私の素敵なお兄ちゃん☆アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 言の羽
芸能 1Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 普通
報酬 1万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 01/23〜01/27

●本文

「いーーーやーーーーっ!! 遅刻、遅刻遅刻遅刻!!」
 時計の針が示すのは、8時20分。本来、彼女が起床するべき時間は8時ちょうどであり、つまり20分ほど寝坊した事になる。
 焦りに焦ってベッドから飛び起き、壁にかけてあるハンガーへ乱暴に手を伸ばした。それは彼女の通う高校の制服であり、セーラー服である。パジャマを脱いで、制服に袖を通し、スカートをはいて、適当に皺を伸ばした後に、さっとリボンを結ぶ。最後に白い靴下を両足にセットして、着替え完了となる。
「よしっ!」
 小学生の時から使っている学習机の上にほったらかしだった学校指定鞄を掴むと、大急ぎで部屋を出る。
 どたたたたたっ、と勢いよく階段を駆け下り‥‥ようとして、バランスを崩した。
「へっ? ‥‥きゃぁぁっ!?」
 素足ならば滑らずに済んだだろう。ご存知の方も多いだろうが、靴下は意外と滑る。しかもこの家は基本的にフローリング仕様で、掃除もばっちり。踏みとどまることもできずに、彼女は落下していく。
 彼女はきつく目を閉じた。予想される痛みに備えるためだ。
 ――だが、彼女に訪れたのは痛みではなく、受け止めてくれた腕のぬくもりだった。
「やれやれ‥‥危ないところだったな、千鶴」
「あ、功兄! ありがとー、助かったよー♪」
 漆黒の髪と瞳が彼女の目と鼻の先で揺れていた。この家の長男である功だ。きっちりアイロンのかけられた、品のいいスーツが今日もびしっとキマっている。
「もっと注意深くなれと常日頃から言っているだろう。これだからおまえからは目を離せない」
「う‥‥ごめんなさい‥‥」
「功兄ちゃん、説教するのはいいんだけどさ。ちづを遅刻させる気か?」
「む、それはいかん」
 ダイニングからひょいと顔を出して声をかけてきたのは三男、奏。学ランを第二ボタンまではずすというルーズな着こなしで、毎日、功に怒られているが直す気配はない。
 奏は自転車の鍵についている輪を指に引っ掛け、くるくると回しながら、玄関へ向かう。その後ろを、箸とご飯茶碗を持ったまま、次男の要が見送りにやってきた。まだ眠いのか、むしろ半分寝ているのか、糸状になっている目をごしごし擦っている。そしてぽわんぽわんとした声をかける。
「行ってらっしゃ〜い、奏〜、車には気をつけるんだよ〜?」
「要兄ちゃんこそ、茶碗落とすなよ。んじゃ、行ってくる!」
「行ってらっしゃい、奏兄ー♪」
「千鶴、おまえは早々に朝食をとってしまいなさい」
「えー? いいよもう、食べなくても」
「駄目だ。朝食は一日の始まりであり、おろそかにする事は許されない」
「でも時間が――」
「ちーちゃん、今朝もごはん美味しいよ〜? 食べないの〜? 僕が作ったのに〜?」
「うぅ‥‥要兄、その顔はずるいーっ! 食べるよ、食べればいいんでしょー!?」
 食べて、歯を磨いて洗顔して、髪をいじって‥‥う、ぎりぎりで何とかなるかなぁ。
 こんな事を脳内で考えつつ、彼女は兄達と共にダイニングへ入っていった。

 ◆

 長男・功、次男・要、三男・奏、そして末っ子で長女の千鶴。父母は早くに事故で他界したため、名取家はこの4人で構成されている。3人の兄達はたったひとりの妹を溺愛し、いつか彼女がお嫁に行くその時まで、命に代えても守ると、固く誓い合っている。
 まあ、いざ千鶴が誰かを連れてこようものなら、連れてこられた男はあらゆる面でテストされるだろうが。

 ◆

「栄一君!」
「千鶴ちゃん」
 8時32分。千鶴は息を切らして、通学路途中の公園に到着した。
 待っていたのは、彼女と同じ高校に通う峰山栄一‥‥要するに、千鶴の恋人である。
「ごめんね、遅くなって‥‥」
「大丈夫だよ。早足で行けば間に合うって」
 にっこり笑って、栄一はなかなか呼吸の整わない千鶴の手から鞄をとった。それを自分の鞄と一緒に右手で持って、左手を千鶴に差し出した。
 千鶴ははにかみながらも、栄一の手をとる。

 ――千鶴が忘れた弁当を届けようと後を追ってきた功が、木の陰でぎりぎりと歯を食いしばっている事も知らずに。

●今回の参加者

 fa0422 志羽翔流(18歳・♂・猫)
 fa0426 Key(17歳・♂・ハムスター)
 fa0768 鹿堂 威(18歳・♂・鴉)
 fa0920 朱鷺宮鏡羽(24歳・♀・一角獣)
 fa1299 春日 春菜(16歳・♀・虎)
 fa1425 観月・あるる(18歳・♀・猫)
 fa2340 河田 柾也(28歳・♂・熊)
 fa2665 野々村・子虎(14歳・♂・虎)

●リプレイ本文

●キャスト
名取千鶴‥‥春日 春菜(fa1299)
名取功‥‥河田 柾也(fa2340)
名取要‥‥野々村・子虎(fa2665)
名取奏‥‥志羽翔流(fa0422)
峰山栄一‥‥観月・あるる(fa1425)

常盤兼也‥‥Key(fa0426)
音無鈴音‥‥朱鷺宮鏡羽(fa0920)
クラス委員長‥‥鹿堂 威(fa0768)

●情報と伝達
「音無君」
 授業の終わりを告げる鐘が鳴り、クラス委員長が「きりーつ、れーい」と号令をかける。生徒達は瞬時に賑やかになり、思い思いの行動をとる。放課後の過ごし方など相談する者達の中にあってひとり、おっとりと大人びた雰囲気をもつ音無鈴音に、功は声をかけたのだった。
 音無家は名取家の隣にある。つまり鈴音はお隣さんなのだ。名取兄妹の両親が存命の折からの古い付き合いで、特に千鶴と鈴音は同い年で、通う高校も同じである事から、格別に仲がいい。だから功は、鈴音ならば千鶴の隣にいた少年について知っているのではないかと考えたのだ。
「あー‥‥そのー‥‥なんだ。今朝、千鶴は誰かと一緒に登校しなかっただろうか」
「ええとー‥‥栄一君の事でしょうかー?」
 鈴音はおっとりと首を傾げ、それからほわわわんと人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「千鶴ちゃんのいい人ですよ、功さ‥‥じゃなかった、名取先生」
 いい人。
 いいひと。
 イイヒト。
 リフレインするそのフレーズ。ぴしりと音がしたような気がして、功の体が瞬時に石化する。
「あらあら〜」
 だが鈴音はそれを眺めるばかり。横を通りすがる生徒達が、何事かと怪訝な視線を送ってくる。
 そうこうしているうちに、功は徐々に闇へ取り込まれ、じきに石化も解ける。わなわなと手が震え、見開いた目は血走り、綺麗な並びの歯を力強く噛みしめる。
 そして突然、くるりと背を向けると、走ってはいけないはずの廊下を猛スピードで遠ざかっていった。
「んー‥‥大荒れになるかしら〜?」
 功が起こした風に長い黒髪をなびかせながら、ぽつり呟く鈴音だった。

『何ぃ!? ちづに男がいる!?』
 電話の向こうで、奏は大声を出した。しかし功とて奏の行動パターンなど十数年も前から理解しているものだから、携帯を遠く離していたため、耳は無事だった。
『どんな奴なんだ!? ちづをちゃんと守ってやれそうか!?』
 まあ、そもそも奏に電話相手の耳を心配する余裕が残っているはずもない。かけがえのない、たったひとりの大切な妹。その妹に男ができたなんて、こんな一大事は功が千鶴の通う高校へ赴任する事が決定した時以来だ。
 使用頻度の低い生徒指導室の隅にうずくまり、功は電話を続ける。ちらりと腕の時計を確認すると、休み時間はあと2分ほど。次の授業の準備をしなければならない事を考えると、早々に切り上げなければならない。
「あの顔は見た覚えがあるのだが‥‥授業を受け持った事がないので、人柄についてはわからない。まあ会議にかけられるような悪い噂は聞かないな」
『冗談じゃねぇ、そんな噂があってたまるかってんだ! 功兄ちゃん、今日は俺、授業終わったら即行で帰るからな!』
「わかった。俺も今日は早く帰れそうだ。要には俺から連絡しておく」
 電話を切ると、慣れた手つきでメールを打つ。宛先は要の携帯、件名は「緊急事態発生」、内容は「今日は寄り道せずに帰ってくるように」‥‥送信確認のメッセージが表示されて、功は携帯をスーツの胸ポケットにしまった。

●兄会議
 夕焼けにはまだ早い時分。名取家のダイニングには、功、要、奏の3人が神妙な顔つきでテーブルに向かっていた。
 ――いや、要だけは、ただでさえ細い目を更に細くして、のんびりと頬杖をついている。
「ちーちゃんに彼氏さんかぁ‥‥いつの間に作ったんだろうね〜」
 そんな年頃になったんだね〜、とでも言いたそうな口ぶりは功の気に障ったようだ。険しい顔つきが更に険しくなっていく。すっかり寄った眉根が更に寄り、くっついてひとつになってしまいそうな勢いだ。
「その子料理上手いのかな〜」
 しかし要の態度は相変わらずで、呆れた奏がため息をつくくらいだった。
 その時。
 ぴーんぽーん。
 なぜか兄弟げんかに発展しそうな雰囲気を遮るようにして、玄関のチャイムが鳴った。要が功を見る。奏も功を見る。功はぐっと堪えていつもの引き締まった表情を繕うと、玄関へ向かった。覗き窓から来客の姿を確認し、問題はないとドアを開ける。そこに立っていたのは小ぶりの鍋を抱えた鈴音だった。
「こんばんはー、肉じゃがのおすそわけに来ました〜」
「いいにおいだな。おばさんが?」
「ここ最近で一番の出来だそうで〜」
「ほほう、それはありがたい。‥‥ふむ、ちょうどいいところに来てくれたものだな。さあ、こっちへ」
「‥‥はい? ええああ、ちょっとー」
 鍋を受け取るが早いか、功は鈴音の腕を引いた。状況を理解できないまま、鈴音は何とかつっかけを脱ぎ、ダイニングに連れ込まれる。そして揃い踏みの面々を見て、納得した。やっぱり荒れてる〜、と苦笑する。
「鈴音君、キミには峰山栄一の普段の行いや様子を教えてもらいたい」
 テーブルの中央に置かれた鍋を見つめながら、兄会議は兄会議+アルファとして再開される。
「功兄ちゃんが持ってきた資料読んでるとさあ、非の打ち所がないんだよなぁ。成績は上の下、運動能力もそこそこあるみたいだし、健康状態は良好、特に何かやらかした記録もなし」
「あ〜あ〜‥‥こういうのって極秘扱いの資料なんじゃないの〜?」
 5枚程度の紙束をめくる奏を、横から要が覗き込んで苦言をはなつ。当の功本人は鼻を鳴らし、支障のありそうな部分は抜いてあると自分の行いを正当化しようとした。
「そうですねぇ〜‥‥栄一君、結構女子に人気あるんですよ〜。気配りのできる優しい人ですからぁ」
「気配りができるのは良い事だが、女子に人気があるというのは‥‥逆恨みをされて、千鶴に害が及んだらどうするつもりなんだ」
 鈴音の言葉にも過剰反応を示し、仕舞いには――
「最も気がかりなのは峰山栄一が長男であるという点だ。千鶴が嫁入り先で姑にいたぶられるなど、俺には我慢ができない!」
 ――こんな事まで言い出す始末。
「はいはい、功兄さんは少し落ち着こうね〜。ちょ〜っと気が早すぎると思うよ〜」
「そりゃ、まだ早いだろ」
「そうですよー、千鶴ちゃんはまだ16歳なんですからー」
 さすがに他の面々からツッコミが入ったため、功はわざとらしく咳払いをして場を濁す。
「ともかく! 俺はまだ恋人など許さん!」
 かと思いきや、両の拳をテーブルに振り下ろし、宣言するあたり、どうあっても今の状態では認める事などできないようだ。要がお手上げのポーズをしてみせたので、仕方なく、奏がこう提案した。
「よーし、それじゃあテストしてみようぜ」
 まともな事をそれっぽく言った奏だったが、にたぁ‥‥と笑うその姿はさすがに功の弟らしかった。

●放課後デート
 ほぼ同時刻。掃除当番の仕事を終わらせた千鶴は、栄一の待つ教室へ、スキップで入っていく。
「栄一君、お待たせ!」
「お疲れ様、千鶴ちゃん」
「うん♪ さあ帰ろ〜♪」
 周囲が羨むラブラブっぷりとハートを撒き散らしながら、ふたりは制服を着たまま繁華街へ向かう。時折すれ違う友人達から野次にも似た冷やかしを受けても、ふたりの熱は冷めやしない。
「千鶴ちゃんの行きたい所って何処だろ? 楽しみだな」
「えへへ、あのね、ここなんだー♪」
 他愛もない会話を楽しみながら、到着したのはゲームセンター。店の入り口横には、ケース内の商品を掴んで見事穴に落とせばその商品をもらえるという、よくあるゲーム機が置かれている。中に積まれている商品はふかふかのぬいぐるみで、いかにも女の子受けしそうな物だ。
「あれがほしいの?」
「うん、横から見てアドバイスしてくれれば‥‥って、栄一君?」
 自分でやるつもりの千鶴をすっと遮り、栄一は機械に百円玉を投入する。操作用のレバーを握り、ゲームがスタートして、数十秒後、ぬいぐるみが取り出し口にころりと落ちてきた。
 喜びよりも驚きが大きい千鶴に、栄一は微笑みかけた。こういうのは得意なんだ、と。

 ぬいぐるみを連れて、ふたりは他のゲームに興じたり、ファーストフード店でお茶にしたり、ウィンドーショッピングをして回ったりと、楽しい時間を過ごした。気づけば日は傾き、夕焼けもそろそろ終わりに近付いていた。
 帰り道、千鶴はぬいぐるみを抱え、栄一はふたり分の鞄を持っていたけれど、ふたりの手はしっかりと繋がれていた。

 もうすぐそこが千鶴の家、となった時、嫌なくらい爽やかな笑顔を浮かべた少年が生垣を間に挟んで声をかけてきた。音無家とは反対側の、名取家のお隣さんである常盤家の息子、兼也だ。
「ふーん‥‥キミがねぇ‥‥」
 彼は何を憚る事もなくジロジロと栄一を眺めた後、ふっと鼻で笑った。
「あそこは大変だけど、頑張れ」
「え?」
 千鶴は「大変って何よ」と騒いだ。しかしそんな彼女をよそに、兼也は栄一を手招きし、その耳にこそこそと囁いた。
「実は昔、彼女にアタックして、お兄さん達から見事KOされたんだ。あの時は‥‥お百度参り10セットだったかな?」
 秘密の話をするふたりを千鶴がべりっと引き剥がす。
(「‥‥大丈夫さ、僕には千鶴ちゃんへの愛がある」)
 ――グッドラック、骨は拾ってあげるよ。背中にかけられた言葉に、栄一は心の中で静かに反論した。

●吹き荒れる嵐
「ち〜ちゃん、お帰り〜」
「おお、ちゃんと家まで送ってきてるんだな」
「‥‥そちらの方は‥‥どなたかな?」
 にこやかに出迎えたのは要だけ。奏は栄一を見定めようとしているし、功に至っては最初から敵意むき出しだ。
 恥ずかしいから兄に見つかる前に栄一を帰そうとした千鶴だったが、兄達は今か今かと待ち構えていたのだろう。あれよあれよという間に、千鶴は栄一ごとダイニングへ連れて行かれた。
 なぜか栄一の分まで用意してある夕食。ほどなく食事が始まるのだが、喋っているのはやはり要だけ。栄一に対し、料理はできるのか、できなくても今から勉強してみないかと勧誘してみたり、自分の作った食事はどうかと尋ねてみたり。ピンと張り詰めた空気の中、互いの胸の内を探り合うようにちらちら盗み見しあっているので、誰も彼の問いかけには答えない。
 だが唐突に、本当に唐突に、こう切り出したために空気は変わってしまった。
「で、結局ち〜ちゃんの事、どれくらい想ってるのかな〜?」
 程よい食感のご飯を口に運ぼうとしていた栄一の動きが止まる。兄3人の視線が栄一に集まる。
「あー! 栄一君のこと困らせないでよねっ!?」
 千鶴は手を伸ばし、兄達の視線を遮った。しかし奏が「ちづは下がってろ」と告げて、功が箸を置いた。
「‥‥栄一とか言ったな。これから俺達3人で、お前がちづに相応しい男がどうか見てやる。覚悟しとけよ」
「名取先生‥‥いつもと雰囲気違いますね」
「うるさい!!」
 つい素直な感想を口にしたため、栄一は功から怒鳴られるはめに陥る。
 押さえ込まれてしまった千鶴と栄一をよそに、兄達はテストの方法を決めようと話し合いを始めた。やれ学業だ、やれ体力だ、やれ料理だと、互いに譲らない。
 いっそ全部のテストを受けさせるかと笑顔で3人が振り向くと、今度は彼らが押さえ込まれる番となった。千鶴が鬼の形相で彼らを睨みつけていた。
「言い過ぎだよ、お兄ちゃん!! もう私だって16歳なんだから、好きにさせてよ!」
「何を言う、俺達はお前の事を考えて言っているんだぞ!」
「そういうのってね、大きなお世話とかおせっかいって言うんだから!」
「大事な妹の事を心配するのは当然だよ〜?」
「心配してくれるのは嬉しいよ、でも心配しすぎなの!」
「俺達が安心するためにも、ちづの相手をよーく知っておかなきゃならねぇと思ってだなぁ」
「私が選んだ人なんだよ!? 私を信用してよ!」
 ここまで派手な言い合いは兄妹史上初めてだった。互いに譲らず、本気でぶつかり合っている。功がテーブルに拳を叩きつけたせいで、要が腕によりをかけた味噌汁がこぼれた。
「このっ‥‥!」
 熱が入りすぎた。奏が平手を振り上げた。
 功も要も気づいた時には既に遅く、千鶴も体が固くなってしまい、避けられない。きつく目を閉じて――皮膚と皮膚が激しくぶつかる音がして――しかし、痛みは感じない。意を決して瞼を開けば、栄一の背中が目の前にあった。
「いてててっ‥‥いい動きしますね、お兄さん」
 早くも赤く腫れあがる頬を押さえて、それでも栄一は笑った。泣きそうな顔をする千鶴に大丈夫だと一声かけてから、3人の兄達に相対した。
 顔を見合わせる兄達。奏などバツが悪そうだ。
「‥‥悪かったよ。お前は充分に見所のある奴だ」
 氷で冷やそうと千鶴がキッチンへ飛んでいく、その隙を見計らって、奏はぼそりと言った。心中では(まだ諦めたワケじゃないからな)と様々な画策をしていたが。
「お兄さん達はとても立派な人だと千鶴ちゃんから聞いています。そんなお兄さん達から見れば僕はまだまだひよっこでしょうけど‥‥僕だって千鶴ちゃんの盾になるくらいはできます」
 納得のいっていない様子の功と要に向けて、栄一は自らの想いを語る。
 そして一息ついてから、愚かにもこう言い放った。

「千鶴ちゃんを僕に下さいっ!」

 ただちょっと、言葉を選び間違えただけ。それでも兄達の逆鱗に触れてしまった事には変わりない。
 あまりの騒々しさに隣家から様子を見に来た鈴音も兼也も、名取家のダイニングで繰り広げられていた戦いの恐ろしさに、すっかりその場で立ち尽くしてしまったのだった。