君と居た刻(とき)アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 言の羽
芸能 1Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 普通
報酬 1万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 10/25〜10/29

●本文

「‥‥マネージャーさん‥‥嘘、つきましたね?」
 とあるテレビ局の楽屋で、出番を待っている少女は震える声でそう呟いた。

 少女の名前、いや芸名は、葛原みちる。現役ばりばりの女子高生である。つい数ヶ月前にデビューしたばかりの、新人女優でもある。ある日、買い物に出かけた彼女はそこでスカウトに声をかけられ、興味本位でそのまま芸能界入りをした。傍から見ていると華やかなイメージのある芸能界に、ほんの少しでいいから触れてみたいと思ったのだ。
 髪は染めておらず黒いままのセミロング。メイクは最低限で済んでしまう張りの良い肌。ぷっくりとした唇。
 その純粋さや素朴さなどをメインに据えて、目下売り出し中である。もともと演劇部に所属していた事もあり、みちるの演技力はなかなかのもの。今、彼女が手にしている台本のドラマも、正々堂々とオーディションを受けた結果、見事ヒロインの座を勝ち得た。

「いやいや、嘘はついてないよ、みちるちゃん。‥‥言わなかっただけで」
「故意に黙ったままでいるのは、嘘をついているのと同じです。どちらも私を騙そうとしているんですから!」
 気の弱そうな青年マネージャーが笑顔を向けてくる。だが言葉や身振りからしてうろたえている事は明白だ。どうせ上司から黙っていろと言われていたに違いない‥‥組織に属している以上仕方がない事ではある。みちるとて頭ではわかっている。これは仕事なのだと。仕事だからやらなければならないのだと。
 だからこそ、先に教えてほしかった。自分で自分に、頭だけでなく心も、納得させるだけの時間を与えてほしかった。
「私、ファーストキスもまだなんですよ!? それなのに初めてのドラマでキスシーンがあるなんて!!」

 ◆

ドラマ『君と居た刻(とき)』

主演:鴻巣隼人 葛原みちる
ストーリー:
 ふと思い出すことがある。君の声。君の笑顔。君の涙。――君との約束。
 果たせなかった約束は、だけど、君との最後の繋がりでもある。
 だから僕は何度でも思い出す。僕と、君と、ふたりで過ごしたあの刻(とき)を‥‥。
 高校2年の中村悟(鴻巣隼人)は、同級生で恋人の森下美紀(葛原みちる)が病に冒されている事を知る。ショックを受ける悟。しかし美紀は自分の残り時間を知っているかのように、学校生活を思い切り満喫するのだった。

募集人員:主演のふたりのクラスメイト役(先輩や後輩も可能)

●今回の参加者

 fa0113 伊沢・海里(24歳・♀・狼)
 fa0699 橘煉也(23歳・♂・一角獣)
 fa0911 鷹見 仁(17歳・♂・鷹)
 fa1060 菊柾稔(26歳・♂・竜)
 fa1177 享楽 市座(20歳・♂・狐)
 fa1534 水野 ゆうこ(23歳・♀・ハムスター)
 fa1732 林・蘭華(20歳・♀・狐)
 fa1752 Nelke(18歳・♀・竜)

●リプレイ本文

●キャスト
高田詩織‥‥伊沢・海里(fa0113)
望月文人‥‥橘煉也(fa0699)
鷹月仁志‥‥鷹見仁(fa0911)
伊熊徹‥‥菊柾稔(fa1060)
真田重三‥‥享楽市座(fa1177)
結城愛‥‥水野ゆうこ(fa1534)
川村夏美‥‥林・蘭華(fa1732)
山県綾子‥‥Nelke(fa1752)

●シーン〜親友
 担任が出て行くと、教室は途端に騒然となった。各人の手には、進路調査票。既に書き込んでいる者もいれば、一応親と相談してからという者もいる。この喧騒の中にあってひとり、紙面から目を離せない者もいた。
「‥‥将来かぁ」
 呟く美紀の顔には、諦めの表情が浮かんでいる。
「こーらっ、暗くなるな!!」
「きゃあっ!?」
 自分の内側に意識が向いていた美紀は、襲撃を受けて椅子から落ちかけた。何とか持ち直すと、仕掛け人を睨みつける。
「詩織ってば、危ないでしょ!」
「悪いのは美紀のほうだよ。暗くなるの禁止って、この前決めたでしょ」
「うっ」
 悔しいが、言い返せない。どれ程時間が残されているのかは不明だが、どうせなら明るい笑顔でみんなの記憶に住み続けたい。そんな風にして禁止を提案したのは美紀のほうなのだから。
 小さくなった美紀を見て、詩織は満足気に腕を組んだ。
「わかればいいの。じゃ、急いで美術室に行こっか。今日中に下書きまで終わらせちゃいたいし」
「そうだね‥‥日程的にもまずくなってきたし」
 二人は美術部所属であり、詩織は油絵、美紀は水彩画を描いている。二人は美術室へと歩き出した。
「今日も悟と一緒に帰るの?」
「真顔でそんな事聞かないでよ‥‥まぁ、その通りなんだけど」
「いいねぇ、あんた達はラブラブで。私も彼氏ほしーっ」
 詩織は美紀の病気の事を知っている。知っていて尚、知る前とほとんど変わらない付き合いをしてくれている。
 出会ってから何年経つだろう。詩織がいてくれてよかった。心の中で、美紀は彼女に感謝を述べていた。

●休憩時間1
「山県綾子役のNelkeといいます。宜しくお願いします」
 深々と礼をする彼女に、みちるは慌てて礼を返した。
「そんな、私も新人ですからっ」
 同じ年頃の娘が二人して頭を下げる姿は妙に微笑ましい。みちるのマネージャーは安心したのか、撮影スタッフの所へ打ち合わせに行ってしまった。
 すると、みちるの表情がみるみる曇った。
「‥‥どうかしました?」
「あ、ごめんなさい。‥‥実は、気がかりなシーンがあって」
 誰かに相談したかったのだろう。「仕事だから」で終わらせるマネージャーではなく、彼女の心情を理解してくれそうな誰かに。
「このドラマ、山場にキスシーンがあるでしょう? 私、実はまだ誰ともキスした経験がなくて」
 不満ではない。どちらかというと不安なのだ。ちゃんとキスの演技をできるのかとも。
「‥‥やり通す方が良いと私は思います」
「やり方も知らないのに?」
「美紀だって、何度もした事がないのでは‥‥ぎこちなさもいい演出になるかと」
「そ、そっか!」
 そこまで考えてなかったなぁ、とみちるは台本をめくり始めた。問題のシーンが書かれたページに今一度目を通す。
「私もそう思うよ」
 後ろからみちるの肩を叩いたのはカイリだった。
 ごめん、聞こえちゃった。振り向いたみちるに、彼女は片目を瞑って謝った。
「演技でするのはあくまでも『森下美紀』のキスだからね。『葛原みちる』としてはこれから巡り逢う男性とすればいいわけだし」
「ファーストキスを大事にしたいって気持ちは分からないでもないが‥‥なんだったら俺が練習台になろうか?」
 真面目に話すカイリの横を、缶ジュース片手にジンが明らかな冗談と共に通り過ぎる。
 みちるは真っ赤になって俯いた。

●シーン〜友の恋人
 体育館に、バスケットボールのはねる音が響く。まだ試合形式の練習をさせてもらえない下級生や見学者の声援も響く。
 リバウンドを取った男子から、別の男子にボールが渡る。速攻。少し後にはゴールが揺れて、審判の笛が鳴った。
「悟」
 肩で息をする悟へ、自分も息を切らしつつ、仁志がタオルを投げた。素っ気無い態度だが、それが彼の性格である事を悟は知っている。片手を軽く挙げて礼を告げる。と、その手にスポーツドリンクが渡された。マネージャーの愛だった。
「‥‥悩んでるかと思ってたわ。でも、悩んでいたらあんないい動きはできないわよね」
「俺が何に悩むってんだ」
 そろそろ下校時間だ。着替えようと悟は仁志を部室へ誘った。しかしその背にも愛は語りかける。
「聞いたんでしょう? 美紀の体の事」
 悟も仁志も立ち止まって振り返った。
「聞いたさ。だから?」
「あなたの中ではもう答が出ているだろうけど‥‥わかってあげて。美紀はみんなと、そして誰よりあなたと、一秒でも長く一緒にいたいだけなのよ」
 微笑む愛。仁志は彼女の中に自分と似たような感情があると察した。
 気づかれないようにしているのだから、誰にもわかるはずはない。ただ同種の気持ちを持つ者として感じ取れた。
「結城、お前‥‥」
「何やってんだ仁志! 置いてくぞ!」
 なぜか不機嫌になった悟に呼ばれ、仁志は急いで後を追う。ちらりと見てみれば、愛の視線が悟の背に注がれていた。

●休憩時間2
「みちるさん。市座君とゆうこさんが、スタッフに掛け合ってくれたみたいですよ」
 ネルケの言葉に、みちるは目を丸くした。
「顔が映らない様に代役を立てるとか、テープ越しにとか」
「そんな、わざわざ‥‥」
「皆さん、このドラマの成功を祈ってるんです。だからみちるさんにも気持ちよく演じてほしいんですよ」
 申し訳ないのだろう。せめてお礼をと、席を立って市さんとゆうこの姿を探すみちる。だが人や機材でごちゃごちゃしているため、簡単には見つからない。
 きょろきょろしていると、誰かに背中をこづかれた。
「あんたまだ悩んでいるの?」
 煉也だった。容姿端麗なのにオネェ言葉なので、もったいないと誰かが囁いていたような気がする。
 いつのまにやら共演者に話が知れ渡っている事に、みちるは愕然とした。どうせマネージャーがどうにかしてくれと泣きついたのだろうが、内容が内容だけに、同性ならともかく異性にまでというのがとても気恥ずかしい。
「嫌ならこの役降りたら? 女優は台本の台詞以上の演技をしてなんぼでしょ? そういう覚悟がないのなら、女優は辞めなさい」
 みちるは、大物女優に諌められている気分になった。正論、しかしそれ故に厳しい言葉。自然と衣装であるブレザーのスカートを強く掴んでいた。
「おいおい、ヒロインを泣かすなよ」
「そうよ、撮影にも差し支えるわ‥‥」
 傍から見れば新人いびりでしかなかったのかもしれない。煉也とみちるの間に、稔と蘭華がさりげなく割って入った。
「あたしはそんなつもりじゃないわよ。この子がいつまでもうじうじしてるから」
「しかしもっと別の言い方があるだろう」
「時には厳しい言葉も必要なのよ」
 議論に発展しそうな会話を展開する男性二人を無視して、蘭華はみちるに向き直る。自分の唇に人差し指を添え、次にその指をみちるの唇に当てた。
「キスシーンでのキスはノーカウント‥‥」
「え?」
「私もね‥‥演技でのキスは何度もあるけど、真の意味でのファーストキスはまだなの‥‥笑っちゃうでしょ? 25にもなってまだ心を許せる人が見つからないのよ」
 プライベート中のプライベートな話だ。そんな話を蘭華は自分にしてくれた。これだけで、みちるの心がほわほわと温かくなる。芸能界に入ってまだいくばくも経たないが、輝きの裏の闇を垣間見つつある彼女にとっては、信じられない事だった。
 綺麗な大人のお姉さんが言う通り、これからもこの仕事を続けるのなら、キスシーンを避けて通ることはできない。わかっているのだ。だからこそせめて最初くらいはと、やはり思ってしまう。
「痛っ! 何すんのよ、離しなさいよっ」
「ファーストキスなど2、3年もすれば忘れるぞ」
 煉也の悲鳴など耳を素通りさせ、技をかけながら稔が言ってのけた。
「‥‥適当に好みの役者見つけて、練習してしまえばいいのではないか?」
 続けてこんな提案もしたが、蘭華が一瞥したので、忘れてくれと前言を撤回した。

●シーン〜先輩
 美紀と詩織は、黙々と手を動かしている。なかなか思い通りのものが描けず、練り消しを片手に、たまに首を傾げながら。
「‥‥何か、悩みでも?」
 気配なく現れた人物は、これまた唐突に声をかけてきた。二人の先輩であり、美術部の部長、夏美。
 そしてその横には幽霊部員の文人も立っている。夏美に捕まって連れてこられたのだろう。
 美紀は、眉を八の字にしながら夏美の言葉を反芻した。意味を理解しかねたからだが、反芻しても理解できなかった。
「あの、なんでそんな風に思うんですか」
「だって線に迷いがあるもの‥‥」
「俺も部長さんに賛成ー。ってか、俺みたいなのがぱっと見てわかるって、よっぽどじゃないか?」
 腰を曲げてキャンパスを覗き込む文人。困って美紀は、詩織に視線で助けを求めた。すぐさま詩織の足が文人を蹴る。バランスを崩した文人が夏美の立つ方に倒れこむも、彼女は無表情のまま一歩横へ移動し、そのため文人はリノリウムの床に後頭部を打ちつけた。
「心の迷いは、絵に映るわ‥‥」
 痛みに転がる文人を他所に、話は淡々と進められる。
「――確かに、迷いはあります」
「美紀っ」
「詩織‥‥いいの。意見、聞いてみたいから」
 諦めの表情が、ほんの少し、緩和されていた。

 着替え終わり、部室を出たところで、悟は呼び止められた。部長の徹と副部長の重三だった。
「‥‥何すか」
「お前なぁ、あんまりマネージャーをいじめるなよ?」
「いじめてないっすよ」
 徹が正面から注意しても悟は斜に構えるだけ。ため息つき、重三は徹の腕を抓った。
「ごめんねぇ、徹は愛ちゃんが大好きなものだから」
「重三、何を‥‥ぐあっ」
「いやん! サンちゃんって呼んで!」
 ぎりぎり抓られる徹の腕。内出血確実だろう。
「‥‥俺、用事があるんで失礼します」
「あ、ちょっと待って」
 鞄を担いで立ち去ろうとする悟を、重三が呼び止める。
「悟。彼女が大事?」
「‥‥当たり前の事、聞かないでくださいよ」
 肩越しに言い捨てる悟。
 徹は涙を滲ませて、重三は平然と、悟を見送った。
「色恋沙汰に必要なのは、資格じゃなくて覚悟よ‥‥」
 可愛い後輩と、ついでに横で呻く情けない友の幸せを祈りつつ、その友の腕を抓る重蔵だった。

●休憩時間3
 みちるはまたジュースを飲んでいたジンを、大道具の陰、人の来ない場所に連れ出していた。なぜ連れ出されたのか、理由の思い浮かばないジンはしきりに疑問符を飛ばしていたが、明確な説明のないまま、みちるが真っ赤な顔で宣言した。
「ジン君が言ったんだから‥‥責任とってもらうから!」
 直後飛びついてきたみちるを、ジンは反射的に抱きとめた。
 ――たった数秒の間、互いの唇が触れ合った。それだけ。しかし確かにそうしようという意図あっての行動であり、紛れもなくキスだった。
 柔らかい感触が押しつけられて、鼻腔を彼女の纏う香りがくすぐって、そのどちらもが瞬時に、ジンの脳裏に深く深く刻み込まれた。
「あ‥‥呼ばれてる‥‥」
 みちるがかすれた声を出した。
「へっ‥‥!?」
 つい反応してしまってから、ジンはあまりにも拙い反応であったと後悔し、恥ずかしく感じた。照れ隠しとして、自分の髪を力任せに掻き回した。
「あーあ、せっかくスタイリストさんがキメてくれたのに」
 残念そうに手櫛で整えてくれるみちるの様子に、ジンの心臓は落ち着く事を忘れたかのごとく、とても早いリズムで鼓動し続ける。
「見てて、くれるよね」
「‥‥え?」
「私、頑張るから。代役もテープも使わない。だから、見ていてね」
 にっこりと、みちるは幸せそうに微笑みかけてくる。
 もう一度、彼女を呼ぶ声がした。何か言おうとしたジンが、言うべき言葉の選別を終える前に、彼女は彼から遠ざかっていった。

●シーン〜キス
「それじゃあ、また明日」
 昇降口で悟を待つ美紀に、クラスメイトの綾子が挨拶をしてきた。
「うん、また明日」
 わずかに手を振り合った後は、綾子は振り返らない。正門へとまっすぐに歩いていく。
「‥‥明日‥‥」
 いつまで続くかわからない明日。けれど可能なら、いつまででも続いてほしい。
 きゅっと心に痛みが走る。
「美紀?」
「悟‥‥」
 大好きな人。なのに、顔を見た途端に溢れてくるこの涙はなんだろう?
「美紀!? どこか痛いのか!?」
 駆け寄って抱きしめてくれる、大切な人。美紀は思う。私には何ができる? 私は何をすればいい?
 慌てる悟の頬に手を伸ばし。
 瞼を下ろしつつ。
 自分から唇を寄せて。
 重ねる。
「‥‥‥‥美紀‥‥」
「私、決めた。手術受けるよ。病気を治して元気になって、悟と一緒に世界中を旅行して回るの。綺麗な景色を、絵にして残すの。悟は旅行、好きでしょ?」
「好きだけどさ‥‥いいのか? 成功率、低いんだろ」
「まだ生きていたいから。まだみんなと‥‥悟と、同じ時間を過ごしたいから。まだまだ全然、足りないんだからっ」
 最後は嗚咽混じりに、美紀は悟の鼓動を聞いていた。悟も美紀の頭をかき抱き、強く、彼女の存在を感じていた。



 成人した悟は、世界中を旅していた。
 手術は成功したものの、数年と経たないうちに再発――二度目だからか、進行は早く、あっという間に手がつけられなくなった。最期にもう一度キスした時の、美紀の笑顔。‥‥彼女はそのまま眠りについた。
 今、悟の手にはカメラがある。絵は描けないが、せめて景色を残そうと。