選択の行く末ヨーロッパ

種類 ショート
担当 風華弓弦
芸能 フリー
獣人 フリー
難度 普通
報酬 0.7万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 08/06〜08/08

●本文

●死者は語らず
 ヘルシンキにあるWEAフィンランド支部内には、獣人の為にちょっとした『練習場』が設置されている。
 威力はあるが、二発しか弾丸が装填できないスレッジハンマーを手にしたイルマタル・アールトは、大きく息を吐いて銃口を下ろした。
 後ろを振り返っても、励ます者や気遣う者の姿はない。
 主治医だった女医の葬儀は、先日終わった。
 カンテレを弾く事もやめ、弾き手を辞めた以上は後見でもあったマネージャーとの『契約』も切った。これで、マネージャーだった彼が自分のせいで狙われる危険も、少しは減るだろう。
 止まったモーター音に振り返れば、戻ってきた標的には何箇所も穴が開いている。中心近くを穿っている穴もあれば、外れている穴もあり、命中率は6割といったところか。
「もっと、ちゃんと当たるようにしないと。完全獣化も難なくできるようになって、それから‥‥」
 自分に言い聞かせるように小さく呟くと、固く口を結んで『結果』を見つめる。
(「もっと、強く‥‥誰の足手まといにも、ならないようにならなきゃ。そして、あの人を‥‥」)
 顔を上げたイルマタルは、次の標的を取り出してセットした。

 草を踏み、あるいは足でどけながら、林の中にぽっかりと開いた空間へ進み、辺りを見回す。
 かつて家があった場所は、ほとんど緑に覆われていた。焼け落ちた廃材は既に綺麗に片付けられ、墓標のように『獣の石像』がぽつんと残されている。
「すっかり、荒れてんなぁ」
 苦笑いと共に呟いた男は石像の傍らへ荷物を置くと、そのまま腰を下ろした。
 それからポケットから煙草を引っ張り出し、一本を咥えると、ライターで火を点ける。
「‥‥なぁ、じーさん。俺はあんたに助けられた恩を、あんたの孫娘の力になる事で返したかったんだが‥‥どうやら、アダになっちまったみてぇだ」
 溜め息混じりに紫煙を吐けば、青い空へゆらゆらと煙が立ち昇った。
 それを、ぼんやりと眺める事しばし。
「おや。誰かと思ったら、イルマちゃんのマネージャーさんじゃないか」
 白樺の木の陰から姿を見せたイナリ村の住人に、煙草をふかす中年男は「どーも」と愛想良く挨拶を返す。
「ま、もう俺は『マネージャー』じゃあねぇが」
「ほぅ?」
 壮年のラップの男は、よく意味が判らないながらも返事をした。
「いや、まぁ‥‥判りやすく言えば、保護者はもう不要っつーか、そんな訳で。だから今は、ただのサッケってトコだな」
「そういえば、あの子は幾つになったんだ」
「19か。今年で20になるな」
「それなら、もう大人だからなぁ‥‥」
 村の男の言葉に、サッケは苦笑を浮かべた。
 フィンランドでは、18になれば成人として扱われる。それでも彼が保護者兼後見人兼マネージャーを申し出たのは、彼女の育った環境と置かれた状況が特殊だった事と、彼女の祖父に恩があったからに他ならない。
 隠遁し、人に混ざって密かに暮らしていた老人の遺志を汲んで、獣人の世界で生きていけるだけの力量と、せめて自分の身を守る最低限の術を持たせてやりたい。その上で、獣人達の世界の『裏側』からは引き離しておきたいと、そう願ってきたのだが。
(「そもそも‥‥単なる、自己満足ってぇヤツだったのかねぇ」)
 最近はすっかり笑う事もなくなっていた少女の事をぼんやりと考える彼に、「ところで」と男が切り出した。
「久し振りだし、時間があるなら村に寄っていかんか?」
「あ〜‥‥有難いが、腹の穴が塞がったばっかだから酒とかは控えてぇ」
 みぞおちの辺りをさするサッケに、村人は大笑いする。
「トナカイにでも、引っ掛けられたか? 飯を喰う程度なら、喰い過ぎん限り縫い目から溢れたりせんだろ」
 笑いながら肩を叩かれ、二人の男はかつて家のあった場所を後にした。

●生者は惑う
 夏のイナリ村は、フィンランド国内でも名の通った『避暑地』だ。特にイナリ湖に面した周辺にはコテージが立ち並び、人々はのんびりと短い夏を過ごす。
 そんな賑わいを眺めていた中年男は、不意に思い出したように携帯を引っ張り出した。
 以前に顔を会わせた事のある者達のアドレスを確認し、メールを打つ。
 内容は、自分がイルマタルのマネージャーを辞めたという事務的な連絡と、イルマタルの今後について個人的な意見が聞きたいという相談だ。
「今からじゃあ、もう遅いかもしれんがな‥‥」
 メールを送信したサッケは煙草をふかし、光を反射する湖面に目を細めた。

●今回の参加者

 fa0124 早河恭司(21歳・♂・狼)
 fa0259 クク・ルドゥ(20歳・♀・小鳥)
 fa0877 ベス(16歳・♀・鷹)
 fa1412 シャノー・アヴェリン(26歳・♀・鷹)
 fa1814 アイリーン(18歳・♀・ハムスター)
 fa2010 Cardinal(27歳・♂・獅子)
 fa3736 深森風音(22歳・♀・一角獣)
 fa5662 月詠・月夜(16歳・♀・小鳥)

●リプレイ本文

●跡地
 地を覆う草木は瑞々しいのに、風に揺れる様はどこか寂しく見えた。
 過去にかつての家を訪れた者達は、その風景に改めて表情を曇らせる。
「ホント、何も‥‥ないわね」
 開けた空間に立ったアイリーン(fa1814)の呟きが、ぽつんと落ちた。
 友人の言葉に「うん」と短く深森風音(fa3736)が頷き、黙して立つシャノー・アヴェリン(fa1412)は銀色の髪を風に遊ばせるままにしている。
 生い茂る緑は、一部分だけ草の層が薄く。
 そこへ足を向けたベス(fa0877)の目が、見覚えのある石像を見つけ出した。獣の石像は、焼け跡を見守るように置かれている。
「あたしね。イルマがカンテレ弾きをしてるって聞いた時、とっても、とっても嬉しかったんだ‥‥」
 腰を下ろすと、彼女は硬質な石の頭を撫でた。日陰に置かれた像の感触は、以外にひんやりと冷たい。
 寂寥とした空気に月詠・月夜(fa5662)は口を挟む事も出来ず、ただその場に立っていた。
「サッケさんとの待ち合わせ場所、ここだよね」
 辺りを見回しながら聞く早河恭司(fa0124)に、Cardinal(fa2010)が腕時計へ目をやる。
「ああ。そろそろ時間だな」
 その声が緑に吸い込まれぬうちに、車の音が近づく。
 轍の道を抜けてきた4WD車がエンジンを切ると、運転席からイルマタル・アールトの元マネージャーが現れた。
「サッケさん、おはようございます」
「あ、おはようございます」
 クク・ルドゥ(fa0259)が会釈をすると、つられたようにサッケも挨拶を返す。
 その反応に、彼女は握った拳をマイクのように中年男へと向けた。
「ところで、イルマ邸跡は手入れされないんですか? サッケさん、よく押しが弱いって、言われませんか?」
「ちょ‥‥何だよ、いきなりっ」
 たたみかけるように聞かれて身を引く相手の反応に満足したのか、「ふぅ」と満足げに汗を拭う仕草をするクク。
「で、ホントのところは?」
「手入れは、場所と人手が‥‥な。押しが弱いとかは、知るかっ」
 苦々しげなサッケに、ころころと彼女は笑った。

●短くも穏やかな時間
 イナリ湖には、休暇を楽しむ人々がボートで繰り出している。
 サッケが用意したコテージへ案内された者達は、それを岸から眺めこそすれ、同様に楽しむまでには至らない。状況を考えていると、積極的にはそんな気分にもなれず‥‥マネージャーにもどう話を切り出すべきか、考えあぐねていた。
「‥‥電話は、出ないようです‥‥携帯も、家も‥‥」
 携帯の通話を切ったシャノーが、顔を上げて告げる。
「出かけてるのかな」
 腕組みをして考える恭司に、真似るようにベスも腕を組んだ。
「ぴ〜‥‥携帯の繋がらないところか、病院みたいに携帯の電源を入れられない場所にいるのかもしれないね」
「‥‥ここへ、来ている事と‥‥ここに来るよう‥‥メッセージを、残しました‥‥聞けば、連絡が‥‥あるでしょう‥‥」
「ありがとう。すまないね、シャノー」
 礼を言う風音へ、静かに彼女は銀の髪を左右に揺らす。だが話を聞いていたマネージャーは、溜め息混じりでグラスや皿をキッチンから運んできた。
「俺と一緒にいるっつっても、あいつはこねぇと思うがな」
「‥‥そうなれば‥‥ヘルシンキまで‥‥足を運んでみます‥‥」
「あ。その時は、私も一緒についてくね」
 ククが真っ先に手を挙げて、シャノーは黙って頷く。
「月夜も、一緒に行っていいですか?」
 少し考える間があった後、月夜の問いにも、同様に彼女は首を縦に振った。
「それで、マネージャーさんの用件は?」
 椅子から立ち上がったアイリーンが、尋ねながらサッケを手伝う為にキッチンへ向かう。
「ああ。まぁ、飯を食ってからな」
 言いながら運ぶ料理はサッケが用意したものではなく、イナリ村の住人に頼んで用意した物だ。
「そういえば、傷の具合はどうだ?」
 改めてCardinalが問えば、中年男は肩を竦める。
「お陰様で、この通り。ほとんど完治といっても、問題ねぇよ。ただ、荒事はまだ避けておけって言われるがな」
「そうか。サッケさんは退院したばかりだから、お酒は控えた方がいいのかな?」
 小首を傾げる風音に、苦笑しながらサッケは頭を掻いた。
「あ〜‥‥まぁ、そうなっちまうな」
「それは、残念だね。せっかく泡盛でも酌み交わしながら、少女が大人になる時に感じる一抹の寂しさについて、語り合おうと思ったのだけれど」
「なんか‥‥やけに、趣向が年寄りじみてねぇか?」
「妙齢の女性に年寄りとは、失礼だね」
 くすくす笑う風音は、持ってきた紙袋から箱を取り出す。
「お酒の代わりに、水羊羹に葛餅など持ってきたよ。蜂蜜か黒蜜ででもどうかな」
「食後のデザートにするなら、冷やしておく?」
「じゃあ、お願いしようかな」
 ちょうど料理を運んできたアイリーンが聞けば、彼女は『手土産』を差し出した。
「それなら、どうしようかしら。私も退院祝いにと思って、持ってきたヴァジュルヌーヴォーを冷やしておいたんだけど‥‥」
 菓子の箱を受け取りながら、悩むアイリーン。
「じゃあ、退院祝いに皆で開けようか。ベスはジュースだけど」
 冗談めかして恭司が提案すれば、すかさず「いいね」と風音が賛同する。その一方で、ベスがテーブルの顔ぶれを見回して。
「ぴぇ‥‥未成年って、あたしだけ? いいもん。サッケさん、一緒にジュース飲もうね!」
「いや、ワイン程度なら俺も飲みてぇぞ」
 うめく中年男に、笑い声が答えた。

「イルマとの付き合いが長い人、まだ短い人、今ここじゃない場所で彼女を案じてる人も‥‥改めて、よろしく。イルマはもちろん大切だけど、皆も大切な仲間だし、そうなれるって信じてるから。
 じゃあ、乾杯!」
 食事の前にアイリーンが音頭を取ってグラスを掲げれば、他の者も彼女に倣った。
 その日はあえてサッケも『本題』を口にせず、賑やかに一日は過ぎる。
 しかし、イルマからの連絡はなく‥‥恭司とクク、月夜の三人は、シャノーと共にヘルシンキまで足を伸ばす事を決めた。

●願い
「まぁ、今回の用件はメールで知らせたとおり、イルマのマネージャーを辞める事になった。いい機会だから挨拶代わりに、あんた達と話をしとこうと思ってな」
 翌日。ヘルシンキへ向かう者達の事もあり、朝食の後にサッケがそう切り出した。
「改めて、あんた達はこの先イルマをどうしたいか、どうすりゃあいいか、個人的な意見が聞きたいんだが」
「どうって言っても、本人の意思を尊重したいと思うけど」
 頬に人差し指を当て、ククが言葉を選びながら口を開く。
「だから私は、彼女の居場所が減っていかないよう、自分で狭めていかないように、頑張るつもり。本音は‥‥戦闘以外の道に、行ってほしかったけどね」
 やや寂しげにククは目を伏せ、風音も指を組んで深い溜め息をついた。
「私も、今後の事は彼女の意思次第‥‥と言いたいのだけれど。まあ、状況は芳しくないね。私的な推論としては、彼女はいろんな事に脅えてるんじゃないかな。武器としての銃に脅え、そんな銃を手にした自分の心が奏でる音色に脅え、居場所が無くなる事に脅え‥‥早いところ、何かしら自信をつけるか、居場所を見つけるかしないと‥‥純粋なものほど、壊れやすいからねぇ」
「ぴ〜‥‥あたしも歌が歌えなくなったり、家族や友達など親しい人を手にかけられれば、同じ選択をするかも」
 珍しく神妙な表情で悩むベスは、首を左右に揺らしながら唸る。
「ただ、だからって憎しみで人を傷つける様な事が、正しいとは思ってないし、イルマにしてほしくないよ。今の状況は、歓迎出来ないけど‥‥憎しみでなく、強くなって自分の居場所を得るためにルーペルトと対峙するのなら、全力で応援したいと思ってます」
 ベスの言葉に、アイリーンもまた頷いた。
「うん。目標は、やっぱりルーベルトの一件を解決すること、かな。ベスさん達が見つけたヒントが解決の手がかりになると良いんだけど‥‥。それまで、イルマが潰れないようにフォロー、解決のためのサポートが当面の行動で。それが終わったら、また一緒にバカ騒ぎしちゃうのが友人に出来るベストかな、って考えてます。全然微力ですけど友人の『絆』は『契約』みたいには、切れませんから」
 改まって答えたアイリーンが、にっこりと一同へ微笑みを向ける。
 だが一方で、重々しくサッケは嘆息をした。
「やっぱり、獣人社会の『裏の側』を‥‥例のDSの一件を優先で、何とかさせる気なんだな」
「えっと‥‥? サッケさんは、イルマさんに何かしたいの?」
 問い返すククに、元マネージャーは弱々しい苦笑いを浮かべる。
「まぁ、ナンだ。現状を見て、あんたみたいにやべぇと感じて、あいつを今すぐにでも『表の側』に引っ張り戻すのに、協力してくれそうなのがいねぇかと‥‥と、思ってな」
「‥‥うーん。どちらかしか取れないモノも確かにあるが、本当にそれはどちらかを『選ばなければならない』モノなのかは、落ち着いて考えてみてもいいかもしれない。俺は事が片付いて、落ち着いたらでいいから、また彼女のカンテレを聞けたら嬉しいと思うが」
 静かに告げるCardinalは、恭司へ視線を投げた。その意味ありげな視線に、彼は天井を仰いで大きく息を吐く。
「俺は以前も言ったとおり、イルマがこういう行動に出た事に賛成も反対もしない。けれど、自分の大切な人が無理をしているのがありありと見える状態を、放っておく事も出来そうにないかな‥‥だからこの後、ヘルシンキに行こうと思ってるし」
「そうか‥‥結論から言えば、みんな俺とは相反した見解って感じみたいだな」
 腕を組んで伸びをするサッケを、月夜はじーっと見つめ。
「ルーペントさんとの決着後に、イルマさんの家を建て直す事は出来ませんか。イルマさんには、まだ内緒で」
「ぴよ? 家をまた作るのは、いい考えだと思うけど‥‥人から『与えられる』のは、イルマも望まないんじゃないかな」
 その表情に疑問符を浮かべるベスへ、更に月夜が不思議そうな顔をする。
「どうしてです?」
「彼女は、そういう性格だからね。人見知りもあるし、何かをされる一方の自分が、とても‥‥歯がゆいみたいだから」
 代わりに返事をした恭司は、自分の言葉を確かめるようにベスを見やり、彼女が頷く様子に小さく笑んだ。

●一つの別れ
 サッケが手配した水上機が、イナリ湖の水面に浮かんでいる。
 ヘルシンキに向かう者達は、サッケへ一足早い別れを告げた。
「サッケさん、お願いがあるの。彼女がまた音楽に携わろうとした時、迎えてほしいなぁって‥‥」
 ククの言葉に、サッケはただ首を横に振る。
「残念だが、それは保障しかねるな」
「‥‥どうして‥‥です?」
 問いかけるシャノーに、元マネージャーは「判るだろ」と肩を竦めた。
「NWを狩る事は、森で獲物を狩る事と全く違う。あいつの世界から最も離れた場所に、あいつは自ら飛び込んだんだ。それで、飛び込む前の状態に戻れると‥‥あんた達は、本当に思ってるのか?」
「だけど‥‥マネージャーを辞めたのに頼むのも、筋違いかもしれませんが。あたしはサッケさんに、これからもイルマの力になって欲しいです」
 重ねて頼むベスにアイリーンも頷いて、同じ意見だとアピールする。
「すまんが、それも無理だ」
「どうして‥‥」
「俺との関係を切る事で、あいつは俺をDSから遠ざけようとしたなら、それを反故する訳にはいかんだろ。おそらく本当の意味での『引き金』を引いたら、あいつは二度と『後』へは戻れない。だが強引にでも、『道』を引き返させる事が出来ないのなら‥‥それが俺がしてやれる、最後の『仕事』だからな」
 操縦士が、離陸の時間を知らせる。
 仲間とサッケに見送られながら、四人はヘルシンキへ飛ぶ機上の人となった。

「それにしても、せっかく見目麗しい女性が大勢集まったので、皆の水着姿を堪能したかったのだけれど‥‥泳ぐには、少し肌寒いかな?」
 遠ざかる水上機を見送った風音は、波の残る湖面を見やる。
 夏といっても気温は20度を越えるか越えないかで、随分と涼しい。
「ところで、J.アールトという名に覚えはないか? ルーペルトと関わりがあると思われる人物なのだが」
 懸念を口にするCardinalに、サッケは何度目かの首を横に振る仕草を繰り返す。
「俺は、アールトのじーさんの事なら多少は知ってるが、イルマの両親の事は残念ながら知らなくてな」
「‥‥そうか」
「すまんな。最後まで、肝心な時は力になれずに」
 詫びるサッケは、困ったような笑いをみせ。
「押し付けるようで悪いが‥‥みんな、達者でな」
 それだけ言い残すと、中年男は残った者達の前から去っていった。

 そしてヘルシンキでイルマと会った‥‥正確には、訓練用の施設に入り浸っている様子を窺った者達が見たのは、遠慮がちな空気や柔和さをそぎ落とし、他者を寄せ付けぬ気配を放ち、ただ一心不乱に−−別の表現をするならば、病的なまでに−−己を鋭く削ろうとする女性の姿で。
 またその日を境に、携帯やメールといったサッケとの連絡手段も全く通じなくなり、彼の消息はぷっつりと断たれた。