クルトの戦記 王宮編アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 柏木雄馬
芸能 3Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 普通
報酬 7.9万円
参加人数 8人
サポート 1人
期間 06/13〜06/17

●本文

 『山の民』クルトなる者、反逆者、アリアス公リュースが姫、クラリッサを逃亡せしめる──
 それがソルメニア王国の公文書に私の名が載った最初の一文であった。
 無論、当時の私は知るはずも無く、ただ、連れ去られたシンを──シンシア王女を自由にする事しか考えていなかった。
 だが、悠久の山々とは異なり、『平原』では刻一刻と状況が変化する。
 山出しでまだ若かった自分には、結局、それが分かっていなかった。

                          ──老クルト・エルスハイム、自らの人生を振り返りて記す──

 そもソルメニアは北の大河ソルメ沿岸に点在する都市国家の一つに過ぎなかった。
 30年前、北方の大国『カダフ』が侵攻してきた際、都市国家連合軍を率いてこれを撃退したのが当時、小国の王太子であったライナス──後の『剣王』であった。
 齢30を前にしてカダフの大軍を退けた『剣王』は、都市連合を纏め上げて『ソルメニア』を建国すると電光石火、南方へと侵攻した。当時の中原は無数の群雄が割拠して覇を競う戦乱の大地であったが、『剣王』は僅か10年足らずでその悉くを平らげた。
 やがて、最後の抵抗勢力である南方同盟をリアサンティス野の決戦で破った『剣王』は、遂にカダフへと逆侵攻。国境付近の城や砦を焼き払い、迎撃に出た中央軍を殲滅してカダフ王を討ち取ると、その手にした領土の悉くを打ち捨てて平原へと凱旋した。
 歓呼で迎える臣民たち。中原を統一し、大国カダフの脅威を除いた偉大なる『剣王』──その半生は栄光に満ちていた。

「よい。全て宰相に一任する」
 いつもと同じ台詞を残し、『剣王』は玉座から立ち上がった。
 齢60を過ぎてもなお、その背筋は曲がることはなく。しかし、その瞳に意思の光はなく、人形のようにぎこちない。
 それは常に繰り返される光景。臣下たちは退出する王に無言で頭を下げ‥‥やがて、上座──玉座を背にした議長席──に向かう宰相を苦々しく睨みつける。
 かの『剣王』を文字通り傀儡にし、王国の権勢を一手にする宰相イグニス。大魔術師の証である古木の杖を持ち、飾り気のない漆黒のローブに身を包む大男。皺を刻んだ顔は歳を経てもなお怜悧。引き締まった口元に感情は見られない。
「報告を」
 水を打ったように静かな室内に、宰相の言葉が落ちる。老臣たちが不機嫌な顔を並べる中、若い廷臣たちが次々に国内外の情勢を読み上げていく。
「カダフの内戦は王太子が勝利しました。かの国は急速に一つに纏まりつつあります。今後、一層の注意を‥‥」
「海向こうのクロエシアン教主国が我が国との通商を求めております。かの国は侵略の前段階として国教の浸透を‥‥」
「アリアスの叛乱を鎮圧した第三軍と第四軍が帰還しました。損害は軽微、ただし、軽騎兵隊の損害が突出しており‥‥」
「イストリアから引き渡される予定であったアリアス姫クラリッサが、クルトなる『山の民』に浚われたという報告が‥‥」
 全ての報告に対し、即決できるものには指示を出し、調整のいるものについては保留する。今日も宰相一人で『会議』は進んでいった。
「皆様方には、何か異論がありや?」
 宰相の問い。沈黙。常通りに会議が終わった。
 三々五々散っていく臣下たち。やがて、室内には宰相と、30代半ばを過ぎた位の優男風の男が残った。
「‥‥たしか、アリアス姫の一件は貴公に任せたな、ランベルグ伯オーギュスト」
「はい。まんまと浚われてしまいました」
 宰相の問いに優雅に一礼するオーギュスト。宰相は眉一つ動かさずに鼻を鳴らした。
「ぬけぬけとよう言いよる。まあ、いい。表舞台に出て来ぬというのなら、見逃しても問題はない。
 だが、クルトとかいう『山の民』‥‥どこかで聞いた名だ。その男はなぜアリアス姫の逃亡に手を貸したのか。アリアスやイストリアと政治的な繋がりはあるはずもなし、『山の民』は金で動くような連中でもない。一体、何がその『山の民』を動かしたのだろうな」
 困惑したように宰相の眉が寄る。珍しいものを見た、とオーギュストは口笛を吹きかけた。
「‥‥友人を助けただけのつもりかも知れませんよ?」
 適当を装ってオーギュストが答えると、宰相は口元を歪め、やがて大きな声で笑い出した。オーギュストが目を見開く。冷徹な宰相の突然の感情の発露を見るのは、正真正銘、初めての事だった。

●出演者およびスタッフ募集
 以上が、アニメ『クルトの戦記 王宮編』の冒頭部分になります。
 このアニメの制作に当たり、出演者とスタッフを募集します。

 オープニングと設定を基に、主人公クルトの人生を彩るキャラクターを作成し、
『クルトにどう関わるか』をプレイングに記述してください。
 そのプレイングで、クルトの歩む人生が変わります。

 今回はソルメニアの内情を知らしめる回となります。
 クルトに関わる予定の(もしくは既に関わった)ソルメニア側のキャラクターを作成し、その設定や人間関係を明らかにする(もしくはほのめかす)脚本を仕上げて下さい。
 以下に、過去にソルメニア側としてクルトに関わったキャラクターの例を上げておきます。

1.シンシア王女
 『剣王』の姪。唯一の王位継承者。『少年編』と『運命編』に登場。
 クルトの師である魔術師ガンジスの死を知らず、クライブ山地にやって来た。
 少年シンとして、少しの間クルトたちと共に暮らすが連れ去られ、クルトが旅立つ原因となる。
 年内の即位が予定されている。

2.オーギュスト
 王女派の重臣。若いながらも『剣王』の信篤い古参の騎士。『運命編2』とOPに登場。
 王女の意を受け、アリアス姫の逃亡に意を尽くす。

3.『闇の民』アルファ、リリエラ
 故郷を持たぬ放浪の民。浅黒い肌と獣のような俊敏性を持つ。
『山の民』以上に差別と偏見に晒されており、その殆どがソルメニア王国の間諜として働いている。
 『運命編』に登場。

4.『四団長』フィーア
 常に御簾の中に姿を隠す第四軍の長。『古都炎上』と『神森の邪』に登場。
 第四軍は魔獣を使役する部隊として知られ、邪道の軍と恐れられている。

5.ミルラ
 第4軍団に出入していた謎のローブの女。『古都炎上』に登場。
 その正体は、某キャラのソルメニア側での姿の一つ?

6.セイラム
 クルトの兄弟子。『旅情編』と『運命編』に登場。
 仲の悪い父親は、王国の偉い魔術師で‥‥

7.宰相
 NPC。本文参照。
 『剣王』の旗揚げの時から仕えてきた老魔術師で、ずっと人知れずに泥を被ってきた。
 権力者としては、敵対者に対する徹底的な弾圧で知られ、魔術師としては魔法の一般化、大衆化で知られる。
 生かさず、殺さず。厳格、かつ現実的な権力者で、効率を最優先する。独善的で人の意見を必要としない。

8.『剣王』
 NPC。本文参照。

●今回の参加者

 fa0634 姫乃 舞(15歳・♀・小鳥)
 fa1323 弥栄三十朗(45歳・♂・トカゲ)
 fa1431 大曽根カノン(22歳・♀・一角獣)
 fa2478 相沢 セナ(21歳・♂・鴉)
 fa2997 咲夜(15歳・♀・竜)
 fa3470 孔雀石(18歳・♀・猫)
 fa3853 響 愛華(19歳・♀・犬)
 fa4643 夕波綾佳(20歳・♀・犬)

●リプレイ本文

「では、どうあってもシンシアを即位させると言うのだな!?」
 ソルメニア王城、謁見の間。
 空席の玉座の横に立つ宰相イグニスを前にして、王国の重鎮・ザルツウェル侯ゲオルク(CV:弥栄三十朗(fa1323))はその声を荒げていた。
 王国の前身となった都市国家の昔から、ソルメニアの王位は直系の男子が継いできた。本来なら然るべき婿を取るべきだというのに、この宰相はシンシア自身を王位につけると一方的に宣言した。それがゲオルクには──妹を王弟妃に送り出し、古くは王家の血脈にも連なるザルツウェル侯爵家の当主には許せなかった。
(「いつまでも貴様の下で大人しくしていると思うなよ、魔術師が!」)
 宰相を一睨みして、踵を返したゲオルクが靴音も高く歩み去る。
 それを無言で見送る宰相の背後に、護衛の『闇の民』の一人、リリエラ(CV:大曽根カノン(fa1431))が音も無く舞い降りた。
「よろしいのですか?」
 口元も動かさず、声だけが宰相の耳へと渡る。言外に、ゲオルク『処理』の命を待っていた。
「よい。こちらの予測の範囲内で動いている分には問題ない」
 宰相の言葉に、再びリリエラの気配が消える。『闇の民』の中でも、混血という事で浮いていたこの金髪碧眼の娘にとって、宰相は絶対の忠誠の対象だった。
 ゲオルクと入れ替わるように、全身を喪服の様な黒衣に包んだ女が入室してきた。それはアリアス討伐を終えて帰還した第4軍の長、『四団長』フィーア(CV:孔雀石fa3470))だった。
 それを無視して退出していくゲオルク。フィーアは黒いヴェール越しに侮蔑の視線を投げ、嘲笑を鉄扇で覆い隠した。
「聞きましたよ、宰相閣下。あの王女を王位に据えるとか」
 アリアス討伐の報告を終えたフィーアが尋ねる。国政を完全に掌握している宰相にとって、新たな女王など必要ないどころか邪魔なはずだった。
「それは宰相閣下にとって慶事となるのでしょうか? 凶事の種なれば、速やかに摘み取るべきと存じますが」
「吉兆も凶兆も意味なき事。運命などと言っても全ては因果の繰言。慶事も凶事も、全ては人が手繰り寄せるもの。そうですよね、宰相閣下?」
 フィーアの問いに第三の声が割り込んだ。姿はない。ただ声だけが広間に響いている。
「ミルラか」
 フィーアが口中で舌を打つ。音も無く、気配も無く。異国の装束に身を包んだ魔術師・ミルラ(CV:姫乃 舞(fa0634))は、幾千の距離を飛び越えてその姿を現した。
「ただ今戻りました、宰相閣下。『闇の民』にも行方の知れぬアリアス姫クラリッサ。その所在を掴んでまいりました」
 芝居がかった動作で恭しく頭を下げるミルラ。宰相の返事は意外なものだった。
「その件なれば、聞かずとも良い」
 ミルラは思わず顔を上げた。
「‥‥クラリッサを浚った『山の民』のクルトは、魔術師ガンジスの弟子にして、シンシア王女の知己であり、その行方をを追い続けた者。捨て置いてよろしいのですか?」
 この件に関して、私は意見を必要としていない。それが宰相の答えだった。
「‥‥出すぎた真似を致しました。申し訳ございません」
 頭を下げ、退出するミルラ。その口元が小さな笑みを浮かべていた。
(「相変わらず他者の意見を受け入れないのだな。その傲慢さこそが破滅を招くと言うに」)
 人は皆、自分を指し手だと思っている。それは正しい。だが、自分もまた他者の指す駒の一つにすぎないという事を、果たしてどれだけの者が理解しているだろう?

 謁見の間へと続く廊下に並べられた椅子の一つで、一人の『山の民』が謁見の順番を待っていた。
 周囲の不快そうな視線もどこ吹く風。短く髪を切り揃えた快活そうなその『山の民』は、女商人のラン(CV:夕波綾佳(fa4643))だった。
「おや。ランさんではないですか」
 いい加減、順番待ちに疲れてきた頃、上等な衣服に身を包んだ恰幅の良い壮年の男がランに声をかけてきた。名はレーナス(CV:弥栄三十朗)。見た目は人の良さそうな小男だが、生き馬の目を抜く商売の世界で一代にして財を成した大商人だった。
「これはレーナスさん」
 ランも立ち上がって挨拶する。稀代の大商人と挨拶を交わす『山の民』に、周囲の者は目を剥いた。
「ランさんも宰相閣下に御用ですか?」
「はい。魔術に使う薬草を幾つかと、今度の即位式での宴に出す果実の品種について相談する事になっております」
「なんと。宰相閣下はその様な事まで自らお決めになっておられるのか」
 世間話に花を咲かせる二人。傍から見れば何気ない会話だったが、その実は腹の探り合いでもあった。互いの商売上の情報を、カードのように遣り取りする。
 そこへ、一人の身なりの良い初老の男が、憤怒の表情で謁見の間から退出してきた。何者も目に入らぬ様子で、ずんずんと廊下を渡っていく。
「あれは、確か‥‥」
「ザルツウェル侯爵閣下ですな」
 ふむ、と顎に手をやるレーナス。ランに暇を告げ、そのまま考えこむよう廊下を奥へと移動していく。レーナス程の御用商人ともなれば、待合室も用意されるし、順番にも割り込める。
「‥‥どうやら『あの噂』は本当のようですね。これはとてつもない商売が舞い込んでくるやもしれません。ここは慎重に『風』の流れを読まねばなりますまい」
 誰にも聞こえぬような小声でブツブツと呟きながら、廊下を奥へと進むレーナス。
 ランは肩を竦めると、再び椅子へと腰を下ろし、自らの順番を待ち続けた。

「シンシア王女殿下におかれましては、それはそれはもうお疲れであらせられ、既に寝室にてお休みになられました。姫様の身をご案じ下さりますならば、どうぞ今日の所はご遠慮頂きますよう」
 礼儀だけはしっかりと守りつつ、それでいてとりつく島も無く。シンシア王女付きの侍女・リディア(CV:咲夜(fa2997))は、王女への面会を求めてやって来た有象無象の貴族たちを、理由を付けては全て玄関先で追い返した。
 口さががない連中は彼女を『王女の門番』などと揶揄したが、それでも実力行使に出る者はいなかった。侍女ではあるが、リディアはザルツウェル侯爵家に連なる者だからだ。
「シンシア様! 今日の『お客様』は全て追い返し‥‥じゃなかった、丁重にお引取り頂きました。家柄に押し切られた情けない衛兵たちは、後で私が叱っておきますね!」
 三階にある最も私的な応接室。その開け放たれた扉からリディアがひょいと顔を出す。室内には、部屋の主である王女・シンシア(CV:響 愛華(fa3853)。演技指導:星辰)と、その信頼篤いランベルグ伯オーギュスト(CV:相沢 セナ(fa2478))の姿があった。
「助かったよ、リディア。ありがとう」
 心底ホッとしたように礼を言うシンシア。先程までドレス姿だった王女は、いつの間にか男装に戻っていた。なるべく動き易いドレスを選んだつもりだったのだが、それでもまだ、快活な王女殿下には窮屈であるらしかった。
「また、そんな‥‥宰相殿に怒られても知りませんよ」
「ふん。私室での服装まで聞くことはない‥‥それより、オーギュスト。話の続きを聞かせてくれないか」
 コロコロと表情の変わるシンシアに微笑して、オーギュストはイストリアでの一件について『報告』を再開した。
「さて、どこまで話しましたか‥‥かくしてクラリッサ姫は我が魔の手を逃れ、大海原へと旅立ったのでした」
「そうか‥‥ともかく無事ではあるのだな‥‥良かった」
「はい。というわけで、クラリッサ姫を『誘拐』した『山の民』クルトの一行は‥‥」
「ちょっと待て。なんだってそこでクルトの名前が出てくるんだ」
 突然出てきた知己の名前に、シンシアが慌てて身を乗り出す。リディアも耳をピクリと動かし、ちょこちょことさりげなく寄って来た。
「言ってませんでしたか?」
 とぼけるオーギュスト。もちろんわざとだ。
 オーギュストは、イストリアで聞いたアリアス逃避行の顛末を、二人の少女に語って聞かせた。
「あのバカ、また無茶をして‥‥何だってそんな事に首を突っ込むんだ。大体、あいつは山にいた時から‥‥」
 そのお人好しさ加減に腹を立て、クドクドと文句を並び立てるシンシア。だが、どう聞いても褒め言葉にしか聞こえない。それを聞き、ホゥと息をつくリディア。あれは何か色々と勘違いをしている顔だ、とオーギュストは苦笑した。
 そのオーギュストの視線が窓へと動く。
 バサリ、と何かが羽ばたく音。開け放たれた窓枠に降り立つ黒衣の影。
「なるほど。王女殿下とあのクルトは、本当にお知り合いなのですね」
 驚いて振り返るシンシアとリディア。オーギュストだけが動じなかった。
「我等が女王となるべきお方を拝見しに来られたか、フィーア殿?」
「はい。正面から伺ってもお目にかかれそうになかったので、魔獣使いなりの方法で。伯が居られる今が丁度良かろうと。
 窓枠からで御意を得ます、殿下。第4軍が長、『四団長』フィーアと申します。お見知り置きを」
 窓枠から降り立ち、優雅に頭を下げるフィーア。だが、床に膝は付かず、その表情はベールに隠れて届かない。リディアはムッとして、半身で王女の前に出た。
「本来ならば、こっそりと様子を窺うだけでも良かったのですが。クルトという名が聞こえてきたので、思わず身を晒してしまいました」
「クルトを‥‥知っているのか?」
「はい。伯も知らぬ『神の森』での顛末。よろしければお聞かせ致しましょうか?」
「頼む。ただ、その前に良ければそのベールを取ってはくれまいか。お見知り置き、と言われても、それでは知り置けない」
 ほう、とフィーアは目を瞬かせた。今日は素顔を明かさぬつもりだったが、なるほど、言われてみればもっともだ。
「分かりました。それでは、失礼して‥‥さて、どこからお話しましょうか‥‥」

 オーギュストが王宮西苑にあるシンシアの館を辞した時、日はすっかりと傾いていた。
 結局、王女が四団長を解放するまで付き合ってしまった。それは良いのだが、王女に同じ年頃の知人・友人が少ない事が気がかりではあった。
 門の所で足を止め、溜め息を付くオーギュスト。衛兵が居心地悪そうに身じろぎする。そこでオーギュストは、リディアが言っていた『家柄に押し切られる情けない衛兵』という言葉を思い出した。
(「ふむ‥‥何とかせねばならんかな。実際、四団長には部屋にまで進入された訳だし」)
 王女にのみ忠誠を誓い、王女の為にのみ働く衛兵たち。まだ若い王女には、信頼できる臣が必要だ。
 黙考を続けるオーギュスト。衛兵たちは直立不動で、ただ伯爵が立ち去るのをジッと待ち続けた。

 そこは二度と戻らぬ地であるはずだった。
 今は住む者とてない古びた塔。かつて、魔道を極めんと若者たちが集ったその場所は、ただ過去のみを抱いて眠っている。
 父と、師と、その弟子たちと。幼き瞳に映した栄華は既に無く、彼等が得た栄光は、ばらばらになった自分たちと、ソルメニアという国一つ‥‥
「セイラム様‥‥」
 呼びかけられたその声に、魔術師セイラム(CV:相沢 セナ)は顔を上げた。子供の頃、常に隣りにあったもう一組の幼き瞳。一瞬、過去を幻視して、セイラムはハッと息を呑む。
「リリエラか‥‥」
 名を呼ばれたリリエラの瞳が揺れる。だが、それも一瞬。慎重に、慎重に、リリエラが表情を消していく。舌を打つセイラム。なんだってそんな事が分かってしまうのか。
「ここにあの男がいるんだな」
 感情を押し殺したセイラムの声に、リリエラが無言で頷く。すれ違う二人。雨の降り出しそうな空を背景に細い背中をポツリと残し、セイラムが塔へと入っていく。
 再び過去を幻視する。日に溢れた塔の一室。尊敬すべき魔術師の父。
 幻はすぐに消えた。闇の向こうに霞むのは、王国の実権を一手にする冷酷な一人の魔術師の影。
「今更、私に何の御用でしょうか。宰相閣下?」
 雷と共に雨が降る。闇に浮かぶは父の顔。
 リリエラは、一人、ただ雨に打たれていた。

 その日、シンシアはすぐに寝付く事が出来なかった。
 ベッドを抜け出し、私室の窓をそっと開ける。天空には細い月。それを静かに見上げながら、シンシアはクライブ山地での出来事を思い出していた。
「眠れぬ時は、歌えばいい。歌いながら野を歩き、月の下で踊るんだ」
 眠れぬシンシアを連れ出して、実際にそれをやってのけたクルト。その大声は彼の家族を叩き起こし、彼は姉にどやしつけられ‥‥結局、最後は、彼の婚約者も交えて四人で朝まで踊り明かしたものだった‥‥
 シンシアは窓から離れると、月下に一礼し、歌を口ずさみながら踊りだす。
 迫り来る即位の日。胸に残るは短かったけれど貴重な山での日々。戻れるものならば戻りたい。自分を一人の人間として扱ってくれた、あの大きな友人との日々に──
「やっぱり、僕は貴方に会いたいよ、クルト‥‥」

 その窓の遥か上。館の屋根の上に、ミルラは一人、立っていた。
「宰相は自ら光り輝く事の出来ぬ星。それが表に出てきた事こそ、そもそもの大間違い。力に頼った強引なやり方は、いずれこの地に災いを招くでしょう。
 その点、あの若者はどうかしら。永遠の観察者、我が半身、メリッサが入れ込むあの『山の民』の若者は。彼も宰相と同じく、自らは光を発せぬ鏡。でも、彼には人を惹き付ける何かを持っている」
 それは大きなうねりとなって、人々を巻き込んでいくだろう。嵐の迫るこの地、この時。彼が一体何をもたらすのかは分からない。
「人を惹き付ける力。それが、呼び込んだ虫を焼く炎の類ではないとは、限らないのだけれどね」
 歌うように紡がれたミルラの声は、夜の風に流されて、儚く闇に溶けていった‥‥