偽りのバレンタインアジア・オセアニア

種類 ショート
担当 言の羽
芸能 1Lv以上
獣人 4Lv以上
難度 やや難
報酬 12.1万円
参加人数 8人
サポート 1人
期間 02/12〜02/14

●本文

「零夜さん。これ、頼まれていたものです」
 楽屋にて。マネージャーが用事で出て行ったのを見計らい、水元良は事務所の先輩である近藤零夜に、シンプルな封筒を手渡した。わずかに膨らんだ封筒、そのサイズはちょうど一般的な写真が収まるくらいのものだ。
「ありがとう。すまなかったね、面倒な仕事を頼んでしまって」
「‥‥いえ」
 どこか暗い表情の良に比べ、零夜の表情は涼しいものだ。すまないという言葉ほどには、申し訳ないと思っていないのだろう。特に糊付けもされていないその封筒を開き、中を覗き込んでいる。やはり入っていたのは写真のようだ。
 デジカメで撮影したものを自宅で印刷してきた、と良は説明した。そうすれば写真に何が写っているのか、他の誰に見られる事もないからと。
 そこまで慮ってくれる良を、零夜はどう思っているのだろう。周囲の人々にとっては仲のよい先輩後輩だと思われているはずなのだが――
「やっぱりよく似てるな」
「お知り合いでしたか?」
「いや‥‥本当によく似てはいる。でも、あるべきものがないんだ」
「あるべきものがない‥‥何がです?」
 零夜は良の質問に答える前に、唇の両端を上向けた。
「――泣きボクロさ」
 ぱさりと、半ば放るようにテーブルへ置かれた写真。そこには仕事へ出かける葛原みちると、彼女を見送る彼女によく似た女性の姿があった。

 ◆

『は?』
 画面に映るその女性は、泣きボクロで装飾された瞳で不機嫌極まりなさそうに、カメラに視線をくれた。
『だからね、翔壱君がキミに誉めてもらいたいらしいよ』
『なんで』
 カメラを回している青年の声がする。女性は声も不機嫌そうで、というよりも自分が不機嫌である事を隠すつもりは毛頭ないようだ。
『また徹に勝ったんだよ、霧! 誉めてっ、誉めてっ♪』
『だから、なんでよ。徹の精進が足りないだけじゃなくて?』
『‥‥聞き捨てなんねぇ事言うんじゃねぇよ』
『負けるって事はそういう事でしょ。精々頑張って、この誉められたがりをどうにかしてちょうだい』
 横から飛び込んできた童顔気味の青年を鬱陶しげに押しのけて。その青年の更に後ろにいる青年に向けて毒舌を吐いて。腰まで届く漆黒のロングストレートを風になびかせ、女王のように気高い立ち姿のその女性――旧姓・生島、結婚後の名前は佐々峰霧。葛原みちるの実母である。

 写真で初めて見た時に、気の強そうな人だとは思った。この前の定期試験で出された条件をパスして手に入れたビデオを見て、自分の認識が甘かった事を知った。葛原みちる、衝撃の瞬間だった。
「霧ちゃんにはよく泣かされたっけねぇ」
「主に翔壱がな」
 後方のソファでのんびりと茶をすすったのは、みちるの親友である染谷洋子の父、浩介だ。ビデオを撮影していた本人である。
 浩介に飄々とツッコミを入れたのは、みちるの義父、徹。彼女の実父・翔壱に大抵負かされていたが、決して弱いわけではないと言っておく。
「外見はお母さんそっくりだけど‥‥中身が‥‥」
 ようやっとかすれた声でみちるがそれだけ言うと、徹は彼女の意見を肯定も否定もせずに、ティーカップを手渡した。
「表に出てる性格は違うけどな、内面はあれで結構似てるんだぞ。霧が女王なら、霞は参謀だ。霧が一思いに切り捨てるなら、霞はじわじわと嬲っていく。わかるか、みちる。どっちが本当に恐ろしいかなんてすぐにわかるだろ?」
「‥‥徹君。後ろ」
「あ? 何だよ、浩介」
 くるりと振り向いた徹。後になって彼は言った――そこに夜叉がいた、と。
 要するに、買い物から帰ってきていた霞が青筋を浮かべて徹の話を聞いていたのだった。

 ◆

 零夜の楽屋に呼ばれたみちるは、勧められた椅子に腰を下ろすと、まず世間話を始めた。一人で来てほしいと言われていたからその通りにしたのだが、彼女は零夜がその条件を出した理由を言い出しやすいようにしようと思ったのだ。もうすぐ撮り終わるドラマの事、共通の知人である良の事など、話題には困らなかった。
 だがみちるには次の仕事が待っている。時間が限られている事を思い出し、ようやく本題に入る。
「あの、どうして私を呼んだんですか?」
「ん? そうだな‥‥話をしたかったから、かな」
 答えた零夜は、ふっと笑みを零した。
「話ですか。今したような雑談でしょうか。それともまた別のお話が?」
「両方と言ってもいいかもしれないね。キミという人間を、もう一度よく確認しておきたかったんだ」
「‥‥はあ」
 クライマックス撮影の前に共演者との繋がりを改めて強固なものにしておきたかったのだろうか。みちるはそう考えたものの、零夜の口ぶりを聞いていると何かが違う気がした。
 どう答えたらいいかわからず、口をつぐむみちる。彼女が黙っているのをいい事に、零夜はじっくりと彼女の外見を眺めているようだった。流れる黒髪。顔の輪郭。目鼻口のつき方。全体的な雰囲気。
「お母さん似だね」
 やがて、どこか嬉しそうに、零夜は言った。
「あ、はい。よく言われます」
「そうだろう、オレも心からそう思うよ。特に、ここ――」
 とん、と指先で自分の目元を示して。
「ここに、泣きボクロがあれば、もっと」
 みちるの背中に電気が走った。少なくとも彼女自身はそう感じた。彼女の顔に泣きボクロをつけたら、それは、彼女の実母の顔だ。
 なぜこの人は、両親やプロダクションが世間に隠している事を知っているのかと、寒気を感じずにはいられなかった。確かに生島霧は女優をしていたが、芽が出る前に若くして引退した。記憶に留めている人はほとんどいないはずだ。
「母子二代で女優だなんて、マスコミの好きそうな話題だ。いやこの場合は、母の叶えられなかった夢を娘が、って事になるか。知られたら報道陣が躍起になって詳しい事情を掘り出そうとするかもな」
「‥‥っ」
「そうなったら困るんだろ?」
 イメージのダウンや混乱だけではない、彼女に関わる全ての人に迷惑がかかるし、何より、チームの事がどこかから漏れて周知の事になっては困る。
「‥‥何を、ご希望ですか‥‥」
「もうすぐバレンタインだろ。一日あけといて。デートしよう」
「デート!?」
 みちるは驚愕した。バレンタインにデートとくれば、彼が何を望んでいるのかはうっすらと想像がつく。
 はっきり言って、承諾はしたくない。けれどこれは脅迫だ。承諾しないで済む方法が思いつかない。
「楽しませてあげるよ、色々とね」
 彼の売りである妖しげな色気を言葉や仕草に纏わせて、零夜はみちるの耳元で囁く。

 みちるには、頷くしかできなかった。

●今回の参加者

 fa0911 鷹見 仁(17歳・♂・鷹)
 fa0918 霞 燐(25歳・♀・竜)
 fa1050 シャルト・フォルネウス(17歳・♂・蝙蝠)
 fa2446 カイン・フォルネウス(25歳・♂・蝙蝠)
 fa2648 ゼフィリア(13歳・♀・猿)
 fa3211 スモーキー巻(24歳・♂・亀)
 fa4135 高遠・聖(28歳・♂・鷹)
 fa5264 新崎里穂(20歳・♀・兎)

●リプレイ本文

●AM9:00
 二日間の準備期間を経て、葛原邸に集まった6人――鷹見 仁(fa0911)、霞 燐(fa0918)、シャルト・フォルネウス(fa1050)、カイン・フォルネウス(fa2446)、ゼフィリア(fa2648)、スモーキー巻(fa3211)、高遠・聖(fa4135)、新崎里穂(fa5264)。彼らは一様に厳しい顔つきをしていたが、カインだけは違った。
「乙女を脅してデートなんざ不届き千万! 完璧に妨害してくれるわ!!」
「‥‥OK、落ち着け兄者」
 変装の一環であるサングラスを指先で押し上げるカイン。そんな一見どうしようもない義兄の顔へ、屋内だというのにフードをはずさないシャルトが溜息をつきながらクッションを押し当てた。
「では始めよう」
 燐が冷静に言うと、聖がテーブルに数枚の写真を並べた。準備期間の間に集めた情報を交換し、一同の間で共有する事が重要だと、誰もが考えていた。
 一枚目。今はこの家の二階で、親友である咲と洋子と共にデートの準備をしている、葛原みちる。彼女は両親の実の娘ではない事や既に亡くなっている実母が若かりし頃は彼女と同じ女優だった事などを世間に隠している。ばれては今後の芸能活動に支障が出たり、周囲の人々に迷惑がかかったりするだろうという理由からだ。
 二枚目。あと一時間もしないうちにみちるを迎えに来る、近藤零夜。人に見せられない肌故に演じられる役柄が限定されてしまうとの事で、さほど有名ではないが優である。
 三枚目。みちると同い年であり、零夜と同じプロダクションに所属する後輩、水元良。お茶の間に人気の俳優だがその一方で、彼の母親によって、みちると良の熱愛を捏造された事がある。ただ捏造の仕掛け人については公表される事なく、疑惑はみちるの会見によって払拭された。
「まず確認しておきたい。みちるの生まれや育ちについて、現時点で公表されていない事は関係者以外には話さない事」
 両手指を組んで、仁が言う。それは確認というよりも、宣告に近い。破ればどうなるか――彼の眼差しが語っている。
「俺はあいつに迷惑かける奴には容赦しない」
「仁さんは熱くなりすぎんようにせんとなぁ」
 テーブルには写真が並ぶ前から軽食が並んでいるのだが、ゼフィリアはそれをぱくつきながらも仁に負けない程の眼差しを返した。
「ちょっといいかな。俺は公表したほうがいいんじゃないかと思う。いつかバレる時の事を警戒し続けていれば、行動に支障がでるしな、今回みたいに」
 聖が意見を述べる。すると里穂が同意を示すように片手を挙げた。
「今回はデートの邪魔をしてやり過ごすわけですが、これではその場しのぎにしかなりません。私も母親の公表を勧めます」
「確かに‥‥本人の口から事実を発表する、というのが長期的に見れば最良の策だろうね」
 軽く握った拳を顎に添え、スモーキーも賛同する。だが予想される騒動の火消しまでは、今回は手が回らないだろうとも容易に察しがつく。ゼフィリアからも「プロダクションの思惑があるやろうからなぁ」という意見が出た。
「みちるのマネージャーに若白髪を送り込んでみたのだが‥‥可もなく不可もなくといったところのようだな。公表によってみちるに付随するであろうイメージは悪いものではないと見越しているらしい。反対しているのは家族と、むしろみちる自身だろう」
 以前、みちるにはストーカーがいた。その時の騒動には咲と洋子が巻き込まれ、故にみちるが再び彼女達を巻き込みたくないと考えている可能性がある。
 まだまだ議論が足りないようだ。今回はひとまず、公表については先送りする事になった。あくまでも今回は、だが。

 ――以下、各自の努力によって判明した情報である。
 零夜が芸能界に入ったのは小学生の頃。新聞での公募に応募したのが始まりだった。親子面接において何よりもまず「この子は稼げそうですか」と質問してきた母親に、プロダクション社長は面食らったという。整った顔立ちと本人のやる気から採用されたが、練習などでどんなに汗をかいても、零夜は長袖長ズボンという服装を変えようとはしなかった。人のいる更衣室では絶対に着替えず、汗を拭く為に袖をまくる事すら嫌がった。
 努力のかいがあったのか、彼の演技力に一目置く人も多い。だが1シーンでも肌を露にする役柄であれば引き受けないので、結果として彼の経歴は芸能界に属している年数と比べるとかなり見劣りする。
 演じてきた役柄は厳格な軍人であったり、生真面目な青年であったり。記憶に新しいのはみちるとの共演である、上流階級の若きエリート。
 人間関係はおおむね良好であると言えるだろう。面倒見がよく、笑顔も多いので、彼を悪く言う者はいなかった。肌を強引に見ようとして叱咤された者はいたが、誰にでも他人には見せたくないものや知られたくない事があるし、それが彼にとっては肌なのだろうと、特に気にした様子もなかった。彼が犯罪に手を染めたという報道は疑惑レベルであっても見当たらず、善人としての姿がうかがえた。
 みちるの実母・霧との共演は確認できなかった。みちるの両親らも零夜の事は知らなかった。みちるの義母で霧のマネージャーだった霞曰く、霧の持つ気迫が強烈過ぎて、子供番組になど出れようはずもなかったそうだ。
 水元良からは零夜の住むマンションの所在と彼の携帯の番号を聞きだす事ができた。ゼフィリアが能力をフル活用して確認してきたのは、マンションがオートロックだった事と部屋番号、そしてその位置。彼女のように地壁走動を使うなど、最低でも半獣化しなくては中に入る事はできず、また、対処なくしてその姿では目立ちすぎる。
 そしてこれだけの事が判明しても、零夜が何を求めてみちるを脅迫したのかは、わからなかった。

 スモーキーの手を借りて、自らに変装を施す者。バイクでの尾行に備え、ライダースーツを着用する者。霞から荷物にならない程度の弁当を受け取った頃、やや翳った表情のみちるが、咲と洋子を連れて二階から降りてきた。
「いいか、みちるさん。これ以上つけ込まれないように、弱気を見せず、何事にも毅然とした態度で対応するんやで」
「可能な限り距離をとるように。返答は手短にかつ明確に。特に拒否ははっきりとな。『結構です』では肯定ともとられかねないので避ける。相手に失礼と考える必要はない。脅迫してデートに誘う方がよっぽど失礼なのだ」
 早速、心構えを伝授するゼフィリアと燐。頷いたみちるは、ふと顔を上げた時に、仁と目が合った。「守るから」――仁の唇がそう動いたように見えて、みちるの心もわずかながら軽くなった。
 家の外に鳴り響いたクラクションで、すぐに吹き飛ばされてしまったけれど。

●AM10:20
 上映開始時間まであとわずか。ぎりぎりの時間に映画館へ入ったのは、自分達が芸能人であるとバレる可能性をなるべく減らそうとしての事だろう。
「何か飲む?」
「いえ‥‥いりません」
「そう」
 零夜はみちるをエスコートしているように見えるが、ただの思いつきなのかもしれない。既に予告編の始まる劇場に向かう彼ら。今がチャンスと、里穂は紙コップ入りのジュースを持ったままみちるを追い越そうとして、彼女の腕にぶつかった。みちるのコートが濡れて、床に氷が落ちる。
「ご、ごめんなさい、急いでてっ‥‥」
「こっちこそ、道を塞いじゃってて‥‥」
 ハンカチを取り出し、濡れた箇所を拭き始める里穂とみちる。先に打ち合わせていた通りだ。
「ここの人に頼もう、その方が早い。コートは後でクリーニングに出そう。キミも、映画が始まってしまうよ」
 だが零夜はうろたえもせず、みちるを立たせ、従業員に声をかけた。その隙にみちるは里穂に目配せして、里穂も目で頷いた。
「葛原みちる‥‥さん、ですよね。それにそちらは‥‥近藤零夜さん!」
「は、はい‥‥」
「うわぁ、本物に会えるなんて! あのドラマ、楽しく見てました。――で、お二人はデートですか?」
 困った顔をするみちるの両手をとって、ぶんぶん振る里穂。そんな彼女達の様子を零夜が面白くなさそうな顔で見ているのを、物陰からカインが観察していた。

 扉に近い位置の席に座ったみちると零夜。おまけに里穂まで、みちるの隣に陣取った。里穂がみちるの手を離さないのだ。映画本編が始まっても、里穂はみちるに話しかけ続ける。零夜は前方を向いたままだが、もはやデートという雰囲気ではない事はわかっているはずだ。
「‥‥出よう。興をそがれた」
 十分と立たないうちに零夜が席を立った。従うしかないみちるも席を立つ。里穂は残念そうな顔をしてとりあえず見送ったが、数分後には彼女も映画館を出るつもりだ。それまではロビーで連絡を取りながら待機していたカインの番だ。
「お茶でも飲みに行こうか。腕のいいパティシエがいる店を知ってるんだ。ああでもその前に、代えのコートを買わないとね」
「大丈夫です、これくらい‥‥」
 ソファに座るカインの前を通り過ぎる二人。零夜の手がみちるの肩に回ろうとしている事に気づいたカインは、よろめきながら立ち上がった。
「きゃっ‥‥」
 驚くみちると反対に、零夜は冷静なままカインを支えた。
「すみませんね、ずっと足組んでたもんで、痺れちゃったみたいで」
 そそくさと離れていくカインに、零夜もすんなりと背を向けた。里穂のように気づかれては面倒だと考えたのかもしれない。彼らが出口に向かったのを確認してから、少し離れた位置に座っていた聖が携帯を取り出した。
「行ったぞ。次はお茶するか、コートを買うか、だ」
『わかった、みちるに誘導してもらおう』
 連絡を入れた先は、駐車場に止めたワゴン内の燐。窓はカーテンを閉めてあるので、心置きなく獣化ができる。彼女は半獣化をした後、心の声でみちるに語りかけた。
『気がひけるかもしれんが、コートは買ってもらえ。相手の領域に連れ込まれるよりも、みちるの知っている場所のほうがまだ安心だろう』
『じゃあ、いつも行くお店に‥‥咲と洋子なら知ってますから』
 会話の内容を、彼女はすぐさま後部座席の咲と洋子に伝える。咲は地図をめくって店の位置を燐に教え、洋子は尾行しやすい道のりを検索する。みちるに渡してある子供用携帯のGPS機能により、既に車での移動が開始されているのがわかった。これらはすぐさま他のメンバーにも伝えられ、バイク班が先行して尾行を再開する。

●PM3:45
 その後は無難なものだった。燐の指示通り、行きつけの店で悩みに悩む不利をして時間を稼ぎ。結局正午を回ったのでお茶はそのまま昼食となり、ここでものんびりとよく噛んで時間を稼ぎ(味わう心の余裕などなかったが)。行きたい店があると嘘をつき、遠回りになる道を案内し、結果は定休日――勿論元々休みだと知っていての所業だ。
 だが気は抜けない。人目がある所ならいい、問題はそれがない所だ。
 落ち着いて話をしよう、と最終的に零夜が車を走らせたのは、事前に確認してあった彼のマンションがある方角だった。自宅までという慣れた道程だけあって、細い道や複雑な裏道でもすいすい進んでいく。途中で見失わない為に、バイクとGPSの両用は大いに役立った。
「どう?」
「静かなもんや」
 向かいの建物からマンションを監視していたゼフィリアのところへは、スモーキーがみちる達よりも早く到着した。
「一応こんなん用意したんやけど、中に入れんと使いようがないな」
「‥‥ガムと接着剤か。キミもいい趣味してるね」
「礼は言っとくわ。っと、来たでぇ」
 眼下では、零夜のスポーツカーが地下駐車場へ入っていくところだった。

「やっぱり私、帰ります」
 マンションの入り口前。みちるははっきりと述べた。
「おかしいな。俺は一日あけといてって言ったはずだけど?」
 零夜は涼しい顔のまま、腕を組んで彼女を見据える。脅迫の材料はあちらが持ったままなのだ。
「でもあなたの家に行ったなんてマスコミに知られたら――」
「別にかまわないさ。それに今のこの状況でも、いい騒ぎのネタにはなる」
 断れない。けれど家に行ったら最後、何をされるかわからない。零夜の手が差し伸べられる。みちるはその手をとりたくはないが、手は彼女を捕まえようとしている。
 急なブレーキ音が響く。振り向けば、運転席の窓からシャルトが顔を出している。
「‥‥葛原みちる、急な仕事が入った」
 当然嘘だ。それでもみちるが足を動かす為の力にはなった。ヒールを鳴らして走り出す。舌打ちと共に零夜が追い始める。
 フラッシュが光った。目の眩んだ零夜がたたらを踏む。カメラのフラッシュをたいた聖は、パパラッチを装いバイクに乗ったまま撤退する。一人の青年の横をすり抜けて。
「水元さん!?」
『ひとまず逃げろ! 水元良についてはそれからだ!』
 シャルトの車に乗り込む直前だったみちるが叫んで、直後、彼女の心に霞から檄が飛ぶ。
「知ってたさ、尾行される事くらい。情報収集の対象として良を選んだのが間違いだったな。良は俺のかわいい後輩だ、俺と良の繋がりを知っていて警戒しなかったのが不思議なくらいだよっ」
 一転して楽しそうな零夜は足を止め、代わりに良が突っ込んでくる。車の進路を妨害してみちるを逃がさないように。おかげでシャルトはアクセルを踏めない――しかしもう一台のバイクが滑り込んできた。そのバイクが逆に良の進路を妨害すると、車は大きく迂回しながら一気に逃走した。
 残ったバイクは挟み撃ちにあうかと思われたが、天から降ってきた缶コーヒーによって救われた。牽制の言葉をかけようにも面識のある良が相手ではまずいと、速やかにその場を離れた。