八百八町異聞〜雪女郎アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 菊池五郎
芸能 3Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 難しい
報酬 11.2万円
参加人数 8人
サポート 1人
期間 08/09〜08/15

●本文

 時は天明元年、大江戸八百八町は今日も清々しい日本晴れ‥‥と、いつものような出だしで行きたいところだが、今回はそうもいかねぇみてぇだ。
 葉月(八月)になったばかりなんだが、葉月とは思えない寒さで目を覚ますと、何と雪が降ってる。長屋の屋根や前の地面がうっすらと白くなっているところを見ると、積もる程の雪じゃねぇようだが‥‥生まれてこの方二十と九年、葉月に雪が降るなんて前代未聞だぜ。
「平八郎さん! ちょっと来て!」
 俺が掛け布団を肩に引っ掛けながら、着流しの中で腕組みをして、雪が降り続くどんよりとした空を見上げていると、お珠の悲鳴にも似た呼び声が聞こえてくる。
 お珠は少し前に、この長屋の界隈で胸の大きな女性が狙われる辻斬り未遂事件があってな。ひんぬーを苦にしていたお珠は妖刀桃正っていう刀に操られていたんだが、俺が助けた事から好かれちまって押し掛け女房同然で通い妻をしている。
 家事はしてくれるし、岡っ引の娘だから奉行所の情報が手に入るんで置いてるだけだ。
「今、瑠璃ちゃんが妖術を使ってるんだけど‥‥とにかく来て!」
 お珠は俺の着流しの袖を引っ張って、瑠璃が居るらしい方へ連れて行く。
 瑠璃は俺んところへ居候している、越前の人魚族の末姫だ。江戸へ攫われた姉を助けたところ、姉は帰ったんだが居座られちまってな。子守りはほとんどお珠に押し付けてる。
 人魚族の末姫だけあって、瑠璃は多少の傷ならたちどころに治す癒しの妖術が使えるんだが、怪我人どころじゃねぇ。俺がお珠に連れられてやってくると、瑠璃の傍らには全身を白い霜で覆われた女性が横たわっていた。
 顔はなかなかの別嬪だし、仕立てのいい着物を着ているところを見ると、問屋の娘か、或いは武士の娘って線もあり得るな。だが、結った髪や服の皺、長い睫毛や鼻の頭には小さい氷柱が出来るほど、完全に凍り付いてる。
「平八郎お兄ちゃん‥‥」
 俺の姿に気付いた瑠璃が、目に真珠のような大粒の涙を浮かべて抱き付いてきた。どうやら癒しの妖術は効かなかったようだ。無理もねぇ、怪我やちょっとした熱くらいなら治せても、凍死しちまった女性を生き返らせる事は出来ねぇからな。
「ううん、違うの‥‥このお姉さん、まだ死んでないんだけど‥‥瑠璃の妖力じゃ元に戻せないの」
 ってぇ事は、この女性を凍り付かせた奴を見付けて元に戻させれば、息を吹き返すって事か!?
 
 自己紹介が遅れちまったが、俺の名は平八郎。一応、町民だから名字はない。
 家業は逐電屋をやってる。理由があって江戸にいられなくなっちまった奴を、簡単に言えば夜逃げさせる裏家業だ。逐電をするには、ただの理由じゃ駄目だ。幕府から狙われているとか相応の理由が必要だし、俺もおいそれと逐電はさせないが、その代わり、一度逐電させると決めればしくじった事はねぇ。
 俺は甲賀忍者でね。相応の腕を持っているからこそ今まで逐電をしくじった事はねぇし、忍者である事を隠す為に大っぴらに名乗ってるって事もあるけどな。

 それからしばらく、俺はお珠に彼女の親父の岡っ引千造と、千造が協力しているこの辺の担当の回り方同心の大蔵のとっつぁんこと片山大蔵の動きを探らせつつ、裏社会に関して卓越した情報収集能力を持ってる伊賀流のくノ一、お鈴とこの事件を追っているんだが、調査は難航していた。
 その間にも この界隈では時々、氷漬けの女性が見付かるようになっていた。しかも雪は積もりはしないものの、降り止まない始末。

「葉月に雪が降っているのは、雪女郎(ゆきじょろう)が山から降りてきているからじゃろう。しかも、江戸中に雪を降らせる力を持つ者じゃ、おそらくは族長かそれと同等の力を持つ者であろうな」
「雪女郎、ですか?」
 調査に行き詰まった俺は、江戸の郊外に隠れ住む平賀源内先生の下を訪れる事にした。
 先生は二年前の安永七年に二人を殺傷して投獄され、翌年獄死した事になってるが、これは表向き。本当は老中田沼意次の庇護の下、見ての通りちぁんと生きてるんだ。死因を検分したのも親友の杉田玄白だし、いくらでも隠蔽できるって訳だ。
 で、何をしてるかっていうと、『ゐれきせゑりていと』という発明品を造ったり、狂歌を書いたり、浮世絵を描いたりと、まぁ、自由気ままに暮らしてるよ。何せ先生は、日本で最初に竹蜻蛉を作った偉大な発明家だからな。
 俺が訪問した今も、人間大の竹蜻蛉を作って何やら熱心に回していたが、流石は江戸に住む伊賀者以外の忍者を保護する先生、女性達を凍らせている者の正体はきっちり掴んでいた。
 伊賀者が徳川幕府に召し抱えられて以来、伊賀者以外の忍者は肩身の狭い思いをしているんだが、それを裏で保護しているのが先生なんだ。
 なるほど、雪女郎か。別名を雪女子(ゆきおなご)や雪女(ゆきめ)ともいい、雪国に多く伝承される雪の精、要するに妖怪だ。雪のように白い顔をし、白い着物を着た美しい女性の姿をしているという。
 しかし、待てよ。若い男の精や命を奪うんじゃなかったか?
「若い女性ばかり狙っているところを見ると、嫉妬の可能性が高いのぉ」
「嫉妬ですか?」
「雪女郎とて女子(おなご)じゃ、人間の男を好いて結婚する事もあるじゃろう? だが、その男に別の女がいたとしたら‥‥」
「嫉妬に狂って‥‥!? そういう事ですか!?」
「いや、あくまで儂の憶測に過ぎんがな」
 それでも少ない情報からそこまで類推出来るんだから、先生は凄いぜ。

■主要登場人物紹介■
・平八郎:29歳。逐電屋(=夜逃げ屋)を営むが、その正体は甲賀忍者。二枚目で独身。特定の彼女はなし。武器は手裏剣や苦無。
・お鈴:十代後半。表向きは読売(=瓦版)屋だが、その正体は伊賀忍者のくノ一で裏社会の情報に精通している。平八郎を「兄ぃ」と呼んで慕っている。ひんぬー。
・お珠:20歳前後。岡っ引千造の娘で美女だが、ひんぬーを気にしている。平八郎に助けられて以降、押し掛け女房同然に通い妻中。奉行所の情報に精通している。
・瑠璃:10歳前後。越前の海の沖に住む人魚族の末妹。姉を助けた平八郎に懐いて、強引に居候をしている。水を操る妖術(主に回復系)を使うが成功率は三割にも満たない。もちろん、ひんぬー。

・華乃:20代前半〜30代前半。奥多摩に住む雪女郎達を束ねる長。安倍逅明にたぶらかされ(あるいは操られ)、江戸まで降りてきて、逅明の女性と思しき女性達を凍り付かせている。惚れたら一途で嫉妬深い性格。口や手から吹雪を出して凍り付かせる他、接吻した相手の精を抜き取り、氷像に変えてしまう妖術を使う。

・安倍逅明:20〜30代。冷酷非情で好戦的な陰陽師。攻撃系の陰陽術を好んで使う。妖怪を絶対悪と決め付けて憎んでいるが、何故か遭遇した妖怪や半妖は封印するに止めて、消滅させる事だけはしないという一面もある。

■技術傾向■
 格闘・軽業・芝居

●今回の参加者

 fa0329 西村・千佳(10歳・♀・猫)
 fa0485 森宮 恭香(19歳・♀・猫)
 fa0826 雨堂 零慈(20歳・♂・竜)
 fa0829 烏丸りん(20歳・♀・鴉)
 fa3386 硯 円(15歳・♀・猫)
 fa3571 武田信希(8歳・♂・トカゲ)
 fa4060 猫宮・牡丹(15歳・♂・猫)
 fa4144 柚木透流(22歳・♀・狼)

●リプレイ本文


●出演
 平八郎:雨堂 零慈(fa0826)
 お珠:森宮 恭香(fa0485)
 お鈴:硯 円(fa3386)
 瑠璃:西村・千佳(fa0329)

 華乃:烏丸りん(fa0829)

 安倍逅明:柚木透流(fa4144)
 安倍鵬明:猫宮・牡丹(fa4060)
 式神:武田信希(fa3571)


●初夏――奥多摩
 江戸城を築城する際、青梅で採れる石灰を運搬する為に整備された青梅街道は、別名を甲州裏街道とも呼ばれるように、奥多摩を経て甲府へと通じており、関所もない事から、庶民の旅に多く利用された。
 とはいえ、奥多摩湖の奥、街道を離れた雲取山や奥多摩三山を頂く山塊はまだまだ人の手の入らない未開の地だ。分け入るのは土地勘のある地元の狩人や山菜を採りに行く農民、そして修験者くらいだろう。
 いや、地元の者でも奥へ立ち入る事はない。何故なら、奥多摩の山塊には『雪女郎』が棲み、毎年のように運悪く奥まで踏み込んだ者を喰らっているからだ。
 だから、若い男性と少年の珍妙な二人組を見掛けた地元の農民は、「雪女郎に食われたくなければ奥多摩湖の奥へ行くな」と、再三、注意した。
 しかし、二人組は注意を聞き流して分け入ってゆく。
 珍妙な、というのは二人の服装だ。修験者なら頭に頭巾(ときん)という多角形の小さな帽子を被り、手に錫杖を持ち、袈裟と篠懸(すずかけ)を纏っているので一目瞭然だが、二人とも白を基調とした狩衣を纏い、結い上げた髪に鳥帽子を被っており、おおよそ旅人とも思えなかった。
「雪女郎か‥‥地元の者の話を聞く限りでは、一匹失った程度では懲りずに人を喰らっているようだな」
「‥‥また封印しますか?」
「決まっている! 物の怪など放っておけば人に害を為すだけだ!」
 先頭を歩く男性が、妖怪を吐き捨てるように言う。妖怪の名を口にすると、決まって烈火の如く怒るのだ。しかし、その事を知っている後ろを歩く少年は、彼の言葉の裏にある思いには触れず、事務的にどうするか聞く。
 “また”と言っているように、彼らが奥多摩を訪れたのは初めてではない。その証拠に、獣道すらない傾斜を、奥多摩湖へ流れ込む小川に沿って難なく登ってゆく。
 男性の名は安倍逅明、妖怪退治を生業とする陰陽師だ。彼に付き従う少年は、弟子の安倍鵬明。鵬明は寡黙で何処か人を寄せ付けない雰囲気を漂わせているが、逅明を心から崇拝しており、彼の命令には必ず従う。
 山塊の一つの頂上へ出ると、そこには場違いな立派な家が建っていた。そう、雪女郎達の住処だ。
『華乃様、また出掛けられのですか?』
『止めるな彩子。早く奈美を救わないと‥‥』
 すると住処から、新雪を思わせる純白の着物を纏った漆黒の長髪の女性が外へ出てきた。雪女郎の名は華乃といい、どうやら族長のようだ。
 遁明達が後を付けると、彼女は住処から少し離れた所にある洞窟の中へ入ってゆく。そこには苦悶の表情を浮かべ、まるで壁から抜け出そうともがき苦しむ姿の雪女郎の浮き彫りが施されてあった。まるで本物の雪女郎を封じ込めたかのような浮き彫りは、華乃が言っていた奈美だろう。
「‥‥なるほど、懲りずに人を喰らっていたのは、私が封印した雪女郎の封印を解く為だったか‥‥待てよ。これは使えるかもしれん」
 豊かな質感を持っているのは当然だ。浮き彫りは逅明によって封印された雪女郎の成れの果てだった。
 華乃を封印するつもりだった彼は、唇を吊り上げて笑うと、懐から符を取り出す。印を切りながら呪文を唱え、息を吹きかけると、符は髪を稚児髪に結い、水干姿の少年へと姿を変えた。
「‥‥童子(わらし)よ、こんなところに迷うたのか? ‥‥嗚呼! ‥‥逅明様‥‥妾を、妾を見捨てないで欲しいのじゃ!」
 雪女郎といえども女性、子供には母性本能がくすぐられるようだ。
 式神が華乃の手を握ると、上品な美女の楚々とした雰囲気が悲鳴と共に男性へ媚びる嫣然としたものへ様変わりしてゆく。まるで最愛の人に捨てられ、縋るような仕草で式神に手を引かれて洞窟の外へ出ていった。
「相手は罪のない雪女郎だが、あの妖怪の匂いを纏った男はどう、動くかね‥‥鵬明よ、あの雪女郎を見ててくれ。決して、奴等にはお前の事を悟られないようにな」
 遁明の指示を受けた鵬明は頷くと華乃の後を追った。

 弟子の背中が見えなくなると、遁明は片膝を付いて蹲った。
「く‥‥またか‥‥何故、邪魔をする!? これはお前を殺めた物の怪の一匹なんだぞ! こいつらの妖力を集めれば、お前を現世に戻す事も可能だというのに‥‥」
 脂汗の滲む額を押さえ、自分の内に言い聞かせるように言うと、すぅ、と目を細め、冷徹な表情を見せた。


●葉月半ば――平八郎の長屋
「先生から、雪女郎の仕業だと助言を戴いたのに、その尻尾すら掴めねぇとは情けねぇ」
「平八郎さん‥‥」
「兄ぃ‥‥」
「お兄ちゃん‥‥」
 外から帰ってきた平八郎は、三和土(たたき)で頭や肩に積もった雪を払い落とすと、居間の真ん中に置いてある火鉢で手を温めながら悔しそうに呟く。
 お珠とお鈴、瑠璃は彼の気持ちが痛い程分かった。相手は大江戸八百屋町に雪を降らせる事が出来る雪女郎だ。この雪に紛れ、痕跡を残さない事は十分可能だろう。
「嫉妬は‥‥身を焼く苦しい炎だから。醜くても止められない、止まらない。でも、人を傷つける度に、自分も落ちていくのに‥‥」
 胸に手を当てるお珠。彼女は以前、嫉妬から妖刀に取り憑かれ、辻斬り未遂を繰り返してしまった時の事を思い出し、複雑な気持ちになっていた。
「このまま調査だけ続けても埒があかないよ」
 平八郎同様、お鈴も調査に行き詰まりを感じていた。彼女は伊賀流のくノ一として独自の情報網を持っているが、今回はどうも上手く機能していない。相手が雪女郎だから、という訳ではなく、情報網自体に問題があるようだが、今はその原因を調べている余裕はない。
「お鈴お姉ちゃん、でも、どうするの?」
「お鈴の掴んだ情報によると、どうやら雪女郎は『逅明様に近付くな』と言い残しているらしいわ」
「逅明!?」
 瑠璃の問いに答えるお鈴。その言葉に、今まで聞き手に回っていた平八郎が反応する。
 安倍逅明――平八郎が調べたところ、かの平安時代の陰陽師、安倍晴明の血を受け継ぐ子孫の一派だという。しかし、陰陽寮で政(まつりごと)は行わず、諸国を行脚し、妖怪を封印して回っているようだ。
「でも、本当にそうなのかな? なんか最近、その遁明とかいう陰陽師の騒動が続いたから、決めつけるのは時期尚早かもしれないけど」
「その雪女郎が逅明の女を狙っているなら、それを逆手に取るしかないわ」
 お珠が確証のない情報を疑問視するのはもっともだが、お鈴は既に情報収集の傍ら、「お鈴が逅明の女」という噂をこの界隈に流していた。
「その雪女郎からすれば、逅明の女は、お鈴は、倒してでも奪いたいはずよ」
「ん‥‥これ以上被害者を出さない為にはそれがいい‥‥か」
 既に布石は打ってあるし、平八郎にもお珠にも代案がない以上、お鈴の案に乗るしかなかった。
「でもね、ならその囮の役は私にやらせて! 瑠璃ちゃんは歳が被害者と合わないし、危ない。お鈴ちゃんが囮になって万が一危なくなったら、私の足ではすぐに平八郎さんに知らせに行けないし、戦う時に手助けもできない。だから‥‥適材適所よ」
「ううん、囮はお鈴がやるよ。お鈴はくノ一だよ、お珠より妖術に対する抵抗力も高いから、兄ぃを呼びに行ってる間くらいは保つはずよ」
 お鈴や平八郎を信頼しているからこそ、笑顔で自ら囮役を買って出たお珠だったが、お鈴の言い分の方が説得力があった。
「‥‥分かったわ、お鈴ちゃんに任せる‥‥信じてるからちゃんと見守ってるね」

 お珠に手伝ってもらい、囮役として町娘に扮装するお鈴。
 お鈴はくノ一でも、実は人遁の術(=変装)はあまり得意ではない。それに生粋の町娘であるお珠の方が、より町娘らしく変装させてくれるだろう。
「うわぁ‥‥お鈴お姉ちゃんの身体‥‥」
「‥‥みんな古傷だから、触っても大丈夫だよ」
 手伝うと却って仕事を増やしてしまう瑠璃は、お鈴の肢体を見て思わず声を上げる。身体中に無数の刀傷や拷問の跡があった。お鈴の言う通り、どの傷も新しいものではない。だが、傷口が残る程、深いものばかりだ。
 くノ一という生業の宿命か、お珠のように普通の女の子ではないお鈴の身体に、お珠は黙々と作業を続け、瑠璃も押し黙ってしまった。


●逢魔が刻――平八郎の長屋界隈
 葉月も半ばだというのに、雪を踏みしめる音を聞くのはやはり妙だ。雪が降っているせいか、いつも見掛ける夜泣き蕎麦屋の屋台も今日はない。
 家路を急ぐ振りをするお鈴。瑠璃とお珠は付かず離れずの距離を保って後を付ける。平八郎は長屋で待機だ。
『そなたが逅明様の新しい女か‥‥あの方の寵愛を二度と受けられぬよう、身も心も凍り付かせ、妾の手で粉々に粉砕してくれるわ!』
「式神!?」
 お鈴やお珠には見えないが、潜在妖力の高い瑠璃の瞳は、華乃の背後に式神の姿を捉えた。
「瑠璃ちゃん?」
「お珠お姉ちゃん、お兄ちゃんに式神を倒してって伝えてきて!」
「式神というのを倒せば正気に戻るのね、分かったわ!」
 式神は華乃を操っているのではなく、華乃に遁明への想いを植え付け、心の箍(たが)を緩めているだけのようだ。しかし、その結果、華乃は遁明への想いが抑えきれなくなった為、「遁明以外の事などどうでもいい」と思うようになってしまい、雪女郎の長としての責務を放棄してしまったのだ。
 お珠は平八郎を呼びに長屋へ駆け出す。
「雪女郎のお姉ちゃん! 何でこんな事してるの? もう止めようよ?」
「五月蠅い小娘が! そなたもあの方に見初められる前に、生き地獄へ送ってくれるわ!」
「戦うの苦手なんだけどー‥‥一応頑張る! うーずーしーおー!!」
 瑠璃の説得に華乃は聞く耳を持たない。次の瞬間、華乃の口から吐かれた猛吹雪が瑠璃を襲う。瑠璃は苦手な攻撃の妖術を使い、渦潮を召喚するが、吹雪の前に瞬く間に凍り付いてしまう。
「うー、やっぱり戦いは駄目だったーー。瑠璃は回復専門なのー‥‥お鈴お姉ちゃん、ごめ‥‥ん‥‥」
「瑠璃ちゃん!? んぐ!?」
「余所見をしている暇などないのじゃ! そなたは氷像に変えてくれようぞ!!」
 吹雪をまともに浴びた瑠璃は、腕で顔を庇った姿で凍り付いてしまう。
 驚くお鈴の眼前に華乃が迫り、唇を塞ぐ。するとお鈴には、自分の生気が唇を通して華乃へ吸い取られ、代わりに冷気が自分の身体に送り込まれていく感覚をゆっくりと味わう。
 そして意識が途切れると、お鈴は最早人間ではなく、その血肉一つ一つが全て氷へと置き換えられた、本当のただの氷像と化してしまった。
「お珠、お鈴と瑠璃を安全な場所へ!」
「この憎き氷像はこの場で粉々に砕くのじゃ!」
 駆け付けた平八郎へ、華乃は両掌から黒い雪の玉を交互に放つが、彼は全てかわしてゆく。
「雪女郎とはいえ、別嬪の女を斬る趣味は無いんでね!」
 忍者特有の超人的な跳躍で懐へ潜り込むと、苦無の握りを鳩尾に叩き込み、華乃を気絶させる。
「お前が瑠璃の言ってた式神だな!」
「ご主人様―――――!」
 返す刃で式神を一刀両断する。式神は断末魔の叫びを残して符へと戻り、木葉が舞うように地へ落ちてゆく。
「遁明! 近くにいるんだろ!?」
「遁明様はおりません。僕は弟子の安倍鵬明です!」
「あんた、あの男の弟子なの? ならなんでこんな事ばっかりするのか教えて。たくさんの人が、怖い目に遭ってるんだよ!?」
 平八郎は、人間大の式神を維持するには、術者が側にいると踏み、逅明の名を呼んで鎌を掛けた。すると、鵬明は何故か馬鹿正直に自分の名前を名乗ったが、お珠の問いには口を噤んだ。
 平八郎は苦無を逆手に構えて一気に距離を詰める。鵬明は符から火の玉を創り出すが、平八郎はそれを苦無で切り裂き、鋼糸で捕獲可能な距離まで詰め寄る。
 だが、虚空より鵬明の腕を取る逅明の姿があった。
「逅明!」
「予想通りか、弟子と式神が世話になったな。少しは、妖怪が憎くなったか?」
 瞬時に移動して平八郎の武器の間合いの外へ出て、薄笑いを浮かべる。
「あやかしが憎くなったかだと!? てめぇが操っている限り、憎くなる訳ねぇだろ!」
「お前が妖怪共と馴れ合ってる内は分からぬだろう‥‥!? 上乃!?」
 口元に嘲笑を浮かべていた逅明の顔が、お珠の顔を見た途端、一瞬だけ驚きに揺らぐ。だが、すぐ鵬明共々消えてしまった。


●葉月の終わり――平八郎の長屋
 正気に戻った華乃は、平八郎達に謝罪すると、お鈴と瑠璃を始めとする今まで凍り付かせた女性を全て生身に戻し、大江戸に降らせていた雪を止めた。
 そして奥多摩の雪女郎の集落へ帰っていったのだが‥‥。

「へ・い・は・ち・ろ・う様、妾の作ったお弁当、一緒に食べようなのじゃ」
「あなたねぇ、奥多摩に帰りなさいよ!」
 気が付けば平八郎の長屋へ転がり込み、毎日、お弁当を作る始末。しかも、このお弁当、お珠が作る料理より美味しいときてる。
「雪女郎達は彩子という新しい長に任せてきたのじゃ。恋の為に集落を空けたのは長として失格じゃからな」
「だからって、兄ぃのところに転がり込む事は無いでしょ!」
「妾を救ってくれたお方じゃ。誠心誠意尽くすのじゃ」
「お兄ちゃんからも何か言ってよ!」
「三人にも華乃くらいの色気があればなぁ‥‥」
 今日も今日とて、一人増え、四人から追い掛けられる平八郎の平穏な場所は長屋の屋根。久々に日向ぼっこをしながら、顎に手を当てぼやく平八郎だった。

 【八百八町異聞〜雪女郎・完】