歌を忘れた小鳥アジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
初瀬川梟
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芸能 |
1Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
普通
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報酬 |
0.3万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
11/15〜11/19
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●本文
「そんなの聞いてないですっ!」
と大声を上げるのは、声優の白井ユキ。
これまでは当たり役もなく、モブや一発キャラに徹してきた彼女だが、アニメ『DU−EL』をきっかけに名前が売れ始めている。
それは喜ぶべきことのはずだった。が。
ひとつ誤算があった。
* * *
はっきり言って、ユキは音痴だった。
けれども、幼い頃はそれに気付いていなかった。幼児なんてまだ音程もしっかりしていないし、みんなで声を合わせて歌えば音痴が目立つこともない。
だから小学校に上がってからも、特に気にすることなく普通に歌っていたのだ。
けれども、音楽の授業で行なわれた歌のテストの時に悲劇は訪れた。
このテストは1人1人教室の前に出て、先生のピアノに合わせて歌うというものだったのだが‥‥ユキの独唱を聞いたクラスメートたちはクスクスと笑い始めた。
「ユキちゃんって音痴だったんだ」「すっごい下手くそ〜」「わざとじゃないよね?」
聞きたくないのに聞こえてくる嘲り。
さらには、ユキがこっそり想いを寄せていた男の子まで‥‥
「うわっ、最悪〜!」
‥‥などと言いながら、友達と一緒にゲラゲラ笑っている。
それ以来、ユキは歌が大嫌いになった。
* * *
そんなユキが『DU−EL』で演じるのは、主人公に敵対する組織の一員ミリィ。
主人公たちを陥れようと奮闘するものの、いつも肝心なところでドジを踏んでしまうという、憎めない悪役だ。
このミリィが意外に人気を集め、今度発売するキャラクターソング集にはミリィのソロ曲も入れよう!ということになったのである。
「頼むよ、ユキちゃん。ミリィの曲を入れれば、ファンもCD買ってくれるしさ。もうそのつもりで曲も製作に入ってるし‥‥」
「そ、そんなこと言われても‥‥歌だけはどうしても嫌なんです!」
単に音痴というだけなら、今は技術でなんとか誤魔化すこともできる。
しかし、ユキの心にはトラウマがあった。下手な歌声を披露するのも恥ずかしいけれど、それ以上に、笑いものにされてしまったあの時の恐怖と悔しさをもう二度と味わいたくないのだ。
果たしてユキは過去を振り切って、無事に歌を収録することができるのだろうか?
●リプレイ本文
笹木詠子(fa0921)はCD製作担当者にアポを取り、ついでに小鳥遊つばさ(fa0394)もそれに同行し、ユキが担当する曲について話し合うことにした。
ユキを説得するために呼んだ人材なのだと番組関係者から説明され、プロデューサーは「こんな小さな子が?」と言わんばかりの表情でつばさを見ている。しかしアニメソング歌手である詠子のことは聞き知っていたので、彼女の同行者ということで、いちおう納得したようだった。
「いきなりソロだとユキさんも緊張してしまうと思うから、まずはメインキャラクター全員で歌うような曲にしてみてはどうでしょう? それに慣れて自信がつけば、いずれ1人でも歌えるようになると思いますよ」
「しかし新規曲となると、楽曲製作者にも負担がかかりますし‥‥白井さん以外のメンバーにも協力してもらわなきゃならないから、難しいですよ」
2人の話を横で聞いていたつばさは、幼いながらも必死な様子で訴える。
「お願いします。ユキお姉さんは、上手に歌えなくて笑われるのが怖いの。だから、むずかしいお歌じゃなくて、ちょっとでも簡単に歌えるお歌にして下さい。あたしも『DU−EL』をいつも見ていて、ミリィが大好だから、あたしたちも一緒に歌えるような歌いやすい曲だと嬉しいです」
何度も何度も頭を下げるつばさに根負けして、プロデューサーはついにこう言った。
「歌いやすい曲ということに関しては検討してみましょう。あまり複雑なメロディにならないよう、作曲の方にも頼んでおきます。キャラの集合曲についても案は出してみますね」
その言葉を聞いて、つばさの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます! ファンのみんなが喜んでくれたら、きっとユキさんも歌を好きになってくれると思います」
篠田裕貴(fa0441)たちは、収録を終えて休憩中のユキの元を訪れた。ユキのほうは「歌の指導をしてくれる人を紹介する」と聞かされており、申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げる。
「わざわざ足を運んで頂いて、ごめんなさい‥‥ご迷惑をおかけします」
「まずはこれでも食べて、少し話をしようか」
裕貴が手作りシフォンケーキを箱から出すと、スイーツが大好きなユキは――ついでに、一緒についてきたつばさも――瞳を輝かせた。
「これ、手作りなんですか? 凄い!」
「そう言ってもらえると作った甲斐があるな」
「紅茶はお好き? 宜しかったらこれもどうぞ」
谷渡初音(fa1628)は少し値の張るダージリンの茶葉を差し入れ、ユキは早速それを使ってお茶を煎れ始めた。同じく初音が持参した花梨ジャムは、ホイップクリームと共にシフォンケーキに添えられる。そのケーキをつつきながら、最初に話を切り出したのは時雨・奏(fa1423)だった。
「歌は嫌や言うてるそうやけど、何か問題があるなら言うてみ。仕事として進んでいる以上、理由も分からんと向こうも引き下がれへん」
「理由、ですか‥‥」
「単に『嫌やから』なんてのは通用せんで。周りからは下らんことでも、自分としては大事なわけあるんやろ?」
奏の言葉が正しいと分かっているから、ユキは複雑な表情で俯く。
そう、これはビジネスの話。いつまでも我侭を押し通すわけには行かない。でも、そう簡単には吹っ切れないからこそ、こうして皆に来てもらうことになったわけだが‥‥
「ファンは大切なお給料やお小遣いで貴女の歌を『買う』わ。それは貴女の人生で、取るに足りない事なのかしら?」
「そ、そんなこと思ってません!」
初音の言葉に、項垂れていたユキが慌てて顔を上げる。そして躊躇いながらも、恥ずかしそうに話し始めた。
「‥‥私、すごく音痴なんです。それをみんなに笑われるのが怖くて‥‥」
「へえ‥‥実は俺も音痴なんだよ。周りからは散々言われたけど、俺は歌が好きだから何を言われても平気だったな。君の場合はもしかして、好きだった人にスバリ言われた‥‥とか?」
「!」
志羽翔流(fa0422)の予想が核心を突いていたので、ユキは耳まで真っ赤になって、また俯いてしまった。
「あ、ごめん! これは言わないほうが良かったかな」
「いえ、あの‥‥ごめんなさい‥‥」
忘れたくても忘れられない傷を思い出してしまい、ユキは少なからず動揺している様子。そんな彼女をいたわるように、アジ・テネブラ(fa0160)はユキの肩にそっと手を置いた。
「嫌な事をやるのは‥‥誰だって楽じゃない‥‥、私もそれは嫌‥‥」
労いの言葉と視線。
しかし、単に同情するだけでは前には進めない。だからこそアジは、同時に叱咤の言葉もかける。
「‥‥でも、いつまで引きずるの‥‥? 今のユキさんは声優として、自分の夢を掴み始めているんでしょ‥‥今なら、乗り越えられるんじゃないかな‥‥?」
アジの神秘的な瞳にじっと見つめられ、戸惑うユキ。
もしかしたら何だかんだと理由をつけて、ただ逃げていただけだったのだろうか。それを見透かされたような気持ちになってしまって、居心地悪そうに視線を逸らす。
こうして話しているだけより、実際に歌に触れてもらったほうがいいかもしれない‥‥そう考え、初音はこう提案する。
「これから篠田さんたちとボイストレーニングを行なう予定なの。見学だけでも構わないから、ユキさんも一緒にどうかしら?」
ユキはにはまだ迷いがあるようだが、それでも心の奥底には「このままではいけない」という想いもあったのだろう。初音の誘いに乗って、レッスンの様子を見学することに決めたのだった。
初音が行なう本格的なレッスンを、ユキは最初、ただ黙って脇で眺めていた。つばさはその横で、元気よく歌を口ずさんでいる。子供の頃に誰もが口にするような懐かしい童謡。特に上手というわけではないが、その声はとても明るくて、なんだか聴いているほうまで楽しい気分になってしまう。
それを聴きながら、九条柚月(fa0689)はぽつりぽつりと話し始めた。
「私が歌手になったのは、ユキさんとは逆で、小さい頃に『お歌が上手ね』と褒められたからなんですが‥‥でも後で聞いたら、私、音程はそれほど素晴らしいものではなかったらしくて。ただ一生懸命に、楽しそうに歌っていたから、上手に聞こえたんだそうです」
思わず、ユキの視線がつばさに移った。
柚月の話は、まさに今のつばさの姿と重なる。ずば抜けた技術があるわけでも、人並み外れた美声を持っているわけでもない。それでも、聴いていてほんわかと心が温まるのは、つばさが本当に楽しそうに歌っているから。
「どんなに上手な歌でも、心がこもっていなければ、聴く人の胸には響かないと思います。逆に聴いてくれる人たちのために、自分自身が楽しみながら一生懸命歌えば、その気持ちはきっと届くのではないでしょうか」
それは歌だけでなく演技も同じなのだと、ユキは思い当たる。
どんなに体裁だけ整えても、心のない演技は薄っぺらいだけで、キャラクターの感情は少しも伝わってこない。
「‥‥そっか、同じなんだ‥‥」
憑き物が落ちたかのような表情で呟くユキに、翔流とつばさもそれぞれ声を掛ける。
「君にはファンがいるだろう。その人たちのために歌うんだって考えれば、できないか?」
「あたしは上手に歌えないけど、歌うと楽しくなるよ。ミリィのお歌をいっしょにうたいたいな」
その言葉に励まされ、ユキの顔にほんの少し笑顔が戻る。
「上手に歌うのは無理でも、楽しんで歌うことなら‥‥できるかも‥‥」
ようやく最初の一歩を踏み出そうとするユキの背をそっと押すように、アジは自らの境遇について語った。
「私には過去の記憶がない‥‥。想像すればするほど、怖いものしか出てこないけど‥‥それでも、過去を知ることは、私自身を知ることだから‥‥どんなに哀しい事でも、これだけは逃げちゃいけない‥‥」
その言葉には計り知れない重みがある。
恐らくは、ユキが抱えているものとは比べ物にならない恐怖や絶望‥‥それなのに、それと向き合おうとしているアジの姿を見て、ユキは己を恥じた。
「‥‥そうね、自分から逃げちゃいけない‥‥そしたら、もう何も残らないもの」
この時、ユキはようやく決意した。
自分自身から目を逸らさず、ちゃんと向き合うことを。
それからユキは初音の指導の元、まずは基本的なトレーニングを始めた。
「わ、笑わないで下さいねっ!」
「大丈夫、誰もあなたを笑ったりしないわ」
「練習は嘘をつかない。努力すればした分だけ自分に還ってくるよ。俺もみっちり付き合うから」
詠子と裕貴に励まされ、最初はおっかなびっくりといった感じで発声。
「そんなに固くならないで。身体と喉の力を抜いて、のびのび歌うといいよ」
という裕貴のアドバイスを受けて、少しずつ声を出せるよう練習する。やはりまだ人前で歌うことには抵抗があるらしく、声も震えていたが、これはもう慣れてもらうしかない。
とにかく練習を重ね、どうにか恥ずかしがらずに歌えるようになったら、今度は本格的な特訓の始まりだ。奏がユキの歌を実際に収録してみて、音程がどのようにズレているのかをきっちりチェック。一箇所ずつ根気よく直していく。
「‥‥やっぱり下手、ですよね‥‥私」
次々とズレを指摘されて、改めて落ち込むユキ。また自信を失ってしまいそうになるが、
「歌だってお芝居と同じよ。いつもと同じように演じればいいの。‥‥それとも『ミリィ』を放棄して逃げる?」
と詠子から厳しい言葉をかけられ、何とか自らを奮い立たせる。
ただ練習するだけでなく、休憩時間にはみんなで「ずいずいずっころばし」や「アルプス一万尺」など、歌いながらできる手遊びをした。これなら上手く歌うことなど考えず、楽しみながら歌に親しむことができる。
さすがに一朝一夕で見違えるほど上手くはならないが、前向きに頑張ろうという気になっただけでも大きな前進だ。
「最初から完璧なもんなんてあらへん。どんなプロでもな、何度も何度も手直しして、自分の歌を世の中に届けるんやで。せやから恥ずかしがらんと、下手なとこはどんどん直していけばええ」
大事なのは、自分としっかり向き合うこと。
それが分かった今ならば、たとえほんの少しずつでも、着実に前に進んでいけるだろう。
――その後、8人の元にユキから『DU−EL』のCDが送られてくるのは、もう少し先の話である。