八百八町異聞〜猫股アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 菊池五郎
芸能 3Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 難しい
報酬 11.2万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 05/31〜06/06

●本文

 時は天明元年、大江戸八百八町は今日も清々しい日本晴れ。
 といっても、俺が起きるのは昼過ぎだけどな。逐電屋なんて裏家業をやってると仕事をするのは夜だから、どうしても夜中心の生活になっちまう。
 俺の名は平八郎、一応、町民だから名字はない。
 逐電屋ってのは、理由があって江戸にいられなくなっちまった奴を、簡単に言えば夜逃げさせる裏家業だ。逐電をするには、ただの理由じゃ駄目だ。幕府から狙われているとか相応の理由が必要だし、俺もおいそれと逐電はさせないが、その代わり、一度逐電させると決めればしくじった事はねぇ。
 俺は甲賀忍者でね。相応の腕を持っているからこそ今まで逐電をしくじった事はねぇし、忍者である事を隠す為に大っぴらに名乗ってるって事もあるけどな。
 という訳で、俺が布団から出る頃には、お天道様は空高くにいるって寸法だ。
 
 静かなところを見ると、押し掛け女房同然で通い妻をしているお珠が瑠璃をどこかへ連れて行ってるようだな。
 お珠は少し前にこの界隈で胸の大きな女性が狙われる辻斬り未遂事件があってな。妖刀桃正っていう刀に操られていたんだが、俺が助けた事から好かれちまって押し掛けてきたんだ。
 家事はしてくれるし、岡っ引の娘だから奉行所の情報が手に入るんで置いてるだけだ。
 瑠璃は俺んところへ居候している、越前の人魚族の末姫だ。江戸へ運ばれた攫われた姉を助けたところ、姉は帰ったんだが居座られちまってな。子守りはほとんどお珠に押し付けてる。

「読売〜、読売ですよ〜」
 長屋の前にある井戸で水を汲んで顔を洗っていると、読売(=瓦版)屋が騒々しい。 あの声はお鈴だな。
 お鈴は、普段は読売屋をしているが、その正体は裏社会に関して卓越した情報収集能力を持ってる伊賀流のくノ一だ。
 甲賀者と伊賀者が連むのは、まぁ、珍しいんだがな。先生の影響で俺自身別の流派を憎んでないから、お鈴の命を救った事もあって連んでるって寸法だ。
 先生っていうのは平賀源内先生の事だ。先生は二年前に二人を殺傷して投獄され、翌年獄死した事になってるが、これは表向き。本当は老中田沼意次の庇護の下、ちぁんと生きてるんだ。死因を検分したのも親友の杉田玄白だし、いくらでも隠蔽できるって訳だ。
 で、何をしてるかっていうと、江戸の郊外でゐれきせゑりていとという発明品を造ったり、狂歌を書いたり、浮世絵を描いたりと、まぁ、自由気ままに暮らしてるよ。何せ先生は、日本で最初に竹蜻蛉を作った偉大な発明家だからな。
「あ、兄ぃ、よかったら読んでよ」
 大通りへ出ると人垣が出来ており、その奥に台の上に乗って、和紙の束を片手に持ち、読売の内容を説明するお珠の姿が見えた。俺の姿が分かったのか、お珠が俺の側へ寄ってきて読売を渡した。
 内容はこの界隈で時々見つかる、仏様についてだな。
 最近、この界隈で朝、干涸らびて木乃伊のようになった仏様が見つかってるんだ。この辺の担当の回り方同心の大蔵のとっつぁんこと片山大蔵と、その協力者でお珠の親父の岡っ引千造が血眼になって犯人を探してるが、効果の程は読売を見ての通り、まだない。
「先生の話だと、猫股が男の精を吸ってるらしいよ」
「人魚に続いて今度は猫股だと!?」
 猫股っていうのは四十年年を取った飼い猫が変化した妖怪だ。尾の先が二股に分かれているから猫股と呼ばれている。人語を解し、人語を話す。人を喰い殺し、そいつに成り代わる事もある。雌の猫股は男を誘惑して精を奪っていくっていうから、今回の件はそれだな。
「しかし、解せないな。どうして短期間にこれだけの精が必要なんだ?」
 猫股はそもそも数が多くないから、俺はやり方からして同じ猫股の仕業の方向性が高いと踏んだ。
「あれ? 兄ぃ、調べてみるの?」
「まぁ、な。この辺りで逐電してる最中に、木乃伊のような仏様を拝むのは勘弁したいしな」
「ふーん‥‥お珠の為じゃなくて?」
 お鈴は訝しげに目を細めて俺を見る。確かに猫股を捕まえられれば、お珠の親父の手柄にも出来るだろうけど、そのつもりはねぇ。
 猫股は飼い主の仇を討つ逸話が多い、理由もなしに人をあまり襲わない妖怪なんだ。それがわざわざ目立ってまで人間の精を必要としているのには何か訳があると思うんだ。

「山吹‥‥山吹‥‥」
 まだ昼だというのに薄暗いそこは、寺の本堂の下だった。
 その場所にはあまりにも不釣り合いな、二四、五のきつめの容貌を持つ麗しい女性が、何かに縋るように右手を伸ばした姿で横たわる少女の石像を一心不乱に舐めているのだ。
 異常な光景といえよう。
 だが、女性の耳は人間のそれではなく、猫の耳が生えていた。
 彼女が猫股だった。
 彼女が舐めた石像の部分は、そこだけが灰色の絵の具が洗い落ちたように、瑞々しい肌の色へ変わっていた。
「‥‥だめだわ、私の妖力じゃ山吹を元に戻せない。もっと精を集めないと‥‥」
 暗がりに光る猫股の双眸は、人間を憎む色に染まっていた‥‥。

■主要登場人物紹介■
・平八郎:29歳。逐電屋(=夜逃げ屋)を営むが、その正体は甲賀忍者。二枚目で独身。特定の彼女はなし。武器は手裏剣や苦無。
・お鈴:十代後半。表向きは読売(=瓦版)屋だが、その正体は伊賀忍者のくノ一で裏社会の情報に精通している。平八郎を「兄ぃ」と呼んで慕っている。ひんぬー。
・お珠:20歳前後。岡っ引千造の娘で美女だが、ひんぬーを気にしている。平八郎に助けられて以降、押し掛け女房同然に通い妻中。奉行所の情報に精通している。
・瑠璃:10歳前後。越前の海の沖に住む人魚族の末妹。姉を助けた平八郎に懐いて、強引に居候をしている。水を操る妖術(主に回復系)を使うが成功率は三割にも満たない。もちろん、ひんぬー。

・唐桃(からもも):24、5歳。猫股。娘を陰陽師によって石に変えられてしまい、元に戻す為に人間の精を集めて自分の妖力へ変換している。人間時はきつめの美女。
・山吹:14、5歳。唐桃の娘で猫股と人間の混血児。まだ猫股としての力は発揮できず、人間の少女と変わらない。陰陽師によって石化されてしまう。

■技術傾向■
 格闘・軽業・芝居

●今回の参加者

 fa0329 西村・千佳(10歳・♀・猫)
 fa0485 森宮 恭香(19歳・♀・猫)
 fa0612 ヴォルフェ(28歳・♂・狼)
 fa0826 雨堂 零慈(20歳・♂・竜)
 fa2807 天城 静真(23歳・♂・一角獣)
 fa3280 長澤 巳緒(18歳・♀・猫)
 fa3386 硯 円(15歳・♀・猫)
 fa3799 羽床・小菜(14歳・♀・鷹)

●リプレイ本文


●出演
 平八郎:雨堂 零慈(fa0826)
 お鈴:硯 円(fa3386)
 お珠:森宮 恭香(fa0485)
 瑠璃:西村・千佳(fa0329)

 唐桃:長澤 巳緒(fa3280)
 山吹:羽床・小菜(fa3799)

 千造:天城 静真(fa2807)

 安倍逅明:ヴォルフェ(fa0612)


●発端
 夕暮れ時の町外れ。子供達はお互い手を振りながら家路を急ぐ、いつもの光景だ。
 打ち捨てられた廃寺の本堂の影で、一人、蹴鞠で遊んでいた山吹は、遠くに聞こえる子供達の声に顔を覗かせた。
 子供達の輪の中に入って一緒に遊びたいと思う反面、自分の正体が知られたらどんな仕打ちを受けるか分からない。山吹は外見こそ普通の人間の少女だが、妖怪猫股と人間の間に生まれた混血児だ。まだ猫股である母のように猫股の妖力を振るう事は出来ない。
 山吹は父の顔を覚えていない。彼女がまだ物心付かない頃に、猫股と結ばれた人間として人間に殺されてしまったのだ。それ以来、母は人間不信になり、山吹も人間を極力避け、いつも一人で遊んでいた。
「‥‥匂うぞ、妖怪の匂いが‥‥お前達妖怪に明日などないし、俺が来させん!」
「!? は‥‥」
 物陰から顔を出したのが拙かったのか。端正な顔立ちの陰陽師が、山吹を憎々しげに見つめながらやってきた。妖怪を狩る生業の陰陽師のようだ。
 今、母の名を呼べば、この陰陽師は母も探して手に掛けるだろう。だが、今なら自分一人だ。
「まだ妖怪に化けられないようだが、いずれ化けられるようになるのならば、芽の内に摘ませてもらう!」
「か、身体が石に!?(嗚呼、母上‥‥不甲斐ない娘を‥‥お許し‥‥下さい‥‥ま‥‥)」
 陰陽師の手から放たれた符が飛来し、山吹の身体に張り付いた。小さな悲鳴を上げた身体が、符が張り付いた部分から瞬く間に灰色く色を濁してゆく。栗色の瞳が輝きを失い石の塊と化すと、心の中で呟いた母への最期の言葉も途切れ、石像となってしまった。
「この高さから転がり落ちれば、手間が省けるな‥‥」
 陰陽師――安倍逅明――は冷笑を浮かべながら山吹の石像を蹴り、踵を返して去った。
 山吹の石像は嫌な音を立てて本堂の裏手の斜面を転がり落ちていった。

「山吹ー! 山吹ー!」
 それから数刻後。山吹の母、唐桃が夕食を持って廃寺へ帰ってくるが、愛娘の姿はなかった。
 方々探し回ると本堂の裏手の斜面に何かが滑った跡があり、下に広がる草むらに愛娘を象った石像が横たわっているのを見付けた。
「や、山吹!? ‥‥また、人間か‥‥今度は山吹を‥‥」
 駆け寄ると、石像から漂う匂いで愛娘本人だと分かった。石像を抱き締めるとまだ温かく、封印されて間もないようだ。しかし、この温もりがなくなった時、山吹は硬く冷たいただの石くれとなり、元に戻す事が出来なくなる。
 唐桃に残された時間はなかった。


●女の友情
「読売〜、読売ですよ〜」
「本当、物騒だねぇ‥‥あたしにも一部もらえるかい?」
「売れてるようだな」
「あ、兄ぃ、よかったら読んでよ」
 平八郎の長屋の前の通りで、いつものように読売(=瓦版)を売るお鈴。読売の内容を身振り手振りを交えて説明していると、女性が笑みを浮かべつつ買っていった。同性のお鈴も見惚れてしまう、山猫を思わせる少々きつめの顔立ちの妖艶な美女だった。
 やってきた平八郎の声で我に返ると、彼へ読売を一部渡す。

 平八郎が読売を売り終えたお鈴を伴って長屋へ戻ると、お珠と瑠璃も散歩から帰ってきていた。
「今度は猫股か‥‥次々に妖怪絡みの事件が起こるね、なんか嫌な感じ」
「にゅ、猫股さん? 今回は猫さんなんだー‥‥今回は猫さんが居候さんかな?」
「お前なぁ‥‥居候がそういう事いうか? これ以上食い扶持を増やされたらたまらねぇぜ」
 瑠璃を抱き、髪を撫でながら読売を読むお珠。一人っ子のお珠は妹が出来たようで嬉しいらしく、瑠璃を猫可愛がりしていた。越前の沖合いに住む人魚族の末姫の瑠璃は甘やかされて育ったようで、その言動で平八郎をほとほと困らせていた。
「問題はどうやって猫股の居場所を突き止めるかだけど‥‥お鈴ちゃん、今までの事件が起こった位置、分かるかしら?」
「‥‥だいたい、この辺りだよ」
 お珠がそう切り出すと、お鈴は大まかな地図を描き印を付けていった。お珠に主導権を取られ、ご機嫌斜めのご様子。無理もない。お鈴は重傷を負っており、未だ病み上がりの身だった。読売を売ったり日常生活に支障はないが、くノ一としての諜報活動はかなり制限されていた。
『まったくよぅ。嫁入り前の娘が男のとこなんかに入り浸りやがって‥‥死んだおっかぁに顔向けが‥‥』
 印の上へ、お珠が父の岡っ引千造に酒を勧め、娘の素行を心配して説教されながらも聞き出した、彼が協力している回り方同心片山大蔵の捜査状況を書き加えてゆく。
「今まで事件が起きた場所を考えて、この界隈からそう遠くないとことかの廃屋、潜めそうな人気のない建物を手分けして探したらきっと早いよね。お鈴ちゃん、目星付かないかな?」
「‥‥そうだね、この辺りの廃寺とか廃屋辺りは、人が潜んでいても簡単には分からないと思うよ」
 お珠が協力を申し出ると、お鈴は人目の付かない場所を絞り込み即答した。
 短期間に大量の精を集めているという事から急いでいる事を前提に、人に見付かる可能性をあまり視野に入れてない短絡的な行動と踏み、拠点の移動はほぼないと即座に判断したのだ。
 そのお手並みにはお珠も舌を巻く。
 お珠は平八郎に惚れているし、お鈴もまた然り。ただ、お鈴と平八郎にはお珠とは違う絆があると思っており、お鈴を好敵手とは捉えていなかった。
 お鈴はまだそこまで割り切っていなかった。しかし、自分には自分の良さがあり、お珠はにお珠にしかできない事もある事が徐々に分かってきていて、最終的に選ぶのは平八郎なので、一緒に頑張ろうというお珠の気持ちが少しずつ伝わっているようだ。

 平八郎とお鈴、お珠と瑠璃の二手に分かれて猫股を探し始めた。


●的外れ
「おぅ、邪魔するぜ。ちょいと聞きてぇんだがな、この着物に見覚えはねぇかい?」
 回り方同心大蔵の手となり足となり、聞き込みを進める千造。木乃伊みたいな死体では、身元を探すのもままならない為、着ている衣類や持ち物から辿り、被害者らしき男の家を探していた。
「とっつぁん、一杯貰おうか‥‥ところでよ、近頃この界隈で妙な仏が出てるって話ぁ聞いてるな?」
 夜中の目撃者を見付けようと、夜鳴き蕎麦の親父にも聞き込む。岡っ引は給料が御上からほとんどもらえない分、こういった店ではただで食べられたりと、暗黙の役得があった。
「そうか‥‥おぅ、邪魔したな」
 しかし、着眼点は良いものの空振りに終わってしまう。
「旦那、こいつぁめぇりやしたぜ。とんと、雲を掴むような話ばかりでさぁ」
 大蔵に報告する千造。彼は岡っ引としてはかなり有能だが、相手は猫股だ。人間相手の調査では捕まらないのだ。


●母心
「お姉ちゃんやお兄ちゃんも頑張ってるし、瑠璃も頑張らないとね♪ ‥‥って、お珠お姉ちゃん!!」
 お珠は廃寺の本堂の中を調べ、瑠璃は鼻をひくひくさせながら本堂の下に潜っていた。
「‥‥ただの石像じゃないよ‥‥石に変えられちゃった猫股だよ!」
「‥‥また、なの? なんて酷い事!!」
 瑠璃は石像が石化された猫股だと感じ取っていた。不安からお珠の着物の袖を強く握り締める瑠璃。お珠はそっと近寄り、静かに怒りをくゆらせる。

「精を搾り取ってるって事は、遊廓に行けば何か情報があると思ったんだがな」
 その頃、遊廓での聞き込みを終えた平八郎は帰路に付いていた。山猫を思わせる美女が何人かの男を連れ立った目撃情報は得られたが、それより先に進まなかった。
「兄ぃ、お珠と瑠璃が猫股の住処を見付けたようだよ」
「何!? 本当か!!」
 お鈴から伝言を受けた平八郎は廃寺へと向かう。
 本堂の下に横たわる少女の石像。色彩のない身体の腕の一部だけが、灰色の絵の具が洗い落ちたように血の通う生きた肌になっていた。
「陰陽術の類だな‥‥ただ、俺ぁこの手の術には詳しくねぇからな」
「‥‥妖怪を封印する石化の呪法‥‥だと思うよ。珊瑚お姉ちゃんを石化したのと同じ術だから」
 そこは人魚姫、瑠璃は呪法について突き止めた。
「また人間達が‥‥まだこの子を苦しめようってのかい‥‥」
「ここを動くんじゃねぇぞ!」
 女の憤怒に満ちた声が聞こえると、平八郎は瑠璃とお珠にこの場から動かないよう告げて外へ出た。
 そこには猫股本来の姿に戻った唐桃がいた。既に両手の爪は鋭く伸び、平八郎の首を引き千切ろうと擦れ合う音を立てていた。
「待ってくれ! 俺達はお前の敵じゃねぇ! お前とその娘を助けに‥‥」
「コソコソ嗅ぎ回っているのを‥‥気付かなかったと思ったかい!」
 平八郎の言葉に聞く耳を持たず、一瞬で間合いを詰める唐桃。喉元をかっ切ろうとする爪を寸でのところでかわし、苦無を逆手に構えてそれと切り結ぶ。
「待って! 娘を想う気持ちに人も猫股も違いないよ!? 力にならせて!!」
 戦いを物陰から見守っていたお珠は、愛娘を思う母の気持ちが勘違いを生み、平八郎と戦うのが我慢できずに飛び出してしまう。
 唐桃は満月の弧を描くような華麗な跳躍でお珠へ迫ると、平八郎も唐桃顔負けの跳躍で二人の間に割って入った。
「掛かったね! さぁ! あんたの精も戴くよ‥‥」
 平八郎は女を庇う――それこそ唐桃の狙いだった。彼の背後へ回り、首を絞め精を吸いに掛かった。
「分かった。俺の精はやる‥‥だから、お珠と瑠璃だけは助けてやってくれねぇか?」
「今更命乞いかい!? あんたら人間が! 山吹に‥‥私の娘にした仕打ちに比べたら! 薄汚い人間の精でも‥‥山吹を助ける事が出来るんだよ!」
「違う! 平八郎さんはあなたが思っているような悪い人じゃないの!!」
 憤怒と憎悪に身を任せ、説得しようとする平八郎に対し殺気立ち、あくまで精を吸おうと彼の着物を切り裂き、その首筋に接吻を落とそうとする唐桃。お珠が必死に説得する。
(「なんで‥‥なんであたしはこんな時に‥‥こいつにあの人を重ねるんだい‥‥」)
 すると、平八郎にただ一人愛した人間‥‥亡き夫の姿が重なった。唐桃は人間の姿になり、その場に泣き崩れた。
「瑠璃、頼むぜ」
「それじゃぁいくよ♪ みゅぅっ‥‥! ‥‥‥‥あ‥‥」
 平八郎に促され、人魚姫に伝わる癒しの呪法を使う瑠璃。しかし、まだまだ未熟なので、いきなり術は失敗してしまう。
「あは‥‥あはははははは‥‥失敗しちゃった‥‥あ、えと、大丈夫だから! 今度こそは上手く行くからね」
「‥‥あたしも協力するよ」
 瑠璃に唐桃が妖力を送り込んで呪術を発動させると、灰色の肌が次第に本来の色を取り戻していった。
「山吹‥‥山吹ぃ‥‥」
「嗚呼、不甲斐ない娘の私の為に‥‥母上!」
 石の塊だった瞳が輝きを取り戻して動き、唇から吐息がこぼれると、唐桃は山吹を抱きしめ、その柔らかい身体を確かめながら大粒の涙を流し喜んだ。
「母上は立派でございます! 人間の女は、大きくなっても胸が全然ないのじゃ」
 唐桃が、自分がを石化されて心を痛めているかもしれないと思った山吹は、自分のひんぬーは棚に上げて、目に付いたお珠や瑠璃を見遣り、唐桃の長所を精一杯褒め励ました。
 再会を喜ぶ母子の姿に涙を滲ませかけたお珠は、山吹の一言でまだ残っている事を思い出した。
「瑠璃のお姉さんも、山吹ちゃんも、きっと同じ犯人よ! 絶対見つけて一発ひっぱたいてやるんだから!」
「うにゅ、お兄ちゃん、お姉ちゃん達、山吹のお姉ちゃんは瑠璃が長屋に連れていくから‥‥悪い奴はお願いね! 絶対許しちゃだめだよ」

 その間、お鈴は陰陽師の居場所を掴んでいた。陰陽師の耳に噂が流れるよう出来るだけ目立って聞き込みと調査を行い、こっちの尻尾を掴ませる振りをして、相手を誘き寄せたのだ。
 平八郎は唐桃と山吹をお珠と瑠璃に任せると、陰陽師の元へ向かった。


●決着
 陰陽師、安倍逅明の住む家は、意外にも平八郎の長屋の近くだった。とはいえ、そこは町人と陰陽寮に入る陰陽師の差、逅明の家はかなり大きかった。
「何故、罪のない妖怪達を封印する!?」
「体中から妖怪の匂いをさせて何を言う? 妖怪と馴れ合うような者の言葉は聞く耳は持たん!」
 平八郎の鋼糸と逅明の符が交錯する。その実力は全くの互角だったが‥‥。
「くっ!? こんな時に‥‥妹よ、私はお前の仇を取りたいだけなのだ!」
 不意に逅明は顔を押さえ、動きが止った。その隙を衝いて平八郎は鋼糸を振るう。
「大人しく負けを認めるより‥‥」
 逅明が符を掲げると、彼の目の前に炎の壁が現れた。それが消え去ると、逅明の姿も消えていた。

「世話になったねぇ‥‥人間にもあんたやあの人みたいなのがいる‥‥私も少しは人間を信じてみるよ」
「山吹お姉ちゃんも元に戻って、唐桃お姉ちゃんもよかったね♪ これでまた仲良く暮らせるねー♪」
 江戸を離れる挨拶に平八郎を訪ねる唐桃と山吹。二人に抱き付く瑠璃。
「私? これから成長するのですとも!」
「いってくれるわね、ね、お鈴ちゃん?」
「お鈴も山吹と同じで成長途中だよ?」
 ひんぬーについて喧嘩しているうちに友情が芽生えた山吹とお珠とお鈴。
「安倍逅明か‥‥珊瑚や山吹といった妖怪を封印していたが、その目的は何なんだ‥‥」
 今回の猫股騒動は解決したが、その首謀者らしき逅明には逃げられてしまった。再戦の予感を感じる平八郎だった。
 ――長屋の屋根の上でお鈴達の口論から逃げるように‥‥。

 【八百八町異聞〜猫股・完】