ワルツ!アジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
宮本圭
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芸能 |
1Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
易しい
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報酬 |
0.7万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
11/08〜11/12
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●本文
「なんだと? もう一度言ってみろ」
ぎろりとこちらを睨んできた監督の鋭い眼光に、まだ若い助監督は震え上がりそうになった。
彼らは現在、明治時代を舞台にした映画の撮影の真っ最中。昨今の日本映画の台所事情では、衣装にもセットにも金がかかる時代物の作品は敬遠されがちだが、これは久々の良作となるのではと話題になっているそうだ。実際のところ、スタッフもベテラン揃い、キャストも皆実力派。何の問題もなく、撮影はスムーズに進んでいた‥‥今日までは。
「ですから」
蛇に睨まれたカエルのごとくびくびくと怯えた目をしながら、助監督は説明をくりかえす。
「主人公とヒロインが出会うシーン‥‥鹿鳴館のホールでワルツを踊るエキストラたちが、弁当が悪かったのか腹を壊して‥‥救急車で運ばれていってしまいました」
幸い主役やスタッフはエキストラとは別の弁当だったので、全員まとめて病院行きという最悪の事態だけは免れた。しかし運良く大当たりから逃れたエキストラもいるにはいるが、問題のシーンの撮影にはとても人数が足りない。
「気分転換にいつもとは別の仕出し屋の弁当を頼んだのが、逆に裏目に出ちまったなあ‥‥」
吸っていた煙草の紫煙を溜息と共に吐き出して、監督はいまいましげに髪をかき回した。
「あの、監督‥‥お、怒らないんですか」
「怒る? 誰が? 俺が? なんで」
逆に尋ね返されて失言に気づき、助監督はあわてて取り繕おうと慌てる。
「い、いや、別に監督がいつも怒るとか、すぐ怒鳴るとか言ってるんじゃないですよっ。でも昨日電話帳であそこの仕出し屋に注文出したのは俺だし、それで」
「‥‥弁当が悪かったのは弁当屋が悪いんであって、お前のせいってわけじゃねえだろ。もうそこには頼むなよ、主役が腹下したらまずい」
「は、はい」
「で?」
「は?」
「代わりのエキストラ、手配できてんのか? ワルツの踊れるエキストラはよ」
助監督の顔面から血の気が引いた。かわりに監督の顔に見る見る血が昇っていく。
「何もたもたしてやがる! 踊れれば誰でもいいからさっさと集めて来いッ!」
ただでさえ撮影スケジュールが押しているのだ。監督は『男女の数が合わなくてもいいからとにかく集めろ。この際女装でも男装でもさせて無理矢理人数を合わせてやる』とまで言ったらしいが、そんなことはエキストラたちはまだ知る由もない。
●リプレイ本文
鹿堂威(fa0768)の申し出に、監督はいい顔をしなかった。
作中で使うワルツの曲に、自分の演奏を使ってほしいというのである。威は元々クラシック畑の演奏家だったし、素養はある。返答を待つ威を前に、だが監督は厳しい目で彼を見た。
「兄さん、欲張っちゃいけねえよ」
「欲張る?」
おう、と言いながら、監督は灰皿で煙草を押しつぶした。
「ワルツのエキストラとして参加しつつ、演奏もしたいってことだよな? だがあんた、今回の日程の中でそんな余裕あんのか?」
「‥‥‥‥」
「どんな凄え芸術家だって体はひとつしかねえんだ。時間だって無限じゃねえ。ワルツも踊りたい、音楽も担当したいって欲張るのはいいが、どっちも中途半端になる可能性のほうが大きいんだぞ」
まして威は踊りに関しては素人だ。本来なら時間を目一杯使って、何倍も練習しなくてはならない立場である。群舞のシーンでひとりだけ音楽に合っていなければ画面で目立つし、背景たるエキストラがそれでは困るのだ。最初からエキストラではなくミュージシャンとして来ていたなら、また話は違ったのだが。
「ペアの相手のこともあるし、今回はワルツ一本に絞れや。もし別の機会に音楽家として来るなら、そのときは考える」
●ファーストポジション
レッスン室に通されたエキストラたちを待っていたのはにこにこと笑顔が優しいおばさんで、どうやら彼女が今回ダンス指導をしてくれる先生らしい。三月姫千紗(fa1396)らをはじめとする何人かがおずおずと、初心者なんですけど‥‥と申し出ると、ではまず基本からお教えしませんとね、とやっぱりにこにこ答えてくれた。
「時間がありませんから、早速支度しましょうか。あら、聞いていたより少ないですけど」
「あー‥‥ひとり、来られなくなってしまったみたいで」
参ったなあと、久遠・望月(fa0094)が頭をかく。
「まあ、そうなの。では本番では、あなたのパートナーは私がやりましょうね。はい、そこに並んで」
壁に鏡の張られた広大なレッスン室に、男女のパート別に分かれてそれぞれ一列に並ぶ。先生がラジカセのボタンを押すと、聞き覚えのあるゆったりとした曲が流れ始め、空野澄音(fa0789)が曲名を言い当てた。
「あ、聞いたことあります! えーと‥‥『花のワルツ』ですよね」
「はい、正解。有名な曲だよね」
得意げな澄音に、威が笑顔を向ける。ラジカセを止めた先生が軽く手を叩いて、エキストラたちの注意を集めた。
「本番で流れるのはこれだそうです。テンポのとりやすい曲ですし、基本さえ覚えればなんとかなると思います。皆さんはあくまでエキストラで、派手な技や複雑なステップで目立つ必要はないですからね」
それではみなさん、始めましょうか。
一時間ほどみっちりステップの練習をさせられたあと、十分ほどの休憩をはさんで、今度はペアを組んでの練習に入ることになった。パートナーのいない望月については、練習中まで先生が相手をするわけにはいかないので、すでにレッスンを済ませた別のエキストラを呼んで、練習相手をしてもらっている。
「望月さん。もっと背筋伸ばして、足元見ないで前を見て」
「は、はい。ワンツースリー、ワンツースリー‥‥」
ソシアルなど、高校の体育の授業でかじって以来だ‥‥と公言していた望月は、頭の中で反芻される三拍子を追うのが精一杯だ。それでも踊るうちにだんだんコツを思い出したのか、次第に下を見なくてもステップを踏めるようになってきた。まだ動きがぎくしゃくしているものの、ようやく体が足運びを覚え始めたのかもしれない。
上達が早かったのは、藤川静十郎(fa0201)と一角砂凪(fa0213)のコンビだ。
「ワンツースリー、ワンツースリー‥‥せ、静十郎さん、足踏んじゃったらごめんなさい」
「いえ、こちらこそ。なにぶん普段の舞とは勝手が違うので‥‥」
会話こそぎこちないが、砂凪は本業がダンサーだし、静十郎は歌舞伎役者ということで日舞の心得がある。『音楽を聞いて舞う』という基本中の基本ができているのだ。当たり前のようだが、これが素人にはなかなかできない。時折静十郎に普段の摺り足の癖が出るが、教わった基本はほぼ完璧にできていた。
「一、二、三、一、二、三‥‥」
一方の澄音・千紗組、これは男性の人数が足りないので女性同士のペアである。どちらも小柄だが、澄音のほうがやや背が高いこともあって、彼女のほうが男性パート。先ほどから千紗の腰をホールドし、いささか不器用に踊っている。
「えー、足さばきがこうで、‥‥一、二、三、一、二、三」
「澄音さん、腕が下がってきてる」
「あっ!? す、すみませんっ」
ソシアルといえば普通は男性がリードするものだが、あいにく両者とも踊りはほぼ素人に近い。かろうじて千紗のほうが幾分勘がいいのか、レッスンしているうちに多少慣れてきたようだ。至極真面目な表情でぶつぶつと『一、二、三』の呪文を繰り返す澄音を、どちらかといえば千紗のほうがリードしている。
威と踊りながら、そんな彼女たちとすれ違った横田新子(fa0402)が、それを見て澄音に声をかけた。
「空野さん、そんな怖い顔して踊ってたら駄目ですよー。笑顔で楽しくやらなきゃ」
その威・新子ペアのほうも、やっぱり女性パートの新子がリード役だ。もっともまだ顔から硬さのとれない千紗たちと違って、こちらは新子が、趣味程度に社交ダンスを嗜んでいるらしい。そのためか、足運びにも表情にもややゆとりがあった。
「鹿堂さんはミュージシャンですから、リズムを取るのはお手の物ですよね? それに合わせることだけ考えてくださいね。多少なら私がリードできますから」
「了解。ところでお嬢さん、俺の表情は大丈夫かな? 緊張してない?」
「いえいえ、充分ですよ。もう少し引き締めてほしいぐらいです」
「はは、ひどいなあ」
冗談を言い合う余裕もあったりして、一番リラックスしているのは間違いなくこの組だろう。
ひととおりのレッスンを終えたあと、衣裳部屋に行って衣装を選んだ。明治時代が舞台、それもダンスフロアのシーンだけあって、普段はまず着られない大仰な服が目立つ。女性は色とりどりのロングドレス、男性は軍服や燕尾服といった具合で、特に女性陣が騒ぎながら衣装を選んだ。
澄音は男性パートということで胸にさらしを巻き、華族の坊ちゃん風に仕上げてみたようだ。長い髪はまとめただけだが、遠景ならばまあ目立たないだろう。一方の静十郎は士官風の軍服を選び、青年将校という趣。
他の女性陣とはまた違う意味で、衣装選びに時間をかけていたのが新子で、
「ああ、よかったです‥‥私に合う衣装があって」
やや太め体型の彼女はそれが懸案事項だったようで、ほっとした様子。
衣装を身につけたまま練習室に戻り、リハーサルのさらに予行演習のような感じで、もう一度軽く練習する。高めのヒールに千紗が転びそうになったり、砂凪が慣れない衣装に気を取られあやうくステップを忘れかけたりはしたものの、最初に比べると大分仕上がってきたようだ。やはり衣装を変えると気分が違う。望月も今度は先生にリードされ、踊る姿が幾分様になってきた。
あとは本番で、と言い残して先生が帰っていったあとも、熱心な何人かは居残って練習を続けたという。
●ワルツ!
そして本番当日。
「一、二、三、一、二、三‥‥ターン‥‥一、二、三‥‥」
衣装に着替え撮影スタジオに入り、リハーサルも済ませてあとは出番を待つだけのこの期に及んで、片隅で澄音はやっぱり呪文を唱えていた。不安があるのは千紗も同じようで、二人ともステップをさらいながらきわめて真剣な表情だ。
「端役のエキストラが、NGなんて出すわけにはいかないもの。気を引き締めましょうね」
「は、はい」
千紗の生真面目な言葉に、かえって緊張の高まる澄音である。望月のほうも先ほど到着した先生とおさらいをしている。
「それじゃ先生、今日はよろしく」
「はい、よろしく。あまり固くならないでね。こんなおばさんで申し訳ないけど、恋人と踊っていると思ってやってみてくださいな。恋人さん、いらっしゃる?」
はあ、と曖昧に返事を濁した望月に、先生はにっこり笑った。そうして、本番! という助監督の声が、スタジオにこだまする。
カメラとライトに見守られながら、所定の位置につく。フィルムのピントはあくまで主役に合っているはずだ。広いセットの中で、エキストラたちは向かい合う。台本によると、長回しのカットのはずだった。監督から手でサインが飛んで、ペアは互いに寄り添いホールドの姿勢をとった。
ファーストポジション。
チャイコフスキーのゆるやかな曲が流れ始める。当初は音抜きで踊る予定だったそうだが、初心者が多いため、先生が本番も曲をかけるよう監督に話してくれたそうだ。あとで編集で音を差し替え、ガヤの音声やメインキャストの科白も吹き替えで挿入するらしい。
つくりもののダンスフロアに動きが生まれた。先陣を切ったのは望月だ。正確には先生だが、上級者のリードは自然で傍目にはリードと感じさせない。他の面々も、音楽の三拍子に合わせて彼らを追い始める。ワンツースリー、ワンツースリー。
「‥‥っ」
「す、すみませんっ」
緊張でうっかり相手の足を踏んでしまった砂凪が謝るが、静十郎は微笑したまま辛抱強く踊り続けた。些細なミスにすぎないと言い聞かせるように、ステップの崩れかけた砂凪をしっかり支えたまま丁寧にリードする。基本の範疇こそ出ていないが、滑らかないい動きだった。
砂凪も取り乱したのはほんの数小節で、すぐに調子を取り戻しヒールを鳴らしながらくるりとターンする。たっぷりしたドレスの裾がふわりと舞う。心が浮き立ってきたのか、微笑さえ浮かんでくる。
「なかなかいい感じだな。そう思わない?」
それを見ていた威が感心し、そのパートナーである新子もそうですねえと頷く。威はまだやや動きが固いが、新子がうまくフォローしていることもあって目立つほどではない。音声はどうせ差し替えられるので、小声でなら話していても特に咎められなかった。そもそも黙々と踊っているだけというほうが変だ。主役たちはホールの階段で芝居を続けている。
「先生もさっき言ってたけどさ、ワルツって、相手を恋人と思ってやるものらしいよ」
「確かに、そういう話はよく聞きますねえ」
「だからさ、ここは俺たちもひとつ‥‥」
「はい、ここでターン」
自ら『愛の伝道師』を標榜する手前、ここは頬にキスでもと企てていた威だが、それより先に進行方向をくるりと反転されてタイミングを逃した。女性にリードを許しているようでは、ダンス中に悪さをするなど夢のまた夢だ。
「一、二、三、一、二‥‥」
「澄音さん、視線上げて。その呪文もやめて、音楽よく聞こう」
「は、はい」
しっかり者の千紗の指示に澄音はあわてて口を閉じたりして、どっちが年上だかわからない。
じっと耳で弦のメロディを追いながら、できるだけ忠実にステップを踏む。ゆったりした旋律に取り込まれたのか、がちがちだった姿勢が次第にこなれてきた。技術はお世辞にも上手とはいえないが、それでもロボットみたいな最初の踊りに比べれば緊張が解けただけ格段の進歩である。
踊っているうちに静十郎たちとの距離が迫ってくる。タイミングを見計らい思い切ってターンする。すると向こうもほぼ同時にくるりと身を返し、砂凪と千紗のドレスがひらりとひるがえった。花のように。
「えへへ」
「なに?」
「ちょっと楽しくなってきました」
その澄音の言葉に、私も、と千紗も口元を綻ばせた。もう先ほどまでの呪文は必要なかった。なぜなら音楽はまだ続いている。
ワンツースリー、ワンツースリー。
「ね、本番終わったら、ちょっとだけ衣装貸してもらっていいですか?」
「いいけど、なんで‥‥ああ」
途中で察して、千紗が笑顔で頷く。
男装で踊るのも面白いけど、ドレスだって着てみたい。女の子ですもの。
監督のOKの声がかかっても、なんとなく止め時をつかめずにエキストラたちは踊り続けた。気を利かせたスタッフたちは音楽をそのまま止めなかった。チャイコフスキーの『花のワルツ』、彼らはとうとう曲の最後まで踊りきったというが、それは公開されるフィルムには出てこない裏話となる。