老いた歌姫アジア・オセアニア
種類 |
ショート
|
担当 |
江口梨奈
|
芸能 |
2Lv以上
|
獣人 |
フリー
|
難度 |
易しい
|
報酬 |
なし
|
参加人数 |
8人
|
サポート |
0人
|
期間 |
04/05〜04/11
|
●本文
喉から血を吐くほど練習をした。その努力が認められた。
藍子は来月から、オーストリアの有名な歌劇団に入団することが許されたのだ。
「先生、先生! ついにやりました」
先生‥‥遠野良子がいなければ、今の藍子はなかっただろう。幼い頃にテレビで見た良子の舞台『椿姫』。美しい歌声に涙が出たのを覚えている。それから声楽の道に進み、良子に何度も頭を下げて直接教えを受けさせてもらえた。
良子が引退をした頃に、藍子も国内の劇団で活動を始め、それからお互いは疎遠になっていたが、それでも藍子は一時も良子の事を忘れたことはなかった。
だから、この嬉しいニュースが飛び込んできたときは、真っ先に良子に教えたいと思った。次の休日、飛ぶように良子の家を訪ねると‥‥。
「お隣の奥さんは、老人ホームに入られましたよ」
良子の隣人が教えてくれた。そこで慌ててホームへ行く。新しい、綺麗な施設だ。職員や入居者も朗らかな人たちが集まっている。のんびりした老後をおくりたくて良子はここを選んだんだろう‥‥そんなことを思いながら藍子は良子との再会をロビーで待った。
数分後。最後に会ったときよりも皺の増えた良子が姿を見せた。
「お久しぶりです、先生!」
「ああ‥‥藍子ちゃんね」
「お知らせしたいことがあって来たんですよ!」
恩師に会えた嬉しさに、藍子はこれまでのことをまくし立てる。が、藍子は気が付いた。自分が興奮すればするほど、良子が冷めていくことに。
「先生‥‥どうされたんですか、元気がないようですが」
「私も、歳をとりましたから」
そこで初めて藍子は気が付いた。
なんてか細い声。
高らかに歌うための豊満な体も小さく縮み、客席の遠くを見るために高く上げた顎も下がり、声帯に風を送るためにいつも大きく開いていた口は皺でふさがっていた。
久しぶりに会った恩師は、すっかり覇気を失っていた。世界に羽ばたこうとしている藍子の姿すら、老いていく自分は残されるものだと再認識させるものなのだ。
藍子は寂しい思いで、ロビーを後にした。先生になんとか元気を出して貰いたいが、なんて言えばいいのか‥‥。
ふと、通路を見ると、こんなポスターがあった。
『ボランティアメンバー募集中。人と人、人と社会のふれあいを‥‥』
「これは何ですか?」
近くの職員に尋ねる。ボランティア活動をしてみたい人のために門戸を開いている、という答えだ。個人でも団体でも、長期でも短期でも、掃除の手伝いでも芸の披露でも、とにかく『何か役に立ちたい!』人のためのものだという。
「これは、入居者の皆さんを元気づけられますか?」
「ええ、とてもよろこばれますよ」
「‥‥1週間、入らせてください。友達も連れてきますから!」
藍子はすぐに申し込んだ。
日本を立つ前に、せめて良子に元気を取り戻させよう‥‥それが先生への恩返しだと思って。
●リプレイ本文
「はい、どうも〜。『やみくもあんどん』です、どうぞよろしく〜」
入居者が集められた娯楽室の前で、ベクサー・マカンダル(fa0824)と海風 礼二郎(fa2396)の新作漫才が披露される。
「最近はね、若い者がでかい顔してますけど、なんだかんだ言ってね、人生の経験には敵いませんね」
「そうは言うけど、礼二郎。時勢は刻一刻と変化してるんだよ。最新コンピューターやインターネットで若い我々も知識は手に入るもんだ」
「知識と経験は違いますよベクサー。だいいち、おじいさんおばあさんの語る話には深みがあります。ボク、おじいさん達の話を聞くの、好きなんですよ〜。本じゃ得られない、実践に基づく知識。ボク、好きなんですよ〜」
「何で2回言う? いやらしいなぁ。そうやって、お菓子の一つもねだるつもりなのか?」
老人をこれでもかとヨイショする礼二郎に、その礼二郎をこきおろすベクサー。テンポ良くネタは進み、それなりの爆笑も引き出せた。
二人は漫才を続けながら、時々、視線をある場所へ向ける。
良子が、そこにいる。小さな体を車いすに乗せて、くすくす笑いながらこちらを見ていた。
けれど、他の女性が手を叩きながら大きく口を開けて笑っているのに対し、良子は、目を細めてくすくす笑っているだけであった。
『△△劇場 公演記録』。
せせらぎ 鉄騎(fa0027)の前には、30年前の新聞や業界誌のコピーが並んでいた。
オペラ歌手、遠野良子に関する記事だけを集めたものだ。
「代表作『椿姫』‥‥ヴィオレッタ役を好演‥‥東洋の歌姫と称され‥‥」
日本で名前を聞いたことはなかったが、どうやらオペラの盛んな国では評価の高い歌手だったようだ。インタビューを受けた記事もいくつか見つかる。
「これが、現役当時の写真ですか?」
コピーを覗き、雪音 希愛(fa1687)が聞いた。舞台全体の写真があり、その中央に大きく腕を開いた女性が写っていた。写真なのに、まるでそこから力強い声が聞こえてきそうな、迫力のある立ち姿だ。
しかし‥‥希愛は思った。
今、老人ホームにいる良子に、この当時の面影は無い。「一緒に歌いましょう」と言って歌って貰った、その時の声のなんとか細かったことか。
いや、老齢の女性ならこれが普通なのだろう。周りで一緒に歌っていた老人達も、似たような声ではなかったか。
だからこそ、良子はますます辛いに違いない。きっと藍子と同じように、血を吐くまで努力しただろう、それが加齢という只一つの抗いがたい運命のために、その辺の素人と同じレベルにまで下がっているのだ。
「そんなことないよ!」
アジ・テネブラ(fa0160)は否定する。
「すっごく、上手だったよ。声量は無かったけど、きれいなメロディで」
現役時代の素晴らしさが十分伝わってくる、とアジは感じていた。
しっかりとした基礎能力があったからこそ、藍子のような後継者を育てられたのではないか。
「よき後継者がある、それが今の良子さんには幸福とならないのでしょうか‥‥」
寂しそうに、Chizuru(fa1737)は呟いた。
「はぁ〜い、それじゃぁ、次の問題」
娯楽室では今日もボランティアスタッフが集まって、余興を見せてくれる。今日のスタッフは、いつにもまして入居者達の目を釘付けにしていた。
「おじいちゃん、そっちじゃなくて、こっちの紙芝居を見てて」
七瀬・瀬名(fa1609)が手製のクイズ式紙芝居を指さすが、先ほどから男性陣の視線は結城ハニー(fa2573)のミニスカートの隙間からこぼれる眩しい太腿へ一直線。
「それでは次の問題よぉん。最初の絵と、次の絵、7つの間違いを見つけてね」
瀬名の渋面にお構いなしにハニーは、体をくねらせて男性のみならず女性にまでしなだれかかる。
「はいっ、そこの青いシャツのおじいちゃん」
「おじいちゃん、ご指名よん」
指名された男性は、鼻の下を伸ばして答えを言う。どうやら紙芝居クイズよりも、脳への刺激が強そうである。
「すっごいウケてますね。僕たちの漫才、敵わないかも」
「負けないように、次のネタを練り直そう」
セクシー紙芝居に刺激を受けたのは老人たちだけではない。娯楽室の後ろで一緒になって見物をしている漫才コンビにも得るものがあった。
1円も報酬のでないボランティア活動、だからといってぞんざいな芸をしていいはずもない。利益の絡まない場所だからこそ、そこにいる客から返ってくる反応は純粋なものだ。
そう、目の前にいるのは、客だ。
余計な理由付けはいらない。
客の前で、精一杯の芸を見せる。歌手だろうと、漫才師だろうと、俳優だろうと同じことだ。
「ですよ、藍子さん」
と、Chizuruが言った。
「あそこに座っている人はあなたの恩師です。ですが、あなたの歌を聴きに来たお客さんでもあるんですよ」
歌え、とChizuruはいう。
成長した姿を、良子に見せてやれ。
有名な曲だから、楽譜もすぐ手に入った。だから希愛は練習をしてきた。
「本当なら、男女のパートを分けるんですが、今日はこちらの女性達に手伝って貰いました」
藍子は後ろにいる、アジとChizuruを紹介する。
「それでは、聞いて下さい。オペラ『椿姫』より、『乾杯の歌』です」
一瞬、良子の表情が強張ったのが分かった。
希愛のキーボードが旋律を奏でる。
男性パートの部分をアジが歌う。
それに重ねる合唱部分をChizuruが。
そして、すぅっと息を吸って、藍子が。
ヴィオレッタのパートを。
良子が最も得意としていた、椿姫を。
美しい歌声だ。誰が聞いても、それは分かる。力のある声だ。訴えかける声だ。感動を作る声だ。
「貴女を受け継いだ人が、あそこにいるぞ」
良子の肩にそっと手を置き、鉄騎は言った。
「素晴らしいじゃないか。藍子は、貴女の教えを受けて海外へ旅立つ。その時貴女の心と共に、前へ行けるのだから」
良子は、若々しいヴィオレッタの歌声を黙って聞いた。
「‥‥ほんと、素晴らしいわ。あの子、こんなに成長したのね」
頬を熱いものが伝うのが分かった。
何が悲しいのだろう?
いや、嬉しいのだ。良子は今、嬉しいのだ。
「『君は僕にとって、そよ風にも陽の光にもなり、すべての未来は微笑んでくれるだろう』‥‥誰かさんの台詞だな」
「『悩みの時をとりもどそう。私はまた元気になる』‥‥誰かさんの台詞ね」
「さあ、麗しのヴィオレッタよ。次のヴィオレッタに笑顔を!」
曲は終わり、聴衆から拍手が溢れる。
良子もまた、惜しみない拍手を送った。
ボランティア期間が終わり、いよいよお別れだというその場に、今回の協力者達も立ち会った。
「皆さん、来てくれてありがとうね。藍子の歌も聞けて、嬉しかったわ」
「元気になってくれて良かったよ」
瀬名はまるで自分のことのように喜んでいる。
「良子さんは、これからもずっとここに?」
「ええ、住みやすいホームなので気に入ってるのよ」
「あの、また来てもいいですか?」
アジが言った。
「歌を、教えて欲しいんだ、私にも」
「あ、アジさん、ぬけがけですわ。わたくしだって、オペラの大先輩に教わりたいことがいっぱいあります」
Chizuruだってそれは同じだ。
「だったら私も、また来ようかしらん」
「じゃあ僕も、また新ネタ持ってくるよ」
わいわいと、まるで皆で良子を取り合いするかのように騒ぐので、珍しくベクサーは笑ってしまった。
「良子さん、これじゃ引退できないね」
「まったくだわ、呑気な隠居生活をしようと思ったのに」
「人生はまだ長いってことだよ」