The World’s Endヨーロッパ

種類 ショートEX
担当 風華弓弦
芸能 2Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 やや難
報酬 4.9万円
参加人数 10人
サポート 0人
期間 04/01〜04/07

●本文

●Monochrome Monologue
 満天の星空には、月と‥‥もう一つ、いびつな『月』が見えていた。
 それは昨日より大きく、一昨日よりは更に大きい。
 昼間には忘れ去る事ができても、夜になれば公然と示される、覆る事のない事実。

 −−明後日にはアレが落ちてきて、地面にぶつかって、何もかもなくなるんだって。

 ソレが判明した時、世界は大騒ぎになった。
 日常を放棄した人もいた。自分だけの安楽な空間へ閉じこもった人もいた。

 −−でも結局、逃げ場なんてない。壮絶な世界ぐるみ心中は、確定事項なのだから。

 気付いてしまえば不思議なもので、人々は元の日常生活の枠へと帰還した。
 それが一番、楽で安心する形だったんだろう。
 それでも天文学者や数学者達は必死に数値をはじき、自分達の余命を計算する。
 結果は、この連続した日常が明日一日で終わると、判っただけ。
 夜空を仰ぎ見れば、一目でわかる事だけ。

 さぁ、今は目を閉じよう。
 明日になれば、終わりが始まる。


『The World’s End』−−これは、世界最期の日の物語。

●今回の参加者

 fa0800 深城 和哉(30歳・♂・蛇)
 fa0910 蓮城 郁(23歳・♂・兎)
 fa1108 観月紗綾(23歳・♀・鴉)
 fa1435 稲森・梢(30歳・♀・狐)
 fa1565 ニライ・カナイ(22歳・♀・猫)
 fa1715 小塚さえ(16歳・♀・小鳥)
 fa2010 Cardinal(27歳・♂・獅子)
 fa2627 ラルス(20歳・♂・蝙蝠)
 fa2817 ノイエ・リーテ(20歳・♀・小鳥)
 fa2820 瀬名 優月(19歳・♀・小鳥)

●リプレイ本文

●Cast
レステ‥‥ノイエ・リーテ(fa2817)
深城和哉‥‥深城 和哉(fa0800)
郁‥‥蓮城 郁(fa0910)
紗綾‥‥観月紗綾(fa1108)
ルーチェ‥‥ニライ・カナイ(fa1565)
ラルス‥‥ラルス(fa2627)
バイアウスワ‥‥Cardinal(fa2010)
橘 朱里‥‥瀬名 優月(fa2820)
マーリエ‥‥小塚さえ(fa1715)

稲森コズエ‥‥稲森・梢(fa1435)

  ・
  ・
  ・

●07:00
 終わりの始まりは、いつも通りに目が覚めた。
 長らく身体に刻み込まれた習慣とは不思議なもので、多少の環境や心境の変化があっても−−例えば、今日で世界が終わる日でも−−そのリズムを変える気はないらしい。まったくもって、恨めしい条件反射だ。
 カーテンの隙間から差し込む光を受け、両手を突き上げて大きく身体を伸ばす。
 それからもう一度、くるりとベットの上で丸くなってみるが、夜の側へ去ってしまった眠気は戻らず。
 もつれた灰色の髪をさらりと指で梳いて、仕方なく稲森コズエは起き上がった。
 寝間着のままスリッパを引っ掛け、カーテンの隙間から外を覗けば、日差しに一瞬目が眩む。
 それが治まると、ホテルの窓の向こうには静かな朝の町並みと嫌になるほど澄んだ青空が広がっていた。

 チャンネルを回しても乱れた画像と雑音がほとんどな中で、国営放送と一つ二つの民放が競うように放送を継続している。先に仕事を放り出した側が負ける、チキンレースといった所だろうか。
 むしろこんな状況になると、ラジオの方が元気らしい。最後の一分一秒まで放送を続けると息巻くDJ達が、オールディーズから最新曲まで次々に音楽をかけまくっていた。
 ちらちらと窓の外を確認しても、青空の先にあの『月』は見えない。それだけでも、気分は随分と楽だ。
 新聞はもう配達されていないため、テレビのニュースとラジオの音楽を聞きながら、レステは朝食の支度をすべく冷蔵庫を開けた。
 牛乳パックと卵を一つ取り出すと、金髪を揺らして勢いをつけ、腰で扉を閉める。
 −−行儀が悪いって、よく怒られたっけ。
 そんな事を思い出しながら、油を落としたフライパンを熱して、卵を割る。
 気分はターンオーバーより、サニーサイドアップ。
 今日のお日様みたいに、上手に焼ければいいけれど。
 呟きにも節をつけながら、レステはトースターのスイッチを入れた。

●09:00
 デジタル式の時計が、悠長に4月1日の9時を表示している。
 すっかり短くなった煙草を、灰皿で山を形成しそうな残骸に仲間入りさせて、深城和哉は一息ついた。
 プリンターが煩く忙しく、彼の代わりに紙へ物語を綴っている。
 誰かが傍らにいれば、こんな時にほとんど徹夜で仕事をしなくてもと呆れるだろう。
 だが彼にしてみれば、いつもの通りにいつもの生活をこなしているだけ。
 印字を終えたプリンターが待機状態に入ると、文書データを保存し、パソコンを終了させる。本来の期日に間に合わせるように仕上げた脚本を取り、紙の束をファイリングして‥‥キャビネットへと仕舞った。
 例え彼が期日通りに仕事を行ったとしても、受け取る相手が既にいない。
 何より、受け渡しの日が、こない。
 仕事を終わらせてしまった和哉は、残る時間の潰し方を考えながら、新しい煙草に火を点けた。

 型の古い掃除機が、ガーガーと騒ぎながら後をついてくる。
 元々小奇麗にしていた事もあり、隅から隅まで几帳面に埃やゴミを吸い取っても、掃除はあっという間に終了した。
 開け放っていた窓を閉め、掃除機を片付ける。ベットも丁寧に整えて、他にやり残した事はなかっただろうかと、郁は部屋を見回した。ついでに時計を確認すれば、短針はまだ9と10の文字の間にいる。
 こんな時だけ遅く流れる時間が、少しもどかしい。
 思案の結果、クローゼットから肌触りの良いお気に入りのシャツを取り出して、着替えてしまう事に決めた。
 身形を整え、髪をブラシで梳き。
 準備が終われば一呼吸おいて、郁は階下の家族へ一足早い礼と別れを告げに赴く。

 受話器を取り、時計を確かめては、元に戻す。
 暫くしてまた受話器を掴み、ボタンを幾つか押してから、思い直してフックを押す。
 同じ行為を何度も繰り返し、繰り返す。
 そんな自分が歯がゆくて、紗綾は目を閉じ、深呼吸をした。
 改めて受話器に手をかけ、一つ一つの番号を確かめながら、押していく。
 僅かな沈黙の後に、コール音が聞こえた。
 心の準備が完了‥‥しきる前に、すぐにコール音が切れる。
 −−うそ。
 口は動いても、渇いた喉から言葉が出ない。
 誰かに切られたのかとか、回線がダメになったのかとか、不吉な予想が頭の中を駆け巡ったのも数秒の事で。
 受話器から聞こえる耳慣れた声が、全ての不安を一瞬で駆逐した。
『もしもし?』
「あのっ‥‥私。あのね。無理なら無理で、いいんだよ。ただ‥‥もしよかったら、家にこない‥‥かな。一緒に居たいなー、なんてね」
『はい。私も今、その件で紗綾さんに電話しようと思ってたんです』
 穏やかな即答に、息を呑む。そして、コール音がすぐに切れた訳を理解した。
 受話器を持つ手に、もう片方の手も添えて、ぎゅっと耳に押し付ける。回線越しの恋人の声が、もっと近くで聞こえるように。
「ありがとう」
 その言葉以上の想いを込めて、紗綾は電話の向こうの郁に礼を告げた。

 彼女の世界は、静かだった。
 喧騒も何もかも一切が届かず、完全なる静寂が支配する世界。
 そんな暮らしを始めて、もう1年になる。
 −−「奇蹟の声の歌姫ルーチェ」も可哀想に。アレは不幸な事故だった。
 世間一般は大抵そう表現するが、実際その身になった者にとっては不幸の一言では収まらない。
 歌こそが恋人だった彼女にとって、『世界』はそこで既に終わっていた。
 後は、音程も確かめられない気休めのボイストレーニングを行い、いつか再び舞台に立てるかもしれない『明日』に縋って、生き長らえるだけの日々。
 そんな地獄のような日々が、漸く終わる。
 世界が終わると知った日も、逆にそんな安堵の思いすら湧いた。
 そして今日も、日課のトレーニングを始める。
 一日休めば一週間、いや一か月分のトレーニングが無駄になってしまうのだから。

●11:00
 少し早めの昼食を取る。
 哀しいかな。こんな状況になっても、人間という生き物は空腹になるよう出来ているらしい。
 彼女の我が侭にも母親は怒らず、笑顔で昼食を用意してくれた。
 だが渋面の父親は、リビングでテレビを睨みつけている。
 家族なら、共に過ごすべきだという父親の考えも、判らなくはない。まだ16歳の彼女は、親の保護下にあるべきなんだろう。
 そんな考えを母親に打ち明ければ、明るい笑い声が返ってきた。
 間違っているのかと思案していると、母親はまだ笑いながら答える−−お父さんは、マーリエがお嫁に行っちゃうみたいで、寂しいのよ。と。
 でも彼女は我が侭を通したいし、母親がそれを受け入れてくれた理由を問うと、かつて16歳だった女性は微笑みで返し。
 答えの代わりに小腹が空いた時の為にと、サンドイッチを詰めた小さなバスケットを用意してくれた。
 −−ピクニックに行くんじゃないんだけど。
 マーリエは困惑しつつも、食事を進める。

 ビニールを破って、買い置きの真新しい電池を取り出した。
 プラスチックの蓋を外し、刻印されている向きを確かめながら、一つ一つCDラジカセに詰める。
 蓋をしてボタンを押し、動作チェック。液晶パネルの反応を見て、橘 朱里は満足そうにぽんぽんと『相棒』を叩いた。
 それから予備の電池を鞄に詰めて、念のために電源ケーブルも束ねて入れる。行った先に電源があれば、電池の消耗も抑えられるだろう。
 そう‥‥彼女が決めた今日一日の道連れは、少し型遅れな電気仕掛けの機械だ。
 ハードの準備が終わるとCDラックから、BGMをチョイスする。
 作業は常に鼻歌まじり。曲は『Happy Birthday to You』。
 だって今日は、彼女が20歳になる記念の日なのだから。
 赤いワンピースの上に上着を羽織り、鞄とCDラジカセを手に玄関へ向かう。壁にかかった鏡で、笑顔をチェック。
 心配してくれた家族も、声をかけてくれた友人も置いて。
 俯かず、大きな歩幅で朱里は颯爽と家を出た。

 そういえば、数ある部族の一つにこんな言伝えがあった。
 大地を作った神が、動物と人を集めて生き物の生き死の有り様を相談した。
 人は野牛の骨を湖へ投げ入れ、「沈んでも浮く骨の如く、死んでも蘇る方がいい」と言った。
 だが知恵に長けた熊は「死んで終わりの方がよい」と、湖に岩を投げ入れた。
 生き物が大地に溢れかえれば食べ物もなくなり、また命のある間の喜びや楽しみも色褪せるからだという。
 そうして命は岩の様に、死の淵へ沈めば戻らぬようになった。
 ならば今、人で溢れるこの地へ天を裂いて降り落ちようとする巨大な『岩』は、熊の投げ入れた岩なのだろうか。
 水面のような雲一つない青い空を見上げてながら、バイアウスワはそんな事を考える。
 路上に座り込んだ男の前には布が敷かれ、彼の部族にも伝わる『ドリームキャッチャー』が並んでいた。
 遠い西にある故郷の大地ではなく、石と鉄と漆喰で出来た異郷で最後を迎える事を選択した彼は、いつもの様に路上で故郷のまじないを売る。

 列車などのダイヤが複雑な移動手段は、人手不足で機能しなくなってきている。
 一方で、運転手の気まぐれで走るバスは、幸いにもまだ生きていた。
 待合所に滑り込んできたバスの扉が開くのを待ち、タラップに足をかける。
 一段、二段と上がって見渡した車内は、数えるほどの乗客しかおらず。
 それならそれで好都合と、ラルスは空いた席に腰を下ろした。
 彼以外に、新たな乗客はなく。
 アイドリングしていたエンジンが唸りを上げ、左右に身体を振りながらバスは走り出した。

●12:00
 変わらず、正午の鐘が鳴る。

 のんびり揺れていたバスが減速し、停車する。
 ラルスが窓の外に向けていた視点を車内へ移せば、まばらな客の何人かが降車していった。
 それとは反対に、東洋人の女性が乗り込んでくる。
 服装からして住んでいる人間ではなく、旅行者らしい。酔狂な事だと半分感心し、半分呆れた。もちろん、顔には出さないが。
 目が合うと、近くに座った相手は微笑んだ。
「ご旅行かしら?」
「はい‥‥まぁ。あなたもですか?」
「ええ、日本から。今生の最後に、出来るだけの沢山の風景を、ひと目見ようと思ったんだけどね。列車がもう、当てにならなくて‥‥あなたは、どこまで行くの?
 一人旅の女性は、人懐っこく問いかける。あまりに無防備なので、心中に多少の悪戯心が湧いても、仕方ないだろう。
 走る車の振動に身を委ねたまま、少しゆっくり瞬きをして、彼は作り出した言葉を口にする。
「僕にはね、大切な友人がいたのですよ。子供の頃から一緒でした。自分でも驚くくらい、気が合いました。楽しかった、本当に。
 どうでもいいような、くだらない話で盛り上がったり。その友人は、上に馬鹿が付くくらい、正直で、実直で。物静かなタイプでした。怒る事もほとんど無かったように思います。怒ったら、僕よりも怖かったんですけどね」
 言葉を切って様子を伺えば、女性は興味を持ったらしく話の続きを待っていた。
 ラルスはふっと息を吐いて、肩を竦めてみせる。
「でも、今は、断交状態です」
「あら‥‥」
「僕が悪いんです。僕がいい加減だったから。仕事とか、まぁ、色々と。ある日突然、嫌になりましてね。置手紙の一つすら残さずに、失踪したんです。僕は。
 彼は、必死に探してくれていたようです。一度だけ、電話しました。帰って来いと、言っていましたね。待っているからと。会わす顔が無いから、電話を切って。それきりです。
 怒っているでしょうね‥‥だから、彼に会いに行くんです。
 会って、謝ります。出来る事なら、最後の今日一日を、昔の様に過ごします。あの懐かしい村で」
 彼女は黙って、話を聞いている。信じ切ってしまう前に、おどけた風にラルスは演じていた深刻な顔を、即座に笑顔へ作り変えた。
「どうです、迫真の演技でした?」
「え‥‥演技なの? 本当の話だと思ったのに」
 きょとんとした後に、女性は憤慨したような、落ち込んだような表情を浮かべる。
「まさか‥‥でも、そうですね。
 一つだけ、本当です。彼は実在します。この業界に。断交なんてとんでもない。今でも、親友なんですよ」
 バスが減速する。次の停車駅が、彼の目的地。暇つぶしもこれまでだ。
 席を立ち、俳優である彼は最後の『芝居』に付き合わせた唯一人の観客に、礼をする。
「一番、大切な友人なんです」
 笑顔を残して、ラルスはバスを後にした。
 動き出すバスの中で、コズエは窓から彼女を騙した相手の背中を見守る。
 振り返る事もなく歩く男の後姿は小さくなり、やがて見えなくなった。

「「花を下さい。両手に抱えきれるくらい」」
 奇しくも同じ注文をして、青年と少女は顔を見合わせ、思わず笑い合う。
 二人の注文を聞いた花屋は、硬貨一枚で請け負った。
 少女の花は、持ち分けやすいように幾つかの束にして。
 青年の花は、彼の希望で包装もリボンもなく纏めただけの一つの束にして。
 ふと思い立ち、青年は大きな束の中から一本の花を取り、短くその茎を折る。そして、バスケットを腕にかけ、両手で花束を抱える少女の髪へ差してやった。驚いた少女は頬を染めて、彼に軽く会釈をする。
「ありがとうございます」
「いいえ。それではお気をつけて、お嬢さん」
 短い言葉を交わした後に、二人は別々に歩き出した。
 郁は、生者に手渡す花を抱いて。
 マーリエは、死者に手向ける花を抱いて。

●13:00
 バスが終着の停留所に止まり、残った乗客達を吐き出す。
 様々な目的の人達に混じって、レステはタラップから石畳へと足を降ろした。
「今日で終わりだね」
『そうだね‥‥』
 そんな会話を交わしたのは、数時間前。
 家族とは電話で話したものの、やはり一人で寂しく終わりを迎えるよりもと、レステは家路を辿る。
 最後はやはり、家族といたい。友人達も一緒なら、もっと嬉しいだろう。
 気持ちが急ぐと、その足取りも自然と速くなっていく。

 来た道を戻るつもりもないので、コズエも他の乗客の後を追い、一番最後にバスを降りた。
 何か用事でもあるのか、急ぎ足でどこかへ向かう人もいる。
 彼女は急ぐ旅でもなく、古い石造りの町並みを眺めながら街路を歩いた。
 ちょっとした広場に入り込むと、寛いでいた鳩達が一斉に飛び立つ。
 群れを見上げ、視線を戻すと、広場の隅で一人の男が店開きをしていた。
 近寄って見れば、鳥の羽根や天然石の飾りがついた丸く平たい蜘蛛の網のようなものが、道に敷かれた布の上に無造作に並んでいる。
 コズエにも、それは見覚えがあった。日本でも一時流行った飾りで、確か『ドリームキャッチャー』といった。でもあれは、アメリカの方の民芸品だったような‥‥と首を傾げていると、浅黒い肌の男は彼女の仕草を違う意味で取ったらしい。
「これを枕元に吊るしておけば、良い夢と悪い夢がこの網で選別され、良い夢だけをみる事ができるようになる」
「‥‥はぁ」
 短くも適切な説明に、コズエは気の抜けた返事をする。が、様々な羽根やカラフルな石を眺めた末に、青と基調とした一つを手に取った。
「これにするわ。いくらかしら?」
 買うとは予想していなかったのか、男は物珍しそうに彼女を見上げてから、値段の札を指差す。
 小銭入れから出した硬貨を受け取り、男はぼそりと呟いた。
「いい夢を」
 微笑んで「ありがとう」と答え、コズエは丁寧にそれをバッグに仕舞った。

 テーブルで時計と睨めっこし、振り子の様に足をぶらぶらさせながら、来訪者を待つ。
 刻む時間と共に嬉しかった日。喧嘩した日を思い起こす。二人の仕事は違う方面だから中々都合を合わせるのは難しかったけど、心に刻まれた思い出の風景には、必ず恋人の姿があった。
 そうやって、どれくらいの時間が過ぎたのか。
 呼び鈴が、待望した来訪者の到着を知らせる。
 慌てて立ち上がった紗綾の足元に、椅子がひっくり返った。が、転がった椅子を戻すよりも何よりも先に、扉へ駆け寄る。
「郁さん‥‥!」
 恋人の名を呼んで扉を開けると、横合いからすっと一本の薔薇が差し出された。
「すいません。待たせてしまって」
 申し訳なさそうに謝る恋人に、言葉ではなく抱擁と口付けで応える。
 −−もう離さないし、離れない。最後の一瞬。いいえ、死の先まで二人一緒に‥‥。

 突風が吹いて、髪が乱された。
 花束が飛ばされる程ではないが、髪に浅く差した一輪の花が風に浚われる。
 失速し、道にぽとりと落ち、転がり。
 抱えた花束と落ちてしまった花を交互に見比べて、どうしようかと思案に暮れる。おろおろしていると、通りがかった女性が落ちた花を拾い上げた
「あなたの?」
「はい。風で飛んでしまって‥‥」
 駆け寄った相手も一輪の花を手にしているのを見て、マーリエはハテと首を傾げた。
「え、これ? 知らない男の人が配って歩いてて‥‥もらっちゃったの。それよりも、どうしよう。あなたのお花、汚れちゃったわね」
 花弁の砂を払って、女性は少し考え込む。
「汚れても、花は花‥‥ですし。あ、お墓参りに行く途中なんですけど‥‥とても綺麗な所で。よかったら、一緒に行きませんか?」
「いいの? そうね‥‥じゃあ、お花持つの大変そうだし、手伝うわ」
 ほらと笑顔で手を差し伸べる女性に、マーリエは花束を半分渡す。
「よろしくね。私はコズエ。あなたは?」
「マーリエです」

●16:00
 CDラジカセをぶら下げて、街を歩く。
 例えば劇場やコンサートホール、あるいは公園、マーケット。
 どこにしようかと、見当を付けながら回る。
 いざとなれば、どこでだって出来る。でも出来れば‥‥人が集まりやすい場所だと、ちょっと嬉しい。
 観客がいなくても演技はできるけど、舞台女優としては少し寂しい。女優になる事を応援してくれた家族や友人の気持ちにも応えたいし、自分の演技は『人にみせるもの』だと信じているから。
 そうして街を歩いていると、奇妙な男を見つけた。
 何かしら目的を持って道行く人の中で壁にもたれ、人々を眺めている。
 待ち合わせにしては変で。もしかすると、街の風景を記憶に留めようとしているのかもしれない。
 自分の演技も誰かの記憶に残ればいいなと考えながら、朱里はその場を通り過ぎた。

●18:00
 行き交う人々の様子を、壁にもたれて見続ける。
 もう何時間、そうしてきただろうか。フィルタだけになった煙草を、いい加減はち切れる携帯灰皿へ突っ込んだ。
 陽も傾き、街も空も橙色に染まる頃、一人の少年が通りがかった。
 次の煙草を引っ張り出す前に、声をかけてみる。
「‥‥学校へ行っていたのか?」
 少年は彼に、怪訝そうな顔を浮かべた。見も知らぬ相手から、いきなりそんな事を聞かれては、戸惑うのも当然だろう。そのまま急いで、走り去っていく。友達の元か、あるいは家族の元へと帰る為に。
 現実は、頭の中で思い描いた『ホン』の通りにいかないなと、和哉は僅かに苦笑した。
 そう。彼の脚本では、こんな会話が成される筈だった。
 −−夕暮れ、学生服姿の少年が一人、通り過ぎる。ふと話し掛ける。
 −−「‥‥学校へ行っていたのか?」
 −−「はい」
 −−「なぜ?」
 −−「なぜって、うーん‥‥。終わらなかった時、何もしていないって嫌じゃないですか」
 彼は傍観者を決め込んでいた。
 傍観者は何も言わないし、何もしない。感想を持ち、何かを述べれば、傍観者はその時点で観測者だ。
 故に気付く。自分が傍観者でなくなる原因を、他者に委ねたかっただけだと。
 和哉は己の意思で携帯電話を取り出して、メールを打ち始めた。

 春の花でいっぱいになった墓碑。
 その近くにあるベンチで、サンドイッチを分けた後、二人は様々な事を話していた。
 コズエは日本でOLをしていて、最後まで出来る限り沢山の事を自分の目で見ようと、家族や友人の反対を押し切って渡欧してきた事。
 マーリエは、ここに幼馴染で初恋の人が眠っている事。互いに言葉には出さなかったけど、想いは通じ合っていた。そんな思い出話を打ち明ける。
「‥‥ずっと、哀しかった。春が来て夏が来て、秋が来て冬が来て‥‥世界の色は変わるのにクリスがいない。私の時は流れていつかクリスを追い越すのに、クリスはずっと17歳のまま‥‥。
 でも、それももう終わり。私は、やっとクリスのところにいけるんです。沢山の春の花と一緒に、クリスのところに‥‥」
 言葉が途切れた。微笑みながらも、少女の頬を涙が次々と零れ落ちる。慰めるように、コズエは彼女の肩を抱いた。
 暫く後にマーリエが落ち着いたのを見計らって、コズエはベンチから立ち上がる。
「お邪魔しないよう、私は行くわ。最後にあなたと話が出来て楽しかったわ。ありがとう」
「コズエ‥‥?」
「もしアッチのどこかで会えたら、クリス君を紹介してよ」
 ハンカチを渡して笑顔で手を振り、コズエは墓所を去る。
 マーリエは赤い目で、その後姿を見送った。

●20:00
 照明効果も、背景やその他大道具も一切ない。
 ただ漠然と明るい舞台と、客席。
 防音扉も、劇場の入り口のガラス扉も、全て開け放ってもらった。お金なんかいらない。ただ、演劇が好きな人もそうでない人も、ふらっと観に来てくれればそれでいいから。
 観客は、彼女の好事に付き合ってくれた劇場のオーナーとその家族だけ。
 それでも舞台袖に置いたCDラジカセのスイッチを入れて、彼女は幕を開けた。
 もしも生まれ変われたなら、また女優として舞台にあがりたいという夢をのせて。

 小さな露天を畳んだバイアウスワは、その足で動物園へと赴き、忍び込んでいた。
 理由は一つだ。以前見た、災害で避難できなかった『猛獣』を射殺したという報道を思い出したから。
 狭い檻の中でも野生の習性と勘が働くのか、特に夜行性の獣達が落ち着きなく歩き回り、唸ったり吠えたりしている。
 本来生きるべき故郷への帰還が果たせないと言う点では、彼もここの獣達も同類だ。
 あえて整備されていないむき出しの地面へ座り込み、乾いた砂を手に取る。
 それは色も感触も故郷とは違うが、同じ土。同じ大地の一部。
 この大地の上ならば、何処も故郷と繋がっている。
「‥‥ヴィジョンか」
 ヴィジョン−−迷える魂を導く、偉大なる精霊からの啓示。報道を見、思い起こした事が、彼へのヴィジョンだったのだろう。
 ならば、感謝しよう。
 遠いこの地でも、先祖の霊の列に加わる事ができるのなら−−。
 針のような三日月と歪な『月』の下、大地の上で胡坐を組み。
 獣達の声を聞きながら、バイアウスワは目を閉じた。

●22:00
 公園のベンチに座り、不吉な夜空を見上げて故郷を思う。
 マーリエに一つだけ、話さなかった事がある。それは、自分が家族や友人の他に、恋人までもを日本へ置いてきてしまった事。
「‥‥馬鹿ね。今更、後悔なんて」
 後悔と口に出せば、知らずと夜空が滲んだ。
 頬を伝い落ちる涙を拭わず、ただコズエは呟く。
「もし、明日を迎える事が出来たら‥‥」
 叶わぬ願いを星にかけて、彼女は静かに両手を合わせた。

「一つ、我が侭なお願いをさせて下さい‥‥私の為に、唄ってくれませんか」
 愛しくも取り留めのない会話の狭間で、そんな願いを口にした。
 隣に寝そべる紗綾が、彼を見る。その視線は問うものではないが、郁は敢えて理由を告げた。
「愛してやまなかったその歌声を、私の心に刻みたいのです。二人の魂がいつかの未来に出会う為の、道しるべに」
「いいよ。郁さんの好きなだけ、唄ってあげるね」
 身を起こし、腕を回して恋人を胸に抱く。まるで、子供をあやす母親の様に。
 そして紗綾は、そっと子守唄を紡ぐ。
 心安らかな眠りと、いつか再開できた時、今と同じよう共に居られる事を、祈りながら。
 柔らかく暖かい歌と鼓動を聞きながら、郁は目を閉じた。

●23:00
 時間を確かめようと携帯を取り出し、始めてメールが届いていた事に気付いた。
 着信音が聞こえないのだから、仕方がない。振動機能も、厚手のコートのポケットでは判らなかったのだろう。
 発信者は友人で、メールの本文は短い。
『来週にでも飯を食いに行かないか』
 今からでも大丈夫だろうかと、アドレス帳から友人の電話番号を引き出し、通話開始のボタンを押した。
 現れた『深城和哉』と『呼出中』の文字が躍るディスプレイを、じっと見つめる。
 呼出中が通話中に変わると、ルーチェは挨拶代わりにいきなり歌の一節を披露した。
 そして一拍おいて、用件を告げる。
「来週があれば是非」
 それだけ言って、彼女は笑顔で電話を切った。音が聞こえない以上は、電話では会話にならない。
 彼は面食らったかもしれないが、彼女の及び知らぬところだ。
 夜空を、冷たい風が渡ってくる。
 今いる場所は、教会の近くにある尖塔の天辺。この街で、最も空に近い場所。
 舞台に復帰できる『明日』がこないのは、少し哀しいが。
 何処にも歌う場所がある‥‥望めば、どこにでも。
 −−その時、『音』が聞こえた。
 ミサが始まるのか、神への救いを乞うためか‥‥街中にある教会の鐘が、一斉に鳴り響いたのだ。
 無論、その音が直接彼女に聞こえるわけではない。
 鼓膜を揺らすのではなく、肉や骨が音の波の振動を拾い上げる。
 身体の奥から震えるような『音』。
 空を見上げる。
 三日月は既に、地平の向こうへ落ちた。
 彼女が挑むは、迫りくるもう一つの『月』。
 いま『開幕』のベルは鳴った。
 −−ならば唄いましょう。
 あの落月がこの世界で最初に聞く『音』が、己の歌であれと。

  Don’t cry your eyes out
  未来という文字がどこにも見えなくても
  立ち向かえる勇気を歌うから

  Don’t cry your heart out
  涙枯れる程 命の限りに生きてきた
  その証は今確かに此処にあるの

  I wish your good luck
  天見上げれば 其処には永遠の夢があるだけ

  I don’t cry for the falling moon
  何処までも私は自由だから
  I sing away
  生まれてきた意味など問いかけない
  sing forever


●24:00

 −−そして世界を『最後の嵐』が吹き抜け、全てを根こそぎ持ち去った。