八百八町異聞〜終演アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 菊池五郎
芸能 3Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 難しい
報酬 8.6万円
参加人数 7人
サポート 0人
期間 12/27〜12/31

●本文

 時は天明元年(1781年)の入谷町。ここは大江戸八百八町の北東に位置し、近くには不忍池や浅草寺、吉原遊郭がある。
 今、江戸では「天明狂歌」が流行しており、その中で入谷町に建っている寺院の一つ、真源寺、通称入谷鬼子母神が『恐れ入谷の鬼子母神』と謳われている。
「逅明、鋼玉、安らかに眠ってくれ。お前達の亡骸を故郷へ帰すのは、もう少し暖かくなってからになるが、それまではここで兄妹仲良くな」
 逐電屋平八郎と彼を慕う女性達――岡っ引の娘・お珠、くノ一のお鈴とお琳、人魚族の末姫・瑠璃、雪女郎の華乃――は、真新しい卒塔婆に手を合わせて黙祷を捧げる。
 逐電屋とは、江戸幕府から追われる者を江戸の外へ脱出させる手助けをする裏家業だ。二枚目だが二十九歳にして独身で特定の彼女はいない。身分こそ町民だが、甲賀忍者であり、一度も逐電に失敗した事はないという腕前の持ち主だ。
 この卒塔婆は陰陽師、安倍一族の末裔、安倍逅明とその妹鋼玉の仮の墓だ。
『もし叶うなら、俺の亡骸は鋼玉の眠る地へ一緒に埋めてくれ‥‥』
 本当は逅明の遺言に従い、故郷である京都へ埋葬したいのだが、如何せん、平八郎は春先まで江戸を動く事ができない。なので、それまで真源寺で預かってもらう事にしたのだ。
 ここ、真源寺の地下には、安倍一族に封印された人食い鬼女・衣緒が眠っている。平八郎がここを選んだのもその為だ。
「あいつは逝ってしまったのね‥‥多くの妖怪を犠牲にした報いだわ」
「唐桃!? いつ江戸へ!?」
 最後まで手を合わせていたお珠が立ち上がるのを見た平八郎が振り返ると、そこには年頃は二十四、五歳くらいのきつめの美女が、彼女によく似た美少女を連れて立っていた。
 平八郎が驚くのも無理はない。彼女の名前は唐桃(からもも)、人間ではなく猫股という妖怪だ。娘の山吹を逅明によって石に変えられてしまい、元に戻す為に人間の精を集めて事があった。
「つい先日よ。でも、ここへ来たのは‥‥虫の知らせかもしれないわね」
「気持ちは分かるけど‥‥そんな言い方って」
 逅明が妖怪を封印していたのは、妖怪によって殺されてしまった鋼玉を蘇らせる為に、妖怪達の妖力を集めていたからだ。
 唐桃達は逅明の被害者といえるが、それでもお珠は黙っていられなかった。
 彼女は、鋼玉と瓜二つであり、鋼玉の肉体を生まれ継いだのだ。その為、逅明が成仏しないよう自らの体内に留めていた鋼玉の魂の依代とされてしまったのだが、その時、鋼玉の深い悲しみを知り、逅明に同情するようになっていた。
「半分冗談よ。あんな奴でも、死ねばこれだけ悲しんでくれる人がいるんだもの。根っからの悪人、って訳じゃなさそうだしね」
「江戸にはいつまでいる予定だ?」
「特に宛てのある旅じゃないから」
「そうか‥‥正月も近いしな、餅つきでもしてもてなすか」
 半分は本気のようだが、唐桃もいつまでも逅明の事を根に持っているようではなかった。
 逅明の一件について彼女に話しておこうと思い、平八郎がもてなしを提案すると、お鈴達も頷いた。

「しっかし、今日はやけに冷えるなぁ。この分だと夜には雪が降るか?」
「わ、わたくしではありませんわよ!?」
 平八郎の住まいである長屋へ戻ってくる頃には、底冷えする寒さとなっていた。吐く息が白い。お琳達の視線が自然と一斉に華乃へ向けられる。彼女は雪女郎であり、雪を降らせるのはお手の物。
 その視線に、華乃は慌てて否定する。
「‥‥ん」
「失礼して、待たせてもらっています」
 長屋の中から気配を感じ、懐に忍ばせた苦無に手を伸ばす平八郎。すると中から女性の声が聞こえた。
「こ、この声は‥‥」
「この声は、ではありません!」
 声を聞いた華乃の表情に焦りの色が浮かぶ。同時に長屋の扉が開き、中から華乃と同じく、白い着物姿の女性が出てきた。
「やっぱり奈美‥‥」
「長、そろそろ奥多摩へお帰り下さい。私達だけでは、奥多摩全てに雪を降らせる事は叶いません。やはり長の力が必要なのです」
 華乃は逅明に操られていた事があったが、平八郎に助けられて以降、押し掛け女房気取りで居候を決め込んでいるが、元は奥多摩に住む雪女郎。奥多摩に雪を降らせる為には彼女の力が必要なのだ。長代理の奈美がわざわざ呼び戻しに来たのだ。
「瑠璃さんはこちらでよろしいですか?」
「はーい、あたしだよー」
「文が届いています。確かに渡しましたよ」
 そこへ飛脚がやってくると、瑠璃に一通の文を手渡した。
「お姉ちゃんからだ‥‥一度帰ってこいだって」
 瑠璃は越前の海の沖に住む人魚族の末妹だ。姉が江戸へ攫われた事があり、助けた平八郎に懐いて強引に居候をしているが、姉から里帰りの手紙が来たところをみると、やはり心配なのだろう。

「お珠よ、あいつとくっつく気はねぇのか?」
「え!?」
「お前もいい年だ。たとえ逐電屋だろうと、娘が幸せになれるなら、俺は構わねぇよ」
 お珠は夕食の時、岡っ引の父にそう告げられた。

「鈴ちゃん。私達、抜け忍だから、普通の女の子のような生活が送れないのは仕方ないけど‥‥人並みに恋はしてもいいと思うよ」
「え‥‥?」
「鈴ちゃんが好きな人がいれば、私、応援するから」
 抜け忍であるお鈴とお琳は一緒に暮らしている。
 床に付くと、お琳がお鈴にそう切り出した。


 平八郎と逅明の長きに渡る戦いの決着は付いたが、まだ決着の付いていない問題も残っていた。


■主要登場人物紹介■
・平八郎:29歳。逐電屋(=夜逃げ屋)を営むが、その正体は甲賀忍者。二枚目で独身。特定の彼女はなし。武器は手裏剣や苦無。

・お珠:20歳前後。岡っ引千造の娘で美女だが、ひんぬーを気にしている。平八郎に助けられて以降、押し掛け女房同然に通い妻中。奉行所の情報に精通している。
・お鈴:十代後半。表向きは読売(=瓦版)屋だが、その正体は伊賀忍者のくノ一で裏社会の情報に精通している。但し、今は抜け忍の身なので、伊賀忍者から追われている。平八郎を「兄ぃ」と呼んで慕っている。ひんぬー。
・お琳:十代後半。普段は辻で竹細工の売り子をしているが、その正体は伊賀流のくノ一でお鈴の親友。お鈴同様抜け忍の身で同居している。忍者刀の扱いはお珠に及ばないものの、忍術の腕前は上。胸は普通。
・瑠璃:10歳前後。越前の海の沖に住む人魚族の末妹。姉を助けた平八郎に懐いて、強引に居候をしている。水を操る妖術(主に回復系)を使うが成功率は三割にも満たない。もちろん、ひんぬー。
・華乃:20代前半〜30代前半。奥多摩に住む雪女郎(=雪女)。平八郎に助けられ、居候を決め込んでいる。惚れたら一途で嫉妬深い性格。口や手から吹雪を出すなど、雪に関連した妖術を使う。平八郎を慕う女性にしては珍しく、胸は大きい。

・唐桃(からもも):24、5歳。猫股。人間時はきつめの美女。
・山吹:14、5歳。唐桃の娘で猫股と人間の混血児。まだ猫股としての力は発揮できず、人間の少女と変わらない。

●今回の参加者

 fa0329 西村・千佳(10歳・♀・猫)
 fa0485 森宮 恭香(19歳・♀・猫)
 fa0826 雨堂 零慈(20歳・♂・竜)
 fa1790 タケシ本郷(40歳・♂・虎)
 fa3386 硯 円(15歳・♀・猫)
 fa5113 豊田せりか(16歳・♀・犬)
 fa5220 御徒圭哉(17歳・♂・狐)

●リプレイ本文


●最後になるかもしれない撮影所
「今回で最終回だが‥‥主役の平八郎を演じるのは今宵限りか‥‥」
 主人公の逐電屋平八郎役の雨堂 零慈(fa0826)は、幾度となく通った江戸時代後期の大江戸八百屋町の街並みが再現された屋外撮影所を目を細めて見渡した。
 『八百八町異聞』は天明元年(1781年)という、時代劇でも珍しい時代を舞台としている。田沼意次や平賀源内といった史実上の人物をバックボーンとして扱い、当初のスケジュールでは天明二年に起こった「天明の大飢饉」まで扱う予定だったが‥‥。
「‥‥告白の場面は苦手だが、最後まで演じきろう‥‥」
「‥‥というか、愛の告白とかプライベートでした事ないのに、仕事で先にやる事になるとはねぇ」
 お珠役の森宮 恭香(fa0485)は零慈の言葉に、脚本を閉じて溜息をこぼす。
 脚本に最終話の終わり方の詳細が書かれていないのだ。監督曰く、「今まで演じてきた役者に役の行く末を一任したい」との事だ。零慈や恭香、お珠の恋敵であり親友でもある伊賀忍者の抜け忍(くノ一)お鈴役の硯 円(fa3386)のように、毎回参加した役者に対するせめてもの監督からの手向けのようにも思える。
「恭香さん、私は決めましたよ」
「マドカ‥‥ははは、なんか目が恋する乙女って感じだよねぇ〜♪」
「ちゃ、茶化さないで下さいよぉ。私だって告白なんて、した事ないんですから〜」
「‥‥そうだよね、ラストだし、みんなで頑張っていく為にも、腹を括らないとね」
 恭香を見つめる円の瞳は真剣そのものだった。思わず茶化してしまう恭香だが、彼女が真剣に取り組んでいると分かると、自分も気を引き締める。
「初めての出演で最終回‥‥ずっとやっている零慈さん達には申し訳ない気もしますが、頑張ります」
「あら、僕もスポット的な参加ですよ〜☆」
 今までお鈴の親友のくノ一お悠役の豊田せりか(fa5113)と殺陣の稽古をしていた伊賀忍者の刺客、弥一郎を演じる御徒圭哉(fa5220)が、現場の雰囲気を感じてか、すまなそうにいう。
 せりかは前お琳役のアクション女優と同じプロダクションに所属している事もあって、「こんな感じで演じて下さいね」と手解きを受けている。しかし、圭哉の本業はアーティストであり、今作が役者デビューとなる。緊張するのも無理はない。
「悩め悩め青少年! 悩めるのは青少年の特権だぞ!」
 そんな圭哉の背中を思いっきりバシバシと叩くのは、伊賀忍者の抜け忍狩り、蜉蝣左右衛門役のタケシ本郷(fa1790)だ。
 彼も今作は初出演だし、本業はプロレスラーであり、時代劇は数える程度しか出演した事はない。だが、忍者刀を背負い、忍び装束を纏ったその姿は、なんと堂々たる事か!
「正直、俺は演技するのは上手くない。だが、プロレスがショーであるように、時代劇もショーだと思えば、自ずから自分の演じる役が見えてきた。俺がまだまだ現役の証拠だ。青少年が何を思ってこの作品に身を投じたか、自分は分からない。しかし、青少年にも演じたいものが漠然とだがあるばずだ。それを演じればいい」
「僕の演じたいもの‥‥何となく分かります! ありがとうございます本郷さん!」
「僕も演技的なものはあまり得手ではありませんので、ぼろが出ない程度に頑張ります」
 タケシの豪快な一言で圭哉も吹っ切れたようだ。せりかが彼を後押しするように可愛くウインクを1つ。尚、彼女は監督に頼まれ、猫股の唐桃も兼任する。

 ――そして、八百八町異聞最後の撮影が始まった。


●八百八町異聞〜終演
「へぇ、あたし達親子の為に餅つきをしてくれるの? 楽しみだわ」
「取り敢えず、夕刻までには餅を搗く杵と臼、餅米、料理の用意をしたい」
 平八郎は唐桃親子を自分の住む長屋へ案内した。その道すがら、急遽決めた送迎会と歓迎会を兼ねた宴会の計画を立ててゆく。
「‥‥せっかく唐桃も来てくれたんだし、ぱぁっとどんちゃん騒ぎにしないとね! お酒だったら私に任せて。酒屋に顔が利くから、とっておきのお酒を用意してもらうわ」
「じゃぁ、鈴が料理を作るよ。人手は多い方が良いから、琳ちゃんも誘うね。兄ぃ、鈴の料理食べて、腰を抜かさないでよ?」
「腰を抜かす程不味いの?」
「ち、違うよ、美味しいの! お珠の料理にだって負けないんだから!」
 陰陽師、安倍逅明の件が落ち着き、これでいつもの面子で平穏で楽しく、騒がしい年越しが迎えられると思っていた矢先の送別会なので、少し寂しい思いを胸に抱いていたお珠は努めて明るく振る舞う。
 彼女は岡っ引の娘なので、町人街の店に何かと顔が利くのだ。
 一方、お鈴はお琳を誘って料理を作るという。実は料理上手という、今まで見えなかった女の子らしい一面もあるのだ。
 お珠が茶々を入れると、意外とむきになって応える。どうやらお琳に言われた「抜け忍でも人並みに恋はしてもいいと思うよ」という言葉を、知らず知らずのうちに意識していた。
「じゃぁ、杵と臼、餅米は俺、酒と肴はお珠、料理はお鈴、という分担にしよう。夕刻までに用意を済ませてくれ。唐桃は家に上がって茶でも飲んでてくれ」
 平八郎がお珠とお鈴の間に割って入り、取り纏めると、唐桃は長屋の中へ入り、お珠は酒屋へ、お鈴は家へ、それぞれ向かった。


 長屋は人情こまやかな持ちつ持たれつが基本だ。
 臼と杵は大抵は大家が持っているので、平八郎は大家に借りに行くと、搗いた餅のお裾分けを条件に借りる事ができた。


 お珠は父が世話になっている、馴染みの酒屋へ向かう。
 平八郎から渡された資金はかなりの額がある。いち町民が持つにしては破格だが、彼は逐電屋を家業としており、逐電を成功させるとその報酬はかなりの額に上る。
 平八郎は「これで好きなだけ買ってきてくれ」と簡単に渡した金だが、彼が危険と隣り合わせで稼いだもの。
 送別会に使うとお珠が説明すると、彼女の父親に店員は懇意にされているので、今年出来立ての上手い新酒を安く譲ってくれた。


 お鈴は、辻で竹細工の売り子をしていたお珠に声を掛け、二人で連れ立って青屋(あおや=八百屋)へ。
「へい、らっしゃい!」
 捻り鉢巻きに着流しの青年が、手を叩いて元気よく声を掛けてくる。とはいえ、平八郎が急に言い出したので、買い物に来たのは午後、既に大抵のものは午前中には売り切れている。
「鈴ちゃん、何を作るの?」
「ここにあるものだと鍋が無難かなぁ。兄ぃからもらったお金結構あるし、みんなで突っつけるしね」
「じゃぁ、飛びきり美味しい鍋を作らないとね。料理が上手な女の子は良いお嫁さんになれるし」
「お、お嫁さん!?」
 残っているものを見ながら料理を考えるお鈴。お琳は彼女と平八郎をくっつけようと、事ある度に煽る。
 青年は残っているものの中から、新鮮なものを選別して包んでくれた。


「‥‥行ったか、弥一郎」
「はい、左右衛門様」
 お鈴とお琳の姿が完全に見えなくなった後、店の奥から体格の良い男性が姿を現す。
 この男、お鈴やお琳に気付かれないくらい、完璧に気配を断っていた。お琳達のくノ一としての能力は低くはない。彼の名は蜉蝣左右衛門というが、彼女達より手練れという事だ。
 それもそのはず。第十代服部半蔵より抜け忍となったお鈴とお琳を狩る命を受けた、抜け忍狩りを専門とする伊賀忍者だからだ。
 また、青屋の青年はお鈴達の動向を探るべく扮している、同じく伊賀忍者の弥一郎だった。
「まだ買い出しを続けるようですし、後を追って始末しますか?」
「あの二人を『回収』するのは容易いが、人目に付かぬよう、というのが半蔵様のご希望だ。魚屋へ向かうと言っていた以上、人目は避けられまい。それに送別会をするともいっていたから、帰宅は夜になるだろう。そこを狙う」
 この青屋にせよ、魚屋にせよ、昼間の間は完全に人の流れがなくなる事は少ない。命令上、無関係の人間を巻き込む事は良しとされていないので、左右衛門は機を待つ事にした。


 お鈴とお琳が長屋へ帰ってくると、ちょっとした人垣が出来ていた。
 掻き分けて中へ入ると、平八郎とお珠が餅つきをしていた。人垣は長屋の住人達で、皆、餅のお裾分けを待っているのだ。
 平八郎が搗き、お珠が餅を返す。何の変哲もない餅つきのはずなのに、その息の合った餅つきを見たお鈴の心は息苦しくなるくらい締め付けられた。
(「お鈴、やっぱり兄ぃの事が‥‥」)
(「‥‥お鈴ちゃん‥‥私が勝手に押しかけてるだけだし、押しかけるのも‥‥もうやめた方がいいのかな‥‥」)
 刹那、お鈴とお珠の視線が交錯する。
 くノ一であるお鈴は、本心から心を許す事を、好きだと告げる事を、今まで拒絶してきた。命令があれば好きな相手を手に掛けなければならず、自分も傷つくからだ。だから、胸にしまっている本当の気持ちは打ち明けない、自ら一歩で身を引いてしまう。
 方やお珠も、ただの町人である自分では逐電屋である平八郎を支える事は出来ない、却って足手まといになるだけだと痛感しており、この宴会を機に自分の気持ちに踏ん切りを付けようとしていた。
「お鈴、帰ってきたか、お疲れさん。お琳、付き合わせてすまないな」
「う、うん‥‥今日は鍋にするよ。すぐに仕込みには入るからね!」
「鈴ちゃんの料理を食べて、その美味しさに腰を抜かさないで下さいよ?」
 女性達の想いなど露知らず、至って普通に声を掛ける平八郎。
 お鈴は罰が悪そうにそそくさと長屋の中へ入り、お琳はどこかで聞いた事のある台詞を残して後に続いた。


 程なく鍋の準備も出来、お鈴が買ってきた新酒で、乾杯の音頭が採られる。
 平八郎はどんちゃん騒ぎをする性格ではないが、送別会という事もあり、今宵ばかりは珍しく饒舌になり楽しく語らう。
 お鈴自身が言い、お琳が絶賛したように、彼女の鍋は出汁が利いていて美味しく、あっという間に平らげてしまう。そこへ搗き立ての餅を入れ、雑煮宜しく汁まで完食。
 途中、お琳が平八郎にちょっかいを出したり、お鈴とくっつけようとして、却ってお鈴をやきもきさせる場面があったとか。


 何故か唐桃がお鈴達を送っていくと言い出し、長屋には洗い物をする平八郎とお珠だけが残された。
 不意に、水を張っておいた臼を洗う平八郎の背中に、お珠がぴったりとくっついた。
「みんな‥‥元気でまたこうして宴会、したいね」
「!? お珠‥‥」
「私ね、平八郎さんの事、大好き。でも、私じゃ一緒に駆けていく事は難しいし、足手まといになるよね。それは‥‥嫌。だから、もう‥‥押しかけるのは、止めるね。あ、もちろん友達としては、これからも仲良くして欲しいけど!」
「お珠‥‥」
「ごめんなさい、こっちは見ないで‥‥こんな顔、見られたくないから‥‥」
「すまん‥‥」
 努めて明るく声を出してはいるが、震え、嗚咽が混じっている。振り返ろうとする平八郎を遮り、彼の背中を外へと押した。
 平八郎は振り返る事なく、駆け出してゆく。
「これで良かったんだよね‥‥これで‥‥うわあああああ」
 泣き崩れるお珠。初恋は実らないというが、儚く終わりを告げたのだった。


「伊賀のくノ一がなんと惰弱な!」
「鈴ちゃん‥‥私に構わず‥‥逃げ‥‥て‥‥」
「琳ちゃん‥‥よくも琳ちゃんを!!」
 帰り道、お鈴とお琳は、左右衛門と弥一郎の奇襲を受けていた。二人とも浪人の風体で、腰に帯びた大脇差しの拵えの忍者刀で、一撃の下にお琳を斬り伏せたのだ。
「まだ息があるうちなら大丈夫、私の妖術で回復させる事が出来る。でも、息があるうちよ」
「妖怪だろうが、我が一刀の元に平伏せ! 忍びもまた『人外の化性』と織田信長が言った事も知らぬか?」
「オダノブナガって誰よ!?」
 隠し持った忍者刀で弥一郎と斬り結ぶお鈴。彼女目掛けて振るわれる左右衛門の切っ先を、唐桃が爪を伸ばして受け止める。妖怪である唐桃に、織田信長の事を例えても通用するはずもなく。
 抜け忍狩りだけに、目潰しや含み針といった卑怯な手も惜しみなく使い、お鈴と唐桃は防戦一方、じわりじわりと追いつめられてゆく。
「お鈴! お琳! 唐桃!」
「兄ぃ!!」
 左右衛門の足下に苦無が突き刺さり、駆け付けた平八郎が間に割って入る。
「お主が平八郎か、噂は聞いている。つまり、噂も揉み消せない程の三流どころか‥‥」
「逆だぜ。逐電屋を表家業とする事で、裏家業を悟られない為の、な」
 お鈴の伊賀の里への未練を断たせる為、平八郎を惨殺しようと鍔迫り合う左右衛門。
 幾度となく斬り結ぶと、その技量の差が現れる。平八郎は左右衛門や弥一郎ですら見えない程の速さで苦無を振るい、彼の手足の腱を切ったのだ。
「生活するのに差し支えない程度に斬っておいた‥‥もう、お鈴や俺に構うな‥‥」
 弥一郎もお鈴と唐桃の連係攻撃によって倒された。
 すると負けを悟った左右衛門は、自らの身に巻き付けていた焙烙玉に着火し、死なばもろとも、と証拠隠滅を兼ねて突貫してきたではないか!
 だが、間一髪、唐桃の回復の妖術で息を吹き返したお琳の火遁の術が突貫の威力を弱め、平八郎は左右衛門を斬り捨てたのだった。


「お鈴‥‥もし、さっきみたいに刺客が来ても‥‥俺が必ず守ってやる‥‥だから、ずっと俺の家族として傍に居ろ‥‥」
「家族‥‥お鈴、兄ぃの家族になってもいいの?」
 日本橋の真ん中で赤面しつつ、平八郎はお鈴を背後から抱きしめて告白する。
 家族のいないお鈴に、家族が増える事は願ってもない事だった。
「もちろん、ずっとだ‥‥いいな?」
「うん‥‥うん‥‥兄ぃ‥‥いや、平八郎‥‥お鈴も好き‥‥愛してるよ!」
 月明かりの中、二人の影がやがて一つになっていった。


 〜八百八町異聞・完〜