幻想寓話〜カラドリオスヨーロッパ
種類 |
ショート
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担当 |
風華弓弦
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芸能 |
1Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
普通
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報酬 |
1.3万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
12/17〜12/22
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●本文
●只今作戦会議中
「今度は、君の番だ」
まるでゲームの順番を促すように、小さな映像制作会社の脚本家フィルゲン・バッハ(28)は相方を見下ろした。
「そうは言われてもだな‥‥」
歯切れの悪い返事をしながらも、同僚の監督レオン・ローズ(28)は雑誌を片手にチェス板を広げて詰めチェスをやっていたりする。
フィルゲンはひょいと黒いルークを摘むと、白いビショップを押しのけて盤面に置いた。
「チェック」
「あ、こら、待てーっ!」
あっさりと詰めチェスの決着をつけられ、がっくり項垂れるイギリス人青年。対するドイツ人青年は、手の内で取り上げたビショップを玩びながら、にっこりと微笑む。
「前回の『ローレライ』は、ドイツだったよな。次は、ソッチの土壌だと思わないか?」
「対抗戦だったのか?」
「イギリスにもいるだろう。『ケット・シー』とか『クー・フーリン』とか」
「その二つを同列に並べるセンスは、なかなかに凄いと思うぞ。フィルゲン君」
ケット・シーはスコットランドの猫の妖精。かたやクー・フーリンは「クランの番犬」と呼ばれるケルト神話の英雄である。槍を振り回して猫を追っかける英雄様を思い描いてみたレオンだが、とりあえず妄想と一緒に雑誌を本の山へ放り投げて、腕組みをする。
「でもな‥‥クー・フーリンは、できればじっくりやりたいし。何より、冬のイギリスは寒いし暗い」
「‥‥」
「じゃあ、オークニー諸島の『鱗男』で」
「役者が凍え死ぬだろうが」
「当然だな。暖かいなら、『人魚姫』もセンチメンタルでよかったんだが。『ローレライ』も、実に悲恋で好評だった」
うんうんと頷きながら、レオンは椅子を鳴らしてPCへ向いた。そしてフォルダから一つのファイルを選択して表示する。
デジタル画像には丘陵の田園地帯と、その先の森が映っていた。
「シュヴァルツヴァルト。二次大戦の後からこっち、酸性雨の被害が著しい。この豊かな森を、今の間にフィルムに納めたいと思わんか」
「‥‥『全ての生ける物を逆しまにする魔女』か?」
「なんだソレは」
「魔女狩りにあった魔女が残したと言う呪いだ。あと『ニーベルンゲン』は勘弁。それとも、時期柄『ヘンゼルとグレーテル』かもしれんが」
「‥‥森一つでそれだけ次々にネタが出るお国柄が、実に素晴らしいな」
「黒森は特別だろう?」
当然のように答えるフィルゲン。そして、なんとも言えない微妙な沈黙が流れる。
「いや、今回は保養地を使って独自にアレンジを加えてだな」
「というか‥‥またドイツ行きか」
「うむ。通訳が要らんからな。費用が浮く」
ソレは確かにネックだなぁと、髪を掻くフィルゲン。そこで、ふと地元ならではの事に気がつく。
「‥‥ところで、黒森に近い保養地ってのは‥‥まさか‥‥」
●幻想寓話〜カラドリオス
『病人の病を吸い取り、治してくれる不思議な鳥カラドリオス。
雪のように真っ白な鳥は、チドリかセキレイの一種と言われるが、真偽は定かではない。
カラドリオスは病人の部屋にやってくると一目で病を見抜き、嘴を開いて病を吸い取る。既に手遅れの場合は、病人に背を向けて飛び去ってしまう。病を吸い込んだカラドリオスは空高く舞い上がり、吸った病を大気に吐き出して浄化するという。
緑豊かな黒森にカラドリオスが住むと聞いた貴族の一家は、バーデン・バーデンへ湯治を兼ねてやってきた。跡を継ぐ一人息子は重い病に臥せっており、このままでは長くないと医者に言われている。そのため、カラドリオスの力を借りようというのだ。
窓を開け放ち、待ち焦がれた末に訪れたカラドリオス。だが鳥は息子に背を向け、代わりに居合わせた使用人の娘の病を吸い取ってしまう。
怒りのあまりにカラドリオスを捕まえた貴族は、哀れな鳥を閉じ込めてしまった。病を吐き出せないカラドリオスは、そのままでは息絶えるだろう。
恩を受けた娘はカラドリオスを不憫に思い、そっと逃がす。それを知った貴族は激怒して、とうとう娘を屋敷から追い出した。
黒森を彷徨う娘は、梢に休むカラドリオスと出会う。カラドリオスは娘に助けられた礼として、その不思議な力を彼女に授けて去った。娘は館へ戻り、貴族の息子を治すと行方知れずになったという』
「カラドリオス」をテーマとしたファンタジー・ドラマの出演者募集。
俳優は人種国籍問わず。カラドリオス役、使用人の娘役、貴族の息子役、貴族の両親役、ドラマを語る吟遊詩人役を募集(カラドリオス役は鳥系獣人を希望。羽の色はデジタル処理するため、染色の必要なし)。
脚本はアレンジ可能。また、アレンジ如何によっては配役の追加も検討。
ロケ地はドイツのバーデン・バーデン、及びシュヴァルツヴァルト。フランス国境に近いバーデン・バーデンはローマ時代より温泉療養地と知られ、中世には貴族達がこぞって療養滞在用の屋敷を立てた街でもある。黒森シュヴァルツヴァルトは南北に160km、東西に20〜60kmに渡って広がる、針葉樹を主体とする森である。
「つまり、撮影費用を使って半分遊びたいんじゃないかっ!」
「遊びとか言うなーっ!」
●リプレイ本文
●バーデン・バーデン
ネロと並んで悪名高いローマ皇帝カラカラが利用した、カラカラ浴場。温泉の水温は高くなく、風呂と言うより温水プールとして利用される。
その水着着用のプールで、ざぶざぶと監督のレオン・ローズが温水と戯れていた。
「‥‥仕事、忘れてますね。アレ」
「‥‥忘れてるね。間違いなく」
プールサイドではモーゼス男爵役・越野高志(fa0356)と脚本家フィルゲン・バッハが、二人並んで溜息をつく。
「ところで‥‥あの案、ホントにいいのか?」
まだ少し不安そうに、金糸の語り部役・結城 始(fa2543)が脚本家に尋ねる。
「いいよ。実は2世紀くらいまでは、ヨーロッパライオンが存在したと言われているんだ。黒森−−シュヴァルツヴァルトなら、ライオンが居てもおかしくない『包容力』もあるしね」
「そういうものなのか」
ふ〜んと感心する始は、まだ学生である。学校はどうしたと、野暮な事はさて置いて。
「でも‥‥混ざるには無理なお人もいると思いやすが、どうなるんで?」
男爵家の息子クラウス役・伝ノ助(fa0430)に聞かれ、フィルゲンの視線が寛ぐ女性陣に向けられた。
「それは‥‥流石に無理だろう。パンダは」
「やっぱ、無理っすか‥‥パンダ」
「人の顔見てパンダパンダって、一体なに?」
視線と会話に気付いた男爵夫人マリア役・羽曳野ハツ子(fa1032)が、腰に手を当て豊かな胸を張る。抗議しているのだろうけども、男性陣は目のやり場に困り、思わず目を逸らす。が、それはハツ子から見ると、また違う意味となり。
「何よ。可愛いじゃないの、パンダ耳ーっ!」
「ちょっと待って。僕は、まだ何も言ってないっ」
「まだって、なによー!」
ドボーンと水柱が上がって、まずカラドリオス役・椿(fa2495)が轟沈した。
「お母様、頑張ってー!」
ノリノリでハツ子を応援するのは、姉エリーゼ役・タンジェリン(fa2329)。
「止めなくていいんでしょうか」
「でも、楽しそうですし‥‥」
心配そうな使用人の娘アンナ役・シルクリア(fa0959)と黒森の森番役・あさぎ ゆう(fa2176)が顔を見合わせ、対処に困る。
「これぞ正に、『裸のお付き合い』。なんてね」
ぷかぷか浮かぶレオンが呟く。プールサイドだけに、ネタもよく滑る‥‥お粗末。
●暗き森の畔
「望むならこの『金糸の語り部』が、深き黒森に隠された一つの物語を語ろうか」
闇の中。灯された一本の蝋燭を手に、フードを被った少年は外見にそぐわぬ声で語る。
フードから零れるのは金色の髪。フードから覗くのは眼光鋭い野生の瞳。
「多くの逸話、伝説を抱く古き森シュヴァルツヴァルト。その北、古来より多くの人を迎える欧州有数の湯治街、バーデン・バーデン。
そこで奇跡を求めた人と、奇跡を起こす鳥との物語」
語り手は、ゆっくりと手にした蝋燭を掲げ−−。
「その羽、降り積もる雪の如き白さ。
その声、森に住む如何なる鳥より澄み。
その瞳に映すのは希望の光か。はたまた避けられぬ運命か。
カラドリオスよ。我が耳元で囁いておくれ」
−−掲げたそれは、窓辺に置かれた蝋燭となる。
蝋燭を見つめるのは、一人の女性。質素なベッドに座るアンナは、乱れる思いに苦しんでいた。あのままでは、業を煮やしたモーゼス夫妻が霊鳥を引き裂き、息子に与えかねない。
「どうして‥‥こんな事に‥‥」
言葉にしても、答えは返らない。そして、彼女は思い起こす。
ほんの数日間の出来事を。
窓越しに忍び寄る寒さに、アンナは震えて小さく咳をした。
「アンナ、今日はもういいわよ」
主の娘に言われ、アンナは名残惜しそうに窓を見る。餌を求めてテラスを訪れるのは、黒や茶や灰色の鳥ばかり。
「お嬢様」
縋るような瞳の使用人に、エリーゼは少し苦笑した。
「あなたが風邪をひいたら、誰が鳥を見てくれるの。それに、クラウスも心配するわ」
愛おしむようなエリーゼの視線の先。燃え盛る暖炉の傍にあるベッドで、長く病に伏した青年が頷く。その姿は、アンナの記憶より−−前回に主達が館へ来た時よりも、酷く疲れていて、小さく見える。
「もう‥‥いいよ。アンナ」
どこか諦めた風に言うクラウスは、今日も幾度か激しい咳に襲われた。エリーゼが弟の背をさすり、アンナは吸い飲みで水や薬を飲ませる。
この街まで湯治に来たが彼の病状は一向に良くならず、医者も匙を投げた。唯一の頼みは農作民達が語る噂、『黒森に住み、病を治す不思議な鳥カラドリオス』のみ。鳥を呼ぶ為、アンナは毎日この部屋のテラスに餌を撒く。だが白い鳥は、姿を見せない。
アンナが燭台を仕舞っていると、豪奢なドレスに身を包んだ男爵夫人マリアが現れた。病床の息子を一瞥し、頭を下げるアンナの姿を見咎める。
「お前、何をしているの。用が済んだら、早く次の仕事に行きなさい」
「はい、奥様。申し訳ありません」
会釈をし、アンナは急いで部屋を出た。すれ違う一瞬、マリアの声が耳に刺さる。
「まったく、これだから田舎者‥‥早く、こんな薄気味悪い森の傍から離れたいわ」
焼けるように痛む胸を押さえ、咳を堪えてアンナは逃げる様に立ち去った。
それを窓から見つめるは、一羽の黒い鳥‥‥。
そして、奇跡は訪れる。
「まだ現れないのか!」
声を荒げ、苛立たしげにモーゼス男爵はテラスの鳥達を追い払った。
「無駄飯を喰う鳥どもを放っているから、カラドリオスも姿を見せないのではないか?」
険しい表情で見下ろされ、アンナは身を竦める。
「まったく、下賎の者は楽をする事ばかり考えておりますわ」
猫撫で声で、夫人が夫に寄り添う。
テラスに散った羽根を片付けようと、軽い咳をしながらアンナがテラスに出た、その時。
そこに白い羽根を持つものが、佇んでいたのである。
『彼』を招くように、アンナはそっと窓から退いた。
冷たい風と共に『彼』は足を踏み入れ、部屋に居る者を赤い瞳で見回す。
その姿に、全員の表情が変わった。
「お前がカラドリオスなのか? ならば、どうか息子を助けてくれ。モーゼス家の跡取を!」
真っ先に口を開いたのは、モーゼス男爵。訴えが届いたのか、『彼』はじっとクラウスを見る。射る様な眼にクラウスは身動ぎをし、彼の家族が息を呑んだ。
それも僅かな時間。カラドリオスはふいと視線を外し、ベッドに背を向ける。
「どうして‥‥っ!」
絶叫に近いエリーゼの声。クラウスは、ただ茫然と拒絶の背を見送るのみ。
涙を浮かべるアンナの前で『彼』は足を止め、すっと彼女の手をとった。
「残念ながら、彼の病は私の力のみでは癒せない。けれど貴女の病なら‥‥」
●お待ちかね?
「監督、カラドリオスがノビてやす」
ベッドから、伝ノ助が手を振った。
今は弱ったカラドリオスを前に、アンナが逃がす決意するシーン。部屋の隅では、椿がへたっている。代わりに彼の腹の虫が盛大な自己主張をし、シルクリアは赤面した。
「そんなに御飯、抜いたんですか?」
「いや。昼食だけなんだが」
頭を掻くレオン監督。囚われ中のシーンは自分の空腹時に撮影を、申し出たのは椿自身だ。既に成長期が終わっているのに、凄まじい燃費の悪さというか何というか。
「沢山喰ったら、そんなにデカくなれるんすかね」と思わず呟く伝ノ助。
「少し早いが、午後のお茶を頂くか。腹が減っては総員討ち死にと言うし」
違う違うと、全員からレオンにツッコミが入った。
紅茶と珈琲の香りが漂う部屋で、俳優もスタッフも休憩時間を楽しんでいた。
今日は数本のバウムクーヘンが切り売り状態だ。好きなだけ削ぎ切りにし、生クリームを添えて食べる。
フィルゲンから皿を渡されたゆうは、小さなお国柄の違いに感心した。
「変わってますね。日本では、縦に‥‥扇状に切って食べるんですよ」
「几帳面な日本人らしいね」
横切りの方が味も口当たりが良いと、フィルゲンは言う。そう言われると、そんな感じもする。
撮影は快調。彼女は画面の要所でちらりと映る『黒い鳥』の役なので、芝居らしい芝居は今のところない。が、この後は黒森でのロケが待っている。
出番に備え、生クリーム添えのバウムクーヘンをゆうは美味しく戴いた。
●黒森より
「モーゼス男爵の怒りを買ったカラドリオス。
哀しいかな、囚われの身。このままでは病も吐き出せぬ。
そこに現わる一つの影。それは病を吸った、かの娘」
語りと共に、カラドリオスはアンナの手で解き放たれる。それを穏やかに見守るクラウス。
しかし−−。
「出て行け!」
「二度と、顔を見せないで頂戴!」
心無い言葉の数々が、アンナを追い立てる。
男爵や夫人と共に、エリーゼも冷たい言葉を彼女にぶつけた。
屋敷を追い出されるのは当然で、彼女は大人しく仕打ちに耐えて、従った。
残る唯一の気がかりは、クラウスの事。
放逐された彼女は、夜空の下を彷徨う。そうして気付けば、周りは鬱蒼とした暗い森に入り込んでいた。だが迷っている訳ではない。彼女を導く声があり、彼女の前を黒翼の少女が歩く。
「さぁ、こっちへおいで」
唄うような声で誘い、少女は森の奥へ進む。その後姿へ思わず問うアンナ。
「あなたは‥‥誰?」
「私は黒森を見守る森番。私は全てを見ていました。きっと彼が助けてくれるでしょう」
夢現で少女を追えば、行く手のちょっとした広場に『彼』がいた。
「カラドリオス‥‥」
立ち尽くすアンナに、白い翼の『彼』はゆっくりと近付く。
「心優しき娘、貴女ならば、きっと彼を助けられます」
暗い森なのに、カラドリオスの白く輝く羽根が眩しくて、彼女は思わず目を閉じた。
気がつくと、アンナは屋敷の前にいた。
今の出来事は夢か、それとも幻か。
それでも彼女は駆け出す。少しでも早くあの人を助ける為に。
激しく続く咳に、彼は苦しんでいた。
胸が痛み、喉が引き裂けそうになる。
そこへ誰かが背をさすり、吸い飲みの水を飲ませてくれた。
暖炉の灯りを頼りに見れば、そこにはいない筈の女性がいる。
「アン、ナ‥‥?」
「クラウス様。どうか、今少しだけ目を閉じていて下さい」
「いいや、アンナ。僕は、家族に代わって、謝らなければ。君に、あんな仕打ちを‥‥辛かったでしょう」
青年が息を整えても、声にヒューヒューと奇妙な音が混じる。苦しげに謝罪を述べる彼を労わるように、冷たい指が優しく頬に触れた。
「辛くなど‥‥ただ、クラウス様の御世話が出来なくなる事だけが、心残りで」
そして「どうか、目を」と再びアンナは懇願し、クラウスは彼女に従う。
アンナは高まる鼓動をおさえ、彼を驚かせないようそっと身を屈め。
そして、二人は互いの唇を重ねる。
瞬く間にクラウスの胸の痛みは和らぎ、病の吐息を全て受け取ったアンナは柔らかく微笑んだ。
「もう、大丈夫ですよ。クラウス様」
彼は手を伸ばし、彼女の艶やかな黒髪を指で梳く。
声にも呼吸にも病の影は既になく、胸の痛みは消え失せている。
「苦しくない‥‥ありがとう、アンナ。君のおかげです」
「アンナ!」
名を呼ばれてどんと背中から抱きつかれ、アンナは驚いて振り返った。涙を浮かべて、エリーゼが彼女を抱き締めている。
「ごめんね、アンナ。貴女を酷い事を言って、ここから追い出したのに」
「エリーゼ様‥‥」
更に気付けば、モーゼス夫妻も呆然と彼女を見ていた。
「本当に、治ったのか。クラウス」
唸る様なモーゼス男爵の言葉に、クラウスはベットから身を起こしてみせる。
「はい、父さん。アンナのお陰で、この通り」
「そうか。ならば」
短い悲鳴が上った。男爵はアンナの細い手を掴んで捻り上げ、ベッドから引き離す。
「あなた!?」
「父さん、何を!」
家族の声すら耳に届かないのか、モーゼス男爵は欲に満ちた眼でアンナを見下ろす。
「何故かは知らんが、本当に病を治せるなら、それを使わぬ事はない。この世は病に満ちている。そう、まずは老いた王の病を吸わせよう。王子も身体が優れぬと聞く。そうして王族方からの覚えが良くなれば、いずれは公爵の爵位も頂けよう!」
制止も聞かず、モーゼス男爵は哀れな娘を引き摺っていく。
「姉さん。止めないで下さい」
今までにない決意に満ちた表情の弟に、姉は頷く。
「大丈夫。私も手伝うから」
そう。次は、彼が彼女の運命を変える番−−。
●そして、森へ還る
「アンナ」
館を出たアンナはクラウスに呼び止められ、振り返った。
玄関ポーチでは、ランプを下げた二人の姉弟。
モーゼス男爵は彼女が吸い込んだ病を浴びてしまい、病の床に伏した。夫人は必死で夫を看病をしているが、それは愛情ではなく『男爵夫人』という自分の身分を守る為だろう。
故に今、彼女を見送るのはこの二人のみ。
「どれだけ言葉を尽くしても、君とカラドリオスへの感謝の思いは言い表せない。どうか、元気で」
言葉の代わりにアンナはクラウスへ微笑み、膝を軽く曲げて会釈をする。
そして二度と振り返る事もなく、まっすぐに黒森へと去っていく。
見送るクラウスは、その手に残された淡い存在の欠片に視線を落とした。
「そして残るは一枚の白い羽。雪の如く、天使の如く白い羽のみ。
屋敷を去り、黒い森に消えたアンナの行方を、人は誰も知らず‥‥」
一人、アンナは森を歩く。
そして辿り着くのは、森の広場。
いま彼女を出迎えるのは、カラドリオスだけではない。
鳥や大蛇、狸の他に、獅子達の姿も見える。それらは皆、森が抱く生命達。
そして、梢からひらりと舞い降りた森番の鳥は、恭しく一礼した。
「新しい森の仲間よ。ようこそ、シュヴァルツヴァルトへ」
−−全てを受け入れて覆い隠す黒い森は、今も静かにそこに在る。