Pure Melody 失音アジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
宮下茜
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芸能 |
3Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
普通
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報酬 |
8万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
02/01〜02/04
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●本文
彼はクラスでも浮いた存在で、誰にも心を開くまいとしている姿が痛ましかった。
女性的な雰囲気のする彼の整った顔立ちは、いつだって不機嫌そうで無愛想で、それでも、僕は彼の心に存在を残したくて、彼にメモを渡した。
『何か困った事があれば、いつでも来て?電話だって、いつでもかけて来てくれて良いんだよ?』
彼は少し戸惑ったように視線を揺らした後で、その紙を受け取った。
小さく呟いた『有難う』の声は、今も耳にこびりついている。
‥‥あれは、今日みたいに雪の降る寒い日だった。
家で寛いでいた僕の元に掛かってきた、1本の電話。
『沖野?』
『香坂だよね?どうしたの?何かあった?』
『‥‥誰も、帰って来なくて』
『え?』
『今、お前ん家の近く』
小刻みに震える声にただならぬ予感を感じ、僕は彼にその場から動くなと念を押した後でコートを羽織って外へと駆け出した。
すでに日が没した町の片隅、小さな電話ボックスの中で彼の姿を見つけた時の事を、僕は一生忘れないだろう。
華奢な体を壁にもたれかけて、絶望のみを見詰めた瞳を空へと向けて。今にも壊れてしまいそうな、脆く儚い雰囲気の彼が、僕の姿を見つけたあの瞬間。
彼の中で、僕は絶対的な存在になった。
そして、僕の中で、彼は守るべき大切な存在になった。
今から十年近く前、僕も彼も、中学生の時だった。
彼は、僕以外には心を閉ざすようになってしまった。
特に女性は苦手なようだった。彼を残して何処かへ行ってしまった母親を思い出すのだろう。
今までは、それで良いじゃないかと思っていた。例え彼が女性を苦手でも、僕にしか心を開かなくても、僕に頼ってさえくれれば、僕は彼のために何でもしてあげた。
でも、それはエゴかも知れないと思い始めた時、僕の従姉妹の子からとある相談をされたのだ。
まだ高校生の彼女は、幼い頃からピアノを習っており、将来はピアニストになりたいと言っていた。
けれど、彼女は今、重大な悩みを抱えている。
先日の発表会で、極度の緊張のあまり曲の途中で指が縺れてしまったのだと言う。
シンと静まり返る会場、混乱する頭の中。それ以来、彼女は人がいる前でピアノを弾く事が出来なくなってしまった。
僕はその話を聞いた時、真っ先に彼の顔が浮かんだ。
彼の家にはグランドピアノがあった。彼女の練習場所にと、僕が交渉すれば彼はきっと首を縦に振るだろう。
そして、これは甘い期待ではあったけれど‥‥もしかしたら、彼ならば彼女の心の傷を取り除く事が出来るかもしれないと思ったのだ。
彼には人を癒す力があると、僕は何となく思っていた。言葉はぞんざいだし、僕以外には心を閉ざしているけれど、彼の言葉には嘘偽りはなかったから。
だから僕は、彼女を連れて彼の家を訪れた。彼は最初、僕の背後に立つ彼女に怯えたような瞳をしていた。
彼は、知らない人、特に女性に警戒心を発するのだ。僕の袖口を掴み、不安そうに僕と彼女を見比べている。
「奏、彼女は僕の従姉妹の弓ちゃん。怖がることは無いから」
「初めまして。平良 弓と申します。突然押しかけてしまい申し訳有りません」
「奏、弓ちゃんは僕の友達。分かるね?だから、君を傷つける事は無い。ね?」
不安そうな表情は崩さないものの、奏はやっと僕の袖口から手を離すと扉を大きく開け放った。
「散らかってるけど。適当に寛いでてくれ。お茶、淹れて来る」
部屋の中へとパタパタと走って行く彼の背中を見詰めながら、僕は彼女を振り返った。あらかじめ彼の事を説明しているとは言え、彼女の目には如何映ったのだろうか?
「凄く、綺麗な方ですね」
「口調はぞんざいだけどね」
僕のそんな言葉に苦笑した後で、彼女は可愛らしく小首を傾げた。
「確か、奏さんは大きな音が苦手なんでしたよね?気をつけないと」
そう。彼は、大きな音が苦手だった。大きな音がすると、途端に怯え、僕の存在を捜すようになった。
大きな音と言えば‥‥以前、僕と彼は些細な事で口論となり、僕にしては珍しく声を荒げた。
突然ふっと黙った彼に視線を向ければ、涙を流して何かを小声で呟いていた。唇の動きを見るに、彼は確かにこう言っていた。
『ごめんなさい、ごめんなさい。嫌わないで』
それ以来、僕は今後、何があっても彼に怒鳴ることだけはしないと硬く心に誓ったのだ。
「いつまで突っ立ってんだよ。お茶、冷めるぞ」
僕達は彼の言葉に、そっと部屋の中へと足を踏み入れた。
≪映画『Pure Melody 失音』募集キャスト≫
*香坂 奏(こうさか・そう)
少女のような儚い外見をしている。実年齢は23(外見年齢18〜23)
知らない人(特に女性)に警戒心を発し、常に閏の傍から離れない
言いたい事は容赦なく言うが、感情を上手く表せないために閏の感情に引きずられがち
→閏が泣けば奏も泣き、閏が笑えば奏も笑う
視線は常に下に向けられており、閏との会話のみ目を見て話す
『俺』『お前(呼び捨て)』ぞんざいな口調で話す。閏も弓も呼び捨て
大きな音が苦手で、何か傷つける事を言われると閏の姿を捜す
→その際一人称が無意識のうちに『僕』に変わる
*嘘をつく事が出来ない(お世辞なども言えない)
*沖野 閏(おきの・じゅん)
身長は高く、いたって普通の好青年。実年齢は23(外見年齢20〜25)
人当たりが良く、物腰が穏やか。奏を実の弟のように可愛がっており、過保護
『僕』『君(さん・ちゃん・君づけ)』柔らかい口調で話す。奏は『奏』弓は『弓ちゃん』
滅多な事では怒らないが、奏を傷つけた相手には容赦が無い
→頭に血が上り、一瞬自我を忘れる。その際一人称は『俺』に変わり、口調も乱暴になる
→ただ、頭に血が上っている時間は短く、すぐに自我を取り戻し冷静になる
*平良 弓(たいら・ゆみ)
可愛らしい外見の少女。実年齢は18(外見年齢16〜20)
将来ピアニストを目指しているが、現在人前で演奏が出来ない状況
頭の回転が速く、状況を飲み込むまでに時間が掛からないタイプ
柔軟性があり、優しい心の持ち主
『私』『〜さん』丁寧な口調で話す。奏も閏もさんづけ
・その他
奏と閏の同級生
弓の同級生 など
●リプレイ本文
「大丈夫だよ?奏を傷つけないから、ね?」
閏(星野・巽(fa1359))の言葉に、奏(玖條 響(fa1276))は軽く頷くと目を閉じた。部屋の中ではピアノの前に座った弓(阿野次 のもじ(fa3092))が楽譜に視線を向けたまま固まっている。
「ピアノ、何かまずいとこあった?調律はしてあるはずだぜ?」
弓に向けられた言葉だったが、その瞳は閏を見ていた。奏は、突然の客に愛想を振りまく事はしない。と言うより、出来ない。彼女にかける言葉は全て閏を通さなくてはならない。
「そう言うわけじゃなくて‥‥」
口篭った弓に、後は任せたと閏の肩を叩いて出て行ってしまう奏。弓が溜息をつき、鍵盤の上から手をどける。
「ここで少しくらいノンビリしても罰は当たらないし、遠回りにはならないと思うよ?」
だから、明日以降も来て欲しい。そんな気持ちを込めて言った閏の台詞に、弓が戸惑ったような表情のまま、上目使いに閏を見た。
「あの、ついて来てほしい場所があるんです」
白河 幸三(ケイ・蛇原(fa0179))のピアノ教室には、弓と同じ年頃の少女が2人、彼女の到着を待ち構えていた。
「弓、こちらの方は?」
雫(姫乃 舞(fa0634))が閏を見ながら首を傾げ、弓が簡単に説明を入れるとピアノの前に座る。彩(各務聖(fa4614))が奏に椅子を勧め、礼を言ってから座った時、弓の澄んだピアノの音色が響いた。
「私、弓の弾くピアノ、大好きなんです」
雫がうっとりとした様子で弓の音に聞き惚れ、弓の音には広い会場が似合っていると付け加える。
「でも、弓は‥‥」
「教室で弾けたって仕方ないじゃない」
彩が吐き捨てるように言い、雫がそんな彼女をたしなめる。
「弓が心配なのは分かるけど、そんな言い方しちゃダメよ。‥‥失敗は誰にもである。だから、気にしない方が良いって言ったんですけど‥‥」
「雫は甘やかしすぎなのよ」
彩りが唇を尖らせながら呟く。
「厳しいようですが、練習で上手く弾けるだけではだめです。‥‥貴方は何故ピアノを弾くのですか?」
幸三のそんな言葉が聞こえ、弓がシュンと肩を落としているのが見えた。
人前でピアノが弾けなくなった原因は、失敗そのものよりも、その時の周囲の視線だった。あの突き刺さるような視線を思い出す度、体が過剰反応をしてしまうようになった。
「そう言う事だったんだね。でも、教室では弾ける」
「あそこは、見知った人ばかりだから」
それまでキッチンに引っ込んでいた奏が、紅茶を持って戻ってくる。紅茶にはミルクがたっぷり入っており、マーブル模様を描いていた。
「奏、確かピアノ弾けたよね?もし良ければ、何か弾いて欲しいんだけど」
「いいけど、リクエストは?」
「特には。と言うか、あんまり詳しくないんだ」
閏らしいなとの言葉を残し、奏がピアノの前に座る。細く長い指を鍵盤の上に乗せ、すっと息を吸い込むと演奏し始める。
「幻想即興曲ですね」
重厚にして繊細な旋律。時折間違え、かなりのアレンジを加えての曲は、聞いている者を惹き込む魅力があった。最後の音を大切に響かせた後で奏が席を立つ。
「何箇所か間違えただろ?」
「別にいいだろ。楽しけりゃ音楽だ」
からかうように言った閏の言葉に、少しだけ頬を膨らませながら奏が答える。
「そうだね。音楽は、音を楽しむって書くんだから‥‥弓ちゃんは、楽しい?」
閏の問いに、弓は曖昧に微笑むだけだった。
どちらも、まさか相手だけしかいないとは思ってもみなかった。奏の部屋を訪れた閏の弟・茅(橋都 有(fa5404))はてっきり兄も居るものだと思っていたし、奏にしたって茅1人で来るとは思ってもみなかったのだ。そもそも茅は、あまり奏の事を快く思っていなかった。だからこそ、奏の怯えるような瞳を見て、今まで溜まっていたものが噴出してしまったのかも知れない。
「アンタ1人で立ち止まってんのは勝手だけどな、いつまで兄貴の荷物でいるつもりだよ!」
奏が怒鳴り声を苦手としている事を、茅は閏から聞いていた。それでも、一度溢れ出した感情は留まる事を知らない。声で、言葉で、奏の繊細な心を傷つけていく。奏がその場に崩れ落ち、頭を抱えて目を瞑る。
「ごめんなさい。ごめんなさい、嫌わないで‥‥」
「何をしている!奏が怯えているだろう!」
背後から聞こえた声に、茅が振り返る。不安そうな表情の弓がそれに続き、ひたすら謝罪の言葉を続ける奏に近寄る。
「兄貴も兄貴だ!心配だ可哀想だって、いちいち人の気持ちに介入して!兄貴はそれでよくても、じゃぁこいつは兄貴がいなくなった時どうやって一人で立つんだよ!」
閏の目つきが変わり、茅の胸倉を掴むと手を上げる‥‥が、怯えた奏を前にその手を振り下ろす事は出来なかった。
「‥‥兄貴のそれは、優しさじゃなく、ただのエゴだ」
奏を気にして手も上げない閏に、茅は寂しさと失望をない交ぜにした言葉を吐き出す。
「そんなの、僕も、分かってる」
(でも、どうして見捨てられる?小さく肩を震わせて泣いている奏を、どうして放っておける?エゴだと言われても構わない。確かに僕は、頼られる事を必要としている。‥‥頼ってくれるべき存在がなければ、僕は前を向いていけない。僕だって、弱い人間なんだ‥‥)
沈黙した場に、繊細な旋律が流れ出す。ゆっくりとした優しい曲。誰でも知っている名曲、エリーゼのために‥‥弾き手は弓だ。
「あ、俺‥‥何して‥‥」
ふっと、自我を取り戻した奏が顔を上げ、頬を伝っていた涙を袖で拭う。
「‥‥奏‥‥。茅、すまなかった。取り乱して‥‥」
「別に。俺も、少し言いすぎた。でも、俺は自分の言った事、間違ってると思わない」
茅はそう呟くと、踵を返して去って行った。
奏は紅茶を淹れると弓の演奏している部屋へと入っていった。突然の奏の存在に戸惑い、音が乱れ始める弓。
「茶、持って来た」
素っ気無く言った奏にお礼を言いながらお茶を受け取ろうとして、手が滑ってコップを落としてしまう。意外と大きく響いたガラスの割れる音に、ビクリと肩を震わせた奏が部屋から出て行く。
「奏、どうしたの!?」
廊下から閏の声が聞こえ、駆けつけた時には奏の発作は有る程度良くなっていたようだった。肩で荒い息をしながら閏に寄りかかった奏を見て、弓が頭を下げる。
「すみません!私がコップを割っちゃって‥‥」
「コップ?弓ちゃんも奏も怪我は?」
「いえ、大丈夫です。奏さんは‥‥」
ひらりと右手を振った奏に安堵の溜息をつくと、弓は少し迷った後で自分のトラウマの話をしだした。弓が言葉を継いでいる間、奏は閏の袖を掴みながら懸命に弓の事を見ようとしていた。
「閏に話してるの、聞いた。でも、この間は弾けてただろ?上手かったと思うけど。それに、いちいち人の視線なんて気にしてたって仕方ねぇだろ。いかに自分が納得できる音が出せるか、いかに楽しんで弾けるか、大事なのはそこだろ?」
人に聞かせるだけの音ではなく、自分にも聞かせてあげられる音を‥‥自分も、聴衆の1人なのだから‥‥
「あの、奏さんに閏さん。お願いがあるんですけれど‥‥」
知らない人を家に上げる事に躊躇いを見せていた奏だったが、閏が頭を下げれば簡単に折れた。現在奏の部屋には、幸三をはじめ雫と彩、弓の兄の駿(グリモア(fa4713))が来ていた。弓が人前でピアノを弾けなくなった事を心配していた彼は、それでも、弓にアドバイスは極力しないようにしていた。一人前のピアニストになるための、越えなくてはならない壁なのだ。自身もそうして、ピアニストとして生きて来たのだから。
丁寧に頭を下げた弓が、深呼吸をしてから鍵盤の上に指を滑らせる。幻想即興曲‥‥奏が弾いた、あの曲だ。心の篭った演奏は、聞く者を虜にする力があった。弓の顔に自然に笑みが浮かぶ‥‥最後の一音に指を滑らせ、そっとペダルから足を離すと立ち上がる。直ぐに湧き上がる拍手‥‥彩が弓に抱きつき、幸三が優しい笑顔を浮かべながら弓の腕前を褒める。少し安堵した様子の奏が、紅茶とお菓子を出そうと立ち上がった時、不意に扉が開いて茅が顔を覗かせた。ビクリと反応した奏から視線をそらし、ポツリと言葉を落とす。
「こないだ、悪かったよ。もう怒鳴んねーから」
「‥‥俺も、今まで閏に甘えすぎてたかなとか、思って‥‥その‥‥」
「お前に兄貴が必要なように、兄貴にもお前が必要なんだよ」
茅が苦々しい口調でそう言い「でも」と言葉を続ける。
「いつか『別れ』は来るんだ。絶対‥‥」
「僕も奏も分かってるんだよ、茅。だから‥‥少しずつで良い、焦らず、ゆっくり、僕以外の人にも目を向けよう?ね?奏?」
閏が優しい笑顔を浮かべながら、奏の頭を撫ぜる。奏がチラリと茅に視線を向け、目を伏せると小さな声で言葉を紡ぐ。
「‥‥とりあえず、茅、お前とは‥‥友達になってやっても良い」
「あぁ、ありが‥‥って、何でそんなイヤそうな顔してんだよ!」
「本当はヤだけど、閏がそう言うなら、仕方がないから‥‥」
そんな可愛くない言葉に、茅が盛大な溜息をつき、その様子を遠めに見ていた弓達が笑い出す。
どうやらまだまだ奏は僕の元を離れられないらしい。
それが嬉しくもあり、けれどいつか来る『別れ』を思うと寂しくなるのだった。