魔王がいるよアジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
江口梨奈
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芸能 |
1Lv以上
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獣人 |
フリー
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難度 |
普通
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報酬 |
1万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
07/19〜07/25
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●本文
「お父さん、あれ、なんの音?」
難病をかかえて入院していた次郎は、病室の窓の向こうから聞こえてくる不思議な音に気が付いた。
どれどれ、と父親が窓から顔を出す。よくよく聞いてみればそれは音ではなく、人間の声だった。
「これは‥‥たぶん発声練習かなにかだよ。ああ、あっちに川原が見える、きっとそこでやってんだろう」
父親の想像は当たっていた。姿は見えないが、どこかの学校の演劇部か、はたまた私設劇団か、ともあれ練習場のない彼らが広い川原を使って声を出していたのだ。まさかこんなに遠く離れた病院に声が届いているとは、彼らも気が付くまい。
「うるさいか? 閉めるか」
「ううん、いいよ」
長い入院で退屈だった次郎に、その新しい小さな事件は嬉しかった。
それからも時々、その声は聞こえた。
初めは単純な発声練習だったが、最近では芝居の台詞を言っているのも聞こえる。
おとうさん まおうがいる こわいよ
「ははあ、創作劇だな。ベースは『魔王』、と」
風に乗って流れてくる台詞を聞いて、父は笑った。確か学校の音楽鑑賞の時間に邦訳版を聞かされて、その滑稽さに笑った記憶がある、それを思い出していた。
「次郎もそのうち学校で、音楽の時間に聞かされるだろうね。あれはインパクトが強い、耳に残るぞ」
愉快そうに父は言う。
「今度の手術が上手くいったら退院だ、早く学校に戻ろうな」
そんな父の話を次郎は、上の空で聞いていた。
ぼうや よういはできている むすめと おどって あそびなよ
おとうさん そこに まおうのむすめが
次郎はどうしたわけか、元気がなかった。何かを恐れているようだった。その理由は、間もなく分かった。
「‥‥お父さん」
「どうした?」
「あの人たちを、魔王が連れて行っちゃった。次は僕の番だ」
「はあ?」
「あの人たちは魔王にさらわれそうになってたんだ。毎日毎日、『魔王が来る、怖いよ』って!」
「そりゃ、そういう歌詞なんだから‥‥」
「それがここ2.3日、全然聞こえない! とうとう連れて行かれちゃったんだ。次は僕の番なんだ!!」
息子は布団を頭まで被り、がたがたと震えだした。
おとうさん まおうがいま ぼうやをつれていく
長い入院生活で不安定になっていたのだろう、息子はオー・ヘンリーの短編よろしく、己が死ぬ順番が来たのだと思いこんでいる。
父親は川原へ行き、近所の住人などにも尋ねて例の演劇人たちを捜したが、手がかりは掴めない。もうどこかで公演を済ませてしまったのだろうか?
「あ、あの人たちは、ほら、雨で練習を休んでいるそうだよ!」
などと誤魔化してみるが、息子の反応は芳しくない。
次郎は体調が悪くなり、手術が来週に延期になった。次の予定までに回復しないと、手術は諦めることになる。
あの発声練習がまさか息子の命を握っていたなんて! どうにかして、もう一度あの練習風景を再現できないか‥‥父は片っ端から知人に声を掛けた。
●リプレイ本文
『あ、え、い、う、え、お、あ、お!』
病室の窓の向こうから、かすかな声が聞こえてきた。
「次郎! 次郎、聞こえるか? 発声練習だ、発声練習だぞ!!」
数日ぶりに聞こえてきた声。父親は興奮気味に、息子がかぶっていた布団をはぎ取る。
「だから父さん、言っただろう、雨で練習を休んでただけだって!」
次郎はそっと、上半身を起こした。
確かに聞こえる。
でも、あの人たちは魔王にさらわれたんじゃなかったっけ?
あの劇団員達が戻ってきた!
‥‥いや、実は、川原に集まり芝居の稽古をしているのは、父親が集めた人らであった。
彼らは父親から教えられた、それまでの稽古の内容を忠実に再現していたのだった。50音発声から、早口言葉、それから、歌劇『魔王』の一節を。
「歌詞を信じてるなんて、次郎クンってば、なんだか可愛い〜☆」
本人にとっては笑い事ではない、分かってはいるが姫乃 唯(fa1463)の口元はゆるんでしまう。
「無理もないて、あの歌詞は不気味ぢゃからのう」
西風(fa2467)が言う。
「不気味なものって、怖いのよね。あたしだって獅子舞が怖かった時期があったわ」
「天井の染みが顔に見えたりとかはどうぢゃ?」
「そうそう。大きくなると、怖がってたこと自体、くだらないって思えるんだけど‥‥次郎クンの歳なら、仕方ないか」
唯は忠実に、まずは本来の『魔王』の歌詞を発する。さらわれる、怖いよ、お父さん怖いよ‥‥おそらく数日前までなされていただろう練習内容と、同じ台詞を。
「病室まで、届いているでしょうか?」
Chizuru(fa1737)は父親に、この時間に部屋の窓を開けてもらうように頼んでおいた、その通りにしてくれているだろうか、それが心配だった。
「あっちの方角で合ってんのよね? ここからじゃ、土手が高くて見えないわ」
一通りの練習メニューを終えた凜音(fa0769)も、Chizuruと同じ方角を見る。土手の上に道が通っており、その向こうが病院だ。車通りはほとんど無く、天気は穏やかで、音を遮るものはない。あとは自分たちの声量が十分かどうか、である。集まったメンバーの大半は、本職の役者ではないのだから。
それにしても、ここでかつて練習をしていた劇団員というのは何者なのだろう? マイクも何も使わずに肉声だけをあんなに離れた病院まで届かせていたのだ、素人集団ではないだろう。シャルト・フォルネウス(fa1050)の興味は彼らに向けられていた。もし彼らを見つけられたら、次郎に会わせて「魔王にさらわれてなんかいない」と言わせるのも可能だ。
だが、彼らとて看板を掲げて練習していたわけでもない。近所の人も「どこかの役者さん」としか思っておらず、結局誰かは分からなかった。
「これはもう、あたし達がその、謎の劇団になれということなんだよ、きっと」
大道寺イザベラ(fa0330)は言った。
劇団の正体が分からない今、次郎の不安を取り除くのは自分たちの役目だ。どこまで出来るか分からないが、小さな友人のために心を込めて『謎の劇団員』になりきるつもりだ。
「じゃ、そろそろ本題に入るとするか」
Zebra(fa3503)は鞄の中から、あらかじめ作ってきた譜面を取りだした。
「作ったの? わざわざ!?」
驚く大空 小次郎(fa3928)。練習風景の再現だけでよかった今回の依頼、Zebraはここまで本格的にするとは!
「本当に歌う場面もやるのか? じゃあ俺、バックで踊ってもいいか?」
「いいとも、本番のつもりでな!」
練習風景‥‥いや、違う。
彼らがやろうとしているのは、本番。
彼らは次郎ただ一人に贈るためだけに、新しい『魔王』を今ここで上演するのだ。
おとうさん まおうがいる こわいよ
おとうさん そこに まおうのむすめが
おとうさん まおうがいま ぼうやをつれていく‥‥
これまで何度も聞かされた、あの悲鳴がまた聞こえてきた。
次郎の顔色が悪い。
確かに、連れ去られたあの人たちは戻ってきたかもしれない。けれど、魔王の影に怯え続けていることには変わりない。
繰り返し、悲鳴が聞こえる。
繰り返し、悲鳴が聞こえる。
繰り返し、悲鳴が‥‥。
『逃げなさい さあお父上 今のうちにぼうやを連れて』
「‥‥おや? 新しい登場人物だ」
父親は気が付いた。
もちろん、次郎も。
「あれは恐ろしい魔王です。すぐにぼうやを追って、ここまでやってきます」
ピンチを救った女性役はChizuru。歌劇はお手のもの、貫禄ある声で流暢に台詞を奏でる。
「おとうさん、こわいよ、こわいよ」
「どうすれば逃れられるんだ!」
原作に忠実に、父親に助けを求めるぼうやは唯が、魔王に怯え情けなく震える父親は西風が、それぞれ演じる。
「魔王の正体を明かせば、追い払うことができるのですが」
「正体を明かす? どうやって!」
「名前を言い当てるのです」
「名前だと? 千も万もある名から、たった一つを言い当てろというのか!」
父親は絶望する。しかし、厳しい恩人は父親の尻を叩く。
「さあ、魔王が来るまでに、捜しなさい、魔王の名を!」
これまでとは違う芝居に、次郎は困惑していた。
同時に、聞き入っていた。
どうなるのだろう? あの『おとうさん』と『ぼうや』は、これからどうなるのだろう?
西風おとうさんは、あてもなく森をさまよっている。こうしている間も、恩人にあずけた唯ぼうやの元へ魔王が迫っているかもしれない。一刻も早く、しかしどこへ? 気持は焦る、けれど出口など無い。
「鳥よ、魚よ、誰か魔王の名を教えてくれ!!」
心がささくれ立った父親の耳に、どこからともなく、なだめるかのような優しい歌声が聞こえてきた。
『宵闇に身を潜ませ、王よ、どこへ行くのです。
夜風に乗りて、おお、シャッテンよ、どこへ』
妖精役を買って出たのは凛音。歌詞を初めから考え、何度も練習した歌だ。間違うことは許されない。緊張するが、それで喉を塞いではいけない。病室にいる次郎にも聞こえるように、大きな声で、凛音は精一杯歌う。
「‥‥ああ、妖精の歌だ。妖精が歌っている」
身も心も疲れ果てた父親は、妖精の歌を子守歌にし、しばしの休息をとろうとした。
だが、眠気など吹っ飛んでしまった。
妖精の歌が、まだ続いたからだ。
『恐ろしき彼の王も、名を当てられたら影となる。
シャッテンの名の、示すままに』
シャッテン!
「シャッテンだよ、おとうさん!!」
窓枠から身を乗り出すようにしていた次郎は父親の方に振り返り叫んだ。
紅潮している。
「シャッテンだ、シャッテンだ!」
それからまた、窓の外を向いた。
さあ、魔王の名を知った父親は、次は息子の元へ戻らなければならない。
急げ急げ。魔王はもうすぐそこだ。
「よい子だ。私と共に行こう。娘達も待っている」
Zebraは魔王を演じてみせた。しゃがれ声を用いて、不気味に、いやらしく、恐ろしさを強調する。
「お父上、早くお戻り下さい! ぼうやが!」
まさに間一髪。父親は間に合った!
「魔王よ、いますぐここを立ち去れ!」
先ほどまで震えていた声とはうって変わって、力強く、勝利を確信した声。
「愚かな男よ、私に勝つつもりできたのか」
「そうとも。おまえは立ち去れ。これまでさらった全ての子を返し、おまえの城へ帰るがよい」
「こしゃくな。私に逆らうとは」
「もう一度言う。おまえの城へ帰れ‥‥」
父親はそこで、大きく息を吸った。
「おまえの城、シャッテンの城へ帰るのだ!!」
魔王シャッテンは悲鳴を上げた。
「な‥‥なぜだあああ!!!」
「おとうさん、魔王はどうなったの?」
次郎が聞く。
「おとーさん、魔王はどうなったの?」
ぼうやが聞く。
「あのおとうさんが、魔王を退治した」
次郎が言う。
「おとーさんが、魔王を退治した!」
ぼうやが言う。
魔王は消えた。もう二度と現れない。
数日後。
次郎の病室に、花束を抱えた見舞客が現れた。
「誰?」
「次郎君のお父さんの、友達ぢゃ」
と、西風は自分のことをそう説明した。
「顔色がいいわね、安心したわ」
Chizuruは胸をなで下ろした。
いよいよ明日は手術らしい。
「怖い?」
「ううん。大丈夫だよ。おとうさんもいるもん」
次郎の返事は、力強かった。