MARIAアジア・オセアニア
種類 |
ショート
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担当 |
小田切さほ
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芸能 |
2Lv以上
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獣人 |
2Lv以上
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難度 |
やや難
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報酬 |
3.7万円
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参加人数 |
8人
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サポート |
0人
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期間 |
09/13〜09/17
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●本文
謀反人・明智光秀の娘という迫害に耐え、関が原の合戦の折、石田三成の人質となることを拒み敢然と自害して果てた強き女性、細川玉子(洗礼名:ガラシャ)。彼女には、無二の親友がいた。彼女は玉子の侍女であり、玉子をキリスト教に目覚めさせ、生涯を通して玉子の心の支えでもあったと言われている。敬虔なキリシタンであったその女性は、清原いと(洗礼名:まりあ)。
その清原まりあが、今回の舞台のヒロインである。
舞台では、「本能寺の変」後、謀反人の娘ゆえ、隠れ里に隠棲しなくてはならなかった玉子が、細川家に再び戻るまでが描かれる。
玉子の美貌に目をつけた秀吉が、忍者を使い玉子を手に入れんと策を弄する。が、まりあは玉子を励まし、敢然とこれをはねつけるというストーリーである。
☆ストーリー☆
天正10年6月。「本能寺の変」からわずか9日後。
「父上が‥‥討たれた‥‥!」
父・明智光秀が織田信長を討ち、天下を治めたのもつかの間。羽柴秀吉に討たれ、謀反人として首を晒されたとの知らせに、光秀の娘玉子は青ざめた。
さすが気丈な玉子も、ふらりと崩れかかるのを、侍女頭・清原まりあは支えた。
「お方様、お気を確かに!」
だが、玉子への打撃はそれだけではなかった。
「玉子‥‥かくなる上は、すまぬがしばらくの間、姿を隠してもらわねばならぬ」
玉子の夫・細川忠興(ほそかわ・ただおき)は、勇猛果敢で知られた武将である。父の代から信長に取り立てられた経緯から言っても、いまや天下人たる羽柴秀吉に恭順の意を示さねばならぬ。光秀の娘を妻のままにしておくことは、とりもなおさず明智光秀を支持する意図ありと疑われる可能性がある。たださえ猜疑心の強い秀吉のことである。それを口実にお家取り潰しとなってもおかしくは無いのだ。
「兄上っ! この上さらに義姉上を傷つけるおつもりか」
忠興の弟・興元(おきもと)が兄をにらみつけた。
「そのようなことを言うておる場合ではない! 玉子の命を守るためぞ!」
大体そなたは弟の分際で、玉子に馴れ馴れしいではないか‥‥と怒鳴りつけたいのをこらえ、忠興は話を進めた。
美貌の玉子を溺愛し、弟や出入りの商人が玉子に会うのさえ嫉妬してやまなかった忠興にとっても、それは苦渋の選択であった。
表向き玉子を離縁し、平家の落人の里として知られる味土野(みとの)へかくまい、ほとぼりの冷めた頃、迎えに行くと、忠興は玉子を説得した。玉子も愛する忠興そして幼いわが子二人と離れる寂しさをこらえて承諾した。
だが、忠興にはひとつの危惧があった。いまや信長・光秀ののちに天下人となった羽柴秀吉は、以前から玉子の美貌を伝え聞き、興味を持っていた。
また、秀吉は流れ者の忍びを使い、武将たちの行動を探っているという噂もある。
もしかしたら玉子の隠れ里も、秀吉にまもなく見抜かれるやもしれない。たださえ玉子の美貌は有名である。まして、表向き忠興と離縁しているとくれば、秀吉にとり、これ以上の隙はない。
「まりあよ‥‥玉子がこと、くれぐれも頼む」
急いで玉子と共に、味土野ゆきの支度をするまりあに、忠興が頭を下げた。
「秀吉殿がもし、玉子を手に入れようとすることあらば、命を賭して守ってほしいのじゃ。玉子はわしの命。玉に裏切られるくらいならば、わしが玉を殺す」
忠興の激しい目の色に、まりあは心を打たれた。女が道具並みの存在でしかなかった時代に、こんな激しい愛を正室に向けた夫がいただろうか。
「夫婦の愛もまた、ぜうす様(イエスキリストのこと)の御心にかなう人の道。
それを邪魔するなど言語道断。奥方様を狙う悪しき者はこのまりあが近づけはしませぬ」
まりあは健気に言い切った。
「おお、頼む。玉子が無事戻りし折には、存分に褒美をとらすぞ。‥‥なれど‥‥もし、秀吉殿が強引に玉子をさらおうと図った場合に備え、いま一人、“すざく”と申すしのびを共の者にまぎれさせておく。そのようなことが無ければよいのじゃが‥‥」
公家の出身であるまりあは、心得程度に小太刀の使い方を学んでいた。
が、それを万一の場合には、人に向けねばならぬのかと思うと、さすが気丈なまりあも体が震えた。
(「ぜうす様、私にお力を‥‥」)
まりあは首から提げたロザリオを握り締め、そっと祈った。
一方。
秀吉は、気に入りの茶器で、一人うまそうに茶を飲んでいた。
いや、正確には一人、ではない。
この茶室、天井裏にやっと人一人、通れる程の通路がある。そこにいる「なにものか」と語っているのである。
「そうか、忠興め。さかしらにも嫁女を匿いおったか」
(「は。それも平家の落人の里に‥‥しかも家来衆数名の他、忍びをも警護につけている様子にございます」)
「忠興は男女の道にうといのう、“げんぶ”よ。手に入れにくいおなご程、欲しくなるものよ」
秀吉はにやりとした。秀吉が好む女は、身分の高い美女が多い。
秀吉にとり女は欲望の対象というだけでなく、おのが権力をより輝かせるアクセサリーでもあった。
それに。
秀吉は、忠興の端整な顔を苦々しく思い浮かべた。忠興は信長にどことなく似ていた。大胆にして精緻な戦略、気性の激しさ、面差しまでが‥‥。
(「上様には悪いが、上様のことは早う忘れたいものじゃ。いまやわしが天下、いつまでも『猿』ではいられぬからのう」)
秀吉はぺろりと心の中で舌を出す。玉子を手に入れれば、忠興を見下すことも出来る。
「まずは玉子殿に、存分な音もの(贈り物)を届けよ。ああ、まだ、わしからじゃとは言わぬがよいな。そして玉子殿の心が緩んだ隙を見て、四の五のいわさずさろうて参れ」
深夜。
“げんぶ”と呼ばれた影は、ひそかに大阪城を出て、味土野に向かった‥‥
☆募集キャスト☆
●清原まりあ(いと)‥‥玉子を慕う侍女。元は公家の息女。父の影響でキリスト教を信仰している。
●細川玉子‥‥細川忠興の妻。明智光秀の謀反により表向き離縁となり、山奥に幽閉される。かなり気の強い美女だが孤独に苦しむ。
※まだ洗礼は受けていないので「ガラシャ」は名乗っていません。
●すざく‥‥細川忠興に雇われた忍者。使用人に紛れて玉子の居所を守る。
●げんぶ‥‥豊臣秀吉に雇われた忍者。身分を隠して玉子に近づき、隙を見てさらおうとする。
※上記以外のキャストは確定しておりません。味土野の村人や家来衆など、自由に考案の上、ご応募下さい。ちなみに細川忠興は秀吉の手前をはばかり、味土野を訪れることはなかったようですが、忠興の弟・細川興元(ほそかわ・おきもと)は一度だけ訪れたとか。そのせいで兄の嫉妬を買い、のちに一時隠棲させられます。駄目だこりゃ。
※今回の舞台では、玉子が味土野に幽閉されたときから、約2年後、(あきらめた?)秀吉のとりなしで再び細川家に戻るまでが描かれます。
●リプレイ本文
山深い味土野に、輿をかついだ行列が現れた。
輿が静かに止まり、中から細川玉子(=藍川・紗弓(fa2767))が降り立つ。
「これがこれからの私の‥‥居場所」
それは今まで暮らしてきた城とは桁違いに小さな、粗末な‥‥城というより小屋と呼ぶべき建物であった。気丈な玉子も寂しさを隠せない。
「まあ、お方様のお好きな山百合がこんなところに」
と、侍女の一人、清原まりあ(=白井 木槿(fa1689))が、足元の花を手折りにっこりと玉子に差し出す。
「まりあ殿も私の侍女になったばかりに苦労することですね。貴女も元々は公家の息女、望まれて大名の正室になる道もあったというのに‥‥」
寂しげにもらす玉子の言葉に、まりあは大きな目をより見開いてかぶりを振った。
「いいえお方様‥‥父は公家出身とはいえ今は貧しい学者に過ぎませぬ。まりあもいずれ奉公に出るつもりでした。それに‥‥まりあはお方様が好きです」
「まりあ殿。今宵は京都の山に伝わる物語など聞かせておくれ」
京都育ちで、学者の父を持つまりあは、京都の故事や伝説に詳しい。まりあがくるくるとよく動く表情で物語るそれは、玉子の大きな楽しみのひとつでもあった。
「では私は、暖かいお茶をいれましょう程に。近くに岩清水が湧き出て下りまして、これが美味だそうです。山には、山ならではの楽しみもございますわ」
侍女の梅(=竜華(fa1294))がきびきびと小屋に入り、湯を沸かし始める。まりあも梅も、玉子の孤独を慮って忠興が選りすぐった、玉子のお気に入りの侍女であった。
もう一人の若い侍女、すずめ(=咲夜(fa2997))が玉子に茶を運ぼうとしたが、敷居につまづいて派手にこぼしてしまった。
「すっ、すみません、お方様〜」
「これ、すずめ殿!! 罰としてもう一度清水を汲んでおいで」
「えっ!? ひ、一人では重すぎますよぉ〜梅どの〜」
ようやく玉子の形のよい唇がほころび、くすりと笑い声が漏れた。
しばらくすると、村の名代だといういかにも人懐っこそうな若者・小太郎(=月鎮 律人(fa0254))が挨拶に来た。
「このような山奥ゆえ、色々ご不自由かとは思いますが、細川の殿様からは過分な土産の品を頂戴いたしまして‥‥」
「世話をかけますが、よろしゅうお願いいたします」
玉子も障子を開け放し、庭先でかしこまる小太郎に声をかける。
と、村人が玉子の姿を垣間見て、噂しあった。
「おぉ、噂どおり美しいのう」
「しかし謀反人の娘ぞ。さぞきつかろう。怖や怖や」
身内話のつもりだろうが、山の住人たちゆえ、地声が大きい。謀反人‥‥との声に、玉子がふと顔を曇らせる。玉子の警護についてきた家臣・百鬼(なきり)嶺友(=百鬼 レイ(fa4361))が館から飛び出し、詰め寄った。
「無礼者! 今、謀反人と言うたは誰じゃ! 立場をわきまえぬか!」
が、まりあはその脇からにっこりと笑いかけ、村人に無防備に近づいてゆく。
「ご安心くだされ。お方様はまっすぐなお方です。怖いお方ではありませぬ。こちらは家臣の百鬼様、若いながら居合いの達人。あちらにいる侍女衆は、右がお梅どの、機織がお上手なお方様のお気に入り。左は舞のお得意なすずめ殿。私は清原まりあと申しまする。以後よろしゅう‥‥」
「あ、はあ‥‥」
毒気を抜かれて村人達がどぎまぎしている。
「まりあ殿は大したお方だ‥‥」
再び館に戻ってゆくまりあを見送る小太郎から、そんな言葉が漏れた。小太郎の表情は、なんだかうっとりしているようだ。
◆
「かごの鳥を嫌うた義姉上が、今はかごの鳥か‥‥」
玉子の夫・忠興の弟、細川興元(=劉 葵(fa2766))は、城の庭に立って空を見つめ、吐息をついていた。許されぬと知りながら、玉子の面影が彼の脳裏に焼きついていた。美しさゆえではない。忠興の下に輿入れして来た時、忠興が美しい翡翠鳥(カワセミ)を玉子に贈った。その翡翠鳥を、惜しげもなく玉子は逃がしてやり、涼しい顔で言った。
「鳥は空で羽ばたいてこそ鳥ですもの。殿、お気持ちのみ嬉しゅう頂きまする」
気性の激しい忠興にものおじせぬその強さと優しさに興元は心を奪われたのだった。
兄・忠興は玉子の留守に、側室を迎えていた。玉子の不在による寂しさと、秀吉の目を晦ますため‥‥理解できたが割り切れぬ。澄んだ鳥の鳴き声が、どこかで響いた。
「翡翠鳥よ‥‥そなた、姉上が健勝におわすか見に行ってくれぬか」
興元は呟く。応えるように、鳥がひときわ高く鳴いた。
◆
村での日々は真に単調だったが、穏やかでもあった。時折、梅が「無礼者が私の湯浴みを覗き見いたしおりました!」と、村の若者数名を心張り棒で叩きのめしたり。
すずめが水汲みから走って戻ろうとして勢い余り、田んぼに転げ落ちたり‥‥ささやかな出来事はあったが。
玉子の姿には、やつれが目立ち始めた。まりあは懸命に玉子を元気付けた。
「お方様、もう少しご膳を召し上がりませぬと‥‥お戻りになった折、殿が大騒ぎなされまする」
「なれど秀吉公の残党狩りはことの他、苛烈であったとか‥‥忠興殿の妻にはもう、戻れぬやも‥‥」
「いいえ、お方様と殿様は強く惹かれあっておられる。心から愛し合うご夫婦であられまする。愛は何よりも強い力にございます。権力よりも財宝よりも‥‥」
それがキリスト教の教えであった。まりあが熱心に語るそれが、玉子の孤独な心に優しく沁みこんで行った。
また、孤児院の世話をしたこともあるまりあは、村の子供達にも気さくに話しかけ、慕われる。玉子もいつしかわが子の面影を重ねるようになっていった。着物や食料を惜しみなく与えもする。
「子供に山の寒さは厳しいでしょう。私の小袖を使い、この子達に下着を仕立てなされ」
玉子の慈悲に村人は驚き、喜び、「お方様は天女じゃ」と噂しあった。そして玉子を慕い、四方山話を聞かせに来たり、花を届けに来たりするようになり、孤独に沈んでいた玉子も幸せと感じるひとときすらあった。
(「これも、愛の力‥‥?」)
玉子の心に、本当に愛とは大きな力かもしれぬという疑問が生じ始めていた。
◆
季節はめぐり村に新しい顔ぶれが加わった。
玄の介(=鬼王丸・征國(fa0750))と名乗る商人であった。
「いやあ、商用での旅路で、路銀を『ごまのはえ』に盗まれてしもうての。道に迷って難儀しておる。すまぬがくじいた脚が癒えるまで、逗留させてもらいたいのじゃ」
逞しい壮年の男で、にこやかに振舞う。その上金はないが商品は在るゆえ、食物と交換してくれと、美しい櫛やかんざしを差し出すので、村の女達は一もにも無く玄の介を歓迎した。梅やまりあも、無邪気に玄の介の世間話を喜んで聞いた。
「ところで、梅殿達の館にはもう一人、女人がおられるようじゃな‥‥?」
「ええ、故あって隠棲しておられますが天女のようにお美しいお方ですわ」
梅が自慢すると、
「ほう、天女のようなとな‥‥せめて一目拝んで見たいものよの」
玄の介が照れくさそうに、頬をつるりと撫でながら笑うと、彼を囲む村人達も、楽しげに笑った。だが、誰も知らない。一瞬、玄の介の眼光が、刃のように鋭くなったのを。
◆
興元は侍女のお梅の方に便りを出し、玉子の様子を報せてくれるよう頼んだ。
(「兄上は秀吉公と側室のご機嫌取りに追われ、便りも出さぬとか‥‥それでは義姉上が気の毒すぎるではないか」)
兄への反発と、義姉への思慕がさせた行動だった。
「お梅の方様からの返書にございます」
従者が差し出す梅からの便りに綴られているのは、村での穏やかな生活。だが最後の一行を目にした時、興元の顔色が一変した。
(「山深い隠れ里に商人? ‥‥まさか‥‥しかし怪しい」)
兄に告げようかと一瞬迷い‥‥
(「どうせ秀吉公の機嫌を伺うばかり。その勇気はあるまい」)
暫くして、興元は旅立った。
◆
深夜‥‥
梅達と共に眠っていたまりあは、異様な気配に目を覚ました。
「お方様!」
梅とまりあは、玉子の部屋へ駆け込んだ。と、もがく玉子を抱えたしのび装束の男が、いましも庭へ飛び出そうとしているではないか。
「げ、玄の介殿!?」
信じられぬという声で梅が叫んだ。覆面の奥で笑っている目は、まさに玄の介であった。
「いや、しのび名は『げんぶ』よ。死人を増やしたくはなかったに‥‥なぜ目覚めてしもうたか」
玄の介は言い、玉子を抱えたまま刀を抜いた。
「明智の残党狩りか‥‥殺すなら、殺せばよい!」
玉子が凛と言い放った。
「いや殺しては秀吉公の機嫌を損ねるでな。奥方様には生きていてもらわねばならぬ」
「秀吉公の‥‥では私を側室に?」
「その通り。悪くはあるまい? 謀反人の娘として隠れ住むよりも、側室として栄華のおこぼれに預かる方が、の?」
げんぶは玉子の両手を細引き縄で捕らえていた。玉子の美しい顔に絶望がよぎる。
と‥‥まりあが、転がるようにげんぶの刃の前に飛び出した。
「お方様、お逃げ下さい!! 夫婦の愛を守るはぜうす様のお心にございます! ならばお方様にもぜうす様のご加護がありましょうほどに」
目を閉じ、肌身離さぬロザリオを握り締め、まりあは端然と刃の下に座った。
「うぬぅ‥‥ならば心ノ臓を貫くぞ!? 怖うはないのか!」
「死など怖うはありませぬ。キリシタンは、死ねば天国に参りまする」
「ひぃっ、まりあ殿!」
梅ががくがくと震えている。玉子がきっと顔を上げ、まりあの横に座った。
「まりあ殿、有難う。なれど、まりあ殿一人逝かせたとあらば、秀吉公はさぞこの玉を臆病者と侮るであろう。げんぶとやら、秀吉公にお伝えせよ、玉は殿以外の男に肌を許す位なら今、ここで死にまするとな!」
玉子は髪をあげ、細い首を晒した。げんぶが脅しに屈せぬ玉子達に舌打ちをした、その隙に‥‥
「ハッ!」
天井から宙返りで飛び降り、玄の介に切りかかった黒い影があった。
「す、すずめ‥‥!?」
刃の輝きに怯えて、へたり込んでいた梅が驚きの声を上げる。
忍者「すざく」の仮の姿が「すずめ」だったのだ。すずめ‥‥いやすざくは、するりと帯を解き、しのび装束となった。既に鎖帷子を着込み、鉄手甲に身を固めている。
「うぬ、小娘が! 忍びならば力ある者になびくが常道であろう! 秀吉公に逆らうか?」
「愚か者、お方様は誰よりもお強いわ! 殿様を想うお方様の愛は、たとえ秀吉公だろうと鬼だろうと打ちのめすことは出来ぬのじゃ! お方様には指一本触れさせぬぞ!」
すざくが切りかかる。と、げんぶが口から含み針を飛ばす。すざくはクナイを抜いて、針を叩き落し、素早く迫る。その時、庭先で声が響いた。馬のいななきも。
「義姉上! ご無事ですか!?」
「興元殿?」
「クッ‥‥失敗か。雲隠れと行くかの‥‥」
げんぶが素早く後退し、宙返りで外の闇に逃げる。
「こ、怖かっ‥‥」
あの気の強い梅が、泣きじゃくる。
「義姉上‥‥よかった、ご無事で」
興元は駆け寄り、玉子を支えた。
「興元殿‥‥ここへは、殿のご命令で?」
「いえ、私一人の‥‥」
興元は否定しようとして、口をつぐんだ。目の前にいる玉子の瞳は、興元の顔に向いていながら、興元を見ていなかった。興元の中にある、忠興の面影を探している‥‥
「はは‥‥仰せの通りですよ義姉上。兄はどうにか口実を設けて義姉上を呼び戻そうと、汲々としておられ、私を寄越されたのです。間も無う、兄の苦労も功を奏しましょう。今しばらく、朗報をお待ちくだされ、義姉上」
懸命に寂しげな笑顔を作り、興元はまた、ひらりと愛馬にまたがった。玉子が生気を取り戻し笑顔を浮かべたのが興元にとり、唯一の慰めであった。
興元はのちに玉子の子を養子として、目に入れても痛くない程愛したと伝えられている。
「申し訳ありませぬ。曲者め、逃げ足の速いヤツにございました」
げんぶを追っていた百鬼嶺友が戻ってきた。村人達も心配して起き出して来る。
「お方様、だいじょうぶ!?」
子供達が、心配そうに玉子を見上げる。
「心配はありません。そなたたちこそ‥‥夜中に驚かせて気の毒でした」
刃をつきつけられてもびくともしなかった気丈な玉子だが、その時初めて涙を浮かべた。
村人達のうち、まっさきに飛び込んできたのは、
「ま、ま、まりあ殿はご無事ですかっ!?」
寝乱れ姿の小太郎であったとか‥‥
また、事情を聞いた小太郎は、
「まりあ殿‥‥いやその、お方様と侍女殿達に何か在っては、村の名代たる俺の責任。百鬼殿は居合いの名人とか‥‥どうぞ俺に、剣術の手ほどきを!」
「おぉ‥‥このような山里に捨て置くには勿体無い心意気。よしきた、存分に鍛えてやろう! 腕が上がれば殿に進言し召抱えて頂こうぞ」
百鬼に弟子入りを願い、受け入れられた。百鬼はそれがきっかけで村人の中に溶け込み、時には農作業を手伝いさえし、大変に感謝されたそうである。
この事件のしばらくのち、玉子篭絡に失敗した秀吉は細川家の実力を改めて侮りがたしと見て、恩を売るためにも玉子と復縁するよう忠興にとりなすのである。
玉子はのちに洗礼を受け、敬虔なキリシタンとして生涯を送る。味土野での生活が彼女に何を教えたかは、詳らかにされていないが、この土地での2年ばかりの隠遁生活ののち、細川玉子は別人のように変わったと記録にある。
のちに清原まりあは、忠興の配慮で身分は低いが誠実な家臣と結婚し、キリシタン迫害を逃れ小倉へ移り住んだという。
伝えられる文書ではその家臣は「平田因幡」とされており、味土野の小太郎との関連は不明である。