スロー・トラベル2007ヨーロッパ
種類 |
ショートEX
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担当 |
風華弓弦
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芸能 |
3Lv以上
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獣人 |
フリー
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難度 |
やや易
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報酬 |
なし
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参加人数 |
12人
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サポート |
0人
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期間 |
06/29〜07/02
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●本文
●今年もまったりボート旅行
「フィルゲン君、フィルゲン君」
部屋の入り口から顔を出し、妙に笑顔のレオン・ローズが同居人を呼んだ。
そんな相方とは対照的に、フィルゲン・バッハは怪訝な表情でおもむろに振り返る。
「‥‥何?」
「そろそろシーズンである訳だし、今年もリフレッシュに行かぬか?」
尋ねるレオンの瞳は、きらきらと無駄に期待で輝いていた。
「‥‥レオン」
小さなビニールの袋を引き出しから取り出すと、フィルゲンは椅子から立ち上がる。
「これ、イタリアへ行った時に預かった、君宛のお土産」
「む!?」
差し出した袋を受け取ったレオンは、興味深げに中を覗き込み。
「なかなか‥‥前衛芸術的な珍妙さであるな‥‥」
よく判らない感想を述べながら、嬉しそうに顔を上げる。
「‥‥で、だな」
「お土産で、忘れるかと思ったんだけど」
「ソレはソレ、コレはコレなのだよ。フィルゲン君」
胸を張ったレオンは、片手に土産の袋を持ったまま、一枚の紙をビシッと突きつけた。
仕方なく紙を受け取ると、フィルゲンはじーっとそれに目を通し。
「レオン‥‥また、人に無断で勝手にボートを借りたのか」
「言っておくが、フィルゲン君。去年とは、一味違うのだぞ!」
脱力気味の相方へ得意げに指を振ったレオンは、紙に書かれた文章の一部を指差す。
「今年は、二台借りてみたのだ」
ぶち。
「いっぺん、流されてこいーっ!」
「そうは言うが、自分ばかり遊んでズルイとは思わんのかーっ!」
三十路も近い29歳とは思えぬレベルの、青年の主張だった。
●ナローボートと水上旅行
ナローボートとは、横幅が約2mしかない細長い船である。
さながら列車の車両を一つ、水に浮かべたようなものだ。
中の設備はベットやキッチンは勿論、シャワーも完備されている。水やボンベは、運河上の給水所で補給する。
操船を行うのは、エンジンが設置されている船の最後尾。左手のスロットル、右手のティラー(舵棒)を使って、船を制御するのだ。スロットルを操作する事によって、船は前進する他、後進も可能となっている。
運河の制限速度は、時速4マイル。平均的な移動速度は時速3マイル程度で、これは人が歩くのと同じくらいのスピードである。さらに『船が動かせるのは、太陽の出ている間だけ』というルールがあり、夜間は岸辺に停泊し、船内に設置されたベットで眠るのが一般的である。
スピードが出ない為、ナローボートを操船するのに免許は一切必要ない。立ちっぱなしでスロットルとティラーを握っていられるなら、子供でも船を動かす事ができる。
レオンが予定している行き先は、去年と同じく北ウェールズ。
エレスメアからスランゴスレン運河に入り、水門(ロック)を越えながらチャーク水道橋とポントカサステ水道橋を経て、スランゴスレンで折り返して戻ってくるという、初心者向けながらも短期間でボート旅行の醍醐味が味わえるという人気のルートだ。
コース上にあるチャーク水道橋は、地上21mの高さにかかる運河橋で、全長は210m。
ポントカサステ水道橋は、地上36mの高さで全長70m。
この二つの橋を渡るスランゴスレン運河は『ナローボート愛好家の聖地』とも称されている。
●リプレイ本文
●出航
ボート会社の係員に案内された14人は、沢山のナローボートが漂うベースに足を踏み入れた。
「ぴゃ〜、船がいっぱい〜!」
「玩具みたいだね」
水に浮かんだカラフルなボートに、ベス(fa0877)と燐 ブラックフェンリル(fa1163)が駆け寄る。
「あんまり水に近付いて、落ちないように」
少女達の背中へ呼びかけた篠田裕貴(fa0441)も、ボートを珍しそうに眺めた。
「変わってないなぁ」
一年ぶりの風景を、嘩京・流(fa1791)が見回す。やはり去年も訪れたCardinal(fa2010)もまた目を細め、岸に寄せられた二艘のボートに気付いた。
「あれが、今回の船のようだな」
赤や黄、緑や青といった原色でペイントされたナローボートのうち、青がベースの長いボートと、赤がベースの短いボートが係留されている。
「話は流から聞いてきたが、面白そうだな」
月.(fa2225)がボートに近寄り、操船のレバー周りを見物する。そんな中、真っ先にレオン・ローズが十人乗りボートへ飛び移った。
「皆、乗るのだぞ。レクチャーの後は、そのまま出航であるからな」
「渡し板とかないんだね。ジーンズにして、よかったよ」
いつもの和装ではなく、サマーセーターとジーンズ姿の深森風音(fa3736)が、レオンと同様に岸とボートの隙間を飛び越える。
「渡し板もあるけど、置くより飛び越えた方が早いのよね」
去年の体験を話しつつ、友人の後に続こうとした羽曳野ハツ子(fa1032)だが、視線を感じて振り返れば。
物言いたげに、じーっと彼女を見るフィルゲン・バッハと目が合った。
「無理しなくてもいいわよ、フィル」
「いや。今年は、頑張るからっ!」
彼は気合を入れると、突然いわゆる『姫抱っこ』で恋人を抱き上げた。
「ちょっと、フィル!?」
慌ててハツ子は緊張した表情のフィルゲンにしがみ付き、そんな二人へ相沢 セナ(fa2478)が苦笑した。
「出発前から、落水しないで下さいよ」
「じゃあ、僕が船を抑えてるよ」
くすくす笑いながら慧(fa4790)が片足を五人乗りボートにかけて、岸との距離を出来るだけ縮めてやる。
「やれやれ。俺も、協力してやるか」
慧に倣って、ヘヴィ・ヴァレン(fa0431)もボートの船首で足を置き、船を平行に寄せた。フィルゲンがハツ子を抱いたまま船尾に移ると、小型のボートはゆらゆらと左右に揺れる。
「大丈夫?」
「う、うん。すまないね、ありがとう」
気遣う慧へ礼を言いつつ、フィルゲンはハツ子を降ろした。落水しないか不安げに見ていた孤神絆(fa4341)も、やれやれと息を吐く。
「置いてくぞ、孤神」
見れば他の者は既に船に乗っており、地上に残るは絆のみ。
「ごめん。それから、えっと、よろしくな」
ヘヴィ以外は初めて顔を合わせる者ばかりで、絆は改めて軽く頭を下げながら、難なく岸とボートの隙間を越える。
「こっちこそ、よろしく」
「よろしくね〜!」
明るい答えが、口々に返ってきた。
ボートのメンテナンス方法を教わると、係員はエンジンキーを差し込んで船を動かす。
実際にスロットルとティラーを使って、基本的な動かし方をレクチャーし。扱いに慣れたフィルゲンとレオンが操船を交代すると、二人の係員は動くボートからそのまま岸へと飛び移り、軽く手を振ってから事務所へと帰っていく。
「あれ? これで終わり?」
「ああ、これで終わりだ。ここから先は、自分達で進む」
係員とレオンを交互に見る燐に、Cardinalが返事をした。
「ぴ〜。じゃあ、船の先頭に行こう!」
「うん!」
ベスの提案に燐が頷き、小柄な少女達は船内へ続く数段の階段をばたばたと降りて行く。
「はしゃぎ過ぎて、頭とか打たないようにな」
急いで流がその背中へ呼びかければ、「は〜い!」と元気な答えが返ってきた。
●ボートの過ごし方
天気予報では旅程の四日間はほぼ晴天続きで、最高気温も20度前後と過ごしやすい日が続くと告げている。
運河は低いエンジン音と共にさほど波も立てずに進む十人乗りの青いボートが先行し、その後を五人乗りの赤いボートが続いた。ちなみにボート間の移動は、動いているボートから岸へと飛び移り、それから走って前のボートの横へ移動、あるいは後続のボートを待って、動くボートへと飛び移るという、いたって「シンプル」な方法だった。
「本当に歩くスピードと変わらないか、それよりも遅いんだね」
赤い船首に座り、針の付いていない釣り糸を運河に垂らした風音が、周りの景色を眺める。
そこから数m先では、流が月と裕貴、そしてヘヴィにボートの動かし方を説明する姿が見えた。首を出して後ろを振り返れば、フィルゲンが慧と絆、それにセナへ操船を教えている。
「レオンさんと、『もふゲン』さんと、どちらに教わろうと考えましたが、もふゲンさんの方が面白そうでしたので。よろしくお願いします」
「よろしく‥‥というか、もふゲンって!? それに、面白いってぇぇぇー!?」
「‥‥多分、そういう所が面白いんじゃないかな」
著しく動揺するフィルゲンの様子に、慧が笑顔で指摘した。
「私から見た感じ、面白さはいい勝負じゃね?」
僅か数時間程度でナニカを把握したらしい絆が、しれっと追い討ちをかける。
「レオンと同等扱いされると、微妙に凹むのは何でだろ‥‥」
「でも、類は友を呼ぶって言いますしね」
更に微笑みながら、セナがトドメを刺した。ザックリと。
「頼むから、一緒にするなーっ!」
「フィルゲンさんは、相変わらずからかい甲斐があるみたいだね」
船尾の会話を聞きながら、くつくつと風音が忍び笑う。
一方で前方の流達は、順調に「操船講座」を進めていた。
「スピードを急に落とし過ぎて、後ろの船とぶつからないように気をつけて。あと、舵は切り過ぎてもすぐに判らないから、ゆっくり動かして調整する。特にコッチは、長いしな。動かす方向は、判るよな」
「左に曲がる時は右で、右には曲がる時は左だね。車のハンドリングと逆だから、間違わないようにしないと」
裕貴の説明に、流と代わってスロットルとティラーを握る月が、緊張気味にグリップを確かめる。
「ナンもなけりゃ、レバーの位置をキープしてればいいから、力入れなくても大丈夫だぞ。基本立ちっぱなしだから、船べりにもたれてっと楽でいいぞ。あと、対向のボートが来る時があるから、その時は右に寄せてすれ違いな」
「それも、車と一緒って訳だな。もっとも、欧米仕様だが」
腕組みをしたヘヴィが、面白そうに操船の様子を眺める。
「これは‥‥ハマったら、うっかり船舶免許が欲しくなりそうだな」
冗談めかしつつ月はティラーを動かして船の動きを確かめ、あるいは速度を調整して、初めて動かす船の感触を掴む。
「次は、ヘヴィがやるか?」
「ああ。面白そうだしな」
「ぴゃ〜。あんまり早くないけど風もくるし、いい気持ちだね♪ いい天気だし、六月の花嫁は幸せになるって言うのも納得だね〜?」
青い船首に座ったベスの後ろから、燐も手を伸ばして風を受ける。
「水はあんまり透明じゃないけど、やっぱり触らない方がいいのかな」
「そうだな。落水した時は、すぐに身体を洗った方がいいらしい」
答えるCardinalは、戸口付近に座って二人の少女を見守っていた。
「長いボートだから後ろから先が見えん。何かきたり、異常があったら大声で後ろに教えてやれよ」
「「はーい!」」
船室から顔を出したヘヴィに、少女達が揃って元気のいい返事をした。
「でも、魚釣れるかな」
「ぴ〜、どうだろうね〜? あ、やっほ〜!」
通りがかる人を見つけてブンブンと手を振るベスの後ろに、迫る影が一つ。
「ベスちゃん! 他のボートや歩く人と出会った時は、「ハロー」と言う代わりに「ナロー」と挨拶しなければならないのよっ!」
「ぴぎゃ〜っ!」
がっしと後ろから肩を掴まれ、ベスが悲鳴をあげる。
「は、ハツ子‥‥さん?」
「それだけじゃないわっ。あのトンネルから先は、巨大ワニが出没するエリアなの‥‥」
「ワ、ワニ?」
黒髪を前に垂らし、俯きがちながらも藪睨みで前を指差すハツ子に、おっかなびっくりで燐が前方に目を凝らす。
進路の先に、暗い穴が口を開いていた。見る限り、トンネルの中に電灯は付いていない。
「さぁらぁにぃ!」
「ぴぇっ」
「な、何!?」
低いながらも恐ろしげな大声で続ける彼女に、少女二人は腰が引けながらもハツ子へ振り返る。
「ナローボートで、スピードを出し過ぎると‥‥ウフフ?」
「ウフフ? じゃないよーっ!」
「ぴゃ〜、怖い〜っ!」
俯いた状態のまま直立不動のハツ子を前に、燐とベスは肩を寄せ合う。
「‥‥ナローボートを甘く見ちゃ‥‥ダメよ‥‥? 去年も参加したけど、半分のメンバーが途中で消息不明になったんだから‥‥フフフフフ‥‥」
怪しげな笑い声を残しながら、ハツ子はススーッと船内へ移動していった。
ムーンウォークの如く、上半身を動かす事無く。
「い、今のホント?」
「ぴゃ〜‥‥嘘だよね、レッドさんっ」
ハツ子の姿が船内に見えなくなってから揃って確認する少女達に、思わずCardinalは笑い出した。
●穏やかな水上生活
何事もなく進むボートの進路はやがて狭まり、その先にロック−−水門が待ち構えていた。
初めてロックを目にする者達は、運河に立ち塞がる扉をしげしげと見上げる。
「この水門の向こうは、こっちより水位が高いんだよ。だから、ロックで水位調整をして、ボートを更に上流へと進めるんだ」
「要するに、パナマ運河などと同じですね。もふゲンさん」
「‥‥だから、フィルゲンだって」
相槌を打つセナに、フィルゲンががっくりと項垂れる。
「ともあれ、ロックを越えるのはそれなりに時間がかかるからね‥‥20分とか。だから船を操作する人とロックを操作する人以外は、近くの店で食事の買出しなんかしてくるといいよ」
フィルゲンのアドバイスに、『食事係』達が目を輝かせた。
前回と違って、今回はロックを二艘のボートが一緒に越える。
二艘でギリギリの運河の幅に、慣れたレオンとフィルゲンがボートを操って並べ。
水門の扉を操作する押し棒バランス・ビームを、Cardinalと絆が操作していた。
水位と共に変わる船のバランスに、レオンとフィルゲンは互いのボートがぶつからない様、注意を払う。
「海の運河なら、何時間もかかるんだろうな」
「タンカーが入るような水門とは、比べモンにならないんじゃね?」
そんな他愛もない会話をしながら、地上の二人はゆるゆると水位が上がるのを待った。
「時間潰しに、よかったら一緒にどうですか?」
ボートに残ったセナは、地上と結んだロープを掴んで船の位置を調節するレオンへ、菓子の袋を差し出した。
「ウエハースと、こっちはオーストリアのお菓子リンツァートルテです。バターとアーモンドの風味が豊かで、シナモンやナツメグ等の香辛料が入ったソフトな生地に、酸味の強いラズベリージャムを絞って焼いたんですよ。ウエハースの方はアプリコットとココナッツ、バニラ、レモン&ライム、レモンクリーム、チェリー、ヘーゼルナッツの七種の味がありますから」
「むむ。これで何か、懐柔しようなどと思っておったりしたりせぬか?」
「しませんよ」
菓子を凝視した後、上目遣いで聞くレオンに、笑顔でセナは首を横に振る。
「お菓子に気を取られて、ロープを放すなよ」
「そうか、フィルゲン君も欲しいか。だが断る」
「頼んでないし、断るなっ!」
並んだボートの間で交わされる会話の応酬を面白そうに聞きながら、セナは個別包装のウエハースを何個か掴むと、フィルゲンへ差し出した。
「もふゲンさんも、食べます?」
「だから、もふじゃないーっ。でも、それは貰っていいなら貰う」
どこまでも、お菓子に目のない二人であった。
同じ頃、近場のマーケットでは七人の男女があれこれ食材を選んでいた。
「割と色々、揃ってるんだね」
「水門に近いから、ボートの旅行者がよく寄るんだと思うよ」
食材の品揃えをチェックする裕貴に慧が続き、最後尾を荷物係のヘヴィがカートを押して歩く。
「ね、これも入れていい?」
「ああ、構わんぞ」
ベスと一緒に戻ってきた燐は、ヘヴィが頷くのを待ってから持ってきた玉葱をカートの籠に入れ、すぐに陳列棚の間へ消える。
それからしばらくすると、二人は再び玉葱を両手に一つづつ持って戻ってきた。
「これも、入れていい?」
「‥‥玉葱ばっかりだな」
「ぴ? 次は、ジャガイモ持ってくるよ〜」
言い残してまた棚の向こうへ仲良く消えた少女達を、苦笑して月が見送る。
「一体、何を作る気なんだか」
「食えるモンならいいけどな〜。あ、卵も買うか。あと、パンも」
朝食担当となった流はメニューを考えつつ、めぼしい食材をカートに加えた。
男達が分担して買い物の紙袋を抱えて戻ってきた頃、ボートは既にロックを越えて七人の帰りを待っている。
「やぁ、お帰り」
船首で暢気に釣り糸を水に垂らし続ける風音が、帰ってきた者達へ手を振った。彼女の傍らでは、ハツ子がてろんとタレている。
「ハツ子さん、暑いの?」
「いや。リラックスしてるだけだよ」
「また、随分と面白いリラックス状態だな‥‥」
微妙に感心しつつ、ヘヴィがボートへ移動した。
「皆、帰ってきたぞ」
全員が乗ったのを見届けて、絆が前のボートへ連絡をする。
やがて二つのエンジンが唸りを上げて、ボートは再び水の上を滑り始めた。
「夕食、できたよー」
夕日が沈む頃。
青いボートの船尾から、裕貴が後続のボートへ声をかける。
それを合図に夜に備えて停船の準備が始まり、Cardinalがしっかりと二艘のボートと陸を繋ぐロープを確認した。
ボートごとに分かれて食事を取る事も出来たが、折角の機会ということもあって、14人は青いボートに集まる。当然席の数は足りなくなり、大柄な者は二段ベットに腰掛けたり床に座り込んだりと、互いに場所を譲り合った。
「初日のメニューは、ウェールズ料理にしてみたよ」
「ウェールズ料理、久し振りだなぁ。父方の親戚が、こっちに多いんだよね」
英国人の血が半分混ざった慧が嬉しそうに皿やコップを運ぶのを手伝えば、裕貴が出来上がった料理を皿に盛って運んでくる。
「そんな風に言われると、凄く緊張するんだけど‥‥」
恐縮しながらもテーブルへ置いたのは、大きなミート・パイのウェルシュ・オギー(グレービー・ソースで味付けをした肉やポテトのパイ包み)だ。それに、カウル(ジャガイモや豆、人参、玉葱、セイヨウネギといった野菜と子羊のスープ)を合わせる。
「デザートには、バラ・ブリス(フルーツ・ケーキ)があるからね」
「美味しそうですね。ありがとうございます」
狭い船内で作った14人分の量に合わせたメニューを前に、セナが礼を言う。
「まぁ、感想は食べてから‥‥ね」
肩を竦めると、裕貴はパイを取り分けた。
『いただきまーす!』
元気な声と共に始まった夕食のひと時は、賑やかに過ぎていく。
美味い料理に舌鼓を打ち、飲める者は少々の酒を、未成年者や飲めない者はジュースを酌み交わす。顔見知りの者も普段は接点のない者も、自分の仕事や身の回りの事など他愛のない話に花を咲かせた。
懇親会のような食事が済むと後片付けを手伝い、そして14人は男女に分かれる。
夜は十人乗りボートは男性用、五人乗りボートは女性用に分ける事になっていた。
「フィルゲンは‥‥何時でもハツ子と一緒のが良いかもしれない、けど」
「いや、そのまだ、一緒に寝るまでに到ってマセンヨ?」
何気ない裕貴の呟きに、慌ててナニカを口走るフィルゲン。
「‥‥もふゲンさん?」
にっこりとセナが微笑み、飛び出したフィルゲンの耳と尻尾の毛が逆立つ。
「いや、だって、日本人の女性はその辺が難しいって言うか、ガードが固いって聞いたようなって、ぎゃあぁぁぁ〜っ!」
夜空に悲鳴が、響き渡った。
「何だか騒がしいね、男の人達」
「そう? でも夜更かしは美容の敵だから、ぱぱっと寝るわよ」
ボートの船首を見やる風音に、着替えを済ませたハツ子が指を振る。
「じゃあ、私はベスさんとダブルで寝ようかな。ハツ子さんとだと‥‥あちこち大きくて、狭くなりそうだし」
「ちょ‥‥そんなに出てないわよ、お腹っ」
反射的にウエストを押さえた友人に、風音は思わず笑った。
●空を行く船
二日目ともなればボートの感覚にも色々慣れてきて、一行は交代で船を操りながら思い思いの時間を過ごしていた。
誕生日の祝いに貰ったERNSTマイスターで裕貴が風景やメンバーの写真を取り、流は風景をなんとなくスケッチしてみたり、月は思いつくまま五線譜へペンを走らせている。
屋根に上ったCardinalは水辺に休む野鳥を眺め、同じく野鳥観察に興じていたヘヴィと絆はいつの間にやら台所を占拠して、菓子作りを始めていた。
セナは時折ハーモニカを吹き、それに合わせて慧が歌を口ずさみ、それを聞きながらハツ子はベットでのんびりと微睡む。
風音は相変わらず釣り糸を垂らし、ベスがルアーをつけた仕掛けで対抗し、燐は面白そうに二人の対決を見物していた。
「ぴ〜‥‥釣れないね。風音さんと、どっちが大きな魚を釣るか勝負なのに」
針を仕掛けていない風音は、それと気付かずに勝負を挑んだベスに素知らぬ顔をする。
「今度こそ‥‥えい!」
「のぁ〜っ!」
ベスが竿を振った途端、あらぬ方向からレオンの叫びが聞こえた。
振り返ればピンとテグスが張り詰めて、その先にレオンの服が引っかかっている。
「ぴゃっ、レオン監督が釣れちゃったよ! 運河にリリースすれば、大きくなって帰ってくるかな‥‥」
「既に大きいから、リリースするでないっ」
ベスとレオンのやり取りに、風音と燐が吹き出す。
やがて運河のマップを確認するフィルゲンが、目玉の一つであるチャーク水道橋に接近した事を知らせた。
地上21mの高さがある、チャーク水道橋。
左右に柵がついているものの、運河の横幅はボート一艘分しかない。
眼下に広がる緑の田園風景の上に落ちた橋の影に、裕貴は息を飲んだ。
「うわぁ、高‥‥」
転々と見える木々は遠く、橋の影は一つではない。水道橋と併走して、数十m隣に鉄道橋が同じようにかかっているのだ。歩く程の速度で進むボートを尻目に、風のようなスピードであっという間に列車が通り過ぎた。
「何だか、手を振る暇もないね」
「ぴ〜。でも、乗ってる人から見えるよね」
燐とベスが、何とか列車の乗客と「コンタクト」しようと相談している。
「これは‥‥あまり味わえない光景ですよね」
船首へ移動したセナは、後ろで一つにまとめた髪を風に揺らしながら進む先に目を凝らした。
「セナ君。乗りたければ、屋根に乗っても構わぬぞ。この先は、トンネルもない故にな」
かっかと笑って、船尾からレオンが薦める。が、セナも手すりもない屋根の上は、さすがに上がる気にはなれない。
しかし。
「上がっても、構わないのか」
動じずにCardinalが屋根に手をかけて、難なく身体を持ち上げた。
「落ちないで下さいね‥‥翼があるなら、ともかく‥‥」
「大丈夫だ」
セナへの答えに動揺の色はなく、屋根に上ったCardinalは操船する者の視界を遮らぬようにして腰を降ろす。
「じゃあ、俺も登ってみるか。孤神もどうだ?」
ヘヴィに誘われて、絆も果敢に頷いた。
「落ちても知らないよ」
後続のボートから風音が呼びかけ、ハツ子は笑いながら子供のような二人を見守る。
「ローレライの岩からの眺めも凄かったが‥‥これはまた、別の凄さがあるな」
「次の水道橋は、これよりまだ高いんだぜ。下なんか、川でさ」
船尾に出てきた月に流が笑って説明し、裕貴は風景にシャッターを切った。
「列車がきたよー!」
運河の後ろを窺っていた慧が告げて、ベスや燐と共に大きく手を振った。
チャーク水道橋から進む事、約一時間。
ボートは、メインイベントのポントカサステ水道橋へと差し掛かった。
こちらの水道橋も運河の横幅はボート一艘分で、運河の片側に歩く事のできる幅が付いている。だが歩行者通路のない反対側は柵もなく、橋の縁から先は空中だ。
「ここが天空橋と呼ばれるのも解るな。しかし、人の手でよくこれだけのものが作れるな‥‥」
チャーク水道橋ともまた違った光景に、月が感嘆の呟きをこぼす。どちらの水道橋も、『土木の父』と呼ばれた天才技師が設計し、作り上げた「作品」だ。
「運河に柵がない分、怖さも増してないか」
「ボートがぶつかったり強風が吹いたら、放り出されるな。これは」
屋根に手をつきながら橋の下を窺う絆を、ヘヴィがからかう。二人とCardinalは、チャーク水道橋からずっと屋根の上で寛いでいた。
「ま、実際に馬や人が落ちたっていう記録もあるけどね‥‥」
「そんな記録が、あるのか」
フィルゲンの言葉に、月が微妙な苦笑を浮かべた。
「うん。中でも、とある女性は落ちたけど、ゆったりしたロングスカートを履いていたのが幸いして、そのままふわりと下のディー川に降りたっていう話もあるよ」
「いや‥‥普通に無理だろう、それは」
突っ込む月に、くっくと流が笑う。
「ぴ〜。隣の通路、歩いてもいい!?」
前の方から大声で聞くベスに、フィルゲンは大きくOKのサインを送る。
「ただ、歩道から船には飛び移らないようにね。落ちるとさすがに、洒落にならないから」
「はぁ〜い!」
元気のいい返事に苦笑して、裕貴はまたカメラのシャッターボタンを押す。
「帰りも通るんだよね。この水道橋」
「うん。今度は、午前中に通るけどね」
渓谷の川に落ちた長い影が、夕暮れの近づいた事を示していた。
●難関と復路
近くの丘に廃城ディナス・ブランを望み、川に沿って蒸気機関車が走るスランゴスレンの町を眺めて通り過ぎ。
やがてボートは、運河の終点であり始点である円形のプールに差し掛かった。
この場所でボートを180度Uターンさせて、今まで進んできた運河を逆に辿るのだ。
「そっちのボートは、外で待ってて。こっちの操船はレオンがやるから、係留用のロープとか引っ張っといてくれると助かる。岸に当たって座礁したら、ボートを蹴って離岸してくれればいいよ」
十人乗りボートの船首に立ったフィルゲンが、てきぱきと段取りを決める。その様子がまるで撮影の時を思わせて、見物するハツ子はくすりと笑った。
涙滴型にも似たプールの直径は、十人乗りボートの長さより若干長い程度。その為、五人乗りボートよりUターンが難しく、Cardinalやヘヴィが係留のロープを使って船首の回転を補佐してやる役目を申し出た。
「いつでもいいぞ」
二人の男が片手を挙げて合図をし、フィルゲンはスロットルを握った。
前進と後退を繰り返し、ロープを引く者と協力して青いボートが無事にUターンを終えると、今度は赤い五人乗りボートがプールへと進む。
「ゆっくりでいいからな」
操船を行う絆にヘヴィが声をかけ、Cardinalとロープを引っ張った。
他の男達は、水際でボートが岸に近付き過ぎないかを見ている。何艘ものナローボートがここでUターンする為、岸に近い場所には浅瀬が出来ているのだ。
周りの合図を見ながら、絆は注意深くティラーとスロットルを動かす。
多少の時間をかけてでも堅実に、ボートを操って。
やがて、無事に二艘目も方向転換を終えた。
「では、少し進んだ後に係留するとしよう。この付近は、混むからな」
レオンの言葉に、岸にいた者達はボートへと乗り込む。
二日目はスランゴスレンの町にある係留スペースで、停泊する事となった。
その夜は、燐の玉葱尽くしの料理が食卓にのぼった。
「こっちは玉葱とジャガイモのポタージュで、フードプロセッサで潰してから、仕上げに生クリームをかけてみたんだ。それと、玉葱のピザ風。大ぶりの玉葱を輪切りにして、トマトソースを塗ってからモッツァレラチーズをのせて、オーブンで焼く。最後に、玉葱の丸煮。鶏ガラの出汁に丸ごとの玉葱を入れて、時間をかけて煮込んだんだよ」
「‥‥何故に、激しく玉葱オンパレードであるか?」
「ん。なんとなく!」
レオンの問いに、胸を張って燐が答える。
「肉は、コッチで焼いておいたからな」
声をかけたヘヴィは、絆と共に焼いたローストビーフを切り分けた。
昨日とはまた違った料理を堪能しながら、風音が小首を傾げる。
「それで、明日の夕食はCardinalさんが作るのかな。手がいるなら手伝うけど、人数も多いし、昼食にするかい?」
「作る事自体に問題はないが‥‥まず唐辛子を多用した、辛さを通り越して痛いモノになる可能性が大きいぞ」
「夏に辛いのも、夏って感じでいいんじゃないかしら」
微妙に二の足を踏むCardinalの背中を、どんとハツ子が押す。
「辛くない料理も、一応あると嬉しいんだけど」
苦笑しながら、慧が念のために申告した。
眠るまでの間は、思い思いに時間を潰す。
床に寝袋を敷いたCardinalの邪魔にならぬよう、注意しながら脇を抜けた流は、扉を開けて船首に出ると大きく伸びをした。
「やっぱ、外で煙草吸ってたんだ。一人で居なくなるなよ」
船首の先客に流が苦笑すれば、五線譜を手にした月が煙草を片手に振り返る。
「町中だと、やはり星の見える数が違うな」
「当然だろ、明るいし。それで、なに書いてんだ?」
五線譜を覗き込む流に、月は紫煙を吐いて五線譜を見せた。
「流の誕生日に贈ろうと思って、曲を作っている。タイトルは『Sternschnuppe』‥‥だ。6日までには完成させるつもりだから、出来たら聞かせる。楽しみにしているといい」
「‥‥へぇ?」
面白そうな表情で、流は改めて五線譜を読む。それを途中で、月がひょいと取り上げて。
「あ。まだ最後まで見てないのに」
「まだ未完成だからな」
「いーじゃねぇか、もうちょっとくらい」
「全部読むと、後の楽しみが半減するだろう」
そんな船首での他愛もない小さな『攻防』は、しばし続けられた。
「星を観て人の運命が解るともいうけれど、私達の星は何処なのだろうねえ」
風音は赤いボートの船首に腰掛けると、青いボートの船尾でモーターの様子を見るフィルゲンへ声をかけた。
「私のはわりと気分で流されていくから、北極星からは離れてる気はするね」
「風音さん、意外と詩人なんだね」
フィルゲンの後ろから、ひょっこりと慧が顔を出して手すりにもたれる。
「そうかな? 人との出会いというのは、不思議なものだと思うけどね」
小さく笑う風音に、慧はふむと考え込み。
「フィルゲンさんが脚本を書く時って、どんな風に頭の中で世界が織り成されてるんだろ。やっぱり、自分の経験を元に‥‥とか?」
ふと、素朴な疑問を口にする。
「それは‥‥ねぇ」
「却下。その発想は、却下だからっ」
したり顔の風音を、慌ててフィルゲンが遮った。一方で話の見えない慧だが、そんな二人に思わず笑う。
「僕は音楽畑の知り合いが多いから、感性の違う人の見識が聞けると楽しいけどね」
「まぁ、何ていうか。いわゆる、「ifの想像」というのは大きいけどね」
「ふぅん?」
よく判らないながらも、慧は相槌を打ち。
「とりあえず、フィルゲンさん。これからも宜しくって事で、脚本と厄介事も頑張って」
励ます風音に、フィルゲンは例えようもなく微妙な笑顔を返した。