永劫回帰交響曲 第4番ヨーロッパ
種類 |
ショートEX
|
担当 |
風華弓弦
|
芸能 |
3Lv以上
|
獣人 |
2Lv以上
|
難度 |
難しい
|
報酬 |
11.9万円
|
参加人数 |
11人
|
サポート |
0人
|
期間 |
06/25〜06/30
|
●本文
●最終回へ向けて
英国はロンドン郊外に位置する、小さな映像製作会社アメージング・フィルム・ワークス(AFW)。
その一角にある打ち合わせスペースでは、28歳の若手監督レオン・ローズ(注:但し、重度のファンタジー・オ○ク)が珍しく難しい顔をしていた。テーブルを挟んで、同じく28歳の若手脚本家フィルゲン・バッハ(注:やはり、重度のファンタジー・オ○ク)が座る。
「で‥‥切り口がタイムスリップっぽくある以上は、その逆も可能だと思うんだ」
「そうではあるがな‥‥『原因』の方はどうする。見る側は納得いく説明を求めがちであろう」
「そっちは、『謎は謎のまま』でいいと思ってる。それに、その辺りの理論理由をくどくど描くよりは、人物群像の方を追いたいかな」
原因だの理論だの綴った文字をグリグリとボールペンで書き潰しながら、フィルゲンは頬杖をついた。冷えていない炭酸飲料をラッパ飲みしたレオンは、瓶の底を振って中の黒ビールのような液体をぐるぐる攪拌する。
「元より、『ヒューマン・ドラマ』が本分であるからな。『時間』が進む事自体に確たる意味や理由がないのと同じく、たまに意味もなくバックスキップする事もあれば、ひょいと飛び越えたくなる気分があってもおかしくなかろう」
−−時間に『気分』があるかどうかは、さておき。
認識の再確認を行ったところで、二人は『結論』を出した。
「後の展開については‥‥役者やスタッフの意見も聞いてみたいところか。四ヶ月関わって、特に役者の方は役に対する見解みたいなのもあるだろうし」
「確かに。最後の撮影を前にして、思うところもあろうしな」
「で、前から聞こうと思ってたんだが‥‥」
ボールペンを置いたフィルゲンは、首を傾げるレオンが持つ瓶を指差す。
「それを回すのには、意味はあるのか?」
「うむ。こうすると、放っておくより炭酸が抜けるのが早いのだ。多分」
「炭酸飲料の炭酸が抜けたら意味がないんじゃ‥‥」
●第四回(最終回)プロット及び注意点
『モーツァルトの死より215年が経過した、2006年。
主人公の前に、『時代違いの人物達』が現れる。
主人公が過去の世界を垣間見たように、現代の世界へと姿を見せた過去の人物達。
果たして、自分達の死後の世界に何を思うのか−−』
転生や亡霊その他の類のものでなく、あくまでもこれまで主人公に起きていた事が、過去の人物達に起きたと仮定する事。
過去の世界において主人公が『世界』に溶け込んでいたように、過去の人物達も現在の世界に馴染んでいる事。
なお過去の人物達の年齢については、役者の意向を重んじる。
●キャスト表
『2006年の登場人物:獣化なし(演技力によっては要半獣化)』
・主人公(一人または二人)
物語の導入・進行役であり主人公である少年、または少女。成年でも可。
『過去よりの登場人物:半獣化必須』
・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『神童』ともてはやされたが、人より少し『人生の時計』の回転が早かっただけの、運の悪い男。死後、フリーメーソンやサリエリによる暗殺説が囁かれ、1830年には『モーツァルトとサリエリ』といった戯曲まで作られた。
・アントニオ・サリエリ
男装の麗人。宮廷楽長の地位にある。モーツァルトとの確執が噂されていたが、実際は彼の一番の理解者であった。モーツァルトの死後、盗作や毒殺など彼との対立が噂されたが、立証されてはいない。また、戴冠式や重要な式典など折に触れてはモーツァルトが作曲した曲を指揮したという。
・コンスタンツェ・ヴェーバー
モーツァルトの妻。モーツァルトの死後、デンマークの外交官ゲオルク・ニコラウス・フォン・ニッセンと再婚。その後、手腕を振るってモーツァルトの借金を完済した。モーツァルト・ファンであったニッセンが『モーツァルトの伝記』を書く際、多くの『証言』で協力したという。
二人の子供は成人したが、彼ら自身は子供を残す事無く『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの血』は絶えた。
他、展開の必要に応じて役柄を追加。
『舞台(撮影現場)』
オーストリア、ウィーン(前回撮影と同施設使用)。
●スタッフへの指示覚え書き
「雰囲気と時間と予算のため、『一発撮り』を原則とする。それぞれの出来うる、最善のバックアップを請う」
『メイク・衣装・小道具』
メイクについては、役者の外見年齢を誤魔化す必要もあるため、要注意。
中世期の衣装は、主に貸衣装を使用。
消え物の菓子類については、スポンサーより提供アリ。
『大道具』
前回と同じく現地の施設を借用するため、大掛かりなセット組は不要。
ただし、現地の施設保全に要注意。
『撮影班』
今回は特殊な画像効果は少ないが、野外での撮影が多くなると予想されるため、雑務係と連携して『人払い』に留意する事。
『特殊映像処理』
特殊加工はCGによって付与となる。細かい作業が多いので、作業量に注意する事。
『その他雑務』
野外ロケの際の『人払い』他、臨機応変に頑張って下さい。
●リプレイ本文
●Stagehand 1 最後の始まり
オーストリアの首都ウィーン。その中心部を囲む環状道路「リング」の外に位置する住宅街に、撮影現場となる住居用建物がある。
最終回の撮影に向けて−−しかしいつも通りに、『撮影基地』となる現場は着々と整えられていた。
「天気は全般晴れで、気温も30度まで上がるらしい。撮影期間の後半は、少し雲って気温も下がりそうだな」
「それだと、休憩は冷たい物がいいかな‥‥って、監督。相方は、どうしたんだい?」
レオン・ローズが告げる天気の予報を聞きながら、現場に入って早々、月舘 茨(fa0476)が首を傾げる。
毎度の様に揃っているトップツーだが、現場には監督のレオンしかいなかった。
「うむ。今回は全編現代での撮影にも関わらず、少しばかり人手足りないからな‥‥フィルゲンはロケ先の交渉や、街頭ロケ関係の申請や協力要請などの渉外で、走り回っておる」
「暑い中、ご苦労さんだな」
荷物を運んでいた重杖 狼(fa0708)は、少しでも涼しくなる様につなぎの襟元をつまんで扇いでいた。
湿度は日本ほど高くはないが、それでも目映い太陽に照り付けられると汗が滲む。
「‥‥コンペの時は‥‥雪‥‥でしたが‥‥」
ぼそりぼそりと呟くシャノー・アヴェリン(fa1412)は、革ジャンを着ているにも関わらず、額には汗の一滴も浮かべていない。
「確かに、時の流れは早いものであるな。故に、限られたものである。仕事もちゃきちゃきっと進めねばなるまいて」
「そうだな‥‥じゃあ監督。コレを一つ、上までヨロシク」
何気なくウルフェッド(fa1733)がポンと段ボール箱を渡し、ハテナ顔で受け取ったレオンの腕がガクンと抜けた。
「ちょ‥‥重っ!」
「人手がないんだろ。精密機器だから、壊さんようにな」
「のあぁぁぁぁ〜‥‥っ」
放り出す訳にもいかず、腕が伸びて腰も抜けそうなガニ股のまま、レオンは奇声をあげながら段ボール箱を運んでいく。
「途中で、後ろに倒れなければいいけど‥‥大丈夫かしら」
心配そうに−−だが笑いつつ、味鋺味美(fa1774)はAFWのスタッフと共に監督の後姿を見送った。
「‥‥ところで‥‥人払いのついでに‥‥ドラマの広告チラシを撒くのは‥‥ダメでしょうか‥‥」
えっちらおっちらと歩くレオンの後ろに続きながら、シャノーが尋ねる。
「そういった営業は、営業屋の仕事であるから、な。今の我々は、本業の撮影に専念するまで、だ。ところでこの片方、持ってくれんか?」
レオンが振り返るが、用件を終えた彼女は既に背を向けてすたすたと歩み去っていた。
●永劫回帰交響曲第4番 Cast
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:月.(fa2225)
コンスタンツェ・ヴェーバー:羽曳野ハツ子(fa1032)
アントニオ・サリエリ:ニライ・カナイ(fa1565)
後援者エルフリーデ:マリーカ・フォルケン(fa2457)
女性演奏家リーゼロッテ:アイリーン(fa1814)
高瀬・始:嘩京・流(fa1791)
・
・
・
●第4番−1 生誕250周年の街角で
夏の気配を含んだ熱気を帯びた空気も、夜半にはようやく冷めてくる。
いつもの様に練習を終えて、彼は見慣れた天井を仰いでいた。
−−あなたは、注目されているんですよ。
そんな言葉が、脳裏に蘇る。
−−はっきり言えば興味というより好奇ですけど、ね。でも、心配する事はありませんわ。あなたには才能が‥‥。
後援者の言葉を振り払うように、硬く目を閉じた。
夜の音に息を潜めるが‥‥始の耳に、期待するようなピアノの音は聞こえず。
ただ、静寂のみが広がっていた。
楽都ウィーンはその名に恥じず、毎日常にどこかでオペラや演奏会が開かれていた。
特に今年はモーツァルト生誕250周年とあって、かの偉人にちなんだ公演が多く、それを目当てにウィーンを訪れる観光客達も多い。
街路を歩く人の流れをカフェから眺めながら、ふっと始は溜め息をつく。
「暢気なモンだよな‥‥観光客は」
「それはそうよ。だって、観光しにきてるんだから」
彼より少し幼い風貌の少女が、何を今更といった風の表情を浮かべた。
「あなたがそんなんじゃ、このコンクールは頂いたも同然ね」
澄ました表情でコーヒーカップを傾けるリーゼロッテに、始は視線を逸らす。黄昏る彼のすぐ後ろから、ビリビリと雰囲気を壊す音が響いた。
腹立たしげに何度も紙を破ると、背後の客はガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
頭を巡らせて視線で姿を追えば、カジュアルなシャツにジーパンを履き、帽子の下から艶やかな黒い髪を揺らした女性客は、ヒールの音も高らかにカフェを出て行く。
ちらりと窺えた女性の表情に見覚えがある気がして、始は首を傾げた。
「待ちぼうけでも、くったんじゃないかしら?」
興味もなさそうに、彼の前に座るリーゼロッテが適当な見解を延べ。
振り返ったテーブルには、コンサートスケジュールが載った音楽雑誌が広げられていた。が、何故か幾枚かが破られて開いたページに打ち捨てられている。
女が立ち上がった拍子に、テーブルから落ちたのか。雑誌の破片が、彼の足元にまで飛んできていた。
「『モーツァルトを取り巻く人達』‥‥『浪費家の悪妻コンスタンツェ』‥‥?」
その内容に気付き、始は慌てて窓から外の様子に視線を戻すが、見覚えのある女の姿は見当たらず。
「‥‥どうしたの?」
「知り合いが、いた気がして‥‥でも、気のせい‥‥だよな」
訳わかんねぇと髪を掻く始を他所に、リーゼロッテはチップを置いて席を立った。
「他人の空似? そんなだから、注意力散漫って言われるのよ」
彼と同じ道を志す少女は見向きもせず、練習へと戻っていく。
その後姿を見送って、始は憂鬱そうに再び溜め息をついた。
●Stagehand 2 用意不用意
「衣装や身に着ける物は、こう‥‥古びた感じを出さなくて、いいのかしら」
衣装合わせ終えた服にカバーをかけつつ、味美がやや物足りなさそうに呟く。
「今まで、始が過去に行っても現代風な服装じゃなかった訳だし、その逆なら三人も今の時代に合った服装でいいと思うよ。衣装の方、手伝ってくれて、ありがと」
礼を言う茨に、「お互い様よ」と味美は明るく答えた。
「そうね‥‥それなら楽譜とかは、使用感が出ている程度でいいわね。となると、『手入れ』が必要なのは‥‥」
彼女は分厚いレンズを嵌めた眼鏡の黒い蔓を指で押し上げ、別に用意した衣装の検分に取り掛かる。一方、茨はメイクボックスに道具一式を詰め込み、カバーのかかった衣装を纏めた。
「それじゃ、現場に行ってくるよ」
「ええ、こっちは任せて。今日も暑くなりそうだから、水分補給に気をつけてあげてね」
「はいよ」
気遣いと共に見送る味美へ、茨は後ろ手にひらと手を振り、部屋を出る。
人目を避ける為のカーテンを僅かに開ければ、窓の外では燦々と陽光が照りつけていた。古びた家々の間には緑が生い茂り、視線を降ろせばダルそうに車列が道を走っていく。
そんな光景に、ふっと彼女は嘆息し。
「今回は‥‥からかう相手がいなくて、残念ねぇ」
ちょっぴり寂しげに、本音を呟いてみる味美であった。
「どうも‥‥スタッフの側が仕事に身が入っておらん気がするのは、私の気のせいではないと思うが如何か?」
待機用のトレーラーで、声をかけた二人を前にむーんと眉根を寄せてレオンが腕組みをする。
珍しく少々不機嫌そうな監督を前に、重杖とウルフェッドは顔を見合わせた。
「何か‥‥不都合があったか?」
心当たりもなくウルフェッドが問い返せば、盛大にレオンは溜め息をついて肩を落とし。
「そのような物騒なモノをぶら下げ、かつギロギロと周囲に睨みをきかせ、それで仕事に身が入っておるとな?」
「ああ‥‥時期が時期なんで、一応の用心をしただけだが?」
意図を察したウルフェッドは、心外だという風に肩を竦める。同意する様に、重杖も頷き。
「例のダークとかって奴らが来ないとも限らんし、この手の荒事は俺らの仕事‥‥って、待て、その椅子をどーする気だっ!」
制止を聞かず、ずもももと何故か暗黒のオーラを放ちながら、レオンは近くに置かれた椅子を振り上げ。
「ちょーっと待ったぁぁぁーっ!」
すぱぱぱぱぁぁぁーんっ。
飛び込んできたフィルゲン・バッハのハリセンが、いい音を鳴らしてレオンを張り倒した。
「‥‥モーツァルト‥‥殺人事件に‥‥方針転換‥‥ですか‥‥」
「や、死んでねーし、モーツァルト関係ねーから」
真剣なシャノーの一言に、思わず流が突っ込む。
「なになに? 監督どーしたの? 新手のパフォーマンス?」
はてな顔のハツ子が、床にノビているレオンを囲む三人に聞いた。
「あー‥‥まぁ、不慮の事故だ」
頭痛を覚えて、重杖は額を手でおさえる。早い話が、フィルゲンに張り倒された拍子に椅子を持つ手を滑らせ、自爆しただけなのだが。
「そう‥‥せっかく、この灰色かもしれない脳細胞で明快軽快な推理を披露しようと思ったのに、残念だわ」
「灰色かもしれない‥‥」
何故か考え込むニライに、「そこはあまり突っ込まない方がいいと思うぞ」と月が呟く。
「監督も、殺されたりパフォーマーにされたり、大変ね」
圧倒的にボケ倒しの方が多い状況で、マリーカは苦笑するが同情はせず。
「はい。タオル濡らしてきたわよ」
ギャラリーを分けて、アイリーンが濡れタオルを持ってくる。
「ああ、ありがとう。皆も心配かけて、すまない。多分すぐ起きると思うから、少し待機していてくれるかな」
「じゃあ、今の間に休憩にしようかね」
フィルゲンの意図を汲んで、茨が役者達に声をかけた。
「ドラマもこれで最終回だから、監督達も大変なんでしょうね」
扉を閉めたアイリーンが、少し心配そうに車を見上げる。
「最終回、か‥‥」
口に出して言えば、改めてそれを実感し。月は暫し感慨にふけりつつ、休憩用に店の一角を割いてくれたカフェへ足を運ぶ。
どこか郷愁の空気が漂う中、流はニライを呼び止めた。
不思議そうに小首を傾げる彼女を前に、二度三度と深呼吸して、流は思い切って話を切り出す。
「恋人として、俺の傍にいて欲しいんだ」
‥‥今まで『恋人』じゃなかったのかと、ドコからか飛んできそうなツッコミはさて置いて。
きょとんとした表情のニライは、やがて何事かを得心した様に笑みを浮かべ。
「不束者だが、宜しく頼む」
真面目な表情で深々と頭を下げるニライに、思わずつられて「こちらこそ」と返礼する流であった。
「‥‥で?」
『当事者』達のみとなった所で、フィルゲンは改めて重杖とウルフェッドに『状況』を問う。二人は撮影に入る直前から『業界』を騒がせている『一件』に備え、それぞれ銃を携帯して『襲撃』に備えている事を明かし−−。
フィルゲンは、盛大に溜め息をついた。
「ヨーロッパには、『災厄の名を呼べば、災厄がソレを聞きつけて、呼んだ者のところへやってくる』って『いわれ』があるの、知ってるかい?」
「いや‥‥」
「そっか。土地によっては、今もそういうのが生きているからね」
唸って思案した末に、フィルゲンは漸く二人へ目を向けた。
「君達が危惧する事態が起きる可能性は0ではないし、0でない以上は気になるだろう。だから、残りの撮影日程は『警備』に専念していいよ。後は、僕らで何とかするから」
●第4番−2 来訪者
一日の練習を終え、バイオリンケースを手に始は足取りも重く帰路を辿っていた。
歩く街路の先から、流れるような−−弾むような、軽快かつ歯切れのいいアレグロで奏でられるピアノの旋律が聞こえてくる。
ピアノ・ソナタ#15 ハ長調 K.545 第1楽章 アレグロ。
それ自体は珍しい事でもないが、通りに面した−−彼もたまに足を運ぶ楽器店の店先に、人だかりが出来ていた。
純粋な興味が沸いて、人垣の後ろから伸び上がって店の中を窺えば、ガラス越しにピアノを演奏する者が見え‥‥。
「すいません。ちょっと、通して下さい!」
慌てて人を分けて、始は店の中へ飛び込んだ。
「あんた、ナンでこんな所に‥‥っ!」
声を荒げる彼に、気付かないのか。ピアノの前に座ったサマーグレーのスーツを着た男は、楽しげにソナタを弾き続け‥‥4分程度の曲を弾き終えてから、漸く手を止めた。
「‥‥始、か」
「じゃねーよっ。いいから、こっちっ!」
男の腕を掴み、始は彼を楽器店から引っ張り出す。
群集も店主も、何事かと二人を見送った。
「今のピアノは、凄いものだな。音域も広く、表現力も全く違う‥‥俺が知っている『音』とは段違いだ」
やや興奮気味の感想に、始は嘆息して足を止めた。
「‥‥ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」
「ん?」
その名を口にする彼に、モーツァルトは少し首を傾げて問うように返す。
改めて『現実』を認識した始は、驚きや呆れや懐かしさや‥‥様々の感情の整理を付けられずに、しみじみと相手を見た。
「そのケースは‥‥バイオリンか」
モーツァルトから手にしたケースを示されて、始は我に返った。
「え? あ、ああ‥‥えーっと、とりあえず俺の下宿に案内するから、歩きながら話そうか」
促して、二人は再び並んで歩き始めた。
「いよいよ、ですわね。始さんの実力からすれば、遅過ぎる『デビュー』だと思いますけれど」
長い金髪を揺らして、彼の後援者−−エルフリーデは饒舌に、そして自信ありげに語る。
「あなたは、注目されているんですよ」
彼には、彼女のその半分の自信すらないというのに。
「心配する事はいりませんわ。あなたには、才能があるんですから」
微笑みと共に告げられる言葉は、ただただ彼の肩に重くのしかかり、演奏の手を妨げるばかりで‥‥。
「自信、ないんだよな。正直‥‥この記念演奏会で認められれば、末席でも一流の演奏者の仲間入りができるって言うけど‥‥」
ぼそりと漏らす始の隣で、モーツァルトは少し考え込み。
「練習を、聞かせてもらってもいいか?」
「あんたが?」
思わず聞き返した彼へ、過去の音楽家は頷く。
「いや‥‥いいけど‥‥がっかりすんなよ」
苦笑混じりの会話のうちに下宿先へと着けば、中から錚々とピアノの音色が響いていた。
「この曲‥‥」
「レクイエムだな」
始の言葉に、目を閉じて旋律を聞くモーツァルトが呟く。
急いで扉を開け放った始は、ピアノ室を見上げた。
音が途切れないか‥‥誰かが部屋から出てこないか‥‥後ろの男がついてきているか‥‥様々な事柄を忙しく確認しながら、彼は階段を駆け上り、何度も開いたその扉に手をかけ。
「帰ったのか」
足を踏み入れると同時に音は止まり、代わりに声をかけられた。
グランドピアノの前に座る−−落着いたダークカラーのスーツを着た、40代前半ほどに見える相手に、始は「やっぱり」と安堵の色を含んだ息を吐く。
「あまり驚かないな‥‥そうか。彼と、一緒だったか」
自分の後ろに立つ男に視線を移し、サリエリは微かに微笑んだ。
「始のバイオリンの練習に、付き合う事にしたのでな」
「‥‥ほぅ?」
興味深げに目を細めつつ、サリエリは椅子から立ち上がる。
「いや‥‥その、無理しなくて、いいからさ。なんか用事とかあったら、悪ぃし」
二人を交互に見比べながら後退りする始の肩を、モーツァルトが掴む。
「遠慮はいらないぞ。急ぎの用も、ないからな」
「ああ。私もだ‥‥なに、心配する事はない。お前を拾った時に聞いた演奏は、偽りなく、心あるものだったからな」
『音楽家』二人から迫られ、進退窮まった始は深々と溜め息をついた。
●第4番−3 永劫回帰交響曲
「少し見ない間に、雰囲気が変わったみたいですわね? 何か素敵な出会いでもあったのですか? もしその方が女性で、始さんが恋をしているというのならそれは素敵なことですし、尊敬の出来る人物だったとしたら、あなたの音楽に彩りを添えることになりますしね。もし宜しければ、いずれわたくしにもその方を紹介して頂けるととても嬉しいのですけど」
期待の量だけ舌が動くのか、彼の後援者はいつになく饒舌だった。
礼服に乱れがないかチェックした始は、鏡に映るエルフリーデを見やる。
「是非、素晴らしい演奏で聴衆を魅了して頂きたいわ。そうなれば、紹介者のわたくしとしても鼻高々というものですけれど。期待して‥‥」
バンッ! と化粧台を思い切り叩く音に、女の言葉が途切れた。
「恋人なんていませんし、いても関係ねぇだろ」
言葉を遮った始は、じろりと鏡越しに女を睨む。
「俺は‥‥あんたの評判とか自己満足の為に弾くんじゃなく、俺と、友人の為に弾くんだ」
「な‥‥あなた‥‥」
その先が続かずに口をパクパクさせるエルフリーデに構わず、彼女と直接顔を合わせる事もなく。
始は愛用のバイオリンを手に、控え室を出た。
控えの舞台袖では、彼と同じくリーゼロッテが順番を待っていた。装飾が上品な淡いグリーンのドレスと大人びたメイクからは、演奏会へかける彼女の『気合』の程を窺わせる。
ただ、集中しているのか緊張しているのか、彼が舞台袖に現れても素知らぬ顔で、今も落ち着きなくドレスのスカートの皺を伸ばしていた。
若手演奏家達による、モーツァルト生誕250周年コンサート。
コンサートと銘を打っているが、その実はコンテストだ。
演奏の中身によって、一流の演奏家の仲間入りが出来るかどうかが決まる。
この舞台で失敗すれば、暫くはその道が閉ざされるだろう。
今日演奏する誰もが、懸命に練習を経て、この場に臨んでいる。
それはリーゼロッテも同じだろう。
−−今の練習の感覚を思い出せば、本番も大丈夫だ。
−−音楽は裏切らず常に真実を宿す。だから、自分の真実を奏でるが良い。
拙い自分の演奏練習に付き合ってくれた、二人の言葉を思い出す。
始は目を閉じてゆっくりと呼吸を整え、頭の中でバイオリンを構えた。
‥‥テンポが少し早かった。演奏もメリハリが欠ける上に、音も一部外れて‥‥。
弾き出される音に、目眩を起こしそうになりながらも演奏を終え。
拍手が響く中、何とか逃げ出しそうな足を堪えて、舞台袖へと引き上げる。
‥‥悔しい。緊張に負けて、自分のペースを崩してしまった不甲斐なさが、何より悔しい‥‥。
聴衆から見えなくなった所で、彼女は駆け出そうとして‥‥人にぶつかった。
「何よ、邪魔‥‥っ!」
涙を堪えて睨み上げれば、歪みかけた視界に映ったのは練習仲間の心配そうな顔。
それを振り切って、リーゼロッテは控え室へと走っていった。
照明に照らされたステージへと、歩み出る。
繊細な弦楽器は、その光の熱でも微妙に調音が揺らぐ。
軽く弓を当てて、音を修正してから。
始は演奏ポジションに入った。
静かに、コンサートホールを弦の音が満たしていく。
彼が選んだ曲は、別名『ハフナー・セレナーデ』のセレナード#7 K.250 第4楽章を、クライスラーがバイオリン・ソロ用に編曲した曲。
ト長調のロンドは、『モーツァルトのロンド』とも呼ばれる。
早すぎず遅すぎず、淀みなく流れる旋律に、客席の最後尾に座っていたモーツァルトは、表情を緩めた。
「女性音楽家が忌憚なく才能を披露し、過去の曲は様々に形を変えつつも今なお演奏され続ける‥‥未来、というものも、捨てたものではないな」
「私の曲は、すっかり知られるところも少なくなっているようだがな」
やや不満げな言葉に、彼は隣に座ったサリエリを見やった。
「私とお前の間の確執の末に、果ては毒殺説まであるときた。それが半公然となって、大手を振って罷り通っている。もっとも、長い時を経た言伝であるが故に、その程度の歪みが生じても仕方がないかもしれないが‥‥」
やれやれと、サリエリは肩を竦めて苦笑し‥‥実はそれすらも楽しいのだと言わんばかりに、彼女はすぐ小さな笑顔を作った。
「だが時代を経ても、お前の曲が皆に愛され続けている事を嬉しく思う」
「ああ‥‥自分でも、不思議なものだ」
聞き慣れた‥‥しかし、新鮮なメロディの数々に、モーツァルトは目を細め。
「音楽を愛する心は、楽曲と共に未来へと回帰するのだな‥‥」
「ロンド(回旋曲)‥‥か。人は皆、不器用だが‥‥故に努力し、美しい音を生み出すのだろう」
単に技術では確かに上手い下手の違いはあろうが、その音に取り組む姿勢は美しいのだろうと。
しみじみと聞き入ったところへ、後ろから軽く肩を叩かれ。
「お二人さん、楽しんでいるかしら?」
二人の間から顔を出したモーツァルト夫人が、にっこりと微笑んだ。
「コンスタンツェ‥‥行儀が悪いぞ。座って聞きなさい」
「あら。ごめんなさい」
夫に窘められ、それでもにこやかにコンスタンツェは彼の隣の空席に座る。
そうして三人は、並んで始のバイオリンの音に聞き入っていた。
一通りの演奏が終わり、最後に若い演奏家達が舞台へと勢揃いして、拍手を受ける。
他の演奏家に混じって深々とお辞儀をした始は、顔を上げ‥‥そして彼の視線は、舞台の最後尾に釘付けとなった。
最後まで演奏を聞いていた三人は、豪奢な衣装を身に纏い、扉の前に立っている。
暫しステージを見つめていた三人だが、モーツァルトが扉に触れると、それは音もなく開き。
扉の先の目映い光の中へと、まずコンスタンツェが足を踏み出し。
彼女の後に、サリエリが続く。
最後に、モーツァルトがじっと彼を見つめた末に一つ頷いて、踵を返し。
三人の姿を飲み込んで、扉は音もなくゆっくりと動き始め。
茫然とそれを見ていた始は、隣のリーゼロッテに小突かれ、周りが拍手に応えているのを見て、慌てて頭を下げる。
そして次に顔を上げた時、三人が消えた扉は何事もなかった様に閉まっていた。
(「『さよなら』とか『ありがとう』なんて言葉、いらねぇよな」)
心の内で、始は遠い過去の友人達に呼びかけ。
その頬を、一滴の涙が伝い落ちる。
−−そうして、夜にピアノの音へ耳を傾ける始の習慣は、なくなった。
●Stagehand 3 クランク・アップ
「お疲れ様でしたっ」
「お疲れ様〜!」
撮影期間の最終日。最終カットを収録し終えた現場のあちこちから、互いを労う声があがった。
もっとも、日程が押した為に役者が絡んだ撮影が終了したのみで、未だ編集や諸々の画像修正が残ったままとなったが‥‥。
「放映日に間に合うよう仕上げねばならん故に、少しでも時間が惜しいからな。残念ながら打ち上げには参加できんが、諸君は存分に楽しみたまえ」
「時間があれば、中央墓地にあるモーツァルトやサリエリのお墓にも寄りたかったんだけどね‥‥まぁ、みんな飲み過ぎないように。いい仕事が出来て、楽しかったよ」
詫びを入れつつ、レオンとフィルゲンはイギリスへの最終便に乗る為に、先に別れ。
残った役者とスタッフ達で賑やかな打ち上げが繰り広げられた事は、言うまでもない。