飛鳥山奇譚アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 小田切さほ
芸能 5Lv以上
獣人 フリー
難度 やや難
報酬 36.9万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 08/01〜08/05

●本文

『昔無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に清い泉を欲しいと思い、大きな丸石の上に上って遥かに早池峰山の神様に祈願をした。或る夜美しい女神が白馬に乗じてこの石上に現れ給い、無尽に霊泉を与えることを話して消えうせた』(『遠野物語』より一部抜粋)
 

☆舞台「飛鳥山奇譚」あらすじ☆
 むかしむかし、織田の殿様が天下を統一される少し前の戦乱の世、ある国の物語。
 名を「静海」(せいかい)と呼ぶ一人の若い僧が、ろくにお布施も集まらぬ破れ寺で、足の不自由な和尚の弟子として、修行をしておったそうな。
 静海は、もとは剣名とどろく武士じゃったが、愛する人を失ったことから、俗世を捨てて出家した。
 時折は山道を歩いて薬草を集め、薬を作っては村人たちに施すことを、修行の一環としておったのじゃ。
 その日も静海は、ひたすら山道を歩いておると、一人の美しい女性が苦しげにうずくまっておった。
 戦国の世のこと、どこぞの姫がわずかな家来と共に落ち延びたものと静海は合点し、手当てを申し出たのじゃ。
「見れば足をくじかれたご様子。このアケビの蔓で添え木を縛りつければ、楽になりまするぞ」
「飛鳥姫(あすかひめ)――」
 お付の侍女らしき、これも美しい女性が心配そうに声をかける。
「白嶺(しらね)、構わぬ。この若いお坊様はまことに親切なお方のようじゃ」
 飛鳥姫は、ほっそりと美しい足を、猟師が獣を獲るために山道に仕掛けた罠に挟まれておった。
 静海は薬草を刈るために持っていた鉈で罠をこじあけ、持っていた薬草で湿布を施した。
「女性の身で山歩きは辛かろう。この、草鞋と杖をお持ちなされ」
 静海は持っていた杖と草鞋を飛鳥姫と白嶺に与えた。
「まあ、なんとお優しい‥‥では、わらわもお礼を差し上げましょう」
 飛鳥姫はにっこりと微笑む。
「いえ、そのような気遣いは‥‥」
「わらわの眼を、じっとご覧くださいまし」
 飛鳥姫は言った。静かな口調ながら、なぜか抗えぬ。静海はじっと飛鳥姫の目を見つめ、そのまま気を失うてしまったそうな。
 そして静海がふたたび気が付いた時には、なんといつの間にか山寺に戻っておったそうな。
「これ、静海よ。いつの間に戻っておった?」
 廊下に寝転がっておった静海の姿に驚いて、和尚が不自由な足を引きずり、近づいてきたのじゃ。
 静海の伸ばした手が、偶然近づいてくる和尚の足に触れた。
 その途端、どうしたことじゃ。和尚の足はみるみるまっすぐに強く癒えた。
 それこそが、飛鳥姫の言う「お礼」じゃった。
 静海は、手を触れただけであらゆる傷、あらゆる病を癒す力を得ておったのじゃ。

 実は飛鳥姫の正体は、「飛鳥山」なる山の女神じゃった。 
 飛鳥姫は、弟君なる水神・滝瀬丸を見舞いに行くところじゃった。
 滝瀬丸様は水をつかさどる若い神様で、山に清らかな泉を湧かせたり、時折は雨を降らして川や田畑を潤しておられたが、今は見る影もなくやつれ、病の床に伏しておられた。
 それというのも戦続きで人の世が乱れ、川や海の水が穢れる故じゃ。
 水は穢れを清める作用を持つ一方、穢れをわが身が引き受けるもの。
 やっかいなことに、穢れだけは神々の手にも負えぬのじゃ。
「あ、姉上‥‥お見苦しい姿を晒し、申し訳もございません」
 滝瀬丸様の、青ざめやつれた様子はいたわしいものじゃった。
「ああ、お気の毒な滝瀬丸様‥‥人間とはやはり許しがたき存在にございまする。それで無うても、ここ数年、戦が絶えず人の心乱れ、川は血で汚れ、木々は戦火で燃やされ、山の『気』は穢れるばかり。
 そのために滝瀬丸様のご病気が一向に良くならないのでござりまする。
 ここはやはり、飛鳥姫のお力で、嵐を起こして人間どもを罰し、地上を浄化するが道理にござりましょう。
 さすれば滝瀬丸様の病、たちまち癒えましょうほどに」
 白嶺は嘆きつつ、滝瀬丸の背を摩る。
 じゃが、飛鳥姫は頷かなんだ。
「いいえ。人間の中には、良い心を持つ者もおりまする。滝瀬丸や、いま少し傷の癒えるを待つがよい。人々が戦を止め、平和な暮らしが戻れば、山の『気』はふたたび清まり、そなたの傷も自然と癒えましょう」
 その瞳には、静海の面影が映っておったのやもしれぬ。

 やがて静海の不思議な力は、病や傷で苦しむ村人たちを癒し、そうするうちに、世間に知れ渡るところとなり‥‥
 ある日、ずかずかと、屈強の武士たちが静海の住まう山寺を訪れたのじゃ。
「元重、紀和元重(きわ・もとしげ)はおるか!!」
 名高い武将と見える一人の男が呼ぶ。
「兄上‥‥! お静まりなされ、ここは戦場ではございませぬ。そして今の私の名は、静海、俗世の名ではおよび下さるな」
 静海はその武将を嗜めた。
 それというも、その武将は、静海の実の兄であったのじゃ。
 争いを好まぬ静海とは違い、野心に燃える荒ぶる武将。
 武将――名を紀和重永(きわ・しげなが)と言うたそうな――は、どかりと寺に腰を据えた。
「おぬしは女一人失うたを嘆き、出家して俗世を逃げた軟弱者よ。‥‥して静海、おぬし、なにやら不思議な力を得たそうな。その力、わが紀和水軍に借り受けたいのじゃ」
「‥‥お断り申し上げる」
 きっぱりと言う静海。だが、重永は、にやりと笑い。
「そう言うと思っておったわ。―――その爺を捕らえい!」
 なんと卑怯にも、静海の師たる老僧を、部下に命じて捕らえ、人質としたのじゃ。
「‥‥兄上、なんたることを‥‥!!」
「薬がなくとも傷を癒し、病を癒すその方がおれば、わが軍は無敵となれるる!! わしと与せよ、元重! わしは天下を取るぞ!!」
 呵呵大笑する兄、困惑する弟。
 飛鳥姫の授けた不思議な力と、兄の暴虐。静海は、苦渋の選択を迫られるのじゃった‥‥


☆募集キャスト☆
●静海(せいかい)‥‥俗名「紀和元重(きわ・もとしげ)」。戦を嫌い出家した元戦国武士。飛鳥姫により不思議な力を授かる。
●飛鳥姫(あすかひめ)‥‥山の精霊にして女神。静海のやさしさに触れて以来、人間への希望を抱いている。
●滝瀬丸(たきせまる)‥‥飛鳥姫の弟で水神。戦により山の「気」が乱れたため病となり、人間への不信と憎悪を募らせている。
●白嶺(しらね)‥‥飛鳥姫の侍女。
●紀和重永(きわ・しげなが)‥‥静海の実の兄。戦好きな荒ぶる武将で、静海の不思議な力を利用し、天下を取ろうともくろむ。

※他にも、紀和重永の参謀/飛鳥姫の仲間の山の精霊あるいは白嶺以外の侍女/静海の元恋人(『愛する人を失った』は、兄に恋人を奪われたという解釈でもOKなので)等、自由に考案の上ご応募下さい。
※キャスト不足の場合は適宜NPCが友情出演します。

●今回の参加者

 fa0642 楊・玲花(19歳・♀・猫)
 fa1013 都路帆乃香(24歳・♀・亀)
 fa3066 エミリオ・カルマ(18歳・♂・トカゲ)
 fa3319 カナン 澪野(12歳・♂・ハムスター)
 fa3599 七瀬七海(11歳・♂・猫)
 fa4769 (20歳・♂・猫)
 fa5353 澪野 あやめ(29歳・♀・ハムスター)
 fa5556 (21歳・♀・犬)

●リプレイ本文

● 第一幕・木魂
 不思議の力を得た静海(=虹(fa5556))は、兄の紀和重永(=忍(fa4769))に老師を人質に取られ、やむなく紀和家の城に戻ったそうな。
 重永様お戻りの報を家臣達から聞いて、館の奥から重永様の奥方、葵姫(=澪野 あやめ(fa5353))が竜胆色の内掛けをなびかせ現れた。
「殿様、お帰りなさいませ‥‥戦の成果はいかがで‥‥」
 葵姫は、重永の後に従うて参った静海を見て、はっと息を呑んだ。かつて静海と葵姫は、思い思われた仲じゃった。じゃが葵姫の父親たる武将は、長男であり武に優れ野心強き重永様に、葵姫を娶わせたそうな。静海は後ろ髪を引かれながらも、強い男に守られることこそ戦国の世では女の幸せやもしれぬと、身を引いたのじゃ。
「あの‥‥なぜ今になって…あの方をお呼びになったのですか‥‥?」
 葵姫は、戸惑いと再会の喜びと重永への遠慮をないまぜに美しい面に上らせ細く震える声で問う。
「実は、元重は不思議な力を得ての」
 よく通る声を響かせ、重永はどっかりと床机に座り、葵姫に経緯を語り聞かせる。もっとも、なぜその力を得たかは静海も気づいておらなんだので、重永はもとより知らぬ。
「まあ‥‥そのような徳が備わられたとは、やはり静海様は優れたお心の持ち主なのですね」
 阿修羅神の化身かと噂される美形と苛烈な戦いぶりの重永に惹かれてゆく心もあるが、穏やかで森羅万象に思いやりを注ぐ静海に想いは残る。葵姫が感銘すると、かすかな嫉妬を交えた声音で重永は、
「ふん、元重は優しいというより甘いのだ。貴様、槍の名手と謳われながら、なぜ破れ寺の坊主になど成り下がった?」
「一人でも多く命を奪えばそれが出世‥‥そのような戦国の掟に嫌気がさしましてございます。命はかけがえのない宝であるはず。そしてこの力は、み仏が戦で人々がこれ以上傷つかぬようにと、私におあたえくださったに違いありません」
 きっぱりと言い切る静海に、元重は気おされたように沈黙した。が、緋色の肩衣を翻し立ち上がり、力強く言い渡した。
「いくら戦を嫌おうとも、かかってくる火の粉は払わねばならぬ。戦を終わらせるには一刻も早う天下を平らげることじゃ。さあ、静海、その力をわが兵達のため使うのじゃ」
 紀和城の広間には、傷つき疲れた兵士たちのうめき声に満ち満ちておった。静海は一人ひとり、優しく手を伸べ、傷を癒した。
「ありがとうございまする。これでまた、殿の御為に働けまする」
 感謝に満ちた目で、兵士たちが口々に言う。
(「こんなに苦しんで尚、また闘うというのか‥‥この力を、このように使って本当に良いものだろうか」)
 静海は、苦しい胸のうちを抑え、黙って微笑しつつ兵士たちを癒し続けたのじゃった。

 静海の懸念は当たっておった。静海に力を与えた飛鳥姫(=楊・玲花(fa0642))は、侍女・白嶺(=都路帆乃香(fa1013))の報告に耳傾け、美しい面を曇らせておった。
「私の兄弟が、また刈られたやにございます‥‥それも戦のための見張り櫓を作るために」
 白嶺は嘆く。この娘、実は飛鳥山に育まれ幾千年を経た桂の木の化身であった。同じ飛鳥山の木々が刈られ上げる悲鳴が白嶺にはありありと聞こえるのじゃ。若葉色の小袖の胸を、苦しげに押さえる。
「ならば、人間共はまたも戦を起こそうと‥‥姉上、ご決断下さいませ。早う処罰を与えねば、人間共は増長し、水を穢し、木々も枯らす。姉上が私のように病んでしまってからでは遅いのだ」
 姫の弟にして水神の滝瀬丸(=エミリオ・カルマ(fa3066))は訴えた。滝瀬丸は水と「気」の穢れにより病に臥せっておった。姉を気遣う言葉の端々にも苦しそうに咳き込む。本性は竜神ゆえ、胸に宝珠を提げている。その透明な宝珠が今は、穢れによりどす黒く曇っていた。そこへ、ふわりと涼しい風が吹くように、一人の‥‥いや一柱の神が訪れた。飛鳥山の隣山の守り神、山の精と人の子の間に生まれし天城(あまぎ=カナン 澪野(fa3319))じゃ。
「滝瀬丸の姉想いは相変わらずだの‥‥なれど急いで処罰を与えずとも、いずれ人も疲れ、平和を求めるものぞ。ゆるりと病を養のうてはどうじゃ? おおそうだ、神気を補うとされる桃を持参した」
 見た目は銀の髪を束ね真白き水干をまといし子供でも、幾千年経た半神たる天城は、半分人の血を引くだけに人間には同情的じゃ。じゃが、滝瀬丸は、慰めを受け入れぬ。顔を背けると、水浅黄の衣の背に、束ねた亜麻色の髪が乱れ流れた。
「いらぬ。おぬしが半分その身に引く、人の気に触れると尚穢れてしまう」
「桃には罪はあるまいに‥‥では、心静かに‥‥」
 天城はそっと桃を置き、去る。
「そなたを思いやってくれる天城様に、失礼ではありませぬか」
 飛鳥姫は叱る。滝瀬丸は顔をそむけたまま独語する。
「愚かな‥‥。姉上も天城殿も、なぜそこまで人間を庇うのだ?」
「姫様、私ども木魂一族からも人間どもへの処罰お願い申し上げまする。人間は自分たちの争いごとの為に無闇に木々を伐採する上に、それが原因で地滑りが起こり更に木々の住処を奪ったりするのです、許せません」
 滝瀬丸の様子を見て、白嶺も言葉を添える。
 飛鳥姫は、静海の面影を思い描いてためらう。女子と見まがうばかりに柔和な顔かたち、細い体に似ぬ、凛とした足運び。傷に薬草を供してくれた時の仕草。何かを押さえ込むように姫はぎゅっと目を閉じた。
「今ひとたび、ただ一度でよい、かの人間共におのれを省みる機会を与えようではないか。それが裏切られたならば‥‥」
 カッと姫の瞳が開く。姫の全身から、清浄にして苛烈なる「気」が炎のように噴出した。
「嵐と稲妻を呼び人間たちをちりあくたの如く滅してみしょうほどに!」

● 第二幕・戦
 兵士達のみならず、その家族の百姓達までも癒し続け、眠ろうともせぬ静海を、葵姫が気遣った。
「元‥‥いえ静海様、もう御休みなさいませ」
「いや、よろしいのです。兄上の申されることもこの戦国では正しいのやもしれぬ。私には天下を統べて戦を止める勇気も策略も無いゆえ、せめて人々を癒さねば‥‥」
「いいえ、私の目から見ても、重永様の有り様も度を越しておられるような‥‥戦国とはいえ皆が殺気立っては救われませぬ。静海様のようなお方もいなくては‥‥囚われたお坊様は、私が逃がして差し上げましょう」
 翌朝になったら一緒に重永を説得しようと約束して、葵姫は地下牢に姿を消した。葵姫付きの家臣が師を案内して山へ去るのを見届け、静海が疲れ果ててうとうととしかけた頃‥‥
「静海様、静海様‥‥」
 静海を、そっと呼ぶ声がある。静海がはっと目を覚ませば、目の前に若葉色の小袖姿の女御‥‥白嶺じゃ。桂の木の香がふっと漂う。
「あの時の女房殿‥‥どうやってここへ?」
「静海様、せっかく姫のお与えになった力、戦のために役立てるとは、姫はお嘆きにございまするぞ」
 柳眉を寄せて白嶺は告げた。
「では、この力はあの時の姫君が‥‥!? あの姫は一体何者‥‥この力は何なのだ‥‥」
「姫は飛鳥山の化身にして、自然の恵みを司る姫神にあらせられまする」
「そうであったのか‥‥だが、なぜ無力な私などに何故このような力をお与えになったのか‥‥」
 静海は、胸つぶれる想いで問うた。己のこの力が、戦の繰り返しにしか役立てられぬことにさほどに悩んでおったのじゃ。
「姫様は静海様こそ人間の善性の具現と見られたのにございます。なればこそ静海様、兄上に諮り、これ以上戦を起こさぬように諌めてごらんなされ。でなければ地には災い降り、多くの命が失われましょう」
「まことか‥‥!?」
 静海は疲れた体に鞭打って、兄を諌めるべく城主の部屋を訪れた。
 じゃが、重永は鎧兜に身を固め、戦の準備をしていた。深夜のうちに、重永の陣地に奇襲がかけられたと早馬の知らせがあった。紀和家と長年仇の間柄で強大な軍を持つ矢部家が攻めてきたのじゃ。満面に血をのぼせ、矢部の城を攻めんとする重永を、静海は止めようとした。
「なれど、すべてを捨てて降伏すれば、戦乱は避けられましょう!」
「ならぬ!!」
 黄金の鍬形兜を戴いた阿修羅のごとき重永は、弟を一喝した。
「矢部の武将は、色好みじゃ。降伏すれば葵を手篭めにせんとするに違いない。みすみす愛しい葵を渡すものか! 家臣達もそれぞれ、妻や娘を守るため戦うと申しておる!」
「兄上‥‥」
 心優しい静海は身に沁みて感じた。兄もまた、阿修羅と恐れられながら、大切なものを守って戦に身を投じているのじゃと。
「出陣じゃ!」
 重永が号令すると、兵達が一斉にかちどきの声を挙げた。ざっ、ざっ、鎧兜に身を固めた兵士達は出陣してゆく。あれほどまでに必死で癒した体が、死に場所を求めて。
 なすすべもなく立ち尽くす静海の後ろに、白嶺の声がする。
「もはや時は至りました。山寺へお戻りなされ。間もなく嵐と稲妻がこの人間共を罰しましょう」
 同時に、静海の体がふわりと風に運ばれ宙に浮く。白嶺が風の精霊の力を借り静海を山寺へ戻そうとしてくれているのだ。
「なれど、兄上は‥‥!?」
「案ぜぬともかの武将はもうすぐ我が主よりの神罰にて罰せられよう」
 白嶺が言った。明日の天気は晴れと言う程の淡々とした口調で。
「ならぬ!!」
 静海は必死に叫んだ。風の音がやんだ。彼を運ぼうとする風が止まり、地に脚がついた。
 静海は墨染めの衣を振り乱し、戦場へと駆けた。
「人間とはなんとも愚かな‥‥いや、これが人間というものなのか‥‥」
 白嶺は呟いた。

● 第三幕・兄弟
 不吉な黒雲が垂れ込め、雷鳴が轟く。重永軍はそれでも、重永の剛毅な号令により、行進を止めなかった。
「矢部軍に遅れを取ってはならぬ、行くぞ!」
 だが、まもなく嵐が吹き荒れ、稲妻が降り注ぐ。まるで重永を狙うかのように、木の陰に隠れようとしても、家臣達が重永を守り囲んでも、稲妻は執拗に彼を追った。もう逃げられぬと覚悟したとき、
「兄上――っ!」
 静海の声がした。ドオオーン! とひときわ重く響く雷鳴。静海に突き飛ばされ、稲妻を逃れた重永の目の前で、静海はゆっくりと倒れていった。身代わりに稲妻に全身を打たれ、既に息の根はない。
「お‥‥何故‥‥」
 何故自分を庇ったのだと問いかけようとして喉が詰まった。震える声で、重永は兵に撤退を命じた。嵐をついて奇襲をかければ確実に勝てるものを、と漏らす者に、重永は言い渡した。
「弟は‥‥静海はそのようなこと望むまいぞ」
 家臣達も一言もなく見守った。重永の兜の下、涙が幾筋も伝うのを。

● 第四幕・静海転生
「静海殿が‥‥戦に赴く人間を庇って命を落としたと!?」
 飛鳥姫は白嶺の報告を聞いて、黒髪の乱れもかきやらず打ち伏して嘆いた。かくなる上は、さらなる嵐を呼び、水神の配下たる海の精・七見(=七瀬七海(fa3599))に命じ、大水を招いて城もろとも重永を罰してしまおうとなされる程に惑乱して。
「水軍を大渦巻きに巻き込み、流し去ってやりましょう」
 七見が言った。だがその時、あれほどまでに人間を嫌っていた滝瀬丸が進み出たのじゃ。
「己が信じた者が守ろうとしたものを、姉上は手ずから滅ぼすおつもりですか?」
 見れば、滝瀬丸の胸の宝珠は、また澄んだ輝きを取り戻していた。
「落ち着いて、自分の周囲を、よぅく見てみよ‥‥」
 飛鳥姫を心配して来ていた天城も姫を諌めた。天城は風の声を聴き、重永が新たな決意をしたと知ったのじゃ。葵姫に静海の死に様を知らせ、共に自刃して果て、二人の命と引き換えに家臣達を救うよう、矢部家に交渉しようと。それが身を捨てて守ってくれた弟に、応える道じゃと思うたのじゃ。葵姫もまた、
「重永様‥‥私も冥土にお連れくださいませ」
 潔く重永に同意した。重永の決意は家臣達の心をも動かし、ひいては戦の相手たる矢部家にも通じて、なんと和平交渉が持ちかけられたのじゃ。敵ながら天晴れと矢部家は重永の潔さに感じ入り、友好を結ぶ策を選んだ。
 よって、戦の「気」は鎮まり、山の穢れも、ゆっくりとだが確実に、煙が流れるように祓われ清められつつあったのじゃ。
「おお‥‥静海殿の死は、少なくとも無駄ではなかった‥‥」
 飛鳥姫は呟く。
「さようにございます、姉上。せっかく姉上が信じ、私の穢れを祓う原因を作ってくれた人間ゆえ、静海に新たな命を授けるのはいかがにございましょう?」
「ええ。力を貸しておくれ、滝瀬」
 姫は泣き笑いの顔で申された。
「喜んで。あの静海とやらとは、私も一度、ゆっくりと話し合うてみとうなりました」
 滝瀬丸は宝珠を姫に手渡された。宝珠から澄んだ光が放たれーーー
 やがて時が経ち。静海は静かに目覚めた。目の前には飛鳥姫。
「思うた通り、なんと清らかな泉‥‥そなたのお心は、こんなにも澄んでいたのですね」
 静海は、飛鳥山に湧く清らかな泉の精になっておったのじゃ。
「姫‥‥私を見守っていて下さったのですね」
 甕覗色の水干姿となった静海は、姫と見つめあい微笑をかわす。
 それからの静海は姫と共に草木潤し花を咲かせ、時折は白嶺が木の葉を落とし秋の訪れを知らせた。
 その泉に体をひたせば、どんな病も治ると言い伝えられておる。時折白馬にまたがった美しい女神が訪れ、そこで水浴をするとも。
 重永はその後穏やかな領主として慕われ、かの織田様が天下統一の戦の折にも、どの軍にも属さず、中立と平和を貫いたそうな。かの領地に戦を仕掛けようとすれば、不思議なことに敵軍は大水や嵐に見舞われるのじゃ。
 さても不思議の物語。いつの世も人の願いは同じと、この物語は伝えてくれる。