武救外伝 壁の外の犬達アジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
柏木雄馬
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芸能 |
3Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
普通
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報酬 |
7.9万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
05/12〜05/16
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●本文
──20XX年。新型爆弾に汚染され、『長城』により閉鎖された旧トウキョウ地区。
隔離された内部には、新型爆弾の影響で異形の姿になった人々が見捨てられていた。
各地にキャンプを作り、身を寄せ合って暮らす異形の人々。
そんな彼等を救うべく設立された民間の武装救急団体──
『武装救急隊』は、そんな世界を舞台にしたドラマです。
今回の『壁の外の犬たち』は、同一世界観を用いた外伝で、『長城』の外のお話となります。
●
その『マルタイ』が暮らすアパートメントの一室は、男の一人暮らしにしては片付いているようだった。
特に変わった様子はない。平凡な独身男性サラリーマンの、平凡な生活環境。
小さなテーブルの脇に正座して待ちながら、さりげなく部屋中に観察の視線を飛ばしていたその『雑誌記者』は、『マルタイ』が台所から戻ってくる気配を察して、その鋭い視線を引っ込めた。
「今年も春先から蒸し暑いですねぇ。毎年、こんな陽気じゃ『外回り』の記者さんも大変でしょう?」
人の良さそうな笑みを浮かべながら、『記者』に氷入りの麦茶を差し出す『マルタイ』。『記者』はありがたく受け取りつつも、口を付けず、すぐに本題に入った。ボイスレコーダーは、最初から回してあった。
『マルタイ』がスッと目を細める。まだ若い『記者』は気づかなかった。
「あの『始まりの日』についての特集ですか。あまり私にお話できることはないと思いますが。なにせ、トウキョウの本社に出張していただけですから‥‥ええ、その『爆発』なら見ましたよ。なにがなんだか分からなかったですけど、茜空に白くキラキラと輝いて‥‥随分と美しかった事を覚えています‥‥」
‥‥‥‥‥‥‥‥
30分もしない内に、『取材』は終わった。
部屋を辞した若い『記者』は、夕陽に染まるアパートの階段を下りながら、記者という仮の身分を脱ぎ捨てた。
「‥‥今、部屋を出ました。『マルタイ』を『潜在的な感染者』と確認。確保願います」
襟元に仕込んだマイクに向かって『記者』が小声で囁くと、アパートの周囲にとまった車の中から、背広姿の男たちが三々五々と降りてきた。皆、背広の左胸の部分が微かだが不自然に盛り上がっている。男たちは、さりげなくそのアパートを取り囲むと、淡々とした様子で『マルタイ』の部屋の扉をノックした。
返事はなかった。『記者』が部屋を出てから5分と経っていない。だが、彼等が室内に踏み込んだ時、既に『マルタイ』と呼称された男の姿は消えていた。
日の落ちた夜の繁華街。狭く、暗い、その裏通り。
繰り出した掌底にぐしゃりと鼻が潰れる嫌な感触が伝わってきて、『若手』は不快そうに眉を顰めた。
だが、それもこれで終わりだ。地面にはチンピラ然とした男たちが3人ほど倒れており、それで、女性を無理矢理に暗がりへ引っ張り込もうとした輩は全部だった。
『若手』は、背後で腰砕けになっているOL風の若い女に、安心させるように手を差し伸べた。女が安堵の表情を浮かべ感謝の言葉を言おうとし‥‥それが、警告の言葉に変わる。チンピラの一人が、鬼のような形相で『光物』を出しながら立ち上がっていた。
『若手』は、それを鼻で笑い飛ばした。
「ふん。そんなもんでビビるとでも思ったか? 武装救急隊をナメんなよ」
その言葉を聞いた瞬間、殺気に満ちていたチンピラたちが何か汚いモノでも見たかのような表情で、そそくさとその場から立ち去ってしまった。拍子抜けをした『若手』がきょとんとした顔で振り返ると、助けたはずの女まで、怯えたように息を呑み、脱げたハイヒールもそのままに走り去っていく。
「‥‥なんだよ、あれ」
『若手』は、呆然と立ち尽くした。
「『長城』の外の人間はな、トウキョウに出入りするような奴等から、何か伝染(うつ)されやしないか心配なのさ。『壁の中』に対する外の人間の反応なんて、あんなもんだ」
喧嘩には加わらず、『若手』の活躍を少し離れた場所から観戦していた同じ武装救急隊の『ベテラン』が、戻ってくるなりそう言った。
「美談やら何やらで、閉鎖区域トウキョウを支援するNGOへの寄付は増えたが、それはあくまで他人事としての話だ。直接、係わり合いになるのは御免被る、といったところだろうよ」
シニカルに、自嘲するように呟く『ベテラン』。『若手』は、『長城』域内で必死に生きる人々を思い起こし、憮然とした。
「‥‥で、折角の休暇潰してまで俺を引っ張り出したのは何でです? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」
怪訝な顔をする『若手』に、『ベテラン』は、『人間狩り』を知っているか、と尋ねた。
「連邦捜査局内に、俗に『感染者狩り』と呼ばれる部局がある。『長城』の外に暮らす『潜在的な感染者』と呼ばれる人たち──『始まりの日』に‥‥あの忌々しい閃光が煌いた日に、出張や旅行などで一時的にトウキョウにいて、閉鎖前に外に戻った人たちを、秘密裏に探し出し、隔離し、『長城』内に送り込む連中だ。
その連中が、先日、ある一人の『潜在的な感染者』の確保に失敗した。その『感染者』は今も逃亡中だが‥‥連中は事が公になるのを恐れ、秘密裏に『処理』しようとするかもしれない。出来得る事なら、助けてやりたい」
俺一人の手には余るかもしれないからな、と呟く『ベテラン』。
それが何に対してなのか、『若手』には分からなかった。
●出演者募集
以上が、ドラマ『武装救急隊外伝 壁の外の犬たち』の冒頭部分になります。
このドラマの制作に当たり、出演者を募集します。
PL(プレイヤー)のプレイングとそれに対する判定がドラマの脚本となり、
PC(キャラクター)がそれを演じることになります。
オープニングと設定を使って、ドラマを完成させてください。
皆で協力して、ドラマを作り上げる事が目的です。
●設定
1.武装救急隊
隔離された旧トウキョウ地区に取り残された人々を救済する為に結成されたNGO。
その医療・救急部門が『武装救急隊』。物資の輸送や、『発病者』の搬送を任務とする。
『若手』と『ベテラン』はここに所属。今回は休暇中。
2.クリーチャー
新型爆弾の影響で発生した生物兵器的モンスター。
既存の生物を戦闘に特化した存在で、人間も『発病』するとクリーチャーになる。
人間型クリーチャーは、完全獣化状態で表現。
3.新型爆弾
現実にはありえない不思議爆弾。
劇中でこの新型爆弾について語られる事はありません。
4.マルタイ
警察用語で、捜査や護衛の対象を指す隠語。
潜在的な『感染者』であり、逃亡中。『ベテラン』とはかつての知り合い。
5.『感染者狩り』
本文参照。
外的には存在しない機関で、『感染者』がトウキョウ外にも存在する事実を隠蔽する事を目的とする。
捜査官は、いつ発病するか分からない『感染者』と対する為、大型拳銃やPDW(個人防御火器)で武装。
●リプレイ本文
「『セッター』、『ポインター』は引き続き周辺の探索。『コリー』と『シェパード』を応援にやる。『マルタイ』の足取りを追え。
機動車で待機中の『ハウンド』と『レトリバー』。『マルタイ』が接触する可能性がある人物を資料から洗い出せ。張り付いて離れるな」
『マルタイ』のアパート近くの駐車場。大型バンを改造した指揮車の中。
『マルタイ』の逃亡を受け、黒髪の凛とした若い女性が無線機で各捜査員に指示を出していく。その声に慌てた様子はない。だが、その表情には鬼気迫るものが浮かんでいた。
(「もし『マルタイ』が街中で『発病』したりしたら‥‥!」)
連邦捜査局第零室、通称『ゼロシツ』の捜査官『テリア』(役:霞 燐(fa0918))が唇を噛む。本当ならすぐにでも所轄を動員して非常線を張りたいところだったが、『ゼロシツ』は、あくまでも公的には存在しない『汚れ役』だ。
指揮車に同乗していた一人の中年男が立ち上がった。櫛も通さぬボサボサの髪に、今時それはないだろう、というようなヨレヨレのトレンチコート。一見、うだつの上がらぬその男こそ、『ゼロシツ』実働隊の長、『シバ』(役:片倉 神無(fa3678))だった。
「隊長、どちらへ?」
慌てて‥‥というより、怯えた子犬のような目で立ち上がる『テリア』。自分の指揮に手抜かりでもあったかと慌てる『テリア』に、『シバ』は静かに首を振った。
「指揮はあれでいい。いや、いつもの如く人手が足りないからな。所在の判明している関係者でも張り込もうかと」
手にした資料をヒラヒラと振り、やはり俺には現場の方が合っている、とうそぶく『シバ』。ここの指揮はどうするんです、という『テリア』の問いに、任せる、とだけ答えて車を降りる。
バンの中から『テリア』の文句が聞こえてくる。『シバ』は嬉しそうに煙草を取り出し──『テリア』は、とにかく近くで煙草を吸われるのを嫌がった──歩きながらそれに火をつける。
すっかり日の落ちた住宅街。闇の中、浮かび上がった『シバ』の表情は、何かを思いつめるように厳しかった。
蛇の道は蛇。
かつての同僚が置かれた状況を知った武装救急隊員、水上隆彦(役:水沢 鷹弘(fa3831))は、長期休暇を利用して『長城』外へとやって来ていた。
盛り場の情報収集を終え、安宿に一泊した水上は、若手の一人、天城 静真(役:天城 静真(fa2807))と共に、早朝の繁華街を駅へと向かっていた。
「それにしても、その『ゼロシツ』ってのを出し抜くなんて、水上さんの知り合いも大したもんですねぇ‥‥だから、ヤバイんでしょうけど」
人気の無い、ゴミだらけの道を歩きながら天城が言う。
「そうだな。奴はナラシノ時代の同僚でな。大人しく捕まってくれれば良かったんだが‥‥もう連中も手加減できまい」
「げ。ナラシノって‥‥まさかSOF出身ですか。道理で‥‥って、水上さんも?」
目を見張り、口笛を吹く天城。水上は特にてらった風もなく、俺の事はいい、と肩を竦めた。
「で、行き先とか立ち寄りそうな場所なんかに心当たりでも?」
「いくつか当てがある。とりあえず、一番有力そうな所にはあの二人を送ってある」
さすが、と頷く天城。感心したような表情は、しかし、すぐに苦笑に変わった。
「でも、あの二人で大丈夫っすかね? いや、気のいい連中ですよ? でも‥‥」
「‥‥いや、まあ、大丈夫だろう」
信頼しているからこそ連れてきたのだ。だが、その水上の返事には、少しばかりの間があった。
「一体、なんなのよ、貴方たち‥‥! さっきから父さんの事を根掘り葉掘り‥‥何も知らないわよ。もう何年も会ってないんだから!」
『マルタイ』の一人娘だというその赤毛をポニーテールにした可愛らしい娘さん(吾妻美月役:響 愛華(fa3853))は、甲斐(役:かいる(fa0126))とソル(役:ゼクスト・リヴァン(fa1522))の目の前で、玄関の引き戸をピシャリと閉めた。ガチャリ、と音も高らかに錠が下りる。
郊外の地方都市。今時珍しい純和風な住宅の玄関先。
そこにポツリと取り残された二人組は、所在無さげに顔を見合わせた。
「‥‥どうします、甲斐さん」
「‥‥どうするって、どうしようもないだろう」
溜め息をつき、トボトボと車へ戻る甲斐とソル。『感染者』やら『ゼロシツ』やら、色々と話す事が出来れば話は早いのだろうが、それをすれば娘を『あからさまに』巻き込む事になる。
「それにしても、気の強い娘さんだったな。取り付くシマも無い。昔の俺なら造作なく説得できただろうが‥‥
ん? 昔の俺はモテたんだぞ? 長身で精悍な二枚目で、ご近所でも評判の‥‥」
コンビニで買ったパンとコーヒーを頬張りながら語り続ける甲斐。その横でソルはこっくり、こっくりと舟を漕いでいた。休暇中を突然呼び出されたソルは、夜更かしが祟ってひどく寝不足だった。
父を詮索する怪しげな二人組は、近くに止めてある車に戻り、そのまま監視するように居座った。
美月は忌々しげにカーテンを閉めると、ベッドの上にその身を投げ出し、むしゃくしゃとしながら天井を見つめた。
「なんだってのよ、今更‥‥」
父が何かの事件に巻き込まれた事は容易に想像がついた。だが、今の自分には関係の無い事だ。
父がこの家を出ていって、もう何年になるだろう。
母は「みんな戦争が悪いのよ」と寂しげに首を振るだけだった。統一戦争に出征した父は、恐らくそこで自分には想像も出来ないような地獄を見たのだろう。だからといって、母と自分を捨てた父を許す気にはなれなかった。
最後に会ったのは、母の葬式の時だった。何年かぶりの再会は、一言の会話も無く、ただ睨み合うだけで‥‥
ふと、美月の視線がカレンダーを捉えた。
「もしかして‥‥」
美月はベッドから勢い良く飛び起きると、クローゼットからおろしたてのスニーカーと動きやすい服を取り出した。
「急げばまだいるかもしれない‥‥!」
焦ったように呟きながら、美月は時間を惜しむように着替え始めた。
娘の家に、背広を着た二人組が訪れた。
男たちは呼び鈴を押し、返事がないと見るや玄関先にしゃがみ込み、鍵を開けて中へと進入していった。
「おいおいおい‥‥マジかよ、そこまでやんのか? 洒落になんねぇぞ」
甲斐はゴミや食料を全て後部座席に押しやると、横で熟睡するソルを叩き起こした。何事ーっ?! と飛び起きて頭をぶつけるソルに状況を説明する。
「思った以上に『何でもあり』な連中だ。もし連中に捕まるような事があったら‥‥いいか、身分を明かし、絶対に逆らうな」
車を出せ、と言う甲斐。ソルは思わず振り返る。
「娘を助けないのか!?」
「違う。娘が姿を消したから連中は踏み込んだんだ。家捜しで何かしらの情報を得る為にな」
だが、ソルが車を出す前に、横合いの道から飛び出した車が急停車して針路を塞いだ。勿論、後ろにも逃げ場は無かった。
背広姿の男たちがわらわらと寄ってくる。面倒な事になったなぁ、と甲斐は小さく呟いた。
そこは海に臨んだ見晴らしのいい小高い丘の斜面に造成された墓地だった。
まだ朝も早く、静謐な空気が辺りを包んでいる。その墓の一つの前に、シャツにスラックス姿の『マルタイ』こと吾妻辰也(役:烈飛龍(fa0225))の姿があった。
しばし無言で正対する吾妻。やがて、萎れた花を取り替えると、墓石に水をかけ、黙々と布で磨き始めた。
掃除を終え、線香を上げ、両手を合わせて瞑目し‥‥いつしか、傾いた太陽が周囲をオレンジ色に染め上げていた。
「やはり、ここにいたか、吾妻」
水上の声に目を開ける吾妻。特に驚いた風も無く、静かに首を回らせる。
「水上‥‥」
「今日は、奥さんの命日だっだな」
気安い様子で歩み寄り、しゃがんで墓に手を合わせる水上。吾妻は小さく頭を下げた。
「奥さん、こいつは除隊してからも俺に迷惑を掛けやがる。相変わらずのバカ野郎です」
ちゃかしたように墓前に報告する水上に、吾妻がよく言うぜ、と苦笑する。
立ち上がった水上は、既に真面目な顔をしていた。
「吾妻。俺は今、武装救急隊にいる。‥‥言いたい事は分かるな?」
それは、『感染者』である吾妻をトウキョウに連れて行くという事だった。
「皆、それぞれに一生懸命生きている。このまま逃げ回って追っ手の影に怯えて暮らすよりも、ずっと人間らしい生活が出来ると思う」
俺も出来るだけの事をする、という水上に、吾妻は小さく首を振った。
「分かっている‥‥だが、最後に、一目だけでもいい。娘に会わせてくれないか」
ここに来るのか、との問いに、そのはずだ、と答える吾妻。ならば待とう、と事も無げに言う水上に、吾妻はすまん、と頭を下げた。
そこへ、待機していたはずの天城が走ってくる。
「水上さん。なんかきな臭くなってきている‥‥」
その言葉が終わるやいなや、背広姿の男たちがあちこちから現れる。
スーツ姿の『テリア』が正面からやって来る。そこへ水上が立ちはだかった。
「俺たちは武装救急隊だ。こいつは俺たちが責任をもってトウキョウへ連れて行く。それでいいだろう?」
「そこをどけ。これ以上、『それ』を野放しには出来ない。邪魔をするというのなら‥‥容赦はしない」
水上に大型拳銃を向ける『テリア』。容赦のない殺気に水上が息を呑んだ。
「撃てるのかよ。無抵抗の人間を」
「撃てるさ。そいつらは人じゃない。化け物だ」
天城の言葉に、間髪入れずに答える『テリア』。脳裏に、昔の光景が蘇る。
夕陽の差し込む団地の一室。酒を飲んでは暴れる父親。殴られ、引きずり回される母と、自分を庇う兄。やがて、父親は文字通り咆哮する獣と化し‥‥赤く、赤く、ただ一色の‥‥
ぽん、と頭上に置かれた大きな手。慌ててそれを振り払おうとした『テリア』は、そこに見知った顔を見かけて息を吐いた。
「『シバ』隊長‥‥」
「目的を履き違えるなよ、『テリア』。俺たち『ゼロシツ』の目的は『感染者』の追放だ。殲滅じゃない。彼等が代わりに連れて行くというのなら、それでいい」
「‥‥それが隊長の命令ならば」
力なく肩を落とす『テリア』の背をポンと叩き、捜査員たちに撤収を命令する。
わらわらと撤収していく『ゼロシツ』。戻りかけた『シバ』が、ふと足を止めた。
「ひとつ、言い訳位はさせて貰おうか。このまま憎まれ役というのも癪だしな。
この大口径の銃‥‥見て分かる通り、人を撃つには過ぎた代物だ。だが、俺たちはそれを使用しなきゃならなかった事は何度かある」
目を瞑り、思い出す。夕陽の差し込む団地の一室。暴れまわるクリーチャー。血塗れの室内。気がつけば弾倉は空だった。ただ一人助かった少女が無機的な目で『シバ』を見返し‥‥
『シバ』は、ひとつ溜め息を吐くと、皮肉気に笑い、首を静かに横に振った。
「眠たい事を言うつもりは無いけどな。俺たちは結局、『綺麗な壁の外』における必要悪なんだよ」
天城はムスッとした顔で顔を逸らした。
「それ分かるさ。発症なんざ嫌って程見ているからな。だが、なんでもかんでも『長城』に押し込めようとする考え方には納得がいかねぇな」
若い天城の言葉に、『シバ』は同感だ、と呟いた。
「お父さん‥‥っ!」
墓前に、美月がやって来たのはそれからすぐの事だった。
駅から走ってきたのだろう。息を荒げ、髪の毛はぼさぼさで、汗であちこちに張り付いていた。
周囲には吾妻ただ一人。美月は父親に走り寄り‥‥その直前で足を止めた。
無言で視線を交し合う親子。
やがて、吾妻は無言のまま踵を返し、思わずその背に取り縋ろうとして、美月はそれをグッと堪えた。
「お父さんが毎年、お墓参りに来てるの、私、分かっていたから‥‥っ!」
伝えられたのはその一言だけ。
振り返った吾妻の顔は、この上なく安らかだった。
今にも泣き出しそうな美月に向かって大きく一つ頷き、吾妻が墓地を後にする。
夕闇迫る母の墓前。少女の嗚咽だけがそこに残った。
「あれで、良かったのか?」
言葉も交わさずに分かれた吾妻に尋ねる水上。吾妻は静かに笑うと首を振った。
「化け物になる前に、自分の娘の姿を見れただけで十分だ」
バカを言うな、と怒る水上。トウキョウには研究機関もあるから、もしかしたら治療法だって見つかるかもしれない。
気休めだと言う事は、水上自身が良く知っていた。そんな水上の気遣いに、吾妻は小さく笑ってみせた。
「そうだな‥‥だが、水上。もし、俺が発症しても‥‥その事は、決して娘には知らせないでくれ」
「吾妻‥‥」
水上には、かける言葉を見つける事が出来なかった。
休暇は終わり、やがて、武装救急隊の日常が戻ってくる。
解放された甲斐、ソルが忙しく走り回る中、救急車に向かいながら水上は呟いた。
「人間一人に出来る事なんて、たかが知れているんだよな」
結局、自分がやった事は『ゼロシツ』の連中がしている事と大差ない。『長城』は厳然として存在し、『感染者』が人間らしく生きられるのは、その『壁』の中にしかない‥‥
「何言っているんですか。娘さんと会わせられたのは、あの場にいたのが『ゼロシツ』だからでなく、俺たちだったからですよ。‥‥ま、俺たち、何もしてませんけど」
天城が言う。
「それに、いつも水上さん、言ってるじゃないですか。結局、人は自分に出来る事をするしかない、って。俺たちは俺たちの精一杯をやった。それでいいんです」
「言いやがる」
若い後輩の台詞に苦笑する水上。仰ぎ見た青空は、常と変わらず高かった。