The Holy Grail War A1ヨーロッパ
種類 |
シリーズEX
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担当 |
三ノ字俊介
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芸能 |
4Lv以上
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獣人 |
1Lv以上
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難度 |
難しい
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報酬 |
28.3万円
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参加人数 |
6人
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サポート |
0人
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期間 |
09/27〜10/03
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●本文
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【聖杯伝説】
イエス・キリストが最後の晩餐で使用したとされる、聖なる杯にまつわる中世ヨーロッパの伝説。アーサー王伝説とむすびつき、その主要テーマとなっている。伝説によれば、アリマタヤのヨセフが、処刑されたキリストの傷口からながれる血をこの杯でうけ、聖杯として保管したのだという。その後、聖杯はブリテンへ運ばれ、ヨセフの子孫に代々守り受け継がれた。罪なき者のために食物を満たし、心の穢れた者の目を見えなくし、ふさわしくない者が近づくと口がきけなくなるといった、奇跡をおこす力を持つと信じられた。
聖杯は中世の、パルジファル(パーシバル)の物語に登場する。若者パルジファルは、アーサー王の宮廷の騎士になることを夢みて旅に出て、途中、漁夫王の城に到着する。パルジファルは知らなかったが、じつは漁夫王はパルジファルのおじで、聖杯と、十字架上のキリストを傷つけるのに使われた槍の管理者だったが、自らの罪のため、聖杯の力で口をきけなくされていた。入城したパルジファルは、無言の王の面前をいく、血のついた槍と聖杯の不思議な行列にでくわした。パルジファルは驚きのあまり理由を聞こうともせず、その奇妙なパントマイムのような光景を無言でみていた。しかし本当は、穢れを知らない魂をもつ彼が王に話しかければ、王は救われるはずだったのだ。その後、紆余曲折の末、パルジファルは再度城を訪問し、折れた剣を修復した後、あるいは他の物語では、おじが口をきけるようにした後、その跡をついで王となる。
後の伝説では、聖杯の探索は聖なる使命とされ、アーサー王の騎士のひとりガラードが、その中心的役割を担った。他にも多くの騎士が聖杯を探して旅をするが、聖杯の発見に成功するのは、『アーサー王の死』(マロリー著)によれば、ガラードただ一人だけである。
現在では、聖杯探索の物語は、キリスト教に改宗したケルト人の説話から登場人物や題材を得て、キリスト教の道徳や宗教を広める推進力として利用されたとみなされている。
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「『聖杯(Holy Grail)』――キリストが最後の晩餐に使用し、伝説ではアーサー王が求めたというこの聖遺物を題材に、今回はシャシンを撮る」
ジョン・B・カーペンタリア監督は、居並ぶスタッフに向かって言った。
「基本的な物語はこうだ、聖遺物『聖杯』を巡って、人間と悪魔は対立している。悪魔王サタンは現界するために、聖杯に満たされた乙女の血を欲し、人間はそれを阻止するために戦ってきた。だが1000年に一度、悪魔は人間界に干渉して『闇の王子』を現界させることが出来る。つまり悪魔の子、ダ○アンみたいなものだ。しかしまかり間違って、『闇の王子』はバチカンの悪魔殲滅機関の尼僧に恋をしてしまう。絶対的な『悪』にほころびが生まれてしまうわけだ。あわてた悪魔たちは『闇の王子』を抹殺し聖杯を手にしようとするが、そこに『闇の王子』が立ちはだかる。聖杯と尼僧を守って『闇の王子』は戦うが、聖杯の力のためにその超絶的な能力を発揮できないどころか、人間並みに減退してしまう。逆に悪魔は、悪魔信徒などの『人間』を利用して聖杯を得ようと画策する。そして――」
ジョンはそこで、言葉を句切った。
「尼僧は『竜殺し(ロンギヌス)の槍』を『闇の王子』に託し、自らも剣を取って戦う。その剣は『聖剣デュランダル』というのがいいかな。ともあれ現代兵器で武装した悪魔信徒と、『闇の王子』とバチカンの戦いという図式を作ってドラマ化するのが今回のメインだ。舞台はロンドン。クライマックスは現界した高位の悪魔アビゴールとの戦いあたりがいいだろう」
ほとんど即興で作ったとしか思えない物語を聞いて、皆がうなった。さすがはB級専門監督、やることにソツが無い。
「基本的な登場人物は次の通りだ」
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●代表的な登場人物
・闇の王子:アヴァランス
・尼僧騎士:シスター・アレーナ
・バチカンの使者代表(敵対派):ブラザー・スフィード
・ 〃 (親和派):ブラザー・チェンバレン
・悪魔アビゴール(CG:声のみの出演)
・中ボス的悪魔信徒若干名
・その他
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「ざくっとこんな感じだろう。あとは企画を進めてゆく上で調整する」
カーペンタリアが言った。
*
ともあれ、企画は承認され予算が下りた。かなり力の入った企画になり、芸能人としての『格』も要求される仕様になった。
本募集は『役者』の募集である。主役ないし準主役相当の募集で、エキストラはこれに含まれない。
やる気のある参加者を待つ。
●リプレイ本文
The Holy Grail War A1
●序章『雷鳴』
青白い稲光が、夜空に幾重もの亀裂を刻んでいた。とどろく雷鳴は大地のうめき声のようで、周囲を威圧し木々の耳朶を震わせる。
いや、それはまさに、大地(ガイア)のうめき声だったのであろう。西暦200X年のこの月、星々とその他様々な『座』の位置によって、『彼』の誕生は約束されていたのだ。
神は、万能ではない。図らずもそれは、その被造物である人間自身の手で証明されている。人間は神に逆らい、知恵の実を食べた。以後人類は楽園を逐(お)われ、死と苦痛の中で生きている。死に苦痛が伴わねば生に執着せず、生に快楽が伴わねば増えることもない。この愚昧なモノは、神の子から『生物』という、どうにもならない肉の檻に閉じこめられ、やがて神を捨てる者まで出現するようになった。彼らが信じ奉った物は、法則であり方程式であった。ニュートンが万有引力を発見しアインシュタインが相対性理論を構築したころには、楽園(エデン)と呼ばれた場所は科学と技術が支配する世界に変わり果てていた。
そしえ人類は、かつて天使と悪魔がそうしたように、同じ存在同士で争い、殺し合っている。
「現実は、残酷だわ」
艶のある髪をゆるりとなびかせて、まだ少女と女性の中間の位置にいると思われる人物が、口を開いた。
名前をマリー(Laura(fa0964))と言った。彼女の側には、黒ずくめの男ジャック(ジャック・ピアス(fa4741))が控えている。
ともに、『人間性』という部分ではかなり疑問のある人物だ。
そもそも『人間性』という定義が曖昧なのだから、彼らを単純に『異物』と定義するのは早計だろう。だが『社会』に対しては、『不適合者』というレッテルがつく。ジャックは正真正銘の殺人鬼であり、マリーは悪魔憑きなのだ。
彼女たちがその集団で一目置かれているのは、周囲に居る者達とその態度でよくわかる。マリーは上座中央に『存在(アイドル)』し、ジャックはその直近に控えている。忠実な従僕のように。
他の者は顔も衣服も隠れる黒いローブを身にまとっており、ある意味幽鬼のような集団だ。外見においても、存在感においても。
それほど、マリーは生気に満ちていた。ただし冠頭に、『邪悪な』とつく。
「我らサタニストにとって運命の夜‥‥天界の神々と天使たちは、分厚く塗り固められた雷雲でこの地上の様子を見ることが出来ない。ありとあらゆる『座』が定まり、『神の地上代行者』と呼ばれる馬鹿な連中も、その運命を予見することがかなわない。空には『闇の眼』が浮かび上がっているのに、それを知る術もない‥‥」
マリーはジャックに、手を差し出した。ジャックが、息をやや荒げながら、それにむしゃぶりつく。そしてわずかに指を噛み切り、血をすすった。
恍惚の吐息が、ジャックの口から漏れる。
「神に死を」
「神に死を!」
「神に死を!!」
『信徒』たちが、短い言葉を唱和する。
「そう、神に死を! なんてすばらしい響き! 『聖杯』と『処女(おとめ)の血』によって、かつて敗れ地に眠った我等の『神』が甦る! それも、聖神の聖杯によって!! 我等の神が甦った時、楽園は闇に染まる。善は死に絶え悪がはびこり、人間はその願望のままに生きる『欲望』の時代が到来する! 神の子を詐称するあのガリガリの無精ひげの男が生まれる前、死んだ後も、人間は殺し合い殺し合い殺し合い、この大地に海に、山に川に、血と肉と命を捧げ塗り固めてきた。飢餓で何十何百、病魔で何千何万と人が死に、富める者はありあまる財産で人間を腐らせ、ありとあらゆる悪徳を広めてきた。もう十分、もう十分! 時は来た! 今こそ聖杯を手にし、我等の神を! 明星の闇サタンを甦らせる時!」
マリーの演説は、まさにXTCに達する勢いだった。
「でも、まだだめ」
マリーが、声のトーンを落とす。
「『花婿』がまだ居ない。闇の皇子、『平衡の破壊者(アヴァランス)』が居ない」
「探せ」
初めて、ジャックが口を開いた。
「『紋章(エルダー・サイン)』をたどれば居るはずだ。その先に、必ず『花婿』は居る。ヴァチカンの愚者が気づく前に探し出すのだ」
幽鬼の列が、方々に散ってゆく。ある者は剣を、ある者は銃を手に。中には中東風の、いびつに曲がった刀を持っている者もいる。
「『聖杯』と『花婿』を、必ず手にするのだ」
ジャックが、重々しく言った。
●第1章『出会い』
雷鳴の轟く夜に、『彼』は現れた。
彼は人間から生まれた『もの』ではなかったが、確かに人間だった。
少なくとも、生物的には完全な人間だ。性別は男性。美的基準から言えば、痩躯の結構な美形である。
だが、彼にはそれを知覚し認識することは出来なかった。彼の意識に焼き付いたのは、尖塔の上に立つ十字架と、極太の落雷。そして白熱化した眼球の奥をつんざいた『何か』。
ありとあらゆる偶然と、ありとあらゆる必然が交錯した場所に、彼は『現れた』のだ。
*
彼(加羅(fa4478))が目覚めたのは、木でできた粗末な寝台の上だった。
清貧が美徳のような簡素な寝台に、簡素な木造りの部屋。家具は少なく、唯一装飾の入った文机の上には、礼拝用の小さな十字架があった。
づん!!
「うっ!!」
それを見た瞬間、彼の脳の奥が、鈍く痛んだ。何か意味の分からない映像――紅蓮の炎に、巨大な暗渠。灼けた鉄の臭いに、わだかまる闇。
そのほか、筆舌で語ることの不可能な『物体』たちが怒濤のように彼の脳裏を通り抜け、そして白い閃光とともに消滅した。
はっ、はっ、はっ、はっ――。
彼は、荒く息を吐いていた。どのぐらいそうしていたのか分からない。だが動くこともできず、寝台の上で凝固している。
――何か、しなければ。
強迫観念にも似た衝動が、彼に行動を急かす。しかし、何をするべきなのか分からない。
「お目覚めですか?」
そこに、黒い僧服の女性が現れた。彼は、彼女がドアを開けて入ってきたことにも気づかなかった。
その女性は、声のきれいな白人の美女だった。尼僧らしく楚々とした仕草で、水差しとカップの乗ったお盆を持っている。
「お水はいかがです? 少しワインを入れておきましたから、身体が暖まりますよ?」
「あ‥‥ありがとう」
彼は差し出されたコップを手に取り口元で傾け――。
「ぐはっ!!」
噴き出した。劇薬でも飲んだような反応だった。
「大丈夫ですか!?」
シスターがあわてて、むせぶ彼の背中をさする。
「すまない、毛布を汚してしまった」
彼が言う。
「いいんですよ、それよりあなたのお名前は? 私はシスター・アレーナ(マリーカ・フォルケン(fa2457))。神に仕える巫女です」
聖母を思わせる笑顔で、アレーナは言った。
「俺は‥‥」
彼、は、そこで言いよどんだ。
「俺は、アヴァランス」
彼が言った。だがその表情には、当惑がありありと見て取れた。
「それは名ですか? 性ですか?」
「わからない」
アヴァランスは答えた。
「ひどい気分だ。考えがまとまらない。俺はなんでここに居る?」
ひどくいびつな答えが返ってきた。
「アヴァランス――さんは、この『教会』の前に倒れていたんです。尖塔に雷が落ちて様子を見に外に出てみたら、土砂降りの道路にアヴァランスさんが倒れていて、みんなでここに運び込みました。お名前が分かるようなものをお持ちではなかったので、ずっとどちらの方か分からなかったんですが‥‥」
ひどく申し訳なさそうに、アレーナが言う。
「‥‥! 俺は何日眠っていた?」
アヴァランスが、突然アレーナに向かって問いかけた。
「3日ほどになります。いえ、もうそろそ4日目になりますね」
その数字を聞いて、アヴァランスは狼狽した。だがなぜ狼狽したのか、分からなかった。
「だめだ‥‥わからない。何か‥‥何かしなければならない『はず』なんだが‥‥」
「今日はもうお休みください。しばらくゆっくりしていれば、考えもまとまると思います。アヴァランスさんには、休憩が必要です」
アレーナはそう言うと、小さなバスケットを取り出した。
「お腹は空いていませんか? 夜食を作っておきましたから、よければ食べてください。それでは、お休みなさいませ」
アレーナがそう言って、退室する。
開いたバスケットには、麦パンで作られたサンドイッチが入っていた。
徹頭徹尾、菜食主義のものだった。
●第2章『ヴァチカンの闇』
ヴァチカンには、表の教会とと裏の教会がある。
その首長はともに法王猊下なのだが、それはカトリックにおける二面性を象徴するような物でもあった。
表の教会は、法と慈愛と祈りで世界平和を願い、裏の教会は力と秩序と狂信で神の正義を執行する。
共に同じキリスト教徒であり、地上における神の代行者でありながら、その行動は故マザー・テレサのように慈愛に満ちていて、そして十字軍で名を知られたヴォーダン大司教のように残虐でもある。
この、どこまでも乖離した二つの顔が、カトリックという宗教の本質なのだ。
「イギリスで『闇の皇子』確認されたそうだな」
大柄な、武闘系の体躯を持った男が、言葉に憎悪を練り込めて言った。
名を、ブラザー・スフィード(ダグラス・ファング(fa4480))という。裏の教会きっての武闘派で、キ印寸前の狂信者、と言い換えてもいい。自らも神の奇跡によって、まともな人間とは言い難い不死性を獲得している。
スフィードの、吐き捨てるよな言葉は続く。
「よりにもよって、あの軟弱なプロテスタントの国に! 我等の神の仇敵が、今在るというのに、手出しを控えろというのか貴様は!」
スフィードの言葉の先鋒は、向かい側に立つ壮年の司祭に向いていた、柔和な、年齢と共に人徳を折り重ねたようなしわを顔に刻んだ、ブラザー・チェンバレン(田中雪舟(fa1257))である。
「ブラザー・スフィード、そう頭ごなしに否定されては、議論になりません」
柔和な表情を崩さず、チェンバレンは言う。
「議論の必要など無い!」
スフィードは、その言葉を切って捨てた。
「我らが――そうだ、『貴様も含めて』我らが、今まで異教徒どもを駆逐し塵殺しにしてきたのは、何のためだ! 預言にある『闇の眼』を目の当たりにしながら、貴様は何もしないというのか!!」
「時が満ちつつあるというのは、分かります」
チェンバレンが、鉈を落とすようにスフィードの言葉を叩き切った。
「もちろん、手も口も出しますよ。しかし世界は今、その『闇の皇子』を中心に回っています。そう、聖杯と共に、『神殺し(ロンギヌス)の槍』もまた、現界しようとしているのです。神を甦らせる聖遺物と神を滅ぼす聖遺物。この相反するものを使い、我等の主を殺し悪魔を甦らせる。それが彼らサタニストの目的でしょう」
チェンバレンが言った。
「貴公、そこまで分かっていながら、なぜ今になって異論を唱える」
半眼になって、スフィードが言った。我慢の限界に達したとき、スフィードはこの表情になり言葉からも感情が消える。
そして今まで例外なく、この顔を見た人間は皆、彼に殺された。
放たれる殺気を涼しい顔で受け流しながら、チェンバレンは口を開いた。
「簡単な話ですよ。彼らを利用するのです」
チェンバレンが言葉を放った瞬間、固化したような殺気が周囲に満ちた。スフィードが、キレたのだ。
だが、暴力の颶風は訪れなかった。チェンバレンが次に言った言葉で、会場の聖職者たち全員が息を飲んだからだ。
「つまり、我等の神に聖杯を用い、奴らの神に神殺しの槍を用いる。これによって我らは絶対的勝利を得るのです。そう、文字通り『ゼウスの時代の復活』です」
ざわ‥‥ざわ‥‥。
昏い会場の中に、どよめきが満ちた。チェンバレンの言った言葉はつまり、サタニストたちに同士討ちをさせようというものなのだ。闇の皇子を利用し、サタンを滅ぼす。そして聖杯をもって神、ないし神の子を降臨させようというのである。
「そんなことが出来るものか!!」
当然、スフィードは激昂した。あまりに虫がよすぎる。
「ですが、成功すればその報酬は莫大です」
チェンバレンは引かない。
「別にすべて成功しなくてもいい。聖杯を手にするか、神殺しの槍をサタンに使う。どちらかが成功すれば、それだけでもすさまじい恩恵が得られます。地獄の首長が滅べば、悪魔の軍団にも大打撃を与えられるでしょう。そしてサタニストは信奉する神を失い、ある程度は瓦解する――彼らサタニストは元々狂信だけで成り立っている組織。死を恐れぬ死兵はそろっていますが、最後の軍略家『狂気の司法』を先日あなたが滅ぼしたばかりで、組織は浮き足立っています。つまり、彼らにも不安要素は多い。そして何より、闇の皇子は我等の従僕の手の中にあり、その従僕は『オルレアンの聖女の再来』と言われる聖剣戦士なのです。この意味がお分かりか?」
チェンバレンの言葉に、さすがにスフィードが憮然とした表情になる。確かに、どのような天の采配があったのかは分からないが、今状況はヴァチカンのほうに傾いているのだ。
チェンバレンの言葉を直訳するなら、まさに『欲』であろう。災いの芽を早期に摘むのも手段の一つだが、物事の答えは一つではない。最終的に勝利していれば、途中でいくら負けていてもいいのだ。
「――チェンバレンにやらせてみよ」
上座の、背後からの照明によって顔を見ることの出来ない人物の声を、そば仕えの者がその場に伝えた。
「ありがとうございます」
チェンバレンが、うやうやしく礼をする。猊下の勅命が下ったのだ。これにはスフィードでも逆らえない。
上座の老人が去り、その場は昏くなった。
「忘れるな、チェンバレン」
スフィードが口の中で言った。
「闇は光にはなれんのだ」
スフィードは、そう言い残して去った。
●第3章『襲撃』
寝床に入り、毛布にくるまる。
この数日間何をするでもなく、アヴァランスはアレーナたちのそばで『生活』していた。
教会の朝は早い。日々の労務に義務をこなし、祈りを捧げ歌を歌う。それは清貧をよしとする宗教独特の生活で、正直一般の人にはあまりみるべき物は無いだろう。
だが、畑を耕し聖歌を奏でるアレーナたちの姿に、何か言いようのない平穏を感じて、アヴァランスはとまどっていた。
アヴァランスは、記憶障害のように見えた。
名前以外思い出すものが無く、何かをしなければならないというような心理も、こういう病気にはよくあることだ、と病院の先生は言っていた。
焦らず、ゆっくり思い出してゆけば良い。真実、記憶障害の対処法はそういうものが多い。何かのきっかけ――つまりは脳のスイッチが入るまで、根気よく待ち続けるのだ。
暇なときは、アレーナが話し相手になってくれた。
アレーナは、この教会では独特の地位に居るようで、若いながら聖務を取り仕切り、実質この教会の首長か、それに近い位置にいるようだった。
仕事中のアレーナは、厳しく物事をはっきり言う人物で、どちらかというと竹を割ったような、堅く鋭利な印象のある人物である。
しかし弱者――この場合教会に『保護』されているアヴァランスも含むが――に対しては、慈愛に満ちた聖母そのものだった。
もちろん神に身を捧げた立場上、本当の母になることはできないが、それでも素質は十分であろう。
『神の愛は無限です』
アレーナが言った言葉だ。
『たとえあなたが何者であっても、神に目を背けることがなければ、正しい道を行くことができるはずです』
ベッドの中で、アヴァランスは苦笑した。そんなお題目を真顔で言うアレーナならば、それを実現してしまうだろうと思えたからだ。
明かりを消し目を閉じて――かなり時間が経った。
――眠れない‥‥。
いつもならすぐに眠れるはずなのに、今日に限ってやたらと心が騒ぐ。窓枠の中の星を数えるうちに月が窓枠一つ分移動し、それでもなお睡魔は降りてこなかった。
ごうっ!!
突然、窓の端に朱色の照り返しが灯った。
「!」
アヴァランスがベッドを飛び出す。窓に張り付き見た光景は、教会の車が炎を上げて燃え上がる様子だった。
教会の周囲に、黒いローブ姿の、幽鬼のような人間たちがたたずんでいる。彼らは巨大な十字架を担ぎ、それを車の炎の中にくべた。十字架が、ごうと燃え上がる。
ごっ!
音。かなり剣呑な打撃音だ。
頑丈な教会の扉を、衝角でぶち破ろうという音なのだが、残念ながらこの位置からは見ることが出来ない。
アヴァランスは部屋を出ると、建物の中を探した――誰を?
――アレーナだ!
自問に対し出た明確な答えに、アヴァランスは多少の驚きを禁じ得なかった。名前以外何もない自分に、他人を気にかける気持ちが存在することに、ある意味驚愕した。
そして、これは感じる、明確な『怒り』。
それは外の黒ずくめの者達に向けられたもので、アヴァランスははっきりと外の連中を『敵』と認識した。それは、ささやかな平穏を土足で踏みにじった不埒者に対する、憎悪にも似た感情だった。
教会の中は、当然のことながら恐慌状態だった。無辜の敬謙なクリスチャンに、これらの『暴力』はあまり縁のあることではない。それでも扉を破られぬように、男の僧侶が数名入り口を支え、踏ん張っている。思わず加勢しようと身を投じかけたアヴァランスを、呼び止める者があった。
「あなたは逃げなさい」
教会の司祭――ファーザー・チャードという名の、老齢の僧侶が、アヴァランスに向かって言った。
「あれらの目的はあなたです。あなたはその身を、神の家に寄せられた。それが許せないのでしょう」
何かの本質が欠けた言葉が、アヴァランスにかけられる。平素なら反駁し理由の一つも問いかけるところだが、その老人の持つ気迫のようなものがそれをはばからせた。老人の持つそれは死命を賭した者が持つそれであり、そしてアヴァランスに向けられた言葉は、まるで遺言のようだった。
「アヴァランスさん!」
シスター・アレーナが、アヴァランスを呼んでいる。
「行きなさい」
その背を、老人は押した。
「迷った時は、アレーナの言葉を思い出しなさい。そして、あなたに神のご加護を」
アヴァランスはアレーナに手を引かれ、裏手の出口から脱出を図った。しかしそこにも、黒ずくめがいる。
「離れないで」
アレーナはそう言うと、手にしていた細い包みをほどいた。
しゃん!
美しい金属音と共に現れたのは、西洋の直刀だった。儀用の剣か何かを持ち出したのだろう。礼拝堂の天使像にも、そういうものが握られている。
だっ!
アレーナが駆けだした。黒ずくめの男たちの間を、一閃二閃。金属の銀弧が描かれると、黒ずくめは闇の中に黒い血を噴き出して倒れた。
アヴァランスは、アレーナの唐突な豹変に驚き、行動が遅れていた。が、それが状況を客観的に見ることが出来、アレーナの窮地を知覚させた。
――銃!
ライフルかショットガンを構えた黒ずくめが、アレーナを狙っていた。
「アレーナ、伏せろ!」
ごっ!
その時、夜の黒よりなお暗い闇が凝縮し、アヴァランスの手から放たれた。闇は黒ずくめを打ち、ライフルはあさっての方に吹っ飛んだ。
――なっ!
行為を行ってから、アヴァランスは自分に驚愕した。自分は確かに、『何か』をしたのだ。それが常識的なものではないことと、そしてそれが自分の行為であることに、まさに『おどろいた』。
「アヴァランス!!」
アレーナが呼んでいる。
アヴァランスはその行為に、在る意味恐怖しながら、アレーナの後をついていった。
●始まりの終わり
「『花婿』が、修道女と行動を共にしている?」
報告を聞いたマリーは、驚き、あきれ、憤慨した。
「何、何! 何よそれ! ふざけてるの!!」
精神年齢をぐっと下げたマリーの怒声が、その場に響き渡る。
「何よその『修道女』って! どうして闇の皇子が修道女となんか!!」
「お待ちを」
それをジャックが制した。
「なによ」
不満顔で、マリーが言う。
「『花婿』は、まだ目覚めていないのではないでしょうか?」
彼らも、全ての事情や状況を把握しているわけではない。何か『知らないこと』により話がややこしくなっているのかもしれない。
殺人快楽性のジャックも、馬鹿ではない。物事に対する因果関係を、推察することぐらいは出来る。
「なら、どうするのよ」
マリーが、不満顔のままで言った。
「まずは接触を」
ジャックが言う。
「エルダー・サインの導きは絶対でしょうが、それ以外ことは分かりません。ならば我ら信徒のすべきことは、分かり切っています」
マリーが、にやりと嗤う。
闇は、まだ深い。
【つづく】