陰陽―黄昏に交わるアジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
姜飛葉
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芸能 |
3Lv以上
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獣人 |
2Lv以上
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難度 |
普通
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報酬 |
7.9万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
11/23〜11/27
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●本文
●出会い
華やかな都の中央から、1本道を離れれば死体が転がっているのも珍しくは無い。
富める者と貧しき者の差が、そのまま生死を分ける差。
腐臭に飽いた慧は、都から距離を置くように生気の満ちる山間へ‥‥荒んだ都外れではなく山間に近い京の外れへと来ていた。
特に当ても無く、足が向くままに歩いてきただけのことである。
そんな慧はふと何かに気付いたように、周囲を見回した。
唯人であればそのの目に見えるのは長閑な景色であったろうが、慧の目は違う。
目が違えば、その耳も。
異形というわけではない。
見目には普通の人の子となんらかわりなく、じきに少年の域を出ようかという頃合だった。
否。よくよく見ればその耳は人のそれとは違う。
異形ならざる異形の正体、それは妖怪であるということだけ。
彷徨うような歩みが、目的をもったそれに変わる。
慧がたどり着いた場所は崖下だった。
土がむきだしになった斜面の下、石や泥と共に人の子が倒れていた。
見上げれば、土壁の崖の上から幾筋かの細い線。
上から足を滑らせ、土壁に取り付いたものの、掴むものも無い土壁では堪えきれずに落ちたのだろう。
まだ息はあるようだが‥‥。
慧が声を掛けたのは、気まぐれだった。
「何をしてる?」
返ったのは呻き声。
「‥‥‥‥お前は死ぬのか?」
更に問えば答えは無く。
けれど伸ばされた手で袴を掴まれ、慧は首を傾けた。
掴んだその手を振り払うのは簡単な事だった。
本当に慧にとっては、気紛れだったのだ。
慧が主と仰ぐもののためにと集めていたモノは、慧が揃えねばならぬ分は揃っていた。
これ以上は求めがあれば集めれば良い。
だから、気まぐれ。
そう、それだけの事。
●転換
「慧、何をしていたのです?」
唐突に掛けられた声に、慧はびくりと肩を震わせた。
振り返れば、そこに佇んでいたのは額に捻れた角を持つ紫暗の衣に身を包んだ青年だった。
「風遊様! いや‥‥俺は」
「‥‥人の子など」
ぴしゃりと慧の言葉を遮り、風遊は扇を突きつけた。
風遊の『目』が広いのは慧も知っていはいたが、まさか己のような若輩ものまで見ているとは思わず耳が震える。
それ程に風遊の声は冷たかったのだ。
「あれは公子様の塔を崩した輩に類する小童‥‥知っていての行動であれば」
「まさか!?」
以前、3将が築いた朱陰の塔を崩し邪魔だてした人間の存在を聞いてはいたが、まさかそんな存在があのように転がっているなどとは思わなかったのだ。慧は驚きに目を見張った。その様子を信じたのか、開いた扇を閉じた風遊は真っ直ぐに慧を見遣る。
「まあ良いでしょう。むしろ顔を知られていない慧だからこそ得られた機と思えば。‥‥慧、公子さまのため、あの子童を斬り捨てて来られますね?」
やっかいな術師がそばにいない今が好機。
あの子童が持つ目は厄介なのだと風遊は告げた。
元より慧に拒む事を許さぬ口調であった。否と言おうものなら、風遊がこの場で慧を斬り捨てるだろう。
慧は「応」と答えた。公子のためと言われては否という理由も無い。
けれど慧の中には迷いがあった。
礼だと差し出された饅頭の味。
向けられた笑顔。
人間という存在は何とも思ってはいない。
思ってはいないのに変わりは無い。
けれど、そんな有象無象の存在を潰すのに‥‥胸に在るこの気持ちはなんなのだろう。
●機転
呼び声が聞こえ、桃は顔を上げた。
あの時、自分を助けてくれた妖怪の呼び声だ。
師の下を離れ、修行と必要な薬草を採りに森へ入った時に、過ち足を滑らせ落ちた自分を助けてくれた妖怪。
礼に渡した饅頭を珍しいのか不思議な顔で受け取り、けれど美味しそうに食べていた彼へ改めて贈ろうかと新たな饅頭の包みを手に、桃は呼び声に招かれるように彼の元へと歩む。
なぜか害意は無かった妖怪が呼ぶ声に、ひたすらに。
早く饅頭を手渡し、改めて礼を言おう。
けれど今日は長居は出来ない――早く師匠の所に帰らなければいけないから。
依頼があるのだ。
貴族の屋敷を訪ねなければいけないから、今日は時間が取れないのだと言わなければ、と桃は歩いた。
●流転
桃の危ういに気付いたのは、師である香月ではなく。
彼をずっと見つめてきた巴だった。
なぜか伴い可愛がっているその童を喪えば、香月はどのような顔をするのだろうか。
「‥‥‥‥‥‥まあ、良い。妾も知らぬ仲では無いのじゃから」
ふわり踵を返し桃の元へ向おうとする巴の顔から、常に浮かぶ淡い笑みが微かに強張った。
敵意という生易しいものではない。彼女にあからさまに向けられた殺意がその身を強張らせたのだ。
巴が中空を仰げばそこに居たのは‥‥
「公子様の憂いになりえる存在なれば、排除するのが私の役目」
貴公子然とした立ち居振る舞いはそのままに、剣呑な光をその瞳に浮かべた風遊がそこに在った。
■今回のドラマの主軸構成
慧と桃、風遊と巴の決着戦、2シーンが中心の回となる。
慧と桃の2人がどのような道を選ぶか、風遊と巴がどのように決着をつけるかで次回以降の物語の流れが大きく変わる事を理解した上で、演じ物語を作り上げる事。
放映時間内に纏まるよう構成し、シナリオを組みドラマを作り上げる事を最優先とし、既存に出ている設定から逸脱しない範囲で役者らの役作りに一任するものとする。
■募集配役
既に出ている設定と齪歯吾が出なければ、自由に演じて可。
・慧:獣耳を持つ鬼公子に憧れの念を抱く年若い妖怪。
本来は名の通り知恵高い妖怪種だが、本人の資質により考えるより先に動いてしまう性質。
人をたぶらかす能力に長けている。
・風遊:鬼公子側近。額にねじれた角をもつ風の術に長けた妖。
自尊心が高く慇懃無礼で鬼公子を盲信している。冷酷かつ冷徹でもあり、己に無益な行動はおこさない。
・桃を気に掛けている存在:かつて「夢」と名乗り桃の師である香月らの周辺に姿をみせた事もある。
関係は明らかにされていないが、目の前に姿を出す事は避けている。
(使用する場合、詳細設定を役者で決めても良しとする)
・桃:香月という名の術士の弟子。年端のいかぬ子供ながら見鬼の力を生まれながらにしてもつ。
明るい性格で人懐こく、しっかり者。
・巴:京から遠くない里山の連翹が本性である妖かし。
桃の師である香月とは縁浅からぬ関係で常に香月を見守っている。
※その他の役は、シナリオに応じて求めるものとする。
配役に関しては可能な限り埋める事。当シナリオにおいては夢以外。
後日撮影予定で、今回の話と並行の時間軸となる『陰陽―氷の標』で配役となる以下の人物については当シナリオにおいての出番は無しとする事。
・凍女
・氷女
・菫姫
・将成(菫姫の兄)
・誠、彩
上記以外の役は使用可能だが、その場合氷の標への出番は時間軸に齟齬が出ない範囲のみとなる。
●リプレイ本文
●CAST
桃:美森翡翠(fa1521)
慧:帯刀橘(fa4287)
藍:千架(fa4263)
風遊:玖條 響(fa1276)
巴:白蓮(fa2672)
戀花:淡紅絆(fa2806)
朋青:三条院真尋(fa1081)
風夢:深森風音(fa3736)
鬼公子:安曇野 敬司郎(fz1034)
●妖と童女
声が聞こえる‥‥見知った顔の呼ぶ声が。
だから彼女は、招かれるまま赴いたのだ。
彼女にとって、声の主が『何』であろうと関係はなかった。
姿形は問題ではなく、向き合う相手の心次第なのだと彼女は短い人生の中で識っていたから。
桃は、軽やかな足音を伴いながら慧に駆け寄った。
弾む息を整えながら真向えば、桃の顔には自然に笑みが浮かぶ。
「あ、何処か行くの? 呼ぶ声聞こえたから‥‥長居は出来ないけど」
慧が短刀を持っているのを見て訊ねたが返事は無い。桃は小首を傾げつつも、慧へと手に持っていた包みを差し出した。
眼前に包み――手を向けられて、目に見えて慧が身を強張らせた。
己から半歩引く様子を桃は違う意味に取ったようだ。幾分照れたような笑みを浮かべ、短刀を手にする慧を警戒する様子も無く無防備に包みを手渡す。
「これ、前美味しそうに食べてたから‥‥良かったら、改めて」
本当に有難う、という礼と共に手渡された包みは甘さを伴う薫りを纏い、微かに温もりを慧に与えた。
にこにこと己を見つめる眼差しは、慧に命令を与えた風遊のものとは全く違う。
桃の笑みを見れば見るほど、胸に過ぎる『違和感』が大きくなるのを慧は感じた。
風遊の命を果たすには、鞘を抜き払い一振りするだけで良いはずだった。あるいは、この手で細首を捻れば容易い。
片手に短刀、片手に包み。
それぞれが慧の動きを止める重石であるかのように、重かった。
●観劇者
「これはこれは鬼公子の従者殿」
突然目の前に現れた風遊の姿に、巴は口元を扇で隠しながら微笑んだ。
倒すつもりである風遊の様子に、随分と侮られたものだと思ったが、それ位のほうが都合が良いと思い直す。
一方、風遊も隠すつもりの無い敵意に対し引く様子を見せない巴に小さく笑った。
「貴方のような一介の妖怪が私に勝てるとでも?」
巴の優雅なその所作と微笑みは何処の姫宮であろうかという雰囲気以上に、風遊の目には、余裕かあるいは気強い振る舞いにみえたのか‥‥手にある舞扇がゆるりと開く。
人の子が気にならないではなかったが、眼前に立つ風遊は早々に通してくれないようで‥‥開かれゆく舞扇を見つめ巴は瞳を細めた。
「‥‥時には演じ手となるのも一興か」
舞扇が閃くのと巴が呟きこぼすのと、どちらが早かったのだろう。
無音にも近い真空の刃が渦巻き巴に襲い掛かった。
けれどそれらは巴を傷つける事が出来ず霧散する。
否。
ふわりと巴を彩る艶髪が幾筋もはらりはらりと舞い落ちる。さながら散り行く花びらの如く、光を返し煌かせながら。
二妖の戦いをただ一対の瞳が見続けていた。
●降雷
突然の雷鳴が慧と桃の耳を打った。
はっと桃が空を仰ぐ。けれど見上げたそこに暗雲の影は無く。ただただ高く澄んだ秋空が広がるばかり。
慧が桃を隠すように前に立ったものだから、それ以上周囲を窺う事が出来ない。其処にふってわいた声。
「‥‥慧、てめぇ自分が何しようとしてるか分かってんだろーな? 風遊の命に背くってこたぁ、鬼公子に背くも同じだろ」
責める声に慧が身を震わすのが桃にも分った。
「慧のお友達?」
返事は無く、慧が桃と新たな声の主との間を別かつように立っている事だけが桃に理解できた事だった。
「人間なんざ敵でしかねぇんだよ! ‥‥優しくされた礼? はっ、お優しい綺麗事で。お前もいいのか? 人の魂狩り集めてる妖と馴れ合って‥‥」
闖入者の言葉に驚いて桃が慧を見れば、慧はどこか困ったような表情を浮かべていた。
慧と桃が何も返せずに居る間に、憎憎しげな感情を隠す事無く半妖の少年・藍は更に言葉を重ねる。
「だが次に会う時にゃ俺らを狩るんだろーが。俺の両親を殺ったみてぇに。人間は‥‥同じ人間の父者を平気で殺しやがった。母者が妖だった‥‥それだけの理由で。だからてめぇら人間は絶対に許さねぇ。退け、てめぇが出来ねぇんだったら、俺が代わりにやってやる!」
憎しみに満ちた言葉は鋭く桃の心を抉る。「人間を全て憎む」と藍は言う。
桃とて人が全て善きもの、妖怪が全て悪きものであるとは思っていない、その出生ゆえに身をもってその事実を知っているからだ。
だから純粋に向けられた慧の好意は信じられた。だが藍の言葉を信じるならば、慧の持つ短刀は自分へ向けられるべきものだったのだ。
奔流のように寄せられる害意に桃が符を手にする機が遅れた間に、続けざまに幾つモノ雷鳴音が響き、大地が揺れた。
けれど、雷がその身を焦がす事は無かった。
「慧!?」
「‥‥それ美味かったんだけどな」
慧の苦笑にも似た呟き。饅頭の包みは炭と化していたが、その手にある短刀は見事な意匠を損なう事無く慧の手にあった。
案じる声に小さく笑う慧の纏う水干は焼け焦げ、髪と皮膚が溶ける嫌な匂いが、周囲の木々が焦げ漂う生木の燃える匂いと混ざる。
言葉よりも雄弁な慧の態度に、雷では埒が明かぬと藍は腰に指した太刀を抜き放った。
慌てて慧に治癒符を用い呪言を唱える桃を押し返しながら慧も短剣を抜き、藍へと向ける。
「鬼公子様の命も大切。公子様のために必要なら魂は幾らでも集めよう‥‥でも、桃も大切だ」
「てめぇ‥‥」
ぎりりと藍が歯噛する。視線で殺せるものなら殺しているくらいの強い眼力に、常の慧であれば臆していたかもしれない。
下のものと蔑みも無く、使われるものでもなく、対等に向けられる気持ちは初めてだったから慧にとってはそれも大切だったのだ。
彼の中では矛盾無く並び立つそれらが、藍には理解できない。
「桃はここから逃げろ。生きるんだろ?」
背を押され、けれど桃は首を横に振った。
「あたしは弱いけど、友達見捨てる事しない!」
●演技者
のらりくらりと風の刃をかわし続ける巴に、風遊は業を煮やしたのか‥‥ぱちりと舞扇が閉じられる。
「これで終いか? 従者殿」
風遊の目的は巴を討つ事。だが、巴の目的は違う。
密かに飛ばした『蝶』より伝わる桃らの情報に苛立つ事もないではないが、ここで風遊の足を止めておければそれはそれで面白い結果になるかもしれない。
けれど、突然しゅるりと伸び迫った樹木らに、今まで変わることの無かった巴の顔が僅かに強張る。
「難儀してるの??」
舞扇が閉じられた――それが、新たなこの場への加勢者に対しての合図だったのだろう。
巴の身に追いすがる樹木を避け退ける間に、純白の少女・戀花が現れ縋る。戀花の問いかけは風遊へ向けてのもの。
絡み付く樹木らに巴は柳眉を寄せる。己の力を活かした風遊の刃を防いでいた盾とも言うべき結界だったが、それごと包まれては次の手に詰まる。
ただ巴を包む結界は未だ在ったはずだったのに‥‥。
「そなた樹妖か‥‥その力は‥‥」
驚愕の呟きは、結界が掻き消え戀花の接触を許してしまったことだった。
「そろそろ終わりにしましょう‥‥戀花、貴方の『能力』を試す良い機会では?」
風遊の手の中で開かれる舞扇を目にし、再び結界を巡らせようとした巴の顔色が変わる。
巴の笑みが消え、代わって妖しく笑んだのは浮遊だった。風遊と異なり、決して巴の衣を離す事無く縋る戀花は困った笑みを浮かべている。
「ごめんね? 逆らえないの、あの人が握ってるのは私の命だから」
「‥‥核を抑えられ従う身に甘んじるか」
冷たい声音で戀花を見下ろす巴に、真空の刃が幾つも降り注いだ。
添う戀花を避ける事無く、彼女らに‥‥。
●交わらぬかの世
藍の攻手が桃に向けられる事はなかった。慧が守り通したからである。
桃を前へ出す事を良しとせず、襤褸と果てた慧が在れたのは、何故か藍が太刀を収めその場を去ったから。
けれど藍が残した言葉は何よりも桃を傷つける――「そいつはお前が殺したも同然さ」という鋭い刃で。
「慧、しっかりしてね、今治すから‥‥敵じゃない、あたし庇って切られちゃって‥‥『人と妖は相容れない』、そんな事言わせない!」
込み上げる嗚咽を堪えながら、紫の勾玉を懐より取り出し、文言を唱えようとする桃の手を押さえ、慧は瞳で訴えた。
風遊の命に逆らった己に居場所は既に無いのだと。
「若い子なら戦う以外の方向見出せると思うし、死ぬの早いと思う」
首を横に振る桃に慧は小さく微笑んだ。
「饅頭、食べたかった、な」
ごとりと重たい音を立て、慧の手から短刀が零れ落ちた。
「あの妖の言葉が正しいのであれば、風遊が手を下せと言うからには‥‥何かあるのかしらあの娘」
朱陰の塔の築塔阻止時に知を得た桃が妖に会いに行くのを朋青が知ったのは全くの偶然だった。
鬼公子を倒すべく、側近の妖怪達の同行を探っていての事だ。
出来るならば姿を表す事は避けたかったが、万一の時には止むを得まいと思っていた彼にとって全くの誤算は、慧が桃を庇う――妖同士の仲間割れ。
己が力を貸すことで助かるのならば‥‥そう思いはしたが、朋青の見る限り慧は既に手遅れだった。
「それにしても風遊は何処に‥‥? ただ、三将以外にも未だ相応の妖怪が居る。それぞれ立場が違うようね。頭に入れておきましょ」
周囲に妖怪の気配はもう無い。雷を使う少年も、姿を現さぬ得体の知れぬ気配も無い。
「上手くすれば鬼公子への攻撃の手札になるような能力が‥‥あれば良いけど」
使われる事のなかった符を懐に仕舞い、朋青は踵を返した。
師である香月が桃の側に無い理由は知らないが、風遊が危惧する桃の能力をよりのばせるよう忠告しておこうかとも思いながら。
必ず倒す、そう誓った存在への切り札になりえるのならば、それくらいの労は大したものではないだろう。
藍が手を止めた理由。
弱き者はそれ故に臆病‥‥慎重とも言える。
人間の気配を察知した、というよりも、他妖の存在に気付いたのだ。
「人の童女がこうも無防備とは‥‥見ているこちらが落ち着かぬ‥」
豪奢な扇子を開いては閉じ。幾度繰り返しただろう‥‥手にあるそれに劣らぬ華やかで贅沢な衣装を身に着けた女の姿が、桃らから離れた場所にあった。
鬼公子の再来を快く思っていない鬼公子とは異なる勢力に与する妖怪――名を風夢という一妖。
見鬼の力を生まれながらに持つ桃は彼女にとって興味深い存在。その力で鬼公子らの弱点を見抜くことになるかもしれない。
香月たちと共に、風夢らにとって良い手駒にとなるので簡単に死なせるのは惜しい、と気に掛けてはいたが‥‥紅で彩られた唇を歪め彼女は笑う。
「あの童女の力‥‥上手く使えば良き手駒となろう」
ちらと彼女が一瞥するは、桃らが居る場所とは違うところ。その表情にほんの僅か忌々しげなものが混ざる。
その髪にはかつて桃のために失われた物に劣らぬ繊細な細工の施された櫛が綺羅と輝いていた。
●平行線
味方であるはずの戀花ごと斬り捨てに掛かった風遊に驚いた。
だが戀花の持つ力の特異性を思えば、驚くべき事ではなかったのかもしれない。
そもそも、鬼公子以外の存在など塵ほどに思ってもいない風遊であれば、戀花でなくとも斬り捨てていたに違いない。
「まあ、良い‥‥頃合じゃったしな」
遣わした『蝶』から桃の身が無事である事は知れた。
元より気まぐれで桃を助けるのであって、巴の立ち居地は本来「見守る者」であって、干渉者ではない。
それよりも今優先するべきは、傷ついた身を癒す事。
巴は本性の元へ急ぐべく、痛む身をおし地中に溶けた。
「追わなくていいの?」
「放っておきましょう。どうせあの傷では当分動くことなど出来ないはず」
戀花に問われ、浮遊は巴が姿を消した方を見遣った。
稀有な力の軌跡が残っている。その後も追えば追いつく事は叶わぬ目くらまし程度の術を施しているかもしれない。
妖種が何であろうと、女というものはそれ程に強かである事を風遊は知っていた。
無論、それは戀花とて同じであろう。元より、戀花と己を結ぶ縁は信などではないのだから。
風遊は胸を抑え息を吐いた。
袂内には戀花を束縛する由縁たる彼女の命の結晶が在った。
けれど、それ以上に巴が仕掛け残した術により与えられた傷が疼き抑えたに過ぎない。
衣の色から血の色は目立たぬとはいえ、相手に与えた傷を思えば痛み分けといったところか。
「大分手痛い目に合ったようだな」
戀花と風遊、二人しか居なかったはずの場に降りおちた声に戀花は驚き顔を上げた。
陽光を背に立つ男の姿が捉えられず、瞳を眇めた戀花に対し、風遊は頭を垂れた。
「迎えが遅くなってすまなかったな‥‥これでも雷老や焔真らが尽力してくれたのだが」
遅くなったと重ねる男の言葉に、戀花は慧の方に何かあったのかと思い至る。
「‥‥お待ちしておりました、公子様」
痛みを忘れたかのように傷ついた身を折り礼をとる風遊を見下ろす男は、3将が敬い風遊が妄信するほどの大妖にしては、居丈高な振る舞いではなく、大妖にしては酷く変わった表情を見せるのだと、戀花は知ったのだった。