受け継がれた始まりアジア・オセアニア

種類 ショート
担当 言の羽
芸能 1Lv以上
獣人 3Lv以上
難度 やや難
報酬 8.2万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 11/09〜11/13

●本文

 過去の時代を舞台としたドラマの撮影はまだ続いていた。
「至らないところもあるかと思いますが、よろしくお願いします」
「いや、場数自体は君のほうが多いだろう。こちらこそよろしく頼むよ」
 物語が進んだ事で登場するようになった役を演じる男性の楽屋を、葛原みちるは訪れていた。
 その男性の名は近藤零夜。29とみちるより一回り近くも年上だが、知名度はみちるには及ばない。それでもみちるのほうから男性の楽屋を訪れているのは、彼が水元良と同じプロダクションに所属する先輩(つまりみちるよりも先に芸能界に入っている)だからだ。
 良と零夜は仲がいいらしく、二人で一つの楽屋を使っている。みちるの楽屋訪問も、良が間に入ったおかげか、とても和やかな雰囲気に包まれていた。役の上での間柄は三角関係なのだが今は演技中ではなく、そして同じ道を志す者達だ。打ち解けるのは早かった。
「お伺いしたかったんですけど、私みたいな年齢を相手に婚約者を演じるっていうのは難しくないですか?」
 ずっと気になっていたのだろう。みちるは控えめながらも身を乗り出して、零夜に質問を投げかけた。
「現実でも年齢差カップルはざらにいる。それに俺の演じる総司と君の演じる涼乃とがさせられようとしているのは、政略結婚だからね。問題になるのは家の格だけさ。年齢差も本人達の気持ちも関係ないんだよ」
 対して零夜は、唇の端に笑みを浮かべながら答えた。衣装であるスーツは後ろに髪を撫でつけた彼にはよく似合っている。
「だから俺は、つとめてビジネスライクな総司を演じている」
「そうですね‥‥特に冷たい印象は受けませんが、温かくもない。そんな感じです」
「君がそう感じてくれているなら、俺の演技は成功してるという事だね」
「なるほど。それで僕の役に対しても、感情的に食って掛かるとか、そういう事はしないんですね」
 役者も三人集まれば演技談義に花が咲く。時間が許す限り、互いの役を掘り進めていった。

 スタジオの中。セットの下。みちるは良と二人で顔をつき合わせてセリフの確認をしながら、小声で尋ねてみた。
「近藤さん、あんなに演技に情熱をもっているのに、テレビではあまり見かけませんけど――」
「ああ、うん‥‥」
 尋ねた瞬間に、まずい質問をしたという事がわかった。良は困った笑顔を浮かべたのだ。
「ちょっと、人に見せられない肌をしてるらしいんだ。そうなると着れる衣装の幅も狭くて、必然的に受けられる仕事の幅も狭まる‥‥って言ってたよ」
「ご、ごめんなさい‥‥私‥‥」
 舞台に力を入れているのかと思っての質問だった。悪気はなかった。けれど悪気のない行動でも人を傷つけてしまう事があると彼女は知っていたので、すぐに頭を下げて謝った。
「特に隠しているわけじゃないみたいだし、平気じゃないかな」
「‥‥そうでしょうか」
「むしろ気にしすぎて、演技に影響が出るほうが怒ると思うな」
 本番始めまーす、というADの声。相手の出方をうかがおうと互いの顔を見ていた結果、一瞬だけ見つめあう事になっていた。
「私、頑張りますね。――ううん、頑張りましょう」
「勿論」
 台本を各自のマネージャーに預ければ、彼らはもう、彼らの演じる役そのものだった。

 ◆

 帰宅したみちるは目を丸くした。居間でたくさんの人が彼女の帰りを待っていたからだ。
 両親。親友である東雲咲と染谷洋子。彼女達の両親。総勢8人。
「え‥‥っと?」
「座れ」
 みちるの父、葛原徹は娘に告げる。さすがにソファには空きがなかったので、ソファとソファの隙間に、クッションを座布団代わりにして座る。
「咲と洋子から聞いた。お前、チームを作るつもりだってな」
 秘密にしていたはずの事を、とみちるは親友達のほうを見た。彼女達に迷いはないように見えた。
 そうだ、いつまでも秘密にしていられるはずがない。ここを乗り越えなければチームなど‥‥みちるが作ろうとしているチームなど、成り立ちはしない。
 みちるは育ての父を正面から見据え、そして宣言する。
「作るよ。新しい『ラスト・ファンタズム』を」

 『ラスト・ファンタズム』――それはみちるの本当の父、佐々峰翔壱がリーダーとなって結成した、彼ら親世代による遺跡探索及びナイトウォーカー退治の為のチームである。
 心通う者達の集った、そして能力的にもバランスのとれていたこのチームは、主にイギリスの遺跡をターゲットとして、確実に成果を挙げていた。あの日さえ来なければ、その名ももっと知られるようになっていただろう。
 あの日。翔壱とその妻である霧が行方不明となったあの忌まわしい日。『ラスト・ファンタズム』は事実上の解散とならざるをえなかった。

「お前の言っていた、ナイトウォーカーと戦うってのは、こういう意味なのか」
「仇をとるためじゃない。跡を継ぐためだよ」
 それは父と娘の真剣勝負だった。跡を継ぐと言われて嬉しくない親などいないだろう。
 けれど徹には懸念があった。徹だけではない、彼の妻である霞にも、咲と洋子其々の両親にも共通の‥‥親達しか知らない、みちるに対する懸念が。
「ダメなの‥‥? 許してもらえないの‥‥?」
 みちるが知っているのは一部だけ。まだ、全てを知っているわけではないから。
「どうする、皆」
 やれやれとため息をついてソファにもたれる徹。順に各自の表情を確認していけば、彼自身と同じように諦めたらしい事が見てとれた。
「翔壱に似て、頑固なんでしょ? じゃあ反対しても意味ないよねぇ」
 けらけら笑ったのは咲の父だった。

 親達から出された、新生『ラスト・ファンタズム』結成の条件は以下のみっつである。
 ひとつ。女優業と学業に支障をきたさない事。
 ひとつ。世間に知られないようにする事。
 そしてこれが最も重要。――自分達(つまり親達)よりも先に命を落とすような事態にはならない事。

 こうして、みちる、咲、洋子の三人で新生『ラスト・ファンタズム』は誕生したわけだが、その初仕事は徹の仕事先であるスタジオに出没するというナイトウォーカーの退治だった。上に連絡するのが面倒で、親達で近日中に片付けてしまうつもりだったらしい。
「情報は集めてある。きちんと準備しておけば苦戦する事もない。先に言っておくが、これはお前達のチームとしての力量見るのも兼ねてるからな。やり遂げる事ができたら、俺達の持ってる情報とか知識とか、そういうのも継がせてやる」
 厳しく告げる徹だったが、助っ人を呼んでもいい、というあたりが甘い。父親というものは娘にはとことん甘くなる生き物なのかもしれない。

●今回の参加者

 fa0510 狭霧 雷(25歳・♂・竜)
 fa0911 鷹見 仁(17歳・♂・鷹)
 fa1718 緑川メグミ(24歳・♀・小鳥)
 fa2029 ウィン・フレシェット(11歳・♂・一角獣)
 fa2446 カイン・フォルネウス(25歳・♂・蝙蝠)
 fa3392 各務 神無(18歳・♀・狼)
 fa4135 高遠・聖(28歳・♂・鷹)
 fa4300 因幡 眠兎(18歳・♀・兎)

●リプレイ本文

●葛原家
「これが対象の写真です」
 葛原みちるが差し出した写真には、社員旅行の宴で馬鹿をやる若い男性が写っていた。
「そしてこちらが今回の犠牲者‥‥同期で仲もよかったとか」
 続けて示されたのは、討伐対象の隣で同じ馬鹿をやっている男性だった。二人の若者の未来がナイトウォーカーによって刈り取られたという事だ。
「しかし、ナイトウォーカーの本性を晒してしまったら、もう一生怪物のままなんだろう? その顔写真を渡されてもピンとこないなぁ」
 写真を回覧するみちるを見て肩をすくめながら、子供ながらにスーツを着込んだウィン・フレシェット(fa2029)が言う。言外に「ちゃんとしてくれよ」という重圧が込められている。どう返せばいいかわからなくて、みちるは困った顔をした。
「あら違うわ。少しの間は元の姿でいられるのよ」
 そこへ横からきょとんとした声が割り込んできた。代わりに解説を始めたのは、洋子だった。
「感染していたナイトウォーカーが実体化した場合、感染されていた生物は死を迎え、肉体の支配権はナイトウォーカーに移る。ナイトウォーカーはその支配権を行使して、一度変容した肉体を元の姿に擬態させるの。また無事に情報の中へ戻れるまでね。今頃はその写真の姿で次に入り込む情報を探しているんじゃないかしら」
 彼女はテーブルに乗せたノートパソコンを操作している。
「パソコンを持っていくなんて、危険じゃない? わざわざ逃げ道を用意してあげなくても」
 因幡 眠兎(fa4300)が尋ねると、洋子はにっこり笑ってこう返事した。
「ネットワークに繋がった状態では持っていきません。これに逃げ込まれたらその時は、壊すだけです」

「連絡は密に。単独行動は絶対避けてください」
 トランシーバーを各班に配りながら、狭霧 雷(fa0510)が言う。鷹見 仁(fa0911)が手を出した時、雷は彼と共に壁際へ寄り、声を潜めた。
「みちるさん達は、今回が初陣です。危険を察知したら無理やりにでも後退させてください」
「なんでだ?」
「なんでって‥‥なんだかんだいっても、彼女達は女子高校生なんですからね?」
「そんな事言ったら俺だって高校生だ。勿論、何かあれば護るつもりさ。けど最初から後方に下げていたら、あの三人の経験にはならないじゃないか」
「ですが――」
「俺は仁に賛成するぜ」
 仁と雷の秘密の話を聞きつけ、割り込んだのはカイン・フォルネウス(fa2446)。彼は尚も自論を述べようとする雷を手で制し、靴を履く途中のみちるを呼んだ。
「俺達助っ人は基本的には君らのフォロー‥‥君達が戦い易く且つ倒し易くするのを手伝う。少なくとも俺はそう動かせてもらう。そして‥‥止めは君たちの手でするべきだ。記念すべき第一歩として、ね」
「は、はいっ」
 笑顔の好青年に励まされ、みちるは少々照れながらも、応援してもらえた事に喜んで大きく頷いた。反対意見を出された雷はもとより、仁もどことなく面白くなかった。

●スタジオ
「あー‥‥やっぱり写真だけじゃ無理だったか」
 紫煙をくゆらせる各務 神無(fa3392)の顔色はかんばしくない。右手にはサーチペンデュラム、左手には徹に描いてもらった見取り図。ペンデュラムはふらふらと揺れるだけ揺れて、明確な場所を示しはしなかった。具体的に知っているものに効果範囲が限定される為、写真で顔を知っているだけではダメなのだ。一度でも会った事のある相手なら可能だっただろう。そして同じ理由で、ラスト・ファンタズムの3人でも、いい結果は出なかった。徹だったなら相手の位置を特定できたかもしれない。
 でもそれじゃダメなんだよね、と彼女は玄関先の吸殻入れで煙草をもみ消した。その視線の先では、緑川メグミ(fa1718)がみちるの両手をしかと握り締めている。
「実戦経験がないのは恥ずかしい事じゃないわ。誰だって初めてはあるもの。でも良かったわね。彼氏が見ていてくれるんだから」
「声が大きいですよー」
 みちると仁の恋愛成就に一役買ったメグミとしては、彼らの行く末が気になって仕方ないようだ。彼女の好意がわかるだけに、みちるも眉を八の字にして笑っている。
「大丈夫よ、このスタジオの人払いは済んでるじゃない。‥‥いるのは私達と、標的だけ」
 ね、とメグミは静かに落ち着いたトーンで強調した。
 スタジオの職員には「とある芸能人の歌を録音するのだが、秘密にしておきたいので関係者以外はシャットアウトしたい」と伝えてある。今頃は久しぶりの早い就業に、近くの盛り場で酒を飲んでいると思われる。そして「○時に会議室で待つ」と伝えられた標的だけが、ビルに残っているはずなのだ。
「そうそう。一応聞いておくわね。どういうタイプのハンターになりたいの?」
「ふぇっ‥‥」
 ころっとメグミの声の調子が変わったのは、緊迫し始めた空気に、みちるが唾液を嚥下しかけた時の事だった。
「いろんなタイプの戦い方があるのよ。私みたいにガンナータイプで銃を使ったり、仁くんみたいに白兵でばりばり行ったり‥‥これ、持ってみる?」
 みちるが気の抜ける返事をしてしまった事は華麗にスルーして、メグミは話を進める。携えていた可愛らしい鞄から、無骨な銃を取り出して。
 強引に持たされた銃。ずしりと手に重たいそれに、みちるの体が強張った。
「今のそれは飾りよ。でも9ミリ弾を込めれば、ナイトウォーカーを倒せる武器になるわ‥‥もちろん人殺しもだけど」
 当然だが、人を殺める為に使うわけではない。持つには相応の覚悟を必要とする物だと言いたいのだ。
 今回は使わないから持ち歩いてみるといいわ――メグミは銃をみちるのウエストポーチへ突っ込んだ。

「さて、と。これでいいかな‥‥ああ、それが最後か」
 指定した時刻までまだ余裕がある。高遠・聖(fa4135)は3階にある会議室から可能な限りの情報媒体を取り外して別の部屋へと運び込んでいた。ウィンが彼の小さな体には大きすぎるプロジェクターを眉間にしわ寄せて運んでいるのに気づき、さりげなく手伝った。
「結構広いよね、この部屋」
「そうだな。これなら、こいつも使える」
 とん、と聖が壁に立てかけた、布に包まれた長物。中身は魔槍ゲイボルグ。
 部屋の中央、楕円形のドーナツ状の机は固定されているが、机自体が大きいので内側の穴も大きく、戦えるだけの余裕がある。またテーブルを取り巻く椅子は座ったままで移動できるタイプのもので、うまく使えば相手を翻弄できるかもしれない。
「動かせない装置は音響設備ですね」
 演説台の下から顔を出して洋子が告げる。
「本番はその前に人を配置しよう。ネットワークには繋がってないよな」
「繋がっていましたが、遮断しました。他の部屋にあったメインサーバーだけは落とすわけに行きませんが‥‥そこに逃げ込まれる前に倒しましょう」
 二人の会話を聞いて、ウィンはトランシーバーに唇を寄せた。狩場の準備は完了した、と他の組へ連絡する為に。

 並んで廊下を歩いていた仁とみちる。仁はみちるがじっと自分の顔を見ている事に気づき、照れくさそうに指摘した。
「だって、さっきからほっぺた膨らんでる」
 自分が何かしただろうか。彼女がそう思っている事は明らかだ。
「‥‥別に、みちるは悪くないさ」
「ほんとに‥‥? じゃあ何で?」
 違うと言っているのに食い下がってくるのは、他の何が仁を悩ませているのか知りたい、できる事なら取り払ってあげたい、とそういう思考からであり、彼女の優しさから来るもの。はぐらかす事も可能だが、それでは彼女は気にし続けるだろう。
「悪いのは‥‥カインだ。いや、俺か」
「‥‥?」
 男のプライドとかそういうのもあるのだが、そんなもの犠牲にしてでも教えてやらないと――仁は勇気を振り絞るように頭をかいた。
「聖は記者だろ? 俺達の関係、知られるわけにも‥‥あ、いや、あいつがバラすって考えてるわけじゃなくてだな。その‥‥本当はお前が俺の恋人だって言いふらしたいのにできなくて、だからいつ誰に対してもそういうのは表に出さないようにって努めてるんだが‥‥」
 いつの間にか二人の足は止まっていた。歩くという作業にエネルギーを割けるような話ではなくなっていたからだ。
「芸能界に綺麗な顔の奴が多くて、みちるがそういう奴と仲いいのは仕方ないとしても、だ。カインがみちるに笑顔振りまくのは我慢ならない。あいつはみちる達のスリーサイズ気にしてたんだぞ!? なんであんな奴が普通にみちると話せて、俺が我慢しなけりゃなら‥‥ない‥‥」
 熱く語っていたはずの仁の言葉尻が段々と細くなっていく。今にも噴き出しそうなのを必死で我慢して、みちるが小刻みに震えていた。
「笑うなよ!」
「だってジン君、論理滅茶苦茶っ!」
「そ、それはだなっ」
「うん。‥‥やきもち、焼いてくれたんだよね。あと、私と話したくて、寂しかった」
 愛情溢れる笑み。対自分専用である事を仁は知っている。私も寂しかったよ、と彼女の唇が動く。ふっくらとして、口づけたなら蕩けんばかりの唇が――‥‥

 ピー、ガガッ
『来てくれ! 敵が、まだ時間じゃないのに敵が!!』
 トランシーバーから流れてくる、助けを求めるウィンの声。その向こうでナイトウォーカーの奇声が響いていた。

●会議室
 生命体に憑依していたナイトウォーカーが実体化して、変化した外見をのちに元の生命体と同じ姿へ擬態したとする。憑依元の生命体が人間であれば、擬態後も外見は人間の姿をとるであろう。しかし知能は元と同じではない。実体化した時点で、思考の中枢たる脳が脳でなくなってしまうからだ。
 今回の場合も無論そうだ。スタジオ内を徘徊する討伐対象に声をかけた職員はいたが――同僚の姿をしているのだからさもあらん――意味のある返事はなく、ただ唸り声を上げていた。もし誰かに確認をとっていたならこの話を聞く事ができただろう。
 つまり討伐対象への「○時に会議室へ来てくれ」という伝言は、意味を持つ言葉として受け取られていなかった可能性が高い。それでも討伐対象が、予定時刻よりも早かったとはいえ会議室に現れたのは、ナイトウォーカーとしての本能で餌の匂いを感じ取ったからなのか。
「邪魔ぁっ!」
 乱暴に扉を開け放ち、咲が会議室へ飛び込む。中では半獣化した聖が、魔槍でどうにか敵の攻撃を防いでいた。洋子とウィンは万一にも逃亡されないよう、音響機器を背にして守るだけで精一杯のようだ。
「大丈夫か」
「気づいたらあれがいたんだ‥‥。完全に獣化する余裕もなくて‥‥」
「ひとまず回復を。すぐに他の皆さんも来るはずです」
 尻尾を揺らして横から飛び蹴りをかます咲に、ナイトウォーカーの気がそちらへ向かった。くたりと倒れた聖を、男を抱くのは趣味じゃないんだがとうそぶくカインが受け止める。そして魔槍は雷に預けられた。
「咲さん! 無理をしないで!」
 雷が叫んで、咲を庇うように前へ出る。咲にはそれがカチンときた。
「どきなさいよ!」
 雷を押しのけ、再び前に出る咲。そこへ迫るカブトムシのような立派な角。本物のカブトムシと同様に使われるのであれば、その力強さは多くの人の知るところだ。
「咲さんっ!!」
 ドン! ガタンガタンッ!
 騒々しい音と、咲を案じる雷の声が、3階中に響き渡った。

「ねえ。あいつもやったんだから、私もあいつを投げ飛ばしていいよね?」
 右の拳を左の掌に打ち込み、景気よい音を立てて、眠兎が立つ。
「私、演技とかは駄目だけど、こっちは結構得意なんだよねー」
 幼げな容貌に似合わぬ頼もしい姿の後方では、角で引っ掛けられて壁に投げつけられた咲が。彼女の意識は朦朧としていて、ウィンの治療が開始されているところだった。
「俺も参加していいか? 可愛い子に手をあげるなんて許されないんだよ!」
 周囲の返事を待たずに、カインの蹴りが空を切る。しかしそれは敵の胸から脇腹にかけて生えていた足に囚われる。カインはそのまま体を捻り囚われた足を軸に、反対の足を敵の腹部へめり込ませた。
「カイン君ばっかりずるいーっ」
 ふっと腹から息を吐く。続けざまに眠兎の拳もめり込んでいった。

 その様子を尻目に、神無がため息をついて鞘に収めたままの剣を構える。
「‥‥肝心のみちるさんはまだなのか」
「遠い所にいたのかしら。さすがにそろそろ来てもいいと思うけどっ」
 圧縮された空気の塊を撃ち出しながらメグミが答える。
 咲はとうに調子を取り戻して前線に戻っているのだが、心配する雷に庇われて逆に身動きができなくなっている。あれではダメだろうと、神無はまたため息をつく。そろそろ煙草が恋しくなってきた。
「せぇいっ」
 パワードスーツの効果だと信じたい。兎耳揺れる眠兎が敵の角を両手で掴み、一本背負いの要領で投げ飛ばした。
 だが飛ばした先が悪い。扉だ。敵の重みで外開きの扉が開き、敵は廊下に転がった。
「まずい、逃げられるぞ!」
 追うには机を乗り越えなくてはならない。時間のロス。
「今だみちるっ」
 蠢く蟲の足に羽の針が突き刺さり、同時に日傘から引き抜かれた剣が光った。伝わる感触を堪えて、みちるが足を受け止めていた。
 足は残りの足と一緒に闇雲に振り回され、とうとうみちるは足元をふらつかせる。狙って突いてくる角。傷ついた足を切断する神無の一閃、彼女がニヤリとして見えたが気のせいだろうか。
 角は雷が槍で受け止め、カインが蹴り上げた。奇声。更に蠢く足。だがその腹部は無防備だ。
「行くよ!」
「咲!」
 命のやり取りに甘さは不要。頭痛がするほど奥歯を噛みしめ、咲の爪がそうするように、みちるは剣を敵の腹部に深く埋めた。