八百八町異聞〜人魚姫アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 菊池五郎
芸能 2Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 難しい
報酬 4.2万円
参加人数 9人
サポート 0人
期間 04/19〜04/25

●本文

 時は天明元年、大江戸八百八町は今日も清々しい日本晴れ。
「平八郎はいるかい?」
 俺の長屋の戸口を叩く男の声。
「はい、どちらさんで?」
「へ!? えーと、その、なんだ、石川って言えば分かる」
「石川さんだね。平八郎さん、石川さんって方がおみえだよ」
 てっきり、俺が出てくるとばかり思っていたそいつは、見知らぬ町娘が出てきて面食らったようだ。間の抜けた声を軽く上げた後、言い繕ってから自分の名字を告げた。
 町娘は奥へ引っ込むと、真っ昼間から縁側で寝ていた俺を叩き起こした。ったく、せっかく人が気持ちよくうたた寝していたところを‥‥って言いたいが、石川って名字を聞いて一気に目が覚めた。
 石川っていやぁ、逐電屋の新しい依頼人でなければ、俺が知っているのは奴しかいない。
「よぉ、伍右衛門、今日はどうした?」
 やっぱり石川伍右衛門だ。
 初代石川伍右衛門は義賊で通ってるが、権力者には容赦のない悪逆非道振りでな。豊臣秀吉の逆鱗に触れちまって、母親や一族諸共釜煎刑にされたが、一族に含まれていない隠し子がいてな。この伍右衛門はその隠し子の子孫で、歴とした初代石川伍右衛門の血を引き、六代目を襲名している。
「平八郎も年貢の収め時か」
「な、なんだよ藪から棒に!?」
「いつ、あんな美人を娶ったんだ?」
「娶った!? 俺が!? お珠を!?」
「へぇ、お珠って言うのか」
「夫婦に見えます?」
 今度は俺が面食らう番だった。伍右衛門、勘違いも甚だしいぜ。俺は独り身が性に合ってるし、逐電屋としても身軽な方がいいし、こいつは‥‥って、お珠も勝手に嬉しそうに出てくるし。
 おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名は平八郎、一応、町民だから名字はない。
 職業は逐電屋だ。逐電屋ってのは夜逃げを斡旋する裏家業だ。その裏家業を大っぴらに名乗っているのは、甲賀忍者って理由があるからなんだが、逐電屋っていう危ない橋を渡っている以上、相応の腕は持っている。
 お珠は、少し前にこの界隈で胸の大きな女性が狙われる辻斬り未遂事件があってな。妖刀桃正っていう刀に操られていたんだが、俺が助けた事から好かれちまって押し掛けてきたんだ。
 家事はしてくれるし、岡っ引の娘だから奉行所の情報が手に入るんで置いてるだけだ。
「言っておくが娶っちゃいないし、夫婦でもねぇ。それより、今日は仕事か?」
「ああ‥‥奪還屋を手伝ってもらいたい」
 俺が仕切り直して用件を切り出すと、伍右衛門の声音も変わる。その時初めて、伍右衛門の後ろに女性が居る事に気付いた。俺とした事が、全く気配を断っていたから気付かなかったが‥‥その女性を見て俺は言葉を失った。
 飾りっ気のない着物を着ているが、それでも、こう、内側から滲み出てくる高貴な雰囲気を纏った掛け値なしの美女だ。白粉を塗ってなくても肌は新雪のように白く、紅を差していなくても唇は桜のようにほんのりと赤い。
 隣にいるお珠も息を呑むのが分かった。同じ女でも見取れるくらい、その美しさは人間離れしていて‥‥人間離れしてる!?
「流石は平八郎、気付いたようだな。今回の奪還屋の依頼人、瑪瑙(めのう)だ」
「瑪瑙と申します。越前からやってきました‥‥人魚です」
 お珠が二人に茶を出した後、伍右衛門が女性を紹介し、彼女が自らの正体を明かした。
 奪還屋っていうのは、義賊石川伍右衛門の別名だ。
 老中田沼意次の新しい政によって町人や役人の生活が銭中心になり、その為、商人の役人への賄賂が横行しててな。町人は骨家宝を商人や役人に取られちまったりしてるんだ。
 それを無償、もしくは格安で取り戻すのが奪還屋、伍右衛門の仕事だ。
 逐電屋とご同業みたいなものだから、お互い協力し合ってるって訳だ。ちなみに俺の逐電は、無償という事はほぼない。相応の危険報酬は戴いているぜ。
「伍右衛門様と平八郎様に取り戻して戴きたいのは、人魚の石像です」
 人魚は説明する必要はないかもしれないが、上半身は人間で下半身は魚の妖怪だ。『人魚の肉を食うと不老不死になれる』って御伽噺が昔からあって、金持ちはこぞって人魚を探してるが、見つかったっていう話は聞いた事がない。
「生身の人魚なら分かるが」
「‥‥元々は本物の人魚だったのです。わたしの姉、珊瑚が石像に姿を変えられてしまったのです」
 瑪瑙の姉、珊瑚は、越前の海の沖に住む人魚の集落の長だそうだ。いわばお姫さんだな。そのお姫さんが何者かによって連れ去られ、石に変えられちまったらしい。
 瑪瑙は人魚の石像の噂を聞きつけて、越前から遙々江戸までやってきたそうだ。
「越前屋にあるそうだ」
「越前屋か‥‥」
 表向きは米問屋だが、裏では庶民の家宝を盗み出し、他の商人へ転売したり、役人に贈っている悪徳商人だ。情報屋のお鈴から聞いた話だと、最近、腕の立つ用心棒を雇ったらしいが、そういう事か。
 お鈴は、普段は読売(=瓦版)屋だが、その正体は裏社会に関して卓越した情報収集能力を持ってる伊賀流のくノ一だ。
「しかし、お姫さんを助けたとして、元に戻せる算段はあるのか?」
「わたし達人魚に伝わる秘薬で元に戻せるかも知れませんが‥‥」
「或いは、元に戻す薬か秘術を越前屋が手に入れているかも知れないな」
「石像で手に入れて、その後生身を喰らう、か。分かったぜ、この依頼、俺も引き受けよう」
 伍右衛門からの依頼でもあるし、何より罪のない人魚の姉妹が不憫だからな。越前屋と用心棒か‥‥相手にとって不足はないぜ。

■主要登場人物紹介■
・平八郎:29歳。逐電屋(=夜逃げ屋)を営むが、その正体は甲賀忍者。二枚目で独身。特定の彼女はなし。武器は手裏剣や苦無。
・石川伍右衛門:20代後半〜30代前半。六代目石川伍右衛門。忍者ではないが忍者並の身軽さを持つ。武器は鐵すら斬る斬鐵剣。
・お珠:20歳前後。岡っ引千造の娘で美女だが、ひんぬーを気にしている。平八郎に助けられて以降、押し掛け女房同然に同棲中。奉行所の情報に精通している。
・瑪瑙(めのう):17歳前後。越前の海の沖に住む人魚の妹姫。姉、珊瑚(さんご)を探して伍右衛門を頼って江戸までやってくる。
・越前屋:30〜50代。表向きは米問屋だが、裏では庶民の家宝を盗み出し、他の商人へ転売したり、役人に贈っている悪徳商人。
・用心棒:20〜50代。越前屋に雇われている腕の立つ浪人。
・お鈴:十代後半。表向きは読売(=瓦版)屋だが、その正体は伊賀忍者のくノ一で裏社会の情報に精通している。平八郎を「兄ぃ」と呼んで慕っている。ひんぬー。

■技術傾向■
 格闘・軽業・芝居

●今回の参加者

 fa0145 辻原 光(27歳・♂・鷹)
 fa0279 蓮華(23歳・♀・狐)
 fa0329 西村・千佳(10歳・♀・猫)
 fa0402 横田新子(26歳・♀・狸)
 fa0485 森宮 恭香(19歳・♀・猫)
 fa0634 姫乃 舞(15歳・♀・小鳥)
 fa1180 鬼頭虎次郎(54歳・♂・虎)
 fa1206 緑川安則(25歳・♂・竜)
 fa3386 硯 円(15歳・♀・猫)

●リプレイ本文


●出演
 平八郎:緑川安則(fa1206)
 六代目石川伍右衛門:辻原 光(fa0145)
 お鈴:硯 円(fa3386)
 お珠:森宮 恭香(fa0485)

 瑪瑙:姫乃 舞(fa0634)
 瑠璃:西村・千佳(fa0329)
 珊瑚:蓮華(fa0279)

 越前屋:鬼頭虎次郎(fa1180)

 用心棒/ナレーション:横田新子(fa0402)


●腐れ縁
「平八郎も年貢の収め時か‥‥いつ、あんな美人を娶ったんだ?」
「夫婦に見えます?」
「あのなぁ。堅気の商売じゃねぇ以上、女房なんて持つ気ねぇし、そもそも、お前の親父さんに目をつけられてるんだぞ?」
 平八郎は二十九歳、結婚していてもおかしくない年齢だ。そこへお珠が甲斐甲斐しく通っているのだから、石川伍右衛門が勘違いするのも無理はない。
 お珠の父親は、平八郎の住むこの界隈を担当する回り方同心に協力している岡っ引だ。同心や岡っ引からすれば目の上のたんこぶのような逐電屋の元へ、愛娘が通っているのはあまりいい気がしないだろう。
 平八郎は少し嫌そうに言うと、伍右衛門とその後ろにいた女性と少女を長屋の中へ入れ、話の続きを促した。
「今回も奪還屋を手伝ってもらいたい。依頼人の瑪瑙とその妹、瑠璃だ」
「瑪瑙と申します。この子はわたしの妹で瑠璃と申します。越前からやってきました‥‥人魚です」
「へぇ、人魚ねぇ。凄ぇ綺麗なのは納と‥‥!? 痛てて!!」
「どうせ私は綺麗じゃないし、胸もありませんよーだ!」
「うー‥‥珊瑚お姉ちゃん大丈夫だよね? 無事帰ってくるよね?」
 お珠が三人に茶を出すと、伍右衛門が女性達を紹介し、彼女は自らの正体を明かした。
 平八郎の感想を聞いたお珠は、嫉妬から彼の耳を思いっきり引っ張った。その様子を見た瑠璃は不安に駆られたのか、涙声で瑪瑙に抱きついてその胸に顔を埋めた。
「姉の珊瑚は、わたし達一族にとって、なくてはならないお方なのです。どうか‥‥どうか、姉の事を宜しくお願い致します‥‥!」
「家族を奪うだなんて、許せないよ」
「そうだな‥‥やれやれ。不老不死になって、どーする? 人生太く短く! 散り際は潔く! これが粋だろうが?」
「そういう事だ。じゃぁ、決まりだな」
 瑠璃を抱きしめ、頭を優しく撫でつつ、平八郎に頭を下げる瑪瑙。人魚の美しさの影に隠れているが、よく見れば、瑪瑙の着物の裾はところどころ破れ、瑠璃の履いている足袋は血が滲んでいた。年端もいかない少女を連れた女性の足で、越前から江戸までの長旅は相当堪えるはずだ。
 一人っ子のお珠は姉妹に憧れており、瑪瑙の話を聞いて憤慨した。それは平八郎も同じだった。見た目は冷静だが、その声音は怒りに溢れていた。
 伍右衛門は彼の言葉を聞いて、頼もしそうに頷いたのだった。


●お珠の場合
「お姫さんの石像があるのは越前屋か‥‥表向きは米問屋の人当たりのいい親父だが、その実体は役人に賄賂を贈っている悪徳商人だな。役人との繋がりが何かと厄介だから、越前屋の不正が掴めればその辺りを絶てるんだがな」
「平八郎さん、私は岡っ引の娘よ?」
 越前屋の屋敷へ忍び込むにしても、役人の繋がりがあるとうやむやにされる事があり、それはできるだけ絶ちたいと考える平八郎。彼が思案していると、お珠がひんぬーの胸を叩いた。
「お珠、もし、平八郎の為に自ら危ない橋を渡ろうとしているなら、止めた方がいいぜ?」
「伍右衛門さん、私、確かに平八郎さんの役に立ちたいけど、それだけでいつもどんな危険も省みない! って事までやる訳じゃないよ。私なりの義が伴ってるから今回はちょっと頑張りたいの」
 彼女のしようとしている事を察知した伍右衛門が止めようとするが、お珠の決意は固かった。

「父は来てませんでしょうか? お弁当忘れたみたいで〜」
 お珠はいつものように何食わぬ顔で弁当を持って奉行所を訪れた。岡っ引である父が奉行所に頻繁に訪れる事を利用したのだ。もっとも、岡っ引は奉行所の門はくぐれず、門番を通して同心へ伝言できる程度だが。
 見知った門番は、今、回り方同心と外回りに出ていていない事を告げた。
「あ〜‥‥行き違いですね。どうしよう。無駄になるのもなんですし、お口に合うか分かりませんがよろしければどうぞ」
 とはいうものの、お珠の弁当はこの奉行所に勤める者の間でも美味いと評判で、この門番はありがたくもらった。
「そういえば、越前屋から毎夜啜り泣く女子(おなご)の声が聞こえるという噂があるのですが、ご存知ですか?」
 弁当を食べる和やかな雰囲気の中、世間話よろしく怪談に怖がるように話題に挙げると、この門番は越前屋ととある与力が繋がっており、女性を紹介しているらしく、その事ではないかと告げた。
 門番は奉行所の門をくぐる者達を逐一調べているので、下手な同心や与力より情報を持っているのだ。


●お鈴の場合
 忍び装束に身を包んだお鈴は、夜陰に紛れて越前屋の屋敷に忍び込み、天井裏を伝って内部の構造を地図に書き起こしてゆく。
『‥‥あの陰陽師の話では、本物の人魚という事だがな。まるで生きているようじゃわい』
(「陰陽師‥‥? 人魚!?」)
 気になる男性の台詞を耳にしたお鈴は、その声の方へ向かう。
 天井の板をわずかにずらして部屋の中を覗き込むと、越前屋とその後ろに二人の男の姿があった。一人は三度笠を被り、もう一人は浪人風の風体だ。越前屋が雇った用心棒だろう。
 越前屋の目の前には、人魚の石像が横たわっていた。
『明日、この人魚を元に戻して与力様を通じてお奉行様へ献上すれば、儂も米を江戸城へ納める事ができるようになる。そうすればいずれは将軍家へお目通りも叶うじゃろう。あの陰陽師から高い金を払って買った甲斐があるというものじゃわい。先生、頼むぞ』
 越前屋は高笑いをすると部屋を出ていった。用心棒達も部屋の外で見張りをするようだ。
 お鈴は音を立てずに床へ降りると、人魚の石像に触れた。硬く冷たい単なる石で、とても本物の人魚とは思えないが、その豊かな質感は、人間の手で彫られたものとは思えない程、見事な造りだった。
(「そういえば、人魚を元に戻すとか言っていたけど‥‥これだね」)
 お鈴は越前屋が隠した小さな壺を見付け出し、蓋を開けて中を覗くと液体が入っていた。試しに一滴、石像の腕に垂らすと、薄い煙が立ち上り、その部分が本来の肌の色を取り戻したではないか。
「ふ、あんたには恨みはないが‥‥これも仕事なんでね」
 石像が本物の人魚だという事に驚いたお鈴は、暗がりから煌めく白刃に気付くのが一瞬遅れ、三度笠を被った用心棒の初太刀をまともに浴びてしまう。彼女の手から秘薬の入った壺が転がり落ちる。幸か不幸か蓋は閉まっており、秘薬は零れていなかった。
「てめぇ、越前屋に忍び込むたぁ、いい度胸じゃねぇか。生きて帰れると思うなよ!」
 続けて浪人風の用心棒が斬り掛かってくるが、こちらは忍者刀を抜いて受け流す。
 三度笠を被った用心棒も浪人風の用心棒もかなりの腕で、しかもお鈴は手負い。数太刀斬り結ぶ内に追い詰められてしまい、そのまま障子を破って逃げ出した。
「旦那、追いますかい?」
「いや、構わん。あの傷では長くは保つまい」
 屋敷の外を流れる堀へ落ちた音を聞いた三度笠を被った用心棒は太刀を収めた。

「ごめん‥‥兄ぃ‥‥ちょっとしくじっちゃった‥‥」
「お鈴!?」
 全身濡れそぼり、忍び装束の半分を紅く染めたお鈴が平八郎の長屋に辿り着いたのは夜明け近くだった。越前屋の屋敷の外を流れる堀は平八郎の長屋の近くまで通じており、お鈴は足取りを消したのだった。
 彼女の瞳からは光が消え、忍びの顔に戻り、自分の命を二の次にして平八郎へ油紙で包んだ屋敷の地図を届ける事を優先したのだ。
「お鈴程の忍者が見つかるとはな。越前屋は警戒して防備を固くするか、珊瑚の輸送を早めるかもしれないな」
「ああ‥‥一刻の猶予もねぇ。お鈴、すまねぇ‥‥」
「‥‥兄ぃになら‥‥見られても‥‥いいよ‥‥」
 伍右衛門がお鈴から受け取った越前屋の屋敷の見取り図と、珊瑚の献上の話の書き留めを見る傍らで、平八郎はお鈴の忍び装束を脱がし、応急処置を施した。お珠は家に帰っていたし、瑪瑙と瑠璃では致命傷の手当てはできないからだ。
 少なくとも平八郎にとって、お鈴は大事な人の一人だ。
「お鈴さんはわたし達が診ています」
「あの‥‥えと‥‥平八郎お兄ちゃん、伍右衛門お兄ちゃん、珊瑚お姉ちゃん助けてね? お願いだよぉ? 絶対、ぜーーーーったい助けてよ?」
 瑪瑙がお鈴を布団に寝かせ、瑠璃は平八郎の忍び装束を掴んで泣きそうになりながら送り出したのだった。


●珊瑚の場合
 お鈴の見取り図を頼りに、越前屋の屋敷へ忍び込む平八郎と伍右衛門。
「いたな‥‥越前屋とお目当てのお姫さんが‥‥」
 伍右衛門の予想通り、まだ夜が明けきらないというのに、珊瑚の石像は庭に置かれた大八車へ移されていた。奉行所が開くと同時に運び込むつもりなのだろう。
「用心棒は二人か‥‥伍右衛門、少しだけ時間稼いでくれるか? 今日の俺はちーっとばかし、本気になってみるからよ」
「お鈴の為にか? いいぜ」
 伍右衛門の返事を聞くと、平八郎は煙玉を珊瑚の石像近くへ投げ入れた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!! 東方守護せし青龍よ! 我に力を貸し与えやがれ!!」
 平八郎が印を切り、上着を脱ぎ捨てると、彼の背中に龍の翼が現れる。平八郎は用心棒達の利き手を狙って苦無を投げ、それは見事に突き刺さった。
「六代目石川伍右衛門、人魚の石像を奪還しに参上だぜ!」
「てめぇらの好きにはぁ〜させねぇぜ!」
 伍右衛門は斬鐵剣を抜き放って名乗りを上げると、浪人風の用心棒と対峙した。しかし、彼の得物は鐵すら斬る斬鐵剣。用心棒の刀は斬り結ぶ事すら許されなかった。
「お前が相手じゃ‥‥締まらないんだが、まぁそれも良し!」
 斬鐵剣を鞘に収める伍右衛門。
 一方、飛来した平八郎は三度笠を被った用心棒と斬り結んでいた。刀と刀がぶつかり合い、鍔迫り合いとなる。しかし、術が掛かっている平八郎の方が力で勝り、鍔迫り合いから用心棒の刀を飛ばし、返す刀は袈裟斬りに振り下ろした。
「ぐは! 無念‥‥」
 用心棒は一歩後ろに下がった後、前に倒れた。
「私利私欲の為に、くだらない事しているんじゃねぇよ!」
「なあ? 越前屋よ、少々やりすぎたな? 覚悟しとけ」
「わ、儂に逆らったらどうなるか分かっておるのか!? 儂には与力様が付いているのじゃぞ!?」
 越前屋へ迫る伍右衛門と平八郎。越前屋は刀を抜いて斬り掛かるが、あっさりかわされ、腹に強烈な拳を受けて気を失った。
 お珠の情報もあり、目覚めた時は奉行所の中で裁きを受ける身となっている事だろう。

 珊瑚の石像は人目に付かないよう、平八郎の長屋の中へ運び込まれた。
 越前屋が持っていた秘薬は、先の戦いで割れてしまい、瑪瑙が持ってきていた人魚の秘薬を使う事になった。こちらは粘り気のある液体で、瑪瑙と瑠璃が手分けして石像全体に塗ると、灰色く色を濁していた肌が瑞々しい透き通るような白い色彩を取り戻していった。
 瞬きをすると、石の塊だった瞳が蒼い輝きを取り戻した。
「‥‥きゃあぁ! 嫌! 嫌よ! ‥‥あれ? ここは?」
「姉様‥‥元に戻ってよかった‥‥本当に‥‥」
「珊瑚お姉ちゃ〜ん♪ よかった。元に戻ったーー!!」
「瑪瑙!? 瑠璃!?」
 次の瞬間、絹を裂く悲鳴が上がるが、珊瑚へ瑪瑙と瑠璃が涙を流しながら抱き付いてきたので、瑪瑙の頬と瑠璃の唇に接吻を落としながら、落ち着いて周りを見られるようになった。

 お珠が用意した、珊瑚の分を含めた全員分の茶菓子をつつきながら、珊瑚は連れ去られた時の様子を思い出しながら語った。
 珊瑚はお付きの人魚と一緒に時々陸へ抜け出して可愛い娘に愛情を注ぐ事があり、その日も愛でた後、人魚の姿に戻って愛する妹達の元へ帰ろうというところで意識が途切れた事から、この時点で石に変えられたようだ。
 そして珊瑚を石に変えたのは、お鈴が越前屋より聞いた『陰陽師』らしい。
「‥‥お付きの人魚がまだ行方知れずだから、万事解決、めでたしめでたしって訳にはいかないが、珊瑚が無事でひとまずなによりだな」
「平八郎お兄ちゃん、伍右衛門お兄ちゃん、お珠お姉ちゃん、お鈴お姉ちゃん、ありがと〜♪」
「姉を助けて戴いて、本当にありがとうございました。それで、謝礼の事なのですが‥‥姉は一族にとって必要な方ですので、帰って戴かなければなりませんが‥‥代わりに、このわたしの身を捧げます。『人魚の肉を食うと不老不死になれる』というお話があるのですよね? ここに来た時から、その覚悟は出来ております」
「いや、そういう報酬ならいらねぇよ。あんたら姉妹の笑顔が見られるのが一番の報酬だし、伍右衛門に貸しにしておくからよ」
「流石平八郎さん♪」
「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」
「妻だからいいの!」
「よくないわよ!」
 姉妹達は一頻り再会を喜んだ後、瑠璃はお礼に全員に抱き付き、瑪瑙は平八郎へ向き直り、真顔で報酬の事を告げた。しかし、平八郎が報酬を断ると、お珠が抱き付き、布団で寝ていたお鈴が抗議の声を挙げた。

 お付きの人魚の探索は伍右衛門が引き受け、三姉妹は仲良く帰っていった‥‥のだが。
「えへ♪ お姉ちゃん達にお願いしてもう少しこっちにいさせてもらう事にしたの♪ 今回のお礼も兼ねていろいろお手伝いするよ♪ これでも家事は得意だし♪」
 何故か長屋に瑠璃がいた。

 ――新たな居候の登場に、逐電屋平八郎自身の平穏は、まだまだ当分先のようだ。

 【八百八町異聞〜人魚姫・完】