女渡世人夜桜お銀アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 小田切さほ
芸能 4Lv以上
獣人 フリー
難度 普通
報酬 19.8万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 07/08〜07/12

●本文

 天明年間、江戸。
 本所深川町で、その事件は起きた。
 いわゆる、「押し込み」。夜更けに商家宅へ乱入し、一家全員を見殺しにして、金品を強奪する、殺人強盗である。
 被害に遭ったのは、海産物の問屋では土地随一といわれる裕福な「さくら屋」。
 まだ幼い丁稚から、穏やかな人柄で慕われた隠居までが斬り殺されたむごたらしい有様に、捜査にあたった火付け盗賊改め方(警察組織の実働部隊的な役所)の同心たちも顔を背けずにいられなかった。
 そして事件は、被害者の血で壁に描かれた「巴」印から、江戸の町を騒がせる凶悪な盗賊・「巴の京四郎」の仕業と知れた。「巴の京四郎」は、現場に必ず自分の象徴である巴印を残すのが特徴で、その挑戦的な犯行手口にもかかわらず、押し込み先を皆殺しにすることや、犯行後、煙のごとく消えうせる俊敏さ狡猾さで、捕まることはおろか、正体すら判明していない。
 だが、不幸中の幸いといおうか、「さくら屋」には、一人だけ、生き残りがいた。
 生き残ったのは、叔母の家に泊まりこみ作法見習いをしていた16歳の娘・お銀。
 一家皆殺しの知らせを受けて、急ぎ戻ったお銀は、悲しみにくれる暇もなく、時の火付け盗賊改め方(警察組織の実働部隊的な役所)長官・西垣一馬(にしがき・かずま)じきじきに呼び出しされた。
 さくら屋に京四郎の配下が奉公人として潜入し手引きしていた可能性はないか、等、手がかりを得るためであった。
 お嬢様育ちのお銀は、あられもなく髪を振り乱して西垣にすがりついた。
「お、おさむらいさま! お願いにございますっ‥‥なにとぞ、なにとぞ、あたしの家族を皆殺しにした憎い盗賊を捕らえて下さいませ‥‥あたしはそのためならば何でもいたします。わが命に変えましても、なにとぞ‥‥」
「ほう。わが命に変えても‥‥とな?」
 切れ者と名高い西垣の鋭い目が、お銀の魂まで穿ってしまいそうに見つめた。
「はい」
 青ざめた唇を引き結んで、お銀は答えた。

 数年後‥‥
「さあ張った、半か丁かっ!」
 江戸・麻布はずれの賭博場に、一人の美しい女博徒が現れ、賭場に来る渡り中間や渡世人たちの注目を集めていた。
 女でしかも若い故、賭けを見極める目も甘かろうと、胴元がいかさま賽を振りかけると‥‥
「なめるんじゃないよ! このあたしがその程度のいかさま、見抜けないとでもお思いかい!」
 その女博徒は、はらりと片肌を脱いで白い肌の上の桜の刺青を晒して啖呵を切った。
「よ、夜桜お銀だ」
 男どもが呻いた。
 夜桜お銀――
 その名は江戸の暗黒街で、畏怖の的となっていた。まだ若く美しい女博徒で、卑怯なまねをする者や、いかさまを働く者を二振りの小刀をたくみに使って叩き伏せると言う噂。
 と、からりと賭場奥の障子が開き、一人の男が現れた。こちらもまだ若いが、額の向こう傷といい、しなやかな体躯といい、相当の場数を踏んだ手練者と見てよさそうだ。
 江戸の賭場を仕切る親分、「はやぶさ十五郎」である。
「夜桜お銀さんとお見受けしたぜ。手下どもが無礼を働いたようだな。申し訳ねえ」
 十五郎は潔く頭を下げ、お前さんの気が済むように手下どもを殴るなりしてくれと申し出る。
「三下どもを殴ったところで、あたしの気が晴れるわけじゃあない。それよりも、手を貸してほしいのさ」
「どんなことでですかい?」
「何年か前、江戸の町を騒がせた盗賊『巴の京四郎』の名を知っているかい。今は鳴りを潜めているが、今にきっと、盗みで稼いだ金を派手に使いたくなるに違いない。このあたりの賭場で、金遣いの荒いやつがいたら、あたしに知らせておくれな」
「‥‥承知した。だが、なぜお前さんがそんな盗賊のことなんぞ、調べたがるんだい?」
 はやぶさ十五郎はいぶかしげにお銀を見つめた。
「それは、親分さんが知らなくてもいいことさ」
「‥‥そうかい」
 十五郎は、肩をすくめてそれ以上は何も聞かなかった。だが目の前のなぞめいた女に、強く興味を惹かれたことは確かだった。


「あっ! お銀お嬢様!」
 十五郎と別れ、江戸の町をゆくお銀を、手代風の、少年の面影が匂うような若い男が呼び止めた。
 一瞬、びくっと足を止めるお銀だが、そ知らぬ顔を装い歩き始める。
 初吉はお銀の後を追いかけて懸命に語りかけてくる。
「お嬢様、私ですよ。「さくら屋」の隣の藍玉問屋、「岩田屋」の手代の、初吉です。ほら、しょっちゅう番頭さんに叱られてさくら屋さんの裏で泣いていた‥‥お嬢様はよく、私を慰めてくださいましたね。おかげさまで、今年から一番手代になれたんです。お銀お嬢様に、あの時のお礼が言いたくて‥‥」
 だがお銀は、冷たく前を見据えたままで、
「田舎くさい手代なんかにお嬢様だなんて呼ばれる筋合いはないよ。こちとら、見てのとおり女だてらの無宿人さ」
「うそだ‥‥! あの時からずっと貴方を慕っていた私が見間違うはずはない! 貴方はお銀お嬢様だ‥‥そんな姿をなすっているのは何か訳あっての‥‥」
「うるさいねっ! 違うったら違うんだよっ!」
 お銀は振り切って、走り抜けた。
 もうあのころの、何も知らなかったお銀お嬢様には戻れないのだ、と自分に言い聞かせながら。
 火付け盗賊改め方・西垣一馬に出会い、その手先となって家族の仇である巴の京四郎を討つため、小太刀の技を叩き込まれた。
 裏の世界での情報を得るため、女博徒に姿をやつし、博打を習い覚え、刺青を彫った。
 さくら屋のお銀は、あの時家族と一緒に京四郎の手にかかって死んだ。
 今生きているこの命は、ただ仇を討つためだけにあるのだーー
 お銀は、くじけそうになる心を叱るように、低く呟いた。
 ◆
 同じころ、江戸・某所。
「そろそろ火付け盗賊改め方も、あきらめたことでしょう。次の大仕事を仕掛けたいものですね」
 『巴の京四郎』と呼ばれる人物は、手下を前に、そう語りかけていた。
「京四郎親分、次の仕事先は?」
「藍玉問屋の『岩田屋』がよろしいでしょう。奇しくも以前押し込みをかけた『さくら屋』の隣ですがね。そんな洒落た真似をして改め方を笑ってやるのも、ちょいと楽しかろうと思いましてね」
 『京四郎』はぬたり、と笑ったーー
 

☆舞台劇「夜桜お銀」募集キャスト☆
●夜桜お銀‥‥元は大店「さくら屋」のお嬢様だったが、一家を惨殺され、戸籍を抹消して火付け盗賊改め方配下の密偵(潜入捜査官のようなもの)となる。現在の身分は無宿人(=渡世人)。
●はやぶさ十五郎‥‥渡世人達の中でも腕が立ち、男気があり親分と呼ばれる存在。お銀に協力を求められる。
●岩田屋初吉‥‥かつてのお銀を知る、藍玉問屋「岩田屋」手代。お銀に淡い恋心を抱いていたらしい。
●巴の京四郎‥‥正体不明の凶賊。お銀の家族の仇でもある。

※キャスト不足の場合は、適宜NPC追加します。
※上記以外にも、お銀の協力者や京四郎の配下など、自由に考案の上ご応募下さい。

●今回の参加者

 fa0225 烈飛龍(38歳・♂・虎)
 fa0761 夏姫・シュトラウス(16歳・♀・虎)
 fa1339 亜真音ひろみ(24歳・♀・狼)
 fa1790 タケシ本郷(40歳・♂・虎)
 fa4354 沢渡霧江(25歳・♀・狼)
 fa5003 角倉・雪恋(22歳・♀・豹)
 fa5810 芳稀(18歳・♀・猫)
 fa5888 アンジェラ・ツツミ(25歳・♂・牛)

●リプレイ本文

☆舞台稽古の前に
 舞台監督は、俳優達の演技プランに目を通しつつ、苦笑を浮かべて注意を述べた。
「うーん。亜真音ひろみ(fa1339)君がはりきって色々演技プランを提案してくれたのはいいんだが‥‥時代劇舞台だから、一応時代考証からかけはなれた設定は通せなくてね。
 まず、君の役の若宮雪江は『お銀と同じ作法見習いに通っていた』とあるが、作法見習いは裕福な商家の子女が、武家屋敷あるいは武家屋敷奉公をしていた商家の子女に習うものであって、武家である雪江が商家に学ぶはずはない。お銀の叔母は、お銀が気軽に泊まりに行ってる点から見て、商人の妻かそれに類する身分だ。もう一つ、この役に君は幕府の剣術指南役という設定も提案してくれているが、『幕府』の剣術指南役に小太刀の流派が採用されることはまずないんだ。武士は刀二本差しが基本であり、小太刀はもともと刀の装飾品的なもので、小太刀の流派はマイナーなんだ。お銀が小刀を使うのは、隠し武器である必要があるのと、もともとはお嬢様育ちの女性で重い刀を振り回すのは無理があるからだ。そんな訳で台本は修正するが、がんばっていこう」

● 手がかり
 はやぶさ十五郎(=タケシ本郷(fa1790))の仕切る賭場に、怪しい男が現れた。服装も身振りも上品なのだが、目つきが異様に鋭く金遣いが荒い。
 十五郎のカンが、ただの男ではないと告げていた。十五郎は自ら壷を振り、男の様子を観察した。
「へへ、勝負は最後の一振りまで判りませんぜ」
 その一方、ひそかにお銀(=夏姫・シュトラウス(fa0761))に知らせをやった。
 お銀は表向き、女武道家・若宮雪江(=亜真音ひろみ)の家に寄宿している。銃五郎の知らせに勇み立つお銀に、雪江は言った。
「野暮な事は言わないがあまり無茶はするんじゃないよ。仇を討ちたい気持ちはわかるが、ご両親はあんたが生きているだけで、草葉の陰で喜んでいる筈だ」
 雪江は盗賊改め方・西垣一馬(=烈飛龍(fa0225))の親戚筋で、お銀に小太刀二刀流を教えた。仇を討つため命を削るように自分を鍛えるお銀に同情していた。
 お銀が岩田屋の前を通りがかると、待ち構えていたように初吉が飛び出してきた。
「お銀お嬢様! どこへ行かれます、そんな怖い顔をして」
「あたしはお嬢様なんて呼ばれる女じゃないったら!」
 振り切って、駆け出すお銀。見送る初吉に、岩田屋の奉公人の一人が呼びかけた。
「初吉さん、旦那さんがお探しですけど。おや、今の娘さん、お知り合いですか?」
「あのお方は、昔お世話になったさくら屋のお銀お嬢様です。なぜ渡世人なんかに身をやつしておられるのか‥‥」
「ふぅん‥‥さくら屋の、ねえ‥‥」
 奉公人の目が狡そうに光った。実はこの奉公人、巴の京四郎一味の配下で、引き込み役の幻面のお鏡(=芳稀(fa5810))である。
 ひそかに店を抜け出し、店の周囲を鳥追い女の装いで三味線を鳴らしながら連絡役として動いている、同じく一味の毒蛾(=角倉・雪恋(fa5003))に伝える。
「落ちぶれた姿でこの辺りをうろつくとは、頭でも探してんのかね‥‥健気に仇討ちでもする気かい」
「だけどしょせんはお嬢様育ちの箱入り娘じゃないか。返り討ちになるのがいいとこさ」
 毒蛾からお銀の生存の可能性を伝えられた京四郎(=アンジェラ・ツツミ(fa5888))はにやりとほくそ笑んだ。
「確かに始末したと思ったのですがね。まあいいでしょう。こういうことがあるからこそ盗みは止められないのです。じっくりといたぶりながら返り討ちにしてあげましょう」
 お銀が生きていたことと、盗賊改めの動きを結びつける者はいなかったのである。大店のお嬢様といえ、駆け落ちや勘当で身を持ち崩すことはある。ましてお銀の場合は一族を惨殺された上、身上すべて盗み出されたのだから、渡世人はおろか遊女となっていても不思議はない。単なる仇討ち狙いと思った一味は、お銀のあとを尾行したりと、その真の目的を探ることはしなかった。
 一方賭場へ赴き、十五郎のひそかな合図で、怪しい男を見つけたお銀は、
「いい賭けっぷりですねえ。肝の据わった男は、あたし嫌いじゃございませんわ」
 と、色仕掛けで酒場へ誘い込み、酔わせ、男の懐の中を探った。
 そこから出てきた絵図面は、さくら屋のお嬢様だった頃、茶会で招かれた時などに良く知っていた、岩田屋の見取り図に酷似していた。お銀の表情が強張った。
「大工でもない男が、大店の絵図面を持っている‥‥それにこの大金、もしや‥‥!」
 お銀は男につかみかかり、すべてを白状させたい思いを必死にこらえて、西垣に急ぎ知らせた。
 怪しい男には、早速お銀から西垣への知らせによって、火付け盗賊改め方の、連戦練磨の同心たちが見張りに付き、交代で尾行した。
 そして、男が岩田屋の奉公人‥‥お鏡と茶店でさりげなく落ち合い、なにやら語り合って別れるところを同心の一人が見届けた。
「大店の岩田屋に狙いを定めるとは、やはりあの男、巴の京四郎一味の者やもしれんな」
 報告を受けた西垣は、しばし黙考した後、言った。西垣の役宅で、部屋の隅で同心たちと共に話を聞いていたお銀は、
「相討ちになっても構いません、あたしを捕り方の手先に加えて下さいまし!」
 必死に頼み込んだ。
「お前の志はわかるが、お銀。私怨を晴らすためだけに先走れば、無関係な者まで巻き込む恐れがある。それに‥‥せっかく生き残った命、大切に生きようとは思わぬのか」
 冷静な西垣としては、出来れば犠牲を出すことなく京四郎一味が集結した時に一網打尽にしたい。優秀な密偵としてのお銀も大切にしたかった。
「それならば、あたしに岩田屋で待ち伏せさせてください」
 主張するお銀の気持ちを汲んだ西垣は同心達とお銀を引きつれ、岩田屋へ飛んだ。
 犠牲を少なくするため、岩田屋から、初吉をはじめ、奉公人や店主夫婦を盗賊改め方の役宅に匿うためである。
 奉公人として働いていたお鏡は、野菜売りの老婆に変装して逃げようとしたが、西垣達の眼はその挙動不審な姿を捉えていた。
 お鏡も巧みに変装はしていたものの、状況が状況だけに怪しまれ、手荒な同心達に責められた。
「さては盗賊の配下だな? 京四郎の居場所を吐け!」
「幻面のお鏡、なめるな!」
 きっと同心たちをにらみすえ、お鏡は歪めた唇から血を流し倒れた。
「舌を噛み切って秘密を守りぬいたか‥‥」
 西垣は倒れたお鏡の脈が絶えたのを確かめ、舌打ちして立ち上がる。京四郎一味は、お鏡の連絡を待っているに違いない。例の怪しい男が、今日もそ知らぬ顔をして店の前を通りがかるのを待って、西垣の指示を受けた町娘・お美和(=沢渡霧江(fa4354))がお鏡の代理を名乗って声をかけた。
「おじさん、なんだか知らないけど、お鏡さんって人がさ、『今夜決行』って伝えてくれって言ってたわよぉ♪ 私ぃ? ただの通りすがりよぉ。お銀さんは鰯に中って連絡に来れないから、代わりに来たのぉ」
 お美和は以前無法者に絡まれているところを西垣に救われて以来、西垣の連絡役や使い走りに役立ってくれる。
 お美和の偽伝言を受けた京四郎は、一味の手下と共に黒装束に身を固め、夜闇を待って、岩田屋にひそかに忍び込む。お鏡との打ち合わせ通り、表戸が内側から開かれ、京四郎達は音も無く忍び込む。だが、人の気配が無い。
 不審に思いつつも、屋内へと入り込む。と、無人の屋内で、いきなり奥の部屋の襖がパン! と開いた。
「どうだい? あんた達の為に、あたしが用意した舞台は」
 お銀であった。片肌を脱いで桜の刺青を晒す。
「夜桜お銀かーー」
「と、言っても今日は夜桜お銀として、あんた達に用があるんじゃない。あたしはさくら屋の娘お銀さ。殺された家族の為に仇を討たせてもらうよ」
 京四郎はにやりとした。
「やはり、そうでしたか。しかし一人であだ討ちに来るとは飛んで火にいるーー」
「残念ながら一人じゃない。お銀、お節介承知で加勢に来たよ!」
 駆けつけた雪江が、小太刀を抜いた。
「あら、生きのいいのが来たわねぇ」
 毒蛾が妖艶な笑みを浮かべつつ進み出た。甲賀忍びの末裔である毒蛾は、毒薬使いである。得体の知れぬ甘い香りを漂わせつつ、焦れたように毒蛾が挑発した。
「ねぇ‥‥まだなの? 早く獲物をいたぶりたいわ‥‥罠にかかった、哀れな虫けらのようにね‥‥」
 雪江が斬りかかる。と、毒蛾はかわしつつ、棒手裏剣を5、6本と乱れ投げた。
「目眩ましのつもりかい、こんなものっ」
 キィン! と小太刀で弾いた雪江だが、幾度も乱れ投げる毒蛾の棒手裏剣の、ひとつが腕にわずかな切り傷を作った。
「この程度の傷なんざ、かすり傷っ‥‥!? くそっ眼が、霞む、体が痺れて、くぁっ!ど、毒か卑怯な!」
 ガクリとひざを突く雪江。勝ち誇った毒蛾が哄笑した。
「ほほほ‥‥甲賀流の麻痺毒をとっくりと味わうがいいわ。そのうち痺れが全身に回って、いずれ死に‥‥っ!? き、貴様っ…なぜそれだけ動けたっ…!?」
 雪江がゆらりと立ち上がり、驚愕する毒蛾に隙が生じた。 雪江は傷口を自ら切り裂いて毒の混じった血を流しだし、一時的ながら麻痺の進行を遅らせたのだった。指先にしびれが残る雪江は、刀を手に縛りつけ、果敢に毒蛾に斬りかかる。
「来な、あたしはまだ生きている!」
 一気呵成に踏み込む雪江をかわしきれず、ついに毒蛾の喉元を小太刀が切り裂いた。
「あぐっ‥‥!? フッ‥‥まぁいいわ、地獄で貴様らが来るのを待っているから…」
 凄艶な微笑と共に倒れる毒蛾。しかし雪江も障子に寄りかかり、立っているのがやっとだ。
「雪江さん!」
 駆け寄るお銀を、雪江は叱咤した。
「お銀、早く京四郎のもとへ! 逃げられるんじゃないよ!」
 お銀は屋内から庭まで、必死に探し回った。
「このあまっ! 盗賊改めの犬だったのかい!」
 逆上して斬りかかる下っ端たちは、同心達の手で次々に捕らえられた。
 しかし下っ端たちも京四郎を守り激しく抵抗し、場は混乱のきわみにあった。
「おどき! そいつとの勝負は、あたしがつけなきゃならないんだ」
 お銀が進み出ると、京四郎も下っ端達を抑え、進み出た。そしてお銀の肩の刺青にある小さな痣を見て、不思議な微笑を浮かべた。
「これは奇遇だな。私と同じところに痣があるとは」
 お銀が激しく動揺した。自分には母親の違う兄がいると、生前に父に打ち明けられたことがあった。だが兄の生みの母たる奉公人は、自分の田舎で子供を育てると言って姿を消してしまったと。二人一緒に転んだ時のなごりで肩に同じ痣がある、それが目印だとも。
「まさか‥‥!」
 お銀は兄かも知れぬ京四郎に斬りかかることが出来ず、京四郎の刃を防ぐ一方となる。
 京四郎が、一気に距離をつめ、お銀の心ノ臓を狙って刀を振り下ろす。
(「兄さんだとしても、その罪は許せない!」)
 ためらっていたお銀の瞳の光が急に強さを増した。ギィン! 片方の小太刀で京四郎の刀を受け流し、もう片方の小太刀で京四郎の喉元ぎりぎりに突きつけていた。
「仇を討ちたいのはあたしだけじゃないからね。他の奴らの為にもあんたは公の場で裁かれてもらうよ」
 お銀の腕から血が流れる。受け流した刀の切っ先が、お銀の右腕深く切り裂いたのだ。
 承知の上での、お銀の捨て身の攻撃だった。京四郎が自嘲の笑いを浮かべた。
「‥‥負けた、か。まあ‥‥いいさ、ずいぶん血を流してきたからな」
「裁きを受けて、罪を悔いておくれな」
 お銀が低くつぶやいた。だが、京四郎の精悍な顔には、苦い笑いが浮かぶ。
「所詮‥‥私はごみのように捨てられた人間です。地獄へ行こうが良心の呵責など微塵も感じない。そんなもの、初めから私にはなかったのですから‥‥何も‥‥」
 京四郎は取り調べの上、獄門の刑に処せられ、お銀の復讐は終わった。
 のちの西垣の調べで、やはり京四郎はお銀の父・さくら屋利兵衛の庶子であった。
 生母が田舎へ戻ってすぐに亡くなり、叔父の家で下働き同然にこきつかわれ、悲惨な子供時代をすごしたと言う。その叔父夫婦を殺害して出奔したのが、京四郎の悪の始まりだったそうだ。だが、同じような貧しさ故悪の道に入った手下どもには、兄のように温かく接していたらしいとも、西垣はお銀に語った。
 罪人である京四郎のために、西垣が彼の墓を建ててくれた。
「お前の働きに免じて、これほどのことは許されよう」
「勿体のうございます」
 京四郎との戦いで傷ついた右腕を布で吊ったお銀は、深々と頭を下げた。
「長い間良く勤めてくれた。今日限りでお前はお役ご免だ。お前が思うように生きると良い。これは‥‥お前の命がけの働きからすれば少ないやもしれんが、お前の幸せのために使うがよい」
 復讐を果たし、恨みから解き放たれたお銀に、今一度普通の女の幸せをつかませてやりたかいと、西垣は5両もの大金をお銀に渡そうと用意さえしていた。思わず目頭が熱くなるお銀だが‥‥
「いいえ、あの申し出を受けた時にさくら屋のお銀は死んだのです。それに今更あたしだけ幸せになるだなんて虫のいいまねは出来ません」
 きっぱりと言い切った。
 しかしこのまま密偵として生きれば、悪どもの恨みを受け、いつまた自分が復讐されるとも限らないのだ。西垣は心配したが、お銀の決意は変わらなかった。
「強情な奴。しかし‥‥女ながら天晴れ、と言っておこうか」
 西垣はほろ苦い微笑と共に、お銀の決意を受け入れた。
「では‥‥市中見回りに参るぞ」
「はい」
 また新たな悪に立ち向かうため、江戸の闇に向かって歩き出す西垣に、影法師のように寄り添いながら、お銀も歩み始めていた。