聖女アユーラの憂鬱アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 小田切さほ
芸能 5Lv以上
獣人 フリー
難度 やや難
報酬 36.9万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 08/01〜08/05

●本文

☆舞台「聖女アユーラの憂鬱」あらすじ
 曇った空から、ぽつぽつと雨が降り始めた。
 濡れた体から冷たさがしみこんできて、あたいは激しく咳き込んだ。
 ここ数ヶ月、ずっとこの嫌な咳が止まらない。
 おかげで仲間のうちで一番稼ぎが悪いから、今日も母さんに殴られるんだ。
 この国のどこかには、お城に暮らすお姫様がいるってのに、同じ人間でもあたいはどうしてドブネズミみたいな暮らしなんだろう‥‥
「うっ‥‥」
 咳とともに、熱いかたまりがのど元にせりあがり、あたいは口にてのひらをあてた。
 ごぼっ。
 嫌な音とともに、かたまりは手のひらに落ちた。
 血だった。

 死ぬんだ‥‥
 あたいは、悟った。
 信じたくなかったけれど、それは冷厳たる現実だ。
 父さんも同じような咳をして、血を吐いて死んだのだから。

 ふわっと世界が揺れる気がして、あたいは道端によろめき崩れた。
「どうかしたのかい?」
 誰かが声をかけてくれた。
 立派な服装の、でも、とても優しそうな目をした男だ。
 あたいは、夢中でその人の服の裾にすがりついた。
「たす、けて‥‥まだ、死にたくないよ‥‥」
 あたいがいなくちゃ。
 あたいの妹は、あたいのかわりにかっぱらいやスリを覚えて稼がなくちゃならない。最悪の場合、あの幼い体さえ売らなくちゃならないんだ‥‥
 あたいがいなくちゃ、誰があの子を守ってあげられるのさ!
 どうか、神様!

 男の手が、あたいの胸元にのびた。
「なにするんだい!」
 あたいは弱弱しく抵抗しようとした。
「落ち着きなさい」
 男の優しい声。男はあたいの胸に、何か硬いものをあてがっていた。ひんやりして気持ちがいい。
 碧い宝石?
 まさか。こんなに薄汚れたあたいに?
 すうっと涼しい風が胸に吹き込んだ。咳がすっかり止まっている。
 体が軽い。それに、毛布にくるまれたみたいにあったかい。
「あんた、お医者様かい‥‥? お、お礼なんて出来ないけど、あたい、お掃除なら得意だから、お屋敷の庭お掃除でも‥‥」
 あたいはおどおどと男の表情をうかがった。
 それにしても、どうしてこんなに急に咳が止まっちまったんだろう。
 立派な服装のその男は、どう見ても貴族様なのに、どうしてあたいみたいな薄汚れた子供に、親切にしてくださるんだろう‥‥
「いや、いいんだ。それより少しの間、話をしないか? これを見てごらん」
 男は、懐から変わった形の十字架を取り出した。十字架に薔薇が絡みついた形。澄んだ銀色に光っていて、とてもきれい。
「お前は強い子だ。貧しくとも卑屈にならず、志を持っている。もし、どんな病気でも治せる力をもてたら、何をする?」
「妹の‥‥マリアンヌの体を丈夫にしてあげる。それから、父さんと同じ病気の人を、苦しい人から順番に治してあげる」
 あたいは答えた。
「思ったとおりだ」
 男はにっこり笑った。
 そして、薔薇十字をあたいの首にかけた。
「お前こそ、わが後継者にふさわしい」

 男は語った。
 自分は、聖なる癒しの魔法を使う秘密結社「薔薇十字団」の一員だと。
「だが、私は新たな使命のため、近々旅立たなくてはならなくなってね。
私の代わりに、この『賢者の石』を使って人々を癒してくれる人間を探していたのだよ」
「けんじゃの‥‥いし?」
「どんな病気でも癒す、万能薬だ」
 すごい‥‥! あたいが目を輝かせ、碧い宝石を手を伸ばして受け取ろうとしたとき、男は言った。
「ただし、お前は今日から、家族を捨て、別人として生きなくてはならない。
 家族と会っても、お前は見知らぬ旅人として、ただ病を治し、また別れをつげて旅立たなくてはならないのだぞ」
 あたいは迷った。
 マリアンヌと他人になる。
 だけど、一緒に暮らしたところで、マリアンヌの体は治せやしない。
 あたいはしっかりと男の目を見てうなずいた。
「お前、名前は?」
「シ‥‥シモーヌ」
「今日からはアユーラと名乗るがよい。聖女アユーラ、今日からは聖なる使命に殉じ生きるのだ。さあ、おいで」
 あたいは、男についていった。男の名前は、クリスチャン・ローゼンクロイツというのだった。

 男はあたいを、自らが泊まっている高級宿に連れてゆき、茶色だったあたいの髪にいい香りのする薬をふりかけて金髪に変えさせた。
 そして数日の間、あたいを同じ宿で暮らさせ、栄養たっぷりの食事を与えてくれ、いろいろな書物を読んで聞かせてくれた。おかげであたいは、少しずつ読み書きをおぼえた。まるで乾いた砂が水を吸い込むように。
 やせこけていたあたいの体は、見る見る丈夫にしっかりとしてきた。
 きっと、母さんが見ても、今のあたいは別人にしか見えないだろう。

 そして、ついにその日が来た。
「さあ、今日はお前の旅立ちの時だ」
 ローゼンクロイツ師は、新しい書物と、ペリカンの飾りのついた指輪を下さった。ペリカンは、「恵みを運ぶもの」の象徴で、薔薇十字団の聖鳥なのだそうだ。
「私は離れていても、いつもお前を見守っているぞ。わが後継者、女導師アユーラ」
 であった時と同じ、暖かい目。
「光栄にございます、わが導き手、ローゼンクロイツ導師。このアユーラ、未熟ながら精一杯、使命に殉ずる所存にございます」
 私は答えた。
 背筋を伸ばし、町へと歩き出す。
 もう私は、貧しく怯えた子供のシモーヌではない。
 

☆募集キャスト
●アユーラ(シモーヌ)‥‥スリを生業とする貧しい娘だったが、ローゼンクロイツに見出され、薔薇十字団の女導師となる
●ローゼンクロイツ(リプレイ上、ローゼンと略することもあります)‥‥薔薇十字団の開祖、偉大なる魔法研究家。100年以上生きてたという噂
●マリアンヌ‥‥シモーヌの妹。シモーヌが唯一心を許せた存在

 ※他、アユーラに救われる孤児や、恋に落ちてしまう相手など、自由に考案の上ご応募ください。
※キャスト不足の場合は適宜NPCが出演します。
※薔薇十字団というのは16世紀ころヨーロッパに発生したといわれる秘密結社です。といってもXではなくて。「賢者の石」なる魔法の万能薬で、無報酬で病人を癒すことを目的とした善の結社で、当時の最先端の科学者だった錬金術師たちの憧れの存在でした。
 が、薔薇十字団の実態がはっきりしないために、団員を名乗りサギを働いたりする輩が後を絶たず、うさんくさい目で見る人々もいたようです。
 結社のメンバーは後継者以外には正体をあかしてはならず、病人を癒した後は、たえず旅を続けてひとつところにとどまってはならないという掟がありました。
 結社についての詳細が判明していないところから見ても、掟への違反者は、何らかの厳しい制裁を受けたものと推測されます。
 パラケルススなどの有名どころの錬金術師が幾人かこの組織に所属していたといううわさもあります。
 

●今回の参加者

 fa0225 烈飛龍(38歳・♂・虎)
 fa0430 伝ノ助(19歳・♂・狸)
 fa0868 槇島色(17歳・♀・猫)
 fa0914 キャンベル・公星(21歳・♀・ハムスター)
 fa1521 美森翡翠(11歳・♀・ハムスター)
 fa4203 花鳥風月(17歳・♀・犬)
 fa4263 千架(18歳・♂・猫)
 fa4773 スラッジ(22歳・♂・蛇)

●リプレイ本文

☆語り
 聖女アユーラ様について話せと? いかにも、私はあの方に会うために、一人の少女と共に旅をした錬金術師、カリス(=伝ノ助(fa0430))です。あの方が去られてから、ずいぶん時がたちました‥‥

●マリアンヌ
 やせ細ったマリアンヌ(=美森翡翠(fa1521))は、裁縫仕事の布地を山ほど抱えて部屋に戻り、ふらふらとベッドに倒れこんだ。
「シモーヌ姉さん‥‥」
 寝言で姉の名を呼ぶ。激しく咳き込む姉の姿は、胸の病で死んだ父に似ていた。だから覚悟はしていた。でも‥‥死に目にも会えなかったなんて‥‥
 姉のことを思っていた為か、姉の夢を見た。碧い宝石を胸に当ててくれる。ふっと呼吸が楽になる。‥‥いいえ、夢じゃない! 少女は飛び起きる。
「‥‥姉さん! ‥‥あ、違う‥‥あ、貴方は‥‥?」
「アユーラ」
 いつの間にか部屋に忍び入っていた女は、目深に外套のフードをかぶっており、目鼻立ちはよくわからないが、姉にとても似ているように見えた。だがフードからは金髪がはみ出している。シモーヌなら茶色の髪。目をぱちくりさせて、少女は言った。
「あの‥‥姉さんはアユーラ様と同じ声と顔をしていたんです。違うのは髪の色だけ」
「そう‥‥私、もう行かなくては。これからも貴方らしくしっかりと生きてね」
「あ‥‥ま、待って!」
 追いかけようとするマリアンヌだが、部屋を出ると、女は魔法のように消えていた。
「ごめんね‥‥マリアンヌ」
 部屋を出たアユーラ(=槇島色(fa0868))はそっと呟いた。

●ハインツ
「癒しの聖女だと? ふん、くだらん。どうせまやかしだろう」
 ある町の支配者ハインツ男爵(=スラッジ(fa4773))は、執事が持ち込んだ町の噂をさげすみ鼻を鳴らした。領地内にある大きな川の橋を渡るための通行税でたんまり儲けていると噂の男爵に、信仰心など欠片も無い。だが、町を訪れ病人を不思議な力で癒しているという名高い聖女が金髪の美女と聞いて心が動いた。
「それほどいい女なら、見物する値打ち位はあるわけだな」
「だ、旦那様‥‥天罰が下りますよ!!」
「はん、天罰なんぞあるものか。神の奇跡もな」
 乗馬や狩で鍛えたたくましい肩をそびやかし、ハインツは遠乗りのついでに、物陰に隠れてアユーラを垣間見た。アユーラが今癒そうとしているのは、貧しい農婦マリー(=花鳥風月(fa4203))。見るからに疲れきり、肌も湿疹だらけで痛々しい。
「体が健康になったら、何をしたい?」
 アユーラは問う。
「恋に落ちて結婚して、家庭を築き、野良仕事をしながら子を産み、成長を見守り、そして老いて死んでいく、それが望みです」
 アユーラはにっこり微笑み、胸の宝石をかざす。見る見るマリーの肌は艶を取り戻し、歩き方も生き生きとして帰路に着く。男爵は驚嘆する。
「信じられん‥‥。あれ程苦しげだった患者の顔が安らぎ、顔色まで良くなるとは」
「でしょう? 旦那様もご寄進なすったらいかがで」
 同行していた妹・ヒルデガルド(=キャンベル・公星(fa0914))が遮った。
「それもそうね。でも、あの聖女を思いのままに動かせる手駒に出来たら、もっと素晴らしいご利益がありそうですわね、お兄様」
 ヒルデはその美しい顔に、兄顔負けの出世欲と物欲を隠している悪女なのだった。
「俺の妹だけあって、ヒルデは実に頭が切れるな。‥‥神の奇跡かそうでないかなどどうでもいい。病に伏せる貴族にあの聖女を紹介すれば、いくらでも恩を売ることが出来る。俺の出世のため利用させてもらうぞ」
 ハインツはにやりと笑い、ヒルデと何やら内緒の相談を始めた。

●カリス
 同じ頃。
 とある貧民街近くに居を構える錬金術師・カリスは、その住処が気に入っていた。人々は貧しく、時折ネズミに食料を食い散らかされるが、人々は彼を頼り好いてくれる。
 カリスは錬金術師を名乗ってはいるが、術師達の憧れである薔薇十字団員などとは程遠い。薬草の調合が得意なので、安い値でそうした薬を提供するのが、ささやかな彼の魔法だった。ある日、近所の仕立て屋のお針子であるマリアンヌがあわてふためいた様子で、熱さましを買い求めに来た。
「熱さまし‥‥そんなにたくさん必要なのですか?」
「ええ。おかみさんも仲間のアネットも皆、熱が高いの。おまけに体の節々が痛いんですって」
 間もなく、ひどい咳と熱と関節の痛みを伴うその病は町中を席巻する流行病となった。
 町の人々はカリスの下に押しかけ、この病気の特効薬を作ってくれと頼み込んだ。
「ま、待って下さい。私には無理です。ここ何日も、作ろうとしました‥‥この病に効く薬を。でも、出来なかった‥‥本当にすみません」
 がっくりうなだれるカリスの姿に、人々は不安げにざわめいた。と、噂好きな花売り娘が、甲高い声をあげた。
「アユーラ様がいらしたら、きっと治してくださるわ! 金髪に大きな青い目の、とても綺麗な方だそうよ。瞳と同じ色の宝石を持った」
「私‥‥その人に会ったことがあるわ!」
 おとなしいマリアンヌが大きな声をあげた。皆、驚いてマリアンヌを振り返る。カリスが叫んだ。
「そうだ、私は聖女様をお連れします! だから‥‥それまで皆、生きて下さい。残っている熱さましと痛み止めはすべて置いてゆきます。代価はいりませんよ」
 カリスは少女を振り返り、
「マリアンヌ、一緒についてきて下さい。 私はアユーラ様の顔を知らない」
「ええ。一緒に行きます」
 人々は知らない。頷いた少女の顔に、不思議な懐かしさがあふれていたのを。カリスが既にはやり病に感染しており、関節の痛みと咳をこらえていたのを。

●ヒルデガルド
 病人たちを癒しているうちに日が暮れた。さすがに疲れを隠せぬアユーラに、美しい貴婦人が歩み寄る。
「名高い聖女がこの町を訪れて下さるなんて、とても名誉に思いますわ。よろしければ、私達の邸でゆっくりと休んで下さいませ」
 貴婦人‥‥ヒルデに押し捲られ、アユーラはハインツ邸に一宿を取ることになった。
「貧しい人々だけでなく、貴族も病に悩んでおりますわ。その恩恵を、私達貴族に施していただけません?」
 ヒルデは言葉巧みにアユーラの関心を引いた。国の有力者たる公爵の娘の病身をアユーラに癒させ、公爵に恩を売ろうという計算だった。
「そうですか‥‥胸が痛み、起きて出歩くこともままならないと‥‥それはお気の毒ですね」
 アユーラはその病状を聞き同情した。ヒルデはほくそ笑んだ。
(「私達の家には、お金はあっても権力はない。お兄様には絶好の出世の足がかりだわ」)
 だが、いよいよアユーラを公爵家に連れて行こうと馬車に乗せると、薄汚れた旅人二人がその前に飛び出してきた。
「お願いです、アユーラ様!」
 両手を広げて叫ぶ青年は、カリス。その背後にいる少女に、アユーラの目は釘付けになった。
「どうぞお慈悲を‥‥アユーラ様」
 少女は訴える。
「まあ、迷惑な‥‥お嬢様の病気は一刻を争いますのよ」
 ヒルデは無情に御者を急がせ、馬車は走り出した。だがヒルデは横目に、アユーラがいつまでもマリアンヌを振り返っているのを捉えていた。

●ステラ
 透き通る肌をしたまるで人形のような少女が絹の寝台に横たわる。
「こちらがステラお嬢様ですわ」
 ヒルデの紹介で、アユーラは歩み寄る。贅を尽くした公爵邸に貧しい身なりで入って来たが、家具の品定めも気後れもしないアユーラが、ステラ(=千架(fa4263))は一目で気に入った。
「わたくし‥‥いつま‥‥で、生きて‥‥いられ、ますの」
 弱弱しく尋ねるステラの手を握り、アユーラはそっと胸に賢者の石を押し当てた。
 不思議そうに目を見張っていたステラは、やがて怪訝そうに瞬きをしながら半身を起こした。
「え? 苦しく‥‥ない。わたくしの病気‥‥治りましたの?」
「まあ‥‥ステラ!!」
「お嬢様が!!」
 公爵夫妻と使用人たちが、一斉に感嘆の声をあげた。すぐに邸を辞そうとするアユーラを、ステラは必死で引き止めた。
「命の恩人を、ただで帰らせるわけには参りませんわ。私、恩知らずではありませんことよ。どうぞ、この邸でゆっくりとお疲れをおとりになって‥‥」
 初めて得た、心から好感の持てる友人、しかも恩人なのだから当然といえた。公爵夫妻も大はしゃぎで、アユーラのための園遊会を催すからと引き止めた。
 だが、内心アユーラは困った。疲れた旅姿の妹が目に焼きついている。
 鴨やプディングなど贅沢な料理が並んだ宴の後、妹を想い、窓の外を見てため息をつくアユーラに、ステラが不思議そうに尋ねた。
「どうしてその様なお顔をなさいますの?」
 幼い頃から、モノに満たされた生活こそ幸福なのだと教え込まれたステラには、贅沢な宴の後の寂しげな彼女の様子が理解できなかった。
「私‥‥もうお暇しなければ」
「いや! そんなこと仰らないで。私‥‥健康になったから、きっともうすぐ結婚しなくてはなりません。身分の釣り合いだけで選ばれた、好きでもない殿方と‥‥せめてそれまでは、お友達と楽しく過ごしたいの」
 ステラはかぶりを振って、アユーラの胸にしがみついた。モノに満たされながら心は満たされない、ステラの孤独を初めてアユーラは理解した。突き放すことも出来ず、妹を心配して焦るアユーラは、
「温かい家、食事‥‥きれいな宝石、何がお望み? 貴女のためなら、どんな物でも用意してみせますわ」
 と、親切そうに振舞うヒルデに、あの時の少女はどうなったのか調べて欲しいと頼んだ。ヒルデは引き受け、下町の安宿に泊まっていると教えてくれたが、
「“あの子” ‥‥貴女はずいぶんと気にかけているようだけれど‥‥?」
 意味ありげにヒルデに探られ、アユーラの肩がぴくりと動く。
「“あの子”の暮らしを、保証して差し上げる。代わりに私達の言うとおり、その癒しの力を使って頂きたいの。悪くないでしょ?」
 悪魔の囁きをヒルデはアユーラの耳に吹き込んだ。だがその時、領地の見回りに出ていたハインツ男爵が慌てて邸に戻り、告げた。
「ヒルデ、大物の客がお越しだ! わが領地の橋を渡ろうとなさっていたのを俺が目に留め、お連れした! いいな、手厚くもてなすのだぞ」
 アユーラはその客を見て、驚いた。師のローゼンクロイツ(=烈飛龍(fa0225))だ。
「ドイツの大貴族ローゼン様‥‥! 錬金術師としても名高いお方ですわね!?」
 ヒルデも声を上ずらせる。アユーラとすれ違いざま、ローゼンはそっと耳打ちした。
 今一度己を問い直し、己がどうすべきか考え抜いてみる事だ。答えはその中に自ずと現れよう‥‥
(「私のなすべきことはーー」)
 何かふっきれた表情のアユーラを尻目に、ローゼンはもてなしの礼にと、兄妹に大きな宝石の指輪をひとつずつ与えた。狂喜する兄妹は早速はめたが、途端に宝石は色あせ、指輪がきりきりと締め付ける。
「ああ、いい忘れておったが、その指輪、貧しき者に絶えず施しをせぬと美しく輝かぬし、一生取れぬ魔法の指輪なのだ」
 兄妹はほぞを噛んだがもう遅い。心ならずも、絶えず貧者に施しをし続けた。真実を知らぬ領民たちが、名君兄妹と称えるまで。
 一方、アユーラはステラに丁寧に礼を述べ、別れを告げた。
「私には使命があります。いえ、人は誰も使命を持つのです。世間体や利益など気にせずに、ご自分を信じて、お嬢様もご自分の使命を見つけてください」
「わたくしの、使命‥‥? 無理ですわ‥‥わたくしには貴女のような力はないもの」
 ステラは泣きながら駄々っ子のように否定したが、
「お嬢様はその笑顔で、多くの人に喜びを与えますわ」
「お父様の財力や身分ではなく、私の笑顔にそんな価値が‥‥?」
 のちにステラは、貧しい画家と駆け落ちし、その画家を世に名高い芸術家として育て上げたと言われている。画家が妻をモデルに描いた一作は、特に芸術の至宝とされた。
 アユーラはすぐに、安宿に駆けつけた。そこには、熱に倒れたカリスと、途方に暮れるマリアンヌがいた。賢者の石をかざそうとすると、カリスは拒んだ。
「貴女が、聖女、アユーラですか‥‥? ラ・ショッセの町に、流行り病が‥‥私の力では、病を抑えるのが、限界で‥‥わ、私はここで死んでも構わない‥‥早く、町を」
 自分をあれほど頼ってくれた町の人々を、早く救って欲しいとカリスは頼んだ。
「病の重い順に癒していきたいの。貴方が死んだら、誰がそれを教えてくれるのかしら?」
 アユーラに諭され、治療を受け入れたカリスは、アユーラを案内してショッセの町に戻り、アユーラに次いで恩人と崇められる存在となった。
 すべての町人が救われた後、アユーラは、マリアンヌの目を避けるようにまた旅支度をしたが、少女は笑顔で別れを告げた。
「又旅立たれるのですよね。アユーラ様を待ってる他の町の人を、どうか昔のあたしやこの町の人々の様に助けて下さい」
「貴方の上に、祝福あれ‥‥」
 そう告げたアユーラの声は、かすかに震えていたという。
「さようなら、お姉さん‥‥」
 マリアンヌの呟きが聞こえた‥‥が、アユーラは振り返らなかった。

☆語り
 さあ、これで私がアユーラ様について知っていることは、すべてお話しました。
 ああ‥‥この碧い宝石ですか? アユーラ様に託されたのです。
「私は、旅を続けねばなりません。熱に耐えながら長旅をして、私を呼びに来て下さった貴方こそ、この国で私の仕事を引き継いで下さるにふさわしい」
 と‥‥。ところで、貴方は何かお苦しみでは? さあ、遠慮はいりません。この賢者の石を痛む所に当てれば、もう大丈夫――

 照明が消え、碧い宝石だけが燦然と舞台の上で輝く。