赤ちゃんといっしょアジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
宮本圭
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芸能 |
1Lv以上
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獣人 |
フリー
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難度 |
普通
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報酬 |
0.8万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
10/25〜10/29
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●本文
「スケジュール、ほんとにずらせない?」
「先方には一度無茶を聞いてもらっちゃってるものー。これ以上は無理!」
「そうよねえ」
自宅のマンションのリビングで、困ったわねえとマネージャーと一緒にためいき。秋のやわらかな日差しの当たるソファの上では、生後十ヶ月の赤ん坊が、大人ふたりに見下ろされて上機嫌だ。親の心子知らず、とはこのことである。
彼女はかつてアイドルだった。数年前に結婚したのをきっかけに女優に転身し、何本かのヒット映画に出演して、今ではそこそこの知名度も得ている。
妊娠がわかって事務所に産休をもらい、無事に出産した息子の伸也は、このうえなく健康に育っていた。今は育児をしながら、徐々に仕事に復帰している真っ最中‥‥なのだが。
「代役とか‥‥」
「だめだめだめだめ。監督さんが、どうしてもアナタじゃなきゃ駄目だって言ってるそうなのよう。役のイメージにぴったりなんですって。出番は少ないけど重要な役よ、女優冥利につきるじゃない!」
「それはそうなんだけど‥‥この子はどうすんの、撮影の間」
事務所が急に持ち込んできた映画の仕事は、久々にやりがいがありそうな予感がしていた。だがいざ撮影ともなれば、おそらく数日はスタジオやロケ先で足止め、家には寝に帰るだけ。息子の面倒などとても見られそうにない。
「旦那さんは?」
「海外出張であと二週間は帰ってこない」
「ベビーシッターがいなかったっけ?」
「自分のお子さんが入院中じゃ、休ませないわけにいかないじゃない」
そろそろいい保育園がないかと近所を探していた矢先に、これである。間が悪いにもほどがある。二人でもう一度嘆息を落とすと、伸也は不思議そうに首をかしげてそれを見上げている。
いつまでも溜息ばかりついているわけにいかないので、マネージャーがまず先に顔を上げた。
「現場に連れてくしかないわ」
「連れていくのはいいけど、面倒見られるかどうか‥‥撮影中に泣き出されたりしたら、迷惑かけちゃうし」
「子連れで現場に来る役者さんって、たまにいるのよ? さすがに赤ちゃんは珍しいけどね。いざ連れていっちゃえば、手の空いてるスタッフとか共演者とか、取材に来てる記者さんとか、その場その場で結構誰かしらが面倒見てくれるもんよ」
「‥‥大丈夫かしら」
「大丈夫よ! もし万が一伸也くんに悪さする奴がいたら」
マネージャーは胸を張った。
「このアタシが責任をもってぶん殴ってあ・げ・る☆」
‥‥言い忘れたが、マネージャーは百八十センチオーバーの雲をつくような大男でありながら、言葉遣いも立居振舞いもこのうえなくオネエだった。
●リプレイ本文
裏方をつとめるスタッフたちが忙しいロケ現場に、おはようございます、という挨拶が聞こえ始めたら、それは役者たちが現場に入り始めた合図となる。芸能界ではどんな時間帯でも『おはよう』という挨拶が慣例になっているが、実際にはすでに時刻は昼近かった。
「おはようございまーす‥‥あら」
すれ違うスタッフに会釈した女優の都路帆乃香(fa1013)は、奥のほうに何人か人が集まっているのを見つけて足を止める。何だろうと近づいてみると、どうやら皆で見慣れないベビーカーを囲んでいるようだ。にこにこ覗き込んでいた美笑(fa3672) が、帆乃香を振り返る。
「あ、都路さん。見てください、ほら」
「あらあら」
ベビーカーの中で、まだ小さな赤ん坊が眠っていた。
撮影が本格的に始まれば、照明の熱もあってスタジオは暑いくらいになるのだが、今はまだ少し肌寒い。ちゃんと毛布で寒さ対策は万全、大人たちよりもよほど暖かそうだ。どうやら手の空いている何人かが、皆で寝顔を鑑賞していたらしい。かわいいですねえと帆乃香も口元を綻ばせ、しかしふと思い当たって首をかしげた。
「でも今回、赤ん坊役ってありましたっけ?」
「ああ、違う違う」
笑って帆乃香に首を振ったのは藍川・紗弓(fa2767)だ。
「子役じゃないんだ、この子。ちょっと事情があって‥‥」
言いかけた途中で、ベビーカーの中で赤ん坊が小さく声を上げた。しまった、と皆で起こさないよう息を詰めたが、無駄な努力だったようだ。目を開けて泣き声でむずかり始め、あらあらあらと帆乃香は声を上げる。
「ごめんなさいね。せっかく眠ってたのに‥‥」
「いや、どうせそろそろご飯の時間のはずだから‥‥クー、ちょっと抱っこしてあげて。用意してくる」
寝起きでぐずっている赤ん坊を劉葵(fa2766)に預け、紗弓は傍らの鞄からポーチを取り出して給湯室のほうへ走っていく。突然小さな生き物を抱かされた劉はというと、腕の中の子供をなんとか泣かせないよう軽く揺すったり、うろうろしたり。赤ん坊の機嫌がなかなかよくならないのを見かねて、黒影美湖(fa3594)が貸してくださいと申し出る。
「抱き方がよくないんですよ。こういう風に」
美湖が体全体をしっかり支えてやるように抱いてやると、泣き声が少し小さくなった。ほっと劉が息をつき、助かったよと礼を言った。それなりに名の知れた俳優の彼も、赤ん坊の世話となるとまた勝手が違うようだ。
「親戚の子を面倒見たことはあるんだけど、ここまで小さくはなかったしな」
「大変ですねえ、お父さんも」
事情を知らない帆乃香が笑顔で落とした言葉に、一瞬劉の笑顔が凍った。恋人の紗弓の手際が妙に手馴れていたことを考えれば、そう誤解されるのも無理からぬことかもしれないが、だが、しかし。
‥‥幸いこの後間もなく、赤ん坊の母親が打ち合わせを終えて我が子のもとにやってきたので、帆乃香の誤解はすぐ解けた。解ける前に紗弓が戻っていたらどんな事態になったのかという外野の思惑は、幸か不幸か当の本人たちだけが知らない。
●赤ちゃんと一緒
ミルクを飲ませている途中で助監督が出番を告げにきて、紗弓たちは名残惜しげに伸也から離れていった。どうやら人数の多いシーンであるらしく、他の出演者たちもぞろぞろと連れ立って現場のほうへ。するともしや‥‥と、巻長治(fa2021)は一瞬動きを止めた。
「‥‥私だけでこの子の面倒を?」
「私もいるわよ」
出番はまだ先らしいライカ・タイレル(fa1747)が、子供の母親から預かった鞄をチェックしつつ声をかける。紙おむつも粉ミルクも入っているのを確かめ、面を上げてちょっと笑ってみせる。
「今、もしかして途方に暮れてなかった?」
「いえ。この子の母親を起用するのが監督の意向である以上、この子の子守は撮影を円滑に進めるために必要なことだと了解しています。つまり仕事です」
「あ、そう」
子守にわざわざそんな大仰な理屈をつけなくてもよさそうなものだが、巻も日頃縁のない生き物を押し付けられて困惑しているのかもしれない。もっともライカとて、育児の経験などないのは同じことだ。だからこそ、
「さっき近くの図書館で、育児書なんか借りてきたんだけど‥‥見る?」
「参考のために拝見したいところですが、いま目を離すと危険なようです」
大真面目な大人たちのやり取りなどどこ吹く風で、伸也は座らされたベビーチェアの背につかまって立ち上がろうとしている。椅子から降りたいのだろうと推測し、ライカが床に下ろしてやると、腰かけている巻の足元まではいはいでやってきた。膝につかまってよろよろと立ち上がり、彼を見上げてあー、と意味不明のひと声。
「‥‥何の要求でしょうか。食事は先ほど済ませたはずですが」
「抱っこしてほしいんじゃないかしら‥‥多分」
お腹いっぱいで眠くなったのかも、というライカの言葉に、巻は仕方なく子供を抱き上げて膝に乗せてやった。眠ってくれるのならそれにこしたことはない。するとすかさず小さな手が伸びて巻の眼鏡を奪い取り、よだれのついた手で弄り回す。
「‥‥な、なるほど。眼鏡が珍しかったのね‥‥きっと」
「ライカさん。笑ってないで少しはあなたも‥‥!?」
肩を震わせているライカに抗議しようとして、巻は膝の上の生き物が何やらぶるぶると力んでいるのに気づく。まさか。まさかこれは‥‥?
笑ってしまった詫びのつもりなのか、汚れたおむつを替えるのはライカが申し出てくれたが、子守役をイルゼ・クヴァンツ(fa2910)らにバトンタッチする頃には、巻はぐったりと机に突っ伏していた。
「大人の相手の何倍も疲れます‥‥」
合掌。
「‥‥慣れてますね」
「そうですか? まあ、下に弟たちがいますから」
感心したようなイルゼの言葉に、美湖はにっこりと笑ってそう返した。伸也は少し離れたところから、壁につかまってよたよたとこちらへ歩いてくる。美湖が持っているお菓子が目当てなのだ。
「ほら伸也くん、もう少し! おいでおいでー」
主に遊び相手やあやし役は子供好きな美湖に任せ、彼女は赤ん坊の進行方向から危険物を除けてやったり、変なものを飲み込みそうになったら取り上げたりと、イルゼは危機管理的な役割に回っていた。自分は表情に乏しいせいか、どうも子供に怖がられることが多いと彼女は自覚している。
特に特別な玩具などは用意していなかったが、家庭では見かけることのない小道具類やメイク道具を見せてやるだけでも、赤ん坊には充分興味深かったようだ。なんでも珍しがる年頃ですから、というのは美湖の言である。口紅片手にレフ板に落書きしそうになったときは、さすがに止めたが。
「子供を抱えて芸能活動となると、大変でしょうね」
「初めてのお子さんですから、お母さんも戸惑ってらっしゃるんだと思います。ずいぶん育児書に頼っているようでしたし」
母親は手持ちの育児書にならって、十ヶ月で離乳を始めたようだが、美湖にいわせればずいぶん早い。本によって書かれていることはまちまちだし、個人差があるのですから気にしすぎもよくないですよと言うと、確かにそうねと目を丸くしていた。
「‥‥そういえば、もうすぐミルクの時間のはずです。それと私たちも、そろそろ昼食では」
「あ、本当ですね。ちょっと行って来ますから、その間よろしくお願いします」
イルゼの言葉に時計を見て、美湖は立ち上がる。
「私が行きましょうか?」
「ミルク作るの、慣れてないでしょう? ちょっと見ていてくださいね」
その通りなのでイルゼは口をつぐみ、伸也を受け取る。哺乳瓶と粉ミルクを手に美湖が行ってしまい、子供を抱いたままイルゼはぽつんと取り残された。赤ん坊は腕の中で、長くまっすぐなイルゼの銀髪をいじりまわしたり、引っ張ったり。
「‥‥帰ってきませんね」
「あー?」
「そんなに面白いですか、私の髪は」
「だあ」
意外と気が合っているんじゃないかと、たまたまそれを目撃した紗弓は洩らしたそうだ。
伸也にミルクを飲ませて自分たちも食事をすませ、出番に呼ばれた美湖たちに代わって、次の子守役は美笑と帆乃香。遊び相手の美笑がマペットの口をぱくぱくさせると、赤ん坊は何がおかしいのかけらけら笑っている。
何か困った事態が起こったら使おうと思っていた帆乃香のノートPCも、今のところは本格的な出番がなくて何よりである。だが目下のところの心配は、朝からまったく伸也が眠る様子がないことにあった。
「ミルクも飲んだし、そろそろお昼寝してもいい時間なんですけどねえ」
ふう、と軽く帆乃香が溜息をつくと、美笑が首をかしげる。
「環境が変わったから、一時的に興奮してるのかも‥‥このまま遊ばせていれば、そのうち疲れてくるんじゃないでしょうか」
「そのうちというと」
「‥‥そ、そのうちですよ、そのうち」
もし大泣きされて、撮影が中断しようものならことである。転びそうになったらダッシュで受け止め、退屈させないよう遊び相手も務め、抱っこをせがまれれば抱いてやる(しかも意外と重い)。泣きそうになると、おむつかミルクかそれとも何か別の事かと、美笑はおろおろ、帆乃香はそわそわ。この後まだ自分の出番が待っているのに、実はすでに結構消耗しているふたりである。
ちゃんとお芝居できるでしょうか‥‥と帆乃香が不安になりかけたとき、伸也が欠伸をした。
「あ、眠そうですね?」
「よかったー。はいはい、抱っこね」
帆乃香が母親に聞いた話によれば、やはり抱いてあげたほうが寝つきはいいそうだ。衣装が汚れないよう気をつけながら、よいしょと美笑が抱き上げる。眠気を誘うように軽く揺らしてやりながら、口をつくのは子守唄。
「わーらーべはみーたーり‥‥野中のばーら‥‥」
シューベルトだ。
子守用にと割り当てられた一室から、しばらく「野ばら」の歌声が細く長く続いていた。聞き入りながら作業をしていたスタッフが、歌が途切れたことに気づいて部屋を覗くと、美笑が赤ん坊と一緒にぐっすり寝入っていたという。
「美笑さんの出番が来たら、お化粧しなおさないといけませんね」
とは、苦笑いしながらの帆乃香の言である。
●子守終了
別れ際、当の伸也はすやすやと眠っていて、母親はしきりに恐縮していたようだ。母親の出番のあるシーンの撮影が一通り終わり、頭を下げた母親が撮影がマネージャーの運転する車に乗って去っていくのを見送って、ふう、と紗弓は大きく伸びをする。
「あー、子守なんて久々で疲れたあ」
昔は妹の世話をしていたという彼女だが、それも小さい頃の話。久々にやってみるとやはり大変だったようだ。
「お疲れ。あまり役に立てなくて悪かったな」
恋人の劉が差し出してくれた飲み物を受け取りながら、そうでもないよと紗弓は言う。
「劉の変な顔にウケてたじゃない、あの子」
「‥‥そうか」
とりあえず笑わせてみようと、劉自身も謎な身振りを加えたり変な顔をしてみせたりしたのだが、それをあらためて言われると、役に立てたとはいえ少々複雑である。
「それにほら」
ふといたずらっぽい表情になって、紗弓は言った。
「後学のためになったじゃない?」
「後学か」
そう劉はくりかえし、まあ、と視線をそらした。
「確かにいずれ、こんな風に我が子と遊ぶこともある‥‥かな」
「え」
いやどうかな、どうだろう、とつけくわえている劉が紗弓と視線を合わせようとしないのは、どうやら照れているらしい。見ているこっちが照れたぜ、などと誰かが後で口にしたかどうかはわからないが、皆がそう思っていたことは確かである。