ゴーストミュージシャンアジア・オセアニア

種類 ショート
担当 深紅蒼
芸能 フリー
獣人 フリー
難度 普通
報酬 1.3万円
参加人数 6人
サポート 0人
期間 07/09〜07/15

●本文

 ゴーストライターといえば、依頼人に代わって文章を書く人のことだ。書いた文章は依頼人が書いた物とされ、賞賛も酷評もゴーストライターが被ることはない。

「あまり気持ちが良いものじゃないんだけど、代わりに演奏してくれる人を捜しているの。勿論、秘密厳守よ」
 麻生真美子は簡素な名刺を取り出した。肩書きには『コーディネーター』とだけ書かれている。それでは一体麻生がどんな仕事をしているのかわからない。
「頼まれたのよ。ある人から。どうしてもその日にレコーディング出来ないんですって。でもね、この日にレコーディングしないと駄目なんですって、諸々のスケジュール的にね」
 なので、指定された日に別人の弾き方で演奏してくれる演奏家を捜しているのだと言う。
「そもそもね、自分じゃない別人の弾き方で演奏して、しかもそれが充分聞くに耐えうるって腕の持ち主ならそこら辺に埋もれてはいないと思うの。でも、クラシックって業界はそれ自体ちっちゃいし、技量があっても芽が出ない人も探せばいるんじゃないかと思って」
 麻生はすっと立ち上がった。きびきびした動作が美しい。
「あんまりおおっぴらには出来ないけど、心当たりがあったら連絡してきてね。あ、名刺の裏に携帯の番号を書いておいたから」
 テーブルの上に放り出されてあった名刺を裏返してみると、言ったとおり手書きで数字が書き記されてあった。

「楽器はピアノ。勿論グランドピアノ。演目はこれよ」
 麻生がテーブルに置いたのは『月光』と『月の光』。どちらも知らない人などいない名曲だ。楽譜の厚みがさほどでもないところをみると、メジャーな部分だけを抜粋して演奏するのだろう。
「ヒーリングCDに収録される予定なの。演奏は牧敬吾って新人がするはずだったんだけど、消えちゃったのよ。妙な事件に首を突っ込んだみたいなんだけど、これはどうでもいいわ。演奏をお願いしたいの」
 麻生は楽譜の上に小さな紙切れを置いた。紙にはアルファベットと数字が一列に並んでいる。
「このアドレスに敬吾が演奏した練習曲のファイルをアップしておいたわ。彼っぽく弾くための参考になればと思ってね。その気があったらまた連絡して。それで仕事をお願いするわ」

●今回の参加者

 fa0751 (23歳・♂・蝙蝠)
 fa1443 門屋・嬢(19歳・♀・狼)
 fa1796 セーヴァ・アレクセイ(20歳・♂・小鳥)
 fa2174 縞榮(34歳・♂・リス)
 fa2661 ユリウス・ハート(14歳・♂・猫)
 fa3960 ジェイムズ・クランプ(22歳・♂・犬)

●リプレイ本文

●黒い誘惑
 牧敬吾がいなくなった事に周囲が気が付いたのは7月になってからだった。正確な日時はわからない。
「牧敬吾が今どうしているかなんて、どうでも良いことよ」
 客の少ない喫茶店に入ってくると、珈琲を頼んだ後で麻生真由子は言った。正面にはユリウス・ハート(fa2661)とジェイムズ・クランプ(fa3960)が並んでいる。
「牧さんの関わった事件ってWEAの件なのか、そうじゃないのか‥‥それだけで良いから教えて下さい」
 珍しくユリウスは食い下がった。ユリウスはあまり物事に拘泥する方ではない。だが、危険な仕事ならそうと把握したい。麻生は運ばれてきた珈琲を一口飲んで顔をしかめる。口に合わなかった様だ。少し待ったが答えない。話し始めたのはジェイムズだった。
「麻生っちには関心がなくても、牧のダミーになるには情報が足りないんだよね。でも、リサーチの途中でヤバい目に遭うのは避けたい‥‥だから聞いてるんであって他意はないんだよ」
 だから答えて欲しい‥‥と、ジェイムズは言外に匂わせる。
「知らないわ」
 素っ気なく麻生は言った。
「知らないなんて信じられないなの」
 即座にユリウスが言う。銀色の髪が揺れ頬に血の色が浮く。麻生はじっとユリウスを見た。蒼いユリウスの瞳と麻生の茶色っぽい目がじっと互いを見つめ合う。視線を外したのは麻生だった。
「私はただのコーディネーターよ。ただ、今も相変わらず牧本人からは連絡がないの。夜逃げしたのかもしれないし、ナニかに襲われたのかもしれないわ。だから危険がないとは言えないわね」
 ユリウスは唇を噛んだ。牧の自宅周辺を不用心に嗅ぎ廻れば、どこから襲われてもおかしくない状況かもしれないのだと胸に刻む。
「‥‥状況はわかったよ。他にも色々頼みがあるんだけど、1番の疑問がある。なんで牧を外して他の奴を起用しないんだろう? 牧ってそんなに凄いのかピアニスト?」
 面倒な替え玉など使わずに新しく別の演奏家を起用すれば、物事はもっと簡単だろうとジェイムズは思う。それこそスケジュールの空いている演奏家は幾らでもいる。
「‥‥こういうことはあまり言いたくないんだけど‥‥依頼人は牧の身内よ。これ以上は聞かないでね。だから牧側から降板したくなかったんじゃない?」
 麻生は半分以上珈琲を残したままで席を立つ。
「あ。まだ待って欲しいなの。牧さんの自宅で調べたいなの。中に入る許可とか‥‥」
「そうだ。場合によっては前日にスタジオに出入りする手配とか、デモテープのチェックとかも‥‥」
「そこまで面倒見切れないわ。必要なら自分で調べて自分でなんとかして頂戴。大変だからって料金の上乗せはしないし、警察に捕まっても私は関知しないわよ」
 うっすらと笑って麻生は店を出ていく。
「‥‥なら珈琲代ぐらい払って欲しいなの」
 テーブルの上にはほとんど手つかずの珈琲と、麻生が手を触れた形跡もない伝票が残っている。
「そうだね。奢られるつもりならブルマンは頼んで欲しくないな」
 カップの中で揺れる琥珀色の液体を眺めつつ、ジェイムズはぼやいた。

●残された曲
 門屋・嬢(fa1443)はダウンロードしてきた曲を聞きながら室内を歩き回っていた。ごついヘッドフォンからは音漏れはしない。小さくうなずいたり、指先で拍子を取りながら歩いている門屋の姿は遠目からは奇異に見えるかもしれない。これは失踪したピアニスト牧敬吾が弾いたとされる『月光』と『月の光』だった。何度も繰り返し曲を聴く。数十回と聴いた後で門屋は服に取り付けてあったリモコンの停止ボタンを押しヘッドフォンを外した。長い溜め息が漏れる。
「ふーこれが牧敬吾の演奏なんだー」
 門屋はこの曲に特別な何かを感じなかった。さすがにへたくそだとは思わなかったが、音楽で喰って行くために必要なその人ならではという『魅力』、個性を感じない。
「癒しCD企画ってこういう演奏家が求められるのかな? 」
 門屋は作曲家だが、多分少し練習すればこれよりはマトモに弾ける自信がある。
「ちょっといじってみようかな?」
 手元には麻生から渡された楽譜がある。本業が作曲家である門屋には演奏自体よりもアレンジの方に魅力がある。上手く出来たら麻生に聴かせてみようか。コーディネイターだと言うが、麻生には楽曲を聴く力があるだろう。門屋のアレンジを麻生がなんて評価するのか、想像するだけでもゾクっとする。
「うん、やってみよう。どうせ女じゃスタジオ入りは出来ないんだし」
 何も書き込まれていない五線譜を左手で手元に引き寄せ、門屋は鉛筆に手を伸ばした。

 同じ頃、春(fa0751)もアレンジ作業に没頭していた。春も門屋と同じようにダウンロードした牧の演奏を聴き、麻生から渡された楽譜も見た。春の耳にも牧の演奏は凡庸に聞こえた。正直コレを真似て演奏するなど出来る話ではない。
「真似るなんて面倒臭せぇし、真似は所詮真似でしかねぇからな。俺が弾くからには俺流のアレンジを加えてこそ俺の音楽だろ」
 もし春の目の前に麻生が居れば即座に却下しただろう。麻生が求めたのは『ゴーストミュージシャン』だからだ。ゴーストライターが自己主張した文章を書けばゴーストライター足り得ない。光を求める手を伸ばす者は影ではいられない。だが、今春の目に前に春を止める者は誰もいない。
「ヒーリング目的の音楽ならやっぱり半音上げて移調してみるか。ちょっとの差でもピアノ曲だと効果がデカイからな。ついでのテンポも変えておくか。ゆったり弾いた方が落ち着くだろ」
 誰もが知っている楽曲が少しずつ『俺だけの曲』に変わっていく。何百年も前に創作された曲が、今新しい命を吹き込まれて生まれ変わる。そういう瞬間はいつもエキサイティングでスリリングだ。この感覚は他のどんな時でも味わうことが出来ない。音の魔力に魅入られたら、抜け出すことは出来ない。
「ま、気に入らないんなら、ボツにすりゃいい。俺の音楽性と合わなかったってだけだ」
 春の腹はとっくに決まっていた。

 アップライトピアノから離れると縞榮(fa2174)は停止ボタンを押した。赤く光っていたRECボタンのライトが消える。
「こんなものかな?」
 縞は『月光』と『月の光』を実際に自分で弾いてみて録音したのだ。デッキからMDを取り出す。レーベルもないMDを指先で弄ぶとケースにしまった。コーディネイターを名乗る麻生に聴かせてみようと思う。録音する前に牧敬吾の演奏は聴いた。縞なりに牧の癖や特徴を捉えてゴーストミュージシャンとして演奏したつもりだ。これでどんな答えを出すのか、それは麻生が決めることであって縞が気にすることではない。
「こっちは片づいたけど‥‥やっぱり気になりますね」
 縞の心に引っかかるのは牧の失踪した理由であった。何故、名前の出ないゴーストミュージシャンになったのか、その動機にも興味はある。
「調べてみたいが‥‥どうしたものかな」
 どうすれば縞の知的好奇心を満足させることが出来るのか? 演奏を終えたばかりの頭には効果的なプランは少しも浮かんで来なかった。

 目を閉じたままセーヴァ・アレクセイ(fa1796)はスピーカーから流れる曲を聴いていた。サイトからダウンロードした曲は一度圧縮されたせいなのか、それとも録音状況がわるかったのかあまり良い音で再現されていない。それでも目を閉じて感覚を研ぎ澄ましていると、演奏している情景が浮かんでくる。失踪した牧敬吾が演奏している曲らしい。いなくなった牧の代わりにレコーディングをする。それが麻生が持ちかけた『ゴーストミュージシャン』の仕事だった。クラシック音楽の世界で生きていくのは難しい。いなくなった牧はさぞかし悔しいだろう。せめて牧が戻ってきた時、出来上がったDCを聴いて納得してもらいたいと思う。
「うーん‥‥なんというかな」
 聴きながらつい低いつぶやきが漏れた。集中して聴けば聴くほど、牧の演奏は『なっちゃいない』だった。音の端切れは悪いしテンポも悪い。思わず楽譜を見返した程だ。ヒーリングDCの企画だというから、それ用に楽譜を書き直してアレンジを加えたのかと思ったのだ。けれどそうではない。
「楽譜通りに弾けばこういう曲にはならない。けれど、牧敬吾として演奏するとこういう風に仕上がらなくてはならない。厳しいな」
 牧という人物についての情報があれば、もう少しそれらしいマトモな演奏が出来るだろうか。牧なりの曲解釈がわかれば、牧らしい演奏が出来るかもしれない。
「ユリウスさんとジェイムズさん次第‥‥かもしれないな」
 テーブル一杯に広がった楽譜に、セーヴァはまだ何もこれといった書き込みが出来ずにいた。

 麻生はデモテープからセーヴァの演奏を選んだ。MDには『A』とだけラベルが貼ってある。当日は牧に変奏した縞がスタジオ入りし、潜入していたジェイムズが隙を見てセーヴァの演奏データが入ったMDがデータとして取り込まれるようにした。春と門屋のアレンジ曲は採用されなかった。ユリウスはその後も牧の自宅付近で調査を続けたが、牧が戻ってきたという話を聴くことは出来なかった。