切れた。一抹の悲しい願いじゃのぅ、と大仙人は言う。
こうして新皇帝は決まった。ここで歴史的にも有名な二重帝禍は幕を下ろす。
したがってその後の事は蛇足とする。
第十三代皇帝の座についたのは神森だった。しかし新皇帝は二人いた、と宋漢書は記している。幻種開花の儀式で皇后を殺害した飛威守久里布と、国を治めた神森の二人の事だ。
飛威守久里布は当時の絶狐を斬った刹那の名君として正史に名を残し、園芸を愛した事から後に諡にして『花宗』と呼ばれる。その後に皇帝となり実質的に第十三代皇帝となった神森は天子として宋漢国を統治したが、幻種開花前夜の襲撃による傷が仇となり、僅か五年後にその生涯を閉じてしまう。神森は能楽を愛したことから『楽宗』と諡された。
皇帝の座から外れた素者達は、機を晩した訳だが優秀な官人としてその生涯を送る。
本来皇帝になれなかった者は造反の危険があるとされるが、イルニアスは亡き恋人に生涯の愛を誓っていた為、危険はないとして宮廷の官人入りを果たし、北岩関の参謀にも任じられ、晩年は大臣に上りつめた。冷武衛は溺愛した妹璃伊辺との交流の後に、風蘭句州の坐矩泉地方に帰って堅実に勤め上げたという。碧陶琉は素者時の奇行故に宮廷内で人望を勝ち取るのが難しく、琵斬珍州に帰って余生を暮らした説が有力だ。
名だたる宮女や宦官達のその後はどうだったのか。
璃伊辺は宮女として宮廷に残り、幼い貴妃の世話を焼いたらしい。
恵瑠朱納撫は誘惑事件が元で、結局の所は隠れ仙女であった事実が発覚してしまった。本来ならばそのまま斬首となるところ、皇帝の命を助けたとして後宮追放の処分となり、故郷の乃流曼州に帰って後宮の知恵と房中術を駆使して妓楼を立て評判の女将となった。
当時はまだ賢子学が流行する前であったから、性に関しても開放的で変に後ろ指を指されるわけでもなく、商売は繁盛、比較的おおらかであったという。
「あたしは、さっさとお勤め終わらせて次の皇帝からお暇貰って、街で普通の商人になって彼氏と結婚するのが夢なのよ。お姫様は柄じゃないし延々宮女するのもね」
などと口にしていたリュリュが、願い通り宮女をやめて大商人として生活するようになってから時々、恵瑠朱納撫の所へ訪れていたという伝説が乃流曼州に残っている。その際。
「みんなに会えたらいいのにねぇ〜つまんなぁい」
などと、何年経っても互いに幼さの抜けない口調で話していたとされている。
宮廷宦官長の訃威羅は年老いてもその豪快さは変わらず、生涯宮女ではなく宦官として過ごした。敵も味方も多い性格であったが、その朗らかさに周囲は華やいでいたという。
「あたいはさぁ、元々男に生まれりゃよかったと思ってたんだ。宮女になって好きでもない男に触られるなんざまっぴらゴメン。若い時は、爺共を黙らせて目にもの見せたな」
と皇帝科挙を突破して宦官の座をもぎ取り、女性初の宦官となった事を誇っていた。
八十一御妻宮の宦官長だった梯明はといえば、第十二代皇帝(諡は瞑宗)に仕えていた宦官だったことを誇りにしており、瞑宗を暗殺した一派を一掃した後にさる理由を今上に進言して宦官長の職を辞職。己の仕える主の墓へ馳せ参じ「我が主、瞑宗様。役目は果たしました」と報告して殉職した事で知られている。敵討ちの為だけに宮廷にいたらしい。
宗漢国の第十三代皇帝選出にまつわる文献調査時、瞑宗墓へ行った時の事だ。
「楽宗が宗漢国全盛期の皇帝でも、十五代の壊宗の所為で国は分裂した。花宗が即位していたらどうなったんでしょう。花宗が十三代、楽宗が十四代だったら」
「おや。花宗は四妃の一人に思う人がいたと言うから、あまり変わらないのでは?」
宿の主人は笑っていた。宋漢国の皇帝を選んでいたという幻種の種。
仙人の存在も怪しいのだが、一体何処まで史実なのか探るのは無粋なのでやめておいた。