ありふれた休日アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 小田切さほ
芸能 フリー
獣人 フリー
難度 難しい
報酬 0.9万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 06/02〜06/04

●本文

――その女性の名を、古館静香、という。
 彼女は、黒い目でじっと貴方を見据える。
 自分の要求に従うまではこの目で射すくめてやると言わんばかりに。
 なぜ自分を選んだのかと、貴方は聞いてみる。
 古館静香は、それが特徴の、感情のこもらないきびきびとした口調で告げた。
「たとえ年まわりや境遇がもっと役割にふさわしかったとしても、合わないタイプの人間と過ごすのは耐えられないわ。
 私が好きなのは向上心のある人間――人を見る目はあるつもりよ」
 いかにも一代にして財をなしたIT企業の女社長らしく、静香は落ち着き払った自信をこめて言い放った。
 それにしてもーー
 貴方は静香が持ち込んだ仕事依頼を聞いた時、唖然としたものだ。
 レンタル家族。
 静香の休暇のうち、3日間だけの間、静香の「家族」として一緒に休日を過ごして欲しいーーというのだから。
 静香は語る。
 高校を奨学金で卒業して、データ入力の仕事をこなすうちに、データ検索ソフトのプログラミング開発に成功し、わずかな貯金を元手に会社を興した。
 あふれる情報の中から必要最低限をもっとも分かりやすく、加工しやすい形で切り取ってくれるそのソフトは、彼女に巨万の富と、30代後半の若さで数千の社員を抱える「社長」の身分をもたらした。
 だが、裕福さの裏で、人知れず静香は大きな虚ろを抱えていた。
 彼女には両親がいない。死別、ではない。
 ものごころついた時から、静香は児童保護施設で育てられていた。
 他の子供には、「保育士さん」ではなく「お父さん」「お母さん」がいるのだと気づいたのは、施設から小学校に通うようになってからのこと。
 本当の両親に会ってみたくて、大人になってから手を尽くし、調べた。
 そして目にしたのは、無責任に遊び歩く大人になりきれない両親の姿だった。睡眠薬を幼い自分に飲ませ、二人して遊び歩いていたのが発覚し、静香が民生委員に保護されたのだということも、身につけたデータ検索技術のおかげで知った。
 その時、静香は自分から家族を「捨てた」。
「これからも家族なんか欲しいとも思わないし、作ろうと思うこともおそらくないでしょうね」
 静香は淡々と語る。
 では、なぜレンタル家族の依頼なんかを‥‥?
 しかもそれが専業の業者に依頼するのではなく、目をつけた芸能関係者個人個人に声をかけて。
 貴方は尋ねずにはいられなかった。
「ただ知りたいだけなのよ。――人を使う立場にある人間としてね」
 静香は「サイボーグ」と揶揄される、落ち着き払った端正な表情を動かさぬままに答える。
 起業以来、右腕と頼んできた社員が、「もっと家族と一緒に過ごしたいから」と退職届を出して来た。
 仕事の分担を変え、就業時間制度を作り直し、なんとか引き止めた。
 が、同じような行動をとるのは、その社員だけではなかった。
 優秀な社員に、豪華な海外旅行をプレゼントする社内企画を発案した静香に、他の幹部社員がこぞって反対した。
「今どきはそんな過密スケジュールで豪華な旅行をするよりも、近場でゆったりと家族で過ごす方が喜ばれますよ」
「そうそう。旅行した時こそ、生意気盛りの息子とゆっくり話せる機会だしね」
 わざわざ旅先へ行ってまで子供と「ゆっくり話せる」のがそんなに貴重なのだろうか。
 どうせ家族なんて、よほどのことが無い限り一生切れない縁だというのに‥‥
 だが事実、近場の家族旅行を優秀社員への表彰品に加えると、社員のモチベーションがかなり上がったのだ。
 そして‥‥
 静香の身の上に最近起こった小さな事件。
 親しくなった取引先の男性社員が、ある日静香に告げた。
「家族になろう」
 と。
 それは、プロポーズだった。
「私、家族はいらないの」
 言下に静香は答えた。
「お互いに、契約で縛り付ける必要がどこにあるの?
今までどおり、お互いを束縛しない程度のお付き合いなら続けられるけれど」
 彼はしばらく、沈黙した後に、ぽつりと呟いた。
「君は可愛そうな人だ」
 と。
 そして寂しげな微笑と共に、先ほどの言葉は忘れてくれ、と言った。

 私は理解したいだけ、と静香は重ねて言った。
 カ・ゾ・クがなぜそんなに大切なのか。
 私には、人の生き方を縛りつけ、仕事の能率を下げ、無駄な浪費をさせるだけの存在としか思えないのに、なぜ皆がそんなに「家族」のために大きな犠牲を払いたがるのか‥‥
 かりそめの「家族」と共に、ドライブやピクニック、映画鑑賞にショッピング。なんでもいい。
 よくある家族の、「ありふれた休日」を過ごしてみようと、彼女は結論を出したのだった。
 まるで、新しく開発されたコンピュータ言語を学ぶのとよく似たスタンスでーー

 静香が語り終えたとき、貴方の決意は固まっていた。
 レンタル家族のご依頼、引き受けましょう。
 貴方のその言葉に、静香が浮かべたのは喜びでも感謝ではなく、一つの仕事の契約が成った、という安堵感と達成感だった。
 だが、立ち上がりかけた静香は、ふと声を低めて囁いた。
「先ほど話したプライベートなことは、他言無用にお願いするわ」
 そして、ケリーバッグから何かを取り出そうとした。
 小切手。札束。その類のものだと、小さな音と気配から、貴方は察し、ひとこと告げた。
 静香自身が選んだ「家族」なのだから、もっと信用して欲しい、と。
「家族にそんな気遣いは無用」
 少なくともこれからしばらくの時間は、かりそめの「家族」なのだから。
 貴方がそう告げると、静香はぴくりと手を引っ込め、貴方をまじまじと見つめた。
「あら‥‥そ、そういうものなの‥‥?」
 その瞬間。
 静香は少しだけ、人間らしい表情を取り戻したように見えたーーー

●今回の参加者

 fa0877 ベス(16歳・♀・鷹)
 fa1463 姫乃 唯(15歳・♀・小鳥)
 fa1521 美森翡翠(11歳・♀・ハムスター)
 fa1683 久遠(27歳・♂・狐)
 fa2544 ダミアン・カルマ(25歳・♂・トカゲ)
 fa3764 エマ・ゴールドウィン(56歳・♀・ハムスター)
 fa5271 磐津 秋流(40歳・♂・鷹)
 fa5757 ベイル・アスト(17歳・♂・蝙蝠)

●リプレイ本文

「最初に謝っておくわ。私、いい母親にはなれないと思うの。この歳まで家庭を作ろうともしない人間だから。‥‥我慢してね」
 自宅のマンションで「長女」役の姫乃 唯(fa1463)、「次女」の美森翡翠(fa1521)、「長男」役のベイル・アスト(fa5757)との顔合わせをした後すぐに、古舘静香は最初から宣言してしまった。その方が不快な思いをさせずに済むと思ったから。
「大丈夫だよ! よろしくね、おかーさん!」
 と愛らしく元気よく、唯が人懐こく腕を絡めてくれたけれど、スキンシップに慣れていない静香は固い笑顔を返すのがやっとだった。
 すぐまた後に「母」役のエマ・ゴールドウィン(fa3764)達が訪れることになっていたので、皆で食事が出来れば和むかと、ちらし寿司を作ったのだが。
「何か、お手伝いすることない? 何でも言ってー。頑張るっ」
 唯が張り切って台所についてくる。
「このお野菜は千切りでいいですの?」
 静香に借りただぶだぶのエプロンを引きずって、翡翠が聞いてくれる。
「いいの。一人で大丈夫よ」
 一人で何でもするのが習慣になっているので、ついそう言ってしまう。がっかりしたような「娘達」の表情を見て、静香は自己嫌悪に駆られた。
 いつもの無表情と冷たい態度で、こんな小さな子まで傷つけてしまった。部下に指示を出すのとは訳が違うのに‥‥
「私‥‥やっぱり無理だわ。ごめんなさい‥‥報酬は払うから、レンタル家族の件は‥‥」
 静香は、ちらし寿司を混ぜる手を止めて言いかけた。 ぴんぽーん。
 ドアチャイムが鳴った。
「はあい!」
 唯が気を利かせて真っ先に飛び出した。
「おばーちゃん、いらっしゃい! 叔父さんやダミアンさんもベスちゃんも!」
 元気よく応対する「母」のエマ‥‥今は静香の母「恵麻」ということになっている‥‥が、ぎっしり中身の詰まっていそうな風呂敷包みを差し出す。
「あら、静香どうしたの? 貴女の好物のお煮しめと牡丹餅、持ってきたのよ」
 エマが「恵麻」として言った。だが静香は緊張性の頭痛を感じ始めていた。
「私‥‥もういいんです。家族を持つなんて、私にはたとえ芝居でも無理なんだわ」
「ちょっと‥‥いいかしら? しばらく母親じゃなくて素の「エマ・ゴールドウィン」として話させてもらうわね」
 エマは静香の肩を押して、隣室へ連れて行き、二人きりになった。
「貴女はいわゆるACなのね。子供らしい子供時代を体験できなかった‥‥そして母親の存在を理想化してしまっているのだと思うの。でも実際の家庭を思い描いてみなさいな。でも貴女もその年になって、色々人を見てきたでしょう? どんな人間にも欠点と長所がある。完璧な人間なんていない。完璧な母親もいないの。あるがままの古館静香でいてごらんなさい。ほんの短い間、おままごとをしてるつもりでね」
 訥々と諭すエマの言葉に、ようやく静香が冷静ないつもの顔を取り戻した。
「‥‥そうでしょうか‥‥」
「ええ、きっと大丈夫。さ、もう一度『家族』の休日、スタートね」
 エマが微笑した。

 静香の作ったちらし寿司と、恵麻の持参した煮しめと牡丹餅を広げて、賑やかな食事が始まった。甘党の静香は、遠慮がちながら牡丹餅をよく食べていた。
「お母さん、はい、あったかい緑茶ですの」
 事前に静香の食べ物の好みを聞いておいてくれた翡翠がお茶を淹れてくれた。会社の部下でも、気の利かないのがいて静香の嫌いなコーヒーを入れたりする。翡翠の心遣いは素直に嬉しかった。
「翡翠ちゃん、大きくなったね。お手伝いも出来るんだ」
 「従弟」役のダミアン・カルマ(fa2544)が大きな手で翡翠の頭を撫でた。
「あ、こ、こぼれますのっ!」
「姉さん、最近仕事は忙しいの? お肌、少し乾燥気味じゃない」
 「弟」役の久遠(fa1683)が、まるで同性同士のように顔を寄せて話しかけてきた。
「‥‥っ」
 思わず静香は身構えるが、「弟」は気にせず‥‥あるいはそう装って‥‥言葉を続けた。
「明日はショッピングでもどう? 気分転換に。ストレスはお肌の大敵だもんね」
「ね、ね、それより、せっかく皆集まったんだから、皆でゲームでもしない? トランプしようよ! ベスちゃんも、勉強は後にしてゲームやらない?」
 唯がはしゃいだ声をあげた。
「宿題済ませないと、遊ぶ気になれなくて〜。ぴぇ〜‥‥化学式とか、苦手〜」
 隅で教科書とにらめっこしていたベス(fa0877)が心底辛そうに言った。
「わ‥‥私は得意よ。よかったら、教えてあげるわ」
 目の前でただ画面が流れるように「家族」達の会話を見守っていた静香が言った。
「ぴゃっ!? ほんと? 静香さん、ありがとー!」
 ベスはカメラマン達が競って欲しがる飛び切りの笑顔を静香に向けた。
「家族」が集まって以来、どこかあやふやな表情だった静香が、やっと居場所を見つけた風に落ち着いた微笑を返した。
「教え方、上手いね」
 傍らで見ていたダミアンが静香に言った。
「昔から、勉強だけは得意だったの」
 友達は出来なかったけれど、と静香は心の中で続ける。
「ごめんなさい。せっかく遊びに来させてもらったのに頼っちゃって‥‥大体お兄ちゃんが全っ然教えてくれないからっ」
 ベスが恨めしげな視線をダミアンに投げかけつつ、謝るが、静香はそれはベスの思いやりだと思った。優しくいたわられるばかりでは、きっと静香が居心地が悪いだろうと思いやってくれているのだ。それに本来、一緒に暮らす家族とは、一方的に優しさを与えてくれるだけの存在ではなく、互いに支えあうものなのだろうから。
「静香さんはペットを飼ったりはしないの? 静香さんならきっちり躾けて可愛がれそうだし、仕事で疲れたとき、癒されると思うよ」
 誰かに精神的に頼ること、頼られることに慣れるためにも‥‥と心の中で続ける。
「私は優しくないから、きっと無理よ」
「そうは見えないよ」ダミアンが揺ぎ無い信頼をこめて言ってくれた。
 ふと、
「あの‥‥『父さん』は?」
 父親役で、同じくここにいるはずの磐津 秋流(fa5271)が気にかかり、静香は聞いた。
「ああ、何か用事があるからあとで合流するって言ってたんだけど‥‥」
 と、「母」の答えが返ってきた。
 
 同じ頃。磐津は、某電子機器メーカー会社の小さな応接室で、静香にプロポーズした黒木という男と向き合っていた。磐津は古舘静香の父親代わりだと名乗ってみる。そしてレンタル家族の件を話し、
「‥‥正直言って‥‥これはごっこだからな‥‥俺には何一つ権限はない‥‥だが、彼女が興味を覚えたのも君が一因のはずだ‥‥」
 静香の心境の変化を示唆してみた。だが、
「貴方のしていることはプライバシーの侵害になりかねませんよ。まして僕は彼女にとり私的な友人でもあるが、取引先の人間という公的な立場でもある」
 と、黒木はそれ以上の会話を拒否した。そして、最後に静香を気遣う言葉を残し、席を立った。
「今伺ったお話からすると、彼女は家族がどんなものか把握できていないのでしょう? そんな状態で結婚して新たな家族を作ろうとすれば、余計彼女は不安定になる。今はただ彼女の傍にいてやってください。彼女がまず「家族」を知るために」
 
● ソライロ
 結局、二日目になって盤津が合流し、ショッピングとその後ピクニックに出かけることになる。出かける準備だと、ベスが大きなビン底眼鏡を掛けて出てきたので、「一昔前のがり勉君みたい」と皆にからかわれる。
「ぴっ!? せっかく気を使って変装したのに〜」
 人気アイドルのベスとしては、下手に騒がれぬように気遣ったつもりなのだが、いや面白過ぎて余計目立つだろうとツッコまれ、半べそ顔になってしまう。恵麻がもっと目立たない変装はないかしら、と手荷物を探し、黒ハットを、静香はサングラスを貸し出した。
 色々世話を焼かせてごめんなさいとベスは謝るが、静香は根は結構世話好きらしい。
「もっと色の薄いタイプがあればいいんだけど‥‥確かこの辺りにあったわ」
 クロゼットをひっくり返しかねない勢いで探し始める。
「ぴ!? 日が暮れちゃうよ、静香さんっ!」
 ベスが静香を引っ張り出して、ようやく出発。
 お弁当の入ったバスケットやお茶の入ったクーラーボックスを、静香は一人でよいしょと車に運び入れようとして、ダミアンと久遠にひょいと荷物を奪われた。
「荷物運びは野郎に任せてよ。いくら一人で何でもやるのに慣れてるからってさ」
「そうそう。たまには姉さん孝行‥‥っ!?」
 華奢な久遠は荷物の重さでがっくり傾いてしまい、
「って、私の方がたくましいじゃないのっ!?」
 静香が久遠から荷物を奪い返した。和やかな笑い声が広がる。
 賑やかなショッピングセンターで、静香は思い切って、恵麻と末っ子の翡翠にプレゼントを買った。一度家族にプレゼントがしてみたかったのよ。そう静香が主張するので、二人も受け取ることにした。
 センターから車で数分のところに、海に面した広い公園がある。そこで、お弁当を広げることになった。
「あら、なんて甘い卵焼きなの‥‥これじゃ子供達の歯に悪いんじゃない?」
 静香の用意したお弁当に、恵麻が厳しく意見を述べた。実の母親ならそうするだろうと、愛情のこもった厳しさを示したつもりだ。
「そんなに甘いかしら? ‥‥あ、翡翠ちゃん、無理して食べなくていいのよ。虫歯になったら困るでしょ?」
 売れっ子子役なのだから、と静香が謝る。いいえ、と翡翠はおかっぱ頭の下から見上げ、
「お母さんの好きな卵焼き、作るお手伝い出来て嬉しいですの。あのね、もっとお勉強して、今は出来ない役でも演じれるようになりたいって思いは確かにありますですの。
けど、それとは別次元でお母さんみたいに仕事も家事も一生懸命な女性になりたいですの。それに‥‥卵焼きは失敗かもしれないけど、昨日のちらし寿司、美味しかったですの」
 にこりと笑った。静香はぎゅっとその頭を胸に抱き寄せた。自分でも思いがけない。アレルギーはないか、苦手な味は何か、幼い翡翠があれこれと気遣ってくれたことが嬉しかった。娘が本当にいたら、こんな母娘になれただろうか。
「小鳥さん、おいでおいでー♪」
 唯がお弁当の残りを小鳥に撒いてやっている。
 静香はベンチに座り、隣にいる息子の「煌華」‥‥ベイルは自分をそう呼んで欲しいと契約時に約束していた‥‥の髪と琥珀色の右目が陽光に透けるのを見ていた。
 少し素の自分で話していいかと「煌華」が言うので、静香は頷いた。
「この肌の色、異色の右目を恐れることなく、息子役に選んでくれたことを感謝したい。私の実の父は母が身篭った事を知るや捨てる様に失踪したそうだ。当の母と言えば、私を『化け物』と蔑み怖れていたよ」
 言葉を失って、静香は揺れる「煌華」の銀髪を見ていた。
「だが、貴女のお陰で家族と言う存在に対する価値観も変わりそうだ。あぁ、確かに。この一時だけは私の家族だったよ。ありがとう、母さん」
「いいえ‥‥私の方こそ。私、貴方の目はとても綺麗だと思ったから、選んだのよ。卑下することなんてないわ」
 静香は力をこめて言った。親に捨てられた、同じ傷持つ者の悲しみと共感をこめて。
 「父親」の磐津が、ぽつりと話しかけた。
「時に‥‥静香には気になる相手はいないのか‥‥?」
「気になる相手?」
 おうむ返しに聞いた静香は、レンタル家族の依頼時に話して以来、磐津がプロポーズのことをずっと気にかけてくれていたことに思い至った。
「結婚のことなら、今は考えていないわ。私はまだ、家族というものがやっと分かりかけたばかりだから。不安定なまま結婚すれば、私の性格ではきっと破綻すると思うの」
「そうか‥‥」
 磐津はほろ苦く呟いた。
「でもベスちゃんや翡翠ちゃん達と過ごしていて、気がついたの。私‥‥施設にいた頃から、小さな子の世話をするのは割りに好きだった。前から、施設に誘われているの。運営に協力してくれないかって。今、寄付も減って大変みたい。そう言う形で、子供達にかかわっているうちに、自分なりの『家庭』の形が見えてくるような気がするのだけど母さんはどう思うかしら?」
 傍らのベンチで静かにお茶を飲んでいる恵麻に、静香は尋ねた。
「そう‥‥あたしはお父さんと結婚して貴女達を産んで、いい家庭を築けたと思ってるけど。でもそれは今だから言える結果論。実際喧嘩もしたし、離婚を考えた事も片手じゃきかないわ。要は、自分で選んだ道を信じて進んでいけばいい。静香、それが貴方の見つけた幸せなら、きっとそれでいいのよ」
 恵麻が頷いてくれた。
 ごめんなさいね、強情に自分の生き方を通す私で。磐津に静香は謝った。
 小さな手がそっと静香の手を握った。翡翠だ。
「生き方は自分の考えでどうにでもなる、仕事よりも大事な存在がある、浪費じゃなくて大事な人の為に何かしてあげたいーー家族じゃなくて、友達でも恋人でもーー人間って、そういうものだと思ってます。その大事な人が、お母さんにとって同じ悲しい境遇の子供達だとしたら、今のお母さんの思いはきっと、幸せにつながると思いますですの」
 浜風が涼しく、「家族」の間を吹き抜ける。
「ぴえ〜、静香さんに借りた帽子がーっ!」
 ベスが、風に飛ばされる帽子を必死で追いかけている。
 皆、笑いながらベスを手伝って帽子を追いかけた。

 後日。
 新聞の見出しを、静香の名が大きく飾った。
「女性起業家古舘静香さん、児童保護施設に○千万円の寄付‥‥今後も施設の運営に全面的協力」
 貴方は静香の選んだ道に、心の中でそっと祝福を贈った。